日日雑記 April 2003

07 シブい本、走れ!映画、万太郎俳句を愛好する小津安二郎

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4月7日月曜日/シブい本、走れ!映画、万太郎俳句を愛好する小津安二郎

戸板康二ダイジェストを更新しました。(#015)



年が明けてから何度か京橋のフィルムセンターに寄り道して映画を見ている。

フィルムセンターに寄り道するのはたいていいつも平日で、
丸ノ内方面から鍛冶橋通りを直進というコースが多い。
その途中パン屋さんでパンを買うのが毎回のおたのしみ。

鍛冶橋通りと聞いていつも思い出すのは、戸板康二の『午後六時十五分』[*] 所収の
「一円八十六銭」というタイトルの、百聞先生との思い出を綴った文章のこと。

戸板康二は昭和14年に明治製菓に入社、PR 誌「スヰート」の編集に携わることで、
さまざまな文人・画人と交流することとなった。内田百聞はその代表的なひとり。

その「一円八十六銭」に以下のような一節がある。

《そのころ百聞先生は、日本郵船の嘱託で、
東京駅前の本社のビルの立派な個室のあるじであった。
ぼくは、電話をいただくと、京橋から原稿を頂戴するため、
鍛冶橋を渡り、歩いて郵船まで行った。》

というわけで、わたしのフィルムセンター寄り道コースは、
戸板康二が内田百聞の原稿を受け取るために歩いたコースのちょうど逆なのだ。

京橋にはしばらく前まで明治製菓の本社があったけれども、
去年移転してしまって、今は跡形もない。
明治製菓の一階にあった喫茶コーナーで一服という、
戸板康二散歩コースを練って幾年月だったのだけれども、
実行に移すことなく終わってしまって、残念無念。

ところで、上の戸板康二の文章のタイトル「一円八十六銭」というのは、
物資が心細くなってきたときに「ついでにバターを持ってきてください」と電話があって、
百聞の前にバターを置くと「いくらですか」と毎回聞かれた戸板康二、
記憶にあるのはなぜか「一円八十六銭」という数字だったというのが由来。

《先生は、デスクの右の三つの抽斗を、順々にあけて、
一円と五十銭と十銭と五銭と一銭を、きちんとならべて、「ありがとう」といわれる。
一円と五十銭と十銭と五銭と一銭以下の少額貨幣とが、
三つの抽斗に、わけて収納されていたのである。
その後、先生に、すべてのものを直角に置かなければ
気がすまないというふうな潔癖があると知り、
にこりともせずに、三つの抽斗からバターの代金を出された時の印象が、甦ってきた。》

というわけで、全体を読み通すと、「一円八十六銭」というタイトルが実に利いている。

おっと、前置きが長くなってしまった。戸板康二と百聞先生に思いを馳せつつ、

走れ!映画に先月の映画館お出かけメモを。



先日、図書館で『里見とん全集』の端本を借りて、この頃寝る前に少しずつ読んでいる。

今回借りたのは第8巻、久保田万太郎が劇化した『鶴亀』が目当てだった。

まっさきに読んだ『鶴亀』、いつもの里見とん読みの典型の幸福な時間で、
実に粋で素敵で、全体を読みとおすと、『鶴亀』というタイトルがとても利いている。

巻末に著者あとがきがある。こういう文章を読むのが全集の醍醐味だ。
「はっ」と目にとまったのが、この巻所収の短篇『やぶれ太鼓』のところ、
里見とんは、自作についてこんなふうに紹介していたのだった。

《『週刊朝日』には「三平の一生」とし、後に改題した。
一時、友達としてつきあった或る幇間の、あまり手を加へない直伝だ。
小津安二郎が、出征中、中国の、民家の宿営に、
前夜まで居た兵隊が置いて行った雑誌でこの作を読んだといふ話。
なにかしら二人ともいやに感激した。》

と、この一節が妙に心に残って、しばし、久しぶりに、
かねてからの愛読書、『全日記小津安二郎』(フィルムアート社)を繰ることとなった。

当初は、小津の出征中の日記に当のくだりがあるかも、と思ってめくったのだったが、
結局は、昭和10年近辺の日記に、心が躍りまくりで、そこばかり何度も読み返していた。

小津は六代目菊五郎の記録映画『鏡獅子』を撮る仕事をしているので、
菊五郎の名前が日記にも何度も登場していたりする。
それから、小津自身も歌舞伎座の立見席で観劇したり、銀座で外食したりと、
あっさりした日記の記述にひそむ数々の固有名詞は、
まさしく「町ッ子」小津安二郎という感じ、なんともまあ、かっこいい。
1930年の東京の姿と、そこを闊歩するかっこいい小津安二郎、
ヴィヴィッドに日記から伺えて、そんなこんなで心が躍りまくりなのだった。

それから、今回ひさしぶりに読み返してみて、思いがけなく嬉しかったことがある。

モダン都市東京を闊歩する1930年代の小津安二郎、
その合間合間に、久保田万太郎の俳句が何度か登場しているのだ。
その行間には、上機嫌に万太郎俳句を反芻している小津の姿がみてとれる。

小津もかなりの俳句好きの様子、何度も俳句をひねって、
日記に書き残しているのだが、昭和10年3月1日のところに、

《▲ 梅咲くや銭湯がへりの月あかり
久保田万太郎に
▲ なつかしや汐干がへりの月あかり
の句あり、模して一句作るに及ばざること遠し》

なんて書いてあるのだ。万太郎俳句のかなりの愛好者というのが如実に伺える。
この先も何度か、万太郎俳句を書き留めている箇所があった。

とまあ、それだけのことなのだけれども、
久保田万太郎の愛読者でもあり小津安二郎のファンでもある身としては、
こんなに嬉しいことはなかった。

上に抜き書きした「汐干」の句を、『久保田万太郎全句集』で確認してみたら、

正確には、

な つ か し や 汐 干 も ど り の 月 あ か り

となっていて、間違って暗誦してしまっているところが、さらに微笑ましい。
間違って覚えてしまっているところが、なおのこと、万太郎俳句の愛好者っぽい。
何度も心のなかで反芻しているうちに、ちょいと変容してしまったに違いない。

車谷弘の本にあった、辻嘉一が間違って京都弁で
とある万太郎俳句を覚えてしまっていたというエピソードを思い出して、クスクス。

ところで、川本三郎さんの『銀幕の東京』(中公文庫)にも、似たくだりがある。

それは、川本さんが小津安二郎の日記を読んで、
小津がかなり荷風に熱中していた証拠を押さえるという箇所。

川本さんも「荷風と小津の両方が好きな人間としてこんなに嬉しいことはない」と書いている。

ここでは、小津の『断腸亭日乗』読みの影響が『東京物語』のロケ地という形で
現在にも残っているのだから、嬉しさもひとしおだと思う。

それにしても、小津の万太郎俳句愛好、こんなに嬉しいことはない、の一言だった。





  

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