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なぜ、この映画を観ることになったのか、今となっては覚えていない。友人と二人、小さな映画館のドアを開ける。静かな映画。淡々とした日本の日常の風景が映し出される。
ゆみ子が12歳のとき、祖母が失踪。祖母を引きとめられなかったことを深く悔い続け る。25歳で郁夫(浅野忠信、相変わらず印象強い存在感)と結婚。男子が生まれ幸せな日々を送るある日、郁夫は突如、鉄道にて自殺する。
5年後、ゆみ子は奥能登の小さな村に住む民雄(内藤剛志)と再婚。平穏な日々が続く中、ある出来事をきっかけにゆみ子の心傷が揺さぶられる。
この映画のテーマは「生と死」および「喪失と再生」。ゆみ子は大切な人々を失った傷を抱え、なぜ夫が自殺してしまったのか全く解らないまま再婚をする。再婚先の能登の海は静かで、そして荒々しく厳しい。
海辺の岩場で燃える棺の火(海葬)を見つめながら、ゆみ子は追ってきた夫に初めて語る。
「なぜ、郁夫が自殺してしまったのか、未だにわからない」
「漁師だった親父が言ってた。海に誘われるのだ。沖の方にきれいな光が見えて自分を誘うんだって。誰にもそんな瞬間がある」
この映画は悲しいけど悲し過ぎず、切ないけど心穏やかな気持ちになる優しい映画でした。自分にとって大切なものや失ってしまったものをひっそりと思い出し、弔うがための映画のようです。
一緒に映画を観た友人は、静かに「よかったね」と言いました。何を想いながら観ていたのでしょうか。少し離れた席からは「なんだか全然解らなかった」「何が言いたかったんだろう」という若い女性の声が聞こえてきました。これは映画に共感した人と、共感できなかった人とはっきり二つに分かれる映画のようだった。
日々、繰り返される日常の中で誰しも「シ」が頭のなかをよぎる瞬間がある。その瞬間、死に至るまでの条件がすべて整ってしまうか否か、それだけの違いだ。
ゆみ子は「喪失」から「再生」へ、「死」から「生」の日常へと歩み始めます。私はつくづく人 間って強いモノだと思います。どんなに傷ついても、打ち飲めされても、また「再生」することができる。その方法が、痛みに慣れてしまうのか、少しずつ忘れていってしまうのか、受け入れていくのか、それはさまざまだと思うけど、そういう強さがときどき驚きでもあり愛しさでもあります。
と、こんなふうに後になって、ふと思い出してしまう不思議な映画です。是非一度、ご鑑賞ください。
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