2025/03/11
Facebook、X(旧Twitter)、インスタグラム、TikTokに代表されるソーシャルネットワークサービス(SNS)は、多くの人と繋がりを持ち、自分の意見を手軽に発信できるインターネット上のツールとして、世界中に多くの人に利用されている。そこで広がった「民意」は、時として体制までも大きく変化させてしまうことがある。2010年に始まったチュニジアにおける民主化運動(ジャスミン革命)や、それに続くアラブ諸国における政変や政治改革(アラブの春)では、SNSを初めとしたネットメディアが大きな役割を果たしたと言われている。
多くのSNSでは、投稿に対する反応(閲覧数やリプライなど)が可視化されるようになっている。社会的な動物である人間は、こうした他者からの承認が快感や自己肯定感を強くするようプログラミングされている。自分の意見が多くの人の耳目を集めることで、承認欲求を満たされると、より多くの承認を得たいと思うようになってしまう。SNSは、こうした人間の特性を巧みに利用し、SNSの投稿とそれへの反応を一層促すような仕組みになっていると言える。
たが人間の承認欲求が肥大化し、より注目を浴びたいという欲求がエスカレートすると、どんどんと極端な意見や行動に走り、あるいは内容を誇張したり(所謂「盛る」という行為も含まれる)、時には虚偽の内容を投稿する人も出てくる。多くの人の耳目を集めることに成功した者は「インフルエンサー」などと呼ばれ、SNSの中での羨望を恣にする存在である。
一方でそうした投稿を見ている側は、そういった一部の人間が多くの人に承認される様子を見て、そうなれない自分と比較し、孤立感や劣等感を抱えるということもある。こうした傾向は特に若い人に顕著で、極端な場合はそれによってうつ病などの精神疾患に陥るケースもある。
そういった「インフルエンサー」や有名人も、世間受けしている間はいいが、ちょっとでも世論に合わない意見を述べたり、ちょっとしたスキャンダルが生じた時には、匿名の投稿者から寄ってたかって誹謗中傷され袋叩きにされることもある。厄介なことに人間は、もともとの社会的経済的地位が高かったり人気のあった者を「正義」の名のもとに叩かれ貶めることで快感を覚えるようにできている。見えない場所から制限なく攻撃できるというのも、悲しいかなこうしたSNSの特性である。
またSNSを初めとするネットワークサービスは、その人の嗜好にあった情報を優先的に収集できるように作られている。そしてSNSの中でも、同じ嗜好を持つ人たちが集まってしまう傾向にある。自分の考えに沿った意見に「いいね」を押せば、そうした傾向は記録され、さらにその考え方に沿うような意見ばかりが集まるようになる。加えて、先にも述べたように多くの人の注目を集めるのは、その中でもより過激な意見である。こうした情報に触れ続けるにつれ、自分の嗜好がより一層強化される一方、異なる意見を排除する方向に、知らず知らずのうちに自分の思考が誘導されてしまう。米国での民主党支持者と共和党支持者が、相互理解不可能なまでに分断してしまったのは、SNSなどの影響が少ないないと考える。
オーストラリアでは2024年11月に、16歳未満のSNS利用を禁止する法案を可決した。このことについては多くの賛否があるようだが、私はこの措置に賛同する。成長途上にあり、感受性の高い若年層がSNSに過度に依存することは、SNSの益よりも害の影響が大きいと考えるからである。
そもそも社会には多様な考え方を持つ多くの人が集まって生活している。当然ながらお互いがお互いを完全に理解できることなどなく、様々な調整と妥協の上に社会は成立している。大は政治や外交、小は仕事や友人・知人・家族間でのコミュニケーションまで、相手を尊重しあうこと抜きには良好な関係は保たれない。SNSによるコミュニケーションは、そのような目的には必ずしも適切ではないということは意識しておいた方が良いと考える。