2003年5月のミステリ戻る

木曜組曲

恩田陸著 1999年 徳間文庫 239頁
あらすじ
今年も私達はうぐいす荘につどう。うぐいす荘は4年前自殺を遂げた作家重松時子の館。いまも時子の編集者だったえり子が館を守っている。私達は時子の親族。ノンフィクションライターの絵里子、出版社経営の静子、純文学作家のつかさ、流行作家の尚美の四人。みんな本を作る事にかかわっている。その集まりに贈られてきた花束。カードには「皆様の罪を忘れないために、今日この場所に死者のための花を捧げます。」とあった。私達の罪? それって私達が時子さんを殺したと言うの? 自殺じゃないの?
感想
5人の女が おおいに食べ飲みかつ鋭く語り合う3日間。消耗するかと思いきや新しいエネルギーを充電する。こんな隙のない女達の批判にさらされていた重松時子は生前さぞおっとろしかっただろうて。こわっ。美しくてかわいい化け物達だわ。
「三月は深き紅の淵を」が貪欲な読者の話だとすれば、「木曜組曲」は貪欲な書き手の話だ。親しい人の死もバラバラに解体して苦しみあえぎ楽しみながら自分の色をつけて再構築し作品として世に出したいという小説家の業の深さだ。こわっ。

さぼてんは忌憚なく物を言いながらも破綻しない濃い友達関係を今まで築いた事がない。これからもそういう関係を持てる事はないだろう。サミシイ事であると同時に気も楽だ。しかし考えるに恐らくこの5人は作者の頭の中の分身なのだ。才能あふれるパワフルな5人が自分の世界にいるというのは羨ましいとともにどこか不気味でもある。この小説は、冒頭に樋口一葉を配している事からも「料理も作れば掃除もするという現実モードをこなす一方妄想しがちな女が小説を創る」というさがが書かれているのだな。

うぐいすという鳥はホトトギスが産み落とした卵をかえして育てる鳥らしい。そうか編集者のえり子が影の主人公だという事を暗示してたのか。
話の組立が非凡な作家だと感心すると共に、「三月は深き紅の淵を」とか重松時子の耽美小説を読みたいとは思わない所がこの作者に対するさぼてんの限界なのだと思う。
おすすめ度★★★★
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ウィッチフォード毒殺事件

アントニイ・バークリー著 1926年 晶文社 藤村裕美訳 317頁
あらすじ
ロンドン南西16マイルほどの所にある町ウィッチフォードで実業家ベントリーが不審死を遂げる。解剖するとやはり体のあらゆる所から砒素が検出された。容疑者は16才年下の妻。ベントリー夫人のトランクの中から、引き出しから、夫の薬瓶から大量の砒素が見つかったのだ。しかも夫人は浮気をしていたらしい。これだけ状況証拠が揃えば十分だ。ないのは夫人の自白だけ。ところが我らのロジャー・シェリンガムはへそまがりを発揮する。何を言うかと思ったら砒素の量が多すぎると言うのだ。
感想
「(こんなに証拠を残すなんて)史上最高に間の抜けた犯罪者だ。でも、分析した彼女の性格からするとこの仮説は(ベントリー夫人がおまぬけだというのは)到底信じる気になれない。」と犯罪をあさり学び、人間心理をほじくっている研究している心理的探偵シェリンガムは調査に乗り出す。それはかよわい女性を苦境から救い出そうなどと言うシロモノではなく、ほんの有産階級のお遊び心。しかも友人のアレックとアレックの親戚のシーラと3人で探偵団を結成するのだ。大のおとな3人で。シェリンガムはとんでもない想像力の持ち主で事件の関係者を次々とまな板に乗せていく。手段は選ばず事件の関係者ソーンダースン夫人を誘惑してもハートはびくともしない。恐るべし好奇心。本の中ではしゃべりまくり推理はくるくる変わり読者の何歩も先を行っているような気もするし、けむにまいているような気もする。しゃべくりで読者の頭を疲れさせようという戦法だな。負けるもんかと1週間もかけて読んでいたら何がなんだかわからなくなってしまった。しかも最後は脱力モノの真相で・・・。負けた。長い冗談のような話だな。
おすすめ度★★★1/2
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