#150 いまさらインパク

2001/01/09

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 21世紀がスタートした2001年、我等が日本国首相と日本政府が面白い試みをぶちあげてくれた。インターネット上の仮想博覧会すなわち「インターネット博覧会」略してインパクである。

 なんでも「史上はじめての」試みだそうで、政府も相当な力の入れようらしい。ドメイン名はもちろんwww.inpaku.go.jpと政府機関ドメインだし、記念切手まで出すほどの力の入れようだ。私も昨年暮れから名前だけは聞いていたし、きっと始まった暁にはさぞかしすごいことをやってくれ、インターネット上はその話題で持ちきりになることだろう。

 しかし考えて見ると、私がインパクのことを知ったのはテレビや新聞からであり、逆にインターネット上でインパクのことが話題になっているのをとんと見かけない。年が明けて、実際にインパクが始まっても、やはり話題になっているようでもない。

 インパクのことを考察する前に、博覧会というものがどうであったかを振り返って見よう

 日本で初めて万国博覧会が行われたのは、1970年の大阪。この時は実に6400万人を越える入場者があったらしい。地方の人達も遠路はるばる万博会場にやってきて、何時間待ちというパビリオンに行列を作って入ったものだ。大阪万博では、前年にアポロが持ち帰った月の石などが展示され、人々は物珍しいものや最先端の技術などに、未来を夢見たものであった。

 その後1972年の沖縄海洋博、1981年の神戸ポートピアなど、地方でも多くの博覧会が催されるようになり、人々は遠方での開催にもかかわらず、そこに日本や世界の未来像を求めて集まって来たものである。しかし1985年の筑波科学万博を境に、博覧会はなぜか一時の熱が冷めたように、入場者が予想を下回るようになってくる。鈴木元都知事がバブル期に巨額を投じて開発した臨海副都心での都市博を、青島前都知事が中止と決定したのは、まだ記憶に新しい。

 先端技術の開発スピードのアップは、同時にそれが実用化されるまでの時間をも短くして来た。かつて博覧会に行かなくては見られないような未来のものは、ほどなく商品として手に入るような世の中になってしまった。博覧会人気が下火になってしまったのは、かつて描いた未来がすぐ手に入る時代になったということ、そしてその先の未来に期待と想像力が持てなくなってきたということではないだろうか。

 ましてやインターネットが普及したことで、人々はあらゆる情報を瞬時に手にすることができるようになったばかりでなく、自ら情報を発信できる手段をも手にした。世界中の人と人をつなぐ道具が、今度は小型化され、手のひらで閲覧できる時代が、もうすでに来ているのである。博覧会にありがたがるような時代は、20世紀とともに過去の物になってしまった感がある。

 で、そんな時代に、インターネットで博覧会である。

 博覧会ですら時代遅れになってきたものを、今度はインターネットでやろうというのだから、これはもう確かに「史上初の」イベントであろう。その気になればインターネットであらゆるものが手に入る時代に、あえてインターネットで「博覧会」を催すことで、何をしようというのだか、その意図がさっぱりわからない

 で、インパクの開会イベントではいったい何をやったのかというと、日本各地からの初日の出の中継という、これまたベタなイベントである。そんな手垢のついたような映像をありがたがって、身銭を切って通信費をかけてわざわざインターネットで見なくたって、テレビで見ればいいじゃないかと思うのは私だけだろうか。しかも、そんな重い映像を見るのにアクセスが集中して、回線がパンクしたという。やるほうも物好きなら、見る方も物好きだ。

 インパクのページにアクセスしては見たが、一週間たっても工事中のページがあったり、更新されていないページがあったりで、何等目新しいものを見つけることはできなかった。これなら「Yahoo! JAPAN」などのポータルサイトの方が1048576倍は有益である。こんなインパクが「人類の新文化となること」を本気で期待しているのだとしたら、なんかもう日本はインターネット後進国どころか「終わった」ような気がしてきた。はああ。


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