ショパン全作品を斬る

      
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はじめに

 天才の出現はいかにも不思議な自然現象である。 伝記などを見ると天才の家族や親戚はそれなりに才能豊かなことが多いので、 天才出現の素地はあるようではあるが、 そんなことは問題にならないほど桁外れの才能が忽然と現れ、桁外れの仕事を残して行く。
 今年(1999年)没後150周年*を迎えるショパンはそのような一人である。 あまりにも独創的な彼の音楽を突きつけられると、 一体どのようにしてこんな発想を得たのだろうという、 いわく押さえがたい疑問がわく。 その時代にあってそのような作曲活動をした必然性を理解したいという衝動を禁じ得ない。 一方、 彼の音楽は推敲が重ねられて彼自身の厳しい選別をくぐり抜けているのでどれも高い完成度を示してはいるのだが、 中には、 私ならこうするのになぜそうしなかったんだろうという疑問を生ずることもある(おこがましくも!)。 ショパンの場合、さらに、楽譜の出版社(校訂者)による違いも非常に多い。 その中でショパンの意図に最も近いのはどれか?
 こうした問題は頭の片隅に巣くっていて、 ショパンが影響を受けた当時の音楽は何かということを調べたり、 ショパンの生家や博物館を訪れたりしてヒントを得ようなどとしていた。 そうこうしているうちに、 当然深く考察されているであろう専門家の研究とは別に、 きっと私なりの視点というものもあるのではないかと思うようになった。 それを述べるには、 思いついた順に書いて行くのではダメで、 最も良い方法は作曲年代順にショパンの全作品の足跡を辿ることだと思い至った。 しかしそれを全部終えてからではいつ公表できるかわからないので、 この記事は書き足して行く都度に連載の形で載せて行くことにした。 ただし既に書いた記事の改訂を予告なく行う場合があることを付け加えたい。
 なおここでいう全作品とは、さほど困難なく楽譜や演奏 (CD) として入手することができる曲全部という意味で、ワルシャワのアカデミーに行かなければ接することができないようなものは対象としない。とはいうものの、ヘンレ版とパデレフスキー版は過去に出版されたほとんどの作品を網羅しており、それ以外のショパンの作品は数も少なくあまり重要とも考えられないので、全作品という言い方もあながち誇張ではあるまい。ヘンレ版とパデレフスキー版は特に校訂が念入りであり、各巻末に過去のいろいろな版の違いを (ショパンの自筆も含めて) 詳細に指摘していて興味深い。しかし明かな記譜ミスも含め何から何まで比較し詳細に過ぎるし、主観的解釈はほとんどなく面白味に欠けるし、現在出版されていない歴史的楽譜の比較であったりして学術的すぎるきらいがある。そこで、現代の一般人が購入できる楽譜を対象とし、かつ主観的解釈も辞さない(というかそれに重きを置く)この記事のようなものの存在価値も十分あるのではないかと思う次第である。

 各記事では簡単のためアメリカ式音名を採用する。 すなわちピアノの最低音 (イ音) はA0、したがって最低ハ音はC1、以後1オクターブ上がるごとにC2、C3、そして中央ハ音がC4、ピアノの最高音 (ハ音) がC8である。
 この連載が終わった暁には、あとがきのページを作ることにしよう。 そこにリンクが張ってあれば連載が終了していることを示す。  各曲の解説スタイルとしては前半には史実を書き、 一行空白後後半に私自身の調査や感想を書いた。 史実関係は私が自らショパンアカデミーに行って確認したわけではなく、 楽譜、単行本、CD解説を参考にした。 これらの参考図書は連載を進めるにつれ増えるであろうが、ここにリストアップして行くことにする。 参考図書間で見解の統一が見られていない史実もあるが(生年月日からして!)、 その都度触れる。

*100周年や150周年がキリがいいというのは人間が十進数でものを数えるからなので、 もともと人工的なものである。 しかしそれではすべての「何周年記念」が意味がなくなってしまうので、 理屈っぽいことは忘れて祝うのがよいだろう。

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