ショパンエチュードのCD


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 今回はショパンエチュードのCDの感想をいくつか。

とりあげるのは次のCDである。

チェルカスキー(1911-1995)(エチュード録音は40才過ぎの1953-56年)
フランソワ(1924-1970)(エチュード録音は40才前の1958-59年)
アシュケナージ(1937-)(エチュード録音は30台半ばの1971-72年)
ポリーニ(1942-)(エチュード録音は30才の1972年)
ベレゾフスキー(1969-)(エチュード録音は20才過ぎの1991年)
リヒテル(1915-1997)(エチュード録音年は不明だが1961-1991の範囲)Op.10-1,2,4,12,Op.25-6,8,12のみ
ペライア(1947-)(エチュード録音は50台半ばの2001年)
岡田博美(エチュード録音は50才に近い2005年)

 録音時年齢を書いたのは、どこかで、ショパンエチュード全曲録音は若いときでないとできないという説を読んだことがあったので、それについて考えるためである。これらのCDを聴くと、もちろんそれぞれ個性があるのだが、こうもたくさんの音源があると、演奏家というのはよほど個性がないといけないのだなと考えさせられてしまう。もちろんこの曲の音源は他にもいろいろある。

チェルカスキー
 モノラル録音が嫌いでなければ一度は聴いて欲しい気もするCD。録音嫌いのチェルカスキーの演奏として貴重である。ただし彼の真骨頂はこのCDでなく他の曲のCDの方がいいと思う。彼はステージで本領を発揮するタイプである。もちろんこのエチュードの演奏、チェルカスキーならではの面白い部分が多々ある。特徴的なのは(「ショパン全作品を斬る」でも書いたが)Op25-6で二回目のトリルがaでなくa#になっている点である。そういう楽譜の版もあるが、通常はほとんどaで弾かれる。次のフランソワのCDとともに面白い演奏であるが、今や現役CDというより歴史的名演のたぐいであろう。

フランソワ
 今回紹介する中では最も個性的な演奏。これもモノラルだが、そんなことは全く関係ない。ペダル使用は極力避け、テンポの揺らし方も強弱の付け方も独特のフランソワ節。こういう演奏を聴くと、「明らかに他のピアニストと違う」ことが如何に大事なことであるかと思う。というと奇をてらった演奏なのかと思うかもしれないが、フランソワの技巧はオーソドックスな観点からも凄いと思う。人生的にもムラっ気が激しい人ではあるが、凄いときは鬼気迫る。このエチュードは幸運なことにその鬼気迫る部類である。「木枯らし」などのめくるめくスピードは今回紹介する中で随一である。エチュードのCDを買う人がこれを候補に思い浮かぶことはないだろうと思うと、まずこれをお薦めしたいと感じる一枚である。

アシュケナージ
 最近はあまり弾かなくなったアシュケナージだが、さる評論家が「現代最良のピアニスト」と評しただけあり、CDもリサイタルも常に安定した演奏を聴かせるアシュケナージ。フランソワと逆でムラっ気ゼロ。この人のナマ演奏は何回も聴いた。このエチュードは聴いていないが。それにしてもどんなときでもミスタッチ皆無のみならず、音楽的にも「今日はちょっと調子悪そうだな」ということが全くない。これが信じられない。彼は全集モノCDをいろいろ出していて、もちろんショパン全集も出している。全集モノは、個々の曲ごとに「他にもっといいピアニストがいるじゃないか」となることがあるので、全体として個性を出すのが難しい。たとえばバラードなどではキーシンの方がぐっと引き込まれる演奏だし、プレリュードはアルゲリッチの方がはるかに凄みがある。そんな中にあって、このショパンエチュード集は、傑出したCDの一つだと思う。誤解を恐れずにいえば、ポリーニがリスト的演奏とすればアシュケナージはショパン的演奏。アシュケナージの紡ぎ出す詩情に安心して心を任せられる。Op.25-1など他のピアニストは速度が速すぎると思うが、アシュケナージの演奏は大変麗しく歌っている。アシュケナージの特質が存分に発揮されているCDだと思う。私はこのCD、好きだ。(ただしOp.25-4だけはガチャガチャ速すぎる感じがするが。)

ポリーニ
 私自身ポリーニは大好きだし、このCDをショパンエチュードCDの最高峰に挙げる人が結構多い。しかし私はこの録音が好きではない。確かに演奏技巧的にはパーフェクトだろう。しかしそれだけのことで、楽しめない。また、演奏でなく「録音」が好きでないとわざわざ書いたのは、音が明るくきらびやか過ぎるのである。録音芸術というのは録音の仕方で大きく変わるので、録音技師の感性まで含めて初めて完成する。今回挙げたCDの中では、私にとって最も味わいの少ないCDである。ピアノ演奏技術上の模範演奏としての意味はあるかもわからないが。

ベレゾフスキー
 1990年のチャイコフスキーコンクールで優勝したときの映像を見たとき、怪物が現れたと思った。他を寄せつけない技巧と音量と表現。なんの不安も感じさせない余裕の笑み。この人のショパンエチュードは一体どんなものになるかと思ったので、しばらくして出たこのCDを迷わず買った。そうしたらかなり意外だった。結構遅めのテンポをとっている曲が多い。もちろん技巧に難点はないが、怪物くんは早くも味わい路線に転向したのかと思ったくらいである。彼を知らずにこのCDを聴いたら、表現重視の若者が現れたなと思っただろう。いい演奏である。しかしポリーニの技巧を上回るバリバリドッカーンを期待して買ったので、拍子抜けしたのも事実である。

リヒテル(10-1,2,4,12,25-6,8,12)
 このCDは玉石混交である。リヒテルならではのすさまじい演奏と、これ本当にリヒテルの許諾を得たのかと思うようなミスタッチ散見の演奏が混じっている。特筆はOp.25-6の猛烈なスピード。Op.10-4も凄いが、この曲、もっとすごいリヒテルの演奏が、知人の ピアノ音楽名盤選で教えてもらったこのサイトにある。

ペライア
 エチュードのCDが古今山ほど出ているのに、しかも大抵は若いうちにその仕事を済ませるのに、50才を過ぎたペライアがショパンエチュードのCDを出すというとはどういうことか。その答はこのCDを聴けばわかる。今回紹介した中では最高の一つであると私には思える。どの曲も極めて速い速度で弾かれている。それでいて詩情も抜きん出ている。個性的であるがフランソワほどクセもないので、ここしばらくショパンエチュードの決定版と言えるのではないだろうか。余談だがチェルカスキー版と同じく、Op25-6で二回目のトリルがaでなくa#である。このCDを聴くまではアシュケナージのCDが一番好きだった。そして次に書く岡田のCDが出るまで、このCDが一番好きだった。

岡田博美
 私はこの演奏家が好きだ。非常にテクニックのあるヴィルトゥオーソである。内田光子同様イギリス在住。日本では内田光子の方が有名だ。岡田ももっと日本でコンサートやって欲しいものだ。決してディスコグラフィーが多くないこの人の最新盤、実はこれもベレゾフスキーのときと同様バリバリドッカーンを期待して買ったのである。
 いやちょっと驚いた。今回紹介する中では一番集中して聴くことになった。これは「エチュード」ではない。音楽だ。ショパンのエチュードは「芸術的に最高のエチュード」と言われて来たが、どんな演奏会やCDでもやはり「演奏技巧」を楽しむ要素があった。しかしこの岡田博美の演奏は、エチュードであることを忘れ、音楽そのものに惹き込まれる。
 しかもCD一枚全体が一つの作品のようだ。たとえば前奏曲集Op.28は24曲全体で一つの曲であるが、岡田のこのCDはそれと同じ感じがする。しかもOp.10が第1楽章、三つの新練習曲が第2楽章、Op.25が第3楽章の大曲のように聞こえる。曲間の無音の間の取り方---これは録音技師と意識合わせしないとできないが---も良く設計され、この「第1,2,3楽章感覚」を醸し出している。こんな、ベートーベンのソナタを弾くように心をこめてエチュードを弾く人、初めてである。

番外編(CDではなくライブ)青柳いづみこ
 この記事を書くにあたり、エチュードを全曲通してナマで聴いた経験が実はあまりないということに気づき愕然とた。そんな中で、だいぶ前の話だが、青柳いづみこがプログラムの後半でOp.25を通して弾いた演奏会に行ったことがある。これはすばらしい演奏だった。例によっていろいろなタッチを使い分け、味のある音楽が楽しめた。

[2008年11月1日 記]


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