1日目: アスピーテラインでであった風景


さてさて八幡平へ向けて、更に車を走らせます。

アスピーテライン(アスピーテ火山(盾を伏せた形状)から道路の名称をつけたそうです)と呼ばれる急な道路を登ってゆくと、

今までこんもりと茂っていた木々が急にまばらになり、目の前に無気味な風景が広がりました。

道路からみえる草原の中に、廃屋となったコンクリートの建造物が墓標の様に並んでいるのです。

建物は一棟ではなくて、何棟も。

墓標のように見えた建物は、明治の終わりから昭和の40年代まで栄えた、松尾鉱山の街の跡でした。

この付近は硫黄が露天掘りできたそうで、木々が途切れて草原になっていた所は、露天掘りの跡だったのです。

昭和10年代20年代には、日本の硫黄の大部分をこの松尾鉱山が賄っていたそうで、そのためこんな山の中に巨大なコンクリートの

建物が立ち並んでいたのです。

当時は、それはそれは栄えていて、こんな山の中なのに映画館や劇場まで備えていたというから、すごい!

ところが石油の輸入が本格的に始まると、石油から簡単に硫黄が取り出せるため、徐々に寂れていき、現在では誰一人住むことの

ない、打ち捨てられた街になってしまったのでした。

硫黄を掘り出した関係で、坑道からは強酸性の水が流れ出し、その水で北上川は汚染され、一時期は魚が住めない川になってしまっ

たようです。

閉山されても酸性の水の流出は止まらず、現在では中和処理場を建造し、酸性の水を中和して北上川に放流しており、魚も徐々に

戻ってくるまでに回復がなされました。

「足尾銅山」の水の汚染については知識がありましたが、八幡平にも同じような公害があったとは知りませんでした。

まだまだ自然が回復していない山肌を見つつ、ちょっぴり複雑な気持ちになってしまいました。


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