人物辞典No.1

曹操孟徳−予告された登場、乱世の奸雄
出身地[言焦](ショウ)郡 幼名阿マン/吉利
生きた期間155年〜220年享年66歳 知謀97 武勇83 人望92
容姿身長7尺、目が細く鬚が長い.

らくちん頭出し
【第1話】黄巾の乱前後
【第2話】董卓暗殺を計るも失敗に終わる
【第3話】天下の英雄に連合を呼びかける
【第4話】州に本拠を置き、賢者を集める
【第5話】曹嵩、暗殺される
【第6話】呂布との対決(その1)
【第7話】献帝を擁し、大義を得る
【第8話】王佐の男、荀の呟き
【第9話】張繍・賈コンビに典韋を失う
【第10話】袁術討伐
【第11話】曹操と賈
【第12話】呂布との対決(その2)
【第13話】呂布の退場
【第14話】曹操と劉備
【第15話】曹操、虎を野に放つ

【第16話】〜【第27話】飛躍への序曲
【第28話】〜【第46話】三國鼎立し、超世の英傑去る


黄巾の乱前後
 幼少の頃より権謀術数に長け、自分に都合の悪いことは事々く嘘を付いて難を逃れていた。
 曹操は、黄巾の乱を鎮めるべく歴史に登場する。黄巾の乱の首謀者である張角の弟、張宝・張梁の 賊軍を打ち破り一万余りの首級を上げた。その功により済南の相に任じられた。

 宦官が自分を殺そうとしていることを知った大将軍何進が宦官誅殺を目ろむと、曹操は初め、 全員を殺すことなど不可能だとして反対するが、宦官達が霊帝の死を隠し何進を殺そうとしている ことを知ると一転、皇帝を正した後、宦官誅殺を提案する。
 少帝即位後、袁紹が全国の英雄を招いて宦官撲滅をせよと何進に献策すると、「事の元凶だけを 除けば済むことではないか。大袈裟にすれば、返って厄介なことになる」と言い返す。しかし聞き 入れられず、天下は大乱へと進んでいくことになる。
 身の危険を感じた宦官達によって何進は暗殺され、その宦官達も曹操たちに一掃されたことで、 皇帝を支える「宦官」「外戚(皇后の親族。この場合、大将軍何進)」共に倒れ、中央の権力に隙が 生じた。そこへ、何進の誘いをチャンスを見た董卓が大軍を率いて都に入っていたため、漢王朝は さらに混迷を深めることになる。

董卓暗殺を計るも失敗に終わる
 絶大な軍事力を背景に、都で好き勝手な振る舞いをする董卓を亡き者にしようと、曹操は司徒 王允から宝刀を借りて、董卓の寝室に忍び込む。しかし運悪く鏡に宝刀が反射してしまい、董卓 に気付かれる。 「宝刀が手に入ったので、董卓殿に献上したく来ました」と言ってその場は難を逃れたが、計画 が明らかになるのは時間の問題だとして都から逃げ出す。
 しかし,途中、運命的な出会いをする。当時、県令の職をしていた陳宮に身元を知られ、捕ま ってしまう。しかし、董卓の横暴への怒りと漢王室への忠義の心を説いた曹操に陳宮は感心し、 共に逃げることになる。
 その後、不幸な事故によって陳宮にその人柄を見限られ、袂を分かつことになった。

天下の英雄に連合を呼びかける
 陳留まで逃げた曹操、父の曹嵩に会って衛弘という金持ちを紹介してもらう。辞を低くして 志を述べ出資を得た。そこで全国に董卓誅滅の偽りの詔を発した。程なく楽進・李典・夏侯惇・ 夏侯淵・曹仁・曹洪らが馳せ参じ、軍備を整える。
 曹操が発した董卓誅滅の偽りに呼応して、各地の豪族、袁紹・袁術・孔ユウたちが合流する。
 勢いづいた連合軍は、袁紹を盟主に据えると、都の洛陽へ攻め上るが、シ水関で董卓軍の猛将、 華雄に味方武将は次々討ち取られ、戦線は膠着してしまう。
 この時、劉備の義弟関羽が華雄と一騎打ちをしたいと名乗りをあげる。しかし身分の低さから 出陣を許可する者はいなかった。曹操は関羽に並々ならぬものを感じ、「もし討ち取れずに戻って 来たら、(軍の士気を下げた罰として)その時こそ首を刎ねればよい」と言って諸侯を説得した。
 関羽が見事華雄の首を取って戻ってくると、良家出身で傲慢な袁術は関羽をなじるが、曹操は 劉備・関羽・張飛の三人に肉や酒を与えて労をねぎらった。
 華雄を失い、呂布だけでは連合軍に太刀打ちできなくなった董卓は、知恵袋の李儒の献策を聞き 入れて金銀を略奪した挙げ句洛陽に火を放ち、古都長安への遷都を決行する。
 洛陽に入城した連合軍は、玉璽を取り合うなど足並みが乱れ、董卓を追おうとしない。曹操は 董卓を追うよう袁紹に提案するが受け入れられず、「こいつとは謀(はかりごと)ができん」と言 い捨てて、一人董卓の後を追う。しかし、結果は李儒に裏をかかけて大敗を喫し、命からがら逃 げ戻った。

州に本拠を置き、賢者を集める
 王允の連環の計によって董卓が呂布に暗殺されると、李カク・郭シ達の攻撃を受けて呂布は敗 れ、王允は殺された。曹操は彼らに対して従順に接し、ちょうど起こった黄巾の乱を鎮めるとい う理由で都を脱出、乱を鎮めた後州に腰を下ろした。
 この地で、人材コレクター曹操の本領が発揮される。まず荀と荀攸が馳せ参じ、次に荀の 推挙によって程が、程の推挙によって郭嘉が、郭嘉の推挙によって劉曄が、劉曄の推挙によ って満寵(まんちょう)と呂虔(りょけん)が、さらにこの二人によって毛カイが招かれた。
 一方、武官でも于禁が数百の兵を率いて配下に加わり、さらに夏侯惇の推挙によって巨漢典韋 が見出された。
 ここに、初期の曹操陣営の名将が出揃うことになる。

曹嵩、暗殺される
 州で基盤を固めた曹操は、部下に父曹嵩を迎えにいかせた。しかし、ここで不幸が起こってしまう。
 途中、徐州を通ったとき、州牧だった陶謙は曹操の勢いを恐れ、部下に曹嵩の護衛を命じ、さらにお土産 までを用意した。曹嵩は、「州牧の陶謙までがここまでしてくれるのは、息子が偉くなったためだ」と非常に 喜んだのだが、護衛としてお供した都尉、張ガイによって一家皆殺しにされてしまったのだ。
 その知らせを聞いた曹操、荀イクと程州に残すと、父の敵討ちに徐州に攻め込み領民を次々と虐殺、 陶謙の援軍に来た九江の太守までも斬り殺す始末。
 不運だったのは陶謙。気を利かせて付けた護衛が起こした不祥事のために、自らの命運が尽きかけているの だから。
 陶謙は己だけでは堪えきれないと判断し、別駕従事(べつがじゅうじ)の糜竺の勧めで北海の太守孔融に救い を求める。元々人望の厚かった陶謙の願い、孔融は劉備を誘って出陣し、曹操は彼らの共同戦線と戦う羽目に なる。

 しかし、ここで国元の一大事が曹操に伝えられた。なんと、呂布が州に攻め込み、しかも大半を 手中に収めてしまったというのだ。残る地は、僅かに荀イクと程が守る城、笵県、東阿の3県のみで あった。
 曹操は郭嘉の策を入れ、呂布のことは触れず、劉備が進軍してきたので兵を引いたように見せかけ、急ぎ 州に戻った。

呂布との対決(その1)
 かつての命の恩人陳宮が呂布に仕えていることに頭を悩ませつつも、呂布が陳宮を使いこなせていないこ とは分かっていた。単細胞な呂布の唯一の長所はその「人中の呂布」と言われた高い武勇だが、同時にそれは 彼の弱点でもあったからだ。自らの武勇に頼る余り自信過剰で献策を聞き入れず、先が読めない上、無謀な 戦いに平気で挑んでしまうのだ。
 しかし、こんな男だからこそ、参謀の計略を何の気なしに用いた時は絶大な威力を発揮する。
 呂布に占領された濮陽を取り戻そうと曹操が兵を引き返し呂布のいる城を囲ったとき、当地の富豪田氏が曹 操の元にやってきた。田氏は巧みに曹操に説き始めた。 「呂布は勇猛なるも人心を得るに及ばず。この乱世を生き抜ける男とは到底思えません。私どもとしては、人 望厚き曹操様にこの地を治めていただきたいのです」
「それは有り難いが呂布は手強い。何か妙案はないか?」
「あります。我々が手引きをすれば、城を落とすなど造作もないこと・・・」
 曹操はその言葉を聞いて大いに喜んだ。参謀の劉曄が罠に違いないと諌めても聞かない。自ら先頭に立ち、 城内へ攻め込むことに決めた。まさに陳宮の思う壷である。まんまと城内におびき寄せられてしまったのだ。
 それでも彼が辛うじて死なずにすんだのは、やはり参謀の意見に耳を傾けることを怠らなかったからだろ う。心配する劉曄の言を聞き入れ、軍を三隊に分け、いざという時のために二隊を待機させたのだ。

 さて、呂布側の手はず通り、曹操は田氏に勧められるがまま城内に突入。待ちうけていた呂布の兵によっ て猛烈な火攻めに遭う。曹操の軍は完全な混乱に陥り、我先へと逃げ出す始末。さらに曹操の首を刎ねようと、 炎の中から地獄の鬼のような形相をした呂布が現れる。見つかったら命がない。親衛隊長の典韋に救われ辛う じて城外へ逃げ出すものの、腕から頭髪、髭に至るまで、焼けてしまう大怪我をしてしまった。
 しかし、曹操はこれで簡単に兵を引くような男ではなかった。自分が火傷で死んだと言いふらし、好機と見 て攻め込んできた呂布の軍を伏兵で破り大打撃を与える。
 その後、警戒した呂布は城外へ出ようとせず戦線は膠着状態に陥るが、イナゴの大量発生のために食糧が 欠乏したため、曹操は兵を引き上げた。

献帝を擁し、大義を得る
 陶謙が死んだ後、劉備が後がまに座ると、怒った曹操は徐州に攻め込もうとするが、謀士荀に諌められ、 まず陳国を取って兵糧を確保し、さらに汝南・頴川で略奪を働いていた黄巾の残党を平らげて、人望を得た。
 さらにこの残党の中に典韋と互角に渡り合う怪力の持ち主許を見つけ、落とし穴に落として捕獲、配下 とする。
 続いて、一度は奪われた州・濮陽も許らの働きによって呂布から奪い返すことに成功する。河北に 袁紹、徐州に劉備、南陽に袁術、荊州に劉表と、まだまだ強敵に囲まれてはいたが、曹操は中原に一大勢力を 築き上げることに成功する。

 しかし、朝廷を牛耳っているのは相変わらず董卓の配下だった李カクと郭シの2人だった。2人は献帝をない がしろにしていた。そこで漢臣楊彪が、郭シの妻が嫉妬深いことを利用して2人の間を裂こうする。結果は大 成功だったが、これにより長安の都は戦場と化すことになる。
 混乱の中、食料もまともに与えられない献帝を騎都尉の楊奉や謀士の賈、外戚の董和などの働きで都を脱 出する。
 曹操は荀の勧めに従って軍を派遣し、献帝を奪回しようとして後を追ってきた李カク・郭シの軍を散々に 打ち破る。
 こうして献帝を手に入れた曹操は、許昌への遷都を行おうとする。この時、それに異議を唱える者は誰1人 としていなかった。

王佐の男、荀の呟き
 献帝を擁し中原第一の勢力を築いた曹操であったが、徐州の劉備と、彼に迎えられた呂布は相変わらず脅威 であった。呂布は曹操に敗れた後、初め袁紹を頼ったが殺されかかったため、劉備の元に落ちのびたのだ。
 そこで荀は曹操にこう囁いた。
「劉備は漢王室の血を引くものとして自らを宣伝し、王室に対して忠義に厚い男です。そこでまず、手に入 れたばかりの献帝を使い、劉備を正式に徐州の太守に任じ、呂布を攻めさせればよろしい。彼は帝の勅命とあ らば必ず従う男です」
 名づけて「二虎競食の計」。
 しかし、劉備は計略と見抜き呂布を攻めない。
 そこで荀は次なる計略、「駆虎呑狼の計」で劉備・呂布の間を裂こうと曹操に進言する。
 結果は袁術征伐のために徐州に張飛を残し出兵した劉備が、袁術と連携した呂布に城を取られることになった。
 しかし、袁術が連携の約束であった兵糧を呂布に送らなかったため、袁術・呂布は対立し、今度は呂布が居城を 失った劉備をかくまうことになる。
 しかし張飛が呂布の馬100頭を盗んだことで情勢は一変。激怒した呂布によって小沛城を追われた劉備は曹操の元に 落ちのびる。
 劉備の人柄を危険視した荀・程は劉備を殺すよう進言するが、「ここは曹操殿の心の広い所を天下に見せるべき」 と説いた郭嘉の進言に従い、曹操は劉備一行を手厚くもてなした。

張繍・賈コンビに典韋を失う
 劉備を迎え入れた曹操は、共に呂布を倒そうと約束するが、そこへ張繍が賈を参謀とし、劉表と手を結び来襲して きたという知らせが入る。そこでひとまず呂布に官位を与えて動きを牽制し、大軍15万を率いて張繍に当たる。
 賈は勝ち目なしと見て張繍に降伏を勧め、自ら使者として曹操に弁舌を振るい、降伏が成立。しかし、曹操が張繍 の叔父張済の未亡人を気に入り快楽にふけっていたため、張繍の怒りを買うことになる。賈の策で、まず曹操のボデ ィガード典韋の戟(げき)を盗ませると、曹操の油断を見澄まして四方から一斉に火計を仕掛ける。
 この結果、曹操は典韋を失い、さらに長子曹昂も死なせる羽目になる。于金の活躍によって張繍の追手から逃れるこ とができたものの、許昌へ軍を引くことになってしまった。

袁術討伐
 帝号を僭称した袁術だが呂布に敗れて窮する。そこで孫策に兵を借りたいと申し出るが、逆に挟み撃ちにしようと孫 策が曹操を誘うことになった。さらに劉備が合流すると、勝ち目がないと見て部下を残し自分は寿春城を逃げ出してし まう。曹操は難なく寿春城を落とし、守備していた李豊などをことごとく処刑した。
 続いて、先に逃げた袁術を追おうとするが、張繍が勢力を盛り返したという知らせを聞いて、一旦許昌へ戻り、改め て張繍征伐に出陣することに決めた。その際、呂布の動きを監視するために、劉備と呂布の間に義兄弟の契りを結ばせ ている。

曹操と賈
 さて、198年、曹操は張繍討伐のために南陽へ出陣する。もともと率いている将軍の質が違う両者のこと、戦いは曹 操有利で進み、張繍は南陽城に立て篭もった。
 曹操は西北から攻める振りをして東南から攻め込もうと考えたが、張繍の謀士賈に見破られ、伏兵に遭って大敗を 喫し、数十里も退く。賈は直ちに劉表に使者を送り、共同して曹操を遊撃せよと進言する。
 曹操はのらりくらりと後退しながら密かに伏兵を張り、張繍・劉表の連合軍を粉砕するが、ここで予想だにしていな かったことが起こる。河北の雄袁紹が、曹操の留守をねらって許昌へ進行してきたというのだ。
 慌てて許昌へ帰ろうとする曹操は、まず一度劉表・張繍の追手を蹴散らしてから、先頭を切って退却を始めた。しか し賈を参謀として抱える張繍がそのまま負けるはずがない。許昌を守るため有能な武将が先に退却するのを読み取っ た賈は、再び攻めるよう張繍に進言し、みごと曹操軍の殿軍(しんがり)に大打撃を与えることに成功した。

呂布との対決(その2)
 曹操が鸚鵡返しで帰ってきたことに驚いた袁紹は、公孫を討ちたいから軍を貸してほしいと曹操に手紙を送る。 曹操は、袁紹が公孫と戦っている間にまず呂布を攻め滅ぼそうと考え、劉備に使いを送る。しかし劉備からの返書 が陳宮の手の者に捕まってしまったため計画が発覚し、劉備は呂布に攻められて小沛城を失い、家族は呂布の手の中に、 さらに関羽・張飛とも離れ離れになってしまった。
 そこで曹操はまず小沛の攻略にかかった。先に呂布の監視役として派遣していた陳登が絶妙の働きを見せ、軍資金や 兵糧を下ヒに移させたほか、呂布と陳宮の軍を同士討ちにあわせることに成功。混乱に乗じて徐州を糜竺が乗っ取り、 呂布は下ヒへ逃げることになった。
 曹操は下ヒを攻めるに当たり、呂布と淮南(わいなん)の袁術が手を結ぶことを警戒し、劉備に淮南への道筋を封鎖す るよう命じる。そして自らは下ヒ城を取り囲んだ。
 呂布は下ヒ城が食糧・水に恵まれた難攻不落の城であることに慢心し、参謀の陳宮が曹操の陣が整う前に打って出る よう進言しても聞きいれない。ひたから篭城に徹する。
 この作戦はある程度の効果をもち一度は曹操に休戦を考えさせたが、曹操側には郭嘉・荀という優れた策士がいた ことが両雄の運命を決定付けた。まもなく泗水・沂水を決壊されて、下ヒ城は水浸しとなってしまう。

呂布の退場
 下ヒ城が水浸しにあってもなお余裕の呂布であったが、毎日酒ばかり食らっていた自分の衰えぶりをある日鏡で見て しまい、突然禁酒令を出す。部下の侯成が盗まれた馬を取り戻した祝いとして酒を献上すると、怒って殺そうとする。 その場は宋憲と魏続によって収められるが、敗色濃厚と見た彼らによって名馬の赤兎馬、戟を盗まれた挙げ句、寝込み を襲われてついに縛り上げられてしまう。こうして呆気なく下ヒ城は陥落した。
 曹操は命の恩人陳宮を何とか助けたいと思ったが、あくまで死を選ぶ陳宮。せめての恩返しとして、名士の出ではな い陳宮の家族の暮らしの面倒を見てやることを約束する。刑場へ自ら下りる彼を涙しながら見送った。
 続いて引き出されたのは呂布。「これで天下は決まったな。歩兵はお前が、騎馬隊は俺が指揮をとれば、たちまち天 下は治まるだろう」と豪語する彼の言葉に、一瞬殺すことをためらうが、義父を2人も殺した過去を劉備に言われると我 に返り、絞死刑に処した。
 呂布と同郡出身の将軍高順は何も弁解することなく切られ、同じく呂布の片腕だった張遼は劉備の口添えで一命を救 われ、曹操に仕えることになった。

曹操と劉備
 曹操一行が許昌に凱旋した翌日、献帝が系図調べを行い、劉備を叔父と認定する。荀たちはこの動きに動揺したが、 「これで尚更劉備は帝の命令(もちろん曹操自身が発令する)に逆らえなくなる」と曹操はニンマリ。実に強かである。
 ある日、献帝を同行して巻き狩りを催した際、曹操は献帝の弓矢を借りて鹿を射り、百官が献帝が射ったと思って万 歳を唱えつつ駆け寄ると、自ら献帝の前に立ち喝采を受ける。しかもその弓矢を自分の腰に掛けてしまった。関羽は切 りかかろうとするが劉備に止められ、その場は表面上は何事も起こらなかったが、曹操の実力を見せ付けられることに なった。
 献帝は曹操のふてぶてしい態度に激怒し、車騎将軍董承・王子服・馬騰・劉備などに曹操暗殺の勅命を命じる。
 ある日、曹操は劉備を自宅へ招き天下の英雄を次々に論じた。
「袁術は古い墓の骸骨、劉表は虚名無実、孫策は親の七光りだけだ。おそらく天下広しといえども、英雄と呼べるのは 君と私だけだろう」
 劉備は思わず箸を落としてしまうが、ちょうどその時雷が響いたのでそのせいにした。
「私などとんでもない。河北の袁紹殿こそ真の英雄では」
と言う劉備に、曹操は「袁紹はうわべばかりで大したことはない。決断力に欠け、大事を成すことはできないだろう」 と言い返す。
 劉備がいないのを知った関羽と張飛が剣を抜き血相を変えてやってくると、曹操は彼らにも酒を与え、事なきを得る。

曹操、虎を野に放つ
 袁紹が公孫を破り気勢が上がっていると知らせがもたらされる。南の袁術と連動されてはやっかいだと判断した 曹操は、まず袁術を滅ぼそうと考えた。
 これを脱出の好機と見た劉備が袁術討伐を志願すると、曹操はお人好しにも兵までつけて彼を送り出してしまう。
 これには、かつて劉備が呂布に敗れ落ちのびてきた時、殺してはいけないと言った郭嘉さえ「みすみす虎を檻から 出すようなもの」と反対した。
 慌てた曹操は許に命じて劉備一行の後を追うが、「我々は勅命によって袁術を討ちに行くのだ。もし我々に戻れ というならば、勅命を持ってこられよ」と言われ、言い返す言葉がない。力づくでもといきたいところだが、劉備の 両脇には天下の豪傑、関羽と張飛が揃っている。許1人でこれら2人を相手にできるはずもなく、引き下がるしかな かった。
 199年6月、ついに袁術は破れ、袁紹を頼って北上する途中、病に倒れこの世を去った。彼が持っていた玉璽は曹操の 元に届けられたが、もちろん劉備が許昌に帰る気配はない。劉備は徐州にいたので、呂布討伐後、徐州を任せていた車 冑に劉備暗殺を謀らせるが、逆に関羽に斬り殺された。

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