日日雑記 June 2001

04 池田弥三郎の『銀座十二章』
05 フィガロの「本で旅する東京」のページ、成瀬映画で雅楽シリーズを類推
06 獅子文六の『悦ちゃん』
07 『肌色の月』読了、『但馬太郎治伝』読みはじめ
10 「ドキュメント・戸板康二道」と日日雑記の合併
11 獅子文六の『但馬太郎治伝』
12 ウナセラディ東京、アールデコ、荷風の『江戸芸術論』
14 安藤鶴夫の『わが落語鑑賞』にうっとり、奥村書店の木村荘八
15 渡辺保の『歌舞伎手帖』
18 獅子文六の『コーヒーと恋愛』
19 小沼丹の『珈琲挽き』や、『監督山中貞雄』のことなど
20 月の輪書林から届いた本 Part.2
21 掌の戸板康二著『酒の立見席』、「洋酒マメ天国」のこと
23 歌舞伎座行き、「歌舞伎 研究と批評」第27号
25 更新メモ、石神井書林の目録、戸板康二という観点
27 『東京 消えた街角』、人形町の末広亭
29 久生十蘭に耽溺、いよいよ『魔都』
30 歌舞伎座ブロマイドの整理

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6月4日月曜日/池田弥三郎の『銀座十二章』

月の輪書林から届いたばかりの、戸板康二の『わが交遊記』[*] で初めて知ったのだが、
花森安治と戸板康二が戦後の銀座の路上で再会して、暮しの手帖の創刊号から
戸板さんの「歌舞伎ダイジェスト」の連載が今まさに始まろうとしていた当時、
暮しの手帖社の前身、花森安治率いる衣裳研究所は銀座に編集室があって、
そこのビルは、雑誌「苦楽」の編集部と同じ建物だったという。

まあ! 暮しの手帖と苦楽! 戦後の美しきふたつの雑誌の編集室が、
同じ建物だったなんて、考えただけでワクワクしてしまうのではありませんか。

さっそく本棚から取り出して、暮しの手帖創刊号の奥付を見てみると、
その住所は「東京都銀座西八丁目五番地日吉ビル」。

鎌倉の鏑木清方美術館で買って来た、清方の「苦楽」表紙絵の図録所収の、
〈年譜・苦楽の軌跡〉を見てみると、苦楽の創刊は京橋だけど、
昭和22年に「東京都京橋区銀座西8ー5日吉ビル二階」に移転している。

戸板さんの文章によると、その建物は並木通りの西側にあったのだそうだ。

今の銀座のどのあたりになるのかしら、資生堂の本社のあたりかな、
とかなんとか、胸を踊らせているうちに、わたしは一冊の本を思いだした。

その書物は、池田弥三郎著『銀座十二章』(朝日文庫)。

坪内祐三の『文庫本を狙え!』で初めてその存在を知って、
bk1 に注文してすぐに届いたのだけど、そのままそれっきりになっていた書物、
こうしてはいられないッと、さっそく読み始めた。



池田弥三郎は、銀座のまんまんなかの天ぷら屋「天金」の三代目に生まれた、
正真正銘の銀座ッ子で、銀座の名物「天金」に関しては、
先日読んでいた、岡本綺堂の『ランプの下にて』にもその名前が登場していた。

読みはじめる前は、地誌的なことばかりだとわたしには退屈かなあ、
という不安もあったのだけど、そんなことはまったくの杞憂で、
最初から最後までとても面白く読むことができた。

池田弥三郎は戸板康二より一年上の大正3年の生まれで、
日中戦争前の小春日和的な、最後の「よき時代」の東京の町で若き日を過ごしている。
その眼を通して語られる、一級の東京論、都市論、という感じで、
そこには、天金をとりまくいろいろな面白い話が登場すると同時に、
様々な文学作品を引用しつつ、池田弥三郎の筆がチャキチャキと進んでいる。

『銀座十二章』に登場する文学作品をリストアップしてみると、

といった感じに、日頃から愛読している書物が次々に登場するのだから、
面白くないはずがない、という感じなのだ。

それから、日頃から興味を覚えていた、モダン都市東京、カフェーに喫茶店、
モダンガールの時代のことを、かなり具体的に捉えることができたように思う。



『銀座十二章』にもっともひんぱんに引用されているのは、
当然のことながら、荷風の『断腸亭日乗』である。

池田弥三郎は戸板康二の一年先輩、
慶応大学国文科で折口信夫のもとで勉強していた仲である。

ところで、荷風と慶応といえば、まっさきに頭に浮かぶのが、
『墨東綺譚』の「作後贅言」、
早慶戦終了後の銀座の、暴徒と化した慶応生の暴れっぷりへの
荷風のあくたいだ。そのあくたいは、『断腸亭日乗』にも何度も登場する。

わたしが初めて『墨東綺譚』を読んだとき、
「作後贅言」が非常にツボで、早慶戦のくだりにも、
「まったくいつの時代も変らず、いつも大学生は町の迷惑なのだなあ」
などと納得して、ついクスクス笑っていたのだったけれども、
池田弥三郎はまさに、『断腸亭日乗』で荷風に悪口を書かれた当時の、
慶応の学生で、銀座で大学時代を謳歌していたのだから、
筆者の実感と荷風の文章とを対照させて綴っている早慶戦のくだりは
『銀座十二章』の白眉というくらい、とても面白かった。



あと、荷風がらみでもうひとつ。

以前、川本三郎著『荷風と東京』(都市出版)で初めて知ったのが、
「銀ブラ」という言葉は、慶応生の学生言葉が発祥とのことで、
ここを読んで、「いつの時代も大学生は軽薄で困ったものだ」とクスクス笑っていた。
たしかに「銀ブラ」という略語はいかにも軽薄で、あまり品のいいものではない。

しかし、池田弥三郎は『銀座十二章』で、
再三にわたって「銀ブラ」という言葉への嫌悪を記していて、
《われわれ慶応の学生仲間たちも、銀座へ行こうかとは誘い合ったが、
銀ブラでもしようか、とは言わなかった。「銀ブラ」とは、
おそらく、社会部記者用語ではあるまいか》と書いている。

『荷風と東京』によると、「銀ブラ」の起源は、
荷風が築地や木挽町に住むようになったのと同時期、大正のはじめだという。

なので、池田弥三郎が生まれたのと同じ頃ということになるので、
「銀ブラ」という言葉=慶応大学発祥説は、どうなるのだろう?



それから、早慶戦がらみで、もうひとつ。

山口瞳の文章によると、東京育ちの野球好きの少年は、
まずは巨人ファン&早稲田びいきとしてスタートするのだという。
今では考えられないが、昔の東京では早慶戦は一大イベントだったとみえる。

池田弥三郎の文章によると、
《早慶戦ともなると、新聞は、常に早稲田に対しては寛大であって、
慶応に対しては苛酷であった、というのが、わたしたちの歎きであった。
身びいき、身勝手だと割引しても、どうしても、新聞は早稲田に対して同情的に思われた。
何しろ新聞記者は早稲田出身者ばかりだからと、わたしたちはひがんだのである。
慶応に同情的だったのは、わずかに「時事新報」だけであった。》
とのこと。

ここの「わたしたち」に戸板康二も含まれていると思って、間違いはなかろう。

このあたりのつらい体験に、後年の戸板さんの
「アンチ巨人」の素地があったような気がしてならない。

戸板さん内部のアンチ巨人の源泉は、このときのつらい体験にあったのだ。
このときのつらい体験が、戸板さんを「判官びいき」へと、
すなわち「アンチ巨人」へと導いたに違いない。

戸板康二のアンチ巨人問題の新説が、ここに!
と、思わず興奮してしまった。

なーんて書いている今、巨人は五連敗中で、
先週末の春の早慶戦は、早稲田の二戦二勝であっけなく終了したとのこと。



そうそう、わたしのとって、『銀座十二章』が面白いのは、
やはり何度も「友人の戸板康二君」が登場するという点にもある。

あとがきによると、池田弥三郎はこの『銀座十二章』執筆のためのメモを
旅先の火事で焼失してしまったのだそうだ。

戸板康二から借りていた、河盛好蔵の『巴里物語』もその火事で焼いてしまって、
後日、《戸板君にわびを言ったら、彼は「パリ燃ゆ、だね」と言って笑った。》とのこと。

いいなあ……。戸板さんの人となりがヴィヴィッドにあらわれているエピソード。
友人の災難をねぎらうかのようにちょっとしたウィットで返して、場を和ます戸板さん。

またもや、山口瞳の文章を思いだしたのだが、
『年金老人奮戦日記』の戸板康二追悼の文章のくだりに、こんな一節がある。

《戸板先生が下咽癌で慶応病院に入院したとき、見舞に行った池田先生が
「戸板は癌だってことを知らないんだよ。
友達に嘘をつかなくちゃいけないのが辛くてねえ」という話をしたのだが、
その池田先生の方が、先きに癌で亡くなってしまった。》

戸板康二による、池田弥三郎への追悼は、
『六段の子守唄』[*] で読むことができるのだが、戸板さんの無念がにじみ出ている。

『銀座十二章』で初めて知ったことはまだまだたくさんあって、
戸板康二と池田弥三郎が初めて会ったのは、銀座西五丁目の日動画廊の喫茶室なのだそうだ。
イギリス風の落ち着いた、天井の高いお店だったとのこと。

戦後の、銀座の路上の花森安治と戸板康二の出会いといい、
戦前の、モダン都市銀座の喫茶室の池田弥三郎と戸板康二の出会いといい、
銀座という町には、こんな出会いがいかにも似つかわしいなあと思う。




  

6月5日火曜日/フィガロの「本で旅する東京」のページ、成瀬映画で雅楽シリーズを類推

雑誌売場で、女性誌をあれこれ立ち読みしていたとき、
フィガロの「本で旅する東京」というページが目にとまった。

内容は、詩人の城戸朱理氏と豊崎由美さんの対談なのだが、
グラビアで紹介されている本のタイトルがなかなかいい感じなのと、
ざーっと対談を斜め読みすると「ボン書店」という言葉が目について、
「おお!」と嬉しくなってしまい、思わず衝動買いしてしまった。

ボン書店というのは、昭和初期のモダニズム出版社のことで、
石神井書林の内堀弘さんによる『ボン書店の幻』という本を
4月に読んで、いたく心に残っている名前なのだ。
(ちなみに、この本のこともさる方からのメイルで教えていただいたのだった。)

あとで、あらためてフィガロをじっくり見てみると、やはりなかなか面白い。
乱歩とか吉田健一とか内田百間とか武田百合子さんに
殿山泰司といったお馴染みの書き手による本が載っているかと思うと、
女学生のことに愛読していた萩原朔太郎の名前がちょろっと出たり、
そうかと思うと、全然興味のなかった最近の書き手も載っていたり、
そのあたりのバランスがとてもいい感じだった。

そして、このページを機に読んでみようと思った本も少しあって、
たとえば、

といったところだろうか。

そして、本のページだけでなく、雑貨の特集や靴のページが個人的にはとても楽しく、
今号のフィガロはとてもよかった。満足満足。

よく買っている女性誌というとシュプールかギンザくらいで、
フィガロは海外特集くらいしか読んでいなかったのだけれども、
そうそう、去年の年末に美容院で見ていたフィガロに古本屋特集があって、
これもなかなか面白かった。今回のように対談が中心なのだけど、
編集がとてもしっかりしているように思った。
で、思わず、後日、教文館で購入したりも。

フィガロ、女性誌の本特集では例外的にいい感じだ。
マニアックにもフェミニン(もしくはガーリー)にもいかず、いい意味での中庸。



夜は阿佐ヶ谷に寄り道して、成瀬巳喜男の『芝居道』を観た。
長谷川一夫と山田五十鈴、古川ロッパに志村喬という豪華キャストで、
小林信彦の『日本の喜劇人』の余韻で、ロッパ目当てで観に来たのだが、
明治の芸道ものというストーリーが、たまたま岡本綺堂の『ランプの下にて』の
余韻がある最中だったこともあってか、しみじみ胸にしみいった。

舞台は道頓堀の芝居町、江戸の新富座の守田勘弥も登場。
興行主のロッパがちょっとしたトリックで
人気役者の慢心があった長谷川一夫を芸に精進させるという展開が、
もう思いっきり既視感! 

なぜ既視感だったかというと、それは戸板康二の中村雅楽シリーズの空気と
非常によく似ていたから。つい雅楽を類推してしまったのだった。




  

6月6日水曜日/獅子文六の『悦ちゃん』

書きそびれていたのだけれども、
先週末の所用の通り道にふらりと足を踏み入れた古本屋で、
● 久生十蘭『肌色の月』中公文庫
● 獅子文六『悦ちゃん』角川文庫
の2冊を発見、即購入した。

奇しくもいずれも「新青年」関係の書き手となっていて、
そして、いずれも長らく探していた本、
本文を読んだこともなければ書物を手にしたこともない、
という正真正銘の探究本だったので、
こんなに嬉しいことはないッ、という感じだった。

『肌色の月』には、表題作に『予言』と『母子像』が付いていて、
その『予言』の手前のところに、栞がわりに、
何年前だかわからぬジャンジャンにおける「美輪明宏の世界」のチケットが挟んであって、
前の持主さん、なんだかいかにもだなあ、という感じでおかしかった。

緩慢な、獅子文六読みをここ2年くらいしているのだけど、
『悦ちゃん』は、雑誌「文学界」の新年号の、
「読み継がれよ20世紀日本」なる特集で、
堀江敏幸が獅子文六の名前を挙げていたとき、
紹介されていた作品で、それ以来とりわけ気になっていた書物。

堀江敏幸→獅子文六というのは、わたしにとっては
好きな書き手が好きな書き手の書物を紹介しているという、
典型的な幸福な連鎖である。
文芸雑誌などめったに買わないのだけれども、
浅田彰によるアルゲリッチ演奏会評も載っていたりもして、
思わず買ってしまった「文学界」だった。

そして、時を同じくして、講談社文芸文庫から、
獅子文六の『但馬太郎治伝』が発行されたので、
獅子文六の小説を文庫ではほとんど読めない現在だけど、
そろそろ、獅子文六復活の気運が高まっているのかもと、
ひそかに期待しているし、心から願ってもいる。

獅子文六の小説をもっともっと読みたい。

堀江敏幸の真似をすると、
獅子文六をぜひとも復刊しなければならない! のだ。



そして、さっそく『悦ちゃん』を読み始めたのだが、一気に読了してしまった。
全体を覆うトーンとかセンスが、ほんわかと胸にしみいった。
なんていう幸福な本読みの時間だったことだろう!

悦ちゃんは10歳の女の子、三年前にお母さんが死んでしまって、
お父さんの碌さんと暮らしている、おしゃまでかわいくて聡明な女の子。
お父さんと仲良く銀座でお買い物していたりといった、
昭和初期のモダン都市の風景をここでも味わうことができて、
路面電車やデパートに日比谷の音楽堂の風景にもうっとり。

悦ちゃんは《デイトリッヒが子供の時には、こんな声を出したと思われるような声》の持主で、
お母さんを早くに亡くしていることもあって、
碌さんのお姉さんの有閑マダムな叔母さんの子供たち、
すなわち悦ちゃんのいとこが《砂糖菓子にキャラメル娘》だとすると、
悦ちゃんは《胡椒娘(パプリカ)》といったところ、

……という感じに、まずは悦ちゃんの姿や人となりがとても魅力的で、
映画で言うと『地下鉄のザジ』風でもあり、
小説で言うと、久生十蘭の昭和10年代の短篇に出てくる、モダンガール風でもある。
「んまあ、お嬢さまのお品が下がりますッ」(←マドレーヌの絵本ふう)という感じの
男言葉なところなんて、久生十蘭の文中の巴里に学ぶ留学少女にそっくりで、
その姿がとても愛らしくて、ついにんまり。

お父さんの碌さんの「のほほーん」として、テンションの低いところもとてもいい感じで、
サイレント時代の小津映画の岡田時彦を勝手にイメージ。昭和10年代の佐分利信もよいかも。

(あとで調べてみたら、『悦ちゃん』は1937年に映画化されていて、
日本映画データベースによると、実際はこんな感じだった。)

のほほんとしているお父さんだから、あまり裕福ではないのだけど、
《金もない癖に、いったい、平常から、悦ちゃんの洋服や靴を、
スマートな好みで仕立てたがる。今日の悦ちゃんの服装なぞも、
帽子、ドレス、靴まで白ずくめで、まるで西洋の子供のよう。
銀座を歩いている子供の中でも、一際、颯爽として、……》
というおしゃれさんぶり、お金はなくとも貧乏臭いのはダメッなのだ。

碌さんはお買い物の際、《 "もっと安いの" という言葉が、ラクに出ない男》で、
あと、不良品を買ってしまい返品を申し出るときなども、
《碌さんは生れつきの弱気と見栄張りで、品物取替なんてことは大嫌いである》というのだ。
そんな碌さんに、わたくし、他人とは思えないところが……。

全体的には、ケストナーの『点子ちゃんとアントン』とか『ふたりのロッテ』にトーンがよく似ている。
昭和10年代の日本の新聞小説『悦ちゃん』は、ケストナーの世界。

ツンとしたインテリ令嬢のカオルさんに、
デパートガールの心優しく慎ましい美人、鏡子さん。
鏡子さんの家族の肖像、
悦ちゃんと鏡子さんの意気投合ぶり、人を見る目の確かな聡明なふたりの女性。

そんな描写のひとつひとつもとてもよかった。
碌さんと悦ちゃん、鏡子さんの職場の銀座のデパートの風景に彼女の家族、
悦ちゃんの学校にいとことの交流、いやーな感じの作曲家とカオルさん、などなど
新聞小説ならではの短い場面切り替えが非常に効果的で、そこが映画的でもあった。



聡明で美しい二人の女性、悦ちゃんと鏡子さんの描写に、
獅子文六の人間観が如実に出ているような気がする。

堀江敏幸によると、『悦ちゃん』は、先妻をなくして後妻を迎えた獅子文六が、
「二番目の妻への、血はつながっていない母と娘のあいだにも
幸福は成り立つはずであるという励ましをこめて書かれた」とのこと。

先妻のフランス人の妻を病気で亡くすという辛い体験が、
獅子文六をして『悦ちゃん』のような、「明るさの底のかなしみ」
「湿り気のない独特の感傷」を書かせるに至ったという。

男言葉の朗らかで賢いお嬢さんの悦ちゃんは、確実に自分の人生を客観視していて、
子供ながらも、というか、子供だからこそ醒めた視線を持っている。
そして、それだからこそ、自分自身の幸福を見極め、決して信念を曲げない悦ちゃん。
たしかな審美眼と人を見極める目を持っている聡明な女の子。
そのことは、悦ちゃんの同士となる鏡子さんの姿にも重なる。

『悦ちゃん』は、モダン都市文学としてもモダンガールの肖像としても、
獅子文六の醒めつつユーモアを失わない魅力的な人間観という面からも、
素敵で魅惑的で胸にしみいる物語だった。

そして、一番深く胸にしみいるのは、獅子文六のむしろ諦観からくる、
渇いたユーモアが全編に貫かれていること。この感覚が非常に好きだ。

獅子文六をぜひとも復刊しなければならない。




  

6月7日木曜日/『肌色の月』読了、『但馬太郎治伝』読みはじめ

久生十蘭の絶筆で未完のミステリ中篇、『肌色の月』を一気に読んだ。

夫人によるあとがきが涙なくしては読めない。
あまりにも惜しい人物を亡くしたと、久生十蘭の早すぎる死を悼む。

病魔に襲われている最中に書かれたこともあって、
絶頂期に書かれた「んもう、完璧ッ」な諸々の作品と比較すると、
どうしても、ところどころ破綻を感じなくはないのだけれども、

しかし、『肌色の月』、中井英夫による解説の、
《廻るたび情景が変る手のこんだ走馬澄やメリーゴーランド、
ないしは一振りするたび景色の一変する万華鏡の楽しさを
当てにして読まれる作品であろう》という言葉に尽きているように思った。

わたしが初めて久生十蘭を読んだのは、去年の10月、
夕方の神保町、コーヒーを飲みながらドキドキしながら
その文字を追った『湖畔』が最初だった。

あのときの、言葉の魔術にクラクラ、
一筋縄ではいかない変幻自在の、読み手によって印象がそれぞれ違ってきそうな
一言では言い尽くせない、重層的読後感。

あのときの感覚を、今回のひさびさの久生十蘭で、鮮やかに思いだしたりも。



帰りの電車の本が無くなってしまうのを見越して、
今日は講談社文芸文庫の獅子文六『但馬太郎治伝』も持参していて、
その本を読みつつ、家路についた。

獅子文六と薩摩治郎八は同時期にパリに滞在していて、
薩摩治郎八ゆかりの「国際大学都市」の日本館にも泊ったことがあって、
さらに、獅子文六は帰国後、戦後になって駿河台、大磯と、
たてつづけに、薩摩治郎八から人手にわたった家に住むことになったという、
ふたりには妙な因縁がある。

今日は、「パリの章」を読了。
その後、駿河台、大磯と続いてゆく『但馬太郎治伝』、
続きがたのしみでたのしみでしょうがない。

獅子文六によって描かれる、1930年頃の華やかなりしパリの風景、
食味エッセイのときとまったく同じ感じの、
スパイスのきいた言葉づかいや文章がこの小説でも随所で伺えて、
小説の語り手は獅子文六の分身でもあるので、
その視点でもって、薩摩治郎八の時代を追う時間は格別だ。

獅子文六読みの典型的よろこびを噛みしめる。

先日『芸術新潮』の薩摩治郎八特集のグラビアの余韻も鮮明なので、
頭の中で、獅子文六の言葉とグラビアの記憶とが合わさって、
なんともいい感じの、本読みの時間となっている。




  

6月10日日曜日/「ドキュメント・戸板康二道」と日日雑記の合併

4月からこっそりと大塚日記にて、
「ドキュメント・戸板康二道」というタイトルの
マニアックな日記を書いていたのだけれども、
いつまでも日日雑記が更新停止になっていることに
ひしひしと胸を痛めていたので、突如、思いきって統合を決意。

これにともなって、以下のようにサイトを再構築。

  1. 大塚日記の記事を日日雑記バックナンバーに格納
  2. いままでの日日雑記の記事を無理矢理、嬉しい街かどへ移動
  3. 走れ!映画がトップページへ昇格
  4. 歌舞伎の感想を書く場として、劇場の椅子を導入
……と言いつつ、「走れ!映画」と「劇場の椅子」は
思いっきり作成中の状態です。どうもすみません。

「走れ!映画」というのは、山田宏一さんの著書名で、表紙は疾走するバスター・キートン。

あとがきには《キートンはいつも幸福に向かって疾走する。
映画は幸福に至る病なのかもしれない》なんて書いてある。

思えば、女学生の頃、萩原朔太郎に思いっきり夢中になっていて、
萩原葉子が、朔太郎はキートンに風貌が似ていると書いているのを見て、
なんとなく気になりレンタルビデオ屋でキートンのサイレント映画を借りた。
すると結構ハマってしまい、その後キートンのヴィデオを何本かまとめて観た。
なので、わたしの、映画の原風景はキートンのような気がする。

ページのタイトルを無理矢理好きな本のタイトルから盗用するのを、
個人的に勝手に「東海林さだおの『漫画文学全集』方式」と読んでいるのだけれども、

金井美恵子も同じようなことを書いていたなあと探してみると、
『本を読む人読まぬ人とかくこの世はままならぬ』に、

《私は彼の「漫画文学全集」から
無意識の影響を受けていたことに、最近、はっと気がついた。
私の『タマや』という小説は六篇からなり立つ連作なのだが、
作品のタイトルを全部他の作品からの借用なのである。………》
という一節があった。

このウェブページを作って今年で4年目なのだが、
ページを作り始めたばかりの頃は、思いっきり金井美恵子に夢中の時期だった。

……と過去形のつもりが、今日、ひさしぶりにめくっていたら、

《山中貞雄の『百万両の壷』は、林不忘のみならず、
谷譲次と牧逸馬の都会的なモダニズム的スタイルを、
たとえばエルンスト・ルビッチのタッチのハリウッド・スタイルのなかへ
取り込んでしまったというような、いきいきとした才能がきらめく映画》

というくだりに、クラクラしてしまったり、

《久しぶりに、『寺島町奇譚』を本棚から取り出して読んで、
実に巧みで映画的なカット割りに、
ああ、これは成瀬巳喜男と川島雄三のモノクロ映画だなあ、と思い、……》

という記述を目にして、こうしてはいられないッ、『寺島町奇譚』を買いにゆこうッ、
と興奮してしまったり、金井美恵子のエッセイにしばしハマってしまったのだった。




  

6月11日月曜日/獅子文六の『但馬太郎治伝』

獅子文六の『但馬太郎治伝』(講談社文芸文庫)を読んだ。

「パリの巻」「駿河台の巻」「大磯の巻」「徳島の巻」の4章仕立てなのだが、
1930年代のパリで、薩摩治郎八の寄付金で建てられた
大学都市の日本館に滞在することで、薩摩治郎八のことを知った獅子文六、
その後も、ふたりの奇縁はこれでもかと続き、

薩摩治郎八から人手にわたった家に、
駿河台、大磯と立続けに住むことになった獅子文六が、
パリ、駿河台だけならともかく、
大磯においても薩摩治郎八との縁が続くなんて!
と、いよいよ薩摩治郎八に興味を抱き、
生い立ちからパリでのいろいろな意味で桁外れの生活ぶりが、
獅子文六の目を通して語られるわけなのだが、
そこにおける獅子文六の文章がなんともおかしかった。

薩摩治郎八を語る獅子文六の筆致は、
ちょうど『パリの王様たち』における鹿島茂のスタンスに
とても似ているなあと思った。

あと、パリから大磯、そして最後の徳島と、
小説の展開が時系列になっているので、
同時にそのまま獅子文六の半生をも描くことにもなっていて、
たとえば、戦後の駿河台での生活で、お茶の水の散歩が
あの『自由学校』の空気に反映されていることを初めて知ったりして、
獅子文六読みにおいても非常に興味深かった。

それと、「パリの巻」には最初のフランス人の夫人の死が背後にあって、
駿河台で、二番目の奥さんの死に直面する獅子文六、
などなど、他の随筆で読んだことのあるいろいろなことの
時代背景のようなものが、別の角度からつかめたように思う。

それから、「パリの巻」では獅子文六のパリ時代が
のちの文章にどう反映されているかに思いを馳せたりとか、
「徳島の巻」では彼の食味エッセイ的な文章を随所で楽しめたりとか、
「駿河台の巻」では都市小説的描写、「徳島の巻」では地方色、
「大磯の章」ではおかしみとスパイスのきいている文章、
……などなど、『但馬太郎治伝』全体には、
獅子文六の文章に共通するエッセンスがふんだんに詰まっているのだ。
なので、獅子文六への思いがさらにつのる。

もちろん、戸板康二の『ぜいたく列伝』[*] 的な空気、
単にたくさんのお金を使ったからぜいたくなのではなく、
存在そのものがひとつの芸術だった薩摩治郎八を眺める愉しみもぞんぶんに味わえる。

駿河台の家に住むことになった獅子文六が、
薩摩治郎八が前の持主だったことを知らないときに、
家の片隅で、Villa de mon caprice と書かれたプレートを発見するくだり、
《ほう、きまぐれ荘か、この家に命名したとすると、
なかなかシャレた人間がいたものだな、語呂もいいや》
と思うくだりがなんだかか好きだ。
物語の導入として、とてもいい感じ。

それから、パリから大磯の章までは、獅子文六にとって、
薩摩治郎八の存在は伝聞でのみ知っているのだけれども、
いよいよ奇縁ここにきわまれりという感じで、
徳島において、薩摩治郎八(小説では但馬太郎治)と対面することになる、
いままでは伝聞のみの人物がいよいよ読者の前に姿をあらわすクライマックス、
その展開具合はとても映画的で、構造上でもゾクゾクだった。

財産をすっかり使い果たしたあと、よい奥さんに恵まれ
隠遁という感じの生活を送っている薩摩治郎八だけど、
このあたりは、戸板さんの
《西に静かに沈むけしきが美しく見事なのだと同じように、
人間にもそういう斜陽のしあわせがあると考えている》
という言葉がそのまま当てはまる。

……とかなんとか、先月、月の輪書林の目録で、
「芸術新潮」の薩摩治郎八特集のことを知って、
がぜん『ぜいたく列伝』的なことに興味を抱いて、
それから『悦ちゃん』で獅子文六熱再燃、
メロメロになってしまったあとに、
読み始めることになった『但馬太郎治伝』。
いろいろな意味で、本読みの時間として幸福なひとときだった。

講談社文芸文庫でさらなる獅子文六の刊行があるといいなと思う。
巻末の著書目録を眺めていると、今後の獅子文六読みの思いはつのるばかり。




  

6月12日火曜日/ウナセラディ東京、アールデコ、荷風の『江戸芸術論』

SHIBUYA-AX というところへ、
矢野顕子さんのピアノ弾き語りライヴを聴きに行った。

友だちに誘われるがままにここまでやって来たのだったが、
ああ、もうなんといったらいいか、
ただただ全身うっとり人間と化した2時間だった。
矢野顕子さんはなんだかもう、ひたすらかっこよかった。
ゲストに大貫妙子さんも登場して、
ああ、もうなんていったらいいのか、
なにもかもが素晴らしすぎた2時間だった。

食べるものがわたしをつくる、ということで、帰りは蕎麦屋で一杯。
夜道はほんの少しだけ雨粒が落ちて来ていて、ほんわかとぬるい空気。



昨夜、獅子文六の『但馬太郎治伝』の余韻とともに、
「芸術新潮」1998年12月号の薩摩治郎八特集を眺めていたところ、

鹿島茂が以下のように書いていて、うーむ、慧眼!と思った。

《1925年に治郎八が日本に帰ってしまってパリにいなかったことは、
伝記作者の目から見ると、少し残念な気がする。
というのも、この年、アール・デコ博覧会が華々しく開催されて、
二十世紀のモダンな美術はその頂点に達するからだ。
治郎八がアール・デコ博を見学していたら、
またとんでもない蜃気楼を会場に垣間見て、
あらたな冒険に手をつけていたかもしれない。
現にパリに滞在中だった朝香宮夫妻はアール・デコ博を見て刺激を受け、
今日「東京庭園美術館」となっている
アール・デコの邸宅を建設することになるのである。
われわれとしては、治郎八にもアール・デコの粋を集めた
薩摩屋敷を建ててもらいたかったものである。》

薩摩治郎八の痕跡が、現在では、
パリの国際大学都市の日本館だけにしか残っていないところが、
どこか薩摩治郎八の生涯を蜃気楼っぽくさせていて、
それはそれで味わい深いのではあるけれども。

ところで、このところ立続けに、庭園美術館の展覧会に行き損ねている。

庭園美術館のウェブサイトをチェックしてみたところ、今度は、《ジノリ展》なのだそうだ。



ふと思い立って、読み損ねていた、永井荷風著『江戸芸術論』(岩波文庫)を読んでいる。

最初から順番に、というのではなく、
待ちきれずに芝居関係のところからという、
お行儀の悪い読み方をしているのだけれども、
ひさびさに、荷風とともに「えせ江戸趣味」にひたる快楽を満喫している。

《拍子木の音と幕開の唄とに伴ひて引幕の波打ちつつあき行く瞬間の感覚、
独吟の唄一トくさり聴きて役者の花道へ出る時、
あるひは徐ろに囃子の鳴物に送られて動行く廻舞台を見送る時、
凡てこれらの感覚は唯芝居らしき快感といふ外
何らの説明を付する事能はずといへども
要するに江戸演劇に措きては他に求むる事能はざるものならずや。
その他だんまり、セリ出し、立廻の如き皆然り。》

歌舞伎を初めて観た日、なんだか身体全体で気持ちいいッ、という感覚は、
いろいろな書物を読んで多分に理屈っぽくなっている今でも、
歌舞伎を観て「いいなあ」としみじみ感じる瞬間の根源にある感覚だ。

日頃から、ふつふつと浮世絵が気になっていたのだけれども、
『江戸芸術論』で、今後の浮世絵見物への意欲がふつふつと沸き上がる。
とりわけ、歌舞伎との関連として役者絵・芝居絵について
ちょっと突っ込んでみようか、と思っていたので、これを機にぜひにと思う。

岩波文庫版『江戸芸術論』は、
広重の『江戸名所百景』の「浅草金龍山」の図が表紙に使われていて、
雷門から五重塔と浅草寺をのぞむ構図の見事さ、
雪景色と赤い門といった色の対比が素晴らしい。
『江戸芸術論』、本全体がうっとりするくらい、実にうつくしい。

浮世絵というと、わたしはかねてより、
暮しの手帖社発行の『今とむかし廣重名所江戸百景帖』をよく眺めている。

試みに今、「浅草金龍山」を開いてみたのだが、
荷風の『寺じまの記』(昭和11年)の書き出しが引用してあって、ワオ!

《雷門といつても門はない。
門は慶応元年に焼けたなり建てられないのだと云ふ。
門のない門の前を、吾妻橋の方へ少し行くと、
左側の路端に乗合自動車の駐る知らせの棒が立つてゐる。》

『今とむかし廣重名所江戸百景帖』の説明によると、
慶応元年は広重の絵の9年後のこと。
今ある雷門は昭和35年に松下幸之助の寄付で建てられたもので、
「風神と雷神を祀るこの門は、
風に乗ってか乗らずか明治大正という時間をとびこえ、
江戸時代から直通でやってきた建物です」というふうに結ばれている。

……と、こんなふうにして、折に触れ
『今とむかし廣重名所江戸百景帖』をよく眺めているのだけど、
こんなふうに、しみじみたのしい時間なのだ。




  

6月14日木曜日/安藤鶴夫の『わが落語鑑賞』にうっとり、奥村書店の木村荘八

火曜日の帰宅後、コンサートの興奮が冷めなくて、なかなか寝つけず(←バカ)、
おかげで、すっかり睡眠サイクルが乱れてしまった。眠い……。

日曜日の深夜に、NHK-BS で
川島雄三の『幕末太陽伝』が流れていたのを
ゲラゲラ笑いながら見入ってしまい、
おかげで睡眠サイクルが乱れてしまったよと
友だちが言っていて、しばしの間、
そうそう、あんなシーンやこんなシーン!
とかなんとか、『幕末太陽伝』の話で盛り上がっていた。

そんな会話をしているうちに、わたしの頭の中は『幕末太陽伝』一色。

そして、映画祭のチラシの『幕末太陽伝』に関する説明文、
《「居残り佐平次」などの古典落語を巧みに取り込み
類例のない軽妙洒脱な映画世界を構築》というくだりが頭に浮かんで、
やっぱり落語だなあ、と、落語への思いがふつふつと胸に煮えたぎる。

そうこうしているうちに、ふと4月に購入した、
安藤鶴夫著『わが落語鑑賞』(ちくま文庫)のことを思いだした。

安藤鶴夫の『わが落語鑑賞』は、「富久」「百川」「船徳」など全16席を
文楽や圓生の話芸を筆に甦らせるようにして、文章にしたもので、
「居残り佐平次」は入っていなかったかしらと思って、
本棚からこの本を取り出したのだったが、目次を見てみると、
「居残り佐平次」はなかったけれども、「品川心中」があった。

ワオ! 「品川心中」も『幕末太陽伝』の元ネタのひとつで、
貸本屋の金蔵は小沢昭一がやっていて、ナイスだった。

さっそく「品川心中」を読みふける。
ついゲラゲラ笑ってしまうくらい、楽しい。
これは電車のなかで読んでいたら、危険なことになっていた。

聴くのではなく、読んでいるだけでも、
パーッと落語の世界が頭のなかに広がって、
小宇宙的気分を満喫する。なにかの喜劇映画を見ながら、
我を忘れて陶然となってしまう、そんな感覚だ。

噺が忠実に再現されているのだけれども、
その前に「マクラのマクラ」という読物がついていて、
これがまた一級の文学作品というかなんというか、
安藤鶴夫の落語観や江戸観のエッセンスのような仕上がりになっている。

そして、「マクラのマクラ」の前、つまり噺のタイトルの直後に、
それぞれいろいろな引用文が添えられてあって、
たとえば、「品川心中」は『鳥辺山心中』の浄瑠璃である。

つまり、タイトルのあとの引用文、噺のまえの「マクラのマクラ」、
そして、落語のテクスト、という三重構造になっていて、
それらが全部で16話あるわけで、なんとも贅沢なつくりの一冊だ。

安藤鶴夫の好きな落語家の筆頭として、桂文楽や三遊亭圓生が挙がっているので、
この本に載っている演目のディスクを少しずつ聴いてみようッ、
などと明日の落語聴きの意欲が燃え上がる。

「品川心中」は圓生が得意としていたとのこと。ああ、圓生。
数カ月前に、ラジオで初めて聴いて、好きになってしまった圓生。
もともと、森茉莉の『私の美男子論』に載っている写真が大好きだった圓生。
《髪結新三》のディスクを衝動買いしつつも、それっきりになっていた圓生。

というわけで、これからしばらく、《髪結新三》を聴きながら眠ることに決定。



安藤鶴夫の『わが落語鑑賞』にうっとりしてしまうのは内容もさることながら、
うつくしき「苦楽」に連載されていたから、という理由もある。

「苦楽」は大佛次郎を中心にして昭和21年に創刊された文芸雑誌で、
表紙は鏑木清方の絵が使われていた。安藤鶴夫の言葉を借りると、
《すみずみまで、都会的で洗練されたセンスにみちた高度な娯楽雑誌》。
その「苦楽」の第二号から終刊号までの4年間、「落語鑑賞」の連載は続いた。

そして、「落語鑑賞」が単行本として初めて出版されたのが、昭和24年の苦楽社版。
装幀は木村荘八によるものだそうで、またまた安藤鶴夫の文章を抜き書きすると、

《表紙を寄席の表、見返しは下足と木戸番のある入口の土間、
扉はもうひとつ中へ入って、高座の、向って左の方の杉戸が少しみえるアングルの寄席、
裏の見返しは楽屋で、裏表紙は楽屋口のある路地であった。
表通りは、なにか縁日の晩かなんかのように、ひとがおおぜいもやもやしている。
見返しの、木戸の下足番のうしろに、かすりのきものをきて、学帽をかぶっている男の子が立っている。
木村先生は、これが鶴だよ、といった。わたしのこどものころだというのである。》

という感じなのだが、ここを見て、わたしはさらにうっとりしてしまう。
いいなあ……。「これが鶴だよ」という木村荘八の言葉がいいなあ……。

木村荘八の装幀といい、久保田万太郎が序文として提供した句といい、
「苦楽」という舞台といい、そして安藤鶴夫の仕事といい、
安藤鶴夫著『落語鑑賞』という書物は、すみずみまで幸福なのだ。



ところで、今日、銀座でさる会合があり、その行きに、奥村書店に立ち寄った。

いつも行く演劇書専門の4丁目の奥村書店ではなくて、
松屋の裏あたりにある、3丁目の奥村書店。
時間が迫っていたので、東銀座から大急ぎで歩いた。

苦楽社版の『落語鑑賞』が売っていたら見てみたいなあと思ったのだ。

雨の日暮時の薄暗い路地を歩いて、たどりついた奥村書店。
まっさきに落語の本が並んでいる棚へ行ったのだったが、
ふと久保田万太郎の本が目にとまって、実に愛らしい造本なので、しばし眺めてしまった。

そして、苦楽社版『落語鑑賞』もしっかり売っていて、
ああ、これが鶴かと、うっとり眺める。今日は眺めるだけの日。

3丁目の奥村書店の古い建物に足を踏み入れる瞬間、
傘を畳んでひょいと中に入る瞬間、
なぜだか突然、荷風の『墨東綺譚』のことが頭にパッと浮かんで、
そのときの気分がまた格別だった。

雨の夜の奥村書店のたたずまいは、すごくいい。




  

6月15日金曜日/渡辺保の『歌舞伎手帖』

明日は歌舞伎座。いつもたいした予習をせずに当日を迎えることになってしまう。
でもまあ、初めて観る演目の場合はそれでいいようにも思っている。

唯一の準備のようなものは、渡辺保の『歌舞伎手帖』。
毎月の歌舞伎座行き直前の予習というと、去年の初夏くらいからはいつも、
渡辺保の『歌舞伎手帖』(駸々堂出版、1982年)が必携だ。

この本は、去年の駸々堂の倒産に伴って、
奥村書店に大量に安売り本として積んであったのを見て
思わず衝動買いしてしまったのだけれども、
いったん手にとってしまうと、当初思っていた以上に手放せない書物であった。

渡辺保の『歌舞伎手帖』は駸々堂の倒産により絶版となっていたたのが、
最近、講談社からめでたく改訂版として復刊された。
のだが、すっかりなじんできた駸々堂版に愛着たっぷりなので、
わたしは旧い方をこれからも使おうと思っている。(単に吝嗇なだけという説も)

怠惰なあまり大した準備もできずに毎月の芝居見物を迎えているのだが、
渡辺保の『歌舞伎手帖』は一演目1ページずつ、ストーリーと見どころ、
芸談 etc がコンパクトにまとまっているので、
これを読むだけでも「今日の視点は何か」ということを知ることができる。

特に、芸談が大重宝だ。

たとえば、明日の歌舞伎座は『嫗山姥』と『天一坊大岡政談』。

『嫗山姥』の場合は、七代目宗十郎の芸談が載っている。

《掘越(九代目團十郎)さんが八重桐をなされた時、
一座をしていましたから、よく見ていました。
いうにいわれぬ色気があったものです。
あの塀外で、櫛を髪に撫で、唇に懐紙を一枚とって
その櫛を拭くところなぞすっかり傾城でした。
それに背後附なぞなんともいえない色気がありました。
それにくらべて歌六さんのは、のちの暴れん坊が大変でした。》

明日の舞台、八重桐は時蔵なのだが、うーむ、どうなのだろう。
時蔵は今まではあまり見る機会がなかったような気がするのだけど、
2月の『め組の喧嘩』の女房役と3月の『鳥辺山心中』の遊女役が、
なかなかいい感じで、ちょっと気をつけてみてみようと思っていたところなのだ。

『天一坊』の芸談は、五代目菊五郎の芸談。

《書卸しの時は、彦三郎の大岡越前守が、品格といい仕種まで、
流石か名奉行と評判の越前守はアアもあったろうと思う程でありました。
名人の彦三郎には座頭という貫禄がありました。》

というふうに、今回の芸談はふたつとも、
当時の共演者が他の役者の芸を語るというものになっている。
明日の彦三郎は團十郎だが、うーむ、どうなのだろう。
まあ、珍しい狂言を、菊五郎の悪党ぶりに仁左衛門と團十郎が絡む、
渡辺保の言葉だと「絵でみる講談」、それがどんな感じなのか
今のところまったく予想がつかない、明日の舞台を待つしかない!

とかなんとか、渡辺保の『歌舞伎手帖』、
ほんの1ページの演目解説を見ただけでも、
これから見物の意欲がさらに湧いてくる。
そういう意欲が芝居見物のメリハリをつける。(ような気がする)

……というふうに、すっかり手放せない一冊となっている。
一年以上こうして使っているので、
さながら愛用の辞書みたいに手になじんできていて、
愛着もひとしおの一冊。

ところで、「あとがき」によると、渡辺保にこの本の執筆をすすめたのは、
ほかならぬ戸板康二だという。

書いてくれた渡辺保に対してももちろんだけど、
実は戸板さんにも感謝しないといけないのだ。

わたしの芝居見物の傍には、いつも戸板康二がいる。




  

6月18日月曜日/獅子文六の『コーヒーと恋愛』 

燃え上がる、獅子文六熱という感じで、
先週とあるウェブ古書店で注文した、

● 獅子文六『コーヒーと恋愛』角川文庫
● 獅子文六『飲み食い書く』角川文庫
● 獅子文六『続飲み食い書く』角川文庫

以上の3冊が週末届いた。

3冊合わせても1000円以下! というセコいよろこびもあったけれども、
念願の『コーヒーと恋愛』が手に入ったのがとても嬉しかった。
日本の名随筆の『珈琲(清水哲男・編)』所収の文六氏の文章を読んで、
ぜひ読んでみたいッと、前々から思っていたのだ。

というわけで、さっそく『コーヒーと恋愛』を読みふけった。

『コーヒーと恋愛』の初出は読売新聞の連載小説(昭和37年)で、
連載時のタイトルは『可否道』。

文中によると、明治21年に鄭という中国人が、
東京下谷黒門町に、日本最初のコーヒー店を開いて、
そのときの店名が「可否茶館」だったことに由来しているとのこと。

ヒロインは、テレビ女優のモエ子さん。
モエ子さんは、「日本可否会」という会員5名のコーヒー愛好者の集いに参加していて、
その会員たちからも一目置かれるくらいにコーヒーを入れるのがとても上手。

モエ子さんには8歳年下の旦那さんがいて、彼は新劇の理想に燃えているのだが、
モエ子さんの入れるコーヒーの美味しさがふたりを結びつけるきっかけになったという、
導入からしてかわいらしくて、「日本可否会」ののほほんぶりと相まって、ついニンマリしてしまう。

しかし、まあ全体的には、あまり好きなストーリー展開ではなくて、
ところどころのディテール描写をたのしむという、細部のよろこびに終始した。

と言っても、獅子文六のよろこびはいつもディテールの楽しさが第一なのだ。

興味深かったのは、この小説の素材になっている「新劇」の風景だった。
獅子文六のもうひとつの顔、演劇人・岩田豊雄という面が多分に感じられること。
そのことは、いままで読んだ獅子文六の娯楽小説にはあまりないことだった。

戸板康二の小説にも『あどけない女優』[*] という、
新劇を舞台にした短編集があるのだけれども、新劇の風景という点において、
『コーヒーと恋愛』とよく似た空気が漂っていると思った。

戸板康二を読み始めてから、歌舞伎のみならず新劇にもふつふつと興味を抱いていて、
小山内薫をはじめとする新劇人の人びと、福田恒存やもちろん岩田豊雄に、
ますます関心が湧いていたのだけれども、その新劇熱が胸に再び。

『コーヒーと恋愛』、コーヒーの香りが全面に漂っているような物語なので、
コーヒー好きにとっては、とても幸福な世界でもあり、
モエ子さんがコーヒーを入れるのがとびきり上手だという設定が、
なんとなく寓話めいていて、まずそこが好きなところ。ラストの展開がナイスだった。

全体的には、映画史的には無名だけど、案外いい感じのある日本映画を見ているような感覚。

それから、『コーヒーと恋愛』を読んでいる途中、
つい「日本可否会」の蘊蓄が伝染してしまって、それもまたたのし、だった。

たとえば、《真にコーヒーを愛するものは、日本のインテリである。》という文章のあとの、
《この間死んだ永井荷風なぞは、コーヒーに山盛り5ハイくらいの砂糖を入れたというから、
コーヒー・インテリとしては、下の部であろう。》というくだりを目にしたときは、
「コーヒーにお砂糖を入れてはダメッ!」と心のなかで、叫んでしまった。

獅子文六熱はまだまだ続きそう。

個人的には、今後は「新青年」が初出の作品を
たとえば、『金色青春譜』や『楽天公子』といった作品をまとめて読んでみたいと思っている。

手持ちの『新青年読本』(作品社、1988年)によると、
獅子文六の『金色青春譜』は、『金色夜叉』のモガ・モボ版なのだそうで、
そういうことを聞いてしまうと、ぜひ『金色青春譜』をッ、
と、明日の獅子文六の夢は相変わらず広がり続ける。




  

6月19日火曜日/小沼丹の『珈琲挽き』や、『監督山中貞雄』のことなど

獅子文六の『コーヒーと恋愛』を読み終えたあと、
小沼丹の『珈琲挽き』(みすず書房、1994年)のことを思いだした。

4月に初めて、小沼丹の文章を読み始め、そのあまりの素晴らしさに、
「世の中は素晴らしい書物であふれているのだなあ」と敬虔な気持ちにまでなった。

講談社文芸文庫の巻末の著書目録で目にとまったのが、『珈琲挽き』という本。
みすず書房という版元といい、そのタイトルといい、
しみじみ心惹かれるものがあったのだが、調べてみるとすでに版切れで、
定価も4000円なので、古書店で見つけたとしても高価で買えないのかも。

と、そんなわけで、通い先の通りがかり、図書館に立ち寄って、『珈琲挽き』を借りた。

帰りの電車の中で、『珈琲挽き』、まずはタイトルに惹かれたエッセイを
適当に読んでいったのだったが、つい、目がうるうるしてくる。
「至福」としか、他に言いようがない。

小津安二郎の映画を見ている時間のような、
この時間がずっと続けばいいなあ、
終わらなければいいなあと本気で思ってしまうような、
そこから醸し出す空気に埋没するのが、ただ単純に嬉しくて幸福、
といったような、そんな感覚。

帰りはコーヒー店に寄り道して、電車の中でランダムにめくっていた
『珈琲挽き』を、ページ順に読み直すことにした。

そんなこんなで、本の返却期限は二週間後、
これからしばらく、夜寝る前は『珈琲挽き』だ。



『珈琲挽き』と同時に、実業之日本社から出ている、
『監督山中貞雄』という本も借りた。今日は荷物が重かった……。

山中貞雄の『百万両の壷』は間違いなく日本映画の最高傑作で、
映画館で上映されているのを見つけると、つい見に行ってしまい、
これまで3度スクリーンで見ているのだが、

ふと、蓮實重彦による、『百万両の壷』に関する文章を読んでみると、
あまりの素晴らしさに、スクリーンの追憶と相まって、またもや目がうるうるしてくる。

『百万両の壷』は昭和10年の映画なのだが、
思えば、久生十蘭の『黄金遁走曲』が「新青年」に載ったのと同年で、
昭和10年代前半の「新青年」は、フランス帰りの二人の男、
久生十蘭と獅子文六が競い合うようにして物語を発表していた頃で、
なんとまあ、贅沢な時代だったのだろうと胸が踊る。

戸板康二の文体について考察すると、1930年代の東京で青年時代を過ごしたことが
背景として無視できない要素だと、誰か書いていたのが印象的だった。

そんなわけで、昭和初期の東京のあれこれは、
いろいろな意味で、わたしにとって非常に興味深いのだ。



蓮實重彦による、『百万両の壷』に関する文章を抜き書き。

《……壷をかかえたまま表通りに達すると、少年は、うつむき加減に店先きから遠ざかってゆく。
裏口の露地の奥まったところから、その小さな姿が画面を横切る瞬間をキャメラがとらえるとき、
人は、ああ、この一連の画面の流れは音楽なのだと直観する。
いま、自分がたどっているのは、いたいけな少年の家出という物語なのではない。
感傷ではなく叙情が、そして悲しみではなく痛みが、
残酷さの一歩手前で踏みとどまって奏でるゆるやかな旋律が、
見るものを、映画という名の音楽に引きずり込む。
事実、少年の短い着物のすそからのぞいた足は、
すでに聞えているゆるやかな伴奏音楽と知らぬまに同調している。》

《安吉少年の家出から橋での再会にいたるまでのシークエンスは、
流れてゆく時間につれて拡がる距離の意識が、
適確な画面の連鎖によって甘美な旋律をかたちづくり、
あくまでのろい安吉の歩みとそれと対照的な左膳の疾走ぶりや、
鏡のような川の流れとそこに一瞬の運動を導き入れる波紋のひろがりといった視覚的要素が、
音として響かぬ韻を踏み、見ているものを
感性そのものに一つのリズムを刻みつけずにはおかないからである。
われわれがふと涙を誘われるとしたら、それは、物語的な状況に心理的に共感するからというより、
こうした旋律とリズムに、何かしら抵抗しがたいものを感じてしまうからに違いない。
ショットの長さが、そしてキャメラの位置がちょっとでも違っていたら、
たんなる感傷的な場面に終ってしまっただろうに、ここには、ただ、
良質な叙情がゆるやかに脈搏っているのみである。》




  

6月20日水曜日/月の輪書林から届いた本 Part.2

先週、突然思い立って、またもや月の輪書林に注文のハガキを書いた。
今回は注文した書籍すべて、全3点、買うことができた。上機嫌。

そんなわけで、今月も、届いた本のメモを。表記は目録と同じ。(金額のみ省略)

● 3274. 新装(きもの随筆) 初函 双雅房 昭13
[鏑木清方岩田専太郎山岸荷葉長谷川時雨富本一枝岡本かの子他] 

カフェーやモガ・モボなど、昭和初期モダニズムの関係書籍が軒を連ねているあたりに、
忽然と登場する『新装(きもの随筆)』。月の輪書林の目録を初めて繰ったときは、
このあたりが幻惑感の最初の頂点で、そのクラクラはその後さらにヒートアップし、
大変なことになってしまったのだった。前回、お値段高めにつき、
さすがに買うのはためらったのだけれども、結局注文することに。

先日、獅子文六の『但馬太郎治伝』を読んだ折に、
講談社文芸文庫の巻末の著書目録で発覚したところによると、
獅子文六も『新装(きもの随筆)』に文章を寄せているというのだ。
それから、「新装」というのは、松坂屋の PR 誌で、
石神井書林の目録で、昭和初期の「新装」が何冊か売っているのを目にして、
昭和初期の都市の空気が伝わってくるような百貨店の風景! と、胸が躍った。
この『新装(きもの随筆)』は「新装」誌上での連載をまとめたものである。

そんな、獅子文六熱とあいかわらずの昭和初期モダニズム熱との相乗効果、
そして、当時の「きもの」に関する諸々の文章という、アンソロジーの快楽、
さらに、もう売り切れているかもしれないという油断もあって、
つい申し込んでしまったのだったが、実際に本を手にとってみると、
愛おしさはさらに増した。届いて嬉しい。
不思議と、初めて「暮しの手帖」の創刊号を目にしたときとよく似た歓び。

本の構成は、前半が男性陣、鏑木清方を冒頭に、
戸川秋骨、小島政二郎、乱歩、獅子文六こと岩田豊雄、久保田万太郎、里見とん、
などなど、豪華なメンバーで、最後は木村荘八で締める。
後半が女性陣で、最後は森田たまで締めくくられる。

昨日の小沼丹の『珈琲挽き』の文章でとても印象的だった、戸川秋骨の文章を一番最初に読んだ。

● 3817. 物語近代日本女優史 初カ帯 戸板康二 昭55[*]

今回も戸板康二の本を。この本は中公文庫で出ているので、
文庫本の発見を待とうとずっと思っていたのだが、
そんなことを言っていては、戸板康二道の名がすたるッ。(なんのこっちゃ)
実は、先月、『六代目菊五郎』[*] を読んだとき、
香気と風格にあふれる『六代目菊五郎』の文章にあらためてメロメロになっていたのだが、
あとがきを見てみると、初版の単行本の方にはかなりの数の写真が付いていて、
「菊五郎の芸風のよく出ているものを選んだ」とのことで、
うーむ、やはり単行本も手に入れねば、と、
初版の単行本が1000円で売っていた近所の古本屋に行ってみると、
すでに書棚から消えていて、がっかりであった。最初から買っていればよかったものを……。
大いに反省し、今後は文庫との重複をいとわないことに決めた。
単行本のあとで文庫を見つけたときは携帯用に買うまでのこと。

この『物語近代日本女優史』は、川上貞奴で始まる。
岡本綺堂の『明治劇談ランプの下にて』で、川上音二郎がなかなか強烈だった。
そんな流れの中で、大正劇壇に触れようと、
『松井須磨子』[*] を読もうと思っていたところだったので、
この『物語近代日本女優史』とセットで読み進めていこうと思っている。

● 4658. へなへな随筆(葉舟先生他)カバ帯 獅子文六 昭27 

『へなへな随筆』というタイトルがまず好きだ。
獅子文六は小説だけでなく、随筆も大好き。なので、今回はこの本に決定。

ところで、昨日、小沼丹の『珈琲挽き』を読んでいて、
しみじみ感じたことのひとつが、旧字体で書物を読む愉しさだ。
何が愉しいのか言葉では説明できないのだけれど、旧字体で本を読む時間が格別で、
丸谷才一や福田恆存を例外として、こればかりは、今の文庫本では味わえない、
古書のよろこびのひとつだなと、あらためて気付かされた。




  

6月21日木曜日/掌の戸板康二著『酒の立見席』、「洋酒マメ天国」のこと

さる方々の御厚意で、戸板康二の『酒の立見席』という書物を譲っていただけることになって、
今まで見たことも読んだこともなかった戸板康二の書物を手にできるなんて、
こんなに嬉しいことはないッ、という感じだった。

実際に手にとってみると、んまあ、なんて素敵な書物!
手にとっただけで大感激で、中身を読んで、感激は倍率ドンさらに倍、
そして、もう一度、掌にのせて、しばらくうっとり。

というわけで、さっそく書誌データをこしらえた。

● 洋酒マメ天国第15巻「酒の立見席」戸板康二著[*]

スキャナにはよく映らないのだけれども、この本は手のひらサイズの豆本。
表紙は山口瞳の書物でおなじみの、柳原良平氏によるもの。
そんなわけで、まずは掌に乗せてみて、ワオ! と、胸が高まる。

そして、中をめくってみると、吉田千秋氏による素晴らしい舞台写真とともに、
お酒や飲酒にまつわる芝居のあれこれを、戸板さんのいつもの語り口で綴られているのだから、
掌サイズというかわいらしさと相まって、戸板康二道のよろこびきわまれり、という感じ。

歌舞伎の演目でお酒の登場する場面は非常に多い。
今まで、芝居のなかの酒という切り口で、舞台に接したことはなかったので、
ああ、そうそう、あれやこれ、というふうに、
戸板康二の語り口に引き込まれているうちに、すっかりよい気分。

2月の富十郎の『寿猩々』、3月の勘九郎の『藤娘』といった、最近の舞台を追憶したり、
週末の歌舞伎座で観ることになる『五斗三番叟』に思いを馳せたり、
さまざな思いが交錯しているうちに、いつのまにか、
戸板康二の語り口に引き込まれて、戸板康二の芸を堪能するというわけなのだ。

冒頭の、「芝居と酒」というページに、
《うまい俳優の酔う演技は、観客が感染させられ、
ムードにひきずりこまれて、いい気持ちになる》という一節があるのだけど、
その言葉はそのまま、『酒の立見席』という書物全体に当てはまる。



そして、大感激だったのは、「洋酒マメ天国」というシリーズを初めて目にできたこと。

今までこのシリーズのことはまったく知らなかったのだけど、
「洋酒マメ天国」はサントリー発行の全36巻の豆本。

『酒の立見席』に感激のあまり、思わずリストをこしらえ、眺めてうっとり。

リストを眺めていると、お酒をとりまくあれこれ、
たとえば、酒場という空間についての考察、
それから酒を飲み交わすという場面、
たとえば、マーロウとテリー・レノックスのギムレットとか、
小道具としてのお酒、たとえば、ダールの短編小説に出てくる芳醇な葡萄酒の香り、
などなど、お酒にまるわるいろいろなことが頭に思い浮かんでは消えていく。

前半の12冊がお酒の各論で、
後半は、さまざまな書き手による、お酒にまつわる文章。
豪華な執筆陣、彼らのが形成するある種の空気が、
日頃から自分自身の好きな世界と交わる感じで、
「洋酒マメ天国」を眺める愉しみはどこまでも尽きない。

『酒の立見席』では、戸板康二の人物紹介に、略歴のあと、
《謹厳実直、文字どおりのマジメ人間。酒は久保田万太郎学校の優等生で戦後派。
自らコント上戸を任じ歓談的実話は絶妙。》という説明書きが付いていて、
酒場での戸板さんの姿が目に浮かぶようで、嬉しい気分になる。

「洋酒マメ天国」に名前を連ねている、他の書き手の人物紹介は
どんな感じになっているかしら、戸板康二と同じように、
お酒にまつわる文章が添えれれているに違いないと思う。

と、どこまでも洒落っ気に富んでいる、「洋酒マメ天国」。

【「洋酒マメ天国」全36巻】

01. 洋酒マメ天国編集部『ウイスキー』
02. 開高健著『続ウイスキー』
03. 洋酒マメ天国編集部『ブランデー』
04. 洋酒マメ天国編集部『ビール』
05. 洋酒マメ天国編集部『ワイン』
06. 洋酒マメ天国編集部『カクテル』
07. 洋酒マメ天国編集部『ジン・ウオッカ』
08. 洋酒マメ天国編集部『続ビール』
09. 洋酒マメ天国編集部『ワイン・シャンパン』
10. 洋酒マメ天国編集部『洋酒掌辞典(上)』
11. 洋酒マメ天国編集部『洋酒掌辞典(下)』
12. 洋酒マメ天国編集部『ラム・リキュール』
----------
13. 柴田錬三郎『我輩の酒飲み作法』
14. 石津謙介『男の服飾劇場』
15. 戸板康二『酒の立見席』
16. 辻勲『わが酒菜のうた』
17. 草野心平『おつまみ読本』
18. 植草甚一『蒐集家の散歩道』
19. 小林勇『サントリー談話室』
20. 高橋義孝『エチケットの稀本』
21. 江國滋『酒笑楽辞典』
22. 楠本謙吉『色好み女歳時記』
23. 永六輔『演歌ばらえ亭』
24. 伊丹十三『乾杯博物館』
25. 木崎国嘉『酒の診断室』
26. 秋山庄太郎『美女とり物語』
27. 池島心平『架空会見記』
28. 古波蔵保好『私設名画座』
29. 澁澤龍彦『NUDE のカクテル』
30. 池田弥三郎『巷説百人一首』
31. バージル・パーチ『酒専科・女専科』
32. 野坂昭如『ポーノピア』
33. 種村季弘『悪女の画廊』
34. 杉浦幸男『ケッ作美術館』
35. 那須良輔『魚・鳥・虫ノート』
36. 和田誠『八方美人プラス14』




  

6月23日土曜日/歌舞伎座行き、「歌舞伎 研究と批評」第27号

今日は歌舞伎座の夜の部に行った。直前まで所用があって、
劇場にたどりついた頃には疲れはてていて、
こんなことでは今日は眠ってしまうッ、という危惧があったのだけれども、
それはまったくの杞憂で、芝居が始まってからは急に生き返り、
グングンと目が醒め、一気にハイテンション。

6月の歌舞伎座、どの演目もそれぞれ興味深かったけれども、
最後に観た、仁左衛門の『荒川の佐吉』がインパクト大で、
しばらく腑抜けになってしまった。

『荒川の佐吉』は歌舞伎を本格的に見始めた頃、
すなわち1998年夏の歌舞伎座で、勘九郎の舞台を観たのが最初で、
そのあと、去年の5月、島田正吾のひとり芝居でも堪能していて、
わりとお馴染みの演目だったのだが、
今回の仁左衛門の舞台は、今までの『荒川の佐吉』とは、
まったく違う芝居という感じだった。

赤ん坊を抱く第二幕の第一場の最後の場面から、
急に芝居世界全体を覆う世界が凛と心に響いてくる。
一言で言えば、佐吉の孤独とか、人生の無常さのようなものが、
しみじみ出ていて、端正な舞台装置や下座音楽と相まって、
今までの人情物語を観ている感覚とはまったく違う、
孤独なひとりの剣士を見ているような印象。

最後の花道の「やけに散りやがる桜だなア」というセリフ、
無常ということが深く深く胸にしみいって、心が揺さぶられた瞬間だった。

6月の歌舞伎座全体を見通すと、
初めて観る演目の義太夫狂言がふたつに黙阿弥の演目ひとつ、
わたしの歌舞伎への思い入れは八割くらいは、
丸本ものと黙阿弥に向かっているので、それだけで今月は意義深いのだが、
かっこいい仁左衛門の『荒川の佐吉』はどんな感じかしらん、
と軽い気持ちで当日を迎えた『荒川の佐吉』にもっとも心を揺さぶられ、
あと、日頃からのご贔屓、芝翫と雀右衛門の共演もとても嬉しかった。
江戸の吉原の艶っぽさがほんわかと匂ってくる二人の舞踊に酔う。

舞踊といえば、3月の歌舞伎座の、仁左衛門の『保名』と
勘九郎の『藤娘』が、よい思い出としてわたしのなかに息づいているが、
いずれも、六代目菊五郎が自分で踊るときに大胆に演出を変えた演目だ。
今日初めて観た、『五斗三番叟』も六代目が五斗兵衛の出を、
花道ではなく下手からの出に変更して、それが今日の型になっている。
今日の團十郎も、下手からの登場だった。
菊五郎から松緑を経て、團十郎に伝わっている今日の五斗兵衛。
……とかなんとか、先月、戸板康二著『六代目菊五郎』[*] を読んだこともあって、
どうもこのところ、六代目と今日の歌舞伎に関するあれこれが気になっている。



わたしの愛読誌、歌舞伎学会発行の
「歌舞伎 研究と批評」の27号が発行されていて、今日ようやく入手した。

好きな役者は何人もいるけれども、特別この人ッ、という贔屓があるわけでもなく、
毎月歌舞伎座に行っているのは、歌舞伎そのものに、
演目とか型とか演劇史的なこととかに夢中になっているからなのが、
そんなわたしの関心にもっとも理想的なかたちで答えてくれるのが、
「歌舞伎 研究と批評」なのだ。

今回の特集は、七代目市川團十郎なのだが、
まずは毎回たのしみにしている上村以和於氏の「近代歌舞伎批評家論」を熟読。
次回で最終回なのだそうだ。本になるのが待ち遠しい。
わが戸板康二道のヒントになることがいろいろ書いてあって、どこまでも興味は尽きない。

それから、去年下半期の舞台を回顧した、批評のページ。
観た演目はもちろんのこと、見逃した演目に関する言及がとても面白い。
時期をおいて回顧することで、客観的に現在の歌舞伎に関するいろいろなことについて、
自分なりに考えるきっかけを得ることができるのが嬉しい。

文章の読みやすさと論旨の明快さが気持ちよく、つい渡辺保の文章を最初に読んでしまう。
そのなかで、印象に残ったのが、猿之助の変化に関する言及だった。
猿之助はこれからどこへ向かっていくのだろう。
とりあえず、夏バテに気をつけて、来月の舞台を凝視したいと思う。




  

6月25日月曜日/更新メモ、石神井書林の目録、戸板康二という観点

The Joy of Music を更新。



先週、石神井書林のあたらしい目録が届いた。

「尾形亀之助の時代」特集になっていて、《楽隊は何処へ行った》という、
尾形亀之助の詩に登場するフレーズが目録のタイトルになっている。

しょっぱなから、店主の内堀弘氏の巻頭言がとても素敵で、
目録全体がなんともいえない香気を放っている。
当初は、尾形亀之助と柳瀬正夢の特集を組み立てるつもりで、

《『マヴォ』に象徴された1920年代が終焉し、
その後の二人の歩みは対照的に見えます。
これを「静と動」といってしまうのは、
いくらか単純に過ぎるかもしれません。
しかし、それぞれの途をたどったこのふたりが
どこかで共鳴しているようにも感じられました。
……それは誤解だと言われれば、あるいはその通りかもしれませんが、
古書目録の中で、この誤解を精一杯拡げてみようかと思いました。》

という感じの導入、「誤解を精一杯拡げてみようかと」というところがいいなあと思った。

《この目録を作りながら、尾形の詩の中に出てくる
「俺の楽隊は何処へ行った」というフレーズ、これがいつも気になっていました。
あの時代から蒐集した破片のような古書の中に、彼らの楽隊は、
その片鱗でも見え隠れしていないだろうか。
それを今回の特集の眼目にしたいと思います。》

……というふうに結ばれている巻頭言。

石神井書林の目録を取り寄せたのは、
3月から4月にかけて読みふけっていた、
内堀弘著『ボン書店の幻』(白地社、1992年)がとても面白くて、
その直後、「東京人」5月号の古書特集を見て初めて、
以前から名前だけ知っていた石神井書林というのは、
内堀さんが店主だったんだッと気付いて、
こうしてはいられないと即申し込みをした、というのがきっかけだった。

このところ毎晩、ソファに寝転がりながら好きな音楽を聴きつつ、
石神井書林の目録を眺めるひとときがある。

石神井書林の目録は、『ボン書店の幻』と同じように、
内堀弘氏のひとつの大きな作品という感じで、
『ボン書店の幻』を読むのと同じように、
その作品に接することができるのはとても幸福なことだ。

尾形亀之助と柳瀬正夢、ふたりとも今回初めてその名前を知った。
石神井書林の目録のおかげで、あらたに世界が拡がっていく。
同時に、『ボン書店の幻』的な空気を別の角度から追体験する時間も至福。

それから、石神井書林の目録がきっかけで、
女学生のころ思いっきり夢中になっていた、
萩原朔太郎にまつわるいろいろなことが、ふたたび再燃している。
その後、いろいろな本に接してきたけれども、
時を経てふたたび、かつての愛読書に再会するというのは、なかなかいい。

その流れで、萩原朔太郎に夢中だった頃、書棚に収められていった本が、
まだわたしの本棚に何冊も残っているので、
取り出して、夜寝る前にめくったりもしている。

その折に、見つけたのが、富永太郎の詩集。

何年ぶりかで手にとって、パラパラと読みふけっている。大岡昇平の解説がいい。

この詩集は、小林秀雄関連のなかで知った富永太郎の詩が
いいなあと思っていたら、誕生日プレゼントとして
友だちが買ってくれた詩集なのだ。
あのときのわたしは何歳だったのだろう。

ちなみに、その後、同じ友人はわたしに、
スガシカオの『Clover』を贈ってくれている。



読んでいる本のタイトルを見つけるときも、
石神井書林の目録のなかだと、
今まで知っていった本が別の角度から迫ってくる感じで、
眺める愉しみはどこまでも尽きない。

戸板康二の本を挙げてみよう。

前回の目録では、《雑踏のモダニズム/見世物・浅草他》の項で、
その名前を見つけることができたわけだけれども、
今回は、同じタイトルが、《柳瀬正夢の周辺》の項の、
『鉄塔』という雑誌から昭和初期の東京の左翼、
それから新劇、小山内薫や築地小劇場関係の書物が並んで、
獅子文六こと岩田豊雄や、宇野信夫、久保栄などなど、
戸板康二の書物でおなじみの新劇関係の人物もチラリと見かけて、
それから、戸板康二の書物が登場する。

『舞台の誘惑』河出新書 昭28 [*]
『演劇の魅力』河出新書 昭29 [*]
『劇場の青春』河出新書 昭30 [*]
『午後六時十五分』三月書房 昭50 [*]
『回想の戦中戦後』青蛙房 昭54 [*]

といった感じに、刊行順に5冊並ぶ。
この5冊すべてが大好きな本で、何度も読み返している書物。
そして、 今回の目録で初めてその名を知った柳瀬正夢のことと、
今までの読書生活のこととが、
ほんの少しだけつながったような妄想を覚える。

次のページには、『松井須磨子』[*] の初版の単行本や、
『演芸画報・人物誌』[*] も見ることができる。
これらの書物の周辺には、大正ベルエポックを象徴する演劇雑誌だったという、
『演劇新潮』全18冊揃(大13 60000円)があったり、
戸板康二が編集長をしていた『日本演劇』内59冊があって、
戸板康二の劇評家への道のりに欠かせない時代の空気を味わう。
ただの気分だけど、眺めてたのしい。

『演劇新潮』は目次を見るだけでもいろいろな発見がある洒落た雑誌で、
志賀直哉とか谷崎潤一郎、川端康成に久保田万太郎に小山内薫と、
文学史でお馴染みの豪華な執筆陣で、目録の但書を見ているだけで楽しいのだ。
昭和3年の岸田国士編集の『悲劇喜劇』全10冊揃というのもあって、
ここには、まあ、久生十蘭の名前がッ!

戸板康二の書物はあともう1冊、
目録が始まったばかりの《色ガラスの街》という、
尾形亀之助の第1詩集のタイトルを冠した第1章に、
モダン都市東京に関する文献が数多く載っていているなかに、
『元禄小袖からミニスカートまで』[*] を見ることができて、
この並びもいかにも秀逸。戸板ファン大喜びの瞬間だった。

ところで、この《色ガラスの街》の章を見て、急にそそられたのが、今和次郎。

『ボン書店の幻』的空気、昭和モダニズムへの傾倒、
朔太郎との再会、戸板康二道のよろこび、などなど、
石神井書林の目録で火がついたことは数多いのだった。




  

6月27日水曜日/『東京 消えた街角』、人形町末広亭

銀座でいろいろお買い物。

閉店間際の伊東屋で、歌舞伎座みやげのブロマイド用に、小さなアルバムを購入。
それから、閉店間際のデパートで化粧品など買った。満足満足。

その折に、立ち寄った教文館で、いろいろ本を見た。
東京本コーナーに、『東京 消えた街角』(加藤嶺夫著/河出書房新社)という
写真集が積んであって、前から気になっていたこともあって、思わず衝動買い。

そんなこんなしたあとは、旧友と待ち合わせて、
とある喫茶店で閉店まで長話。冷めたコーヒーを前に、
先ほどの『東京 消えた街角』を思い出し、梱包を解いて開いてみた。

23区別にかつてそこにあった町並みのスナップ写真が載っていて、
どちらかというと、写真集というよりはカタログという趣き。
そして、そのことがかえって、この書物のよさを際立たせている。

日本映画のたのしみは、知っている町並みの
かつての姿を目にすることで、かつての東京を垣間見ることにもあって、
それから、書物を通しても、知っている場所のかつての姿を垣間見て、
実際にその順路をたどってみよう、などと思いをめぐらしたり、
はたまた、単に都市小説的空気を満喫することがよくある。

いつも折に触れ、広重の名所江戸百景を眺めているのも、そんな一貫といえるわけで、
『東京 消えた街角』はそんな日頃のお楽しみをたっぷりと味わうことができる。
この本も、暮しの手帖社の『今とむかし廣重名所江戸百景帖』と同じように、
これから折にふれページを繰ることになるのは間違いない。

満足満足と思いながら、パラパラとめくっていると、
港区のページに、ほんの3年前までは見ることができ、
そして今は見るも無惨に消えたとある風景を見つけ、「んまあ!」と興奮。

友だちとふたりで思いっきり懐かしがってしまった。
わたしと同じように、友人にとっても非常に馴染みのある街角なのだ。
たった3年前のことなのに、すでに「消えた街角」。



家に帰って、夜ふけの部屋で、
もう一度『東京 消えた街角』をめくったのだが、
中央区のページに、人形町の末広、
昭和45年の初席の文楽の高座を写したものがあって、
この写真、とても好きだ。

人形町の末広というと、何ヶ月前に圓生の高座の実況を聴いて、
すっかりメロメロになってしまって、その舞台の末広のことも心に残った。

それから、川島雄三の『わが町』で落語家を演じる殿山泰司が、
人形町末広でロケを行ったということを『三文役者あなあきい伝』で知って、
その直後、三百人劇場で『わが町』を見て、んまあ、とひどく胸が躍った。

……というふうに、勝手な思い込みで、
人形町の末広に愛着を抱くと同時に憧れてもいたので、
その写真を見たのは今日が初めてではなかったかしら、ふつふつと嬉しい。

その末広の写真と同じページには、築地の東京劇場。
戸板康二の書物でおなじみの劇場だ。心のなかは一気に『思い出の劇場』[*]
『東京 消えた街角』、いろいろ楽しみが尽きない。

人形町末広へのあこがれの余韻で、ふと思い立って、
『芝居名所一幕見 舞台の上の東京』[*] をめくった。

第1ページにさっそく、「切られ与三」の舞台、玄冶店が載っていて、

《今は中央区日本橋、人形町の交差点から、
堀留の方へ向って右側に、寄席の「末広亭」がある。
その末広亭へ行くまでのあいだにある瀬戸物屋の横丁こそ、
お富が住んでいた場所なのである。》

と、戸板康二の文章は、こんな感じになっている。

末広亭がなくなったのは、昭和45年なので、
この本が出た昭和28年には当然、末広亭は健在だったわけで、
『芝居名所一幕見』では、芝居の舞台写真と一緒に、
昭和28年当時の当該の東京の町かどの写真を見ることができるという仕掛けなのだが、
その東京の写真、今では「消えた街角」となっているのが少なくないので、
『芝居名所一幕見』、重層的なおもしろさのある書物だ。

この本のように直接的ではないとしても、
戸板康二を読むたのしみは、東京の都市風景を読むことにもある。

『芝居名所一幕見』の余波で、戸板モードとなってしまい、
夜寝る前に、『演劇の魅力』[*] を読んだ。

「ある季節感」という文章に、安藤鶴夫の『落語鑑賞』のことが書いてある。

《寄席を出て、しっとりと露のおりた道を歩く。
僕の育った環境は山の手だから、行ったのも神楽坂の席だが、
牛込見附を渡って、急にくらくなった町の、塀の向こうから見える燈火の涼しい色が、
何となく家路を急がせるように、ねたましく見えたのを、
忘れ難い実感として、今でも覚えている。》

……という、最後の一節を目にしたときは、
落語の季節感に関する文章の余韻と相まって、
戸板康二の少年時代の大正から昭和にかけての町並みが、
頭にぼんやりと浮かんでくるかのようだった。




  

6月29日金曜日/久生十蘭に耽溺、いよいよ『魔都』

久生十蘭を読み始めたのは、去年の10月、わりと最近のことだ。
それ以来、耽溺としか言い様がないくらい、夢中になっている。

去年2000年は、須賀敦子、堀江敏幸、そして久生十蘭が、
まったくの未読だったのをいったん読みはじめると、
とたんに夢中になって、一気に全著書制覇への野望、という方向へ、
という激しいハマり方をした人びとであった。

ちょっと前だと山田風太郎、そしてもちろん戸板康二もまさしくそういう感じだった。

新たに、好きな書き手に出会うのはとても嬉しいことだ。
今後、どれくらいそういう出会いがあるのだろうか。

さてさて、このところ、再び、集中的に久生十蘭を読んでいる。
先日、教養文庫の『無月物語』という、戦後の時代小説短編集を読み返してみると、
頭のなかは一気に、その世界一色、シールのようにベタリと心に貼り付いてしまった。

久生十蘭は『黄金遁走曲』を始めとする、
仏蘭西風吹きまくるモダーンな幻惑小説の数々を
「新青年」に発表することでその作家生活をスタートし、
そして、戦後は『無月物語』を始めとする、
情念と風雅とおかしみの同居する時代小説を書いていて、
そのスタイルを変幻自在に変化させている。

わたしのとっての久生十蘭は、さながら好きな映画監督のような感じで、
その監督の撮った映画を全て観て、その世界全部を見通したいと思わせる、
ルビッチとかルノワール、カサヴェテス、小津安二郎と同じような対象なのだ。

そんなこんなで、『無月物語』の余波で、未読だった久生十蘭を読もうと、
朝日文芸文庫を手にとり、まず『十字街』を読んだ。

1930年代のパリ、政界スキャンダルに巻き込まれる4人の日本人の運命という内容で、
『十字街』は久生十蘭初の新聞小説、戦後の朝日新聞の夕刊に連載されたもの。

しょっぱなから、パリの都市小説的描写にワクワクしっぱなしだった。

『十字街』に登場するパリは前半は主に左岸、
後半はタイトルになっているコンコルド広場の十字街、
という感じに、右岸が舞台になっている。
鮮やかに軸がパッと変換する。

そして、その左岸の風景が、パリ旅行の度に毎回歩き回っている場所、
たとえば、天文台やリュクサンブール公園の付近とか、
ゴブラン織製作所などなど、愛着のある場所ばかりなので、
『十字街』を読みつつ、パリ旅行の追憶にひたるのも楽しかった。

余談だが、久生十蘭の昭和10年代の短編小説は、
登場する女子たちが大好きで、あと着物のディテール描写も楽しく、
その折、ゴブラン織の帯、というのが何度も登場したような気がする。
パリ滞在時の久生十蘭、ゴブラン織製作所になじみがあったのかしら。

何はともあれ、フランス帰りの二人の書き手、
久生十蘭と獅子文六が、わたしにとって今もっとも愛着のある書き手なのだ。

『十字街』に話を戻すと、舞台はヨーロッパなのに、
登場する日本人の背景に大逆事件が影を落としていることで、
日本の近代の闇、のようなものを描写している面もあって、
いろいろと奥が深く、心にずっしりと響く感じ。
終わり方もなんだかずっしりと響く。

……と、そんなこんなで、相変わらず、
心のなかはシールのようにベタリと久生十蘭の世界が貼り付いてしまっている。



さてさて、朝日文芸文庫の久生十蘭に手をつけてしまった今、
いよいよ『魔都』を読むときがやって来たといえる。

昭和13年10月号から翌年10月号の13回にわたって、
「新青年」に連載された『魔都』、
これまで読まずにとってあったのを、いよいよ読むときがやって来た。

というわけで、朝日文芸文庫の『魔都』を読み始めたのだけれど、
さっそく幻惑感、「赤坂山王台の有明荘」、
《当時流行のコルビィジェという窓を大きく開ける式》のアパアト、
などしょっぱなからクラクラしてしまい、さっそく読むのがもったいなくて、
そろりそろりとページを繰っている。

朝日文芸文庫の『魔都』のありがたいところは、
「新青年」掲載当時の連載の分量、第1回から第13回までと、
きちんと表記してあるので、臨場感たっぷりに読むことができること。
そろりそろりと、1回分ずつ、読みすすめるとしよう。




  

6月30日土曜日/歌舞伎座ブロマイドの整理

歌舞伎を本格的に観るようになったのは1998年の夏。
なので、 そろそろ歌舞伎歴、満三年となる。

無謀なことに、当初は筋書きも買わずに
そのまま舞台を凝視していたのだが、
ほどなくして毎月購入するようになった。
いろいろと勉強になることが書いてある上、
当日の観劇の手助けという点でも後々の資料という点でも重宝している。

映画のプログラムも買わないことの方が多かったりと、
会場でモノを買う習慣がなかったため、
当初は筋書きの購入もを見送ってしまっていた。

当月の舞台を撮影したブロマイドは、去年になって買うようになった。
特に決まった役者の写真を集めているわけではなくて、
当初は、印象に残った衣裳など、きものの柄の収集を目的としていた。

今年になって、歌舞伎座でのブロマイド買いは、
去年より増してヒートアップしている。
始めてみると、実にたのしいブロマイド買い。
と、歌舞伎座での出費は年々増えてしまっている。

ブロマイド買いが楽しいのは、なんといっても、
あとで眺めると、「あのとき印象に残ったあの舞台」というふうな、
「卓上舞台」的なたのしみをいつでも味わえるところ。

と言いつつ、いつまでも未整理のまま袋に入れっぱなしだったので、
先日、銀座の伊東屋へブロマイド用のアルバムを探しにいった。
伊東屋特製のアルバムというのが売っていて、
そのなかに歌舞伎座ブロマイドにぴったりの大きさのものがあり、
あたかも誂えたかのよう。シンプルでなかなかいい感じ。

で、さっそく今年買ったブロマイドをアルバムに収めたのだが、
この半年間で20枚購入していて、早くもアルバムが一冊埋まってしまった。
去年買ったものも数枚残っていることだし、
今後も舞台の感動が続くかぎり買い続けるのは必至。
また近いうちに、メルシー券持参で伊東屋へ行こうと思っている。

アルバムに整理したのが嬉しくて、つい何度もめくっては楽しい。
ちょうど上半期の歌舞伎座を回顧する時間でもあるのだ。
2001年に入ってからも、毎月それぞれに大充実の舞台だった。

そんなこんなで、アルバム記念に、2001年歌舞伎座ブロマイドのメモ。


【2001年歌舞伎座ブロマイド】

● 01. 喜撰(喜撰:三津五郎、お梶:玉三郎)1月歌舞伎座・昼の部
記念すべき、今年の初舞台。
初日に行ったのでまだブロマイドは出ていなかったのだが、
次月の芝居見物の折、ブロマイド売場では1月の分も
三津五郎が写っているのだけ引き続き売っていて、
それを目にし、襲名記念にと衝動買い。
1月の舞台で一番感銘を受けた『喜撰』に決める。
お梶が向こうの方を向いている後ろに喜撰の目線が、という感じの、
なかなかいいアングルで、玉三郎の茶汲み女姿はパリッと美しい。

● 02. め組の喧嘩(四ツ車大八:富十郎)2月歌舞伎座・夜の部
記念すべき、三津五郎襲名披露の締めの日。
『女暫』、よかったなあ。
この『め組の喧嘩』、鳶と相撲取りの喧嘩なのだが、
この相撲取りの富十郎の風格! 文楽人形のように決まっている!
と、ブロマイド売場の前で興奮、即購入を決意。
着ぶくれしている、そのきものの組み合わせもいい感じで、
背景にちょろっと又五郎さんが写っているのもまた嬉しい。

……というふうに、ここまでは一ヶ月に一枚の割合だった。
3月の忠臣蔵を機に、ブロマイド買いが突如ヒートアップ。

● 03. 忠臣蔵九段目(戸無瀬:玉三郎)3月歌舞伎座・夜の部
雪模様の一面真っ白の九段目、
娘の小浪は雪と競うかのような白無垢姿で、
母の戸無瀬はパッと赤いきもの、という色彩的効果が素晴らしい。
九段目、浄瑠璃と三味線の音楽的効果と合わさって、色彩も見事で、
その舞台は、歌舞伎美の極致という感じで、酔いっぱなしであった。
この写真は、戸無瀬の一番の仕所の、
刀をついて上を向いて静止しているところ。

● 04. 忠臣蔵九段目(加古川本蔵:仁左衛門、戸無瀬:玉三郎)3月歌舞伎座・夜の部
ここは本蔵が現れたまなしのところ。
九段目に感激のあまり、つい二枚も買ってしまった。

● 05. 忠臣蔵五段目(勘平:菊五郎)3月新橋演舞場
花道の上の勘平、格子を着ている。花道から勘平が現れて、
まっくら闇のなか、死体から財布を抜き取る一連の動きは、
まさに音羽屋の様式美、ここにきわまれりという感じだった。
現代の型は5代目の型が骨子になっていて、
明治の音羽屋に思いを馳せる時間だった。

● 06. 忠臣蔵六段目(勘平:菊五郎)3月新橋演舞場
菊五郎の勘平に感激のあまり、つい二枚も買ってしまった。
お軽の家に帰ってきた勘平は、五段目に着ていた着付から紋服に着替える。
舞台の見た目がパッと変化するという美的効果が素晴らしい。
お軽の父を殺してしまったことを知るまでの一連の勘平の動きは、
まさしくここでも菊五郎系の様式美の極致。
判官の方も素晴らしくて、3月の忠臣蔵は菊五郎の一人舞台という感じだった。

● 07. 石橋(獅子の精:富十郎、文殊菩薩:中村大)4月歌舞伎座・昼の部
大ちゃん初舞台の記念に購入。
芝翫も写っているのと迷ったが、ここはやはり親子を。

● 08. 極付幡随長兵衛(長兵衛:吉右衛門)4月歌舞伎座・昼の部
煙管をくゆらす長兵衛。縞のきものが決まっている!

● 09. 極付幡随長兵衛(女房お時:松江)4月歌舞伎座・昼の部
女房と子供と、子分数名が写っている。全員それぞれ違う縞を着ていて、
さながら縞の見本帖という感じで面白くて、つい。

● 10. お江戸みやげ(お辻:芝翫、おゆう:富十郎)4月歌舞伎座・夜の部
舞台に感激のあまり、ブロマイド売場に走って買いに行った。よかったなあ。

● 11. 摂州合邦辻(玉手御前:菊五郎)5月歌舞伎座・夜の部
玉手御前が夜の闇のなかから合邦庵室にたどりついて、
門口にたたずんでいるところ。右袖を破って、
それを頭巾にたたずんでいる姿は壮絶なまでに美しい。
この直後の父と母と娘、3人のきまりと浄瑠璃、
それぞれの型に陶然となった。合邦、よかったなあ。

● 12-15. 伊勢音頭(万野:菊五郎、喜助:三津五郎、貢:團十郎、お岸:菊之助)5月歌舞伎座・夜の部
伊勢音頭、夏芝居の小道具や着物がたのしくて、つい4枚も買ってしまう。大散財。

● 16. 天一坊大岡政談(法澤:菊五郎、大岡越前守:團十郎)6月歌舞伎座・昼の部
奉行屋敷にて、二人がパッと睨みあう見得。一番の見せ場。

● 17. 天一坊大岡政談(伊賀亮:仁左衛門)6月歌舞伎座・昼の部
切れ者の伊賀亮。役の性格を反映するかのような黒いきものがかっこいい。

● 18. 吉原雀(雀売りの女:雀右衛門、雀売りの男:芝翫)6月歌舞伎座・夜の部
これも幸福な舞台だった。珍しい芝翫の立役姿。

● 19. 荒川の佐吉(佐吉:仁左衛門)6月歌舞伎座・夜の部
縞のきものがかっこいい。

● 20. 荒川の佐吉(佐吉:仁左衛門)6月歌舞伎座・夜の部
需要を反映しているのかたくさん売っている佐吉の仁左衛門、
選ぶのに非常に難儀し、ついご乱心、2枚も買ってしまう。
これは最後の旅姿のところ。佐吉、よかったなあ。




  

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