黒い森

第二章



 「ルイ、慌てなくともよい。知らせてなくて来たのだから」


 銀髪の長身の青年は若くして王たる貫禄を持っていた。彼が白と言えば白で黒と言えば黒だった。
「ですが、陛下」
そのとき、使いの者が応接間へ入って来た。
「ミロ様のお帰りにございます」
「なに、ミロ様が」
ルイは振り向くと王に告げた。
「身支度いたしますので、少々お待ちくださいませ」
「ああ。急がなくともよいぞ」
きっと、今のミロには葉っぱやら泥やらが付いていてそのままでは人前に立てないのであろう、と思うと彼は笑ってしまった。
 考え事をしているかのように、窓に目を向ける。彼の紫がかった目はどこを見ても透明なままだった。窓の外は雨が降っていて、暗くて木々は黒く光っている。生まれながらの王はどこか寂しげな目をしていた。そして、ドアの向こうから足音が近付くと、心にしまう。

 ルイは、エントランスホールに向かっていた。
 その頃、ミロは厩舎に高貴な鞍の着いた馬が4、5頭静かに並んでいるのが分かった。王族が来ているのか?暗くて最初は良く分からなかったが、近付くと紋章が見えた。紋章は王族のものだった。その下に王しか着けることを許されていない王冠を挟んで吠える双頭の獅子が見えて来た。

「アルベール!」
森番が走って来た。
「すまないが、アランを頼む」
アランとは馬の名前だ。いつもは自分で世話をするが、事態が切迫していた。ミロは愛馬をアルベールに託すと、そのまま裏庭に回り、厨房のドアをそっと開いた。
「きゃあ、ミロ様のお帰りだわ!!」
野菜の皮向きをしていた女中連中が騒ぎ出す。その奥では、黄色い声に負けないぐらいの音で料理が作られていた。
 あまりにも女中たちが騒ぐので、ミロはここに来るべきじゃなかったと思った。しかし、表の分厚い扉を仰々しく開けられるよりはましだと、その考えを取り消した。
「ほらお前たち。これをあげるから、ルイには言うなよ」
そう言うと、おもむろにポケットから出した色とりどりの包み紙。領地の見回りの際に、子供たちにあげるお菓子だった。ミロはそれらを伸ばされた彼女たちの手に与えた。
「あたし、黄色」
「それ、わたしのよ」
お菓子に夢中になる女中たちをよそに、ミロは厨房を後にした。
 階段を誰にもばれないようにそっと歩く。特にルイに告げた約束の時間を過ぎている場合はいつもそうしていた。もう、慣れてしまって自分でも驚くぐらいだ。
 部屋に着くと、世話係の者がいないことを確かめてドアを閉める。自分の世話ぐらい自分でできる。と、常日頃からそう思う。彼には貴族の風習が子供の頃から嫌いだった。自分の時間が持てない。子供の頃は乳母が、大人になってからは執事が・・・。

 ミロは正装に着替えると部屋を出た。

「ルイ」
エントランスホールで主の帰りを今か今かと待っていたルイはふいに掛けられた声に驚き、後ろを振り向いた。そこには正装して、馬で駆けて来たとは思えないほど洗練されたミロが立っていた。
「遅くなってすまない」
驚いて、言葉が出なかった。
「お帰りなさいませ」
「陛下がお出でだな。馬を見たよ」
「はい、一時間ほど前にお出でになりました。ご案内いたします」
ルイは主人を連れて応接間のドアをノックした。

 自分を曝け出していた王は、足音が近付くと全てを心に終った。ドアを見つめる。

 ドアが開いた。
「これは、陛下。遅くなり、誠に申し訳ございません」
彼は王に敬礼した。
「ミロ。領土の見回りか?」
「はい、私の顔を民が忘れると困りますので」
クスリと王が笑うと彼は切り出した。
「いかがなさいましたか?お出でになると存じ上げていれば、お迎えに上がりましたものを」
「良いのだ、気にしないでくれ」

 王は静かに話し出した。
「確か、モーゼル家には国土地理の蔵書があったはずだが」
「はい、ございますが」
「一晩貸して欲しいのだが、良いだろうか」
「もちろんです、後でお持ちいたします。その前にお食事でもいかがですか」
「ありがたい。いただこうか」


 食事が終わり、ミロは王に国土地理の蔵書を渡した。代々地理院の長官を勤めるモーゼル家では門外不出の地図があった。しかし王がそれを求めた時には速やかに提出するよう決められていた。と、いうのは表向きで実はもう一つ複写したものがあった。原本は当主しか見ることができなかった。以前父から教わった時、地理院の仕事を嫌がって中身を見ようともしなかった。しかし、最近領土を見回るようになりだんだん興味が沸いて来た。ミロが渡したのはもちろん複写の方だ。原本はミロしか見ることができない。彼は一人、広い部屋の中でくつろぎながら蔵書を眺めていた。
 何気なく見つめているうちに、その日起こった出来事を思い出していた。黒い森に行ったときのことを・・・。
「森?そうだ、あの森は何だ」
彼は慌てて蔵書をめくり始めた。
「あった」
しかし、地図には黒い森としか記されていなかった。彼はふと生前父親が言っていたことを思い出した。あのころは父の後を継ぐことが嫌で嫌で真面目に話など聞かず、馬を駆けてばかりいた。

 彼は父親のいる書斎に呼ばれた。
「ミロ、お前に言っておきたいことがある」
「何でしょう、父上」
「お前が、人には言ってはならんことだ」
父は広い机の引き出しから、古めかしい本を出した。
「これは我がモーゼル家に伝わる地図の蔵書の写本だ。これ一つで国が栄えたり滅びたりもする。お前はこの本が我がモーゼル家にあることを滅多に言ってはならん。しかし国王がこれを求められた場合にはこの写本を渡すように。良いな?」
「原本はどこにあるのですか」
「それは時期を見てお前に渡す」
厳格な父の言い方も、信頼されていないようであまり好きでなかった。
 しかし、そんな父が病気で倒れると次第に優しくなった。そしてある時から次第に「西へ行ったか」と何度も聞いてくるようになった。

 あの言葉の意味は今日見たものだったのか?

 ミロは亡くなった父の面影を追いながら、書斎でうたた寝を始めた。



第一章へ | 小説TOPへ | 第三章へ

2000.4.6
Gekkabijin