日日雑記 September 2003

07 シブい本、日用帳スタート
09 谷崎潤一郎と六代目菊五郎・佐野繁次郎

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9月7日日曜日/シブい本、日用帳スタート

戸板康二ダイジェスト、更新。(#023)

串田孫一の戦中戦後の日記でみる戸板康二の書簡のこと。
更新後もこの余波は続き、書き足したいことが少しあるのだった。

はてなダイアリーを始めました。(9月5日より)

日頃つい書き損ねる、音楽聴きや観劇メモにまつわる
ちょっとしたことの覚え書きになればよいなあと思って、開始。
続くかどうかかなりあやしいが、しばらく様子を見てみよう。





  

9月9日火曜日/谷崎潤一郎と六代目菊五郎・佐野繁次郎

先月の終わり、10年ぶりくらいに谷崎潤一郎の『細雪』を再読した。

物語の進行、言葉のつらなりをスイスイと何も考えずに読んでいくだけでたいへんな愉悦で、
綿々と小説に埋没するたのしみってこんな感覚だったなアと、たのしくてしょうがなかった。

わたしの部屋の本棚にあるのは、上中下が1冊にまとまっている中公文庫版。
新潮文庫で読むと詳しい註釈がさながら「昭和10年生活事典」の様相を呈している、
ということをどこかで知って、再読のときはぜひとも新潮文庫でと思っていたけれども、
結局、今回も手持ちの中公文庫で済ませてしまった。でもそれでよかったと思う。
たまたま出先で次の本が手元にないなんていう事態になったらたまらない。

ひさしぶりに本棚から中公文庫の『細雪』を取り出すと、
中に新聞の切抜きが挟んであった。日経新聞朝刊(1999年10月24付)の、
水村美苗さんの《私が好きな「細雪」》という文章で、当時あっと切りぬいて、
とりあえずここに挟んでおいたらしい。すっかり忘れていた。

その文末には、こう書いてある。

《私は、『細雪』が、美しい姉妹が着物を着たり、
美味しいものを食べたりして遊んでいるだけの小説だというのが、好きである。
だが『細雪』をそれ以上の小説だと考えるのも、好きなのである。》

わたしはというと、何も考えずに、ただ綿々と読んで、
それだけで、たのしくてたのしくてしょうがなかったのだった。



10年前に『細雪』を読んだときには
まったく気にも止めなかった芝居見物に関する記述が、
今回はもっとも注目した部分で、やっぱり日頃歌舞伎を垣間見ていると、
近代日本文学を読むたのしみが格段に増す。ちょっと得した気分だった。

『細雪』で関西の風土を礼賛しているというのに、
芝居のこととなると、東京ッ子の最たるもの、菊五郎の名前ばかりが登場する。
根っからの関西人の芝居好きの姉妹がたのしみに見物に出かけるのは、
いつだって東京ッ子・菊五郎の芝居なのだ。

震災で関西に移住して上方風土をいくら礼賛しても、
谷崎は芝居となると、菊五郎から離れられなかったのだった。

このことが、なんだかひどく微笑ましかった。

で、谷崎の芝居に関する文章を読んでみようと、
これまたひさびさに『谷崎潤一郎随筆集』(岩波文庫)をめくった。
「私の見た大阪及び大阪人」と「いわゆる痴呆の芸術について」における
歯に衣着せぬ断定口調に大笑いし、『つゆのあとさき』と『門』を評した文章では、
もう一度これらの小説を読んでみようかしらと思わせるところ多々ありだった。

谷崎の随筆がおかしいあまりに、図書館で全集の随筆の巻を借りてきた。

昭和2年に雑誌「改造」に連載された『饒舌録』に、
菊五郎に対する偏愛、共感を綿々と述べた箇所があって、ここに以下のような箇所があった。

《菊五郎の芸風は、小説家にしたら何処か里見とん君に似ていないだろうか。
「まごころ」を振り廻さないところは、前者の方が垢抜けがしているが、
聡明なところ、熱っぽいところ、すっきりとして鋭利なところ、
男性的でありながら線が細くて気の届くところ、
そしてときどき自分の実力を恃む余り、穿き違えて脱線するところ。
小説家にも女形になれる人となれない人、踊りのある人とない人がいる。
里見君は女形になれる人で、且踊りのある人である、と云うような気がする。》

里見とん好きとしては、嬉しくて嬉しくてしょうがないくだりだった。
戸板康二の本を通して遠く憧れる六代目菊五郎と、
日頃たまに読んではクラクラッと幻惑されっぱなしの里見とん、
そのちょっと取っつきにくいところさえもとても愛おしい。

好きな書き手によって自分の好きなものが
別の自分の好きなものに思いがけなく類推されている、こんなに嬉しいことはない。

なかなか言葉で言い表せない里見とん読みの歓びを
スパッと谷崎が言葉にしれくれているのを見つけたのも、
『細雪』の余波とも言うべきもの。何も考えずに本をペラペラめくるのも楽しい。



『細雪』の余韻にいつまでもひたるべく、
ほんの気紛れに谷崎の随筆集をめくってみたら、ずいぶんおもしろい。

そういうわけで、いつまでもボーッと谷崎の余韻にひたっていた折、
近日、代官山のユトレヒトで佐野繁次郎展が開催されることを知った。

2年前の夏に、初めて「sumus」を手にし、そのとき初めて、林哲夫さんの文章で、
花森安治へ多大な影響を与えた人物として佐野繁次郎の名前をくっきり心に刻んだ。

以来、たまにひょいと佐野繁次郎にぶつかることとなった。

祖母の家で発見して外観が好きで持ち帰った本、
昭和17年発行の『すまひといふく』という本が佐野の装幀だったり、
戸板康二がきっかけで思いっきり魅了されたタウン誌「銀座百点」の
初代の表紙が佐野繁次郎の担当だと知って「ワオ!」とまたまた佐野に再会したあと、
戸板康二がきっかけで魅了されたことの数々のことを手繰り寄せてみると、
いつのまにか車谷弘という人物にぶつかり、
実は彼が「銀座百点」のかもし出す趣味性の具現者であったことを知った。

そんなある種の趣味性をたどっていくと
久保田万太郎がそのキーパースンだということにも気がついた。
そして、もう一度、そもそものはじまり
戸板康二の方へと戻っていくというあんばい。

……という感じに、全然まとまってないけれども、
佐野繁次郎のことを知ってドキドキしてから2年の年月がたったのだが、
自分自身のことを振り返ると、佐野の名前は知っているものの、
「銀座百点」とか車谷弘のことばかりに目が行ってしまって、
佐野の絵やデザインをそもそもわたしは好きなのか、
それともちょっと抵抗を感じるのか自分でも実はまだよくわからないし、
そもそも佐野繁次郎のことをまだよく知らないような気がする。

なので、今度の展覧会で、佐野繁次郎にあらためて対面できるというわけで、
とてもたのしみだ。……と言いつつ、行き損ねないように気をつけねば。



と、谷崎にひたっているところで飛び込んできた佐野繁次郎の名前、
そこでひょいと思い出したことがあった。

何ヶ月か前の、土曜日の昼下がりの神保町でのこと。
とある古本屋さんで、本を見ていると、初老の男性が店員さんに相談している。

谷崎の本で変型サイズのちょいと大きめの本、
装幀が赤と青の2種類あって、中身はまったく一緒で外観の色だけ違うらしい。
ハテどっちを買ったものやらと思い悩むあまりに店員さんに相談している。

それにしてもどうして色が2種類なんでしょうねえとお客さんは言い、
店員さんは、うーん、それは佐野繁次郎が……、
とここまでのやりとりが、近くの棚を眺めていたわたしの耳に入って、
フムあの本は佐野繁次郎の装幀なのかと、チラリと様子を伺った次第だった。
わたしがお店を出る頃もまだお悩みのお客さん、彼は結局どっちを選んだのか。

以上のことをひょいと思い出して、谷崎潤一郎の佐野繁次郎装幀本、
書名はなんだろう? とちょっと気になった。

と、こんなとき便利なのが、神奈川県立近代文学館検索ページ
装幀者・挿絵画家でも検索ができるのだ。谷崎潤一郎と佐野繁次郎で検索してみると、
佐野繁次郎装幀本の書名はすぐに判明、『初昔 きのふけふ』、
創元社昭和17年発行で、翌年簡易版が出ている。

と、書名が判明したところでわたしはとても驚いた。

串田孫一の敗戦下の日記と書簡を収めた、『日記』(実業の日本社、1985年)に、
収録されていた串田孫一宛のお手紙で、戸板康二がある日買った本として、
谷崎の『初昔 きのふけふ』の書名が登場していたのを鮮やかに覚えていたから。
そして、串田孫一と戸板康二の交流ぶりに大感激のあまり、
怒濤の勢いで抜き書きファイルを作成したばかりのときだったから(>> click)。

それにしても、谷崎にひたったところで佐野のことを思い出し、
そこで思いついた本が、深く深く胸に刻んだ串田孫一『日記』に、
戸板康二の買った本として名前が挙がっていた1冊だなんて!
なんていう奇縁! と、こうなってはいてもたってもいられない。
何ヶ月か前の土曜日の昼下がりに入った神保町の古本屋さんには、
まだ谷崎の『初昔 きのふけふ』はあるのかな、と
大急ぎで神保町に寄り道したのは、先週の木曜日のこと。

東京堂が定休の木曜日に神保町に行くのはちょいと味気ないが、
そんなことは言っていられないッと、くだんの古本屋さんに行ってみると、
谷崎潤一郎『初昔 きのふけふ』(創元社、昭和17年)、青い本が棚にあった。

本当になんていうめぐりあわせだろうと2000円でその本を買って、
神保町に行く度に必ず足を踏み入れてはつい散財してしまう書肆アクセスに行った。
東京堂が休みなので、せめて 書肆アクセスに出でてみん、
「こつう豆本」をひさしぶりに買おうかなと、店内に足を踏み入れたのだった。

そこで目にとまったのが、林哲夫著『古本スケッチ帳』(青弓社、2002年)。
前著の『古本デッサン帳』は本屋さんで見つけてすぐに買ったのだけれども、
『スケッチ帳』の方は買い損ねていた。ふと立ち読みしてみると、
くだんの「sumus」で読んだ佐野繁次郎に関する文章が収録されている。
『初昔 きのふけふ』の勢いに乗って、即購入。

で、ちょいと喫茶店に寄り道して、『古本スケッチ帳』をめくってみると、
『渡辺一夫敗戦日記』(博文館、1995年)についての文章があるので、さらにびっくりだった。
(「書評のメルマガ」が初出。)

上記の串田孫一『日記』にて、渡辺一夫の手紙で垣間見る、
串田孫一と渡辺一夫の師弟の気持ちのよい間柄が実に美しいあまり、
日頃から気になっていた敗戦下の文人の日記として、
あらたに串田孫一の日記を知ったよろこびと同時に、
昔ちょいと読んでそれっきりになっていた渡辺一夫が気になったまなしだったから。

敗戦下の文人の日記の系譜、だなんて思っていたら、
当の渡辺一夫の日記が当の串田孫一らによる編集で出版されていたなんて!
そのことを佐野繁次郎を教えてもらった林哲夫さんの本で初めて知るなんて!

これは東京堂が休みじゃなかったら、『渡辺一夫敗戦日記』買いに走ってしまっていたところ。

興奮覚めやらぬという感じに帰宅して、メイルを開いてみたら、
『渡辺一夫敗戦日記』に関するメイルが届いていて、再びびっくりだった。

木曜日の夜は夜更かしして、谷崎の『初昔 きのふけふ』の「初昔」をじっくり読んだ。

このまま男やもめになって静かに暮らそうかと、
谷崎がその生活について綿々と思いを馳せる描写が実にきれいで、
そこに添えられる佐野繁次郎の大阪家屋を描いた挿絵とともに読む時間は、
それはそれは至福だった。松子夫人との描写になると、
あちこちに『細雪』の素材を散見できて、『細雪』追体験という面が大いにあって、
『細雪』10年ぶりの再読を機に、谷崎モードとなった身としてはなんとも嬉しいことだった。





  

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