日日雑記 August 2002

07 更新メモ(戸板康二ダイジェスト)
11 更新メモ(戸板康二ダイジェスト/走れ!映画)
17 バスについて、東京国立近代美術館の所蔵品ギャラリー
19 久保田万太郎の文庫本、洲之内徹の『人魚を見た人』
20 「洲之内徹の心情美術史」のなかの久保田万太郎
25 秋の美術館お出かけ計画
26 小津安二郎のほうへ、新劇史、書物の中の劇場
28 『三四郎』のこと、『劇場の椅子』から野上弥生子の『真知子』へ

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8月7日水曜日/更新メモ(戸板康二ダイジェスト)

シブい本、全面リニューアル。「戸板康二ダイジェスト」スタートです。

2年以上前から、戸板康二の特集ページを作ろうと思っていたので、嬉しい。
見切り発車ではあるけれども、長く続けていければよいなあと思う。

三島由紀夫の言う通り、自分の好きな書物について
綿々と書き連ねるのは、やっぱり快楽。
作っている本人だけが楽しんでいる、という代物になってしまいました。

今日は夏休み。早起きして、四谷の新宿歴史博物館に行き、
三丁目からバスに乗って千駄ヶ谷へ、午後は国立能楽堂で『敦盛』を観た。
そのあとは大江戸線にゆられて、青山ブックセンターへ行った。
大江戸線はたのし。果てしない階段にも最近は妙に愛着を覚える。

雑誌「論座」の連載で坪内祐三が杉浦茂展について書いていますよ!
というメイルをいただいて、「まあ!」と立ち読みしてニンマリしたのが先週のこと。
これに刺激を受けるようにして、買い損ねていた、
『杉浦茂 自伝と回想』(筑摩書房)を買って、まさしく頬摺り本状態。嬉しい。

それから、もう一冊狂喜乱舞して買ったのが、山田風太郎『戦中派焼け跡日記』(小学館)。

ちょっとだけペラペラめくってみたら、昭和21年12月11日、
山田風太郎は歌舞伎見物していて、新宿第一劇場にて夜の部を見ていて、びっくり。

ここ数カ月、道楽で、私製・戸板康二年譜(>> click)を作っていて、
これはまだまだ未完成、さて、昭和21年12月11日という日は、
戸板康二が三島由紀夫を誘って、新宿第一劇場で七代目宗十郎を観た日。
同じ空間に、山田風太郎も居合わせていたのかと思うと、ドキドキ。

もっとも、風太郎さんは昼の部の宗十郎の『いもり酒』は観ていなくて、

この日の日記には、

《午後松葉と新宿第一劇場に市川猿之助、中村時蔵、澤村宗十郎の
合同歌舞伎観にゆく。夜の部、一等席三十五円、
『一つ家』『紅葉狩』『明烏花濡衣』『刺青奇偶』
盛沢山の割に内容薄弱くだらなし。
余貧にして贅沢な歌舞伎などあまり見ないせいか、
滑稽の感先に立つのみ。それが正しい観方ではあるまいか。》

といふうに書いてある。

それにしても、同じ時間に同じ劇場の空間に戸板さんと三島と風太郎さんがいたなんて!

新宿歴史博物館が思っていた以上に面白くて、いろいろとハートに直撃。
観世銕之丞の『敦盛』、特に後ジテになってから思いっきり堪能した。
博物館については、また後日に書き足そうと思っている。(本人希望)





  

8月11日日曜日/更新メモ(戸板康二ダイジェスト/走れ!映画)

金曜日の夜、歌舞伎座に行った。
翌土曜日の昼下がり、ひさしぶりに自由ヶ丘に寄った。
本当は他の買い物をするつもりだったのが、
古本屋二軒まわって、そのあとはコーヒーというコースに。楽しき哉。

その古本屋めぐりの詳細を、戸板康二ダイジェストへ。(#002)
(単なる更新記録、のはずが、むやみに長い……。)

自由ヶ丘のあとは六本木へ。

前々から観たかった、マックス・オフュルスの『快楽』を、
蓮實重彦の講演付きで見られるという贅沢なひととき。
『歌行燈』について、「成瀬巳喜男がとんでもない局面を見せている」
というようなことをちょろっと言っていて、
えー! その「とんでもない局面」の詳しいことを聞きたい!
と、少しもだえてしまったりも。楽しき哉。

その『快楽』について、走れ!映画に少々。





  

8月17日土曜日/バスについて、東京国立近代美術館の所蔵品ギャラリー

更新メモ:戸板康二ダイジェストにメモ書き。バスについて。(#003)



昨日、洲之内徹の『人魚を見た人』を読み終えた。
「気まぐれ美術館」シリーズ、読まずにとっておいた最後の二冊の一冊目。

以前はそんなには気に止めていなかったのが、
洲之内徹を読むようになってからフツフツと関心がわいた画家は少なくない。

そのなかのひとりが、藤田嗣治だ。

『人魚を見た人』にフジタの戦争画について二度言及があって、

《戦争絵画の中では、私はやはり藤田嗣治を随一だと思う。
技術的なことだけを言うのではない。藤田の画面には、
他の画家たちにはない死の匂いがする。意識してかどうかはしらないが、
彼の眼が戦争の本質に届いているということだろう。》

それから、藤田嗣治の「アッツ島最後の攻撃」を洲之内は最高のものとしていて、

《あれらを描いて、あそこでフジタは燃えつきたという気が私はする。
その後のフジタは抜殻みたいなものだ。》

とも書いている。

フジタの戦争画というと、今年2月に竹橋の国立近代美術館《未完の世紀》で見ていて、
先月下旬に国立近代美術館を訪れた際にも同じ絵を見ている。

のだが、戦争画というだけで、さっと通り過ぎてしまっていて、
あまりじっくり見ていなかったという気がする。

洲之内の言う「他の画家にはない死の匂い」、それがわたしにも見えるかな、
いてもたってもいられず、金曜日の夕方、竹橋に行った。

洲之内徹の本を読むたびに、もっともっと絵を見たいなあと、いつも思う。



東京国立近代美術館は、今年1月のリニュウアル以来三回訪れていて、
2月に《未完の世紀》を二回見物し、先月に常設展示をやはり夕方に見に行った。

所蔵品ギャラリーは、先月と今月とで展示替えをしている。

先月に国立近代美術館に行ったのは、木曜日の夕方、
東京堂で買い物して、久保田万太郎の短編集『露芝』(新潮文庫)を
アイリッシュコーヒー片手によい気分で読みふけったあと、
そうだ、このあと竹橋の美術館に行くつもりだったッ、と
いそいそと喫茶店を出て、神保町から竹橋まで早歩きした。
あの日は、梅雨明け直前で、竹橋の交差点で信号待ちをしているときの
夕焼け空がなんだかとても独特で、そろそろ盛夏だなあとしみじみした。
季節の移り変わりを感じた瞬間だった。

6月の初めに、カラッと晴れた青い青い空の下、
駒場の日本民藝館から公園を歩いたときも、
この陽気は、梅雨入り直前の最後のさわやかさに違いない、
そろそろ梅雨入りそして夏だなあと、あのときも季節の移り変わりを感じた瞬間だった。

と、ちょうど一ヵ月ぶりに国立近代美術館の常設展示を見たわけで、
前回の記憶が鮮明なままで、前回にはなかった絵に思わぬ出会いがあったり、
前回も見た好きな絵に再び対面したり、頻繁に常設展示を見に行くのは
本当によいなあと、思った。次回の展示替えは10月、今度はどんな絵があるのだろう。

それから、特に意図していたわけではなかったのだけど、
竹橋の美術館を訪れるのは、いつも木曜日か金曜日の8時閉館の日だった。
一日の終りを閑散とした美術館で締めくくるという格好となって、なかなかよかった。
(今、ウェブをチェックしてみたら、木金の8時閉館は秋分までとのことなので、
10月の常設見物は休日に行って、今度こそ工芸館にも行こうと思う。)

先月の近代美術館行きの目当ては、《松本竣介とその友人たち》という小特集。
松本竣介の風景画数点と靉光、麻生三郎などを交えた展示で、
四階の奥まったところにコーナーが設けられていて、これがとても素晴らしかった。

松本竣介の名前は以前は字面に覚えがあるという程度だったのが、
とたんに興味津々な存在になったのが洲之内徹の文章、
とりわけ『気まぐれ美術館』所収の一連の「松本竣介の風景」がきっかけだった。

でも洲之内を読む前にも、去年の7月、《水辺のモダン》に行った折に、
東京都現代美術館の常設展示でも松本竣介の素描を見ていて、
とても気に入り、「あとで要チェック!」とメモしていて、
そのままになっていたのを当時のメモ書きで発見したり、なんていうこともあった。

それから、追憶が続くのだが、去年に熊谷守一美術館のカフェに長居したとき、
一緒に来た友人と備え付けの本棚から画集を取り出していろいろ眺めて、
そのなかで「それにしても素晴らしいなあ」としみじみだったのが松本竣介展の図録。
都市の中の群衆を捉える構図がキルヒナーみたいだと思った。
でも、キルヒナーよりもずっと好きだ。なぜだか、心が震える。

洲之内徹による紹介があったのが最初だったけれども、
どうしてこうも、松本竣介に心惹かれ心奪われるのだろうとずっと不思議だった。
《未完の世紀》のときも、《Y市の橋》の線と群青色の色彩に
たまらない気持ちになったものだった。

とかなんとか、ここ一年の間にじっくりとひたることになった松本竣介、
先月の《松本竣介とその友人たち》で、その魅力のゆえんが、
ぼんやりだけど見えてきた気がして、大収穫だった。

展示点数はそんなに多くない、数点の風景画、
《ニコライ堂の聖橋》や《Y市の橋》ではブルーとグレーの色彩、
《親子のいる風景》では線描の上に水彩で茶色の色彩、独特のモダンさがある。

……と、これらの絵を眺めていて、思い出したのが、
唐突だが、ナボコフによるチェーホフ描写だった。

ナボコフの『ロシア文学講義(Lectures on Russian Literature)』の
チェーホフの章、たとえば、以下のくだりなんて、
そのまま松本竣介の一連の風景画を描写しているかのようだ。
美術館で好きな絵を見つける度に、つい勝手に類推の虫を働かせて、
自分自身の好きなものをいろいろ繋げて悦に入る。今回はチェーホフだった。

Chekhov managed to convey an impression of artistic beauty
.... He did it by keeping all his words in the same dim light
and of the same exact tint of gray, a tint between the color
of an old fence and that of a low cloud. The variety of his moods,
the flicker of his charming wit, the deeply artstic economy of
characterization, the vivid detail, and the fade-out of human life
-all the peculiar Chekhovian features- are enhanced
by being suffused and surrounded by a faintly iridescent verbal haziness.

それから、《松本竣介とその友人たち》の説明書きのところで、
松本竣介の手法に関して、堅牢な下地の上に絵具を何回も薄く塗り重ねていくことで
独特な透明な色彩をつくって、的確な線描で対象を捉える、
……という説明になっていて、この手法によって、
「叙情的なイメージは感傷に流れずひとつな造形的な強さを獲得」
というふうに締めてあった。この「感傷に流れず」というところになるほどと思った。
独特の透明な色彩の美しさ、そこから漂うムード、
ここに浸る瞬間のスーッとした郷愁のようなもの。

と、先月書き損ねた《松本竣介とその友人たち》のことはこのへんにして、

今回の所蔵作品ギャラリーでは《松本竣介とその友人たち》特集は終ってしまったけど、
松本竣介の《Y市の橋》の展示はあったので、前回見えてきた彼の魅力のゆえんを再び探って、
このあたりの、海老原喜之助、麻生三郎、靉光といった並びに長居して、
それからいつも性懲りもなく長居するのが岸田劉生の《切通しの写生》のところ、
このあたりには関根正二の《三星》、村山槐多の《バラと少女》があって、
ただただ黙って、絵を凝視するしか、他にしようがない。それにしてもすごい。

岸田劉生は、先月は《蕪図》(1925)や《冬瓜茄子図》(1926)という掛軸があって、
去年4月の鎌倉の近代美術館の追憶にひたって、宋元の中国絵画を研究した劉生は、
速水御舟など日本画の画家にも影響を与えたという説明書きを見たあとで、
劉生の向いのウィンドウで速水御舟の《写生図巻》(1935)、
魚や蝶、虫などの淡彩の色彩にうっとりして、先ほどの説明書きを実感できる仕掛けだった。

速水御舟の《写生図巻》のあったウィンドウには、
今回は、鏑木清方の《墨田河船道》という屏風絵の展示があって、
鏑木清方の絵を見ると、いつもそうするように、細部を凝視。水の東京の季節感にほのかに酔う。

長谷川利行の絵は二枚展示があって、洲之内徹の『人魚を見た人』にも
利行は登場、ちょっと切ない話があって、そこの洲之内の文章は、

《私はこの、長谷川利行の容易に人を信じない姿にハッとする思いがする。
おそらくこれが利行なのだ。人間の善意とか友情とかいう、
曖昧でいかがわしいものを、彼は信じようとしなかった。
彼にはもう彼自身の芸術しか信じられなかったのではないか。》

というふうになっている。

杉浦茂が画家を志していた頃、本郷の町中で、長谷川利行との交流があったというのだが、
そのときの長谷川利行はどんなふうだったのだろう。ちょっと気になる。
なにかと心を揺さぶられる存在だ。

それから、恩地孝四郎の《黒葡萄切子鉢》に去年8月の工芸館以来の対面をしたり、
同じく恩地の《ポエム No.3》のデザインセンスに見とれたり、
野田英夫の《帰路》の展示がまだ続いていたことも嬉しいこと。
《未完の世紀》以来、いつもしばし立ち止まっている絵。

織田一磨の《画集東京近郊八景》をウィンドウ越しに眺めたあとで、
再び岸田劉生の絵を2枚見ることができて、古賀春江の《赤い風景》も素敵。

そもそもの目当てだったはずの、藤田嗣治の戦争画の展示は残念ながらなくて、
今回のフジタは、《猫》(1940)という絵。猫が数匹画面を飛び回っている。
やっぱり、ここでも、舞台を楽しくするための登場人物として被写体は「散らばっている」。

今回の小特集は、《室内に描かれた人》というもの。
説明書きの「境界線」云々のところは適当に読み飛ばしてしまって、
ここでも、海老原喜之助を見ることができて、《二人の女》という絵。
好きな絵だ。隣の、野見山暁治の《肘をつく女》というコンテも素敵だった。
野見山暁治といえば、『人魚を見た人』にも登場し、《未完の世紀》でも印象的だった。
戸板康二の『思い出す顔』[*] の装幀をしている。
それから、昔から大好きなフランシス・ベーコンがこのコーナーに組み込まれていて、
ウジェーヌ・アジェの写真を見られたのも嬉しかった。
またもっと、いろいろ写真を見たいなと思った。
もともと「室内」という言葉が、とても好きな言葉。
なかなか素敵な小特集だった。

美術館を出ると、とっぷりと日が暮れている。
今週に入って、空気はまさしく秋の風で、
お盆休みの閑散とした東京の穏やかな日々だった。
洲之内徹の『気まぐれ美術館』の「松本竣介の風景」で、
この竹橋あたりの場所が登場していて、ちょうど共立女子の向いの
神田川沿いの角のところが松本俊介の立ち位置、
《市内風景》という絵は、神田の一ツ橋講堂を描いている。
なので、竹橋の国立近代美術館を出ると、いつもそのことを思い出す。
前回の《松本竣介とその友人たち》のときも、今回も松本俊介と洲之内のことを思った。



今、『気まぐれ美術館』の当該ページを繰ってみたら、
以下のくだりがあって、ハッとなった。

《『岡鹿之助作品集』を開いてみた晩、そのあと、
私は更に岡さんの『フランスの画家たち』を読み、
その中の「スーラの素描」の章の次のような二行を見つけて、
思わず身震いの出るほどの感銘を受けた。
  ――イマジナシオンとは、視覚世界から画家が受けるショックを、
絵によって、再び視覚世界にむかって抵抗する能力にほかならない。

スーラでなくても、松本竣介でも構わない。
「鉄橋近く」でもいいし、「並木道」でもいいが、
岡さんのこの言葉を念頭に置いて絵を見ると、
竣介の画面のこの緊張力、この魅惑は、
彼の作品が、そのモチーフとなった対象をむしろ圧倒し、凌駕し、
対象自体には望むべくもない純度の結晶体となっているからだ、
ということがよくわかる。》

そうか、「純度の結晶体」、これだな、と思った。





  

8月19日月曜日/久保田万太郎の文庫本、洲之内徹の『人魚を見た人』

今月の講談社文芸文庫の新刊として、久保田万太郎の『春泥・三の酉』が発売になった。

久保田万太郎の文庫本は長らく書店から姿を消していて、すっかり過去の人と化していた。
いくらマイナーポエットといえども、1冊くらいはあってもいいではないか、
講談社文芸文庫あたりがぴったり、ぜひとも出してもらいたいッと、
ひとりで勝手に願っていたので、まさかの実現と相成って嬉しい。

さらに、『春泥』と『三の酉』と俳句という組み合わせは、
久保田万太郎の魅力を伝える、絶好のラインナップ、さらに嬉しい。

わたしが久保田万太郎に夢中になったのは、まずは俳句がきっかけ、
そして、去年の年末に中篇小説『春泥』を読んで、一気に引き込まれ、
もういてもたってもいられない、その後、手に入るだけ万太郎を読みふけって、
小説、戯曲、もちろん俳句、それから実は劇評も素敵、
戸板康二が「先生の俳句と先生の戯曲とが、精神に於て一体であり、
文学上のジャンルを超越したものである」と書いていた通りに、
久保田万太郎の筆によるものならなんでもッ、という感じに夢中になった。

『三の酉』を読んだのは、万太郎にメロメロになっている真ッただ中、
ほとんど全編が会話文でなりたつ短篇小説、中年の男と女の会話。
「珠玉」という陳腐な言葉をあえて使ってしまいたい。ちょっと泣いた。
とにかく「珠玉」という言葉がぴったりの短篇小説の絶品。
こんなふうに、万太郎の言葉の連なりに耽溺するのは、
なんとも甘美な時間。さらにメロメロになって、現在に至っている。

《――よく天気の続くことよ。
――ほんとうに。……けど、三の酉がすぎると、
すッかり、もう、冬の景色だからうれしいわ。
――好きか、君は、冬が? ……
――大好き……
と、おさわは、熱い燗の、その新規の銚子をついでくれた。》

というふうな箇所がある。舞台は三の酉の数日後の浅草のとある座敷。

わたしも、12月に入ったばかりの冬が始まったばかりの澄んだ空気がとても好きで、
そんな個人的な好みとあいまって、上の一節を目にした瞬間は、
まさしく冬のツンとした空気が頬に心地よい、真っ青な空を見た心持ちになった。

ここに限らず、万太郎の小説なり、戯曲なり、俳句なりの読後感は、
いつもこんな感じに、ツンと澄み切っていて、不思議と軽やかで風雅でもある。

苦みとか曇り空を味わったとしても、万太郎を読み終わったあとに、
感じることは、いつだって、澄み切った青空なのだ。青い青い空。

わたしが久保田万太郎に耽溺するそもそものきっかけになった『春泥』のことも、
一言では言い尽くせないものがあるのだけれども、ひとつだけ。

冒頭、隅田川沿いを三人の男がしゃべりながら歩いているシーン、
震災後の、東京が変貌してゆく真っただ中、というのが背景にあるが、
そんな能書きは抜きにしても、役者仲間の三人の男の気ままなしゃべりを
目で追っているだけでも、たまらなく気持ちよい。言葉、言葉、言葉。
冒頭でさっそく、久保田万太郎の小説すべてに共通する魅力を体感できる仕掛け。

『春泥』を機に、久保田万太郎の小説をいろいろ読みふけってみると、
どれも共通のモチーフがあって、登場人物の男たちのおしゃべり、
たとえば、『市井人』でも『樹蔭』でも、『寂しければ』の酒場でも、
登場人物の男たちの気ままなおしゃべりを追う快楽、というのがあって、
久保田万太郎の尽きない魅力のひとつはこれだな、などとひとり納得だった。

万太郎小説の、登場人物の男たちの会話の連なり、の系譜。



2月の『セザンヌの塗り残し』に続いて、半年ぶりに、洲之内徹を読んだ。
「気まぐれ美術館」シリーズ、未読の二冊のうちの1冊目『人魚を見た人』。

全体を読んで思ったことは、洲之内徹の「気まぐれ美術館」シリーズは、
洲之内徹と登場する画家たちとのおしゃべりを目で追う瞬間のグルーヴ感、
久保田万太郎の小説とおんなじように、登場人物の対話を追う快楽が、まずある。

それから、同じく久保田万太郎とおんなじように、
洲之内徹の「気まぐれ美術館」シリーズは「東京本」としても読める。

印象的だったのが、何回か登場する、真夜中の人形町界隈歩きのこと。
戦前、深川の同潤会アパートに住んでいたことがあって、
最後は蠣殻町のマンションで倒れた洲之内徹は、隅田川を軸にした生涯だったともいえそう。

『セザンヌの塗り残し』のなかの50年ぶりに高円寺を訪れたときのくだりの、

《五十年の私の歳月にはずいぶんいろんなことがあったようで、
しかし、それらはすべて、高円寺から高円寺までひと廻りくる
輪の中にあるような気がするのであった。》

というのがなんだかとても印象に残っているので、
調子にのって、そのままここに当てはめてみると、
洲之内徹の風景はすべて、隅田川の水辺を軸にした
輪の中にあるような気がするであった、ということになろうか。

と、それはともかくとして、洲之内徹の「気まぐれ美術館」シリーズを
「東京本」として読むことでたちのぼる時代感覚、地理感覚に、
洲之内徹にこんなにも惹かれる理由の一端があることはたしかだと思う。

それからディテールのよろこびというのがいつも多々あって、
『人魚を見た人』においては、「八月の街のまぼろし」という文章で、
歌舞伎の『東海道四谷怪談』に登場する東京の街かどをめぐったり
(戸板康二の『芝居名所一幕見 舞台の上の東京』[*] の感覚!)、
田畑あきら子に関する文章では、彼女と暮していた渡辺隆次と
国立のロージナ茶房で、いろいろ話をしているシーンがある。
……というふうに、まあ! わたくしの日頃のお気に入り、
今回は、歌舞伎と国立の喫茶店のことが、思いがけなく洲之内徹の文章に登場。
洲之内徹ってば、いつもこんな感じに、わたしをよろこばせ、
いつもグニュグニュグニュグニュッと琴線をくすぐられてしまう。甘美な時間。

四谷怪談めぐりは、深夜の人形町徘徊の折に、通りがかりの派出所で
おまわりさんから、隅田川で発見される水死体の話を聞いてあれこれ思いを馳せる。
というふうに、洲之内徹と登場人物の対話を追う快楽と
そこから思いを馳せる洲之内の独白を追う快楽。いつだってこれに夢中だ。
雑司ヶ谷で殺され戸板に乗せられたたお岩の死体が、
まったくの方角違いの隠亡掘で発見されるというデタラメさは、
実のところは、あながちあり得ないことではないのでないか、
洲之内はそう思って、『東海道四谷怪談』を読み、
いざ読んでみると「たいそう面白い」、ついでに前進座の舞台を見て、
そして、『東海道四谷怪談』めぐりとなる。
ここには、洲之内自身による7枚のスナップ写真が載っている。

ロージナ茶房での田畑あきら子に関する対話のところでは、
洲之内はさかんに「ロージナという喫茶店」の名前を出していて、
ロージナ茶房が洲之内好みの空間であったことはまず間違いないと思った。

田畑あきら子の「線」について、

《一本の線を引くということは、内的な、不定形のイメージを、
不定形なままに紙の上に実現しようとする行為それ自体であること、
また、その線は、画家個人の自己の主張であるよりも、
むしろ自己を虚しくして対象(内的な)に則しようという
性格を持っていることで、彼女が傾倒していたという
アーシル・ゴーキーに通じるものがある》

というふうに『気まぐれ美術館』での文章を振り返って、
田畑あきら子が「だんだん形が描けなくなってきていた」と、
渡辺隆次から聞いて、洲之内は、以下のように思いを巡らす。

《言われてみれば、眼で見るということは純粋に感覚の働きのようで、
実は頭で考えているのかもしれない。物に対うとき、視覚と同時に、
自分には意識できない他の感覚も働いているのだ。
……物が、眼に見えているようには見えない、全身的な感覚の対象になるのは
眼に見えているとおりのその物ではない、ということであろうか。》

それから、渡辺隆次の方でも「絵を絵らしく描くのが嫌なのだ」と、

《見る世界よりも感じる世界、内的なもの(それが自分にとって
聖なる世界である)に向って真直ぐに歩みたい。
そう思う自分の気持を背後で支えてくれるのがカンディンスキーだ、》

というようなことを洲之内に語っている。

といった、一連の二人の対話は、これから先、
どんどんいろいろな絵を見たくなって、つい嬉しくなってしまう感じ。
さらに、その舞台装置がロージナ茶房、というのがまた嬉しい。

……と、ここに限らず、洲之内徹の「気まぐれ美術館」シリーズは、
刺激的な対話が頻繁に登場するところが魅力のひとつ。
それから、舞台装置の隅田川の水辺を軸にした輪の中に入ってゆく愉しみも。



『人魚を見た人』における、洲之内徹による対話で印象的だったものを挙げてみると、

『人魚を見た人』のカバーをとった本体に、
実に素敵な、洲之内徹の肖像画を書いている田中岑、
本文にも頻繁に登場している。彼との話で、
戦後、芝の高輪に住んでいた田中岑は蓮根ばかり描いていて、
「その蓮根の形が螺旋運動の発想を誘い出し、
また螺旋運動はルーベンスからも来ている」と田中岑は言い、
海老原喜之助が日大芸術科の教室で、
レンブラントの《最後の晩餐》の構図を説明しながら描いてみせたのが、
海老原の名作《西瓜切り》(1937)だった、とのこと。
《西瓜切り》の絵、小さく載っているが、
これだけでもとても素敵だということがよくわかる。ぜひともカラーを見たい。

それから、田中岑との話では、色のことも出てくる。洲之内はこう書く。

《色について言うのならもっと大事なことがある。
岑さんの色が対象の固有色ではないことはいまさらいうまでもない。
しかし、固有色でもない色というのはどういう色かということを、
私は実例で、はっきり見せられたのだ。気がついてみると、
岑さんの色は風景の上をただよっている光だった。
色が光なのだ。色が空間そのものである。》

年と共に「モノクローム性」を帯びてきているという田中岑の絵、

《岑さんは、風光という言葉が日本語にはあるだろう、
あの光だよ、と言い、もうひとつ景色という言葉を持ち出して、
物の固有色を描くには油絵具に敵うものはないが、
水墨の持つ物凄く広い色空間、色世界、
あれを油絵具でやれないものかと自分は思うのだ、とも言った。》

光というと、中村彝の絵を見たあとで、洲之内が書いていたこと。

《中村彝は光の描ける画家なのだ。
物に光が当って明るい部分と蔭の部分ができるという意味の光ではなく、
まんべんなく空間を充たしている光、光があって物は見えるというその光である。》

空間というと、パリにて田中直が教えを受けている画家、
モーリス・ブロンがこんなことを言っていたという。(ここも彼の図版が素敵)

《あなたは果物という物質にこだわり過ぎる。
果物を物質としてばかり見ないで、一つの空間として見たらどうだろう。
反対に、果物をとりまく空間を物質として見ることもできる。
これは物質、これは空間という考えは捨てなさい。》

なんだか、本当に、洲之内の文章を読むと、どんどんいろいろな絵を見たくなってしまう。

『人魚を見た人』のカバーの絵と題字を描いている松田正平との対話も
ひんぱんに登場して、いろいろな話がとてもよかった。

洲之内徹は以前、『気まぐれ美術館』にて、
「薔薇を描いては梅原龍三郎、児島善三郎、松田正平の三人が名人」と書いていて、
(先日の、竹橋の国立近代美術館で、梅原龍三郎の薔薇の絵をみたとき、
このことを思い出したのことも、嬉しかったことだった)

その松田正平の薔薇の絵について、

《正平さんの薔薇の絵を見るとき、私は薔薇の見方を教わっているのだ。
そうではあるまいか。いい絵は、物の本当の見方を教えてくれる。》

というふうに締めている。この直前、洲之内と松田正平は、
好みの女についてしゃべっていたりもするのだけれども、
他のページでは、松田正平のデッサン、女を描いた絵を何枚も見ることができて、
このスケッチブックがどれもこれも実に素敵で、そして実に「いい女」。
「凄いねえ、女をこれだけ描けるのは松田正平しかいないよ」と洲之内は言う。

そういう洲之内徹のまなざしそのものに、とても惹かれるものがあって、

あるページでは奈良での洲之内、水田の向こうの丘に見とれ、
志村ふくみの実兄の小野元衛の絵の中に、
「冴えた、ちょっと淋しい朱の色と点在する緑」を見て、
毎年の日本橋浜町での浜町音頭を見物に行って、
浜町囃子の女のひとたちの「緩急自在なその身のこなしの清々しさ」に見とれ、
早朝の蠣殻町のマンションのベランダの朝顔を見て西行の歌を思い出したり、
「色が喋り過ぎれば色を黙らせ、質感が喋り過ぎれば質感を黙らせる」セザンヌを見たり。
野見山暁治の油絵を見て、「画面が刻々と変化し、推移するが、
考えてみれば、動き続けているのは野見山さんのイメージなのだ」と気付き、
「走っている今の時点にしか〈私〉はいない」と言う野見山の声を聞く。

それから、何度も登場する隅田川、新大橋や清州橋から隅田川を眺め暮す洲之内徹は、
「ただ一つ、水の流れだけは昔も今も変わらないという至極当り前のことに」気付く。
あるページでは、 "美しき町" 中洲に思いを馳せる。

『人魚を見た人』を読んだあとでしみじみひたっているのは、
最終的には、やっぱり、隅田川の水辺を軸にした輪の中にある洲之内徹の風景だった。





  

8月20日火曜日/「洲之内徹の心情美術史」のなかの久保田万太郎

『セザンヌの塗り残し』所収「洲之内徹の〈心情美術史〉」より抜き書き。

《女でも花でも、長谷川利行は何を描いても「今がいとほし」なのである。
だからみんな利行に惹かれる。
言葉にならない、言葉にしようのない自分の感情を利行の絵の中にみる。
そして「今がいとほし」のこの「今」は何十年経っても現在の「今」で、
時代と共に古くなるということがない。

その、言葉にならない感情ということだが、
去年の暮、私は木村東介さんの『女坂界隈』という本を人から貰って読んでいるうちに、
ふと、長谷川利行を俳句で考えてみたらどうだろうと思った。
東介さんがそう言っているのではない。東介さんを引合いに出してこんなことを書くのは、
東介さんにとっては迷惑かもしれないが、ただ、その本には
長谷川利行のことを書いた一章があると同時に、別の章で、
湯島の女坂の下に住んでいた頃の久保田万太郎の話が出てきて、
そこで作った万太郎の句が二十句ほど並べてある。
利行のことを読んだあとでその句を見ていて、私はそう思ったのだ。
例えばこんな句がある。

寒 き 日 や 心 に そ ま ぬ こ と ば か り
悔 あ り や な し や 扇 を 捨 て に け り
年 の 市 提 燈 一 つ 燃 え に け り

女坂時代かどうかわからないが、こんなのもある。

た か だ か と あ は れ は 三 の 酉 の 月

私は俳句のことは知らないし、いま挙げたのが最も万太郎らしい句なのかどうかも知らないが、
言葉にならないといっても、だからこそいっそう強く内から表現を迫る感情を表出するには、
論理的な継承性を断ち切った言葉の、その断絶のエネルギーによって、
形のないそのものに形を与えるという、そういう操作が必要なのではあるまいか。
もののあはれ、というやつだ。散文ではどうにもならない。
私の理解のし方では、俳句というものはそういう仕掛けになっているらしい。
俳句の言葉は、一つ一つにではなく、言葉と言葉の間隙に意味がある。
そして、長谷川利行の表現がこれだと私は思うのだ。
文字の代りに、色や線という、いわゆる造型言語によってそれをやっている。》



洲之内徹の「気まぐれ美術館」シリーズの三冊目『セザンヌの塗り残し』の巻末に、
芸術新潮連載100回記念として、「洲之内徹の心情美術史」と題された七つの文章がある。

上の抜き書きは、その最初の文章、《油絵で描く日本的心情――長谷川利行の「今」》より。

昨日の日日雑記に、久保田万太郎と洲之内徹の名前が出たので、
これはよい機会と、昨日の補足の意味も込めて抜き書きした。

『セザンヌの塗り残し』を読んだ際は、うっかり書き損ねてしまったけど、
洲之内徹が、久保田万太郎の俳句を挙げつつ、
長谷川利行の風景について書いていたことは、とても嬉しいことだった。
洲之内徹の文章を読むと嬉しいことばかりだけど、それにしても嬉しかった。

数カ月前に、上記の洲之内の文章を初めて読んで、
いてもたってもいられず図書館へ、木村東介著『女坂界隈』を借りに行った。
『女坂界隈』には湯島の久保田万太郎に関する章があり、長谷川利行礼讃の章もあり。
洲之内徹がこの本からピックアップした万太郎俳句は、
洲之内好みの句なのかな、そんなことを思うのもたのしいことだった。

最後に挙げている句、

た か だ か と あ は れ は 三 の 酉 の 月

は、短篇小説『三の酉』の結びの句でもある。

先日発売になったばかりの、講談社文芸文庫『春泥・三の酉』の解説によると、
成瀬桜桃子が、《小説全体が句の前書になっている》と論じているそうで、
星川清司さんは『小村雪岱』で《浅草観音堂の堂宇のはるか彼方につめたい風が吹き、
夜空に漂うその三の酉の月こそが、万太郎そのひとなのだろう。》と書いていた。

戸板康二の『万太郎俳句評釈』[*] の見出しになっている湯島の句に、
「つたへけり梅の湯島の家元と」があり、ここで湯島の家の様子を読んでみると、
くだんの『女坂界隈』の木村東介さん登場。湯島の家のすぐ近くの美術商で、
ひんぱんに万太郎邸に来ていたそうで、時分どきになると、
蓮玉庵からの天ぷら蕎麦をごちそうになることがしょっちゅうだったそう。
まあ! 蓮玉庵! 「蓮枯れたりかくててんぷら蕎麦の味」だ。

久保田万太郎の俳句を胸に刻むとき、いつも思うのは、
詩人でしか捉えることのできない一瞬の、すぐに消えてしまう一瞬を
俳句という形で見事に詩にしているということ、その言葉の巧さということだった。

一見なんでもないような見たまんまの写生でしかないようでいて、
万太郎の手にかかると、その句は一瞬にして、キラッと眩しい詩になっている。
万太郎の俳句を垣間みると、ちょっとした気分がキラリと軽やかに風格をもって、
五七五の言葉になっていると同時に、それは、とうてい言葉にするのは不可能な感覚だったりする。
でも、万太郎の手にかかると、一瞬にして、俳句という言葉になっているその不思議さ。

とうてい言葉にするのは不可能な感覚を俳句という言葉にしている万太郎、
洲之内徹の文章では、長谷川利行の表現のことが登場するわけで、
しみじみ感じ入ってしまうものがある。そう、みんな利行に惹かれる。

「洲之内徹の心情美術史」掲載の「芸術新潮」1982年4月号、
洲之内徹と久保田万太郎と長谷川利行、まあ! と興奮は冷めず、
掲載誌の「芸術新潮」を古本屋さんで買っていて、ちょくちょく眺めている。
雑誌ではわりと大きめの長谷川利行の《街景》の図版を見ることができる。
ここだけではなく、「洲之内徹の〈心情美術史〉」は7篇とも絶品。

さらに、この号は、白洲正子の文章に和歌山県の道成寺のことと、
道成寺縁起絵巻のくだりがあって、これも素晴らしい文章だった。初めて読んだ文章だった。
いつかの年末に和歌山県の道成寺に行った自分の体験が急にイキイキと甦った気持ちがした。





  

8月25日日曜日/秋の美術館お出かけ計画

戸板康二ダイジェスト、順調に更新中。(#004)



ひさしぶりに阿佐ヶ谷で映画、小津安二郎の『小早川家の秋』を見た。
この映画もスクリーンで見るのは今回で何度目だろう、
小津安二郎の映画が上映されていると、いつもとりあえず見に行っている。
見れば見るほど、その研ぎすまされたスクリーンに夢中。

来年2003年は、小津安二郎生誕100年なので、回顧上映の類がいかにもありそうだし、
とある出版社から脚本全集が刊行予定とのことで、なにかとたのしみが待っている。

午後は、国立へ行った。ロージナ茶房でコーヒーを飲んだ。
またもやコーヒー1杯でずいぶん長居をした。
滝田ゆう展のポスターが貼ってあって、嬉しかった。
「芸術新潮」に、梅雨の季節に見物に行った《花森安治と暮しの手帖》展の記事があって、
「おっ」と思ったあとに、いろいろ展覧会の案内記事を目にして、大興奮。
いろいろと計画を練ったりした。毎年秋はいつも楽しいことが目白押し。

まず、前々から非常にたのしみで、楽しみ過ぎてムズムズしているのが、
神奈川県立近代美術館の《チャペック兄弟とチェコのアヴァンギャルド》。

それから、東京芸術大学大学美術館の《ウィーン美術史美術館》もたのしみで、
個人的には、これらの展覧会で、かつての欧州旅行の追体験を出来そうなのが嬉しいこと。

前から一度は行ってみたいと思っていた黒田清輝記念館が、
来月から土曜日も開館になるそうなので、セットで訪れたいなと思う。
黒田清輝の方は単に建物がどんな感じだか見てみたいというしょうもない動機。

さらに、千葉市美術館では、《青春の浮世絵師 鈴木春信−江戸のカラリスト登場−》。
こっちの方は、どういう散歩コースにしようかなと思案中。

……とかなんとか、ロージナという喫茶店で、いろいろお出かけ計画を練った。
行きたいところはまだまだありそうだ。
と、いろいろ計画を立てているときが一番たのしかったりする。

8月最後の、日曜日の午後はそんな感じに過ぎていった。





  

8月26日月曜日/小津安二郎のほうへ、新劇史、書物の中の劇場

映画を見始めた頃は、外国映画一辺倒だったのが、
日本映画を急に見るようになったのは、1998年の初頭、
銀座の並木座の小津安二郎特集がきっかけだった。
小津特集のあとは、黒澤、成瀬巳喜男とまとめて見ることができ、
その年の秋に並木座が幕を閉じたので、ギリギリ間に合った格好となってよかった。

原節子ものを中心とした、戦後のいかにもな小津映画ももちろん大好きなのだが、
小津安二郎のさらに夢中になったのは、なんといっても、
戦前の小津の「モダーン!」さを知ったことに負うところが多かったように思う。

その系譜の映画は、並木座が閉館したあと、古い日本映画を上映する映画館が
渋谷や阿佐ヶ谷と次々に開館して、そこで観ることになって、
『淑女は何を忘れたか』をはじめとする小津映画にあらためてメロメロ、
並木座で見逃した映画を知って、並木座で見た映画を見直して、
小津安二郎の全貌を掴んで、そんな感じに昔の日本映画にさらに夢中になった。
昭和初期モダニズムの空気に特に夢中で、今でも日本映画でもっとも好きな系譜。

そして、去年は、阿佐ヶ谷の成瀬巳喜男特集で、
たとえば『妻よ薔薇のように』とか『乙女ごころ三人姉妹』とか、
そのあたりで、またもや「モダーン!」な成瀬映画を見ることが出来て、
今年は、三百人劇場で見た、島津保次郎がハートに直撃だった。

去年の秋に、みすず書房の「大人の本棚」シリーズから、
田中眞澄編の『小津安二郎「東京物語」ほか』が発売になって、
とりわけ、冒頭にちょっとだけある「モボ・エッセイ」と題された文章が大好き、
それから、メインの『東京物語』のシナリオ、きちんと読むのは今回が初めてだった。
戦時中の書簡の収録もあって、戦前の小津にも重点をおきつつ、
戦後の『東京物語』もあって、自作解説でほぼ全映画を網羅しており、
小津安二郎がバランスよくコンパクトにまとまっていて、なかなかよかった。
でもって、はじまりは「モボ・エッセイ」、これなんだなあと思った。

そして、6月に、やはりみすず書房から、同じく田中眞澄による文章集、
『小津安二郎のほうへ』が発売になって、いかにもみすず書房な装幀が素敵で、
表紙写真のかっこいい小津安二郎と相まって(本当はこの隣に田中絹代が写っている)、
本全体の手触りにうっとり、副題の「モダニズム映画史論」にもとても惹かれる。
というわけで、「大人の本棚」のときとまったくおんなじように、
本屋さんで見つけて、パッと買って、パッと読んだ。

ところどころの著者の言葉遣いがなんとなく鼻についたりもしたのだけれども、
全体的には、小津安二郎を通した昭和モダニズムの概説書として読むことができて、
その点でとても魅惑的だった。戸板康二の書物を通して知ったことを
別の角度から捉え直すこともできるという面も多々あって、なにかと刺激的。

『小津安二郎のほうへ』のあとは、戸板康二の『新劇史の人々』[*]
あらためてじっくり読みふけって、あらためて名著だなあと深く感じ入った。
まず文章がいい。その余韻を胸に、神保町のゴルドーニという本屋さんへ行って、
前から気になっていた、『対談日本新劇史』[*] を買ったりもした。
その流れでもって、高野正雄著『喜劇の殿様  益田太郎冠者伝』を読んだりも。
というわけで、今年の夏は、演劇史的なことを、いろいろ書物で垣間見るのを楽しんでいた。



ところで、田中眞澄著『小津安二郎のほうへ』では、他にも嬉しいことがあった。

去年の9月に、突発的に駒場の東京都近代文学博物館へ行って、
《東京の文学 人と作品―明治―》という催しを見物したのだが、
そのときに、過去の展覧会のポスターで知ったのが、
《東京の劇場 猿若町から築地小劇場まで》という展覧会、
まあ! 見たかった! と、ちょっぴり悔恨だった。

『小津安二郎のほうへ』には、東京都近代文学博物館にて2001年春に開催の、
《東京の劇場 猿若町から築地小劇場まで》に関する文章が収録されていて、
そのあとには、去年の夏にたいへん堪能した、
東京都現代美術館の《水辺のモダン》に関する文章もあり、
《水辺のモダン》について1年たって振り返ることができると同時に、
見逃してしまった《東京の劇場 猿若町から築地小劇場まで》に、
思いを馳せることもできたわけで、なかなか味なひとときだったのだ。

東京都近代文学博物館の《東京の劇場 猿若町から築地小劇場まで》の構成は、

  1. 江戸の演劇空間:猿若町以前、江戸三座以外、猿若町
  2. 明治以後の歌舞伎:新富座・市村座・明治座・歌舞伎座
  3. 新派と中小の劇場:真砂座、本郷座、宮戸座 etc
  4. 有楽座・帝国劇場・築地小劇場
というふうになっていたのだそうで、筆者によると、
「東京の演劇状況の推移を、劇場という単位に集約し、
それを文学者たちの言説で註釈する形」がこの展覧会の方法論とのこと。

このあとで、それぞれの劇場に添えられた文学作品名とともに、
東京の劇場をたどることができて、今はなき東京都近代文学博物館の空間とともに、
見逃してしまった展覧会のことがヴィヴィッドに見えてきたような気がした。

添えられている文学者とその作品名をたどるだけでも胸が躍ってしまって、
市村座の項では、戸板康二の文章も引用されていたそう。ああ、見たかった!

もっともハートに直撃だったのが、まず真砂座で、
久保田万太郎の『春泥』、小山内薫の『大川端』、永井荷風の『夏の日』。

荷風は、宮戸座の『すみだ川』、深川座の『深川の唄』、
そして、帝国劇場の『腕くらべ』、浅草オペラの『葛飾情話』、
というふうに、最多登場となっている。

そして、宮戸座。

荷風の小説でわたしの最も好きな部類のものは、なんといっても『すみだ川』。
久保田万太郎に夢中になってから、宮戸座に興味津々になっているのだけれども、
水上瀧太郎によると、『すみだ川』の宮戸座のシーンは、

《宮戸座の立見席から、十六夜清心の舞台をのぞく一場面の如きは、
一度この作を読んだ人の永久に忘れ能わぬところであろう》

まさしく、その通り。一度読んだら忘れられない。

『すみだ川』が書かれたのは明治42年。
大久保時代の荷風は、万太郎に誘われて、
宮戸座の澤村源之助を見るため、浅草まで足を運んだりしている。

そのあたりの、久保田万太郎による回想がまた名文で、
その効果もあって、浅草の小芝居、宮戸座のことが頭から離れず、
同時に、久保田万太郎によって、江戸東京のフォークロア的なものとして、
あらためて黙阿弥に開眼だった。そのまっただ中で、
今年3月、歌舞伎座で『十六夜清心』を見ることができて、グッドタイミングだった。

宮戸座に関しては、戸板康二の場合は、『劇場の青春』[*] に、

《宮戸座の源之助を文献によって知るよりほかない年齢の僕にとって、
丁度深夜のプラットフォームに立って終列車の絢爛たる窓を見送った印象として
今だによく覚えているのが、大正15年4月、市村座の芝居である。》

というなんとも素敵な書き出しの「桜餅」という文章があって、
このとき、黙阿弥の『忍ぶの惣太』が上演され、源之助は女長兵衛で『鈴ヶ森』に出演したとのこと。

戸板康二のお父さんは万太郎と同級生で宮戸座に通っていた仲間だったという。
久保田万太郎を読むようになってから、フツフツと思っていることが、
戸板康二のお父さんの世代の人物誌を作れないかということ。
その世代がそのまま、水上瀧太郎、小村雪岱らの「九九九会」の面々にあてはまり、
谷崎潤一郎などもその世代だ。彼らと戸板康二との間には、
歴然とした東京の変貌がひそんでいるような気がする。

……とかなんとか、『小津安二郎のほうへ』所収の、
東京都近代文学博物館の《東京の劇場》に関する文章はなにかと刺激的で、
ここに挙がっていた作品を読み返すことで、ひさびさに荷風にひたったりもして、
今年の夏は、「書物の中の劇場」の系譜をたどるのを楽しんだりもしていた。

と、同時に、『新劇史の人々』[*] の小山内薫の項に、
明治42年11月の、有楽座第一回公演の初日を、森鴎外が『青年』に描写している、
とあったのを思い出して、「書物の中の劇場」の系譜の一貫として、『青年』を読んだ。
実は、そういうことを抜きにしても、『青年』はなかなかの見ものだった。

戸板康二を読むようになって、今までと違う見方でもって、
森鴎外を捉えるようになって、すなわち、新劇史との関連で鴎外を見るのが、
目が覚めるくらいに面白かった。その原点に立ち返った時間でもあった。

というふうに、今年の夏は、演劇史的なことと書物の中の劇場、
あっちをうろうろ、こっちをうろうろ、なんともせわしないことをしていた。





  

8月28日水曜日/『三四郎』のこと、『劇場の椅子』から野上弥生子の『真知子』へ

更新メモ:戸板康二ダイジェスト、とある古書展でのお買い物について。(#005)



前回の日日雑記に、森鴎外の『青年』に、
明治42年11月の、有楽座第一回公演の初日の描写があるのを知って、
ひとりで勝手に作り上げて悦に入っている「書物の中の劇場」シリーズを機に、
未読だった『青年』を読んだ経緯について少しだけ書いた。

鴎外はいままで緩慢にポツポツと一年に1冊か2冊くらいを読んでいて、
そのたびに、読みどころ満載だなあとしみじみ感じ入っていて、
熱心な愛読者というわけではないにしても、こんなふうに
たまにひょんなきっかけで読むというスタンスで、
生涯、鴎外を読んでいきたいものだなあとあらためて思った。

おんなじように、10年以上にわたって、たまにポツポツと読んでは、
やっぱり凄いものだなあとしみじみ感じ入っているのが、漱石。

漱石の方は、鴎外よりももうちょっと激しい読み方をしていて、
中学生の頃に初めて『こころ』を読んで以来、3年周期くらいで、
猛烈に漱石を読みたくなる時期がめぐってきて、そのたびにどっぷりとひたっている。
一番最近の漱石ブームは、一昨年だったか、未読既読を合わせて、何冊も濫読した。
この漱石を読みたくなる周期というのは、いったいどういうわけなのかどうかは、
自分でもよくわからぬのだけれども……。

とにもかくにも、鴎外と漱石、そろそろもうちょっと深く入り込んで、
もうちょっと深い読み方でもって、生涯にわたってつきあっていく土台を、
そろそろ得たいものだなあなあというところではある。

……というようなことを『青年』のことを書いたあとぼーっと思ったのだったが、
いや、待てよ、と、「書物の中の劇場」シリーズのことがまたもや気になり出した。

鴎外の『青年』というと、どうしても漱石の『三四郎』のことも思い出してしまうのが、
その『三四郎』にも観劇シーンがとても鮮烈な場面として登場していたではないか、
と、いったん思い始めると、もう頭のなかは「書物の中の劇場」シリーズのことでいっぱい。

こうしてはいられぬ、と、夜ふけの部屋で、本棚探索、
岩波文庫の『三四郎』をようやく発見して、ペラペラとめくって、
当該の観劇シーンを読み返したりした。ここで登場するのは、
明治40年11月の文芸協会第二回大会、坪内逍遥訳の『ハムレット』を上演している。

とかなんとか、何年ぶりかで、『三四郎』を手にとって、
鴎外の『青年』との比較の意味も込めて、はじめのページから読み始めてみると、
もう夢中、一昨日の夜ふけから今日にかけて、『三四郎』にどっぷりとひたった。
やっぱり、いろいろな意味で面白いなあ、と『三四郎』の読後感は深く、
余韻覚めやらず、帰り道の本屋で、筑摩書房の「明治の文学」の夏目漱石の巻が、
『三四郎』なので、そこの図版と合わせて、思わず熱心に立ち読みしてしまって、
巻末の井上章一の解説を読んだりも。そうそう、『三四郎』に出てくる、建築談義も面白い。

漱石の小説を読んでいつも思うのは、そこに登場する女の人が好きだなあということ。
『三四郎』だと、必ず「美禰子とは何か」論が登場するような印象だけれど、
わたしは、美禰子さん、結構好きで、美禰子さんの気持ちもなんだかよくわかる気がしている。



と、思いがけなく、漱石の『三四郎』再読に夢中だった。

「書物の中の劇場」シリーズについてはまだ書き足したいことがある。

しばらく、就寝前の寝床で、少しずつ戸板康二の『劇場の椅子』[*] を読み返していた。
昭和20年代半ばの演劇にまつわるエッセイ集という体裁なのだが、
読めば読むほど、この本の名著ぶりが目映いばかりで、いつも胸がいっぱいになる。
なんといったらいいか、ほんの短い一篇一篇の醸し出す香気が、
短編小説のような深さと余情を生んでいて、高度の文学性のようなものが素敵で、
さらに、読むたびに、新しい感想を得ている。まさしく、一生の宝物、の本。

『劇場の椅子』を手にとったのは、阿佐ヶ谷の映画館で6月に、
久保田万太郎が脚本構成している『渡り鳥いつ帰る』という映画を見て、
その原作になっている、永井荷風の戯曲2本と短篇1本を読みたくなって、
図書館で荷風全集を借りて、初めて荷風のシナリオを読んだとき、
『劇場の椅子』のなかに「荷風戯曲の背後にあるもの」という
文章があったのを思い出した、という経緯だった。
映画のもとになっている、戯曲『春情鳩の街』のことが冒頭でさっそく言及されている。
この戯曲の上演は、戸板康二の『劇場の椅子』とは同時代の出来事、
そんなことを思うと、「荷風の戦後」という観点があらためて気になったりもした。

というわけで、『劇場の椅子』を手にとって、はじめのページから、
夜寝る前に少しずつ読み返す、ということをしていたのだが、
最後の方の、「真知子の眼」という文章を読んで、
あっ、ここにも「書物の中の劇場」が! と、ちょっとだけ興奮だった。
その頃、「書物の中の劇場」の系譜をたどるのに夢中になり出したまっただ中だったから。

「真知子の眼」の書き出しは、

《近代小説の中に歌舞伎や能が、場面として用いられた時に、
それらがどう扱われているか。エッセイとして興味深い主題である。》

というふうに、なっている。うんうん、と、読みすすめてゆくと、

《能を扱った小説では、野上弥生子氏の「真知子」が最もすぐれた作品であろう。》

として、小説の中の能として、野上弥生子の『真知子』のことが話題にあがる。

《真知子は、豪族の息子として生れた知識人と能の将来について語り、
青年の言葉として、能の特徴は今後若い、新しい鑑賞家によって
一層よく明かにされ、そのことによって能が新しい生命を回復するであろう
といわせているのであるが、しかもなお「真知子」によって、
能というものが、読者に与える感じは、とりつく島のない金ぶち眼鏡の権高さであった。》

というふうな一節があって、この小説の背景は20年余りも昔だが、
能が、そういう廊下の雰囲気をやはり今も持っているのは事実だ、と続く。

『劇場の椅子』よりも20年あまり昔ということは、
『真知子』の時代背景は大正終りか昭和初期かということを思い、
戸板さんの「真知子の眼」に刺激を受けた格好で、
野上弥生子の『真知子』をぜひとも読んでみようと思った。
ひとりで勝手に作り上げて悦に入っている「書物の中の劇場」シリーズに
新たな一冊が加わった、と、動機はえらく些細なものだった。

それに、わたしはこれまで、野上弥生子の小説は一冊も読んだことがなかった。
またもや、戸板康二のおかげで、新たな書き手へ接近、というのも嬉しいではないか、とも思った。

そして、今月のはじめに国立能楽堂で、観世銕之丞の『敦盛』を見て、
ひさしぶりに、能の舞に酔いしれたあと、その『真知子』のことを思い出し、
背中をポンと押してもらった格好となった。もう、いてもたってもいられぬ。
野上弥生子の『真知子』は上下二冊として、岩波文庫で出ていて、
今年の2月に一括重版になったばかり、とタイミングもよかった。

……というわけで、前置きが異様に長くなってしまったが、
野上弥生子の『真知子』を読んだ。そして、その読後感は想像以上に深く深く、
読了した日の帰り、喫茶店に寄り道して、文庫本をペラペラと
ピンポイント式に読み返す、ということをしばらく続けていた。

と、今年の夏は、演劇史的なことと「書物の中の劇場」の系譜、
あっちをうろうろこっちをうろうろ、と、本をいろいろめくったあと、
野上弥生子の『真知子』を読んで、急に頭のなかは野上弥生子のことでいっぱい、
野上弥生子のことでいっぱいになると、自然と漱石を読み返したくなるから不思議、
実は、冒頭で書いた『三四郎』、思わず夢中になって再読にいそしんだのは、
『青年』の刺激ではなくて、野上弥生子のことがあったからかとも思う。

というわけで、今年の夏は、野上弥生子を読み始めた夏でもあった。
といっても、今はまだ、『真知子』の他は、岩波文庫の『野上弥生子随筆集』を読んだところ。

このことは、後日にまた書き足すつもり。





  

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