劇団太陽族
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『そして夜に光った』
−朽ちはてた理髪店から−
対談 小堀 純×岩崎正裕  2002年10月4日収録

小堀 「そして夜に光った」の“そして”の前に何か言葉はないの?
岩崎 うーん、ないですね。
小堀 このタイトルはどういうところから?
岩崎 今の時代みたいな漠然とした夜の風景の中で、まあなんか光るんやろなと。苦しい事が続いてますけれども、そんな時に“何か”がそして夜に光ったって感じですかね。
小堀 「そして」ってあるとその前は何なのかなぁって思うじゃない。
岩崎 はい。あの、「そして神戸」っちゅうのがありますよね。演歌でねえ。
小堀 名曲ですな。
岩崎 なんというか、そこはかとなく前にある前提みたいなものを芝居として模索したいなというのもありまして。
小堀 岩崎が抱えているっていうか、その背景にあるっていうものは具体的に言うとどのようなものなのかな?
岩崎 (作品メモのノートを取り出して)やっぱり引っかかったのはね、2001.9.11以降の世界なんですね。アメリカの正義とビンラディンの正義と、あるいは北朝鮮の正義と日本の拉致された人の家族の嘆き悲しみみたいなものと、いったいこの時代における正しさとは何だろうかということをですね、悶々と考えておりまして、そういったことを書いてみようかなと思ったんです。そんなきっかけなんです。
小堀 何かから引用してきたってわけじゃない。
岩崎 じゃないですね、今回に関しては。
小堀 もうじゃあ、一からゼロから書き下ろしていくっていう。
岩崎 あの、チラシの裏文章にもあるんですけど、今僕十三公園の近くに住んでるんですよ。十三公園ってちょっと気味の悪い公園なんですよ、木立がわりとあって。その木立の中、夜歩いてるときに、夜やのに鳥が木から木へパッと渡ったってのがあって。夜に鳥は普通、ふくろうとか夜行性のもの以外は飛ばないんですけど、そうやって夜に飛んでる鳥もいるんやなぁと思ったんです。たとえば今「大阪のど真ん中に小劇場を取り戻す会」ってのをやってますけど、今いろんな方向でよくない部分、いろんな状況が動いてるような気がするんですけど、そんな中でじっとしててもしょうがないよなぁと思ったんですよね。その木から木へ渡る鳥に僕は何かひらめきを感じたんですね、ある晩。そんな思いです。だから今回は一から作ってみようと思いました。
小堀 一年ぶりの新作になるんだよな。
岩崎 はい、そうです。最初はねぇ、どっか設定は川べりの広告看板の取付工事の周辺の人びとの話にしょうかなあと思ってたんですね。ただちょっと漠然としすぎるなと思って、舞台が。かといって室内劇で切り取りたくないなぁ、そして夜に光るんですから。何か外と内部がつながってるような場所設定がないだろうかと考えてまして。で、結局どっかの廃墟にしようかなと、思い至ってきました。
小堀 廃墟、何の廃墟?
岩崎 はい、それがですね、決まったんです。理髪店なんです。
小堀 鏡が残ってる。
岩崎 残ってるんですよー。鏡に顔を映すんですよ。違ったものが映るかもしれないとかですね。いったい自分の顔を正視したときに人はどんな顔をしてるんだろうかとかですね。
小堀 舞台は関西のどっかになってんの。
岩崎 関西のどっかですね。寂れぇて朽ちてる理髪店。もう屋根も朽ちてて実は空が覗いてるというような設定にしようと思ってるんですね。で、お話の核になる部分で、善悪、あるいは正義、時代の善悪ということを考えてたんで、あの池波正太郎のですね…、そう“必殺仕事人”です。だから仕掛人藤枝梅安ですね。が、僕の頭をかすめましてね。いわゆる法で裁けない日常の小さいよくないこと、まあモラルのことも含めて、例えば最近女性専用列車ってのがでてますけど、何かこう釈然としないものを感じるんですね。そういった意味でやむにやまれぬ悔しさなんかを内に秘めてる人が、ある伝を通じて誰かに何かを依頼して、その男が法の名の下でなく誰かに裁きを下すというようなお話の成り立ちにしようかなと思ってるんです。あの理髪店の椅子がひょっとしたら電気椅子に見えてきたり、裁判の被告が座らされてる椅子に見えてきたりせえへんかなという、そんな感じなんです。
小堀 そこまでは考えたんだ。
岩崎 これはね、結構自分で来たぞって感じなんですよね。映画でもね、ハリウッド資本なんですけどいわゆるハリウッド映画じゃないやつで「処刑人」という映画がありまして、たぶんキリスト教のファンダメンタリストですね、つまり聖書至上主義の若い二人の兄弟がね、自分たちが全部裁くぜってバンバンヤクザを殺していくっていうのがあるんですよ。で、逃れ逃れていくんですけど、刑事もいつしかその二人に賛同してて、最後はニュースフィルムらしきもので終わるんです。あいつらもっとがんばってほしいっていうんでザーッて終わるっていう変な映画があるんですけど。これ結構おもしろいなと思って、実にコミカルな感じで。それもひとつひっかかりとしてあったんです。
小堀 岩崎の中では、「Re-Born」とは何かつながっていかないの?
岩崎 どうかなぁ、「Re-Born」とはつながりはないような気がします。
小堀 ないんやね。
岩崎 もう一回自分の書くべき題材を探してみようと思ってあれを書きましたから、自分の故郷の話のほうにずっと傾斜していきましたから、あれはあそこから広がらないですね。
小堀 今回はもっと、なんていうのかな、見えないものと格闘してみようっていうような作品なわけだな。
岩崎 で、もっていきたいのはその誰かに裁きを下すと集まった連中が、内部分裂して行く過程を書きたいなと思ってるんです。
小堀 やっぱり人間はもう一人一人どうしようもなく違いが決定的にあるわけやん。あるからこそ共同体を作っていくわけだけど。そこの認識っていうのが永遠のテーマなんだと思うわな。他者と自己が違うっていうことが。だから自分にとっては正しいと思ってても、他人にとっては悪であったりするとか。
岩崎 はいはいはい。

小堀

そういう思い違いとか、勘違いっていうのが、人が人を殺して戦争につながっていくんじゃないかってことは思うんだけど。ただ人間の狡賢いとこってのは、わざとそういう状況に持っていくってこともあるわけじゃないか。誤解じゃなくて曲解をしていくっていうかさ。相手はこう出るだろうと、そういうふうに状況をしつらえていっちゃうっていう。だから大きな正義と呼ばれる、国家の正義とかってのはそういうような怖さをもってるわけ。今、いつの時代でもそうだけど、人は人のことを信じるってことが一番怖いから、信じる前に殺しちゃったりするわけで。演劇とか、映画とか表現の力っていうのは、誰かを信じないことには始まっていかないわけで、そういう意味から云うと「演劇」を約束事とは違う“冒険”だって置き換えてもいいかな。
岩崎 そうですね。
小堀 だから、今の時代なんでもありってよく言われてて、何でもあるから、どんなことでも起きるから、なにか新しいことは出来ないんじゃないかってことをよく言われるけれども、それはいつの時代でも実はそうなんじゃなくて、気がつかないだけではないのかなって。
岩崎 たぶん新しいものを作ってしまった人は、新しいものを作ろうとしたんじゃないと思うんですよね。結果的にそれが新しいと評価されただけであって。新しさを追っかけてる人はきっと新しいものを作れないんだと思う。
小堀 やっぱり目の前のことからしか実は始まってはいかないので、それがどこをどういうふうに展開していくかということだとは思うんだよな。今、思いつくキャラクターでどんな人を考えてるの?
岩崎 必殺仕事人的に言うと依頼者がおるということは、つなぎの人が絶対おらなあかんので、それをねタクシーの運転手にしようかなと思ってるんですよ。タクシーを運転しながらいろいろ愚痴を聞いてるうちに、実はこういう奴らがいんねんけどってそこへ、その古い理髪店につけて、引き合わせて、どういう風にやるかみたいな話になっていくと。ほんでその元締め的なことをやってる人はね、僕ね公務員がいいと思うんですよ。きれる公務員。公務員の方たちと最近会うこと多いんですけど、何であんなにグッと全てを堪えてはんのかと。で、その方たちの夜の姿というのを想像するにたいへんおもしろいなと思って。きれる公務員と、タクシー運転手と、自分たちが正義やと思ってる若者たちの話にしたいなと思って。何か若者たちはね、自分たちがすごい大きな力に動かされてるときっと思ってるんです。それはある種SFじゃないけど宇宙人みたいな話になってきてもいいかなと。それで空がこう開いてて、自分たちは特別な人間なんだと勝手に思ってて。「シンクロニシティ」という作品を以前書きましたけれど、それと風景としてちょっと近いのかなと思ってるんですけど。
小堀 仕置人の話だけど、東京で、まだ携帯電話がそんなに出る前、公衆電話がいっぱいの頃、新宿かどっかの駅だったと思うけど、電話のとこにいっぱい貼ってあるじゃないピンクチラシ。その中に真っ黒なやつがあって、白ヌキで“うらみはらします”とかって。
岩崎 そんなんあったんですか。
小堀 あったあった。それがもう携帯出てたのかな、携帯の電話番号だったかな。番号だけ書いてあって。
岩崎 それおもしろいな。
小堀 おれ持って帰ろうかと思ったんだけど、貼っつけてあったんで剥がすのも何だと思って持って帰らなかったんだけど。ちょっと気持ち悪かったし。名刺大の大きさでな、真っ黒で白ヌキでな、“うらみはらします”って。
岩崎 それはでも、たぶん裏がいっぱいありそう。ヤクザがとか。
小堀 借金のトラブルとか取り立てのこととか,私情のもつれであるとか。たぶんそういうことだと思うんだな。本当に、それこそ拉致されるような憤りを感じて、どうしようもなくて誰かやってくんないかっていうような人を相手にしてるわけじゃないなと思った。
岸部 もっと即物的な。
小堀 即物的なんだよ。ただそういうものが出てるっていうことに、消えない気持ち悪さみたいなものを感じた。
岸部 新作は、劇団とかもからんできます?
岩崎 そう、たぶん劇団の話なんだよ、これは。それはもう全ての集団論だけど。
小堀 演劇が特殊性があるのは、集団論の話があるだろ。なぜ集団で動いていくのかっていうのがあるじゃない。岩崎はそのへんのことはどういう風に考えてるの。
岩崎 劇団はやっぱりね、一人ぼっちが大勢集まってるんだと考えてるんですよ。だからみんなで熱く何かを成し遂げようという目的はずいぶんと後でついてくる問題なんであって、ほんとに孤独だということを噛み締めてない人間は、僕劇団なんかっていう組織に参加したらいかんような気がするんですね。できるだけみんな自発的に自分というものを律しながらこの場には来てねって。誰かについて行きますみたいな発言はやめてねっていうことは思ってますね。そうじゃないと発展しないですもん。いいもん作れないだろうし。必要以上に僕に期待されても困るし。みんなそれぞれが自分に期待して、その集合体として劇団っちゅうもんがないとダメだろうなって。家族じゃないからさ。こないだ小堀さんがおっしゃってたように、他人どおしだからできるということもあるんだってことかな。
小堀 日経新聞の取材で金田典子と話してたときも、金田にとって太陽族はなんなのって聞いたら、やっぱり帰るとこがあるって思うことかなって言ってて。でも、そこに頼っちゃいけないってみたいな、そういう微妙なバランスだって言ってたな。70年代によく言われてたのが、“連帯を求めて孤立を恐れず”ってやつな。連帯があるってことを信じなきゃいけないし、自分が孤立をしてるってことを認識しなきゃいけない。
岸部 ある意味役者論でもありますね。
岩崎 役者論でもあるな。
小堀 違うものが一緒になってるっていうことはどういうことなのかっていうことや。
岩崎 同じになろうよっていうのはよくないからね。気持ち悪いからね。
岸部 北朝鮮みたいに。
小堀 そうそうそう。長田弘さんって詩人が、朝日新聞に「ここに、共にあること−他者あっての幸福と自由−」って文を書いてたんだな。同じところに様々な人々が集う、共生の論理ってのかな。よくおれが言うことだけど同世代じゃなくて、同時代っていうことでもあるんだな。同じ時代の中で、たまたまある場所にある時間を共有するっていうようなことがあって、そういうところから全然別の地平に向かおうとすることが、ものを作ったりすることじゃないかなって。おれがなぜ仮設劇場にこだわるかっていうと、カセツをふたつ掛けるんだな。仮に建てる“仮設”と“仮りの説”な。ある説を、仮説を作ってみようっていう。その両方が劇場を作るってことにあるんじゃないかって思えてきて。唐(十郎)さんも以前言ってたことなんだよ。「テントを建てるっていうのはやっぱりカセツなんだよ」って。ほとんどの人が“仮設”だと思ってたんだけど、おれはそれだけじゃないと思った。演劇という行為は別に仮設劇場に限らず、“仮設”をして絶えず“仮説”をたてていくことじゃないかなって思ってて。だからいきなり「そして…」で始まってもいいんだよ。
岩崎 同時代ねぇ。
   
小堀 全然話は違うけど、夏目漱石の「それから」は、いいタイトルだなぁと思うんだよな。
岩崎 “それから”ですもんね。
小堀 ほんと大阪人だったら「どうした!」って言うよな。
岩崎 今から読もうとしてる小説が「それから」って、っていうのはええね。
小堀 ええよ。
岩崎 集団論の話にまた戻るけど、昔、松田(正隆)さんの作品をピッコロでやったときに秋浜悟史さんが見に来てて、秋浜さんやっぱりいたく松田さんの作品に対する評価高いらしくて、ただいいとかどうとか、高いとこからあの人はものを言わなかったんだな。松田正隆という作家が同時代にいるということはすごいことだよって言ったのね。おれ、それすごい感動したのね。そういうお互いが敬うというかさ、劇団もやっぱりそうあるべきだと思うんだよ。互いが互いに魅力を感じてないとさ、うまく機能していかないと思うんだな。その“仮説”も成り立たないような気がするんだな。
小堀 今の「せりふの時代」(2002年秋号)に書いてある松田のエッセイはおもしろいぞ。
岩崎 読みました。
小堀 松田が持ってるいいようのない怒りと不安ていうのは、やっぱり自分が生まれ育ったところを抜きにしては語れないし、地縁、血縁、強いては宗教のことにつながるだろうし、この「日本」につながっていくだろうし。やっぱり、ものを書かなかったらそういうことは自分の奥底の中にしまいこんで、カギを掛けて、よほどのことがないと出てこないもんなんだよね。忘れるってことは人間は絶対ないと思うわけだよ。そういう自分の持ってる言いようのない怒りとか不安とかっていうのは、絶対人は忘れることはなくって、封印してるんだよな。封印してないと日常を生きていけないってのがあるんで無理矢理封印してると思うんだ。作家はそれをちょっとずつ開けるんだな。な。
岩崎 開けないと作業にならんのだな。
小堀 いっぺんに開けるとオーバーヒートしちゃうもんだから、ちょっとずつ開けて、そのままだと自分もシンドイからちょっとずつ嘘をつけていって、自分が思ってた言いようのない不安とか怒りを、普遍的にしていくっていうか、具体化していくっていうか、物語という形にして提起していく。おれはものを書こうという人をそういうところで尊敬するわけだけれども。誰でも実はみんなあるわけ、それは。あるんだけど、それは井戸の奥底に沈めちゃって、コンクリートで埋めちゃってとかしちゃうんだけど。作家はちょっとずつ覗いたり、引っ張ったりして出すんだな。
岩崎 そう。おれ、わりと最近地域でいろいろ戯曲のワークショップをやってますけど、みんなそれぞれ封印してる物語があって、それが少しずつひもとかれて見えてくるのはおもしろいなぁって思うなあ。才能じゃないみたい。
小堀 世間は狭くて、世界は狭いけど、日本は広いぞ。ほんとにちょっとでも違うとこ行ったら全然違うコミュニティがあって、まったく違う現在があって、もちろん共通な現在もあるわけだけど、むしろ違いのほうが大きいかなとも思うときもある。
岩崎 ほんと違うな、日本は広いなと思ったのは、青森に行ったとき。宮沢賢治の「注文の多い料理店」の書き出しを戯曲にしましょうってのをよくやるんだけど、大阪でやっても、北九州でも岡山でも、ススキ野原の秋の風景なんだよ。実際そう書いてあるからね。ところが青森でやったらなぜか雪景色で書く人がいるのよ。だから、道に迷ってるってことは雪の中だって、もう体の中にインプットされてる人たちがいっぱいいるのね。これ雪ってどこに書いてあるのって聞いたら、え? 雪じゃないんですかって。おもしろいなって。
小堀 自然環境てのはすごい大きいからね。同じ雨でも、山陰の人が感じる雨と静岡の人が感じる雨は違うんだよ。ザカザンザカザンっていうさ、いつになったらやむんだろうっていう暗い雨と、パッと降ってパッとあがっちゃうような雨と全然違うわけだしさ。
岩崎 やっぱり岩手の風はきっとドウと吹くんやと思う。
小堀 作家が言葉をしぼって書くときには、なぜこの人はこういう所に居て、こういう言葉を書いてるんだっていうところがみえないと。人の背景だな、人物の具体性ではなくて、背景が見えるようなコトバが欲しいなといっつも思うわけだ。殺し屋が出てくるんだったら、その背後っていうかな。そこがみえてこないとな
  
* 小堀 純氏プロフィール  
 「プレイガイドジャーナル」編集長、「劇の宇宙」編集長を経て、フリー編集者。他に北村想戯曲集、内藤裕敬戯曲集、中島らもエッセイ集、書籍「OMS戯曲賞」などの編集を手がける。現在、オール讀物に「中島らもとせんべろ探偵が行く」を連載中。
* 「大阪のど真ん中に小劇場を取り戻す会」
  OMS、近鉄劇場などあいつぐ劇場の閉鎖に危機感を感じた関西の劇作・演出家の6人が、その声を一つに集めようと呼びかけ、立ち上げた会。会では具体的な情報を集めるとともに、呼びかけのチラシを月に一回作成し会員全員の氏名を掲載、その数をアピールします。観客・劇団員・ダンサー・行政マン・企業の方、関西在住でなくても会員になれます。会費は入会金のみ、1人一口500円から。詳しくは下記連絡先まで。直接会費を振り込んでも可。
  連絡先  〒530-0047 大阪市北区西天満3-7-17フロムサーティー第2ビル502号室
       電話&FAX 06−6362−5266
       郵便振替口座  00980−6−181820
       口座名義    大阪のど真ん中に小劇場を取り戻す会
  呼びかけ人 岩崎正裕(劇団太陽族)、鈴江俊郎(劇団八時半)土田英生(MONO)、
        内藤裕敬(南河内万歳一座)深津篤史(桃園会)、松田正隆(劇作家)
*特集記事内の写真は、石川隆三氏撮影