|
それから、一週間後のことだった。 植物や動物から脂肪分などのエキスを抽出する世界的権威の研究所からアポが入った。 「はて、何事だろう?」 重役クラスの対応だ。だが、誰もその予定を入れてはいなかった。 新しい薬品を使うようにするための営業活動なのか、それとも視察なのか、ただのお遊びなのか。 しかも、新商品のネーミング会議と重なっている重要な時に。周りの役席たちは新しい分野が開拓できるとあって、是非会って欲しいと打診をしてきた。 「参ったな」 カミュから普段聞くことのない言葉が漏れた。 そしてその日がやってきた。2日間ぶっ通しで会議をしていたが、決まらないのでカミュだけ抜けて社長室に戻った。 秘書から内線がかかって来た。 「サガ・ノイエンタール様がお見えです」 「私が御案内しよう」 そう言うと、カミュはビルの1階にある受付に向かった。 「お待たせいたしました」 受付の隣にある応接室で待っていたのは、あのパーティーで会った銀髪の男だった。 「!」 「またお会いしましたね」 「貴方が?」 「意外ですか?」 「いいえ。偶然でびっくりしただけです」 名刺交換をする。 「副所長殿ですか。先日は存じ上げませんで、失礼いたしました」 「いえいえ、あの時は知り合いに誘われて行ったぐらいのものですから気にしないで下さい」 二人はカミュの社長室へと向かった。 「自社ビルでスタートとは羨ましい」 エレベーターの中から吹き抜けを見て、サガが言った。 「テナントが随分入ってますのでね。貴方がおっしゃるように派手な雰囲気じゃないですよ」 「それだけビル管理の才能もおありになるということですね」 カミュは考えていた。この男の目的はなんだろう?ミロのコネが政界に通じているというのを知って、そこを狙っているのか?研究所の所長に着く時の莫大な資金繰りのために来ているのか。この男の若さからいうと副所長の肩書きは異例だ。いずれにせよ、研究職の割には営業活動が上手いということだ。 「今日はどのような件でいらしたのですか?」 物腰の柔らかなカミュの声。しかし、言葉の裏には色々な思いが隠れている。 「おや?御存じなかったのですか?お伝えしていただくようにお願いしたのですが・・・」 サガはカミュの言葉をかい潜るように、答えを返して来た。 「それは、申し訳ありません。まだ出来たばかりでバタバタしておりますので何卒ご了承いただきたい」 「いえ、気にしないで下さい、急だったのだし」 フン、とカミュは嘲った。 エレベーターが止まり、ドアが開いた。 「こちらです」 社内の受付を通り過ぎる。お辞儀をする受付嬢たちの目がサガの動きと重なる。カミュは心の中で舌打ちした。あまり大きく出るようにさせたくない相手だ。 カミュは社長室にサガを通した。 「どうぞ、お座りください」 秘書がコーヒーを出して下がっていった。 「・・・しかし、女性の目がよく動きます。羨ましい」 気分良く帰ってもらいたい。 「ああ・・・それは違います。きっと私のコントラストがおかしいので気になるのでしょう」 彼は髪は銀色なのだが、皮膚は浅黒いのだ。ちょっと不思議な色だ。 「気になりますか?」 「ああ、いいえ」 余程見入っていたに違いない。カミュは話し掛けられて、視線を元に戻した。 「実はハーフでしてね。子供の頃は髪はもっと茶色でした」 「ほお、それは珍しい」 「ああ・・・こんな話をしに来たんじゃない。貴方といるとつい何でも話しそうになりますよ」 サガは笑ってみせた。 「あはは。そうですか?周りからはこの年ですでに頭が堅いと言われてますがね」 こいつは、危険だ。相手をくすぐるテクニックを知っている。カミュは少しだけ警戒心を強くした。 「実は私、先月副所長に就任いたしましたがこちらにはご挨拶に伺っておりませんでしたので、お伺いしたという次第です」 「それは、御丁寧にありがとうございます。本来ならこちらからご挨拶にお伺いすべきところですが」 「この間の学会でこちらの会長殿とお知り合いだという方にお会いして、御紹介いただいたのです」 政府筋か?それとも大病院の理事長か。カミュは思い巡らせた。 ここを上手く経由して、その先を狙っている。そしてそれを隠しもしない、そんな感じだ。 「その日は会長殿とはお会いできなかったのですが・・・今いらっしゃるならご挨拶しておきたいのですが」 「ああ・・・申し訳ございません。生憎出社しておりません。申し遅れましたが、実は医者と兼務なんです。こちらに来るのは年に数回になるかと思いますが」 ミロはカミュの会社を彼の好きなようにさせるつもりだ。 国に帝王は二人もいらない。 「顔も広くていらっしゃる。これだけの会社も造られた。ぜひ会長殿とお会いしたいのですが」 「分かりました、伝えておきましょう」 カミュは先ほどから漂って来る香りに集中できずにいた。 なんだろうこれは? サガが仕種を変える度にどこからともなく漂って来る。 カミュはサガの手首を見つめた。 「心ここにあらずといった感じですね」 「いや・・・いい香りがしますね」 「これですか?この間貴方がしていたものと同じです」 カミュは答える代わりに、サガの目を見ながらコーヒーを飲んだ。 「どうしても欲しくて、次の日買いに行きましたよ」 「そうですか」 サガは、時計に目をやった。 「長居をしました。次の用事もありますので、この辺で失礼します」 「では、下までお送りいたします」 「いえ、お見送りは結構です」 カミュは握手しようとして右手を差し出した。 次の瞬間、サガの手が伸びて来たかと思うと、差し出されたカミュの手首を掴んだ。 「会長殿はこの移り香をどう思われるかな」 フッと口の端を上げて笑ったサガは、すぐに手を放した。 「今日はありがとうございました」 そう言うとサガは社長室を出て行った。 隣の部屋ではサガが秘書に何か言ったらしく、彼女の笑う声が聞こえて来た。 カミュの脳裏には、堅く尖った先が光るものが浮かんでいた。 |