地方分権論議の歴史 |
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地方分権が国会で取り上げられるようになった歴史を簡単にまとめると次のようになる。
【地方分権推進委員会の勧告の効力】
1995年に定められた地方分権推進法により、地方分権推進委員会の勧告は、法制化に
繋がる重みをもつとされた。つまり、内閣は同委員会が出した勧告を十分尊重しなければ
ならないと義務づけられたのだ。
同時に、勧告は理想論で終わることなく、実現可能な内容でなくてはならないとも決め
られている。
これらを踏まえて経過を見てみよう。
1996年に出された中間報告は、実に斬新な内容であった。明治維新より続いてきた中央
管理体制を改め、明治維新、戦後に続く第三の改革として、同改革を位置づけたのだ。
国と地方は、実質的に「主従関係」にある。これを「対等・協力関係」に変えていく必
要性を訴え、現システムの元凶である「機関委任事務」を廃止すると明記されている。
これは非常に満足のいく内容であった。
しかし、第一次勧告になると、急にトーンダウンする。
原則的に自治事務にするとしていた機関委任事務のかなりの部分が、法廷受託事務に振
り分けられたのだ。最終的には四割近くを占めた。
つまり、「実現可能なもの」という勧告の強みが、同時に足を引っ張ってしまったのだ。
そこには、既得権益にしがみ付くお役所の姿がちらつく。現に、最近発表された第五次勧告
では、委員長を勤めていた方が役人の執拗な妨害を理由に委員長を辞任している。
地方分権(中央の既得権益を消滅または地方に移管)を進めるためには、やはり政治家の
力が必要なのである。
【第五次勧告のポイント】
なお、今後分権に関する用語や勧告内容について述べていく予定なので順番が逆になって
しまうが、1998年11月に発表された第五次勧告の内容について触れておきたい。
【筆者のコメント】
統合補助金制度は、これまで中央に細細としたことまで指示されていた地方自治体を救う
一つの解決策になるだろうと感じた。
しかし、この案を見る限り、素人ながら一つ心配してしまう点がある。
「交付決定後に事業個所や内容を変更しても従来のように改めて手続きを取る必要がなくなる」
これは地方が柔軟に対応できるようにする点でメリットもあるが、使い方を一つ間違えれば 新たな不正の温床にならないとも限らない。つまり過大な事業で申請をしておいて、補助金交 付後事業内容を縮小する、といったことが意図的に行われないとも限らない。利用使途の変更 先として、その浮いた金が職員の無意味な視察旅行に費やされないよう、十分監視すべきでは ないだろうか。