2008年5月のミステリ 戻る

TOKYO YEAR ZERO −ト−キョ−・イヤ−・ゼロ 東京零年
2007年 デイヴィッド・ピース著 酒井武志訳 文藝春秋 357頁
あらすじ
昭和二十年八月十五日、玉音放送のあった日、東京の海軍第一衣糧女子寮で女性の死体が見つかる。その日は、日本の戦後の始まりであった。
感想
日本に十三年間滞在したイギリス人が書かはったらしいです。ジェイムズ・エルロイ、ジム・トンプソンらの暗黒小説を愛し、ジェイムズ・ジョイスやサミュエル・ベケットらに傾倒されている方で、上田秋成と泉鏡花の流儀で書かれたとか。この小説は1946年に捕まり、1949年に処刑された連続殺人鬼・小平義雄を題材にして、まだ東京大空襲の硝煙の臭いが残り混沌とし飢えて目をギラギラさせている人々が棲む東京と日本のすさまじさを描いている。次は1948年に起こった「帝銀事件」、3作目は1949年の「下山事件」と合わせ3部作となるらしい。反共の防波堤、浮沈戦艦となっていく日本。食糧難ながら、復興の兆しが見えてきたころの日本だ。戦後配給がなくなり、昭和二十一年の冬は本当に食べるものがなくて、辛かったと母から何度も聞かされた、芋のつるを食べた頃。(もう二度と日本が、そんな事態になりませんように)
 
「小平義雄」は、佐木隆三著「殺人百科(3)」で読んだ事がある。食糧難の時代に「米を買える農家を知っている」と若い女の人を誘い、暴行して殺した殺人犯だ。兵隊として大陸でたくさん殺し、もともとの性情が暴走したように描かれている。25年後、大久保清(1971年)が「絵のモデルになりませんか?」と誘ったのとは、時代の状況がだいぶ違う。
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温かな手
2007年 石持浅海(いしもちあさみ)著 東京創元社 234頁
あらすじ
大学の研究室で助手をしている生物学者の畑寛子。同居人のギンちゃんと、まったりゆったり暮らしている。ギンちゃんは、すらりとした長身の若い男。整った顔だちで、料理も上手な会社員。しかしふたりは恋人ではなかった。ギンちゃんは、ヒト型に擬態している人間外知的生命体。寛子においしいものをたらふく食べさせては、エネルギーをちょっとばかし吸い取って生きている。寛子の魂は健全でおいしいらしい。寛子は飼われているの?、鵜?フォアグラ?と思えばグロテスクであるが、よく言えば共存共栄、相利共生。その”皮膚を接触して(手を握るだけ)”吸い取られるのは寛子にとって至福の時間なのだった。いっぱい食べても太らないし。その上、ギンちゃんクールでかしこい名探偵であった。の連作短編集。
感想
「セリヌンティウスの舟」に書いたけど、この作者読んでいる間は面白いんやけど、最期に「それはないやろー」とさぼてんの中では毎回破綻するのだ。ところが今回は最期まで、気持ちよく読めたんだよ(驚)。いわゆる人間が描けているというか(それが、人間じゃないってのが・・・・いやはや・・・面白い)。
 
違和感のない初めてのお話って書いたけど、ギンちゃんみたいないい男、そしてムーちゃんみたいにかわいい子が側にいるのに
   同じ種ではないギンちゃんを愛するなんて、人間であるわたしにはありえないことだ。
いや、じゅーぶんあり得ると思うけどなー。そやかてヒト型でしょ? うちなら、そんな壁速攻乗り越えくっちゃう。。(こんな魂の汚れたヒトには、、、、つかないか)
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