#306 なぜ私はiPhoneを買わないのか(後編)

2010/02/27

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 別の理由として、買えば間違いなく5歳の息子のおもちゃにされることが目に見えている、というのもある。サイトのビデオクリップにあれだけ夢中になるのだから、本物を見たら絶対夢中になるに違いない。実際、iPhoneユーザである私の弟が私の息子にiPhoneを見せたところ、ものすごい食いつきで、なかなか返してくれなかった。

 で、子供に触らせたら落下などの不慮のアクシデントに見舞われる確率が高いわけだが、硬いところに落下させたら、あのつるつるの表面の液晶部分が割れるなどの被害に見舞われることは間違いない。iPhoneの場合、こうした落下による損傷に対して、もし全損相当の修理が必要ということになると、7万円から8万円もの修理代がかかるらしい。そんなわけだから、実際、街頭で見かけるiPhoneユーザーも、ほとんどの人が落下等の衝撃による破損防止を兼ねたプロテクトカバーをつけて使っているようである。

 またiPhoneの場合は、PCのファイルを扱おうとする場合、転送に手間がかかったり、管理の自由度が低かったりする。データのある場所、アプリケーションがインストールされる場所というものは決まっており、それらをiPhoneに移植するのも、通常はiTunesやAppStoreなど、与えられた専用の手段を使わないとできない。私のように、さまざまなデータを詰め込んで、それらのデータを自前でフォルダ管理し、必要なときに場所を選ばずアクセスし、時には編集までしたいと思う人間にとっては、管理方法も転送手段も限定されているiPhoneは非常に窮屈である。これが、アドエスのようなWindows Mobile機であれば、基本的にはPCと同じであるから、USBで接続するなり外部記憶装置(microSDなど)を直接PCに接続するなりして、一度に大量のファイルを転送することができる。

 これもまた、大量のデータにアクセスしたければ、クラウドなどの手段を使えばいいという考え方もあるし、そもそもiPhoneはそういう使い方をするもんではない、と割り切ってしまえばそれまでかも知れない。別に私も「だからWindows Mobileの方がすばらしい」などと言うつもりは更々なく、導入のしやすさ、インターフェイスのわかりやすさ、出回っているアプリの数など、残念ながらスマートフォンという土俵で比較したらWindows MobileはiPhoneにとても適わないと思っている。ではなぜiPhoneを買わないか。

 結局のところ一番の理由は「時間を奪われたくないから」かも知れない。iPhoneは面白い。店頭で見かけると、私もつい手にとっていろいろと使ってしまう。そうやって気がつくと、えらい時間を消費してしまっている。iPhone一つあれば、それが生活の役に立とうが立つまいが、面白いが故にいくらでもそれに時間をつぎ込むことができるだろう。それが怖いから持たないのかも知れない。

 40歳を過ぎて家庭もあって仕事も忙しくなって、自分のために使える時間にはますます限りがある。人生として見てもおそらく折り返し地点だ。その自分に残された有限な時間は、できれば本を読んだり、勉強をしたり、芸術を鑑賞したり、現実の世界における自分の糧になるように使いたいではないか。もちろん、iPhoneはそういう活動をアシストするアプリにも事欠かないし、うまく使って自己研鑽に役立てたり、節度のある使い方で日々の生活に役立てている方も多いと思われるが、自分の場合はおそらくそんな殊勝な使い方はできず、使い出したら猿のように夢中になり、読書や勉強や家族とのコミュニケーションを犠牲にするほどのめりこむ危険性が高いと思う。

 そんなわけで、欲しいけれども買わないと自らに決めて、たまに店頭で見かけて触る程度で我慢をしている次第である。


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