2007年5月のミステリ 戻る

片眼の猿 One-eyed monkeys
2007年 道尾秀介著 新潮社 268頁
あらすじ
探偵の三梨は盗聴を得てとする探偵。今は谷口楽器に雇われてライバルの黒井楽器を探っている。産業スパイによる情報漏えいの疑いがあるらしい。
感想
さぼてんの会社貸与のケータイのストラップには「リトル・グリーン・メン」がくっついている(ウチが付けたんやけどね)。「トイ・ストーリー」のきみどり色の三つ目のエイリアンだ。何がいいたいかと言うと「「リトル・グリーン・メン」という所が大事なのである。本作の題名に作者の会心の笑みがみえ隠れしている(ような気がする)。
帯には大森望氏の「だまされた!と叫ぶ快感!」とある。「完全正答率0%!」なんですと。
さぼてんがわかったのは、まき子婆さんだけ・・・。野原の爺さんは今時の日本国ではムツカシイ。主人公の三梨と助手の帆坂はちょっとずっこいと思う(笑)。完敗だったのは隣の双子トウミとマイミかな。 ついでながら(結合双生児の映画「ふたりクギづけ」はいい映画だよ)。 
明るいのがいい。この世で幸せになるには、自身のポジティブさと気の合うツレがいる事・・・かもな。
そして、「片眼の猿」になる事は現実ありうる事で、ちょっとした事で明日にでもわが身に起こりえるのだな。
 
     人間というのはけっきょく、記憶なのではないだろうか。姿かたちが人間をつくるのではないし、
     見聞きしてきた事実が人間をつくるのでもない。事実の束をどう記憶してきたか。
     きっと、それが人間をつくるのだろう。そして、事実の束をどう記憶するかは、個人の勝手なのだ。
     自分自身で決めることなのだ。
 
おそらく↑コレが作者が言いたかったことだと思われる。
「自分」は「探すもの」じゃなくて「自分」で「作るもん」なん。
お薦め度★★★1/2戻る

最悪
1999年 奥田英郎著 講談社 397頁
あらすじ
川谷信次郎は、「川谷鉄工所」の社長だ。社員は妻の春江とタイ人のコビー、口をきかない二十歳の松村という零細企業。メーカのひ孫受け。親会社の無理難題に四苦八苦しているが、規模の小ささを生かして仕事先がいくつもある所が強みだ。
藤崎みどりは大手銀行員の22歳。銀行というところは男社会であり女性は「女子社員」の十把一絡([じゅっぱひとからげ)。男どもは上司の顔色を伺い出世の事ばかりにあくせくしている。そして客は王様きどりだ。
野村和也は毎日が日曜日。カツあげをして小銭をかせぎパチンコで稼いだりすったり。子供の頃は父親の暴力におびえ、父がいなくなったらハハは新しい男を家に入れ、17歳で家出して車の免許を取るために1年後にもどってきたら「実家には別人が住んでいた」。というわけで幸せそうなヤカラには「不幸のおすそ分け」をしてやるのだ。
感想
傘を持っていないのにどしゃぶりの雨に会う。しかも今日はおろしたての靴・・・・サイアク
急ぎの資料をしゃかりきに作っている最中、パワーポイントが固まる・・・保存してたっけ? ・・・・サイアク
という風にしばしば「・・・サイアク」は使われる。
ところがそんなちょろい最悪ではなく、本作は「前のサイアク」が「まだまだ幸せだったんだ」と思えるほど、坂を転がるように悪い方へ悪い方へ転じるのである。今が「サイアク」「リミット」ではないのである。底なし。なんとおそろしい。
主人公3人達だけでなく、ヤクザの山崎に「なんでおれがこんな目にあわなあかんのや。たかがチンピラ脅しただけやないか」と嘆かせるように、登場人物それぞれが「サイアク」に会う話なのである。
ピンチの時に、踏みとどまるすべはなにか?
「もう回帰不能点を越えた」と思わない、あきらめない勇気ではなかろか。「ひとでなし」にならない勇気だとまじ思う。
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逆境戦隊バツ[×] 上・下
2006年 坂本康宏著「歩兵型戦闘車両ダブルオー」 早川文庫
あらすじ
騎馬武秀(きばたけひで)は25歳。来見(くるみ)食品の研究員。研究員といっても属する第二研究室は、商品開発など行っていない。物を計ったり、成分分析したりの毎日。うだつの上がらないのは仕事だけではなく、騎馬は容姿に恵まれない同人誌好きフィギア好きの金欠オタクだ。その上、唯一の友だった鞍瀬寧(くらせやすし)を罠にかけ戦う事になってしまう。というのも友・鞍瀬は闇で光り口から長い針(チュウチュウストロー)を出す怪人に変身し、自分・騎馬は赤いメタリックなツナギに包まれた特撮ヒーローに変身してしまったからだ。なんで僕が特撮ヒーローに?
感想
就職した頃から、頭頂部が危険になってきた騎馬。  「チビでオタクで社交性が無いため性体験はおろか、一度も彼女ができたことすらない社会の最下層にいる男から、さらに髪の毛まで奪って、神様になにか楽しいことでもあるのだろうか?」な日々だ。
幼少からのいじめられッ子で、普通に話せる女は母親と妹だけ。会社では女子社員に嫌われ、よその部門からはノーナシ呼ばわり。しかしその劣等感がパワーとなりヒーローに変身するのである。。というカワイソウなのか、かえってよかったやんカッコいいやん、なのかよくわからない話である。騎馬はとてもいいやつなのであるが、この世は「見た目」で価値判断されるので理解されない。結果、なかなか優しさに遭遇できない。
(上)の鞍瀬(くらせ)とのバトルは泣ける。(上)のはちゃめちゃに対し(下)は多少重たく<家族>がテーマとなる。家族愛は最後の砦となる大切なものであるが、時として利己的にならざるを得ない。
「シン・マシン」は暗かったが、本作は情けない中にもユーモアと明るさがあっていいな。オススメ
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崖の館
1977年 佐々木丸美著 創元推理文庫 296頁
あらすじ
人里離れた断崖に立つ館。冬には大雪に閉ざされる館。館から望む百人浜(ひゃくにんはま)は、その昔冬の嵐に難破した人々が浜に辿り着くも、こごえ悲鳴を上げながら命を落としたという伝説を持つ荒涼とした地だ。館には老女と美少女が住んでいた。美少女は老女の姪で養女の千波(ちなみ)。千波には夏休み、冬休みに館に遊びに来る従兄弟たちがいた。研、真一、棹子(さおこ)、由梨、哲文(てつふみ)、そして私涼子。6人の従兄弟たちは2年前に千波が崖に落ちて命を亡くしてからも、休みのたびに館に集まる。研と婚約し幸せだったはずの千波が自ら命をたつはずはない。といって事故なのか? それとも殺人?
感想
館には財力にあかせて集めた本が山ほどあり、名画も山ほどあり、千波は義務教育終了後、高校にもいかず館で詩と絵に囲まれた”何も生み出さない”静かな生活に浸っていた。ここに音楽はないの。ひたすら静かで内に内に向かう世界なの。
全編「これでもかっ」というくらい繰り返し繰り返し、詩・哲学・絵画という美の談義でその筆力には頭が下がる。296頁の中に作者ひとりっきりで作った美しくそして破滅的で閉じられた世界が見られる。映画は多くの人の手になるもんやけど、小説は違うな。たったひとりで頭の中から搾り出したもの。妥協がない(はず)。そこが魅力だ。
ひじょーに粘着質で少女趣味で、不思議な世界だ。外は荒涼としていてストイックで、内は自分の好きな美しさに満ちている。こういう世界に生きてみたいなという気もしてくるインパクトの強さなのだ。
眠くなるくらい長い長い芸術の話は、動機をないがしろにしていないと思う。 人は認められたいし、誉められたいしの生き物なんやな。
結局は俗世間で汚れて働くことなしに、毎日が日曜日、好きな事ができる生活が羨ましかってんやろーという俗っぽさを、美しく昇華させている。心の闇までも透明で純に見える。
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