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アンサンブル・アメデオ 第22回定期演奏会
パンフレットより

Ensemble Amedeo The 22nd Regular Concert

2006年1月21日(土)17時30分開演
於:文京シビックホール 大ホール
 


曲目解説
| マイ・フェア・レディ | オペラ座の怪人 | キャッツ | 古風なメヌエット | マ・メール・ロワ | ボレロ |

第1部 アメデオのミュージカル特集

マイ・フェア・レディ

 ブロードウェイの名作ミュージカル。原作はイギリスの劇作家ジョージ・バーナード・ショウの戯曲『ピグマリオン』。自分が創造した象牙の像を愛してしまったキプロスの王ピグマリオンは、神に頼んで像に魂を入れてもらい、ガラテアという名前を与えて彼女と結婚するというギリシャ神話を基にしたお話です。

 コヴェント・ガーデンで花を売る貧しい娘イライザ。彼女の言葉を陰で書き取る男。彼は音声学者のヘンリー・ヒギンズ教授でした。イライザのあまりに強い下町訛リにあきれたヒギンズ教授ですが、後日「授業を受けさせてくれ」と訪ねてきた彼女を音声学の素材に最適と考え、完璧なレディに変身させることが出来るかどうか友人のピカリング大佐と賭けを行います。上流階級の喋り方やマナーを徹底的に指導した甲斐あって、舞踏会に現れたイライザは、下町娘から一転して立派なレディに生まれ変わって人々を魅了しますが、彼女の美しさにはヒギンズも虜になリ…

 こんな話で、ヒギンズ教授かピグマリオン、イライザがガラテアに当たるわけです。イライザが「象牙の像」と言われると、特に女性の方は「何だって!?」と言うかも知れませんが、映画にも女性の参政権を要求するデモの様子が出てきたり、今とはだいぶ違う時代のお話なんだなあと思います。ちなみに、バーナード・ショウの原作は、少なくとも映画版とは違うエンディングのようです。

イライザ:ジュリー・アンドリュース
 ミュージカル版はアラン・ジェイ・ラーナーとフレデリック・ロウの作詞作曲家コンビが手がけました。

初演は1956年の3月15日、場所はブロードウェイのマーク・ヘリンジャー劇場、イライザ役はジュリー・アンドリュース、ヒギンズ教授役はレックス・ハリスンでした。舞台は大好評を博し、初公演は2年間のロングラン となり、その後ら年間で計2,717回ものロングランを記録する大ヒットとなりました。

 ワーナー・ブラザーズ社の総帥ジャック・L・ワーナーはこの舞台の映画化を思い立ち、映画化権を550万ドル、プラス2,000万ドル以上の興行収入の50%という当時としては破格の条件で獲得します。ワーナーはメイン・キャストにはハリウッドのトップスターを希望し、ヒギンズ教授役をケーリー・グランド、イライザの父親アルフレッド役をジェームズ・ギャグ二ーに打診しますが、結局両方とも舞台で同じ役を演じたレックス・ハリスンとスタンリー・ハロウェイが起用されます。ヒロインのイライザ役にはハリウッドではまだ無名だったアンドリュースが考慮されたものの、ワーナーは興行的な面を考慮して有名スターの起用を決め、最終的に名実共に大スターだったオードリー・ヘプバーンが起用されます。

オードリー・ヘプバーンはニューヨークから歌のコーチを呼び寄せて5週間にわたって歌のレッスンを熱心に行ったものの、彼女の歌は結局『ウェスト・サイド物語』でナタリー・ウッドの[吹き替えを担当したマーニ・ニクソンによる吹き替えとなりました。ちなみにこの人、『サウンド・オブ・ミュージック」にシスター・ソフィア役で出演しています。この映画を見て「ナタリー・ウッドって歌がうまいのねえ。オードリーの吹き替えをやっている」と言った人がいるとかいないとか。

 映画は1,200万ドルを稼ぎ出してその年の興行収入第一位となりますが、制作費が1,700万ドルも掛かっていたために、初公開時は500万ドルの損失を出して興行的には失敗となります。第37回アカデミー賞では12部門にノミネートされ、作品賞、主演男優賞(ハリスン)、監督賞、カラー撮影賞、カラー美術監督・装置賞、音響賞、編曲賞、カラー衣装デザイン賞の8部門を獲得します。ところがヘプバーンは素晴らしい演技を披露したにも関わらず、主演女優賞にノミネートすらされませんでした。

その年の主演女優賞は『メリー・ポピンズ』のジュリー・アンドリュースでした。このアンドリュースの『マイ・フェア・レディ』のCD、それはそれは素晴らしいものだそうです。

 そんなこんなでエピソードには事欠かない映画ですが、3時間近い長さにも関わらず、俳優陣の見事な演技で最後まで楽しめる映画です。ヘプバーンの演技も特に後半は素晴らしく、アカデミー賞の一件はワーナーに対する反感の犠牲になったとしか思えません(先に名前の出たジェームズ・ギャグニーが出演を断ったのは、長年ワーナーにこき使われた恨みからだと言われています)。

 本日はまず序曲を演奏します。イライザの舞踏会でのパフォーマンスに満足し、ヒギンズとピカリングが歌う「うまくいった」、アスコット競馬場でイライザに一目ぼれしたフレディが歌う「あなたの街で」、発音がうまくできたイライザが興奮して歌う「踊り明かそう」で構成されています。主要登場人物が出揃いますね。ちなみに映画でフレディを演じているのは、後にBBCの『シャーロック・ホームズの冒険』シリーズで主人公を演じる事になるジェレミー・ブレッドという役者さんです(歌は吹き替えらしいですが)。

次にイライザが下町で歌う「素敵じゃない?」、イライザの父親アルフレッドが歌う「運が良けりや」(映画でのスタンリー・ハロウェイの歌と踊り、本当に素晴らしい!)、発音がうまくできた所でイライザが歌う「スペインの雨」(スペインの雨は平地に降る、という文をイライザは何度も練習させられます)、イライザがヒギンズの家を飛び出した時に歌う「言葉はいらないの」、そして最後の場面の音楽を続けて演奏します。 
 (荒木 浩志)

オペラ座の怪人

・ストーリー
 19世紀中頃のパリ・オペラ座。この劇場の地下には、「オペラ座の怪人(ファントム)」と呼ばれる正体不明の人物が住み着いているという噂がありました(「オーヴァチュア(Overture)」)。

 ある日、オペラ「ハンニバル」の舞台稽古中に、突然背景幕が落ちるというハプニングが起こります。プリマドンナのカルロッタは支配人達の無策ぶりに腹を立てて役を降りてしまい、代わりにコーラスガールのクリスティーヌが抜擢され立派に歌いきり、観客の大喝采を浴びます(「スィンク・オブ・ミー(Think of Me)」)。

彼女は密かにファントムから歌のレッスンを受けていたのです。勿論彼女は自分を教えてくれている人物が、ファントムだとは知リません。幼い頃に父が、自分のもとに遣わすと約束してくれた「音楽の天使」だと思っています(「エンジェル・オブ・ミュージック(Angel of Music)」)。

また、クリスティーヌは幼なじみのラウル子爵とも再会を喜び合います。しかしそれも束の問、クリスティーヌの楽屋の鏡の中から現れたファントムが、彼女を地底の自分の住処に連れて行ってしまいます(「オペラ座の怪人(The Phantom of the Opera)」)。

 彼女をプリマドンナに仕立て、自作のオペラを歌わせたいと願うファントムは、オルガンに向かって夢中になって作曲をします。好奇心に駆られたクリスティーヌは、隙を見てファントムの仮面を剥ぎ取リますが、仮面の下の恐ろしい素顔を見て失神してしまいます。自分の素顔を見られたからには、彼女を地上に返すわけにはいきません。彼女の枕元で、ファントムは愛をこめて優しく歌います(「ザ・ミュージック・オブ・ザ・ナイト(The Music of the Night)」)。やがて意識を取り戻したクリスティーヌは、ファントムを決して裏切らないと約束して、地上に戻ることを許されます。

 オペラ座の新しい支配人達は、ファントムの存在をはなから信じていません。ファントムからの要求(給料の支払い、5番BOXの確保、そしてカルロッタの替わりにクリスティーヌをプリマドンナとして歌わせること)も一切無視したうえ、ファントムからの要求は、主役を奪い取りたいクリスティーヌとラウルの仕業だと言い張ります。彼らの態度に激怒したファントムは、宣戦布告します。カルロッタの声を蛙の鳴き声に変え、舞台上に道具係ブケーの首吊り死体を落下させます。

 ラウルは場内の混乱を避けて、クリスティーヌをオベラ座の屋上に連れて行き、二人は愛を確かめ合います(「オール・アイ・アスク・オブ・ユー(All I Ask of You)」)。二人の姿をひっそりと見つめるファントム。その目には、クリスティーヌヘの愛と憎しみが宿っていました(「All I Ask of You(Reprise)」)。カルロッタの代わりに舞台に戻ったクリスティーヌの頭上で、怒りを爆発させたファントムは、劇場の巨大なシャンデリアを突き落とします。

 それから半年後の大晦日、修復を終えたオペラ座で、仮面舞踏会(「マスカレード(Masquerade)」)が華やかに繰り広げられる中、突然ざくろの仮面をつけ、“赤い死”に扮装したファントムが現れます。彼は自作のオペラ「ドン・ファンの勝利」を、クリスティーヌのプリマドンナで上演することを要求します。そしてファントムは、クリスティーヌの首がら、ラウルと秘密の婚約の証の婚約指輪を通したネックレスを引きちぎって姿を消します。

 支配人達は、これ以上の惨事を防ぐため怪人の要求を呑み、バレエ教師のマダム・フリーがらファントムの正体を聞き出したラウルは、ファントムに挑もうとします。

 悩んだクリスティーヌは、一人父親の墓を訪れます。そこに再び現れたファントムは、彼女を誘い出そうとしますが、クリスティーヌの後を追ってきたラウルに阻まれます。

 「ドン・ファンの勝利」上演の日、ファントムは、警察の厳戒態勢の目をかいくぐり、ドン・ファン役のピアンジを殺して入れ替わり、ヒロインのクリスティーヌに激しい愛を告白、そのまま地下にさらっていきます。

 消えたクリスティ一ヌの後を追って地下まで行ったラウルは、ファントムの罠にかかって殺されそうになります。クリスティーヌは嫉妬に狂ったファントムから、「俺を嫌えばこいつを殺す。ラウルを救いたいなら結婚を」と無理矢理指輪をはめさせられます。ファントムの孤独で悲しい心をやっと理解したクリスティーヌは、ファントムにキスをします。その心に触れたファントムは、恋人達を逃がします。クリスティーヌに手渡された指輪を、彼女がかつてファントムヘ抱いた愛の証と抱いて、ファントムは永久にオペラ座から姿を消したのでした。

・作者ガストン・ルルーとオペラ座
 ガストン・ルルーは、『アルセーヌ・ルパン』もので名高いモーリス・ルブランと並び称されるフランス推理小説草創期の巨匠です。日本では『黄色い部屋の謎』の作者として知られています。

「オペラ座の怪人」のチラシ
 ルルーは、1864年、パリ・シャンゼリゼ近くの裕福な衣料品商の家に長男として生まれました。小学校入学前から物語を作って楽しむ、想像力豊かな少年でした。いたずら好きながら成績優秀、とりわけラテン語に秀でていた彼は教師から冗談めかしに、将来は作家が弁護士を目指してはどうかと勧められます。20歳の時に母を、相次いで父を亡くした彼は弟妹3人を養う責任を背負うことになります。長じてパリ大学で法律を学び、その後弁護士の下積み経験を積む反面、演劇にも興味を抱き、自らいくつかの戯曲をものします。その後『ル・マタン』紙の海外特派員となりヨーロッパや中東をまたにかけ大活躍します(一度モロッコで、変装がばれて追われ、辛くも命拾いをしたことがあり、こうした経験は『オペラ座の怪人』はじめ、いくつかのミステリー作品に活かされています)。30代半ばを過ぎた1904年に処女作『テオフラスト・ロンゲの二重生活』(フランス版『ジキル博士とハイド氏』)を発表して職業作家に転向。

 3年後、推理小説ファンなら誰でも一度は読んだことがあるのではと思われる名作『黄色い部屋の謎』を発表し、一躍人気作家となりました。さらにこの3年後rオペラ座の怪人」を発表します。その後、怪奇ロマンスと冒険物に大別される単行本を33点、そのほかにも『黄色』の続編『黒衣婦人の香り』や、大活劇[大陽の花嫁』なとの作品を残し、1927年4月、59歳で没しました。



・19世紀のオペラ座
 ルルーはこの作品を書<にあたって、かなりの取材をしたあとが窺えます。たとえばオペラ座の地盤には地下水が多かったこと。これは、1862年に始まった工事の途中、オペラ座の地下に、ローマ時代がら削岩を続けられてきた巨大な採石場がみつかったことが原因。地下は完全な空洞で、そこには地下水が流れ込んで出来た「湖]があり、その結果ルーブルの中庭とノートルダム寺院の塔の1.5倍の高さを掛けたほどの地下水を汲み出さなければならず、また地下水の浸潤防止に二重三重の隔壁を設けなければならなかったことを、プロットの重要箇所に応用しています。時代背景として、オペラ座建築中にパリコミューンの戦乱があり、反徒が地下の迷路を使って逃げたことも伝えられていることも一つのヒントになったことが推察されます。

また、ルルーの発想の原点となったのが、オペラ座にまつわる現実の幽霊話。革命時代に工事が行われた関係もあり、陰惨な噂がまとわりついていました。当時、この建物の地階に怪人物が住みついているという噂が流れ、幾つかの怪死事件はその人物が引き起こしたものらしいといわれていました。このような虚実様々な話題にヒントを得て本編が構想されました。ルルーは新聞記者でしたから、この種の場所に出入りし、取材することは造作もなかったと思われます。この小説の舞台となった頃は、ガルニエの設計によるオペラ座竣工(1875年)後まもなくであり、ガス灯で照らされた煉瓦歩道には馬車が疾駆し、夜ごと着飾った上流階級の男女でにぎわっていた時代です。

 そしてファントムが固執したオペラ座のBOX席。当時のオペラ座というのは、金と地位に恵まれた男性が、その財力権力にあかせて、美少女をガールハントしに行く場所でした。舞台より少し下がった場所にあるBOX席を陣取った紳士たちは、自分が「囲い物」にしようと狙う端役の踊り子達を間近から観察し、終演後、定期会員用に特別に設けられた入口を通って楽屋に花束やプレゼントを届けました。このBOX席は、普通なら一番観にくい席ですが、料金は一番高く、この場所を1年間通して予約するだけの財力のある人々は、オペラを観るためではなく、着飾った自分の姿を人々に見せる(恍惚を味わう)、また新しい愛人や恋人を披露するため、専用のBOX席を取っていました。

・様々な『オペラ座の怪人』〜映画編〜
 日本で最初にこの作品が紹介されたのは、1925年米ユニヴァーサル社が制作したロン・チャーニー主演の無声映画。監督はルパート・ジュリアン、クリスティーヌ役は、メアリー・フィルピンというユニヴァーサルの秘蔵女優。地下室でクリスティーヌがファントムの仮面を剥ぐシーンは、怪奇映画有数の名場面として未だに語り草になっています。この映画のファントム(役名エリック)は「独学で音楽家になり、さらに黒魔術の教祖となり、マニアックな犯罪者として流刑となったが脱走」という経歴になっています。

1943年、クロード・レインズ主演で再映画化(アーサー・ルーピン監督)。日本での封切りは1953年。この映画では、エリックはクリスティーヌの名乗れぬ父親という設定で、娘を舞台で成功させたいという父親の悲話。

1962年、ハーパート・ロム主演で映画化。この映画のエリックは無名の音楽家。自分の曲の出版を頼みに行った相手にだまされ、二束三文で買い取られてしまったのに腹を立て、印刷中の楽譜を焼き払おうとして火事になり、顔に大火傷を負った後、セーヌ河の地下洞で暮らしている、という設定。

1973年、ブライアン・デ・パルマ監督が『ファントム・オブ・パラダイス』(ポール・ウィリアムズ主演のロック・ミュージカル映画)を、1987年にはイタリアン・ホラーの鬼才ダリオ・アルジェント監督が、スカラ座を舞台にしたホラー・サスペンス版『オペラ座血の喝采』を作っています。ダリオ・アルジェント監督は1989年には『工ルム街悪夢』シリーズのフレディことロバート・イングランドを、1998年にはジュリアン・サンズをそれぞれ怪人役に配したバージョンも制作しています。

1995年のレスリー・チャン主演の香港映画「夜半歌聲〜逢いたくて、逢えなくて〜」は1937年の中国での映画版のリメイクです。

 2005年、アンドリュー・ロイド・ウェーバー版の舞台の映画化は15年の構想を経て映像化されました。監督・脚本ジョエル・シューマッカー。「彼の監督作『ロストボーイ』を見て、その音楽センスに感心したから」とはロイド・ウェーバーの弁。映画ならではの創作部分はありますが、ほぼロイド・ウェーバーの舞台版に忠実に作られています。カルロッタ役以外は全員吹き替えなしなのも、ロイド・ウェーバーのこだわりです。ファントム役は、弁護士を目指しつつ、バンドで歌っていたという異色の経歴のジェラード・パトラー。クリスティーヌ役は幼い頃からN・Yのメトロポリタン・オペラで歌っていた若干17歳の工ミー・ロッサム。ラウル役は、ブロードウェイの舞台で大評判のパトリック・ウィルソン。監督やウェーバーから“憎たらしいほど何でも完璧に出来る”という肩書きをもらったといいます。

・様々な『オペラ座の怪人』〜舞台編〜
1976年、英国ランカスターでケン・ヒル(1995年に急逝)版『オペラ座の怪人』初演。1984年にリメイクされ、1986年のアメリカ公演を経て、ロンドンのウェストエンドに登場したのは1991年。このケン・ヒル版はすべてありものの曲を使用しているのが特徴です。ビゼーの『真珠探り』のアリア「耳に残るは君の歌声」や、ヴェルディの「イル・トロヴァトーレ」、グノーの「ファウスト」などのオペラの名曲を、自在に歌詞を変えて劇中歌に転用しています。

 当時ロイド・ウェ一バー夫人だったサラ・フライトマンが、このケン・ヒル版クリスティーヌ役のオファーを受け、結局断りましたが、話を聞いたロイド・ウェ−バーの頭の中に『オペラ座の怪人』のタイトルが残り、ある日N・Yの5番街のブックカフェでルルーの原作を見かけて買い込んだことから、ロイド・ウ工−バー版が生まれることとなりました。

1986年、ロンドン、ハー・マジェスティーズ劇場でアンドリュー・ロイド・ウェーバー版開幕。1988年にはフロードウェイと日本で上演され、以後ミュージカル界の“怪人”ともいうペき大ヒットを続けています。今回アメデオで演奏しているのは、このバージョンです。

1991年、『グランドホテル』や『ナイン』で知られるアーサー・コピットとモーリー・イエストンの作詞作曲家コンビによる『ファントム』が上演されます。この作品の構想は昔から出来ていましたが、先にロイド・ウェーバー版が上演されてしまい、スポンサーと資金がそちらに流れていってしまったため、制作を断念せざるをえず、短編のテレビドラマとして制作されました。その後ようやく、1991年にヒューストンでの初演にこぎつけましたが、ブロードウェイではまだ上演されていません。

 日本では2004年に宝塚宙組によって初演。本年も花組で再演が予定されています。こちらは、エリックと父親の関係がクローズアップされており、工リックの出生の秘密や、オペラ座の地下での暮らし、自分の顔に嫌悪感を抱くファントムの人物像などがより深く描かれています。エリックが等身大の青年として描かれており、ロイド・ウェーバー版よリフランス色が漂いのも特徴です。

・『オペラ座の怪人』の“音楽”
『オペラ座の怪人』の音楽というと、誰もがまず思い浮かべるのがタイトル・チューンにもなっている「The Phantom of the Opera(オペラ座の怪人)」でしょう。ファントムがクリスティーヌを地下の隠れ家に誘う有名なシーンで、二人が掛け合うとてもドラマティックなミュージカルナンバーです。導くファントムに対し、不安と期待と憧れが同居する、非常に繊細な気持ちを表現するクリスティーヌが歌うこの曲は、観客を不思議な世界に導く役割をも果たしています。

 オープニングでフューチャーされる「Overture(オーヴァチュア)」は、この曲のインストゥルメンタルで、「“オペラ座の怪人”といったらこの“オーヴァチュア”」というほど広く浸透しています。

 隠れ家に辿り看いたクリスティーヌに、ファントムが包容力たっぷりに歌い上げるのが「The Music of the Night(ザ・ミュージック・オブ・ザ・ナイト)」。究極のスタンタードナンバーと言われている名曲です。ロイド・ウェーバーならではの美しい旋律のバラードですが、その一方でファントム役の俳優の音楽的センスと演技面の表現力も要求される非常に奥の深い曲でもあります。

 クリスティーヌとラウルがデュエットするラブソング「All I Ask of You(オール・アイ・アスク・オブ・ユー)」は、人達のピュアな愛だけでなく、クリスティーヌの迫り来る波瀾万丈の人生をラウルが受け止める決意も意味する非常に重要な曲です。オペラ座の屋上で掛け合い歌うという、ミュージカルにぴったりのロマンティックなシーンと絶妙に融合した、登場人物たちの心理を巧みに表現した密度の濃い内容は、ロイド・ウェーバーだけでなく、作詞家として抜擢されたチャールズ・ハートの貢献も大きいです。

 クリスティーヌがカルロッタの代役で歌い上げる「Think of Me(スィンク・オブ・ミー)」や、代役を見事務めたクリスティーヌの歌に感動したコーラス・ガールのメグが、クリスティーヌと掛け合いで歌い、やがてファントムまで介入して歌われる「Angel of Music(エンジェル・オブ・ミュージック)」、仮面舞確会で人々がカラフルに歌い踊る「Masquerade(マスカレード)」など、ほかにも名場面にぴったりの名曲揃いです。

・アンドリュー・ロイド・ウェーバーについて
1948年3月22日、ロンドンで生まれ、父が音楽学校校長、母がピアノ教師、弟もソリストといった音楽一家に育ちました。オックスフォード大学在学中に知り合った作詞家のティム・ライスとのコンビで70年に発表した『ジーザス・クライスト・スーパースター』で一躍有名になります。『サンセット大通り』『エビータ』『キャッツ』『スターライトエクスプレス』『オペラ座の怪人』など次々に代表作を生み世界の演劇界を席巻し、その天才振り、幅広い音楽性から“現代のモーツァルト”と称されます。

 実際に曲を作るときは頭の中で作曲するといいます。ミュージカルを作曲する際、もっとも大事なのは、劇のストーリーラインを把握し、徹細に至るまでの劇のイメージを頭の中ではぐくむことなので、最初に曲を作ってからストーリーに押し込むというやり方はせず、あくまでも劇の構成が第一で、メロディーはその次である、と。そんな彼も歌は苦手で、歌を歌うのは作詞家に聞かせるときだけだとか。

1992年に女王から「サー」の称号を受けているロイド・ウェーバーは大変な情熱家として知られています。二人目の夫人はサラ・ブライトマンで、『オペラ座の怪人』のクリスティーヌは彼女のために、彼女をイメージして作られました。彼女は、ロンドンとブロードウェイの初演でクリスティーヌを演じています。


CATS(キャッツ)

ジェリクル・キャッツ、今宵お出かけ。
ジェリクル・キャッツ、そろってお出かけ。
ジェリクル・ムーン、明るく照らす。
ジェリクル・キャッツ、ジェリクルの舞踏会へとお出かけだ。
(おちゃめなジェリクル猫たちの歌)

・ストーリー
 満月が青白く輝く夜、街の片隅のゴミ捨て場。たくさんのジェリクルキャッツたちが、年に一度開かれる”ジェリクル舞踏会”に参加するため集まってきます(「Overture」)。

 人間に飼い馴らされることを拒否して、逆境に負けずしたたかに生き抜き、自らの人生を謳歌する強靭な思想と無限の個性、行動力を持つ猫。それがジェリクルキャッツ。「ジェリクルキャッツを知っているか?」(「Jellicle Songs for Jellicle Cats」)

 そして今宵は、長老猫が最も純粋なジェリクルキャッツを選ぶ特別な舞踏会。再生を許され、新しいジェリクルの命を得るのは誰か。夜を徹して歌い踊る猫たち。猫たちはそれぞれの人生を語り始めます。

 オールドガンビーキャット(The Old Gumbie Cat)のジェニエニドッツ - おばさん猫(Jennyanydots)。日がな一日寝てばかり。ガム(gum)のようにネバネバと床に体が張り付いてしまったおばさん猫です。だけど、家族が寝静まったた夜になったら起き出して、ネズミたちをしつけます。ラム・タム・タガー(Rum Tum Tugger)- つっぱり猫も踊ります。そこへ現れる娼婦猫グリザベラ(Grizabella)。すると猫たちは一斉に身構え、敬遠します。政治が大好きな街の名士猫、グルメなバストファージョーンズ(Bustopher Jones)さん。長老猫オールドデュトロノミー(old Deuteronomy)も幸せの姿を歌います。

 鉄道猫スキンブルシャンクス(Skimbleshanks)は夜行寝台列車「メイル」号のアイドル猫。いきなり現れた犯罪王マキャビテイ(Macavity)にオールドデュトロノミーがさらわれてしまいます。大騒ぎする猫たち。ですが、魔術師猫ミストフェリーズ(Mistoffelees)の力で、無事オールドデュトロノミーは発見されます。娼婦猫グリザペラも、自治の気持ちを歌い上げます(「Memory」)。ピュアで何にでも興味を持つ生後3ヶ用の仔猫シラバブ(sillabub)も、彼女と共に歌います。

 やがて夜明けが近づき、ナイフで切ってしまえそうな静寂に向かって、天上に上り、新しい人生を生きることを許されるただ一匹の猫の名前が、オールドデュトロノミーによって高らかに宣言されます。その猫とは一体‥?

         *           *          *

 どうですか? 魅力的な猫ばかりでしょう? 人間みたい? もしかして自分に似ているかも?
 キャッツには、このほかにもたくさんの魅力的な猫がでてきます。劇場猫アスパラガス(Asparagus)や、泥棒コンビのマンゴジェリー(Mungo Jerrie)とランプルティーザ(Rumpleteazer)……。まだまだいます。全部の猫のお話をお聞かせしたいのはやまやまですが、これらの猫のお話はまたいつかすることにいたしましょう。

・作者T・S エリオットについて
 エリオットは1885年、アメリカのセントルイスに生まれました。祖父はセントルイスに教会と大学を建てた偉大な牧師・教育家でした。そのせいか、エリオットは殉教者的性格を血筋として受け継いでいます。その反面、心理的重圧を跳ね返すために若いときから極端な笑いを愛好してきました。ユーモアは彼にとって、抑圧に対する一種の心理的防衛であり、初期の頃の作品にはふんだんに笑いの要素が盛り込まれています。また、猫のイメージを借りたウィットに富む様々な描写があり、後年の『キャッツ』の世界へと通じる素地を見ることが出来ます。

 例えば、エリオットの詩の中に、通俗で動物的な人物スウィーニーを登場させているものがいくつかありますが、これは、『プラクティカル・キャッツ』に浮上してくるエリオットの庶民的な部分といってよいと思います。

    サルの首をしたスウィーニーは膝を広げて
    両手をたれて笑う
    彼のあごに通る縞馬の条(すじ)が
    ふくらんでまだらなキリンとなる

    スペイン風のケープを着た女が
    スウィーニーの膝に乗ろうとして
    滑ってテーブル・クロスをひき
    コーヒー・カップをひっくり返すと
    床の上でまたからだを起こして
    あくびをし、ストッキングをひきすりあげる

 こんな調子の盛り場の描写は、そのまま海賊猫や娼婦猫が登場する『キャッツ』の世界に通じるでしょう。
 しかし、エリオットが一目惚れした、バレーダンサーのヴィヴィアンとの結婚生活が不幸な結末となってしまってからは、次第にまた殉教者的願望が強まっていきました。最後には宗教詩人のようになり、ロンドンのウェストミンスター寺院の「詩人の墓」に葬られました。彼の人生は映画('95年『愛しすぎて - 詩人の妻』)にもなっていますが、実際はこの映画に描かれているような堅物ではなく、もっとダンディで、真面目と笑いのヤヌスの面をもった人であったと言われています。

・作品『キャッツ』について
 この作品のもとになったものは、『オールド・ポッサムズ・ブック・オブ・プラクティカル・キャッツ〜ポッサムおじさんの猫とつき合う方法(OId Possum's Book of Plactical Cats)』(1939年)という詩集で、15篇の詩からなりたっています。これは当時エリオットが勤めていた詩集出版社フェイバーの同僚の子供達のために書いたもので、彼はその時51歳でした。

「ポッサムおじさん」とは、先輩詩人のエズラ・バウンドが付けたあだ名で、彼自身大いに気に入っており、自分の分身としてこの詩集のオリジナルタイトルに使いました。危険にあうと死んだ振りをしてとぽけるという意味のオポッサムという動物に由来したこのあだ名は、謹厳さとユーモアの間でバランスを取るエリオット自身をよく表していると言えます。この詩集の冒頭の詩「猫に名前をつけること」の中の「わし」は「ポッサムおじさん」つまリ「エリオット」自身と思っていいでしょう。

 エリオットはポッサムおじさんを介して「猫に名前をつけるのはまったくもって難しい」と言わせていますが、エリオットは名付けることの天才でした。未亡人ヴァレリーは証言しています。「友人だけでなく知らない人から頼まれても、エリオットはいつも似つかわしい猫の名前を考え出しました。私が覚えているのは“ノイリー・プラット(エレガントな猫)”、“カーバケッティ(屈々しい独)”、“タントミール(魔女の猫)”です。彼はまた、シリー(間抜けな)とビールゼパブ(魔王)を合わせた”シラバブ”という名前を気に入っていました」。

 このエピソードは1930年代半ば頃の話のようですが、もうすでにここには、『キャッツ』に登場する猫が3匹も出てきています。しかし、エリオットはこの15篇の詩を一気に書きあげたわけではなく、数年掛けてじっくりと一匹一匹の個性派猫の存在を形成していったようです。

 たとえば、ジェニエニドッツ。“いくらでも”のanyと“点”のdots。さしずめ、まだら猫のジェニーちゃん。一日中座っているので、体がガムのように張り付いてしまったから、あだ名は“Gumbie Cat”。詩集では、下層中産階級の家政婦兼乳母のおばさんといったイメージで登場します。

 バストファージョーンズは“分厚い胸板”(bust)と、かの聖人“クリストファー”(Christopher)をもじって、このユーモラスな俗物名となりました。威風堂々と街を闊歩する姿が想像できます。貴族のように書かれていますが、実は成り上がりの一代貴族のようです。

 スキンブルシャンクス。古語の“skimblescamble”には“ナンセンスな”という意味があり、シャンクスはエリオットと同時代の詩人・批評家の名前でもあります。「職業に誇りを持つ」というイギリスの典型的労働者階級の古き良き伝統を受け縦いでいるイメージです。

 オールドデュトロノミーの名前の由来は「旧約聖書」の「申命記(デュトロノミー)」から取られ、そこに出てくる120歳まで生きたモーゼにあやかって付けられました。老賢人のイメージが漂っており、父性原理の強いイギリスならではの人物像でしょうか。また、デュトロノミーを通して、エリオットの古き良き時代、ヴィクトリア朝への郷愁をも感じ取ることが出来ます。

 今回のハイライトには入っていませんが、他にも個性的なネーミングの猫がいます。たとえばグロールタイガーは、“吠える(growl)”。日本でいうところのヤクザ、イギリスではギャングにあたるかもしれません。ラム・タム・タガーは、身勝手な、あるいはアナーキーな人間像を象徴しているのでしょうか。生き方としては、ロックスターのような、ワーキングクラス・ヒーローの感じがします。歌や音楽で調子を取るときの、rumtumtum(ラン・タン・タン)の3拍子。この3つ日の拍子をtumではなくtuggerにして見事に調子を狂わす、まさに人の意のままにはなりません。rumには“ラム酒”のほかに“おかしな、危険な”の意味もあり、tuggerは物事をぐいぐい引っ張っていく人の意。もちろん猫科のtiger(トラ)もかけています。このほかにも魔術師猫や犯罪猫、泥棒猫など、とにかくたくさんの猫が登場します。それぞれエリオットの才能による、独創的な猫たちばかりです。

 そして、この作品で忘れてはならないのが、年老いた娼婦猫のグリザペラです。名前の前半から連想されるgrizzleは、“灰色の”、“嘆く”などの意味があります。しかし、後半のbellaは女性の名前ペラであり、“美しい”という意味があります。

 この猫は、エリオットの詩集には出てきません。作曲家アンドリュー・ロイド・ウェーバーと演出家のトレヴァー・ナンによってエリオットの未発表の詩「グリザペラ・ザ・グラマーキャット」という作品が見いだされ、このミュージカルになくてはならない曲「メモリー(Memory)」が生み出されることになりました。未亡人ヴァレリーによると、エリオットはグリザペラの詩篇は、子供達にとっては余りにも悲しすぎると考え、最後の8行しか書かなかったそうです。従ってこの詩集には、当然のことながら、この未完の詩は収録されていません。

 ナンは当時を回想して「エリオットは、その8行の断片の中に、いずれ死ぬペき運命とぬぐい去れない過去というテーマを取り入れながら、人間的な強い共感を与える存在感のあるキャラクターを書いている」と述ペています。

 ミュージカル『キャッツ』は概な明るく展開していきますが、グリザペラの登場によって、一種独特の重苦しさと悲劇性が付け加えられ、奥行きのあるドラマになっています。エリオットが詩人の資質として本来的に有しているのは、この悲劇的要素です。二人の芸術家、ウェイバーとナンは、そこに着目して、この悲劇的要素をミュージカルの劇化(=ドラマタイゼーション)の為に採り入れたのです。

 過去の栄光に縋って生きる年老いた娼婦猫のグリザペラが、様々なジェリクルキャッツの仲間に出会い、さげすまれながらも徐々にそのかたくなな心を開いていく。そして最後には再生を許され、新しくジェリクルの命を得る猫として選ばれ、ジェリクルたちの祈りの力によって、老賢人猫オールドデュトロノミーに手を引かれて天上へと昇っていくのです。音楽的には、フーガ風の導入部で始まり、グリザペラの昇天シーンで収束するという構造になっています(ちなみに、ほかの猫にもそれぞれテーマ音楽があります。ジェニエニドッツには古き良き時代のダンスホール・タップ風、ミック・ジャガー的なラム・タム・タガーにはロック、マキャピティには「ピンクパンサー」のテーマ曲風、バストファージョーンズはオペラ、オールドデュトロノミーには教会音楽といった感じです)。

『キャッツ』のテーマ「本当の幸せと明日への希望」を託されているのはグリザペラです。そして彼女は、二幕日でデュトロノミーが歌う「幸福の姿」を境に、徐々にですが生まれ変わっていきます。二幕目最後の「メモリー」は、一幕日の「メモリー」の“美しく去った過ぎし日を思う”回想の歌ではなく、“この世を思い出に渡して、明日に向かう”希望の歌、再生の歌ではないでしょうか。

 グリザペラが「私の体に触れて欲しい」と絶叫し、シラバブが手を差し伸べます。すべてを知り早くした末のグリザペラのピュアな魂と、何も知らないシラバプのピュアな魂とがはじめてここで一体となり、同時にジェリクルたちとも心がつながるのです。『キャッツ』が私たちの心に感動を与えてくれるのは、死と再生という生命の神秘を謳いあげており、猫たちの生きざまに仮託した私たち人間の救済と再生のドラマであるからではないのでしょうか。

・”ジェリクル・キャッツ”って?
 JellicIe Cats。Jellyは「柔らかくてブリブリした」の意。-cleはラテン語のclueの異形で、「小さな」ものを表す接尾辞。
ミュージカルでは、ネコの中のネコ、という意味になっており、年に一度ジェリクルたちは集まって、再び命を与えられ、ジェリクルとして蘇ることを許されるたった一匹を選出するのです。最終的な決定権を持っているのは長老ネコのオールドデュトロノミー。どうやって選出するのか、その選出の課程がミュージカルとしての見所です。
(一関 恵子)


参考文献(オペラ座の怪人、キャッツ)
・ケン・ヒル版「オペラ座の怪人」パンフレット
・宝塚版「ファントム」パンフレット
・東京創元社「オペラ座の怪人」(ガストン・ルルー 作/三輪秀彦 訳)
・東京創元社「ガストン・ルルーの恐怖夜話」(ガストン・ルルー 作/飯島宏 訳)
・ちくま書房「キャッツ〜ポッサムおじさんの猫とつき合う方法」(T. S.エリオット作/池缶雅之 訳)
・劇団四季「キャッツ」「オペラ座の怪人」各パンフレット(1994〜2005)
・千趣会「ミュージカル・アベニュー」ブックレット
・近代映画社「華麗なるミュージカルの世界」
・ぴあむっく「ミュージカルワンダーランド」

*文中の曲については、今回アメデオの演奏で使用したもののみ、主に抜粋してあります。


第2部 オール・ラヴェル・プログラム

作曲家 モーリス・ラヴェルについて

 モーリス・ラヴェルは1875年3月7日、スイス人の父ピエール・ジョゼフ・ラヴェルとバスク人の母マリー・ドルアールの子としてピレネ地方の小さな港町シブールに生まれました。一家は間もなくパリに移り、ラヴェルは生涯をそこで過ごすことになります。最初は父親から音楽の教育を受け、1889年(14歳)にはパリ音楽院に入学します。

「神童」と呼ばれるようなエピソードは特にない、なんて資料には書いてあるのですけど、僕にはこの話だけで十分天才的なエピソードに思えます。本日演奏する最初の曲、「古風なメヌエット」のピアノ版はこの在学中、1895年(20歳)に作曲されています。この曲は3年後には早くも出版されており、すでに作曲家としてそれなりの評価を受けていたことがわかります。

 さて、フランスには「ローマ大賞」という賞があります。これで1位を取った作曲家は1年間ローマで遊んでいられる、もとい遊学していられるという、なかなか太っ腹な賞です。ラヴェルは1901年に応募しましたが、その時は2位でした。この賞の応募には30歳までという年令制限があります。その30歳の時、ラヴェルはまたまた応募しますが、この時は予選すら通りませんでした。このラヴェルに対する扱いは不当であるという批判が高まり、ついにはパリ音楽院の院長が交替してしまいます。この院長交替が正しかった事を裏付けるように、ラヴェルは次々に傑作を発表していきます。2部の2曲目こ演奏する「マ・メール・ロワ」はこの頃に書かれたものです(ピアノ連弾が1910年、バレエ音楽が1911年)。

1914年には第一次世界大戦が勃発します。「あなたには作曲という仕事が有るから」という理由で兵役を免除されたラヴェルですが、志願して軍に入隊し、1917年まで通信兵として従軍します。当然作曲活動は中断しますが、除隊後は代表作を次々に発表します。本日最後に演奏する「ボレロ」の他、「ラ・ヴァルス」、2曲のピアノ協奏曲、ムソルグスキーの「展覧会の絵」のオーケストレーション(僕はこの曲の編曲者として最初にラヴェルを知りました)など、ラヴェルのファン、フランス近代音楽のファンなら名前を聞いただけでわくわくして来るような曲ばかりです。そうそう、「古風なメヌエット」のオーケストレーションも実はこの頃です。

 ピアノ協奏曲が完成した1931年、ラヴェルは医者から静養を命ぜられます。翌年タクシーで交通事故に遭い、それから1937年に亡くなるまで、新たに書かれた曲はありません。(「ドゥルシネ姫に想いを寄せるドン・キホーテ」はその前から作曲を進めていて、この時期に完成させたものです)この間、ラヴェルの頭の中には新しい曲の構想があったらしいのですが、それを楽譜に書き写すことができない状態であったようです。こんな話を聞いてしまうと、もっと曲があったのかも知れないなどと考えてしまいますが、それは欲張りというものでしょう。残された曲だけでもラヴェルの音楽を十分堪能することができると思います。


古風なメヌエット(Minuet antique)

 先に述ペたように、この曲は最初ピアノ曲として1895年に発表されました。この時ラヴェルは20歳、まだパリ音楽院の学生でした。ラヴェルは古い形式、あるいは他の作曲家のスタイルを借りて多くの独創的な作品を生み出していますが、そのような作風、創作傾向がすでにこの曲で示されています。古い音楽の形式である「メヌエット」、一見「古風な」音楽ですが、この「古風な」は一種の言葉遊びと考えるペきでしょう。確かにメヌエット - トリオ - メヌエットという、古典派の厳格な形式を守ってはいますが、よくよく見て、(聴いて)みれば、ラヴェルらしい斬新、新鮮なアイディアが随所に見られます。

 出だしを聴いて「あれっ?」と思われる方も少なくないでしょう。そう、このメロディは4分の3拍子のひとつ前の8分音符から始まっているのです。トリオのメロディも何となく間延びした感じです。(これ、実は演奏する側が大変。)なんだか和音も「古風」じゃないですねえ。

 ほとんどデビュー曲と言って良いこの作品を、ラヴェルは54歳になった1929年に思い出したようにオーケストレーションします。そう、実は「ボレロ」よりも後になるわけです。この時にトリオの繰り返しをやめ、後半部分に信号ラッパのようなフレーズを書き加えています。


組曲「マ・メール・ロワ」

 この曲も最初はピアノ曲、連弾用の組曲として1908年に作曲されました。親友であったコデフスキー夫妻の二人の子、ジャンとミミーのために書かれたものです。このような事情もあって、ラヴェルの曲としては簡単な手法で書かれている(らしいです。私ピアノ弾けないので詳しい事はわかりません)のですが、それでも幼い兄弟には難しかったようで、初演は別の人が担当しています。

 管弦楽版ができたのはそれから4年後の1912年です。後にパリ・オペラ座の支配人となるジャック・ルーシエの発案でバレエ音楽として上演される事になったのです。この時に前奏曲と「紬ぎ車の踊りと情景」、そして4つの間奏曲が書き加えられました。

 今回、このバレエ音楽も聴いてみました。元々あった5曲の題材を巧みに使って新しい曲を作っていますが、成立事情からするとオリジナルの5曲だけでも、ラヴェルの描いたおとぎ話の世界に十分浸れるのではないかなあ、という印象を受けました。本日は組曲版の5曲を演奏します。

 ちなみに「マ・メール・ロワ」を英語で言うと「マザー・グース」になります。

1曲日 「眠りの森の美女のパヴァーヌ」Lent(レント)、イ短調、4分の4
わずか20小節、しかもごくわずかの、選び抜かれた音符だけで構成された音楽。神秘的な雰囲気で聴き手を夢の世界に誘います。
2曲目「一寸法師」Tres modere(きわめて中庸の速度で)ハ短調、主に4分の2と4分の3
頻繁に変化する拍子が森の中を不安気に歩く一寸法師の様子を表します。中間部では小鳥の鳴き声が聞こえてきます。
3曲日「パコダの女王レドロネット」Mouvt de Marche(行進曲の速度で)嬰へ長調、4分の2
パコダはどうやらアジア系の民族のようです。行進曲で、細かい音型も登場しますが、何となく優雅な雰囲気があります。少しテンポが遅くなる中間部は特にその印象が強いですね。どこからかまた最初のメロディーが聞こえてきて、クライマックスを迎えて曲は柊わります。
4曲目「美女と野獣の対話」Mouvt de Valse tres modere(中庸のワルツの速度で)へ長調、4分の3
最初に美女が登場。この旋律はエリック・サティの音楽からヒントを得たものと言われています。そのメロディーが終わると野獣の登場。こちらはドビュッシーの音楽からヒントを得たものと言われています。この2つの旋律がからみ合いながら曲が進んでいきます。クライマックスで呪いが解け、野獣は王子の姿に戻ります。
5曲自「妖精の園」Lent et grave(レント、荘重に)へ長調、4分の3
おとぎ話の締めくくりにふさわしい曲。ゆったりとした、安らぎに満ちたメロディーで始まり、アルペジオの伴奏と高音域の和音が印象的な中間部を経て、最後は盛り上がって終わります。

バレエ音楽「ボレロ」

 さて、「ボレロ」です。この曲でラヴェルの名前を最初に知った人も多いのではないでしょうか。この曲はロシア・バレエ団の一員だったイダ・ルピンシテインの依頼で、最初からバレエのための音楽として作曲されました。

 舞台はスペインの小さな酒場。若い女性がテーブルの上でボレロを踊り始めます。次第に周囲の人がその踊りに巻き込まれていき、最後には全員が踊りに熱狂する、という筋書きです。曲は、そのポレロのリズムにのって、スペイン風というか、ちょっとアラブの匂いもするような2種類の主題が執拗に繰り返されます。しかもそのほとんどが「ハ長調」。一般的な変奏や展開は一切行われず、音色の変化、音量の増大で曲を構成しています。こういう「異常」と言って良い構成の曲だけに、エピソードには事欠きません。初演時には曲が終ったところでホールから飛び出し「この作曲家は気が狂っている」と叫んだ人がいたといわれています。また、それを聴いたラヴェルは「その人が私の意図を最もよく理解してくれた人だ」と言ったとか。また、作曲家フローラン・シュミット氏は曲が始まって数分後、ホールから出てしまったようです。なぜ出て来たかと問われて「出て来たのではなく、転調するのを待っているのです」と答えたとか。

 また、クラウディオ・アバドがベルリン・フィルでこの曲を録音した際、最後のほうでメンバーが思わず叫んでしまった、ということがあったようです。(この時のメンバーの気持、ちょっとはわかる気がします。)この話、「レコード芸術」に載っていたのでCDが出ていたはずですが、今回探すことができませんでした。

 一度、テレビの某クラシック音楽紹介番組で演奏を見た事があります。指揮者は井上道義氏でした。氏はリズムを完全に小太鼓に任せ、ソリストの方を見て歌いながら踊っていました。氏が元々ダンサーだった事を知ったのはそれからだいぷ後の事です。

 先に説明したように、音色の変化で曲を構成しているだけに、この曲のマンドリン・オーケストラヘの編曲が一番大変だったのではないかと思われます。どうなっているか、それは聴いてのお楽しみ。

おわりに
 ラヴェルは自分で自分の曲をオーケストレーションしているけど、こういう、自分の曲についていろんな可能性を示してくれている人は他にほとんどいないのですよね。今日の演奏でラヴェルの新しい魅力を発見してもらえるといいなあ、と思います。おなじみのメロデイを「あれっ?」と思うような楽器が演奏している事もあるかも知れませんね。

 それにしても、もう、眩しいくらい、きれいな曲なのですけど、演奏するほうは大変な引っ掛け問題みたいな「古風なメヌエット」とか、同じくちょっと数えにくい「パゴダの女王レドロネット」とか、同じ事を執拗に繰り返す「ボレロ」とか。

う−ん、一体ラヴェルってどんな人だったのでしょう。「ボレロ」は確か録音が残っているとか、聴いてみたかったなあ。
(荒木 浩志)
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