東京の大学を卒業し旅行代理店に勤めていた安宅俊太24歳は失業した。会社が東欧で起きた空港爆破テロのあおりを受けて倒産したのだ。学生時代の女友達の部屋に転がりこんでプーしていた俊太は、父親からの電話で故郷に呼び戻される。本家の現当主の母である千代子大叔母が亡くなったので、葬儀に帰ってこいという連絡だった。ところが、実家に帰れば自分の部屋はなくなっていた。故郷を離れず役所に就職した弟が、結婚するので2階は将来の弟夫婦のものになっていた・・・。もうすでに弟は愛ちゃんと実家で同居している・・・。居場所がない・・・。大叔母の葬儀の日、父は俊太を本家の当主・輝政に紹介する。本家の当主も俊太の父も、同属経営の「安宅住建」に就職するよう運動しているのだ。即答できない俊太に輝政は、ひとつ仕事をまかせる。赤根村というど田舎に、母が住んでいた屋敷がある。どう管理するか決まるまで、2ヶ月ほど住んでもらえないかという話だった。
俊太は、鉄道の通る町からバスで四十分という赤根村に降り立つ。それからは酒を飲んだくれたり、昼寝をしたり、朝湯をしたりの毎日だった。
感想
せからしい
「A HAPPY LUCKY MAN」を書いた後のスローライフのお話なんかな。
「田舎の人が、ええひとばっかりなんかいっ」と一瞬思うもんの、だいたいこの話には悪い人はひとりもでてこない。
「表面をひっぺがえして、その裏に隠された姿をあばく」という「生々しい人間を描いた」小説ではない事に気づく。
大切な人をなくした柴犬の九郎や、もの言わぬ智穂の硬くなった心をとかすのに言葉はいらない。安易な慰めや、気やすめや、励ましの言葉などじゃま、無用、百害あって一利なし。
ただ、
辛抱して、黙って、そしていつまでも側にいる、だけでいいんだな。
それってすっごく単純だけど難しい事なのがわかる。
一方、俊太は寺の坊主・恵慧(けいすい)と意気投合し、
無駄話をしながら酒を飲み笑い転げる。そして人とのつながり生きる喜びを思い出す。
言葉と言うのは話す事で意味を持つ時もあるし、発しない事で人の心を動かす場合もある。