華の宴

第四章 伊勢



 二人はしばし見つめ合っていた。切り出したのは、相手の方だった。
「お見事」
嵯峨野もそれに応える。
「滅相もない」
また、間があく。
「貴方の身に『江口』は辛い」
む、っと嵯峨野は身構えた。こいつ、俺の過去を知っている・・・?
「・・・だが、武者物をやるよりは風情がある」
「・・・そうだな」
 雪は二人の視線が途切れるほど降ってきていた。周りがぼうっと白く見えてくる。何の音もしない。ただ、雪が降っていた。だが、嵯峨野には向こうの姿がはっきりと見えた。嵯峨野は何かの感覚に襲われた。何の感覚か分からない。意表を突かれたように嵯峨野はただ見入っていた。相手は不思議そうに嵯峨野を見た。
「雪が・・・。良かったら、うちに寄って行かないか?あばら家だが」
「そうだな、そうさせていただこう」
「こっちだ」
そう言うと、くるりと向き直り歩き出した。その瞬間、嵯峨野は金縛りを解かれたように全身が自由になった。歩き出した足許がおぼつかなかった。目眩さえしていた。

 寺の住職に貸してもらったという住まいは悲しいほど片付いていた。囲炉裏があった。慣れた手つきで火を起こす。
「茶を沸かす」
「お気遣い、痛み入る。だが、雪がやめばすぐに出るので・・・」
「しかし、今日は出ないのであろう?」
言い当てられてしまった。
「何故、分かるのだ?」
「厭世的な顔をしていた」
「フッ、そうか・・・」
嵯峨野は自嘲した。心の奥が乾いていた。
「時に、貴殿の名は?・・・拙者は、」
「存じている。嵯峨野殿」
はっと、目が合う。
「そうとは・・・」
嵯峨野は心の中でまあ、いいと思った。
「私は、伊勢」
「伊勢・・・殿」
「伊勢でいい」
 そうしている間に、茶が沸いた。伊勢は急須にお湯を入れお茶を汲んでいた。嵯峨野は部屋を眺めていた。ものすごく閑静な部屋だった。物音一つ立たない。江戸の喧噪は聞こえてこない。居心地が良かった。
「お茶をどうぞ」
「かたじけない」
 嵯峨野は伊勢から茶を受け取る前に居間に大事に飾ってある物に気が付いた。もしやあれは・・・。
 嵯峨野が茶を受け取らないので不思議に思った伊勢はその視線の先にある物を振り向いて、見た。
「ああ、あれか・・・」
湯飲みを嵯峨野の前に置くと伊勢は話し出した。
「香箱がそんなに珍しいのか?」
「やはり、香箱か。それも身だけだな」
「いかにも。身だけだが」
「蓋は?」
嵯峨野は何か焦っていた。自分でも分からないほど。
「蓋?蓋はない」
「しかし、箱には蓋があるはずだ」
「・・・あの身は私が生まれた時左手に持っていたものだ。自らの手から出た物だ。蓋はなかったそうだ」
「なんだって・・・?」
「信じられないだろう?この私ですら信じられないのだから、仕方がないと言うものだ」
嵯峨野はますます落ち着きをなくした。このまま行くとあの占師の老人が言ったことが当たる・・・。
フ、俺は何を焦っているんだ・・・。脳裏には小次郎の顔が浮かび上がる。俺には関係の無いことさ。伝説だか運命だか知らないが、勝手にやればいい。
「身を持っているのは魂を乞うる相手だと聞いた」
伊勢は茶を飲んでいる嵯峨野に言った。
しかし、それが男だったら・・・?伊勢はどう思うだろう。前世で愛を誓った二人がこの世でも同じ性だったら・・・。
「悲しいな」
考えたことが口に出てしまった。
「今、何と?」
「いや、その話がだ」
苦し紛れに言った言葉だった。伊勢は黙っていた。
「町外れの占師が出任せを言ったんだ」
「なぜ分かるのだ?」
「前にも誰かにそう言ってたのを見た」
「そうか」
嘘を突いた。なぜ、嘘を突く必要があったのか、自分でも分からない。ただ、胸が苦しかった。
「お茶をありがとう。もう、出る」
持っていた湯飲みを手前に置いた。
「さっき来たばかりなのに?」
「長居をした。御免」
そういうと嵯峨野は戸を開けて外に出て行った。

 最初に行った寺に着く頃には雪は止んでいた。寺を通り過ぎて少し経つと笠をかぶった男が歩いて来た。嵯峨野は直感で分かった。小次郎だった。
「これは・・・」
「猪野殿ではないか。いつぞやは失礼を」
「拙者、今だ貴殿のお名前を耳にしてはおらん」
「ああ、そうであった。拙者は嵯峨野宗尭と申す」
「嵯峨野宗尭殿、ここでお会いしたのも何かの縁、いろいろとお話しいたしたいが、何ぶん急いでいるもので」
「そうか。それならば行かれい」
「また、お会いしよう。御免」
小次郎は足早に去って行った。嵯峨野がたった今来た方向に。振り向いて小次郎の姿を見ていた嵯峨野はまた喧噪な江戸の町へと歩き出した。




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'99.3.1
Gekkabijin