岡田博美リサイタル


風雅異端帳に戻る ♪  音楽の間に戻る ♪  詠里庵ホームに戻る
[2018年4月8日 記]

 岡田博美リサイタルというタイトルを見て、岡田博美のなんたるかを知っている人は、半年ほど前にあったいくつかのリサイタルのどれかについて今ごろ書こうとしているのかと思うかもしれない。実際はもっとひどくて、一年ほど前の2017年3月30日に催された岡田博美 ピアノ・リサイタルについて書こうとしている。この、誰に頼まれているわけでもない「風雅異端帳」の記事など、昨年度はまったく書く余裕がなかったのだ。これからいくつかそういうコンサート報を書いてキャッチアップを図ろうとしているが、いつ「現在」に追いつくのか心許ない。

 岡田博美については前にも書いたこの記事も参照されたいが、とりあえず基本情報を書くと、私と同世代の男性である。(あまり関係はないが、ジャズピアニストの天才上原ひろみは女性である。) 世界のトップピアニストで岡田博美を知らない人はいないだろうというほどのピアニストで、実際世界一だと私は思っている。ナマの演奏をどんなに耳を澄まして聴いてもミス皆無という完璧なテクニシャンというだけではない。若いころコンピューターと言われ、あまりそう言われたくないと本人は言っていたという記事があったが、それもそのはず、音楽性もずば抜けている。そしてレパートリーの広さも類を見ない。これがすごい。本当に類を見ないのだ。バロックから(おそらくそれ以前の曲から)現代曲まで何でも弾くが、「何でも弾けるよ」という程度の演奏ではなく、それぞれのスペシャリストと比べても至上の演奏をする。この人を誰もが知っているという状況になぜなっていないのか? ベートーヴェンなら音楽好きでなくても誰でも知っているわけだが、岡田博美はかなりのピアノ好きでないと知られていない。これはおかしい。

 と、大体言いたいことを言ってしまったが、2017年3月30日のリサイタルの話はどうしたと言われそうだから、書こう。曲目は、

   J.S.バッハ:半音階的幻想曲とフーガ ニ短調 BWV 903
   J.S.バッハ:パルティータ 第4番 ニ長調 BWV 828
   矢代秋雄(やしろあきお):ピアノソナタ
   デュカス:ラモーの主題による変奏曲、間奏曲と終曲

となっている。最初の2曲はバッハだが、岡田がバッハをどう弾くか? これは奇をてらうことなく、曲の構造がよくわかる演奏だった。ちなみにこのリサイタルは日本ピアノ教育連盟の「ピアノ演奏の基礎知識〜バロック音楽から学ぶ」という研究会の中のひとコマとして企画されたものである。その主旨を意識したのだろうか。
 矢代秋雄のピアノソナタは現代音楽の傑作である。これは素晴らしい演奏だった。現代音楽といえど確率的なランダムな音楽ではなく、きちんと文法に則り、各瞬間瞬間の意図の連鎖がある。これは音を弾き間違えると意図がわからなくなることはもちろん、一音一音の強弱とその連鎖を間違えただけでもなんだかわからなくなる。岡田の演奏はすべてにおいて完璧でかつ聴き手の琴線に訴えるものだった。
 デュカスの曲は知らなかったが、面白い曲だ。ラモーの主題という点でまたバロックとの関連を考えたのだろう。主題はカッコーの鳴き声みたいだが、それが手を変え品を変え変遷する。圧巻は終曲で、ほぼ四分音符だらけの不思議な譜面の曲だが、非常に速い曲だ。速いことを除けばほとんどカッコーの鳴き声そのものの音型に始まり、後半どんどん加速して盛り上がって行く。クライマックスになると四分音符の連続なのにもの凄く急速になって行く。最後は急にドビュッシー好みの全音階の動きになったかと思うと、終わり方は幾分オーソドックスに古典的終止でしっかり終わる。

アンコールは、以前のリサイタルの経験から、やるだろうと思った。前のときは、リストかラフマニノフかプロコフィエフかというヴィルトゥオーソが何を弾くかと思えば、なんとエリーゼのためにを弾いた。これには度肝を抜かれたが、その演奏は(当たり前だが)絶品だった。今回は何をやるかなと思ったら、やはり類似の路線だった。何をやったかというと、ダカンの「かっこう」だったのだ。これももちろん絶品だった。この人は演奏容易な通俗曲を、実はすばらしい曲なんですよ、と、アンコールで目を覚まさせるのが好きなのかなと思ったが、デュカスのカッコーの鳴き声のような主題の曲と繋がっていることにふと気づいた。なかなか心憎い。もう一つアンコール曲があった。それは矢代秋雄の「夢の舟」。これは知らない曲だったが、童謡の夕焼け小焼けのようなほのぼのとした雰囲気の曲だった。

[2018年4月8日 記]

風雅異端帳・目次に戻る ♪  音楽の間に戻る ♪  詠里庵ホームに戻る