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◆◆◆◆ 元 支所・市民総合会館分館 ◆◆◆◆ |
支所・市民総合会館分館は、2024(令和6)年3月末で閉所・閉館となりました。65年間に渡って利用さ れてきた支所もその役目を終えました。市の施設リストからはその名称は消えましたが、地域の歴史を知 る上では支所誕生の経過やその歴史は、大切な材料を提供してくれます。その資料価値を考慮して、施設 廃止後も従来掲載してきた当ページをほぼそのままの形で引き続き残しておきたいと思います。 |
(ししょ・しみんそうごうかいかんぶんかん) 〈元所在地〉 藤井寺市沢田3-6-36 近畿日本鉄道南大阪線・土師ノ里駅より北東へ約100m徒歩約2分 土師の里交差点(国道旧170号・府道12号)を北へ約70m 国道旧170号沿いに駐車場入口 敷地面積:663.85㎡ 延床面積:260.34㎡(支所),802.82㎡(分館) 支所開設:1959(昭和34)年4月(藤井寺道明寺町の誕生により、旧道明寺町役場が支所となる。) 2024(令和6)年3月31日閉所 分館開設:1973(昭和48)年1月(支所改築に合わせて市民総合会館分館を併設した施設となる。) 2024(令和6)年3月31日閉館 |
かつては村の中心地 藤井寺市役所の支所で、通称「土師の里(はじのさと)支所」と呼ばれることが多い 施設です。近鉄・土師ノ里駅のすぐ近くにあることからきていますが、藤井寺 市役所の支所は1ヵ所しかないので地名を付ける必要はなく、正式にはただの 「支所」です。ちなみに、「土師の里」という地名は駅の周辺にも市内全域で も現在は存在しません。 土師ノ里駅の北西側に道明寺小学校がありますが、この小学校の周辺がかつ ては旧道明寺町の中心地でした。明治12年に沢田村の澤田小學(現道明寺小学 校)が現在地に新築移転し、その後合併で旧道明寺村が誕生すると学校に隣接し て村役場が設置されました。大正13年には土師ノ里駅が開業し、時代を経る中 で郵便局・駐在所・農業協同組合(戦後)などができていきました。これらの施 設は、道明寺村の真ん中を東西に通り藤井寺村(町)とつながる長尾街道に沿っ て分布していました。言うなれば、教育・交通・通信・金融の集まる地域の中 心だったのです。 |
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① 元 支所・市民総合会館分館(東より) 2018(平成30)年10月 支所の北隣り(右)は羽曳野警察署沢田交番。道路(国道 旧170号)の手前側には柏羽藤消防署・藤井寺分署がある。 |
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合併によって誕生した「支所」 地形的困難性があるわけでもないのに、藤井寺市の面積規模で支所が置かれているのは珍しいことですが、これは、もともと二つの町が 合併したことによるものと思われます。 旧藤井寺町と旧道明寺町が合併して1959(昭和34)年4月に藤井寺道明寺町が誕生し、現在の藤井寺市域が初めて一つの自治体となりまし た。その時に、旧藤井寺町の役場が新しい町役場となりました。町域全体から見ると西寄りの場所であったため、東部にあった旧道明寺町 役場が支所となりました。合併によってここの役場が無くなれば、旧道明寺町地区の住民はそれまでに比べて大きな不便を強いられること になります。合併の成果を上げるためにも旧道明寺町民への配慮は欠かせなかったことでしょう。その後、新しい本庁舎(旧市庁舎)が現在 の場所(現市庁舎の場所)に新築され移転しましたが、依然として西寄りの位置でした。やがて支所も新しい建物に姿を変えて、その存続は 続きました。 ![]() ![]() 改築に合わせて市民総合会館分館も併設 元支所の建物は1階が駐車場で、2階が支所となっていました。1階駐車場は道路面よりも低い半地下のような位置にあり、支所・分館 の入口は2階にありました。3・4階は中小会議室や和室などがある市民総合会館分館となっていて、一つ建物に2施設がありました。ま た、支所には藤井寺市立図書館の図書コーナーがあって予約図書の貸し出しや借りた本の返却もできました。 1973年(昭和48年)11月に市民総合会館がオープンしましたが、それに先だってこの年の1月に支所と分館がオープンしました。上記の通 り、この場所では旧道明寺町役場が支所として使用されていたのですが、その建物はもともと旧道明寺村時代の警察署(当時の自治体警察) だった木造の建物であり、手狭になってきたこともあって、市民総合会館新設に合わせて4階建ての建物に全面改築されました。 ![]() |
旧支所の建物-初めは道明寺村警察署 写真②③は同じ建物ですが、写真②が改築される前の旧支所の建物です。旧道明寺町役場で したが、もともは、旧道明寺村時代に設置された「道明寺村警察署」の建物でした。戦後GH Q(連合国最高司令官総司令部)の指導のもとに、1948(昭和23)年3月に自治体警察制度が発足 し、旧道明寺村(昭和26年1月町制施行)でも7月1日に道明寺村警察署が設置されました。 下の写真③が道明寺村警察署時代の様子です。藤井寺市史に載っていた写真ですが、時代の 様子がよく表れています。建物前に小型の4輪自動車が止まっており、その横に一人の警察官 のまたがるオートバイが見えます。このオートバイには風防付きのサイドカーが付けられてい ます。現在の白バイとは異なり、パトロールカーが普及する前の言わば代用パトカーの役割と 言えるでしょう。財源の少ない小規模自治体では、自動車よりも安価で整備できる機動力とし て各地の自治体で導入されたようです。その後、4輪自動車のパトカーが普及するにつれて、 サイドカーは一般警察署からは姿を消していきました。 ![]() |
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② 支所の旧建物(旧道明寺町役場) (東より) (昭和30年代か) |
姿を消した長持山古墳-2基の石棺 写真③で警察署建物の背後と右端に松の高木が見えています。これらの松の木は、 ここに在った古墳の立木の一部ではないかと思われます。背後の木は隣接する道明寺 小学校の可能性もありますが、右の木は位置からするとこの位置にあった長持山(ながも ちやま)古墳のものと見られます。この辺りには、古代に築かれた巨大前方後円墳の市野 山古墳(允恭天皇陵)をはじめ多くの小古墳が分布しています。直径約40mの円墳であ った長持山古墳もその一つでしたが、戦後の市街化の中でいち早く姿を消しました。 長持山古墳には2基の石棺が埋設されていました。下の写真④が、掘り上げられた 2基の石棺ですが、右側の2号棺は明治年間に墳頂に露出していたことをウイリアム ・ガウランドが報告しています。 戦後の発掘調査で、2号棺北側で竪穴式石槨におおわれた1号棺が調査されました。 2基の家形石棺は、保管できる近くの町の施設ということで、旧支所の別棟平屋建て の建物の前に安置されました。この建物は、写真②の裏側に在り、現在の支所に建て 替えられるまでは道明寺小学校の保健室に使用されていました。支所改築に伴って石 |
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③ 旧道明寺村(町)警察署(南東より) 昭和30年まで道明寺町警察署であった。 『藤井寺市史第2巻 通史編三 近現代』より |
棺は道明寺小学校旧管理棟脇の軒下に移設され、その後約20年間 ほどその状態で経過しました。 簡単な説明板も一緒に移設されましたが、展示というより仮置 き状態で、棺も蓋も割れていた2号石棺は校舎の壁際に無造作に 積まれていました。ほとんど放置に近い姿でした。研究が進んで 2基の石棺が阿蘇溶結凝灰岩で造られていることなどが書物で紹 介されると、遠方からも見学者が訪れるようになりました。ちょ うどその頃、私は道明寺小学校に勤務していたのですが、何度か 見学者への対応をしました。その時に決まって聞かれるのが「2 号石棺はどこにありますか?」ということでした。私は申し訳な |
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④ 長持山古墳の家形石棺(左1号棺・右2号棺) 『古市古墳群を歩く』(古市古墳群世界文化遺産登録推進連絡会議 2010年)より (写真は京都大学考古学研究室提供) |
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さそうに「ここにあります。こんな状態で申し訳ありません。」と壁際の石を示すのが精一杯でした。わざわざ見に来られた方々には本当 に申し訳ない状態でした。市は早くまともな保管状態にしてほしいと、何度も思いました。2基の石棺は1974(昭和49)年3月29日に大阪府有 形文化財に指定され、藤井寺市の所有として保存されていることになっていたのです。 私が道明寺小学校から転勤して5,6年たった頃、同校敷地内にやっと展示施設が整備されました。割れていた石棺もきれいに修復・保 存処理が行われて、立派な石棺の姿を見ることができるようになりました。その後、道明寺小学校の校舎建て替えに伴ってこの展示施設は 一旦撤去されました。現在(2024年)は非公開状態で別の市施設に保管されています。他の古墳から出土した石棺などと一緒に展示できる新 たな展示施設の計画があるそうです。 なお、副葬品のよろい・かぶと(挂甲・冑)が京都大学で保存されています。そのほか、石槨内からは武器・武具・農具・馬具なども出土 しています。 ![]() ![]() ![]() |
支所は機能移転、分館は機能集約へ-公共施設再編基本計画をもとに 2023(令和5)年7月26日夜、「支所の機能移転・市民総合会館分館の機能集約検討状況報告会」が行われました。市では、現在の支所の建 物は耐震性がなく施設の老朽化も進んでいるため、支所業務を土師ノ里駅周辺施設へ機能移転し、分館の貸室業務は市民総合体育館やパー プルホールへ機能集約することを検討してきました。この検討は、2017(平成29)年3月策定の「藤井寺市公共施設再編基本計画」をもとに 進められてきたものです。 報告会を伝える市民課のサイトでは、次のような取り組みの方向が示されています。 『土師ノ里駅北側にある支所と市民総合会館分館は、耐震性がなく施設の老朽化が進んでいるため、住民票などの証明書発行業務は市東 部の郵便局3局への機能移転を、図書コーナーは出張図書館サービスを、分館の貸室業務は市民総合体育館やパープルホールへの機能集約 を検討しています。この取り組みは、利用者のみなさまの安全確保と安定的かつ効率的な行政サービスの提供をできるだけ維持することを 目的としており、現在の検討状況を知っていただくために報告会を開催しました。』。要するに、「支所と市民総合会館分館は廃止する。 支所業務の一部を近隣郵便局に移転する。分館の施設機能は市民総合会館本館や市民総合体育館で代替する。」という方針です。支所が廃 止されると、自力で市庁舎に行きにくい市民には一定の不便が生じることでしょう。最低限の代替措置として証明書発行業務の郵便局への 移転が講じられたわけです。 考えてみれば、藤井寺市の面積や人口の規模で支所が設置されていること自体が不思議なくらいです。大阪府内33市のうち、藤井寺市 の面積は最少で、人口も下から6番目です。面積・人口とも藤井寺市より多いお隣の松原市には支所はありません。さらに、人口では藤井 寺市の約1.6倍、面積では約12倍もある河内長野市でさえ支所はありません。それぞれの自治体で事情は異なるでしょうから、一概に面 積や人口だけで論じることはできませんが、藤井寺市の場合は珍しいケースだと思います。 もっと早くの段階で廃止が検討されていても不思議ではありませんが、合併の時のいきさつがあり、支所の存廃については簡単に取り上 げることは難しかったのかも知れません。今回の検討でも、「廃止・閉所・閉館」などという言葉を避けて、「機能移転・機能集約」とい うわかりにくい文言にしているところに、その難しさや苦しさがうかがわれます。 ついに支所・分館の閉所・閉館が決定 2023(令和5)年9月28日、市のサイトに「支所・市民総合会館分館 閉館のお知らせ」が掲載されました。お知らせの内容は、『土師ノ里 駅北側にある市役所支所・市民総合会館分館は、耐震性がなく施設全体の老朽化が進んでいることから、平成29年より藤井寺市公共施設再 編基本計画に沿って、おおむね10年以内にそれぞれ機能移転・機能集約することを目標に検討してきましたが、現在、空調設備が極めて深 刻な状況に陥り、安定した業務の継続が難しくなったこともあり、令和6年3月31日をもって閉館させていただくことになりました。』と いうものです。正式決定されたことを受けて、初めて「閉館」という文言が使われています。妙に印象強く感じるのは私だけでしょうか。 支所・分館の業務・機能の今後については、『令和6年4月1日から、支所業務のうち住民票などの証明書の交付は、市役所本庁やコン ビニ交付・オンライン窓口をご利用いただくか、北条郵便局・沢田郵便局・道明寺南郵便局の窓口でも手続きができるように準備を進めて います。また、図書コーナーは、代替サービスとして出張図書館の実施を予定しています。分館の貸室を利用されている方は、体育館心技 館やパープルホールをご利用ください。』と説明されています。 |