本日の御題:日本の教育を考える〜英語編
◆英語を第二公用語にという発想
 小渕首相の私的諮問機関「21世紀日本の構想」は、今月18日、最終報告書を提出した。その中には教育についても 書かれており、具体的には「英語の第二公用語化」と「義務教育週三日制」という提案がされている。
 ここでは英語の第二公用語化について議論することとして、先に義務教育週三日制という言葉から生じる御幣を 取り除くことにしよう。これは決して一週間に三日しか、勉強しないというわけではない。週休二日、学校の授業は三日、 残りの二日は生徒の希望に応じ、国から給付されるクーポン券で補習などを履修できるというシステムである。

 さて、本題に戻って英語の第二公用語化であるが、これを推進すべきこととして挙げられている理由は、国際社会を 生き抜くためには世界の公用語である英語の習得が不可欠であるためである。
 よって幼少期から英語を勉強させ、社会人になるまでに日本人全員に実用英語を習得させるというわけである。
 また英語と並んでインターネットの習得も幼少時から訓練すべきだと報告書はまとめている。

◆言葉はあくまでも道具に過ぎない
 筆者はこの報告書の概要を知った時、正直背筋が寒くなった。
 まず、英語を話せることと国際感覚を身に付けることはまったく別の話であるということ。堪能な英会話も相手を知らなければ 力を発揮できないのだ。
 同時に義務教育週三日制によって小・中学校のカリキュラムを3/5に圧縮すべきであると提案されているが、昨今の 分数の足し算もできない大学生をさらに増やすつもりなのだろうか? とかんぐりたくなってしまう。

 また日本という国家、ないし社会を一つの塊で見た場合、英語教育により多くの時間を割くことが有効であるかも疑わしい。
 例えば、英語の習得は日本国内でこそアドバンテージがあるが、アメリカを始めとする英語圏に行けば話せて当然のことであり、 英語を話すという能力は決して「スペシャリスト」には繋がらない。
 よく「人のできないことをできるようになれ」というが、英語を話せる人間は世界で十数億人も いるわけであり、自分が十数億一人目の習得者になることにはアドバンテージはない。
 むしろ、技術立国日本としては、科学技術、小中学生であるならば、算数・理科はもちろんのこと、ロボットとのふれあいや 子供の好奇心を掻き立てる実験などにこそ力を入れるべきである。

 言葉そのものは情報伝達の手段に過ぎず、決して目的にはならないはずである。
 またコンピュータの発達によって、今後、翻訳ソフトの更なる進歩も期待される。すでにマイクに話し掛けるだけで日本語 入力可能なソフトができているが、今後、この技術を応用し、携帯用のコンピュータにマイクをつけるだけで翻訳してくれる ような時代にならないとも限らない。漢字変換と同じで完全な形で翻訳されることは難しいかもしれないが、日常会話が成り 立つぐらいの翻訳は可能であるはずだ。
 そのような時代になったとき、英語を話せるという技能には、全く意味がなくなってしまう。
 コンピュータで代用が効いてしまう技能なのである。

 インターネットにしても、決して幼少期から勉強する必要などない。設定は家電化を歩むことで今後簡単になって いくであろうし、ネットサーフィンをするぐらいのテクニックは、いつでも習得することが可能であるからだ。
 それよりも、大学在学中に起業し、成功を収めているアメリカの理工系学生のあり方を見習うべきである。
 彼らはある一点に関してはスペシャリストであり、それがまた強みでもあるのだ。

 こんな話がある。A、B、Cという3つの技能に対し、それぞれ10点の能力のある人を10人集めて仕事に当たらせた時、 得られる成果はAもBもCも、全て10点である。
 しかし、B、Cは0点だけどAだけ100点の人、同様にBだけ、Cだけ100点の人三人が集まって仕事をやったなら、 AもBもCも全て100点の結果が得られるのだ。
 前者と後者をもし自由競争の荒波の中に放り出したらどちらが生き残るだろうか? 答えは自ずと出ている。
 スペシャリストとはそれくらい大きな意味を持つのである。

 今、日本人全員が英語を堪能に話せる技能を持つ必要はない。組織の中でも、英語のスペシャリスト(通訳)が一人いれば 外国とのコミュニケーションは成立するのだ。英語を話せない人間は話せる人に任せ、自分は別の分野で力を発揮すれば いいのである。

 最後に、現在でも中学校では週に数時間、英語の授業が設けられている。この授業内容を改革することで日常会話レベルの 英語習得は可能であろう。今日の日本の英語教育は文法に比重をかけすぎている上、落とすための試験である「受験」のための 英語であるからどうしても難解になりがちである。それはネイティブの人でさえ解けないレベルである。
 私は英語に費やす時間は現在のままその質を向上させ、むしろ科学技術に関わる分野の授業により多くの時間を割くべきだと 考えている。


 ちなみに筆者、理工系大学院出身者であり、海外の論文を読む必要性もあったため英語の読みに関してはそれなりに自信が ある。ただし英作文は苦手であるし、トークになるとお手上げである。
 それでも海外旅行レベルでは四苦八苦しながらもコミュニケーションを成立させることはできたし、パソコンソフトを使えば 英作文も短時間で可能である。

劉表さんからの感想(2000.01.20.投稿、01.22掲載)
陽圓喜さんからの感想(2000.04.08.投稿、04.13掲載)

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