国庫補助金の弊害 |
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1.形式的統制を無意味なものにする
地方自治経営学会が1997年5月に自治体職員に対して行ったアンケートで、「今日、最も地方が縛られているものは何か?」 の問いに対し、「国庫補助金」をあげた方が68.9%もいた。
前回述べたように、国庫補助金は国から支給されるものであるが、使い道が詳細にまで決められているため、地方自治体の 自主性、創意工夫、加えて責任感と言ったものがなかなか育たない。
つまり、地方のニーズとは全く異なる事業に、無責任な投資がなされてしまうのである。
さらにこの補助金が、「中央が地方を指導する道具にされている」という事実が、 非常に問題である。
今日では、行政制度に基づく法令統制よりも、国庫補助金がらみの圧力のほうが強く、国が地方を不当に監督する原因に
なっている。
つまり、法律ではあくまでも「中央政府は地方自治に極力関与しない」としていながら、現実には「言うことを
聞かなければ補助金を打ち切る」と脅すことで、中央の思うが侭に地方を操るという訳だ。
同じようなことは、企業への許認可権の行使などにも言える。
例えばあるスーパーが新規の店舗を出店する場合は、監督省庁から認可をもらう必要があるが、もしこのデパートがこれま
で行政側の意向に従ってこなかった場合は、些細な点を指摘して認可しなかったり、また必要以上に認可手続きを遅らせるな
ど、悪質ないじめに使われる。
これらの裁量権の広い権限は法律を無力化し、中央に認められていない権限を与えることになり、さらに不正の温床となる ので、今後、改善がなされなければならない。
話を元に戻したいと思う。しかし、これが歳出面から見ると、補助金の裏負担のために歳出の大半が国庫補助金がらみとなってしまい、知事や市長など 首長の自由にできる財源はほとんど残らないというのが実状だ。
このため、地方の歳出はかなり国の影響を受けることになる。
2.補助金待ちの体質
地方自治体の側では、国庫補助金の付く事業を優先的に歳出を決める。そのため俗に言う「補助金待ち」の状態が
しばらく続くわけである。
国庫補助金は確かに財政を圧迫しているが、大きな事業などでは国が負担してくれる補助金を利用することは、自治体に
とってもメリットがある(補助金が出なければ、全額を負担しなくてはならない)。
よって、補助金が出るまで必要な事業が進まないという弊害が生じている。
昨今は社会的な変化も激しく、行政側にも迅速な対応が求められている。補助金待ちの体質は住民の要求に対する反応を 遅らせると言う意味で、改善されなければならない。
3.補助金の不明瞭さ
前述した通り、補助金の決定に際しては交付者(中央省庁)の裁量に大きく依存しているため、補助金の決定過程が非常に 不明瞭であり、利権の温床になっている。
地方自治体は「陳情」という形で中央に働きかけるが、成果を上げるために1件につき数度、数十度、中央へ職員 が足を運ぶことになる。この費用だけでも膨大で無駄な支出と言えるだろう。もちろん、単に旅費というだけでなく、人件 費なども十分に考えられるべきである。
4.負担意識の希薄
現在のように、各事業に対して国から膨大な補助金が降りると、どうしても地元住民の負担意識が薄くなってしまう。
どうせ国がお金を負担してくれるのだからと、採算の取れない事業(例えば利用客の見込めない空港の新設や新幹線の開通
など)を平気で要求する。
この結果、補助金付きの事業は数・金額共に膨大ななりやすい。
地元の人がよく多く負担するとなれば、当然無駄なものを建設しようとすれば反対運動が起こるだろうが、負担意識がない とどうしても「要求」ばかり先行してしまうのだ。
5.重複チェックの無駄
国庫補助金は、「国」−「国の出先機関」−「都道府県」−「市町村」といった具合に3段、4段にも渡るチェックがされて
いる。
物を買う時に、製造元から直接買ったほうが卸売り、小売り経由で買うよりも安いのと同じように、補助金にしても途中に
複数の機関が入ると、コスト面で無駄が生じる。
また、時間もかかるため、決して合理的とは言えない。
以上5つが国庫補助金の5大弊害である。