黒い森

第十章



その日はミロの心を表現しているように、晴れた日だった。今日は何もかもが特別だった。クリスマスや新年を迎えるよりも。たった一日だけの姫君専用の部屋。送り迎えの馬車。舞踏の間。茶器とお茶菓子。刈ったばかりの庭も、もう一度刈り直した。それに姫君専属の召し使いには、姫君に分かりやすいように清楚で可愛らしい服を用意した。
ミロは正装していた。帽子には水鳥の青く染められた羽が三本付いている。誰が見ても特別なのは分かった。城を出る前に、エントランスに見送りに来ているルイにこう告げた。
「出かける前に言っておくが・・・」
「何でございましょう」
ミロは照れくさそうにしながら、少し間を置くと、話し出した。
「恥ずかしい話なのだが、姫君は私の事を『小鳥さん』と呼んでいる。だから彼女がそう言っても驚かないでくれ」
「は・・・わかりました」
ルイは呆気に取られていたが、何も聞かず、主人に従った。
「では行ってくる」
「行ってらっしゃいませ」
ミロはお付きの者と二人で、馬車を先導して出かけて行った。主人の姿が見えなくなるとルイは、召し使いたちに、特に姫君専属の若い召し使いたちにてきぱきと指事を出し、出迎えるための準備をした。
ルイはミロに気を遣って、呼び名のことも話した。
「まあ、可愛らしい」
5人のうち、誰かが感想を言った。
「これ、そんなことは言わなくてよろしい。そういう訳なので、姫君がそうおっしゃった場合はすぐにミロ様にお伝えするように。良いかね」
はい、と召し使いたちは答え、すでに高貴な姫君にお仕えする心の準備は出来ているようだった。

ルイは忙しかった。姫君のお部屋の確認とお料理とお茶のメニューと勧めるタイミングの確認。それから楽士たちの控え室へ行き、用意は万端かどうかを確認し、居間のレイアウトは最適か、再度確認した。お見合い席になってもいけないし離れていてもいけいない。それに姫君の靴は新しいので、滑るところはないかどうか以前から確認しておいたがまた一人城内を歩いた。そして庭に出て、早朝森番に庭を見回らせておいたので、芝生が欠けていないか、水たまりがないかどうかを報告させた。

その頃、ミロは馬車を先導しながら森へと向かっていた。途中で領民の子供たちがミロを見つけて手を振るのに気付いた。手を振り返してやったが、近くまで来てしまったので、走るのを止めた。
「やあ、みんな元気かな」
「ミロ様、今日綺麗!」
「それなあに?」
「ふわふわしてる」
次々に質問を浴びせる子供たち。そのうち、一人が羽を欲しがり出してミロは困った。
「ミロ様、急ぎませんとお時間が限られておりますので・・・私のをお渡しください」
隣で様子を見ていた供が耳打ちし、ミロの羽よりも小さかったが、帽子から抜き取ると、三本渡した。
「すまないな」
「いいえ、とんでもございません」
ミロは供に礼を言うと、それを子供たちへ一人ずつ渡した。
「ほら。これをあげるから大事にお家に持っておかえり」
言われた子供たちは、羽を大事そうに抱えるとそれぞれの家に帰っていった。
「思わぬ形で時間を食ってしまいましたな」
「ああ、急ごう」
二人は少し馬を飛ばして、森へと向かった。

森の入り口へ着くと、ミロは供にここで待つように言い、一人で中へ進んでいった。姫君は準備はいかがだろうか。ミロはどきどきしながら小屋へと向かった。そしてドアをノックする。
「どなたです?」
ばあやの声。ミロはちょっとだけ安心し、落ち着きを取り戻した。
「私です、お迎えに上がりました」
それだけ言うとばあやはドアを開けた。重々しいドアの向こうには、いくぶんか顔色の優れないばあやがいた。まだ不安は拭いきれないようだった。
「お待ちしておりました」
「姫君はいかがですか」
「ええ、すっかり整いました。姫様」
ばあやが姫君を呼ぶと、彼女は奥の部屋からドアへとやってきた。
香しい風が吹き抜けた。
ミロは手を差し伸べるのを忘れるほど、魅入られていた。
「あっ、これは御無礼を」
「ごきげんよう、小鳥さん」
姫君は差し出された手に、自分の手を乗せると、ばあやに一言「行って来ます」と声を掛けた。
「乳母様、あなたは?」
「私はここで留守番です。それに貴方様を信頼しておりますもの」
「・・・わかりました。それでは必ず夕刻までには姫君をお送りいたしますので」
ばあやは微笑んで応えた。
ミロは姫の手を取りながら、馬車へと向かった。幸い、この近くには領民は住んでいなかったので、誰かに見られる心配はなかった。
「さあ、どうぞ。私は後ろから馬で来ます」
ミロが微笑みかけると、姫はにっこりして応え、馬車の中に入った。ミロがドアを閉めると、中の様子はカーテンで遮られて見えなくなった。
姫君が乗った馬車は夢が詰まったお城へ走り出した。白馬に乗った供を従えて・・・。



第九章へ | 小説TOPへ | 第十一章へ

2001.12.24
Gekkabijin