黒い森

第十二章



 姫君は夕方になる前に、約束どおり乳母の元へ帰した。ミロは次に会う約束をして、姫君を馬車に乗せた。そうして自分は、ここへ連れて来た時と同じように護衛として走った。

「ミロ様じゃ」
過ぎ去って行く馬車と護衛の白馬を見ながら、村人が呟いた。
それに反応するように、振り返った旅人。
「今日は特別なお召し物・・・」
他の村人も呟いた。

モーゼル公がここへ何の用事だろうか?

その光景は旅人の好奇心をかき立てるものだった。


アルベールは震えていた。
あの姫だ。あの姫、顔が似ている。ミロ様の陰になってちょっとしか見えなかったが、絶対そうだ。嵐の晩に美しい姫がやってきた。あの晩は忘れない。あの姫だ。明日、懺悔を聞いてもらわねばならない。

翌日、アルベールはふらふらと村の教会へ歩いて行った。
教会には旅人風の男が一人座っていた。男は聖書を朗読しているようだった。ぶつぶつ何か呟いていた。アルベールはそんなことには目もくれず、歩いて行った。男は聖書から目を離すと、アルベールを見た。ほんの一瞬だったが、確実にモーゼル公の森番を捕らえていた。
「司祭様」
「アルベール、元気かね」
「わ、私の懺悔を聞いて下さい」
「悪いが、これから呼ばれているところに行かねばならんのだよ」
「すぐ終わりますから」
「明日にはできないのかね」
「今すぐでなければ!」
司祭は渋顔で懺悔室に入った。
「懺悔を」
「私は、ある嵐の番に高貴な姫を森に案内したことがあります…それも今からちょうど20年も前の話です」
「それから」
司祭は面倒そうに、早くしゃべろと言わんばかりに答えた。
「それが、昨日お城にお出でになった姫君がこの方にそっくりで」
アルベールはポケットから大事に取り出したペンダントのロケットを開けると、司祭に見せた。
「なっ」
司祭は思わず、口を押さえた。
「このことは先代は御存知なのかね?」
「もちろんです。存じ上げられないのはミロ様だけです」
「アルベール、今すぐ帰ってミロ様にすべてを話しなさい」
目を皿のように開けたまま、司祭は続けた。
「いいかね?すぐに。思いとどまろうなどとしてはいけない。はやく」
アルベールは教会を飛び出した。
司祭が懺悔室から出て、振り向くと、そこには先ほどの旅人がいた。
「司祭様」
いきなり声を掛けられて、ぎょっとした。
「朗読は終わったかね」
旅人はそれには応えなかった。
「あれは、モーゼル公の森番ではございませんか」
「そうだったかのう、最近物忘れが激しくて。・・・名前は似ているようだが。はて」
「嘘をつかれてはいけません。あれは先代の公から仕えているアルベールという男だ。・・・失礼、私はこういう者です」
男は手首の内側に彫られた刺青を見せた。この紋章は・・・。この花の名前はなんだっただろう。
「今から話す質問に答えなければ、あなたは神を裏切る・・・。森番はなんと懺悔したのか」
「なあに、大したことではございませんよ」
「これでもか?」
マントで隠れていた懐から、光る物が出て来た。息を飲む自分の姿がはっきり見える。それはギラリと光っていた。
「さあ、話すのだ!」

何も知らない娘が、バスケットに焼き立てのパンを持って教会に向かっていた。
近付くにつれ、教会の中から押し問答が聞こえてくる。
恐くなった娘は、教会の壁に隠れた。
悲鳴が聞こえた。男が飛び出して行った。
中をおそるおそる覗いてみた。
司祭が倒れていた。辺りには血が流れていた。
発見した娘の悲鳴が響いた。

アルベールは、まだ夜にもなっていないというのに、酒を飲んでいた。酔えなかった。言うんじゃなかった。バカなことをした。様々な思いが浮かんでは消えて行った。
そうこうしているうちに、城には早馬がやってきた。司祭の死を知らせるため、村長が出させたものだった。昔からここの土地を統べている者が行っていることで、今でもちゃんと機能している。
「ミロ様に!」
門番が村の者と判断すると、門を開けた。
召し使いが一人出て来て何か話すと、村人は召し使いに案内され、城に入った。

「何事だ」
ルイに通された村びとは直接ミロにこう言った。
「村の、司祭様が何者かに殺されました」
「なに?」
ミロは少し黙ると、静かに答えた。
「詳しく話してくれ」
「マリアがパンを焼いたから、あ、マリアってのは村の娘です。司祭様に差し上げようと思って教会に持って行く途中、何か押し問答が聞こえたから隠れていたら、教会から男が飛び出てどこかへ逃げたらしいんです。中を覗いたら、司祭様が倒れてて・・・」
「それから?」
「血を流して倒れてなさったんです。マリアは男が逃げるとき、祭りんときに付ける飾りを手首に付けてたって言ってました」
「ほう、どんな?」
「何かの花の絵だったらしいです」
花・・・?花の飾りなど手首に付ける男など普通はいない。
「わかった。御苦労。至急調べることにしよう。教会には新しい司祭を呼ぶ。・・・ルイ」
ルイは言われたとおりに村人に手間賃を渡した。
村人が帰った後、ルイはぽつりとつぶやいた。
「何事でございましょう」
「我が領土が危険に晒されている・・・」
ミロはどこか宙を見つめながら答えた。
「王室と諸外国の正式な書状が保管されていたな」
「はい。書庫室にございますが」
「父の代からのでいい。全て出して書斎に持って来てくれ」
ルイは書庫室に古い文書を探しに行った。


同じ日の昼、王太后の元に使者がやって来て、耳打ちした。食事の途中で抜けるなど、困った人だと思いながら、国王は母親を見た。
「それは本当なの?」
「ええ、ものすごく美しい方でして。是非王妃に」
「そうね、ところでどちらの方?」
「それが・・・」
一瞬、王太后の目が少しだけ見開かれた。
「その娘は、ミロの手付きじゃないでしょうね?」
「それは・・・わかりませんが・・・」
「まだ間に合います。至急、身辺を調べてちょうだい」
使者は部屋を急いで退出した。

その夜、彼女は驚愕の事実を知ることになった。早馬が宮殿へ走り込んで来た。
「なんですって!?」
「ですから、今申し上げたとおりでございます」
「生きていたなんて・・・」
ドレスのシフォンを手で握りしめながら、使いの者に指示を出した。
「密かに連れ出しなさい。ここへ連れて来てその後はどうにでもなろう?」
「はい、実はもう馬車は向かわせてあります」
「それでいいわ」
「何の話ですか?」
ぎょっとした顔で王太后は声がした方を振り向いた。
「王妃の話ですか」
「サガ!」
「母上、私の情報収集はかなりのものでしょう?」
「あなたはいつからそれを知っていたの」
「つい先ほどですよ。私にもいろいろと情報の伝達手段がありますから・・・」
ただ、国王は見つかったのは普通の王妃候補だと思っているようだった。
「連れ出すとは失礼ですね。丁重にお招きしていただきたいものだ」
「もうすでにその準備はしてあります」
「実は私の使者も向かっているのです」
なんと言う間の悪さだろう。この母のしたことが、こういう形になって跳ね返って来るとは20年前思いもしなかった・・・。そしてこの子は、我が子は、知るのだろう。

「頭痛が酷いので、もう寝ます」
使者が去った後、王太后は寝室へ引き上げようとした。
「母上」
落ち着いた国王の声。
「あなたのしたことはすべて調べました」
母はゆっくりとサガを見た。目が張り付いていた。
「子供の頃からの黒い疑惑を、いつも否定していたのに・・・。今度ばかりはそれを打ち消すこともできません」
母と子の間に、冷ややかな空気が流れた。
「私の兄弟ではありませんか!」
「妾腹の子です。しかも妹よ」
「女だという保証はどこにもない」
そうだ、そうだった・・・。
「まさか、王族として迎えるわけではないでしょうね?」
「・・・」
「爵位を与え、王位継承権は剥奪なさい。ここはあなたの国よ!」
「確かに、ここは私の国で、私は国王だ」
「そうして知らなかったとは言え、結果的に事実を隠していたモーゼル家を潰すことだってできるのよ」
「おお・・・、なんと言うことだ。モーゼル家がなぜあそこに居城しているか、おわかりか?それに、潰すとなるとあなたの罪がばれますよ。それより私は国益を守ります」
しばらくの沈黙が流れた。
「とにかく私は私のやり方でこの国を動かす。国王はあなたではなく私だ!」
興奮気味のサガは、その場を去って行った。


その時ミロは、書斎で呻き声を挙げていた。



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2002.4.10
Gekkabijin