プロフィール

尾崎行輝

1995年よりオイリュトミーを学ぶ。
1999年 笠井叡主宰のオイリュトミーシューレ天使館に途中から入学。2002年修了。
在学中に「Spring Flowers」のドイツ・スイス公演に参加。
2002年より専攻科のフォルトコースで学ぶ。2004年修了。
2004年 ペルセパッサオイリュトミー団設立に参加。
団員として、「宿神」「鱗粉神話」愛知万博「UZME」など、多数の公演に出演する。
2006年 笠井叡×高橋悠治「透明迷宮」に出演。
2009年より Lands and Skies 主宰。公演やワークショップを行っている。
     (詳細は、下記の「ユニット結成後のパフォーマンス歴」参照)
2015年度後半、恩師の後を引き継ぎ、自主学校「遊」の卒業作品を指導。

尾崎梓

1993年よりオイリュトミーを学ぶ。
1998年 笠井叡主宰のオイリュトミーシューレ天使館に入学。2002年修了。
2002年より専攻科のフォルトコースで学ぶ。2004年修了。
2004年 ペルセパッサオイリュトミー団設立に参加。
団員として 「宿神」「鱗粉神話」愛知万博「UZME」など多数の公演に出演する。
2009年より Lands and Skies 主宰。公演やワークショップを行っている。
      (詳細は下記の「ユニット結成後のパフォーマンス歴参照)
2016年度より自主学校「遊」にて専科のオイリュトミーを指導。
大人対象のオイリュトミーワークショップのほか、
こどものためのオイリュトミー講座、英語講座も開講している。
認知症の母親の在宅介護等についてつづったブログ「だって忘れちゃったんだもん♪」を更新中。

ユニット名「Lands and Skies」について

空と大地の出会うところ、と言ってすぐに思い浮かぶのは地平線ですが、
ユニット名を Lands & Skies と複数形にしたのには、わけがあります。

自分の回りばかりに気をとられているとき、
ふと視線をあげて遥か遠くを見た瞬間に感じる自由、すがすがしさを忘れずに、
いつでも、はるかな処を見つめる視線を持っていたい、
という思いもあります。
でも逆に、
その遥か遠いところに視点を移して、そこからこちらを見てみれば、
どの人も、地平線に立っているのです。

Lands & Skies は、
それぞれの人が立っているそれぞれの大地と、
そこに広がる、
つまりその大地と出会っている、
それぞれの空、
ということです。

空と大地が出会っているのは、遥か遠くの地平線だけではなく、
さまざまな人がひたむきに生きている場所、
そのすべてが、空と大地の出会うところである・・・
それが、Lands and Skies の心です。

そして、オイリュトミーは、
「空」と「大地」とを意識的に出会わせようとする
強力なツールである、と思っています。

ユニット結成後のパフォーマンス歴

2011年

3月 Lands and Skies 主催公演「空と大地のであうところ」
4月 白十字オイリュトミー・アーベント I
フォーレ「エレジー」
11月 国分寺市老人福祉施設「すこやか」にて
パッヘルベル「カノン」とグループ作品「荒城の月」
12月 白十字オイリュトミー・アーベント II
パッヘルベル「カノン」とグループ作品「マタイ受難曲よりコラール」

2012年

3月 横浜市老人福祉施設にて
パッヘルベル「カノン」とグループ作品「金子みすず」「荒城の月」
3月 国分寺市もとまち地域センターにて
パッヘルベル「カノン」とグループ作品「金子みすず」「荒城の月」
5月 白十字オイリュトミー・アーベント Ⅲ
「アメリカの伝承曲」(ジャズ風アレンジ)
10月   Lands and Skies 主催公演「みちのはじまり」
11月   ハヤサスラヒメ(速佐須良姫)
 12月   「黄道十二宮」

2013年

9月  「蝶たちのコロナ」東京公演
11月  「蝶たちのコロナ」名古屋公演
12月  「蝶たちのコロナ」講義&デモンストレーション



2014年

 2月
  朗読と語りの昼下がり
 3月
  朗読と語りの昼下がり 2
 3月
  Lands and Skies 主催公演「ここにいるよ」
  10月   「速佐須良姫(hayasasurahime)」 メキシコ公演(セルバンティーノ国際芸術祭招聘作品)
  12月   「黄道十二宮」 



2015年
 3月
  もとまちプラザまつり
  ドビュッシー「夢」
  5月   白十字オイリュトミーアーベント
  ドビュッシー「夢」  カッチーニ「アヴェ・マリア」
 10月    夕日色のとき
  HALLELUJAH 「ねこはしる」より   スクリャービン「プレリュード」より  「たんぽぽ・タンポポ」
  「魂の暦」より  カッチーニ「アヴェ・マリア」 ドビュッシー「夢」



2016年
 4月
  Duo Double (共催公演)
 パッヘルベルのカノン 亡き王女のためのパヴァーヌ 柿本人麻呂「挽歌」 マ・メール・ロワ



2017年
 4月
  Duo Double II 「春の狂詩曲」(共催公演)
 「羊は安らかに草をはみ」「主よ人の望みの喜びよ」「『ドリー』より、こもりうた・ミャーオ・ドリーの庭」
 「『仕事ばんざい』より」「6月」「ラプソディ・イン・ブルー」



2018年
 3月
  もとまちプラザまつり
  アメリカ伝承曲「Shenandoh」



2019年
 1月
  小さな発表会 I  
  マ・メール・ロワ
 5月
  国立劇場特別企画公演「神々の残照ーいのちの海の声が聴こえる」(オイリュトミー群舞出演)
  グスタフ・マーラー「交響曲第5番より第1・2・4楽章」



2020年
 2月
  小さな発表会 Ⅱ
  ドヴォルザーク「スラヴ舞曲」最終曲



2021年
 7月
  オイリュトミーとピアノの会「七」~谷合ひろみ七回忌に寄せて~
  アメリカ民謡「Shenandoh」・R.M.リルケ「少女たちのマリアへの禱り」より
  セザール・フランク「プレリュード・フーガ・ヴァリエーション」よりヴァリエーション
  メンデルスゾーン「葬送」・Y.S.バッハ「主よ人の望みの喜びよ」
 12月
  星降る夜のクリスマスオイリュトミー(客演) 主催 こうもりクラブ
  バッハ「主よ人の望みの喜びよ」他 群舞多数 行輝:朗唱



2022年
 11月
  『眼の人』主催こうもりクラブ 
  (行輝、朗唱にて出演)



2023年
 2月
  『口語自由詩とオイリュトミーのために』 共演:アルコ ムジカ 「尾崎喜八生誕130周年記念事業」の一環として
  (行輝、朗唱、解説等で出演)
 9月
  Lands and Skies YouTubeチャンネル開設 「朗読の時間Lands and Skies - YouTube



オイリュトミーについて

オイリュトミーを創始したのは、ルドルフ・シュタイナーという人です。
もともとは人智学(Anthroposophy)の創始者で、
そこから実にいろいろな分野が展開したのですが
オイリュトミーもその一つです。

オイリュトミーというのは、言葉や音楽を自分の身体で奏でようとする踊りです。

まずは試しに、ご自分の体の感じに気をつけながら
くくくくく、と発音してみてください。
次に、らららららら、と発音してみると、
体の感じも気分も、
全然違うことに気づかれると思います。
あー、と、うー、でもまた、
それぞれに全く違う体験があるはずです。

実は、他人が発音している声を聴いている時にも、
体や心は、自分が発声するときと同じように反応しています。
心はともかく体のほうは、とても微妙な変化なので
これまではほとんど気付かれることがありませんでしたが、
最近の科学の発達で、この事実が計測できるようになったそうです。

このような、それぞれの母音や子音の「力の流れ」を、
喉を使って音として発声する代わりに、
全身を使って空間に発するのがオイリュトミーです。

つまり、声が聞こえたりオイリュトミーが見えたりしているときは、
その言葉の持っているエネルギーが空間に流れていて、
私たちは、
言葉を目や耳で見たり聞いたりしているだけでなく、
そこに流れるエネルギーも含めて、全体を受け取っている、というわけです。

同じエネルギーを発するのですが、
オイリュトミーでは何しろ使う部分が大きいですし、意識的に行うことですから、
言葉のエネルギーを大変ダイナミックに空間に流すことができます。

音楽オイリュトミーも同様で、
ひとつひとつの音、長調や短調、インターヴァルなどの
音楽的要素に含まれる力の流れを、動くことで大きく空間に流しています。

人智学では、こういった言葉の力の流れが、
人間のエネルギーの体を作っていると考えます。
いろいろな器官を、その本来あるべき状態に形成する力です。

そのため、シュタイナー学校では子供たちの健全な発育のためにオイリュトミーが必修科目となっていますし、
人智学に基づく医療を提供している病院では、治療のためにもオイリュトミーが使われます。

本当は、こんな風に長々と説明するより、
体験していただくほうが
ずっとわかっていただきやすいと思います。
なんだか分からないけれど不思議に気持ちがいい、
という感覚から始まり、
体の感じが変わった、気分が変わった、ということに気づかれる方が多いです。

私の場合は、
「どうでもいいことを、どうでもいいと思えるようになった」
というのが最初の実感でした。 気にしないでおこうと思っても、ついつい思い悩んでしまいやすかったのに、
オイリュトミーをするとそういうものがすうっと洗い流されて、
すっきりと穏やかな気持ちになれたのです。
しばらく講座がないと、またいろいろな思いが溜まってしまって、
もう、オイリュトミーなしではいられないわ!と思ったのを覚えています。

オイリュトミーについて 2

オイリュトミーは、生命力の源となる根源的なエネルギーを扱う踊りです。

踊ることで生命力を活性化させ、身心の調和を促します。

私は以前、年中寝込んでばかりいて、自分は普通の人の3分の一も生きていないのではないかと思っていました。
オイリュトミーを日常的に行うようになってからは別人のように元気になり、本当にうれしく思っています。
オイリュトミーと出合う前、何人かの鍼灸治療師にお世話になりましたが、
初診の時に、「こんなにひどい身体の人は初めてだ」とか「以前診たことがある末期がんの方の次にひどい状態だ」と言われたり、
「いやぁ、初めて会った時には、こんな大変な人を引き受けちゃってどうしようかと思ったんですよ」などと言われたりしていました。

オイリュトミーの学校に入学してからは、温熱治療に通っていました。
普通の踊りとは違うものの、プロのダンサーになるための学校ですから、決して楽なものではありません。特に、卒業公演を控える頃にはスケジュール的にかなりハードな日々をすごしましたので、その温熱療法の先生にも、
「車で言えば、あなたの体に搭載されているエンジンはもともと、家でじっと大人しくしているのが精いっぱいくらいの馬力しかない。こんな、普通の人でも倒れかねないほどの忙しい生活なんて、出来るはずはないのよ」
と首をかしげられていました。
(いまでは、そのような治療に通う必要もなくなって、元気に暮らしています)
その頃は私も、なぜ自分がそんな風に動けているのか、よくわかっていませんでした。
でも、今ならわかります。

オイリュトミーでは、言葉の力や音楽の力を身体に流しながら動きます。
つまり、普段私たちがしているようにもともと自分のなかにあるエネルギーを使うのではなく、
私たちをとりまいている生命力の元となるエネルギーを、呼吸するように身体に取り入れ、その力を直接使って動くのです。
宇宙に無尽蔵にあるエネルギーを使うことができるので、肉体的な力のあるなしにはあまり関係がありません。
要は、どこまでそのエネルギーにつながることができるか、
という問題なのです。

学校に入学する前、講座に通っていた頃は、
「今日は元気だ!」と思っている日よりもむしろ、「いまいちだなぁ・・・」などという気分の日のほうが、
オイリュトミー的な力の流れの感じが、実感としてつかみやすいように感じていました。
おそらく、元気な日には自分の力だけで動いてしまっていたのでしょう。
生命的なエネルギー(日本語で言うと「気」だと思うのですが、私はその方面には詳しくないので断言はしません)を扱うものですから、もちろん奥は深く、極めようと思ったらどこまでもいける世界です。でも逆に、そういったエネルギーは誰でも持っているものですから、初めてでも、意識し(その「気」になり)さえすればある程度できるようになります。
(力の流れを感じとれるようになるのには時間がかかるので、それまでははっきりとした実感がなくて、「なんとなく気分がいい」というくらいの漠然とした感じだったりはするのですが。)
そうして、オイリュトミーをした後は、肉体的には疲れていても、生きる力になってくれる質のいいエネルギーを存分に流した身体が残ります。
それは、他のものでは味わえない、ちょっと不思議な爽快感・充実感です。

震災とそれに続く原発事故の後、いろいろと調べていくうちに、
これからは、それぞれが自分自身の生命力を強くしていかなければやっていけない時代が来たのだ、と思いました。

食べるものに気をつけたりすることと同時に、できるだけ、明るい、前向きな心持ちでいること、イライラしないで、やさしい気持ちで日々を過ごすことも、大切なように思います。

気分を安定させ、前向きな気持ちにしてくれるという意味でも、生命力を高めるという意味でも、
オイリュトミーを日常的に行うことは、きっと大きな助けになってくれるはずです。

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