二期会「トリスタンとイゾルデ」


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[2016年12月26日 記]

 今年の9月18日、東京二期会オペラ劇場『トリスタンとイゾルデ』〜ライプツィヒ歌劇場との提携公演〜を東京文化会館で観劇した。
 1858年に完成した「トリスタンとイゾルデ」は、少なくとも二つの意味で音楽史上極めて重要な作品である。一つは、オペラの概念を一変し、いわゆる楽劇と呼ばれる分野を創出したことである。二つ目は機能和声の高度化・複雑化を大幅に進めたことであり、ドビュッシーをはじめとする後年の和声革命に大きな影響を与えたことである。この二つ目の点については舞台の場に行かずとも実感できるので、今回ナマでこの劇場作品を鑑賞した主な目的は一つ目の点を膚で感じとることにあった。
 それまでのオペラは、序曲、レシタティーヴォ(語り)、二重唱、アリア、間奏曲、合唱など番号付けされた曲の集まりである。一曲ごとに入る拍手はドラマから現実に聴衆を引きずり戻す中断になったが、それも承知の上でとりこんだ形式であった。しかしヴァーグナーは、実世界のように連続的にドラマが進行する劇場作品を目指した。説明調の「語り」をなくし、全て歌唱とオーケストラでうねるように展開するのである。その途中には同じ動機(ライトモチーフ:Leitmotiv)が幕間を越えて登場し、統一感を醸し出す。映画スター・ウォーズでレイア姫が登場するときに現れる「レイア姫の動機」のように。それは突然実現したわけではなく、それまでのヴァーグナーのオペラ一曲ごとに進化を遂げ、トリスタンとイゾルデで達成を見た。ヴァーグナーはこのトリスタンとイゾルデの形式を「劇進行 (Handlung)」と呼んだ。人はそれを楽劇(Musikdrama)と呼ぶようになったが、ワーグナーはそれより広くとらえ、その後、総合芸術(Gesamtkunstwerk)を主張した。以降のヴァーグナーはこの形式で「ラインの黄金」から最後の「パルジファル」まで突っ走った。現代では「ラインの黄金」以降を「楽劇」と呼ぶ一般的習慣になっている。これはヴァーグナー以降のオペラにも大きな影響を与えた。今年(2016年)初めに観劇したヤナーチェクのイェヌーファ(1903年完成)も、歌と音楽でドラマが切れ目なく展開する点で、影響を受けている。

 「トリスタンとイゾルデ」は愛を唱い上げた劇場音楽作品である。愛の葛藤・深化・対話・死による別れは現実世界では人の半生から一生ほどの時間がかかるわけだが、もちろんドラマではそんなに時間をかけてはいられない。かといって短いドラマに押し込んで描いても伝わらないから、オペラひとつくらいの時間は必要である。その際、いろいろなエピソードを詰め込んで愛を醸成するやり方と、エピソードは最小限にして愛の語らいや描写にじっくり時間をかけるという対照的なやり方があろう。前者は見ていて飽きないかもしれないが、多くのオペラがそうであるようにメロドラマになってしまいがちである。トリスタンとイゾルデはそうではなく、後者だ。
 だから、トリスタンとイゾルデには非常に長い描写の場 ― ドラマ進行的には情報量の少ない場 ― がある。たとえば第2幕第2場の「愛の二重唱」。これだけで30分近くかかる。また、船で来るはずのイゾルデを「まだかまだか」と待つ瀕死のトリスタンの感情の起伏を描く第3幕第1場。これも30分近い。いずれも、もし楽譜も何もなくCDで鑑賞したら、集中力を途切れさせず聴くのは難しい。しかしナマの舞台でナマの歌唱とオーケストラで鑑賞すると、現実世界で味わっているかのような説得力をもって迫って来る。

 トリスタンとイゾルデは奇跡の作品だ。作曲のきっかけは「本当の愛を知らない自分は、愛についてのオペラを書いてみたかった」ということで、最初からこれほど大きな作品が想定されていたわけではなく、作曲を進めるうちに大きくなったという。作曲中に、なんという傑作が生まれようとしているのだろうと他人事のように実感したという。形式上は「楽劇」形式完成への連続的道のりにあるが、神々しいばかりの愛の高まりと、今回触れなかった和声の革命的斬新さは、前後の主要オペラである「ローエングリン」や「ニュルンベルクのマイスタージンガー」と比べても、いや、他のヴァーグナー作品と比べても、かなり特徴的な作品である。強固な意志をもって自己実現を実践し続けたヴァーグナーであるが、そのヴァーグナーをもってしても本人の思惑を越えて勝手に筆が進んでしまったかのようである。大きな構想をもって強い意志で進めていた「ラインの黄金」を中断してまで、トリスタンとイゾルデの作曲に寄り道をしてしまった。どうしてこのような「トリスタン現象」ともいうべきことが起こったのか、不思議である。一説によるとラインの黄金の完成までの道のりの遠さと上演実現性の低さに落胆して、より上演実現性のある小さなオペラをとりあえず作ろうとしたとあるが、それが本当なら、人間、何でも思い通りにならない方がよいのかもしれない。
[2016年12月26日 記]
[2016年12月27日補遺]「トリスタン和声」の斬新さについては、「スクリャービンの和声」属七和音とテンション -その1ー の下半分のページを参照されたい。


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