#362 人はなぜネットで発信するのか

2014/09/09

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 前回の話を要約してみる。Webが一般に利用されるようになり、個人でもHTMLを使ったWebページが作れるようになり、掲示板やチャットと言ったところでの不特定多数による情報交換もWeb上でできるようになった。その後、ブログが使えるようになり、HTMLの知識がなくてもネットで情報発信できるプラットホームが整った。現在ではSNSが提供され、ネットにつながりさえすれば、何の準備も必要なく情報発信や交換ができるようになった、と言った具合である。

 形態はどうあれ、人々がこうした不特定多数が参加するネットに何かを発信したり情報交換しようとしたりする理由の一つには、そのことによって他人から注目されたい、認められたいという欲求(承認欲求)があるからだろう。そして、穿った見方をすれば、こうした他者からの承認を得たいという人間の心理を見透かすように、ブログにはトラックバックやコメントと言った仕掛けがほどこされているし、Facebookには気に入った記事に対しての承認を表す「いいね!」というボタンが用意されていたりする。スマートフォンの料金プランも、常時ネットに繋がっていたいという利用者の足許を見るかのように、パケット通信料は高値のまま据え置かれている。

 だが、ブログやSNSで不特定多数からもてはやされるのはほんの一握りの人たちだけだし、よほどの才能がない限り(あるいは珍しいものでない限り)、普通の人が発信したものが不特定多数から注目されることはない、というのは冷徹な事実である。ネットは誰でも参加できるかも知れないが、誰もが多くの人からの注目を集められるわけではない。

 これは、地位や名誉や財産や才能のある人が不特定多数からもてはやされる現実社会と、結局のところ変わらない。なので、現実社会における有名人がブログやSNSで多くの読者やフォロワーを集めるのはあたりまえの話である。また彼ら彼女らは、そうすることで多くの人からより直接的に承認を得られるから、ブログやSNSを勧めるのである。(人によっては、多くの人に共感されないようなことを書いてしまって、炎上を招くこともあるが。)だからと言って、注目されるものを持っていない人が、ネットでの注目を集めるために、バイトテロ(飲食店や小売店にアルバイトの形態で雇用されている店員が店の商品(特に食品)や什器を使用して悪ふざけを行う様子をスマートフォンなどで撮影し、SNSに投稿して炎上する現象のこと:Wikipediaより)をやるなどと言うのは、もってのほかである。

 最近ではSNSの一形態としてLINEが大流行である。気のあった人どうしで、離れていてもいつでもすぐにコミュニケーションでき、自分の発言に対する反応がすぐ返ってくることで、気軽に承認欲求が満たされるから、多くの人を惹きつけて離さないのだろう。感情を表現する「スタンプ」と言った小道具を用意することで、相手の発言に手短に反応することを可能にし、お手軽で反射的なコミュニケーションを継続させるようにするなど、実に考えられたうまいサービスだと思う。

 一方で、若い人たちを中心に、仲間内でのコミュニケーションがエンドレスに続いて寝る間を惜しんでLINEをやったり、コメントを読んで返事をしないと「既読スルー」と言われて仲間はずれにされ、思いつめて自殺した例もあるという。そこまで仲間からの「承認」が大切なのか、そんなに四六時中コミュニケーションしていないと気がすまないものなのかと、私などは思ってしまうのだが。

 私もWebサイトを立ち上げた頃は、アクセスカウンタが上がったり、たまにメールをもらったりすることが嬉しくてたまらない時期もあった。一言で言えば若気の至りだが、今ではそんなものはあまり期待せずに、淡々と更新を続けている。ネット上に承認を求めなくても、たとえば自分の家族とか、ごく身近にいる自分の愛する人たちから承認してもらえれば、それで十分ではないか。

 LINEの「既読スルー」などのために仲間はずれにされて思い悩む人たちへ。絶望する必要は全くない。そんなことで承認してくれなくなるような仲間はあなたの真の友ではない。ネットの外のあなたの身近には、家族をはじめとして、あなたを真に承認してくれる人がいるはずだから。


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