新国立劇場で「イェヌーファ」鑑賞


風雅異端帳に戻る ♪  音楽の間に戻る ♪  詠里庵ホームに戻る
[2016年5月1日 記]

 また鑑賞と執筆の間で時間差ができてしまったが、これを書く2ヶ月前の2月最終日、新国立劇場で上演されたヤナーチェクのオペラ「イェヌーファ」に行ったので、その感想を認めよう。

 オペラは「観劇」に行くのと「鑑賞」に行くのを私は分けているが、今回は、好きな作曲家であるヤナーチェクの音楽を鑑賞しに行ったのだ。ところが今回図らずも、観劇と鑑賞の両方の面で、今まで行ったオペラの中で ― これは誇張でなく ― 最も感激の度合いが高いものになった。「イェヌーファ」はヤナーチェクの故郷モラヴィアの地方を舞台に、そこに暮らす普通の人々の様々な感情が綾なす矛盾や葛藤を描きながら、人間の性の普遍性を感動的に唱い上げている。いたずらな展開でなく脈絡をもって続く悲劇の数々は妙な訴求力で人を引き込み、最後は不幸の中にも一条の救いの光が仄かにともる。普通の幸せよりこれこそ本当の幸せかもしれないとさえ暗示するようだ。つまり上流階級向けのメロドラマでもエンターテイメントでもなく、全ての人に向けられた深い人間愛を感じさせる。
 もちろんそれは、元になった女流作家プライソヴァーの原作戯曲自体がそういうものである。しかしヤナーチェクが付けた歌と音楽により、別のジャンルであるオペラとして花開き、それも西洋人の自分達向けの総合エンターテイメントたるオペラ超えて、全人類向けオペラになったのではないだろうか。
 ここであらすじを書くのは避けておこうと思う。それはなぜかというと、私は昔このオペラのあらすじを読んで、変なストーリーのオペラだなと思ったのである。(実際ヤナーチェクがこの戯曲のオペラ化をプライソヴァーに承諾してもらおうとしたとき、プライソヴァー自身がこの戯曲はオペラに向かないと初めのうちは言っていたそうである。)だからこのオペラは話の筋よりヤナーチェクの音楽だけ聴くことにしよう、と、私は思い続けて来たのだ。ところが今回ナマでこのオペラを見て、元の戯曲とヤナーチェクの音楽の合体の成果の高みを味わい、もっと早くこのオペラを鑑賞しておけば良かったと思ったのである。だから、下手なあらすじを書いて同じ被害を他人に被らせたくないのだ。

 そのヤナーチェクの音楽だが、全編美しく、ときに迫力があり、この戯曲の言葉の感情の起伏と多様性をこれほど調和をもって音楽化するのは困難ではないかと思われた。その音楽はいかにも彼らしく、他の誰も書かないような特徴的な音楽である。♭や♯の多い短調系の響きのなかにときおり現れる♭や♯の少ない清々しい長調系の響き。細かな動機の繰り返しや発展が大きな流れの変遷を醸しだす書法。譜面は近代音楽特有の複雑な顔をしていながら、聴くと大変わかりやすい。そのわかりやすさはラヴェルのようなエスプリというよりはどこか土俗的感じもある。
 このオペラは、地のセリフの部分はなく、すべて歌で唱われる。またアリアごとに拍手が入りそうな休止は入らず、切れ目ない音楽でストーリー展開される。独白から数人が絡む会話まで連続的に音楽が移行する。こういうところも通常のオペラと異なり、現実に引き戻されることなくストーリーの世界に入っていける。

 今回の演出は ― 近年のオペラでよく見られることだが ― 話の時代や地方色をいかした服装や大道具でなく、現代社会の服装や大道具であった。しかも舞台全体が真っ白な壁の美術館の中みたいな構成で、これはこれで面白い。初演のときのようにヤナーチェク時代のモラヴィアでの衣裳での演出も見てみたいが、今回の方が普遍性は出せるかもしれないとも思われた。



[2016年5月1日 記]


風雅異端帳・目次に戻る ♪  音楽の間に戻る ♪  詠里庵ホームに戻る