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アンサンブル・アメデオ 第13回定期演奏会
パンフレットより

Ensemble Amedeo The 13th Regblockquotear Concert
1997年1月18日(土)
於:かつしかシンフォニーヒルズ
  "モーツアルトホール"
 


曲目解説

 今宵のプログラムのテーマは「オ一ストリーとハンガリーヘの旅」。なんか旅行案内みたいですね。オ一ストリーといえぱ、音楽の都ウィーンとモーツァルトのふるさとザルツプルグは見逃せません。アルブスの山々に囲まれて、どこからともなくヨーデルの歌声がこだましてきます。ヨォールォレイッホー!
 ハンガリーはマジャール人によって築かれた国。マジャール人と日本人はどこがで繋がっているのでは、という説もあるそうです。その民謡は、日本のものともよく似通っています。ハンガリーは昨年建国1100年を迎えました。ハンガリーといえぱ、広大な草原とジプシーの音楽。その民謡を隈なく採集して歩いたのは、バルトークとコダーイでした。コダーイは3000曲にもおよぷ民謡の旋律を採取したということでずから、これは並大低のことではありません。マジャールのうたは、こぶしを効かせた独特なうたいまわしに特徴があります。トリルやポルタメントがたくさん出てきますので、これはちょっとマンドリン泣かせでした。
 さて、この2つの国にわたって悠々と流れるのは美しく青きドナウ河。かけがえのない地球の繁栄を祈って、毎年ニューイヤーコンサートではシュトラウスの「青きドナウ」が演奏されます。
 残念ながら、生態系の連鎖は人類によって破壌されてきました。絶滅寸前の動物も少なからずいるそうです。困ったことですね。限りある資源をいかにして守るかということは、人類最優先のテーマにちがいありません。


喜歌劇「こうもり」序曲

 ウィーンオペレッタの殿堂「フォルクスオーパー」の2大人気演目といえぱ、シュトラウスの「こうもり」とハンガリー人カールマンの「チャールダースの女王」でしょう。
 「こうもり」が作曲されたのは1874年。たったの6週間で書き上げてしまったと言われています。物語の筋書きそのものは、他愛のない酒のうえでの戯ごとのようなもので、いかにもオペレッタにありがちなテーマです。当時の批評家たちは、「泡立つ」「沸騰する」「ぴりっとはじける」といったワインやシャンパンなどの賞味につかう言い回しで、「こうもり」について評したそうです。シャンパンの飲み過ぎは、現実に対する判断力を狂わせ、破れ去った幻想を慰めて忘れさせてくれるもの。

      変えることのできないことを、変えられるひとは幸せだ

 第1幕フィナーレで歌われるアルフレートの祝宴での歌のリフレインは、「こうもり」のモットーとなったのです。
 さて、序曲は、まさにシャンパンの栓がポン、ポン、ポンとはじけるようなモチーフで始まります。すぺて劇中からの旋律を抜粋して繋げて曲にしたようなものですが、ワルツありチャールダシュありと変化に富んでいて、聴く者を飽きさせません。愉快で愛らしい旋律が、次から次へと沸き立つように現れては消えていきます。中間部で感傷的なところがあらわれますが、これもそれほど深刻ではありません。むしろ悲劇を装っているかのようで、それを大げさに表現することで、かえって喜劇牲が募ってくるというくらいのものです。この曲は終始ほろ酔い加減で演奏しなけれぱなりません。この際「飲酒演奏禁止」なんて言わないで下さいね。カルロスクライバーもリハーサルの中で言っていました。「ヴィプラートはたっぷリと!少しくらいやりずぎても一向に気にしないで。クラシック音楽ではなく、酒場の気分で!」と。


ミュージカル「サウンドオブミュージック」メドレー

 作曲者リチヤード・ロジャースは、作詞家オスカー・ハマースタンとコンピを組み、ミュージカル界の一世を風魔しました。代表的な作品は「オクラホマ」(1943)「回転木馬」(1945)「アレグロ」(1947)「南太平洋」(1949)「王様と私」(1951)「私とジュリエット」(1953)「パイプ・ドリーム」(1955)「フラワー・ドラム・ソング」(1958)。そして「サウンドオプミュージック」は、このコンピによる最後のミュージカルとなりました。
 ミュージカル実現へのきっかけは、初演時にマリアの役を演じることになるマリー・マーチンが、「トラップファミリーシンガーズ」の実語を映画化した「菩提樹」を見たことでした。この映画をミュージカルにしたら・・という思いつきが功を奏して、いよいよ実現することになったのです。はじめは、もともと歌われていた曲にロジヤースの曲を加えるという補想でしたが、結局、すべてオリジナルで作り直すことになりました。ミュージカルは1959年11月16日にニューヨークのランフォンタン劇場で初演されました。なんと空前の1433回におよぷロングランを記録したのです。当時のオリジナルキャストはマリー・マーチン(マリア)、テオドル・ビケル(トラップ大佐)、クルト・カンズナル(マックス)、パトリシア・ニューウェイ(修道院長アベス)、そしてローリ・ぺ一タス(長女リーゼル)でした。おびただしい数の賞を獲得しましたが、なかでも1959年に「もっとも素晴らしいミュージカル」として、アントワネット・ペリー賞に輝きました。しがしこの栄誉ある受賞式にはハマースタインの姿はありませんでした。愛すぺき作詞家は1960年8月23日、初演がらわずか9か月後に胃癌で亡くなったのです。
 1965年には、20世紀フォックス社により映画化されました。アーネスト・ハーマンは、ほとんど大筋を変えることなく、ザルツブルグのロケの利を活かして一層の通きを与えることに成功しました。監督は「ウエスト・サイド・ストーリ−」を手がけたロバート・ワイズ。ちょうどメリーポピンズ(1981)で活躍したばかりのジュリー・アンドリュースがマリアを、トラップ大佐はクリストファー・プラマーが演じました。174分の映画は5つのアカデミー賞を受賞しました。「自信を持って」「なにかいいこと」が映画のために新たに加えられましたが、この2曲は作詞作曲ともにロジャーズの手によるものでした。
 アンサンブル・アメデオ第5回定期演奏会のために、この素敵なミユージカルの中から楽しい曲を抜粋してマンドリン合奏用に編曲しました。取り上げた曲は「サウンド・オブ・ミュージック(山のうた)」「もうすぐ17才」「私のお気にいり」「ひとぼっちの羊飼い」「エーデルワイス」「ド・レ・ミのうた」「すべての山に登れ」。昨年、元気なうたを披露してくれた光和小学校合唱団のみなさんに再ぴ共演いただけることになり、それならぱ歌入りで再演しようということになリました。児重合唱の声域にあわせて調整改訂し、新たに「さようなら、ごきげんよう」と「なにかいいこと」を加えました。やはり、「うた」はいいものです。旋律に言葉がのり、音楽は一層いきいきとしてきます。子供たちの大きな夢をのせて、クライマックスで軟う「すぺての山に登れ」の熱唱にどうぞご期待ください。


サウンド・オブ・ミュージック」
(原 梨香 訳詞)

鳴きわたる、鳥の声は
今日もまた、楽しげに
きよらかに、水は流れ
春を告げる、そのうた
羽ばたく小鳥の羽のように
こころ軽く
そよ風に鐘の音も響きわたり
流れる小川のうた
こころ踊る
どこまでも、澄みわたる青空
ただひとり、丘にのぽり
懐かしい、愛のうた
くちずさむ、こころのうた
永久に、また
私のお気にいり」
(竹中 三佳 訳詞)

ぱらの夜つゆ、子猫のおひげ
光るやかん、ぽかぽかミトン
リポン結びのおくリもの
みんなわたしのお気にいり

白い子うま、リんごのケーキ
ドアのベルにおいしいディナー
月に飛ぴ立つ、雁の群れ
みんなわたしのお気にいり

白いドレス着ている少女
まつげの上に留まる粉雪
春に梳けだす銀の冬
みんなわたしのお気にいり
犬でも、蜂でも、怖いとき
お気にいりを思い出せば
ごきげん、Happy!

ひとりぼっちの羊飼い」
(あらかわひろし訳詞)

ひとりぽっちの羊飼い
レイオドゥ レイオドゥ レイオー
高い山から声かぎり
レイオドゥ レイオドゥ ロー

遠い街のひとぴとも
レイオドゥ レイオドゥ レイオー
ぞの歌に聞きほれる
レイオドゥ レイオドゥ ロー

オー ホー レイオドゥリオ
オー ホー レイオドゥレィ
オー ホー レイオドゥリオ
ホドゥロドゥリ オレィ

お城の王子さまも
レイオドゥ レイオドゥ レイオー
荷物をかつぐひとも
レイオドゥ レイオドゥ ロー

ピールを飲んでいるひとも
レイオドゥ レイオドゥ レイオー
その歌に聞きほれる
レイオドゥ レイオドゥ ロー



オー ホー レイオドゥリオ
オー ホー レイオドゥレィ
オー ホー レイオドゥリオ
ホドゥロドゥリ オレィ

かわいい娘さんも
レイオドゥ レイオドゥ レイオー
羊飼いの歌にこたえ
レイオドゥ レイオドゥ ロー

ママの心配をよそに
レイオドゥ レイオドゥ レイオー
甘い恋の二重唱
レイオドゥ レイオドゥ ロー

美しい二重唱が
レイオドゥ レイオドゥ レイオー
四重唱になるのもすぐ
レイオドゥ レイオドゥ ロー

ホディレイ ホディレイ
ホディレイ ホディレイ
オドゥ   レイオドゥ
レイオドゥ レイ オー!

さようなら、ごきげんよう」
(竹中 三佳 訳詞)

教会の疑の音響くよ、ほら、寂しそうに
いま子供部屋の時計に、ハトが飛ぴ出した
クックー クックー
残念だけど、お別れをする、時間さ
Good night

さようなら、おやすみなさい
楽しく、遊びたいけど
さようなら、おやずみなさい
アデュー、アデューお別れなのさ

さょうなら、おやすみなさい
お酒を飲みたかったよ

さょうなら、おやっすみなさい
ため息、ひとつ残して
ほんとは、疲れてあくび
わたしは、飛んで消えちゃう

おぴさまも、夢をみるの
さようなら、おやすみなさい
Good-bye、Good-bye
Good-bye
ドレミのうた」
(ペギー葉山)

ド、はドーナツのド
レ、はレモンのレ
ミ、はみんなのミ
ファ、はファイトのファ
ソ、は青いそら
ラ、はラッパのラ
シ、はしあわせよ
さあ、うたいましょう
どんなときにも
列をくんで
みんな楽しく
ファイトをもって
空を仰いで
ラ、 ラララララー
しあわせのうた
さぁ、うたいましょう

すべての山に登れ」

のぼりゆけ、手を組み
河をわたり、峰をこえ

いきてゆく、そのよろこび
永遠に消えぬ、愛のしるし

やまこえて、河こえ
虹の彼方、のぼりゆけ


「ハンガリー舞曲集」より抜枠

 プラームス(1833−1897)は若い頃からハンガリーの音楽に興味を寄せていたそうです。それは、純粋なマジャールの民族音楽というよりは、むしろハンガリー・ジプシーの音楽だったようです。プラームスは1853年にハンガリーのバイオリンの名手エドワルド・レメニーといっしょに演奏旅行に行きました。プラームスはピアノの達人でもあったそうです。このレメニーの影響で、ジプシーの音楽に益々魅了されていくことになったのです。ウィーンに滞在したプラームスは、街のあちこちで(とくにレストランなどで)演奏していたジプシーの楽団に大いなる好奇心を寄せながら、彼らの音楽をせっせと採譜しました。それらをまとめてジムロックという出版社に頼んで出版したのが「ハンガリー舞曲集」でした(1869)。ピアノ連弾用に書かれたもので、たちまち人気を博しペストセラーになりました(第1集全5曲と第2集全5曲)。これを知ったレメニーは、どうにもおもしろくありません。そもそも自分が教えたものなのに、どうしてブラームスの名前で出版されておるのか!と。そこでいろいろ揉めましたが、結局は「編曲」との但し書きが明記されていたということで一件落着。このいざこざでプラームスは、すっかりうんざりしてしまい「ハンガリー舞曲」は、しぱらく中断となりました。
 その後10年たって、ようやく再開となりました。第3集と第4集が出版されましたが、よリ一層プラームスのオリジナリティが色濃くなったうえに、作風と技巧そのものもいろいろ熟成して、平易な楽しさ・庶民性よりは、玄人的なものが勝ったため、前半のときのような人気を得ることはなかったようです。曲はすぺて4分の2拍子。ジプシー舞曲のチャルダスが下敷きになっているため、早い「フリスカ」、ゆったりとした「ラッサン」という具合に、緩急織り混ぜて編纂されています。ブラームス自身が管弦楽に編曲したのは、第1番、第3番と第10番の3曲。作曲者以外の編曲としては、17番から21番まではドボルザークによって、また11番から16番まではアルベルト・パウローが手がけています。第5番、6番、7番はマルティン・シュメリングによるものが出版されていますが、これは比較的頻繋に演奏されるようです。

 今宵は全21曲のなかから3曲を抜粋して演奏します。今回とりあげたのは第1番、第4番そして第6番です。
 1番は、勇壮な音楽。単刀直入にのめり込むように、その重厚で魅力的な主題旋律は、ぺ一スのピッチカートにゆらりゆらりと揺られて、唸るようにたっぷりと運ばれていきます。聴く者は、一気にハンガリーのどんより垂れ込めた空のもとに、誘われてしまうのです。
 第4番は、感傷的な逸品。ここでも1番同様、重く垂れ込める憂愁の旋律が印象的で、プラームスならではのリリシズムが光っています。
 第6番は、第5番と並ぶ人気ナンバーでしょう。1番、4番とはやや趣を異にしており、快活で生気に溢れ、じつに優雅な作品です。


組曲「ハーリ・ヤーノッシュ」

 コダーイの歌劇「ハーリ・ヤーノッシュ」は、1926年プタペスト王立歌劇場で初演されました。この歌劇の正確な題名は、「ハーリ・ヤーノッシュ/ナジャポーニよリウィーンの宮殿にかけての世にもまれなる素晴らしき冒険」、というのだそうです。
 ハーリ・ヤーノッシュとはいったい何者なのでしょうか?19世紀初めの歴史上の人物で、ナポレオン戦争の退役軍人だそうです。なんと実在する人物だったんですね。ハーリは小さな小屋に篭もり、空想の物語を語って余生を過ごしていたのだそうです。その小屋自体、ロシアからオーストリーの国境までひとりで引っ張ってきたもので、どうやってじゃじゃ馬を飼いならしたか、どうやってナポレオンや4つの首を持つ恐竜を退治したか、どうやってフランツ皇帝の娘マリー・ルイーズのハートを射止めたかなど、日がな一日村の人々を集めては空想から生まれた手柄ばなしを聞かせるのでした。後にジャン・ガレーイという詩人が、その話をもとに叙情詩「老練な兵士」(Az Obsitos)にまとめ、ハンガリー中に知らない人はいないというくらいに広まったのだそうです。ハーリはハンガリーの国民的なヒーローになってしまったんですね。コダーイも、すっかりこの愛すべき「ほらふき」ハーリのとりこになり、その空想が彼自身のイマジネーションを呼ぴ起こして、このユニークな音楽を作りたらしめた、ということらしいのです。風刺とユーモアに富んだこの奇想天外な組曲は、原作の歌劇から自ら抜粋して編纂したものです。組曲自体は、1927年12月15日ヴィレム・メンゲルペルク指揮のニューヨークフィルの定期演奏会で初演されて以来、コダーイのもっとも親しみやすい名作として高い人気を保っています。

第1曲「お伽噺ははじまる」
 いきなり、とてつもなくでっかい「くしゃみ」で始まります。この奇抜なオープニングは、ハンガリーの古くからの言い伝えに由来しているものです。すなわち「話の途中で誰かがくしゃみをすると、その話しはほんとうだ」とのたとえがあるのだそうです。くしゃみが終わるといよいよ物語のはじまりはじまり。よくありがちですが「昔むかし、あるところに...」という具合に。ハンガリーの草原を彷彿とさせる茫洋とした音楽が続きます。それはやがて、神秘の色彩を募らせて高揚していきます。ハーリの世界に、一気にワープして引きこまれていきます。そして気を失ってしまう。目が覚めたら、そこはすでにお伽の国というわけです。

第2曲「ウィーンの音楽時計」
 この曲は単独でも有名で、よく目覚まし時計のオルゴールなどでも聞かれます。実際これは目覚ましの音楽にピッタリです。ありとあらゆる鐘がキラキラ鳴り渡り、精巧な時計のメカをのぞき込むときの、あのわくわくする無邪気な気持ちのような曲。「そら、起きなさい!いったい何時だと思っているの!」そんなお母さんの声が聞こえてくるようです。朝眠りから醒める寸前って、まだ夢を見続けているというのに、現実の音が入り交じってくることってありますよね。そういうときに高い塔のうえにでも立っているとしたら、しめたものです。思いきって飛ぴ立って手を鳥のようにパタパタとさせると、空に舞い上がる浮遊感覚を体験できるからです。「まだ眠いよう〜」そんなパッセージがあらわれたかと思えば、夢のなかをさ迷っているかのようでもあります。絶えず流れる時計のモチーフは、さまざまな和声に彩られ変化していきます。ついに家中の目覚まし時計が、いっせいにけたたましく鳴り響いて終わります。やれやれ。

第3曲「うた」
 いよいよツィンバロンの登場です。ツィンバロンは、ハンガリーの民族楽器です。ピアノの弦を横にして、その弦をテーブルの上に乗せて、ハンマーでたたいて音を出す楽器です。ツィンバロンはこの曲と第5曲に入りますが、この2つの楽章がマジャール民謡からの引用になっているのです。(他はコダーイの創作)このしみじみとした味わい深いうたは、ハーリの恋人オルーゼに寄せた素朴な愛のうた。

ドナウの彼方、果てなく広がる野辺に、馬を追う若者、栗毛に蹴り、駈ける
ドナウの彼方、豊かに実れる畑に、草積む牛飼い、恋人訪ねるを待つ
ドナウの彼方、青草茂れる原に、火を炊く羊飼い、パプリカの昼餉に舌鼓鳴らす
ドナウの彼方、木立のとりまく家に、お前とふたりで、仲むつましく暮らそう

第4曲「戦いとナポレオンは退散する」
 ハーリとナポレオンの合戦。これはもう吹き出しそうな、滑稽極まりない曲で、じつに大胆な作品です。いきなり露骨なまでに勇ましい、しかしどことなく精彩を欠くというか、いきがってはいるものの、どうにもやせ我慢の域を脱し得ない、そんなニュアンスがじつに巧みに描写されています。ナポレオンの登場はなかなか立派なものです。勇壮なファンファーレが轟きます。パンパカパーン!ナポレオン・ボナパルト殿下の御成〜りー!ちょうど歌舞伎役者が大見栄を切るように、さすが、ずいぷん派手な登場です。しかし曲は転じて葬送行進曲。これがまた情けない。みじめそのものであります。歌劇のうたはつぎのように歌われます。

わしゃ、もう......ブルブルブルブル   た い さ ん!
あなに、蹴落とされ、面目丸つぷれじゃ
わしゃ、もう.......ブルブルブルブル   だ め だ!

第5曲「間奏曲」
 いかにもハンガリー舞曲らしく、活気にあふれた間奏曲。男性的で力づよく、たくましい楽想の曲。ちょっとアカデミックな雰囲気にもどり、ここでシャキっと引き締まるような感しです。ここいらがそつがないというか、おもいっきりはずしておいて、締めるところはきっちり締める。さすがですね。劇では1幕と2纂の幕間に演奏されますが、劇の最後のクライマックスでも再ぴ演奏されます。やはり第3曲と並んでハンガリーの民謡を素材としており、この曲が全編を貫く象徴的な存在として位置づけられていることは確かなようです。16分音符で駆けまわる快活なツィンパロンが曲に彩りを添えます。中間部は対照的に穏やかで暖かい日が差し込んでくるようです。その長閑な調べで、あたリ一面はすっかり幸福な空気に包みこまれてしまいます。

第6曲「皇帝と廷臣たちの入場」
 再ぴお伽の国に戻って、おやおやハーリが得意になって、肩で風を切ってやってきますよ。皇帝の廷臣たちも、あっちから、こっちから、あれあれずいぷんいますね。どんどん賑やかになって、それにしてもなんてきらびやかなんでしょう。金銀きらきら眩いくらいに輝いて、わんさかわんさか集まってきます。おっとそんなに詰めたら息苦しいよ!いよいよめちゃめちゃだ!もみくちゃにされて、おいおい押しつぷされちゃうよ〜!助けて〜!…そして、気がついたら、ベッドからおっこちてしまうんですね。ドッカーン!ってけたたましい音たてて、夢から醒める。ああ、どうしてあんな素敵な料理、すぐに食べなかったのだろう!


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