2025/04/14
物を粗末にせず大事に使うことは、美徳であると考える人も多いと思う。とは言え、何でもかんでも捨てずに取っておくおくのは、それを保管しておくスペースが有限である以上、程度問題であるとも言える。製品の寿命が過ぎてしまい本来の役割を果たせなくなってしまったものまでも貯めこみ、それらが保管するスペースの限界を超えて溜まってしまう状態になると、他人からは「ゴミ屋敷」などと言われてしまうことになる。そこまでではないにしても、あまりいろいろ物を持っているのは、引っ越しの時など整理や運搬が大変である。
私もある時から、物理的なものを物持ちよく何でも持っているのは、メリットよりもデメリットの方が多いと考え、思い立って多くの持ち物を(必要に応じて電子化しつつ)処分したものである。家族のために戸建てに引っ越して以降、皮肉なことに単身赴任が続いて、自分の持ち家に住むこともままならず、あちこち点々と単身で異動する身となっている昨今は、独り暮らしに必要なもの以外はなるべく持たないというライフスタイルに自然となってきた。
パソコンはノートパソコンにし、テーブルセットも解体して段ボールに入れて運べるサイズにし(というより通販で買った時に入っていた段ボールを運搬用に使い続けている)、布団も布団袋に入れれば宅配便でぎりぎり運べるので、引越は業者に頼まず宅配便のみで事足りるようにしている。運送業者の労働環境改善に伴い年度替わりの前後で引越業者がつかまらなくなりつつある昨今では、廉価かつ融通の効く運搬手段として合理的であるということもある。
一方で、電子化された資料(文書、写真、音声、動画など)については、記録媒体の指数的な大容量化と低廉化に伴い、大量のデータも特に取捨選択する必要もなく、昔からの記録をほとんど捨てずに貯めこむことが可能である。もちろん、デジカメで撮った写真などはどんどん高画素化が進み、容量が大きくなっているのも確かだが、記録としては1千万画素もあれば十分と割り切るようになって以降は大容量化にも歯止めがかかり、保存するデータの量も今のところ単調増加程度にとどまっている。
私がパソコンを使い始めたのが1994年、デジカメを使い始めたのが1998年、ボイスレコーダを使い始めたのが2005年、デジタルビデオカメラを使い始めたのが2015年という感じで、それぞれ、以降に記録した文書、写真、音声、動画ファイルはすべてファイルとして保存している。一度記録したこれらのデジタルデータは、自分だけのオリジナルの記録であるし、適切にバックアップを取っていれば劣化することなく保存することができるので、貴重な過去の記録となっている。
また所属する劇団のホームページを1998年に立ち上げ、これも今日に至るまで、最低でも月に一度は更新しつつ、活動を記録し続けている。ページ数(HTMLファイル)は2025年4月現在で約2800、画像数は約4600あるから、ちょっとした規模のサイトになっている。こうして公開された形で記録に残しておくと「そういえばあの時にあの役をやっていたのは誰だっけ?」とかの情報がすぐに調べられて便利である。
この年になると、数十年前の出来事の記憶などはどんどんと曖昧になっていき、思い出すことすら困難になっていく。その時の記憶がなくなってしまうというのは、その時に自分が生きた証も含めて無くなってしまうということで、それはあまりにも惜しいことだと思う。本とか服とか家電製品などの大量生産されたものを耐用年数を超えて保存する価値はあまり見いだせないが、自分だけが持つオリジナルの記録をできるだけ電子化して保存しておくことは、自分にとってプライスレスな価値を持つものだと思う。
最近ではブログなりSNSなりの記録、あるいはクラウドサービスに保存したスマホの写真などがその役割を果たしているとも言える。一方で、これらは特定のサービスに頼っている以上、何かの拍子に失われる可能性があることは意識しておいた方がいい。最終的には、自分のローカルな環境で、バックアップも含めてしっかりと保存し管理する方が確実だと思う。