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マンドリン悠々(2004年4月1日)
指揮者兼アレンジャーの呟き




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2004年4月1日(木)
オリジナル
マンドリンのオリジナル曲についていろいろと思うことを書いてみようと思います。

マンドリンのアンサンブルのために作られた曲、それをこの業界では、「オリジナル」というふうに呼んでいます。マンドリンのために書かれた曲ですから、マンドリンの特徴が、本来、活かされているものが多いはずです。なかには楽器の可能性を広げようということで実験的なのもあるかもしれませんね。確かに、マンドリンのオリジナル曲には、特別の思い入れがあります。最近アメデオでは団員の数が増えてしまいましたから、定期演奏会でオリジナルを取り上げることがほとんどなくなってしまいました。団員のなかには、オリジナルがやりたい!っていう声も少なからずあるのだろうと思います。いままでは、、サマーコンサートを何回か企画してオリジナル曲も演奏してきました。

マンドリンのオリジナルというと、およそ3つくらいのカテゴリーに分けられるような気がします。マンドリンが盛んだったのイタリーもの。ドイツで発達したツプフ奏法もの、それから邦人作品。こんな感じになると思います。もちろん、いまでもイタリーでもマンドリンは続いているようですが、イタリーに長いこと留学していた柳沢くんの話しでは、残念ながら見る影もない状況のようです。ドイツでは今でも結構盛んなようで、CDもいろいろなものが出ています。ドイツのマンドリン合奏は、ほとんど単音で鳴らすような感じなので、響きは美しいのですが、ぼくたちがいつもやっているような感じとも趣きが違っているようです。ドイツのCDできくかぎりでは、たまにトレモロが出て来ると、急にボリュームがあがったりしてしまってがっかりさせられてしまうものも多いようです。こちらの情報には限りがありますが、残念ながら、いまだに感銘をうけるような音源にはお目にかかることができていません。それでも最近はインターネットが発達していますから、その気になればいろいろな情報を得ることができるようです。 昨日郵便でスイスからCDが3枚届きました。なんだかジャケットの感じだと、すごくお洒落で、期待が高まっています。今日の通勤電車で聴いてみようと思っています。

さて、話しは脱線してしまいましたが、ぼくたちがオリジナルっていうと、たいていはイタリーの古い曲のことになります。古いといっても、それほど古いわけではなく、だいたい20世紀のはじめころの作品だと思います。主な作曲家の名前でいうと、アマディ、マネンテ、ボッタキアリ、こういった方々です。学生のころから、すっかりイタリーもので育ってきたので、身体にしみついているのかもしれません。

同志社のマンドリンクラブは、この時代のイタリーの曲をいろいろと発掘して世の中に紹介しています。これには頭がさがります。ぼくは隠れ同志社のファンで、学生のころから、ずっとあこがれてきました。いまでもときどき同志社の資料室にお願いして音源を送ってもらっています。なかなか演奏会には行くことはできませんが、ときどき東京公演をやるので、聴きにいきました。最初に同志社を聴いたのは大学2年のときだったと思います。そのときのプログラムは、ほとんど知らない曲ばかりで、東京初演も多かったのでびっくりしました。なんだか音楽会なのか研究発表会なのか区別がつかないくらいでした。記憶にある曲では、マネンテの「アゾレス諸島にて」という勇壮な行進曲とアマディの「北欧のスケッチ」だったと思います。

ドイツものっていうのも実は凄く魅力的で、最近は本来のマンドリンのよさっていうのは何かって考えるときに、やはり響きではないかと思うようになったからです。それで、このドイツでは、徹底的に響きの可能性についてあれこれと掘り下げたのではないかって想像したりします。たいした根拠もないのですが、いろいろ分析して、アカデミックにアプローチしたのだろうと思います。このあたりは国民性のちがいのようなものがありますね。ですから、生半可な取り組み方でドイツものをやっても、その本来の魅力を引き出すことはできないのでしょう。ドイツに在住の内藤さんにドイツの音源や楽譜を送っていただいたことがありますが、なかなか見事なものです。結構CDもたくさん出ています。ドイツのマンドリンは、地道で着実な感じがしますね。

さて、邦人となると、ぼくは、あまり興味がなかったので、よく知らないというのが正直なところです。もちろん鈴木静一氏は、ぼくが学生のころはかなりメジャーな存在で、たいてい大学の音楽会では終曲になっていましたから、よく聴きました。じつは、ぼくは隠れ鈴木静一ファンでもありました。始めて鈴木静一さんの作品を聴いたのは高校3年のときでした。中央大学の定期で目玉は「失われた都」でした。指揮者は吉垣さんという方で、そのときの演奏は素晴らしくて、みなさん泣きながら楽器を弾いていました。それで、ぼくも音をシャワーのように浴びながら、ひたすら全身で感動していたのをいまでも覚えています。プログラムが素晴らしかったですね!1部は「ギリシャ風主題による序楽(ラウダス)」「夢うつつ(ボッタキアリ)」「華燭の祭典(マネンテ)」2部は「スペイン狂詩曲(シャブリェ)」「牧神の午後(ドビュッシー)」「雪の造型(鈴木静一)」そして3部が「失われた都」でした。

鈴木静一さんのことを書いておいて、慶應出身の身としては服部正先生のことに触れないわけにはいかないでしょう。服部先生の最高傑作はなにかっていうことを先輩にお聞きしたら、それは「人魚姫」ではないか、と応えが返ってきました。合唱とテノールとソプラノの歌が入って、物語りの語りべも入りますから、かなり大掛かりな曲です。曲というよりは音楽物語りといったほうがいいのでしょうね。ラジオで放送されたそうです。この音楽物語りを聞きながら、物語りの情景をいろいろ想像して楽しんだのでしょうね。服部先生の作風は鈴木静一さんのそれが勇壮、悲壮、時代劇的であるのに対して、明るい健康的な作風が特徴になっています。個人的には正倉院の中に納められているお面からインスピレーションを受けて作ったとされる「かるらめん」という曲が気に入っています。なんだか雅楽のような趣きのある、とても洗練された曲です。格調高く、崇高な光りを讃えています。

そういえば、先生の楽譜を整理しに伺ったときに拝見したのですが、「海に寄せる3楽章」という曲にはフルオーケストラのためのバージョンがありました。その終曲は、漁師たちの威勢のいいかけ声がこだましているかのような作風で、荒波に揉まれてもなお突き進んで行く海のおとこたちの力強さが感じられます。イタリーのオリジナルのことを書こうと思ったのに、なかなかそこにたどり着けませんでした。今度、大好きなオリジナル曲っていうことで独断と偏見で選ぶオリジナル10曲選というのでいってみたいと思います。できれば楽譜を整譜して曲集みたいにまとめられればと思います。

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