#159 さよなら五島プラネタリウム

2001/03/14

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 高校時代は「自然科学部」なる部活に所属していた。地学や生物や化学などを高校生の自主に任せて深く研究する、といったのが本来の活動の主旨だったのかも知れないが、中身はそんな真面目なものでもなく、夜の学校で天体観測会をやったり、近くの川で魚採りに勤しんだり、何やらあやしげな化学実験をしたりと、まあ適当にそんなことをしつつ楽しんで活動をしていた。

 今でもその時の同期の連中とは仲がよく、卒業しても盆暮春には集まって酒を飲んだりしていた。さすがに多くが社会人になったり家庭を持ったり遠隔地へ転勤したりした今では、なかなか皆で集るということもできなくなっていたが、それでも、誰かが結婚したとニュースが流れたら、是非相手を紹介しろということになって、やっぱり集まっては酒を飲んでいるのであった。

 先日メンバーの一人が結婚したというので、また集まろうという話になった。大抵こういう時に幹事をやるのは私だったりするのだが、今回は折角なので3月頭に集ろうと声をかけた。我々が高校時代によく行った渋谷の五島プラネタリウムが、3月11日の最終投影をもって、44年の歴史に幕をおろすことになったからである。

 五島プラネタリウムは、渋谷駅近くの東急文化会館の8階に1957年に建てられた。戦後間もない当時はプラネタリウムそのものが珍しいこともあり、また米ソ宇宙開発競争時代の天文ブームの到来で、ピーク時には行列が出来るほどの混雑ぶりであった。だが最近では、地方自治体等の複合施設として多くのプラネタリウムが低額で見られるようになり、五島プラネタリウムを取り巻く環境は厳しいものになってきた。このような状況の中で、「先駆としての一定の役割を果した」として、五島プラネタリウムはこの春閉館することになったのである。

 私見だが、五島プラネタリウムが他のプラネタリウムと一線を画しているのは、その目的にある「天文知識の普及」にあるように、星や星座の探し方などを生で分かりやすく解説してくれるところである。他のプラネタリウムがどちらかと言えば子供向きでかつ映画のようなエンターテインメントに重きを置きがちなところに比べ、五島プラネタリウムはきちんと学術的な解説をしてくれるし、それでいてとてもわかりやすい。

 そんな私好みのプラネタリウムであり、私も部活の同期らと何度か足を運んだプラネタリウムだけに、閉館してしまうのは残念なことである。ということで、せめて閉館前に見納めをしようと、部活の同期に声をかけることにしたのだ。

 日程の調整の結果、見に行く日は最終投影前日の3月10日に決まり、計8人が一緒に行くことになった。しかし、五島プラネタリウム閉館のニュースが徐々に新聞などで認知されはじめると、最終投影を前に人が殺到しはじめ、週末は開館と同時に行列に並んでチケットを求めなくてはならなくなった。当日のチケットは代表して私が確保することになっていたが、さすがに不安になり何度か電話をかけてみて様子を聞こうとしたが全くつながらず、仕方がないので観覧前日に現地で様子を聞きに行くと、9時半から開館すると同時にチケットと整理券を配布するが、一人で一度に買うのは家族分程度にしてほしい、と言われてしまった。仕方がないので翌日は妻にも一緒に並んでもらうことにし、なおかつ部活の同期からも応援を求めることになった。

 幸い当日は我々の仲間の一人がわざわざ早朝群馬から新幹線で参じてくれ、結果的には、我々より先に並んだその人が一人で8人分のチケットを確保してくれた。一人で8人買えるのなら最初からそういってくれればいいのにと思うが、五島側も予想外の人手で対応に苦慮していたのだろう。何はともあれ、無事チケットは確保した。もちろんこの日のチケットは午前中にすべて完売となったそうだ。ちなみに明日は最終投影の様子をインパクのインターネット中継するそうだ。プラネタリウムという、本来バーチャルなものを更にバーチャルな手段で見せると言うのは何か不思議な気もするが、これも最終日に人が殺到しそうな状況を鑑みてのイベントなのだろう。

 16時に待合わせ、8人にチケットを配って、中に入って16時半の投影開始を待つ。さすがに別れを惜しむファンが多いせいか、あちこちで記念撮影する姿が見える。なぜか銀塩カメラよりデジカメの方が多いのは、理系の人間が多いせいだろうか。本来写真撮影は禁止になっているのだが、最後ということで、さすがに五島側も大目に見ているようである。

 いよいよ投影開始。解説員の方の注意もあって、投影中は誰一人フラッシュを焚くことなく、静かに星を眺めていた。時が進んで、番組が終わりにさしかかり、ドームの中で一足早く翌日の朝を迎える瞬間が好きだ。迎えた朝は3月11日。五島プラネタリウムの本当の最後の日だ。ありがとう五島プラネタリウム。そしてお疲れ様。

 だがそんな感傷も束の間で、夜は夜で結婚した仲間を囲んでの楽しい宴に転がり込む我々であった。


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