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◆ 藤井寺市役所
  (ふじいでらしやくしょ)  〒583-8583 藤井寺市岡1-1-1   TEL:072-939-1111(代)    FAX:072-939-1739
  近畿日本鉄道南大阪線・藤井寺駅より北東へ約
550m徒歩約
  小山交差点(府道12号・府道旧2号・府道186号)近く 府道12号堺大和高田線側に駐車場入口 無料
(確認用駐車券有り)
   敷地面積:
9,965.23㎡ 延床面積:15,258.5(含 立体駐車場・別棟車庫) 開設:1995(平成7)年3月(駐車場12月)
① 藤井寺市役所(北西より) ② 3D化・疑似鳥瞰写真(北西より)
① 藤井寺市役所(北西より)   2012(平成24)年4月
   庁舎前広場の桜は、旧庁舎前にあった桜が残されたもの。
② 市役所の疑似鳥瞰写真(北西より)
       〔GoogleEarth
3D画像 2015(平成27)年〕より
 現在の市庁舎は、1995年(平成7年)5月に旧庁舎と同じ敷地に完成し、開業しました。つまり、同じ場所で建て替えられた新庁舎です。
と言っても、それから早くも
25年以上が立ちました。
 新庁舎の外壁の色は、古代史跡の町にふさわしいものを、ということで、市内からたくさん出土した埴輪や土器に似た色にされました。
他の市立施設でも、同じような色で造られたり、埴輪の古代船の形に造られたりした建物があります。
 市役所内の各部署の構成や業務内容については、市の公式サイトに詳しく掲載されていますので、そちらに譲ります。
 旧庁舎は1960年(昭和40年)10月に、この場所に旧・美陵町
(みささぎちょう)の役場庁舎として建てられました。翌昭和41年11月1日に市制が施行
され、「藤井寺市」が誕生しました。町役場はそのまま市役所となりました。写真③④が旧庁舎の様子ですが、現在の藤井寺市域が合併で
1つの自治体となってから初めて建てられた庁舎でした。それまでの町役場は、合併以前の旧藤井寺町の役場を使用していました。また、
合併した旧道明寺町
(どうみょうじちょう)の役場は支所として使用されました。それらの旧町・旧村時代の役場の様子も紹介しておきます。
                              「ホーム/藤井寺市」      「藤井寺市ができるまで」
③ 旧市庁舎(北西より) ④ 旧市庁舎(北東より)
③ 旧市庁舎(北西より)      1990(平成2)年4月 ④ 旧市庁舎(北東より)    『市勢要覧1981年』より
 旧庁舎の前には、庁舎完成時に植えられた桜が立派に育っていました。建て替えに伴って伐採されることが惜しまれ、この桜を残すよう
に設計が工夫されました。幸いにも庁舎の裏側には別棟などが建てられた広い土地があり、新庁舎はそちらに建てることができたのです。
写真②のように、旧庁舎や車廻しだった場所が現在は庁舎前の広場となっています。
 写真⑤は、写真④の旧市庁舎の建物ができるまでの美陵町役場です。昭和30
年代後半の撮影ではないかと思われます。木造2階建ての構造で、当時の各地で
よく見られた役場の一種と言えるでしょう。写真左側には、この頃にはまだよく
見られた火の見櫓
(やぐら)が立っており、上には半鐘(はんしょう)が吊ってあります。現在
ではすっかり姿を消し
ましたが、昭和48年に私が撮った藤井寺駅周辺の写真には
まだ写ってい
ました。昭和30年代は専門の消防署が無い時期なので、消防団が使
用していたものでしょう。
 この役場は、もともと旧藤井寺町の役場だったものが、道明寺と合併した後に
も数年間は藤井寺道明寺町・美陵町の役場として使用されました。昭和4年陸地
測量部発行の
2万5千分の1地形図には、すでにこの場所に役場の記号が載ってい
ます。戦後の昭和30年代初めに府道堺大和高田線が開通すると、この役場は府道
沿いに位置することになりました。もっとも、この府道の役場南側から現在の藤
井寺インターチェンジ付近までの約1kmはそれ以前に完成していたようで、戦
後すぐに米軍が撮影した空中写真に写っています。戦時中か戦前に工事が行われ
  ⑤ 旧美陵町役場(南東より)
  ⑤ 旧美陵町役場(南東より) 左は火の見やぐらと半鐘
    『カメラ風土記ふじいでら』(藤井寺ライオンズクラブ
    1979年)より           (昭和30年代か)
 
れたと思われます。                                   「空から見る藤井寺市」
 この旧美陵町(旧藤井寺町)役場は、府道堺大和高田線と長尾街道(藤井寺駅前北商店街北部)との交差点の北東側角地(北岡1丁目)にあり
ました。現在はコンビニ店舗になっています。
 写真⑥は、旧道明寺町が旧藤井寺町と合併するまでの数年間だけ、道明寺町役場として使用された建物です。合併後は写真⑤の旧藤井寺
町役場が新しい町の役場となったので、この道明寺町役場は「土師の里支所」として使用されることになりました。合併後も旧道明寺町区
域の町民の便宜を図るためだったと思われます。現在も建て替えられた支所がこの場所で業務を行っています。
 この旧道明寺町役場の建物は、もともとは戦
後間もなくの自治体警察時代に、「道明寺村警
察署」として建てられたものです。その後、警
察制度が変わ
り、1955(昭和30)年7月に大阪府警
察が発足すると道明寺村警察署は廃止されまし
た。その後近くにあった道明寺町役場が移転し
てこの建物を使用することになりました。
 道明寺村は1951(昭和26)年1月1日に町制に移
行して道明寺町になっています。私が道明寺小
学校に赴任した当時はまだこの建物があって、
背後にあった木造平屋建ての建物を小学校が保
健室に借用していました。支所と小学校の敷地
⑥ 旧道明寺町役場・土師の里支所(東より) ⑦ 旧道明寺町(村)役場
⑥ 旧道明寺町役場・土師の里支所(東より)
   道明寺村警察署 →道明寺町役場
    →土師の里支所 として使用された。
              (昭和30年代か)
⑦ 旧道明寺町(村)役場(北東より)
      昭和5年2月に村役場がこの場所に
    新設移転した。   (撮影時期不明)
 『藤井寺市史第2巻 通史編三 近現代
』より
は隣接しており、支所のすぐ左横に道明寺小学校の正門がありました。私がこの旧役場の支所建物を見ていたのは、わずか2年足らずでし
た。1973(昭和48)年1月に、建て替えられた現在の支所建物が開業しました。
 写真⑦は、写真⑥の建物に移転するまで道明寺町役場として使用されていた旧道明寺町(旧道明寺村)役場の建物です。現在の道明寺小学
校の校地内で、北門の西側の場所でした。写真の手前側は古代からの街道、長尾街道です。『藤井寺市史第2巻 通史編三 近現代』の既述
によれば、この場所に新設移転したのは昭和5年2月だったということです。既述の昭和4年地形図で見ると、現在は道明寺小学校敷地に
なっている所に役場の記号が見えるので、共に現在は同じ小学校の校地となっている範囲のごく近くでの移転だったようです。
 現在の道路状況を見ると、この役場が面していた長尾街道の通りは道明寺小学校の裏通りとなります。しかし、昭和29年には府道・堺国
分線
に指定され、府道柏原富田林線(現国道旧170号)と並んで旧道明寺町域では2大幹線道路でした。府道柏原富田林線は戦前の昭和10
年代に開通していま
したが、長尾街道は昭和30年代にバイパス線の府道・堺大和高田線が開通するまでは、唯一東西に他市町村と結ぶ幹線
道路だったのです。新役場の場所にここが選ばれたのは、この幹線道路沿いであることが大きな理由であったと思われます。
130mほど東
に行けば府道・柏原富田林線に出る位置でもありました。
 実は、この旧道明寺町役場の建物の実物を私は見ています。現在は道明寺小学校の校地内だと書きましたが、私が赴任した当時、役場の
主棟だった建物は学校が使用していました。1階は体育用具の倉庫に、2階は音楽教室に使用していました。外観は洋館風の造りで、他の
校舎とは合わない違和感がありました。音楽の授業で何度も出入りしましたが、とにかく古くからあった建物だという印象でした。
 写真に見える花崗岩の門柱もまだ立っていました。何で門柱がこんな所に?
とは思いましたが、旧道明寺町の役場だったことは後になって知りました。
 
40数年も後になって、この建物の写真を必要とすることがあろうなど、夢
にも思いませんでした。新米教師の私には、後年のために写真を資料として残
しておくことに思いをはせるような余裕はありませんでした。昭和47,8年頃に
解体撤去されたと思うのですが、何時のことだったのか、はっきりとした記憶
もありません。ちゃんと見ておけばよかったと、今頃になって少々悔いており
ます。
 写真⑧は旧市庁舎に連なる旧町村役場の中で最も古い建物の写真で、『藤井
寺市史第2巻 通史編三 近現代』に掲載されているのですが、大正時代の藤井
寺村役場ということしか記載されていません。場所についても何時建てられた
のかも記述がありません。
 大正11年の地形図を見ると、写真⑤の役場と同じ位置に役場記号があるので
おそらくは同じ場所に建てられていたものと思われます。ただし、門が面して
⑧ 大正時代の旧藤井寺村役場
⑧ 大正時代の旧藤井寺村役場
      『藤井寺市史第2巻 通史編三 近現代』より
いる手前の道路が長尾街道だとすると、西向きに建っていたことになります。庭木が苗木で松の添え木も新しいので、落成直後に撮影され
たものと思われます。建物は寄せ棟屋根の総2階造りで、和洋折衷の感があります。飾りフェンスと洋風門扉など、当時としてはおしゃれ
だったことでしょう。

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