最期の言葉と老親介護


1.「まつりばやし」と父の言葉

 アマチュア時代からコンテスト荒らしとして名をはせていた中島みゆきが、1975年に武道館で開かれた世界歌謡祭で「時代」を歌ったとき、その父はすでに脳内出血で意識がなかった。歌謡祭でグランプリを獲得した後、とんぼ帰りをして札幌の病院に戻り、看護疲れの母と交代した。しかし、父は間もなく他界した。51歳だった。その父への思いをひっそりと歌ったのがこの曲である。「聴き手の自由な解釈をじゃましたくないから」と歌詞の由来を明かさないことを旨とする彼女からはめずらしいことである。
 20年を経た今でも中島みゆきには、産婦人科医の父の言葉が耳をかすめるという。『いったん口にしたら元には戻らない。言葉で人を斬ったらつける薬はない。』との言葉を。「小学3年ぐらいだったかな、私が何かいけないことを口走ったんでしょうねえ。礼儀と言葉使いには厳格だった父に、こう強くしかられたんですよ。」(読売新聞夕刊1996年5月15日)


2.最期まで聞けなかった父の言葉

 私には、記憶に残るような、ましてや思い出すような父親の言葉はない。今年の4月に63歳で他界した父は、死ぬまでの数年間は子供に残す言葉もなく、わがままと無軌道ぶりを発揮するだけであった。
 父親の入院先の担当医から病院まで緊急に呼び出されて昨年(1996年)の3月に帰省したときのこと。「通常の人の4分の1か5分の1しか肝臓は機能していません。肝不全です。糖尿病もひどくて、(命は)もってあと1年か長くて2年でしょう。」「病院は、ここは国立病院じゃけえ、病気が治ったら、退院してもらわんといけん。次の患者が待っとるけえ。お父さんの病気は、もう、直らんし、本人さんも直す気がないけえ、体調がようなったら退院してもらわんといけん。私立病院なら紹介できるけど、あんな調子じゃあどこも入れてくれんじゃろう。」また、「死ぬ前に、息子さんににどうしても話をせんといけんことがあるいうて言われとったよ。」と医者に言われた。
 父にはそのことを尋ねることなく、医者にいわれた父親の病院内での無軌道ぶり(夜中に指定外の電灯を付けて遅くまで起きている、勝手に病院を抜け出して、菓子パンを食べる、水を大量に飲む、などなど、病院の規則を守らないことを父親に代わって注意された)を注意したが、耳に入るようすもなかったので適当にあしらって翌日の早朝帰京したのである。
 また、その後は直る見込みがなく、病院の規則を守らない(国立病院のため規則は厳しかった)ということで入退院、転院を繰り返し、病院内で転んでときに起きた脳挫傷を機に、寝たきりになって最後は24時間完全介護の病院で息を引き取ったのである。病名は肝不全、腎臓機能障害、糖尿病、胃ガン等々で、体は黄色くなって手足は充血していた。
 「どうしても話をせんといけんことがある」と言われたことは、何度か帰省して話す機会は何度かあったのだが、最後までとうとう聞くことはできなかった。


3.「病院で死ぬということ」

 「病院で死ぬということ」もちろんこれは、数年前にベストセラーになった本の名前である。最近、文春文庫におさめられて、続編と合わせて読んだ(山崎章郎著、主婦の友社刊)。
 「一般病院の医療システムは、死にゆく患者のためではなく、治癒改善して社会復帰できる患者のために整えられている。そのため多くの末期ガン患者たちは、多忙な一般病院の医療システムの中でしばしば取り残されることになる」として、一般病院の中での悲惨な出来事と、ホスピス医を目指した著者の決意が述べられ、続刊では、念願のホスピス医になって、末期ガン患者との心温まるエピソードを交えながら、今日の医療システムの問題点を浮き彫りにさせている。
 読んでいると、父親の担当医に言われたことを思い出す。病院は、特に国立病院は、直る見込みのない患者をいつまでも入院させておくことができないシステムになっている。では、末期ガンの患者ではないにしろ、死ぬことが分かっている患者は、だれが、どこで、どう面倒をみたらいいのだろうか。たまたま、実家に弟がいるため、父のめんどうを見てもらうことができた(母親は5年前に他界)。しかし、とても面倒が見切れなくなって(言うことを聞かないなど)、最後は24時間完全介護の病院に入院することになったのである。これも死を間近にして病院に紹介してもらうことができたのである。


4.介護はだれが、どこで?

 最近の漫画の中でこの問題を取り扱ったものがある。「ビッグコミック」(9月25日号)に連載されている「総務部総務課 山口六平太」の第271話「見守る会社」。
 老親介護のため過労で倒れた会社員を巡って、総務の中で議論が展開されている「(介護は)市町村とか県とか都とか国とか、行政レベルの問題で、一企業のたかが総務が口出しすべきことではない」と主張する有馬係長と、「国にだってがんばってもらわなきゃ困るし、各自治体はもちろんのこと、企業ももっとバックアップすべきじゃないでしょうか?」とする六平太の主張。結局、六平太が「(会社には)医療施設があるんですから、介護施設があってもいいんじゃないですか?」と労働組合にかけあって、組合が勝ち取った「冬のリゾート施設」の資金を「社員用の老人ホーム」に回すことに同意してもらい、会社に提案して実現にこぎつけるという話。リゾート施設の数倍もかかる費用を了承する、ものわかりの良い社長などはさすがに漫画だけのことではあるが、現実の高齢化社会の問題を会話の中で表現している。
 介護の過労で倒れた会社員と医者の病院内での会話。「例えば介護が必要な人達が利用できる施設が日本にどれだけありますか?」「圧倒的に少ないだろうね」「じゃあどうしたらいいんです? 結局、家庭が引き受けるしかないじゃないですか」「自分たちで何とかしなさいですか」「介護サービスもあることはあるが、PR不足とか、わざと利用しにくくしてるんじゃないかと思うくらいですよ。福祉福祉と言っちゃあいますがお寒いもんです。確実に高齢化社会になっているのに後手後手の国なんです、何事も。もうほとほと疲れました」と。
 父の死後、弟が「(介護に)本当に疲れた。この数年、俺が自由に使える時間はほとんどなかった」と繰り返し繰り返し言っていた(金と口しか出さない兄への批判も込めて)。病院からの呼び出しで会社から病院に飛んでいったことや、転院の繰り返しでその手続きで何度も会社を休んだこと、いつ何時病状が変化するかわからないので休みの日に好きな釣りにもいけなかったことなどなど。口やかましく言うのでけんかになったこともある。
 介護休暇制度が法的に整備されたのかどうかはよく知らない。私が以前いた(今年の8月に退職)中小の出版社の労働組合も会社に要求したが、経営からの回答は有馬係長の主張と同じだった(大日自動車と中小出版社では企業規模は比較にならないが)。
 確実に到来する高齢化社会を前に、老親介護問題(いずれ私たちも高齢になる)に私たち、私たちの世代はどう対処したらいいのだろう? そのとき国や地方自治体の行政サービスは私たちを介護してくれるのだろうか?

                                        

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