華の宴

第一章



 野良猫も歩かない闇夜に、ふらふらと商人風の男が歩いていた。男はかなり酔っていた。石につまづきながら進んでいた。もう、店ののれんもしまわれ、灯もない。手に持つ提灯だけが頼りだった。男は一つ目の辻を曲がった。
 そこに待っていたのは辻斬りだった。
「うわぁぁ、つ、つ、つじ・・・」
持っていた提灯が投げ飛ばされ、虚しく宙を舞った。男の口は最後の言葉を言う前に、二つに裂けていた。後には辻斬りの歩く音が無気味に響き渡った。

 明けて六つ半。人のざわめく声に嵯峨野は目を覚ました。
何ごとか。昨日は三日月だった。誰かが通りで殺られたんだろう。そう思った。戸の向こうから誰かの声が聞こえて来た。
「てぇへんだぁぁぁ!!向いの辻で人斬りだぁ!!」
「辻斬りだってよ、見事なもんだ、顔からまっぷたつに斬られたってよ」
「へぇー、そいつぁ、相当腕が立つんじゃねぇのかい」
顔からか、そいつは新参者だな。奴さん、俺の寝てる間に殺りやがった。
ガラッと戸を開けると前に長屋の住人が立っている。
「おうっ、嵯峨野の旦那、辻斬りだってよ」
「聞けば、油問屋の三吉らしいぜ」
「油問屋の?あいつ、人から斬られるほどのことやってたのか?」
「さあ、そいつぁ知らねぇな」
「おっと、岡っ引きのカニが来たぜ、おらぁ行くわ」
「俺も。じゃ、あばよ」
通りの向こうからドタバタと駆け足が聞こえてきた。
「どいたどいたぁー!!!岡っ引きの仁八だあい!!てめえら、人聞きの悪いこたぁ言わねぇで、さっさと仕事しろい!!」
「カニだよ、カニ」
岡っ引きの仁八はガニ股なのでそう呼ばれている。
クスクスと女房連中の笑い声が聞こえてくる。
「なんだとぉ〜?カニっていいやがったな!」
「朝の仕事なんか終わったさ!朝仕事しないのはあんたたち男だけだろ!!」
誰かがすかさず口答えする。他の女たちもきゃあきゃあ騒いでいた。
「むっ!ま、それもそうだな!!」
仁八はムッとしたまま返す言葉が無かった。
嵯峨野はこれ以上話を聞くのは時間の無駄だと思い、開けていた戸を閉めかけた。そこへ、すかさず言葉に詰まった仁八が話を振ってくる。
「おう!嵯峨野の旦那!!」
チッ、と嵯峨野は口を鳴らした。
「いつまでも、岡町の用心棒ができると思っちゃいけねぇよ!!いつかおめぇさんの悪行をこの仁八が暴いてやっからな、待ってろい!!」
嵯峨野は黙ったままだ。
「どうも、旦那は江戸のもんじゃねぇよなぁ?」
さっきから聞いてりゃ、カニのやつペラペラと・・・。
嵯峨野はぎろりと仁八を見やった。仁八は睨まれてすくんだのか、現場の方へと去っていった。

昼過ぎ、嵯峨野は岡町にいた。自分が住んでいる長家もここも大して変わりが無い程、喧噪だった。
表に顔を出しているのが嫌になった嵯峨野は店の中へ入り、茶をすすっていた。
そのときだった。
「誰か助けてくれぇ〜!!」
嵯峨野は用心棒の性から茶を放り飛ばし表に出た。
見ると、武士らしき男とよその店の用心棒がいた。ここには、武士とも浪人ともおぼしき輩が山といた。
男は、嵯峨野を見るとたてついた。
「旦那、お助けをッ!!」
「おい、ちょっと待て」
男は嵯峨野から離れようとはしなかった。向こうから女の甲高い笑い声がしてきた。
「オーホッホッ、嵯峨野の哥さん、その男を離さないとあんたの男前が台無しになるよ!」
三軒先の茶店の女将だった。茶店とは言うが、裏の職を隠すための表の職だ。
嵯峨野はそのとき初めて用心棒を見た。
見て、目が眩んだ。女のような華奢な体つきに太刀の持つ手の細さ。歳の頃は二十歳そこらで、冷たく慈悲のかけらもない、生き血の通ってなさそうな氷のように綺麗な顔だった。
それで太刀が振れるのか?
「新しい、用心棒さ。あたしゃ、いい男が好きなんだよ。男は顔が命さ。花の顔ってね!もちろん、嵯峨野の哥さんも男前だけどさ」
「こいつに義理は無い」
嵯峨野は言い放った。どういう理由でこの男が追い掛けられているかは知らない。ただ、嵯峨野には関係の無いことだった。
嵯峨野が踵を返そうとしたその瞬間、用心棒の太刀がひと振りされた。
「うわぁぁぁあ」
男の声はするが、返り血が無い。野次馬たちも何が何だか分からず、近寄ってきた。
嵯峨野には分かっていた。
男が生きていることを実感した瞬間、着物がパラパラと落ちた。野次馬たちから歓声とも驚愕とも取れる声が聞こえる。男は慌てて逃げていった。
それを見た用心棒と女将は店の方へ帰っていった。
この男、やるな。
嵯峨野はその男からただならぬものを感じていた。
いや、他にも理由がある。嵯峨野の心にはあるものが鮮やかに蘇ってきていた。




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'99.1.18
Gekkabijin