華の宴

第九章 美人局



「この蓋はどうするかな」
 嵯峨野は蓋を見ていた。あれから伊勢とも小次郎とも会ってないし、会うつもりもなかった。特に、伊勢は俺には会いたくないだろう。
 嵯峨野は伊勢のことを考えていた。あんなに張り詰めた表情で、俺に刀を突き付けて。よっぽど怖かったに違いない。
 そのとき、戸の向こうに人の気配を感じた。嵯峨野は戸を開けた。
 伊勢がいた。
「お前・・・」
向こうも驚いた様子だった。
「久しぶりだな」
「・・・この間はお見舞い、ありがとう」
伊勢は嵯峨野の顔を見ず、うつむき加減で言った。
「・・・ああ。中に入るか?」
「いや、ここでいい」
なかなか本題に入らない。
「何か、用か?」
「・・・香箱を返してくれ」
「なに?」
「持ってるだろう?小次郎の・・・」
「猪野殿のかは知らないが、蓋なら持っている」
「それは、小次郎のだ。貴殿と対峙した時に落としたものだ」
「証明できるのか?」
「えっ?証明?」
「そうだ、猪野殿のものかどうか」
「それは・・・」
「まあ、いい。返してやる」
ホッとした伊勢の顔。
「だが、条件がある」
「条件?」
伊勢はしっかりと嵯峨野の目を見つめ返した。嵯峨野は伊勢を無理矢理部屋の中に引き入れ、戸を閉めた。
「俺と組め」
「組む?」
「美人局だ。お前なら軽く稼げるぞ」
嵯峨野は口元を釣り上げ、意地悪く笑った。
「嫌だ」
伊勢はムッとして答えた。
「蓋はどうするんだ」
抵抗はできなかった。
「・・・分かった。やる」
「そうと決まれば話は早い。明日、ここに来い」
そう言うと嵯峨野は戸を開けて伊勢を押し出した。
「あっ、待て」
嵯峨野は応えなかった。伊勢は一人、長屋の外に立っていた。


 翌日、夕刻に伊勢は嵯峨野の長屋へ向かった。嵯峨野に連れられて町外れの空家に着いた頃には辺りはすでに暗かった。
 空家の中に入った伊勢は目を疑った。衣装、かつら、化粧道具、何から何まで揃っている。
「驚いたか?元三千石のお旗本ができる技じゃないとな」
「そうとうな悪党だ」
嵯峨野は上品な姿からは想像もできないほどの悪党だった。
「外見やしがらみに追い縋っていては生きられないさ」

 用意が済んだ伊勢が隣の部屋から出て来た。
「雪乃・・・」
伊勢の隣に雪乃が重なる。
「?」
「いや、なんでもない」
声と背丈を除けば伊勢は雪乃だった。

 美人局は以外と上手くいった。
ものになりそうな男を目で人気のないところに誘き寄せる。
「これ、そこのお女中・・・、恥ずかしがらなくてもよかろう」
「あ」
相手が付いて来たところで嵯峨野が登場する。
「待て!!許嫁に何をする」
「うわっ、お許しを〜」
刀を抜かれて、しどろもどろになっているところへさらに追い討ちを掛ける。
「他人の許嫁に手を出したとあってはお家の恥。ならば、せめてもの詫びを入れるのが筋であろう!!」
「ああっ、どうか、このことは口外なさいませんよう、お願いいたしますぅ〜、これで、これで御勘弁を」
男は懐から大金を出した。
「とっとと失せろ」
男は逃げて行った。
「ふん、成り金め」
嵯峨野は伊勢を見て、笑った。
「さっきの演技、なかなか良かったぞ」
「・・・」
伊勢は顔を背けて何も言わなかった。

 三日経っても小次郎は帰ってこなかった。その間、伊勢は美人局で現金を稼いだ。一日に何十両と稼げる。
やっと、女の格好にも慣れて来たある日、いつもの空家でかつらを取っていた。
「伊勢、灯をやろうか?」
嵯峨野が、隣の部屋から燭台をもって入って来た。
「あ、大丈夫だ」
灯を差し出したとき、伊勢の帯がぼとりと落ちた。
白い肌が見えた。
嵯峨野は、抗えないものを感じた。脳を灼いてしまうほど熱い炎が沸き上がる。

 気が付くと、押し倒していた。
「あっ・・・」
抵抗の言葉すら、口を塞がれ出なかった。
嵯峨野は狂った獣になっていた。
足を無理矢理開かせると己を突き立てていた。
伊勢は口を開いたが、声が出なかった。
代わりに目尻から涙がこぼれた。
嵯峨野は気付きもしなかった。

 嵯峨野が正気に戻ったのは夜が明けてからだった。隣で棒切れのように転がっている伊勢を見て、初めて自分が何をしたか、分かった。
それは、いつか見た光景だった。それよりももっと酷いものだったかもしれない。
嵯峨野は伊勢の顔を直視することができなかった。
「・・・酷いことをした。俺が悪かった」
伊勢は静かに聞いていた。
「もう、この話はなかったことにしてくれ」
そう言うと嵯峨野は空家を出て行った。
伊勢は身体に力が入らず、そのままの体勢で嵯峨野が戸を閉める音を聞いた。

 伊勢は昼まで転がっていた。
指先にやっと力が入るようになったので、着物を取り、身体に掛けた。
帯を締めようとして起き上がった時、戸口に人の気配を感じた。
戸が開いた。

小次郎だった。

どうして、ここに来たのか、どうやって探したのか、わからない。ただ、小次郎がそこにいた。
手には小判がぎっしりつまった包みを持っていた。

伊勢は全身の毛穴が開いた。

小次郎の目が烈火のごとく、燃え上がっていた。
伊勢は何か言おうとしたが、言葉にならなかった。
小次郎は包みを投げ付けると、空家を飛び出して行った。
そこら中に小判が散っていた。




第八章へ | 小説TOPへ | 次へ

'99.3.27
Gekkabijin