「ダンボールキッチン」第29回 「ダンボールキッチン」第29回トップページ > ページシアター > ダンボールキッチン > 第29回 【公演データ】
と、庭に＜２＞のアトムそっくりの怪しい風体をした女（美弥子）が現れる。
美弥子、きょろきょろと辺りを見回す。ナルコと美弥子の目が合う。
二人見つめあう間。
ナルコ・美弥子 …怪しい…
同時に我に帰る二人。美弥子、逃げ出す。ナルコ、ガラス戸を開けて叫ぶ。
ナルコ アトム、アトム！
美弥子の動きが止まる。ナルコ、アトムがいないのを思い出し、舌打ちして庭に下りる。恐る恐る、立ち尽くす美弥子のそばへ行く。
美弥子 …いま、アトムて、アトムて…
ナルコ え？うん…
美弥子 おるんですか、鉄腕アトムが！？
ナルコ （気おされて）…いるけど…ひとり…
美弥子 …ああ…
美弥子、顔を覆ってうずくまる。気味悪そうに見下ろすナルコ。
麻美と夢子、キッチンへ。
麻美 なによ
夢子 お父さん寝てるんだから…
夢子、ナルコの格好にまず驚く。
夢子 何があったのナルコォォ！
麻美 ナルコはいーの！それよかその人！
ナルコ 知らない…勝手に入ってきて…
美弥子、立ち上がり、深々と頭を下げる。
美弥子 失礼致しました。飛田美弥子と申します。繁雄の…アトムの、家内でございます
夢子 えっ！
麻美 アトムの奥さん！？
美弥子 主人がお世話になってるそうで…（もう一度頭を下げる）
ナルコ …
美弥子 あの…今…
夢子 …
麻美 （夢子をつつき）母さん
夢子 （我に帰り）あ、ええ、ちょっと近くまで…
美弥子 （ほっとして）そうですか
麻美 母さん、ここじゃなんだから…
夢子 そうね。どうぞお上がりください
美弥子 すみません…お邪魔します
美弥子、キッチンへ上がる。麻美、じっと美弥子を見つめている。
美弥子、麻美の視線に気づいて。
美弥子 その節はお世話になりました
麻美 え？
夢子 麻美…お知り合い？
美弥子 ええ、一度店の方に…
麻美 （顔を輝かせ）わかった！！神戸の『ビストロ・アトム』！
美弥子 （嬉しそうに）はい
麻美 そっか、そっか！それでアトム…やっとわかった、あーすっきりした
夢子 一人で納得しないで説明してよ
麻美 まあまあとにかくかけてかけて。あ、ナルコお茶いれて
ナルコ、無表情に茶の用意をしに行く。
夢子 それで？いったいどういう…
麻美 アトムはね神戸の超有名なレストランのシェフなの
美弥子 個人経営の小さな店です
夢子 あんた行ったことあるの？
麻美 取材でね。ええとあれは…
美弥子 『一食５０００円で大満足！激安・馬鹿うま神戸の店』
麻美 （夢子に睨まれ）はは…それそれ
夢子 そんな方がどうして…
美弥子 はあ…じつは…（ナルコ乱暴に茶を置く）
夢子 ナルコ！
美弥子 奥様…（笑顔でナルコに）ありがとうね
ナルコ …
ナルコ、離れたところに座るが、全神経を集中させているのがありありとわかる。
麻美 それで？
美弥子 来て下さったのは、あれは…
麻美 ええとね…３年前の、秋、かな
美弥子 …じゃあ同じ年です。その年の暮れに、主人は事故を起こしまして…
夢子 事故？
美弥子 …交通事故です。主人は軽傷だったんですが…同乗していた娘が…亡くなりまして…
麻美 え！あの子が？可愛い子でしたよね。取材の間中、嬉しそうに笑ってお店じゅう駆け回って…
美弥子 …ご迷惑を
麻美 とんでもない！…そっか…そうですか…
夢子 それでアトムは、神戸を？
美弥子 いえ…しばらくは店も開けられないほど落ち込んでましたけど、だんだん元気にはなっていったんです。…もう大丈夫だ、この人は立ち直ってくれる。そう思って私は単純に喜んでいました。けれど…
間。
美弥子 …人の心って、見かけよりずっと複雑で脆いんですね。自分でも気づかないうちにヒビが入って…だんだん、だんだんそのヒビが大きくなってゆく…。壊れて初めてヒビの深さ大きさに気づく…でも気づいた時には遅い…もう遅いんです…
間。
美弥子、大きく息を吸う。
美弥子 …すみません…
麻美 …アトムが神戸を出たのは…
美弥子 …去年の夏…まだお腹の大きいころでしたから
夢子 あら
麻美 お子さんが？
ナルコ、ぴくりと体を動かす。
夢子 それは、アトムは…
美弥子 （首を振って）…たぶん…
夢子 …そう…
麻美 ね。くだらないこと聞いてもいい？
美弥子 どうぞ
麻美 繁雄さんがアトムって名乗ってたのはやっぱり…
美弥子 アトムが…
ナルコ アトムが好きだからよ！
立ち上がって叫ぶナルコ。吃驚する麻美と夢子。
夢子 ナルコ…
ナルコ 小さいころなあ、テレビにかじりついて見とったんや…大人んなっても忘れられなくてな、アトムの人形やらビデオやらぎょうさん集めとった
夢子 …ナルコ…
ナルコ …ただのマニアよ…馬鹿みたい…
美弥子 …その通りよ…ほんま迷惑…
ナルコ …
美弥子 …子どもの名前までアトムにしよ言うてからに…
ナルコ …
美弥子 そんな阿呆につきおうてくれてありがとうね、お嬢さん…
ナルコ …
夢子 だいたい事情はわかりました。もうすぐ帰ってくると思いますから、どうぞ一緒に…
ナルコ 駄目よ！！
麻美 ナルコ！
ナルコ アトムはアトムよ！家族なんていない、だからこのうちで、ずっとずーっとあたしたちと暮すの！
夢子 ナルコ！！
美弥子 奥様！
美弥子、夢子の手を掴む。ゆるゆるとその手を離しながら。
美弥子 …主人が、ここでお世話になっとるのにはきっと主人なりの理由があるはずなんです。だから…だから本人が帰ると言うまで…私は、待ちますから…
麻美 でもそれじゃ奥さんは…
美弥子 （笑って）待つのは、だいぶ、慣れました…
ナルコ …
美弥子 生きとるのがわかっただけで、じゅうぶん…
ナルコ …
美弥子、立ち上がる。
美弥子 お邪魔しました。そろそろ…
夢子 本当に…
美弥子 ええんです。…いろいろありがとうございました
美弥子、頭を下げる。夢子、麻美もお辞儀を返す。
下手に去ってゆく美弥子。ナルコ、思わず声をかけてしまう。
ナルコ どっち？
美弥子 …
ナルコ …赤ちゃん…
美弥子 （笑み広げて）どっちやと思う？
ナルコ …
美弥子 またね…
美弥子、去る。夢子、玄関へ送ってゆく。
麻美 …『ビストロ・アトム』のシェフとはね…
ナルコ …
麻美 料理、上手いはずだわ…
ナルコ …
（作：中澤日菜子／写真：広安正敬）