バスを乗り継ぎ、次の目的地へと向う。
所々にある案内看板を目印に、曼殊院へ歩く。
大原でも散々歩いているのに、殆ど疲れていない。
自然に足が前へ前へと出る。
不思議だね、と話しているうちに、道はなだらかに続く登り坂になった。
足はさっきまでのようには進んでくれない。
次第に歩みが遅くなる。
ふうふう言いながら歩いていた時、友の声で顔を上げると、夕方の空から月が見ていた。

 曼殊院は、あまり人が多くなかったせいか、閑散としていた。
ここでは、うっかり見てしまった幽霊の掛け軸の印象が強い。
わたしは霊感が強いらしいので、見ないようにしようと訪れる前から注意していたが、不意をつかれて目の前にあったのが、ちょっとばかり悔しい。

 てくてくと移動して、通り過ごしてしまいそうな詩仙堂の小さな門をくぐった。photo
庭園を散策しているうちに、西の空が色づきはじめてきた。
辺りの風景から色が消えていく。
photo薄(ススキ)の白い穂はかすかに光りを見せ、柿の枝はシルエットになっていった。

 日が暮れた後も古都巡りは続き、バスとタクシーとで高台寺に向かう。
photo夜空に走る青白いレーザーの光は何かと尋ねると、清水寺からのライトだという。

 高台寺はライトアップされ、幽玄な雰囲気につつまれていた。
伽藍が映り込んでいる水鏡の妖しいほどの輝き。
夜の御霊屋に並ぶ人々の列。
光が交差する竹の春の青い林。
色とりどりのライトが当てられた枯山水の庭園。

 正面から見た庭園の景色は、左手から上空に向かい清水寺の青白いレーザー光線が斜めに伸び、その下には東山と観音像の借景、そして右上の空には、月が静かに光っている。
この光景にあっては、月までもが人為的だ。

 石畳の道を清水寺へと歩く。
町屋造りの建物の、少し開いた門の隙間から、奥の闇をちらと覗き見つつ。

 途中、黒々とした八坂の塔を見上げた。
ひっそりと静まり返った夜の空には、星々が瞬いていた。

 三年坂の中ほどのお店で、湯豆腐をいただいた。
前回も別のお店で思ったが、わたしが入る湯豆腐屋さんは、あまり手順が良くない。
シーズン的に混んでいて、働いている人たちも疲れているのだろうけど、気の毒そうなお客さんを何組か見た。
そういえば、どうして京都というとお豆腐なのかと、ずっと不思議に思っていたのだが、翌日のタクシーの運転手さんに尋ねてその謎が解けた。
日本に初めてお豆腐が伝わった場所が京都なのだそうだ。
(後日念のため調べてみたが、その説の真偽は定かではない。
なぜ京都といえばお豆腐なのだろう。)
タクシーの運転手さんに話を向けると面白い。
京都の交通やお土産物についての裏事情がなかなか興味深く、お土産話としても喜ばれた。

 清水寺では、33年に一度の御本尊御開帳が催されている。
翌日の昼間にも再び訪れるつもりでいたが、夜間参拝の時間でも公開されており、蛇行する長い列の後ろについた。
夜9時を回ってからも、暖かいというよりも暑い陽気が続く。
お天気の心配をしていた今朝が、嘘のようだ。

 清 水の舞台から、京の町あかりを遠くに望んだ。
33年後の自分に、ぼんやりと思いを馳せ、夜の空気を静かに深く吸い込んだ。

 ホテルに戻り、荷物の整理をしながら、缶ビールを開けた。
翌日もまだまだ歩くので、脚の疲れを引きずる訳にはいかない。
メディキュットと入浴剤と脚の疲れをとるシート、この三種の神器は、写真が趣味となってからの、わたしの旅の必需品なのである。



[Back]  [Next]  [Home]  [Index]