日日雑記 September 2002

02 更新メモ、芝居見物のあとさき:築地小劇場と浅草の切山椒
07 国立劇場文楽見物記:近松の『心中天網島』
10 家族会議、円朝あれこれ、神保町ショッピング
11 京須偕充さんの『圓生の録音室』
23 名月とソバの会、千葉市美術館の鈴木春信展のこと

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9月2日月曜日/更新メモ、芝居見物のあとさき:築地小劇場と浅草の切山椒

更新メモ:嬉しい街かど、整理整頓。

またもや放置したまま1年が経過してしまい、今回のところは、
日日雑記にリンクするという苦肉の策で急場しのぎ。すみません。



昨日日曜日は歌舞伎座、昼の部の見物へ行った。

めずらしく早起きに成功したので、張り切ってかなり早めに外出、
前々から行ってみたい場所と歩いてみたい道すじがあって、
ぜひとも歌舞伎の昼の部のときに実行に移したいとずっと思っていた。
休日の早起きが苦手なため、なかなか実行できなかったのだけれども、
昨日晴れて実現、ああ、悲願達成。と、朝ッぱらからはしゃぎまくりだった。

戸板康二のエッセイ集、『ハンカチの鼠』[*] に「銀座の書割」という文章がある。
創刊まなしの「銀座百点」昭和30年7月号に掲載された文章。
(その次の月、久保田万太郎、池田弥三郎との「演劇合評会」が始まる。)
変遷と現在とが交錯した舞台装置に見立てた銀座のこと、
演劇を本職にしていた戸板康二ならではの洒落た語り口、
「銀座百点」の誌面にいかにも似つかわしい、名エッセイだと思う。

この「銀座の書割」のなかに、つぎのような一節がある。

《戦争後、ぼくが銀座へ出る用事の中には、
たとえば、難波橋の近くの暮しの手帖へ行くとか、
文芸春秋社の地下室へゆくとか、そういうたぐいの用事もあるわけで、
劇場への往き帰りの数からは、築地小劇場の分が減ったままなのが、さびしい気がする。
何といっても、築地のあの小屋の前から一度屈折して、祝橋と朝日橋を通って
松屋の横へ出る新劇がえりのコースは、格別な味があったのだ。》

それから、『女優のいる食卓』[*] には「芝居のかえり」という文章があって、
ここにも、築地小劇場からの「新劇がえりのコース」のことが登場している。

《疲れているからすぐ車を拾って帰ることもあるが、
もし調子がよかったら、ぼくは道をえらび、そういう劇場・ホールのかえりには、
しばらく暗いところを通ってみるようにしている。
それは、築地に小劇場があって、そこでしか新劇が見られなかった時代、
芝居のあとで、新富町のほうから渋谷へゆく電車が通っている車道に出、
ひとうねりして、築地川にかかった橋を渡り歌舞伎座の裏から松屋の横へ出た
あの道の当時の暗さを思い出させもする。》

「観劇後、頭を占めていた幕切れの興奮が、暗いところを歩いてゆくあいだに、
いつの間にか沈澱する」という芝居のかえり道の感覚は、
今年4月に観世能楽堂で『杜若』を見た帰り道にしみじみ味わった幸福感だった。
あと、1月に信濃町の文学座アトリエで見た『大寺学校』のときも。

……というわけで、戸板康二の文章に刺激されて、
前々から行ってみたいと思っていたのが築地小劇場の跡地、
歩いてみたいなあと思っていた道すじが築地小劇場から祝橋、
松屋通りを通って、歌舞伎座の裏手に至るコースで、
昨日は、歌舞伎座にゆく前、ちょっと遠回りをして築地で下車した次第。

■ 名所・旧跡 築地小劇場跡中央区観光協会より)

地下鉄の駅から出て、休日の朝ならではの閑散とした道路を横断して、
NTT データ通信のビルの脇に、築地小劇場跡のプレートがあった。
築地小劇場の建物は東京大空襲で焼失してそれっきりになったという。
新劇史に関してあれこれ気まぐれに書物を繰るのに夢中だった今年の夏だったので、
なにかと胸がいっぱい、ふつふつと嬉しかった。
戸板康二の生きていた東京に思いを馳せる時間はいつもながら格別だ。

さて、ここから先、上記の戸板康二の文章にある通り、
小屋の前から一度屈折して、祝橋と朝日橋を通って
歌舞伎座の裏手に至るコースをたどってみましょう、
……と言いたいところなのだったが、昨日は実は他にも行きたいところがあった。

前々から行ってみたいと思っていた築地小劇場の跡地は昨日実現、
歩いてみたいなあと思っていた道すじの方は、またの機会ということに。

昨日は、新劇がえりコースの逆の方向、中央区区役所にある京橋図書館に行った。
築地小劇場跡地の通りから右に曲がると、ふいにタリーズがあったので、
思わず吸い込まれるように中に入った。観劇前のエスプレッソがおいしい。

で、京橋図書館、期待通りになかなかいい感じ。さっそく利用者登録をした。
歌舞伎の棚に行ってみると、ふつうの図書館にはないような、
たとえば国立劇場の刊行物が並んでいたりもして、なかなかの充実度。土地柄を反映している。

そして、大興奮だったのが、地下2階の地域資料室。
ガラス戸の向こうの、特に日本橋、銀座コーナー、これはぜひとも読みたいッ、
いや眺めるだけでも楽しいッ、という素敵な並び、係員の方も感じがよい。

持ち帰った「中央区文化・国際交流新興協会だより」には、
「銀座の歴史3 カフェーと文士」なる、いかにもな読み物もあり、
開店当時のパウリスタに関して、久保田万太郎は、
東京の学生に清新な「珈琲店」というものをはっきり教えてくれたと回想していたとのこと。
小山内薫は友達とカフェに入るのも好きだが、一人で見知らぬ客に囲まれて
コーヒーを飲むのも好きだと書いていて、素敵な文章だった。チェーホフを思い出した。

部屋に帰って、パウリスタという名の喫茶店(こちらは昭和45年再開とのこと)に
以前行ったとき折に持ち帰ったチラシを見つけた。珍しく物持ちがいい。

そこでも万太郎が引用されていて、

《西六丁目にあたる横丁の時事新報社のまえ……ということは
いまの交詢社の前ッ側に、「カフェ・パウリスタ」という珈琲店があった。
ブラジル生産の珈琲を宣伝するためにできた店だったが、
われわれは、開店当初から、この店を愛用した。
すなわち、われわれの銀座にでるということは、
その店で、三十分でも、一時間でも時間をつぶすことだった。》

と、書いていたそう。このあたりの文章はまだ未読なので、
将来の万太郎読みのたのしみがひろがる思い。

昨日は、歌舞伎座開演の午前11時間際まで、図書館にこもり、
思わず本まで借りてしまって、もうリピーター決定。

というわけで、開演前、大急ぎで歌舞伎座へ、日傘片手に息も絶え絶え、
と、結局は、あまり優雅とは言えない観劇前のひとときになってしまった。



吉右衛門の『牡丹燈籠』を観て、外に出てみると、パッと直射日光が眩しくて、クラクラ。
2年前だったか3年前だったか、芝翫の一世一代の『娘道成寺』が楽しみなあまり、
9月の歌舞伎座に思わず初日に行ったことがあった。
あの日はえらく暑い日だった。あのときのことをちょっと思い出した。

奥村書店で築地小劇場に関する文献を立ち読みしたあと、
銀座で友人と待ち合わせて、銀座線に揺られてひさしぶりに浅草に行った。

浅草はいつも遊園地気分で行っている。
去年の11月の平成中村座見物の折の浅草散歩がとてもたのしかった。
ちくま文庫から小沢昭一の『ぼくの浅草案内』が出たばかりでタイミングもよかった。
そして、去年年末からの久保田万太郎耽溺があるので、ますます観光が楽しくなった。

パサージュのキッチュ空間はそれだけで非日常の祝祭モード。
くねくねと浅草の書割をめぐって、珈琲を飲んで、浅草寺に戻ってきて、
ソバ屋へ行こうと、仲見世をまっすぐに歩いて行った折に、
通りがかりのお菓子屋さんのウィンドウで、切山椒を見つけた。
思わずパッと買ってしまった。

酉の市に売り出されるという切山椒、わたしは一度も食べたことがなかった。
このところ、切山椒のことが気になって気になって仕方がなかった。

と、切山椒のことが気になりだしたのは、またもや久保田万太郎がきっかけ。

先月下旬のとある休日の午後、西荻窪&荻窪の古本屋めぐりを敢行した。
当初の予定は、野上弥生子の『森』(新潮文庫)探索ツアーだった。
『森』は西荻の音羽館であっさり発見、わーいわーいと荻窪に移動し、
しょうこりもなく古本屋めぐりはまだ続き、
ささま書店にて、龍岡晋の『切山椒』という本を発見。パッと買った。
戸板康二の『万太郎俳句評釈』[*] で知った本で
三田文学ライブラリー発行の私家版、戸板康二が後記を書いている。

『万太郎俳句評釈』の「梅咲くや小さんといへば三代目」の項で、
「春燈」の同人で文学座の俳優の古老、龍岡晋が登場する。
下町生れの龍岡晋は、万太郎の深い理解者、三田文学ライブラリー発行の『切山椒』は、
龍岡晋が「春燈」で連載した「龍岡と万太郎がどんな会話をしたかを、
直接話法で書いた記事」をまとめたもので、《久保田万太郎作品用語解》という
龍岡による用語集が付せられていて、万太郎ファンとしてはなんとも嬉しい1冊なのだ。

戸板さんによると、

《「切山椒」を見ると、問答の中に、落語が随所に引例されたり、
形容に用いられたりしている。いかにも明治の東京っ子の会話である。
龍岡の万太郎戯曲の本読みも、万太郎が納得するだろうと思わせる名調子だった。》

直接話法というところが、戸板康二の『折口信夫坐談』[*] に似た感覚。
一気に大のお気に入りの本となって、寝る前にペラペラ読み返している。

『万太郎俳句評釈』に載っているエピソード、
無愛想だった龍岡は、劇団の受付にいても応対がきわめてぶっきらぼうだった、
これを脇で見ていた万太郎が見兼ねて「もうちょっと愛想よくしなさい」と
言ったら、龍岡が「先生だって、愛想がいいわけじゃありませんよ」とやり返して、
これをまたまた脇で見ていた戸板さん、大変おかしかった、と懐かしそうに書いている。

このエピソードは、「ちょっといい話」にも結実していて、
『最後のちょっといい話』[*] にてこんな感じに披露されている。

《久保田万太郎は、愛嬌をふりまくというような人では、なかった。
あまり深く知らない相手と会っている時なぞ、ことに無口だった。
この作家は文学座の幹事の一人で、その劇団にいる古参の俳優、
龍岡晋とは、最も親しかった。その龍岡も、無口で、無表情な役者だった。
龍岡晋が久保田万太郎と二人だけで、いろいろな話をうれしそうに
している問答が『切山椒』という遺著にのってるが、人見知りをする二人が、
二人だけでいると、こうまで面白い会話をしたかと思う。
読んでいたら、ある日久保田が劇団の事務所にいると、
前売の券を買いに来たファンがいたが、龍岡が何ともぶっきらぼうに
応対していたので、その人が帰ると、久保田が叱った話が出ている。
「とにかく、仮にもお客なんだから、もっと愛想よく物をいいなさい」
「はい」といったあと、龍岡がいった。「これから気をつけます。
でも、先生のような人に、そうおっしゃられても困ります」》

龍岡晋の『切山椒』はまさしく、二人だけでしていた、こうまで面白い会話の集積。

書き留めてくれた龍岡晋のことを思うと胸がいっぱい、かつての文学座の空気が愛おしい。

さてさて、古い日本映画を見るたのしみは、
戸板さんの本でおなじみの役者を見ることができることにもある。
日本映画データベースで調べたら、龍岡晋の出演映画は結構あり、
おっ、成瀬巳喜男の『流れる』でチョイ役で出ていたが、うーん、
『流れる』はスクリーンで三回見たけど、残念ながら記憶になかった。
5月に横浜の映画館で見た、万太郎脚本監修、文学座総出演の『にごりえ』では、
「大つごもり」のヒロインおみねの奉公先の主人役だったそうだ。
その奥さんの長岡輝子は強烈だったけど、龍岡晋は残念ながら記憶にない。
なにはともあれ、またいつか。映画館行きのたのしみが増えた。

と、そんなこんなで、久保田万太郎ファンとしては、なんとも嬉しい買い物であった。

嬉しいあまりに、『切山椒』という単語がいつまでも頭のなかから離れず、
後記に戸板康二が書いていたこと、「量がすくないが、香りと味のいい切山椒は、
この龍岡さんの文章、中に出てくる先生の雰囲気を伝える、うまい題名であった」
というのがいつまでも心に残って、今年は酉の市に行って、切山椒を買おうと心に決めた。

……などなど、切山椒が気になり出したきっかけを書こうとして、脱線してしまった。

ソバ屋へ向かう途中の仲見世で買った切山椒、昨日家に帰って、緑茶と一緒にひとつだけ食べた。

感覚としてはちょっと大きめの求肥、口に入れると甘いが、
しばらくすると山椒の味がピリリとする、という感じで、
お菓子というよりは、お茶うけとして食べるのがよいかもしれない。
味覚そのものを味わうというよりは、情趣を味わうというべきか……。

『久保田万太郎全句集』(中央公論社)を繰ってみると、

ふ り し き る 雪 の あ か る さ 切 山 椒

わ か く さ の い ろ も 添 へ た り 切 山 椒

鐵 瓶 は し づ か に た ぎ る 切 山 椒

「切山椒」は正月用の餅菓子、昨日は思わず先走ってしまったけれども、
またお正月にお茶と一緒に食べたいなと思った。

『久保田万太郎全句集』をさらに繰っていたら、

震 災 忌 向 き あ う て 蕎 麦 啜 り け り

というのがあって、まあ!

それから、久保田万太郎が脚本監修した映画、
6月に阿佐ヶ谷で見た『渡り鳥いつ帰る』の名前も発見。

映画 "渡り鳥いつ帰る"
葛 西 橋 い つ 春 去 り し 眺 め か な

昨日は、ずっと楽しみだった吉右衛門の『牡丹燈籠』を観て、
そのあとさきにも大はしゃぎの町あるき、
朝から晩まで浮かれまくっていた一日だった。そこかしこに万太郎がいた。





  

9月7日土曜日/国立劇場文楽見物記:近松の『心中天網島』

阿佐ヶ谷の映画館で、篠田正浩監督の『心中天網島』が上映、
いよいよ週末は国立劇場の文楽公演にて『心中天網島』の上演が始まる、
というわけで、今週は、またとない絶好の「心中天網島」週間だった。

いつもは、特に準備をすることなく観覧日を迎えてしまうことの方が
ずっと多いのだけれども、映画と文楽とで立続けに『心中天網島』に接する奇縁、
これはもう、じっくり近松の浄瑠璃にひたるしかないッ、
と、映画を見る前に、岩波の古典文学大系の『近松浄瑠璃集』を開いて、
夜寝る前にじっくりと読みふけって、読みふけったあとも夜な夜な読み返し、
映画を観たあとは、廣末保著『心中天網島』(岩波同時代ライブラリー)を熟読、
そのあいまに、富岡多恵子著『近松浄瑠璃私考』(ちくま文庫)や、
「名残の橋づくし」のことが織込まれてある、須賀敦子著『地図のない道』所収の「橋」、
といった、かねてからの愛読書を読み返したり、などなど
この一週間はずっと、『心中天網島』のことばかり考えていた。

篠田正浩の映画のことは、戸板康二の文章でたびたび目にしていた。
創元社の「名作歌舞伎全集」の解説では「独自の手法で映画化し成功している」
というふうに書いている。これを目にして以来、これは観ねばなるまいと思い、
その後、度々映画館で観る機会はめぐってきたのだったが、
その度になんとなく気後れしてしまっていたのだった。なぜだろう。

先月、野上弥生子の『森』(新潮文庫)探索ツアーを決行したときのこと
(今おもえば、あの日はなかなかよい買い物をした日だった)、
西荻のとあるお店で、アートシアターの映画プログラム『心中天網島』を発見、
「もしや」と思って中を開いてみると、期待通りに戸板康二の文章が載っているッ、
富岡多恵子が参加しているシナリオも全文収録されている、
ふだんはめったに買わない映画パンフレットを思わず買ってしまう運びとなった。

前々から、阿佐ヶ谷で『心中天網島』が上映されることは知っていたけれども、
パンフレットに出会わなければ、今回も気後れして観に行かなかった可能性が高い。

そんなこんなで、わたしにとっては、やはり奇縁だった。
そして、映画と文楽のダブル観劇のおかげで、かなり気合を入れて、
近松による本文にどっぷりとつかることになったわけで、
これがもう、言葉では言い表せない至福のというか、濃密な時間だった。

と、まず、篠田正浩監督の『心中天網島』については、

走れ!映画に、少々。



さてさて、今日は国立劇場の文楽初日、『心中天網島』見物の日。

観劇前の昼下がり、銀座でわーいとお買い物関係の所用があったので、
ひさしぶりに、バスにのって、国立劇場に向かうこととなった。
この晴海―四谷間の路線も、お気に入りの都バスのひとつ。
銀座4丁目から日比谷、桜田門、三宅坂に至る。
とりわけ、警視庁前から三宅坂、国会議事堂を正面に、
皇居のお堀を右手に広い道路をなだらかにカーヴする瞬間が好きだ。

今回で文楽見物は何度目になるのか、ちょっとよくわからぬけれども、
前述のように、映画と文楽のダブル観劇という、またとない機会だったので、
この一週間というもの、どっぷりと『心中天網島』の近松による文章にひたっていた。
事前に本文にここまでひたっていたのは初めてなので、
なんだかとても新鮮な感覚で、こんな感覚で文楽見物に臨むのは不思議な感覚。
はじめて、文楽を見に行くような心地がして、ドキドキした。

玉男が治兵衛、蓑助が小春、文雀がおさんという、見事な配役、
全編ピンと一分の隙もなく張り巡らされた劇世界、
その細部と全体とをバランスよく目の当たりにして、
その一筋縄ではいかないところを含めた、近松のよろこびを満喫した。

上巻:河庄、中巻:紙屋、下巻:大和屋、最後に道行、という展開。

全体を観ていてしみじみ感じたことは、それぞれの場の冒頭の情景描写の深み。
大夫の語りと三味線の響きを耳にしながら、しばしの間無人の舞台は続く、
観客は、しばらく舞台装置を目の当たりにしながら、耳をすませる時間が続く、
そのなんでもないような時間の至福を今回はとみに感じたことだった。

上巻と中巻は、二場に分かれていて、そのそれぞれの冒頭の情景、
いずれも初めの場はわりと賑やかで穏やかな、それぞれ廓と商人の日常世界で、
そして後半の場は、のちのシーンを彷彿とさせる重厚さがある。
下巻の大和屋の、真夜中の暗闇のなかでの大夫と三味線の響きなど特に胸が詰まった。

近松浄瑠璃の縁語や掛詞を駆使したリズミカルで、
「詞」「地」「色」「地色」と、よどみなく変化してゆく語りは
登場人物を絶えずあるひとつの状況へと追い込んでゆき、
彼らががんじがらめになってゆく、情け容赦のない疾走感が全編にただよう。
水が弧を描き中心に向かって流れるように登場人物は「心中」へと突き進む。

近松の文章をじっくり読みふけってとみに感じたことが、
そのカミソリのように突き進んでいく疾走感。

まるで、グールドのデビュウ盤、《ゴルドベルク変奏曲》のレコードを聴いているかのよう。

縁語や掛詞を駆使したリズミカルな語りを胸に反芻しながら、
浄瑠璃の本文を追ってゆく快楽、まずはそれ。その心のときめきは、
文楽を舞台を目の当たりにしながら、始終感じていたこと。

といっても、道行でのカットシーンなどなど、原曲と上演台本では異なる部分があり、
特に著しいのが、上巻の「河庄」。上演プログラムの内山美樹子さんの文章によると、
現在上演されている「河庄」は、近松半二らによる『心中紙屋治兵衛』の「茶屋の段」で、
文章は二割ほど書き替えられているそうで、戯曲として優れている方が残った、とのこと。

なので、その本文との違いを観察するのも楽しくて、
たとえば、近松の原文では、『国性爺合戦』が引用され、
それを引き継ぐかたちで、敵役の太兵衛は小春に李韜天呼ばわりされたりする、
そのくだりにクスクスしていたのだったが、現行台本ではそのくだりはない。
それから、太兵衛らは座敷に上がって、ホウキを三味線にみたてて、
治兵衛をののしる紙づくしのあくたいをつきつつ義太夫語りの真似事をするくだり、
そこは近松半二らによるもの、そのまま今まさに見ている文楽のパロディーみたいでクスクス。
冒頭からして廓ならではの艶っぽい三味線がたのしくて、
人物の登場がリズミカルで、ピンと糸が張っている感じ。
そのいろいろな観察をたのしめたのは、近松の本文を読んでいた賜物だった。

いつもながら端役もイキイキしているのが近松の戯曲で、
突き進んでゆく主人公たちの脇で、押しとどめようとする人々がいれば、
ところどころおかしみ漂わせる第三者もいる、そのニュアンスに酔った。
近松の世話物が描いているのは、いつだって「世間」そのものだ。

典型的な敵役の太兵衛もなかなか面白くて、こういう上方の旦那衆の典型的スタイル、
羽織を着て襟巻きをしているスタイルを見ると、
成瀬巳喜男の『芝居道』における古川緑波と志村喬や、
島津保次郎の『お琴と佐助』における「ぼんち」斉藤達雄、などなど、
歌舞伎や文楽はもちろん、映画における大阪の旦那衆をいろいろ類推。

「河庄」の後半の場、いよいよ玉男さんの治兵衛の出のところでは
えらくドキドキしてしまって、そしていざ出となると、ウキウキだった。

玉男さんの芸談を読むと、治兵衛の仕どころとは「出」だと再三にわたって語っている。
「魂抜けてとぼとぼうかうか身をこがす」のところの「出」のところ、
ちょっとだけ前へと突き進んでいるような、なんといったらいいのか、
出の動きが絶妙なニュアンスで、その言葉では説明できない「出」のニュアンスに惚れ惚れだった。

「河庄」の構造、内部で小春と孫右衛門が話し、それを立ち聞きする治兵衛という構造、
『忠臣蔵』の七段目とか『フィガロの結婚』の第二幕を彷彿とさせる、
登場人物の力学というか、構図が見事で、中をのぞこうとする治兵衛の動きを注視、
孫右衛門にウソの告白をするところで、キセルと簪を使った小春の所作と、
そのあとのクドキ風に流れるような動きになる箇所にうっとりで、
そのあと「治兵衛!」と気付く小春のリズミカルな動きなどなど、眼の歓びは尽きない。

孫右衛門と治兵衛が帰るところで、小春は赤い湯呑と急須(のようなもの)を持ち、
そこのちょっとした動きで、黒いきものの上に赤が絶妙に映える一瞬がある。
なんだか小津映画を見ているかのような、見事な瞬間で、
そんな感じのちょっとしたところで見とれてしまうところは至るところに潜んでいた。

『心中天の網島』全体を見通すと、おさんにとても惹かれるものがあって、
女房と女郎とが秘密の手紙を交わしていたという背景が、
典型的な「つっころばし」の治兵衛を両極でとらえる女ふたりの魅力を増している。

中巻の「紙屋」も見どころ満載で、文雀の女房おさんが実に素晴らしかった。
近松の名文、「女房の懐には鬼が住むか蛇が住むか」
「その涙が蜆川へ流れて小春の汲んで飲みやらふぞ」のくだりの、
人形のクドキと三味線と大夫の声とが融合した瞬間の見事なこと。

下巻の「大和屋」は前段と一転して、屋外のみの情景。
夜更けの寂寥感のなかでの、日常にいる人と心中に突き進む男女との対比、
その冷徹な世界観をじんわりじんわりと感じさせるドラマツルギーに唸る。
治兵衛が外に出てから、小春の登場までちょっと時間がかかる、
小春の出からは突き進むように「北か南か」と心中に突き進む、
本文を彩る様々な修辞を陶然となりつつも、ちょっと背筋が氷る瞬間でもあった。

そして、いよいよ「名残の橋づくし」となる。

いつもは道行になると、とたんに胸が躍って、三味線と大夫の合奏と
人形の動きとに、神々しいまでの何かを感じて、胸が詰まるのだったが、
今回は、二人の男女の行き場のなさ加減、残されるおさんのこと、などなど、
近松の作品にただよう、一筋縄ではいかぬところが心にズシリと響いて、
わたしにとっては、ただ酔うだけではない、重たい幕切れとなった。

近松は読めば読むほどおそろしい、ということが今回よくわかったような気がする。

と言いつつも、あちこちで惚れ惚れしたり、近松の本文の修辞に酔ったり、
一筋縄ではいかないところを含めた、近松のよろこびを噛みしめて、うーむと唸ったり、
いつもたのしい文楽見物だけど、さらに密度の濃い時間となって、
いつもより見物に深みが増したような気がしている。錯覚かもしれないけど。





  

9月10日火曜日/家族会議、円朝あれこれ、神保町ショッピング

更新メモ:戸板康二ダイジェスト、興奮のあまりつい更新。
昔の日本映画について。(#006)

上のファイルをアップしたあと、横光利一の『家族会議』を読んだ。
新聞の連載小説なのでスイスイと読みやすい。佐野繁次郎の挿絵が見たいッ。
限られた登場人物の恋愛を交えたもつれ具合がちょっとだけ歌舞伎っぽい。
東京と大阪の二大都市という舞台装置がよかった。
どうしても、島津保次郎の映画を反芻という要素の方がメインだったかも。
プライドの高い桑野通子が、佐分利信に結婚を断られて、悔しいあまりに
手に持っているグラスを割って血がしたたり、そこで大げさにジャーンと
クラシック音楽が流れるいうシーンが印象的だったが、それは原作通りだった。
それから映画では高杉早苗が演じた、忍さんのモダンガールぶりに惚れ惚れだった。
そんな感じの諸々のモダンガールの肖像が映画でも原作でもたのしかった。

平凡社の「モダン都市文学」というシリーズの二巻目に
『モダンガールの誘惑』というアンソロジーがある。
久生十蘭の『心理の谷』とか尾崎翠の『アップルパイの午後』とかが入っている。
この本の真似をして、個人的好みで、モダンガール列伝みたいのを作るとすると、
ぜひとも『家族会議』の忍さんを入れたいッ、と思った。あとはまだ探索中。



ここから先は、先週の日曜日の歌舞伎座昼の部見物にまつわるあれこれ、
ということで、今日は、円朝にまつわるあれこれについて。

三遊亭円朝の本を初めて読んだのは二年前の2000年、円朝没後100年の年。
きっかけは、没後100年に付随するさまざまなイヴェントに刺激を受けてのこと、
矢野誠一さんの『三遊亭圓朝の明治』(文春新書)がとても面白く
興味深く読んでモクモクと刺激を受け、絶好の「円朝への招待」となったところで、
早稲田大学演劇博物館の《三遊亭円朝とその時代》展を堪能、
それから、岩波の「文学増刊」の『円朝の世界』という本も面白かった。

以上の「円朝への招待」に接したあとで、初めて手にとった円朝本は、
ちくま文庫の『怪談牡丹燈籠・怪談乳房榎』。解説は安藤鶴夫。
まず、表紙の芝居絵、燈籠片手にカランコロンと立っているお露の絵が大好き、
先日、京橋図書館にて国立劇場所蔵芝居絵図録で探してみたところ、
この明治25年の『牡丹燈籠』初演時のとおんなじ絵を見ることができた。
ちくま文庫の表紙のお露はのちの六代目梅幸で、そのとなりには、
召使いお米(だったかな)と伴蔵の二役の五代目菊五郎の絵があって、
その五代目菊五郎の図は、京橋図書館で初めて目にしたもの。
芝居絵とともに演劇史的なことに思いを馳せる時間はいつも楽しい。

と、2年前、お露の芝居絵が表紙のちくま文庫をまず手にとり、
いったん読みはじめると、あまりに面白いのでもう夢中、一気読みだった。
『牡丹燈籠』『乳房榎』両方とも、快楽のあまり心がスウィングという感じだった。

岩波文庫では円朝は三冊出ている。『牡丹燈籠』『塩原多助一代記』『真景累ヶ淵』。
ちくま文庫のあとで、読みふけった円朝は、『塩原多助一代記』『真景累ヶ淵』。
それ以降は特に追いかけることはしなかったけれども、
展覧会を堪能したあとで、以上4つの円朝噺を読んで以来、
三遊亭円朝の名前はクッキリと心に刻まれ、なんとなく特別な存在となった。

なので以来、歌舞伎座でも『牡丹燈籠』を観たいなあとずっと思っていた。
それから、「圓生百席」のディスクもあこがれの存在。いつか欲しい。

円朝没後100年の2000年で初めて円朝を読んでメロメロになった2年後、
いよいよ2002年夏の歌舞伎座にて、8月は『乳房榎』、9月は『牡丹燈籠』が上演となった。
奇しくも、初めて手にとったちくま文庫とまったくおんなじ組み合わせとなった。

で、2年ぶりに、お露の錦絵が表紙のちくま文庫を手にとって、
歌舞伎座見物の準備にと、軽い気持ちで再読にいそしんだのだったが、
初めて読んだとき以上に心がスウィング、それにしてもむちゃくちゃ面白い。

それからというもの、歌舞伎座を前に、すっかり円朝に夢中で、
筑摩書房の「明治の文学」シリーズの円朝を大急ぎで買いに行ったり、
ラジオで流れた六代目圓生の『牡丹燈籠』に胸を躍らせたりと、
2002年夏の歌舞伎座、『乳房榎』『牡丹燈籠』連続上演は、
とにもかくにも大変嬉しいことで、思わずハイテンションになってしまうほどだった。

部屋の本棚の、今まで読んだ4冊の円朝の文庫本を眺めてみると、
ちくま文庫の解説は安藤鶴夫、岩波の方では、『牡丹燈籠』が奥野信太郎、
『真景累ヶ淵』が久保田万太郎、『塩原多助一代記』が正岡容が解説を書いている。

安藤鶴夫、奥野信太郎、久保田万太郎という並びはそのまま、
戸板康二の人物誌を眺めているようで胸はさらに躍る。自然と、円朝への思いもさらに増す。

正岡容の名前を知ったのは、『演芸画報・人物誌』[*] がきっかけだった。
ここで語られる正岡容がかっこよくて、一度読んだら忘れないものがあった。

《「演芸画報」の読物には、特異な性格のものがあった。
大正15年12月号とその次号にのった「オランダ鸚鵡石」は、
今見ても、ずいぶん新しい感覚を持っている。
この読物の傍題には、怪奇短篇大問屋となっているが、構想も文体も、
この頃の言葉でいうスーヴェル・ヴァーグのきらきらした新鮮味を持っていた。
筆者は、当時23歳の正岡容であった。「オランダ鸚鵡石」は、
たとえば、鷺坂伴内がオカル(片仮名で書いてある)に寄せる甘い恋慕を、
真白に咲いた梨の花の下でオカルのエンゲージ・リングを見て、
その指輪に「K」「H」と書いてあるので、早野夫人になるのを知って、
薄明りの中で伴内がくびれて死ぬ物語にしたてたものである。
いわば一種のへんちき論だが、その伴内がよく書けていて、才気煥発である。》

このくだりを目にしただけで、まあ、なんてかっこいいこと!
大正15年、昭和モダニズムの空気もなんとなくプーンと匂ってきそう。
と、一気に正岡容のことが気になってしまうのだが、
以前読んだ、桂文楽の『あばらかべっそん』の編者であったことにこのとき気付いた。
戸板康二は、正岡容とは面識なく終わってしまい、一度 NHK で見たっきりだったそう。
「その一度の印象からは、何か一種はげしい鋭気が感じられた」とのこと。

『百人の舞台俳優』[*] によると、小沢昭一は正岡容の家によく行っていたそうで、
そのあたりにも、小沢昭一のルーツというか才気のゆえんがひそんでいるような気がする。

というふうに、円朝の文庫本の解説を眺めてみると、
戸板康二でおなじみの人物誌、それから、「演芸画報」人物誌の正岡容、
というふうに、戸板康二の立ち位置みたいのがおのずと見えてきて、
円朝の魅惑と相まって、今後の円朝追跡の意欲がますます高まる。

ところで、今月の文春文庫の新刊で、『三遊亭圓朝の明治』の著者でもある、
矢野誠一さんの『落語長屋の四季の味』という、ハートに直撃の本が発売になった。
解説を書いているのは大村彦次郎さんなので、嬉しさ二倍。

その大村彦次郎さんの文章に、円朝の文庫本解説者の名前が登場、

《グルマンは多いが、落語にも精通し、こんな筆捌きができるのは、
いまどき矢野さんを措いて、余人には代え難いのである。
じゃあ、昔はいたかと、訊かれると、そう、安藤鶴夫や正岡容なら書けたかもしれないが、
それでも二人の口舌はアクがつよ過ぎて、それを嫌う人もいた。》

そのあと、『戸板康二の歳月』の著者でもある矢野誠一さんのことを、

《師筋の戸板康二の芸風を引き継いで、学があって、売り物にせず、
情味があって、ベタつかない。とにかく小ざっぱりとして、後味がいい。》

というふうに書く。「小説現代」の編集者として戸板康二と深い交流のあった、
大村彦次郎さんならではの、「戸板康二の芸風」というくだりが嬉しかった。

そういう「戸板康二の芸風」に夢中になっているのは言うまでもないのだが、
戸板康二より年上のアクの強すぎる人たち、久保田万太郎といったラインも、
わたしの本読みの中心にいるのだなあとしみじみ感じ入り、これまた嬉しくなる文章だった。

殿山泰司の『バカな役者め!!』の解説といい、今回といい、大村彦次郎の解説はとてもいい。



今日の夕方、神保町に寄り道した。

岩波ブックセンターで、矢野誠一さんの新刊『荷風の誤植』(青蛙房)を眺めて、
ずっと迷っていたけど、『落語長屋の四季の味』を読むと、ぜひとも読まねばッ、と思う。
本当は今日買いたかったのだけれども、今日はあまり時間がないので、後日にまわすことに。
こういう本は、時間があるときに、買ったその足で、喫茶店で読みたいと思うのだ。

なんとはなしに、足を踏み入れた、書肆アクセスで、
谷根千工房発行の、「谷根千文人シリーズ(2) 谷中の円朝」として、
『三遊亭円朝はわれら同郷人』というのを見つけて、発行は先月11日円朝忌。
このような本が出ていたなんて知らなかったわッ、とパッと手にとって購入、
と思ったら、「谷根千文人シリーズ (1) 知られざる一葉」として、
『樋口一葉歌集抄』というのがあって、こちらは2001年2月発行。
このような本が出ていたなんて! と、一葉と円朝、嬉しさ二倍のお買い物だった。
「谷根千文人シリーズ」次号はどのような特集なのだろう。たのしみたのしみ。

それから、地域雑誌「谷中・根津・千駄木」のバックナンバー案内を見ると、
第44号に《喫茶リリオムと松本竣介》なる特集があるので、ワオ! とさらに興奮。
書肆アクセスには在庫がなかったので、閉店間際の岩波ブックセンターへ走って、
当のバックナンバーを発見。わーいわーいと買った。
洲之内徹がここに行っていたら人生が変わっていたかもと書いていた喫茶リリオム。

と、今日の神保町では初めて、谷根千工房がらみのお買い物をしたのだった。

森まゆみさんといえば、平凡社の PR 誌「月刊百科」にて円朝散歩の連載をしていて、
入手に成功する月としない月があるので全部は読めていないけど、とても楽しみな連載。

帰りの電車では、『樋口一葉歌集抄』をペラペラめくって、
思いがけなく一葉にひたる夕べとなった。
一葉の和歌をきちんと見たのは今回がはじめて。
「通俗書簡文」を紹介した『かしこ一葉』のときもそうだったけれども、
森まゆみさんのおかげで、小説や日記だけでない、一葉を知ることができて、
ますます樋口一葉読みが楽しくなっているなあと思う。

昔から好きな本が、いろいろな刺激を受けて、ますます好きになる、そのことがとても嬉しい。





  

9月11日水曜日/京須偕充さんの『圓生の録音室』

矢野誠一さんの『落語長屋の四季の味』(文春文庫)で
得に印象的だった箇所のひとつが、圓生最後の高座のくだり。
昨日の帰り道、ふとそのことを思い出して、本屋さんに寄って、
京須偕充著『圓生の録音室』(中公文庫)を買った。

この文庫本は1999年に出ているのだけれども、
つい最近までその存在を知らなかった。もとは青蛙房より1987年に刊行。
以前、古本屋の演劇書コーナーで『芝居と寄席と』という本を見たとき、
著者名、京須偕充さんの名前を目にして、「あっ」と思った。
その珍しい名前、「圓生百席」の CD のライナーに
クレジットされていたのを鮮明に覚えていたのだ。
京須偕充さんはソニーの「圓生百席」のプロデューサー。

その京須偕充さんの『圓生の録音室』なる本が出ていたなんてッ、
この本のことを知ったのはつい最近のこと、人の家で眺めていた
何かの古雑誌の書評記事で、北村薫が紹介しているのを見て知った。
それにしても、京須偕充さんの『圓生の録音室』なる本が出ていたなんて!

……というような経緯で、昨夜の帰り道、中公文庫を買って、
部屋に帰って、ラジオのスイッチをひねって、NHK に合わせると、
ちょうど「名人寄席」が始まったところ。間に合ってよかったよかった。
昨夜の放送は、当の圓生による『怪談乳房榎』の後半部分だったのだ。
「おっ」と耳をすませると、そこは落合の蛍狩り、殺しのシーンで、
「四条の橋」を唄いつつほろ酔い気分で土手を歩く菱川重信、
そこのくだりが、圓生の唄声といい、語りといい、言葉では説明できぬ、
とにかく何もかもがもう絶品でメロメロだった。

『乳房榎』の方は、落語は、昨夜が初めてだった。
『牡丹燈籠』の方は、先月ラジオで聴いて、おみね殺しのシーンにゾクゾクだった。

……と、ラジオの『怪談乳房榎』の余韻を胸に、読書中の本を中断して、
今日は、京須偕充さんの『圓生の録音室』(中公文庫)を持って外出、電車の中で読みふけった。

昨日聴いたばかりの『怪談乳房榎』のこと、『圓生の録音室』にも書かれてあって、

《あの噺は速記の『円朝全集』から自分で練り上げたものでして、
教わったものではありません。
"四条の橋" を唄うのはあたくしの工夫で、原作にはないんです。
あれは大石内蔵助の作詞といわれていますから、
武家の出の重信が唄うのにふさわしいと思いましてね……》

それから、こんなくだりもあった。

《「いえいえ、『乳房榎』はもう、重信の霊が絵を描きあげるところまでですよ。
あれから先はやはり敵討ちになるし、十二社の滝に重信の霊が現れるところなんぞ、
芝居にすれば見せ場でしょうが、噺では荒唐無稽ですよ。
だいいちあたくしは、浪江が蚊帳のなかでおきせを口説くところをやりたくて、
あの噺を速記から復活したんです。
文楽さんにそう言ったら、お前さん、変な趣味だね、だって……」
圓生さんはいたずらっぽい顔になり、「てへへ……」と独特の笑い方をしてみせた。》

レコード制作という、大きな仕事に立ち向かう筆者と圓生、
晩年の「圓生百席」、死の直前にすべての録音が終了した「圓生百席」、
その仕事を通じた交流をふりかえった、『圓生の録音室』はなによりも
京須偕充さんの語り口が胸に迫るものがあった。
クールとホットの共存、圓生に対する適度な距離感。
矢野誠一さんの文章にも、傲慢で冷徹でキザで吝嗇な、
おおよそ芸人らしくない圓生のことが述べられていたけれども、
京須偕充さんの手にかかると、そんなくだりすらも不思議といい感じになっている。

「圓生の芸はリアリズムだ、おおよそ落語らしくない」と評されたことに関して、

《圓生さんは本当にリアリストなのだろうか。
たしかに圓生さんは芸の主眼を人物描写、性格や感情の表現においた。
そしてそれが無類にうまい。その点で圓生さんを一流のリアリストと見ることができる。
だが反面、圓生さんは様式主義者、型のひとでもあった。
濃厚な感情表現の裏には、いつも徹底した段取と型がある。》

として、いろいろな噺のタイトルで、その種明かしをしてみせたり、

「二人の圓生」というくだりでは、

《モニタールームのなかには、二人の三遊亭圓生がいた。
ひとりは直前にテープのなかにおさまり、スピーカーを通して芸を披露した。
もうひとりは、そのスピーカーの正面に坐って、それをじっと聴きつづけるのだ。
二人の圓生はときに和合し、ときに葛藤した。
圓生さんのレコーディングは、そんな数百日でもあったのだ。》

と書く。こんな感じの、芸に関するドキドキなくだりが随所にあって、
落語にかぎらず、芸そのものに対する見方を教えてくれて、刺激的。

というような、圓生を観察する京須偕充さんの語り口そのものがとてもよかった。
自然と、そこにはいろいろな噺のことが登場することで彩りを添えていて、
下座のことなどいろいろ興味深いところ多々ありで、
それからゴシップ的なたのしみも品よくちりばめてあって、
全体のバランスが絶妙で、本全体が、無類に面白い読物となっている。

……そんなこんなで、今日一日は、『圓生の録音室』一気読みの一日だった。
京須偕充さんの著書、『芝居と寄席と』、近いうちにぜひとも読んでみよう。

夜、部屋に帰って、何組か持っている「圓生百席」の CD をうっとりと眺めた。

圓生のことが急に好きになってしまったのは、去年のはじめ、
たまたまラジオで、かつて人形町にあった寄席、末広亭でのライヴ録音、
圓生の『ちきり伊勢屋』を聴いて、一気にメロメロになってしまったのがきっかけで、
まずはその艶っぽい色気たっぷりのかっこいい声に夢中だった。
以来、「圓生百席」を少しずつ聴いてはみたものの、
落語は客席のざわめき混じりの、ライヴ録音の方がワクワク度が高い、
というのが正直な感想だった。「圓生百席」は高座よりも書物に近いのかも。

が、今日『圓生の録音室』を読んだことで、「圓生百席」のことが
再び気になってしかたがない。『圓生の録音室』に出てきた噺を聴きたいッ。
いや、そのまえに、円朝の怪談噺、人情噺のディスクを買い漁りたい。
というふうに、散財の危険、多々あり。…なのが、また楽し。

それから、圓生というと、『寄席切絵図』をはじめとする、
一連の青蛙房の圓生シリーズが、わたしは、大のお気に入り。
これらの聞き書きをしたのが、『圓生の録音室』にもチラリと登場の山本進さんで、
青蛙房のこれらの本にメロメロになるあまりに、山本進さんを常々勝手に尊敬していたのだったが、
それにしても、「圓生百席」の京須偕充さんといい、山本進さんといい、
圓生のまわりには、なんてすばらしい仕事人が集結していたことだろうとひたすら感嘆の思い。
彼らのすばらしい仕事のおかげで、現在、「圓生百席」のレコード、
青蛙房の圓生本を堪能できるわけで、その幸福を思うと、敬虔な気持ちにすらなる。

部屋に帰って、昨日買ったときのままの本屋さんのカヴァーをはずして、
しみじみ眺める、京須偕充著『圓生の録音室』(中公文庫)。
表紙の圓生の写真がしみじみいい写真。なんてかっこいいことだろう。
この読み終えた文庫本、本棚の青蛙房の本が並んでいる
圓生コーナー近くに面出しで立てかけてニンマリ。

これからも圓生、ずっと気になる人物のひとりであり続けるのは確実。





  

9月23日月曜日/名月とソバの会、千葉市美術館の鈴木春信展のこと

戸板康二ダイジェスト、更新。(#007)



土曜日の午後、池袋の新文芸坐でマキノ雅弘の映画を見た。
『昨日消えた男』と『待って居た男』の二本立て、
いずれも3年前に、三百人劇場で見たことのある映画。
むちゃくちゃ面白いと知っている映画をスクリーンで見直すのは、
まあ、なんて楽しいことなのだろうとウキウキだった。

三年ぶりで見てみると、新たに「おっ」と思うところも多い。
『昨日消えた男』で徳川夢声の姿があり、江川宇礼雄も出ている。
戸板康二の中村雅楽シリーズの推理小説に登場する江川刑事の名の由来。
江川宇礼雄は、獅子文六の『悦ちゃん』でお父さん碌さんに扮している人でもある。
というふうに、戸板康二の書物でおなじみの人々を目の当たりにするよろこびを
満喫できるという点でも、映画ってば素晴らしい! と大喜びだった。 

『昨日消えた男』ではロッパ劇団の人たちをみて、
『待って居た男』にはエノケンが出ているので、
2本見ることで、気分はそこはかとなく、「エノケン・ロッパの時代」へも。

いろいろ、書物を通して好きになったことを別の角度から追体験、
類推の虫を勝手きままに働かせて上機嫌だった。映画ってば素晴らしい!

土曜日は、仲秋の名月。牛込のとあるお店で、お蕎麦を食べた。

獅子文六の食味エッセイに「名月とソバの会」という文章がある。
大正の終りごろか昭和の初め頃に、滝野川のソバ屋に文士が集まって、
仲秋の名月の夜、ソバを食べる会が催されていたという、短い文章。
久保田万太郎、佐藤春夫、幸田露伴といった人々が登場していて、
「愉快ではない」 と感じた文士たちの生態について記している。露伴がいい。

お蕎麦についてのことが詳しく述べられているわけではないのだけれど、
「名月とソバ」というくくり、大正か昭和初期の夜の真っ暗闇とその上に光る月、
それから文士の時代、といった、この文章が醸し出す空気感が忘れられないものがあって、
日本の名随筆の「蕎麦」の巻にも収録されているこの一篇、
獅子文六の文章を初めて読んだときは、ぜひとも仲秋の名月は蕎麦屋へ行こうと心に決めた。

と言いつつ、ずっと行き損ねては、たまに思い出し、毎回「今年こそは」なんて思っていた。
去年は、志ん朝死亡のニュースに驚くあまり、仲秋の名月のことが吹っ飛んでしまった。(たしか)

というわけで、今年やっと、「名月とソバの会」実現だった。

ソバ屋の窓から、気持のよい風が入ってきて、店内も連休中のくつろいだ空気。
帰り、牛込の坂道をくねくねと歩いて、暗闇の中で空を見ると、雲がかかっているお月さま。

月は隠れてしまったけれども、気分は良夜そのものだった。

『万太郎俳句評釈』[*] では、久保田万太郎の名月の句として、
戸板康二は、「名月やこの松ありて松の茶屋」を紹介している。
その次の項には、十三夜が登場、戸板さんによると、

《万太郎は九月の名月・良夜の季題より、
十月の十三夜・後の月の方が好きだったような気がする。
そう考える理由の中に、脚色して新派の当り狂言にした
一葉の「十三夜」があるせいとも思われなくもない。》

とのことで、戸板さんは『十三夜』を演出したとき、
「万太郎のセリフの巧さに感心した」と書いている。

と、そんなくだりを目の当たりにしてしまうと、万太郎、一葉の効果で、
来月の十三夜のことも、俄然たのしみになってくるのが、嬉しい。

先週の金曜日、文楽公演、『神霊矢口渡』『夏祭浪花鑑』を見に行った折に、
はじめて、国立劇場図書閲覧室というところに足を踏み入れた。念願の図書室だった。
戸板康二が日本演劇社の編集者をしていた頃の、雑誌「演劇界」を閲覧、
昭和22年9月号の表紙は花森安治で「おっ」と嬉しかった。佐野繁次郎調の女のひとの絵。
その号の巻頭句として、「十三夜演出ノート」として久保田万太郎の句が載っていて、
これを目の当たりにしたことで、ますます来月の十三夜がたのしみになった。



と、9月の三連休、二週目はマキノ映画と「名月とソバの会」で上機嫌、
前夜の文楽もむちゃくちゃ面白かった。今月は文楽月間だったなあと思う。

一週目の先週は、総武線に揺られてとろとろと、千葉市美術館で鈴木春信の展覧会を見た。
この展覧会が、もう、「眼福」としか他に言い様がない、幸福なひとときで、
なんと素晴らしい時間だったことだろう、と、部屋に帰ってからも、何度も図録を繰っている。

展覧会に行ったのは、激しい雨降りの日、初めての千葉、
通りがかりのドトールでコーヒーを飲んで、長居して、ゆっくりくつろいだ。
ドトールっ子なので、未知の土地に行くと、ドトールを見つけるとそれだけで嬉しい。

というわけで、ここから先は、鈴木春信について。長年(でもないけど)の念願の展覧会だった。



心にくっきりと春信の名前を刻むきっかけになったのは、永井荷風の『日和下駄』だった。

《銀杏は黄葉の頃神社仏閣の粉壁朱欄と相対して眺むる時、
もっとも日本らしい山水を作す。ここにおいて浅草観音堂の銀杏はけだし
東都の公孫樹中の冠たるものといわねばならぬ。
明和のむかし、この樹下に楊子屋柳屋あり。
その美女お藤の姿は今に鈴木春信一筆斎文調らの錦絵に残されてある。》

と、この一節を、三年前、江戸東京博物館の《荷風と東京》展を見学したときは、
実際の春信の浮世絵とともに見ることができたのだから、気分は上々だった。
じっくりと春信の浮世絵を見たのは、このときが初めてだったかと思う。

《荷風と東京》展では、『日和下駄』の引用とともに、
実際の浮世絵を凝視する箇所がいくつかあって、
小林清親、井上安治、そしてもちろん、広重に北斎もあった。

もともと、広重の名所江戸百景が大好きだったけれども、
この荷風展をきっかけに、さらに浮世絵が気になるようになった。
荷風を導き手に、浮世絵にさらなる親しみを覚えるようになった。

《荷風と東京》展のずっとあと、『江戸芸術論』(岩波文庫)を読んで、
このなかの「鈴木春信の錦絵」の項で、再び心にくっきりと鈴木春信の名前を刻み、
それから、小村雪岱を通して、再三にわたって、鈴木春信を心にくっきりと刻むこととなった。

つねひごろ、たとえば、歌舞伎のデザイン感覚、きものの柄、
なにかの文学作品などなど、いろいろなものを通して感じる
美意識(のようなもの)にむやみやたらと心ときめかしている、
それは多分に感覚的な不定形なものではあるけれども、
なにか形にしてあらわそうとすると、ただ春信を眺めればよい、そんな気がした。

春信の絵には、つねひごろ慕っている美感(のようなもの)が
ふんだんに詰まっている気がする。結晶のように。

鈴木春信は明和のむかしの絵師。明和は1764年から1771年、18世紀たけなわだ。

「18世紀の浄瑠璃歌舞伎」という観点を得るきっかけになったのが、
戸板康二編集『鑑賞日本古典文学 浄瑠璃歌舞伎』[*] 所収の、
内山美樹子さんの「近松没後の人形浄瑠璃」という文章で、
これが目が醒めるくらいに面白い文章だった。

それから、中野三敏著『江戸文化評判記』(中公新書)という本がある。
この本がきっかけで、18世紀の浄瑠璃の黄金時代という観点に、
今度は、「雅俗融和の時代」というキーワードを加えることができた。
18世紀は、伝統の「雅」と新興の「俗」とが見事に融和した江戸文化の壮年期。

『江戸文化評判記』を開くと、さっそく浮世絵の図版が登場して、
「俗」のなかにも確かな品格を備えた「雅俗融和」の具体例として、
春信の浮世絵の図版が掲げられている。洗練の極み。

「雅」と「俗」のどちらかが優位にたつことなく、
両者が程よく溶け合っている時代としての、18世紀江戸文化。

日頃から心ときめかしている美意識の結晶としての春信の絵、
それから近松没後の浄瑠璃の黄金時代、歌舞伎と文楽に耽溺の日々を思う上でも、
「雅俗融和」というキーワードは、日頃から心ときめかすものは何か、そのヒントになった。

ちょっと突っ込んでみると、わかったようなわからないようなという感じではあるけれども、
直観的には、「雅俗融和」という言葉はとてもわかりやすかった。

と、前置きが長くなってしまったが、
永井荷風、雅俗融和、小村雪岱などなど、様々なことを通して、
心にくっきりとその名前を刻んだ鈴木春信、
今までピンポイント的に見てきた春信の絵を体系的に見通す絶好の機会がやってきた。

千葉市美術館の鈴木春信展、
そのタイトルは、《青春の浮世絵師 鈴木春信―江戸のカラリスト登場》。

展覧会の構成は、

  1. 浮世絵界へのデビュー
  2. 絵暦交換会の流行と錦絵の誕生
  3. 絵を読む楽しみ
  4. 江戸の雅――古典への憧れ
  5. 青春の浮世絵師
  6. 江戸の人気者
というふうになっていて、心にくっきりとその名を刻んだといっても、
ただ単に、たまにピンポイント的に春信の絵に見とれていただけだったので、
今回の展覧会は本当に刺激的で、絵そのものに見とれる眼福の時間と、
春信の生きた時代背景や絵をとりまく様々な意匠を知る刺激とが、
ほどよく、まさしく両者が程よく溶け合って融和している感じで、
もう、なんといったらいいか、ハートに直撃、としか他に言い様がない感じで、
むやみやたらと嬉しい時間だった。

色が淡く少なくて、輪郭がぼんやりしている、初期の「水絵」という版画を
見たのは今回が初めてだったと思う。不思議と典雅な感じがして、
「邯鄲」を素材にした絵があって、お能見物を思い出す。
ここに限らず、春信の絵の素材は、歌舞伎はもちろんのこと、
お能、古典いろいろ、それから文様そのものなどなど、扱っている素材そのものが魅惑的。
ただぽーっと眺めるだけでも、密度の濃い時間だった。
絵暦交換会を通した浮世絵の技術革新といった背景も興味ぶかくて、
絵暦というものを意識的にみたのも今回が初めてだった。
機知にとんだ江戸町人文化に心が躍りまくりだった。

もっとも興味深かったのが、「見立絵」のパロディ精神。
春信の時代のひとの気持ちのまんま、春信の絵の素材となっている古典に思いを馳せ、
そのパロディ精神に心ときめかした。それにしても機知たっぷり。
江戸人の風流に訴える作者の仕掛け、という点で、
歌舞伎の『関の扉』のことを思い出したりもした。

展覧会だけではとうてい味わい尽くせないものがあって、
図録を買ってきて、一枚一枚、丹念に眺めて、モクモクと刺激を受けて、
古典への興味がさらに増してくるのが嬉しくて、
3月に演博で見た、お能の装束の展示のときのよろこびを思い出した。

それでも、とどのつまりは、絵のなかのモティーフ、全体の構図、
色そのものなどなど、あふれんばかりの眼の歓びを味わせてくれる春信。

ここ3年ほどの読書生活を通して、春信に感じていたこと、
春信の絵には、つねひごろ慕っている美感が結晶のように
詰まっているということをあらためてじっくりと実感することで心ときめかし、
宝物のような図録を手に入れることができて、今後の生活の潤いもあり、
ドトールでのんびりの、程よいくつろぎの雨降りの休日の午後を過ごすこともできて、
いうことなしの展覧会行きだった。

永井荷風『江戸芸術論』、「鈴木春信の錦絵」より抜き書き。

《余は春信の女において、『古今集』の恋歌に味ふ単純なる美に対する
煙の如き哀愁を感じて止まざるなり。
人形の如き生気なきその形骸と、纏へる衣服のつかれたる線と、
造花の如く固く動かざる動物との装飾画的配合は、
今日の審美論を以てしては果していくばくの価値あるや否や。
これ余の多く知る処にあらざる也。
余は此の如き配合、此の如き布局よりして、
実に他国の美術に有せざる日本的音楽を聴き得ることを喜ぶなり。
この音楽は決して何らの神秘をも哲里をも暗示するものにあらず。
唯吾人が日常秋雨の夜に聞く虫の音、木枯の夕べに聞く落葉の声、
または女の裾の絹摺れする響等によりて、時に触れ物に応じて
唯何がなしに物の哀れを覚えしむる単調なるメロディに過ぎず。
浮世絵はその描ける美女の姿体とその褪めたる色彩とによりて、
いづれも能くこの果敢なきメロディーを奏するが中に、
余は殊に鈴木春信の版画によりて最もよくこれを聴き得るべしと信ずるなり。》





  

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