華の宴

第二章 小次郎



 三年前。花の吉原。花魁の名は「雪乃」。
籠に乗り大門へ。貰い賃から始まってお直しお直し。
揚げは増える一方。あげたものは簪、櫛。果ては帯まで・・・。
それでも本物の恋だと思いつつ。「年季が明けたら」と、堅く交わした契り。
あれは嘘?最後の逢瀬で「あっちの生き方、のたれ死んでもあっちのさ!」
最後に聞いた捨て台詞。刃物のように貫いた。
最後まで抱かれて騙して欲しかった。自分が、哀しかった。

 あの男を見て思い出した。突然に。あの、生き血の通ってなさそうな綺麗な顔が。嵯峨野は知っている。そんな顔こそ、熱い。そして、惹かれる。
人が恋しい。心は彷徨い、報われず。時が癒してくれた。いや、忘れさせた。「お家お取り潰し」と「じいの自害」。あの頃はまだ生だった・・・。

「フッ」
酒をあおる。胸が焼けた。
夜が、明ける。

 昼。茶店の中に誰かの声が聞こえて来た。
「弁天様のお通りだ」
「弁天?」
嵯峨野が訝しそうな顔をすると、女将が答えた。
「弁天は弁天でもここいらのお子さんたちとは訳が違うってね。ほら、三軒先の」
「ああ、用心棒」
あいつ、もうそんなあだ名が付いたのか。
「ちょっと出かける」
「あ、哥さんッ!!どこ行くんだいッ?」
「すぐ戻る」
嵯峨野はそう言うと太刀を掴んで店を出た。
ちょうど前をこの間の用心棒が歩いていた。嵯峨野はその後を付けていった。
相手は止まる気配もなく、ただ道をまっすぐ歩いていった。
岡町を抜け、町のはずれにある寺を抜け、人気のない一本松まで・・・。
嵯峨野は気が付いた。
一本松?気に食わなければ、俺と刺し違えるつもりか?
その時、相手の足も止まった。
「いつまで、付いてくるつもりだ?」
初めて、声を聞いた。スっと耳に入ってくる。
「ここまでだ、人気のない方が都合がよかろう」
相手は嵯峨野の言葉を待っている。
「お前、相当腕が立つようだな。それなら、一昨日あった辻斬りも誰だか知ってるだろう?」
「一昨日の辻斬り?どんな?」
「顔から二つに斬った」
その言葉を聞いて相手はピクッと反応した。しかし、答えは期待に反するものだった。
「いや、知らんな」
「そうか。黙って付いてきて悪かった。では、失礼する」
嵯峨野は踵を返し、また元の道を歩き始めた。嵯峨野は相手のほんのちょっとの反応も見逃していなかった。
歩きながら、先ほどの反応を思い出した。
あまりにも不自然だ・・・。何か隠しているな・・・。
相手も去る嵯峨野をじっと見ていた。無言だった。

 草木も眠る丑三つ時。嵯峨野は寝静まる長屋を出た。自分の出す音が聞こえるほど静かだ。
噂の辻斬りをこの目で確かめるまでは帰らない。そう、心に決めて。
もし、刺し違えるようなことになっても、それはそれでまた一興。後れを取るつもりは毛頭ない。男が廃る。
 嵯峨野は裏の通りをぶらぶら歩いていた。
そのときだ、殺気がした。
目にも止まらぬ速さで太刀を抜く。
相手の太刀が降ってくる。
襷に重なった太刀がブルブルとぶれていた。月光を反射する。
嵯峨野は力の限りで相手の太刀を押した。
相手ははじき出され、明るい表の通りに姿を露にした。
笠をかぶり、顔は見えなかった。
「お前か?夜な夜な顔から斬るヤツは」
嵯峨野は一瞬のすきをついて笠を斬る。スパッと真っ二つに切れた笠が揺れるようにして落ちた。相手は動じなかった。
 そこから現れたのは、精悍な顔だちの獣のような鋭い目をした男だった。
男は嵯峨野の問いには答えなかった。そのかわり、太刀を頭上高くに構えた。
む、この構えは・・・。相当の使い手でないとできない大技。無防備になった胴を切り込みに来る敵を上から降りおろす太刀で斬る。相手に一瞬でも遅れをとるとあの世行きだ。
皆、これでやられたのか。
「だが、今宵はそう簡単にはいかんぞ」
嵯峨野は刀を横に倒す。
男の顔に変化があった。それはほんの一瞬だけだった。
「む、一文字」
対峙する二人に緊張が走る。
次にどう出るか。それには相手の行動を少しでも速く読まなければならない。
嵯峨野は男を、男は嵯峨野の目を睨んだ。
じりじりと足に力を入れながら近寄っていく。嵯峨野の額には汗が吹き出ていた。
双方、構えに隙がなく、斬りに行く間が分からない。
 突然、男は構えを崩した。
「フッ、おぬしなかなかやるな」
男は全くと言っていいほど冷静だった。
「おぬしもな・・・。」
嵯峨野は汗が急激に引いていくのを感じた。
「お名前を聞いておこう・・・」
「猪野小次郎」
言い終わらぬうちにピーッと呼び子の音が聞こえてきた。どこぞで盗みを働いたものがいるらしい。舞い戻る緊張感。
ピリピリピリピリ・・・。
「もう行かれた方が」
「貴殿もな。そのときまたお名前を伺おう。さらば」
小次郎は闇に消えてなくなった。嵯峨野は去る瞬間、あるものに気が付いた。それは、地面に落ちていた。手を伸ばし拾い上げた。漆塗りの小さな箱の蓋だった。小次郎のものか・・・?
嵯峨野はそれを懐に入れると、小走りに去っていった。

後に残るは闇ばかり也。




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'99.1.28
Gekkabijin