難読症(なんどくしょう)とは、生まれつき言語能力が劣っている障害です。見た目では、まるで分りませんが、学習障害(LD)の代表的なものです。どうやら左脳に問題があるようです。また軽い症状の人を入れると20人に1人はいるのではないかとも言われています。
私の場合は、今では右脳人間として自負しておりますが、子供のころからずいぶんと悔しい思いをしてきました。「自分は、もっと賢いはずなのに、こんなはずではない?」と ずうっと疑問を持っていました。絵を描きはじめたのも成績不振からくる劣等感を克服したいがためでした。それから絵を描くことは、目に見えない難読症との闘いになりました。子供の頃は難読症という言葉も知られてなく、ただ努力不足だと思っていましたし、周囲もそう思っていたようです。小学校のときの先生たちは、人前で字が読めない私をあがり症で内気な子供だと思っていたようです。
現在、楽しく仕事もしていますが、症状として・・・車の運転中に「そこ 右!」などと 急に言われると、焦ってしまいます。どちらが右で、どちらが左か考える時間が必要だからです。右ということばも左ということばも 私の中では、空中に浮かんでいる存在なのです。読書は、好きな方ですが、未だに人前で話をしたり文書を音読したりするのは苦手です。計画的に話そうとしたり、声を出して文字を追っていこうとするとパニックになりそうです。それに図形に対しての認識も弱いので、漢字をおぼえるのも一苦労です。とにかく文章と図形を記憶することが、苦手です。
図形に関しての能力と難読症とは、かなり密接な関係があるようです。そういった理由で絵を描くうえでも文字を書くうえでも、サラサラ・・っと 上手くかけません。サラサラっという感じでは、絵も文字も小学校低学年レベルです。絵を描くときは、まず思いを巡らせてから、とりあえず描きます。 それから正しいと思った方向へ進んでいきます(ここが天才的・・・?)。一般的に難読症の人は図形的な意識が低いので不器用だと言われていますが、私の場合は、空間的な意識が強いので下手な字を除けば器用なほうだと思っています。
普通 プロの絵描きさんが絵を描く場合、対象物のプロポーションは、あらかじめ頭の中で決まっています。でも図形に弱い私の場合、プロポーションをとるのは苦手です。ですから、いつも描いたり消したりしてバランスを取りながら進めていきます。私の唯一の取り柄というのでしょうか、空間に対する認識はかなり強く、とことん追求しなければ気がすみません。
それにしても何故、私が絵描きになれたのか疑問に思われる方もいると思いますが・・・答えは簡単です。「絵を描くこと」と「物を描くこと」は、根本的に違うからです。一般的に物を描くのには左脳を使いますが、絵を描くのには右脳を使います。それに子供の頃から絵は上手かったと思います。物の形を空間でとらえていました。美術展で大人の絵を見ては、うんざりして「なんて幼稚なんだろう。」と思っていました...なんの秩序もなく、絵画的なボリュームもないのですから。たぶん今の美術教育のレベルの低さも「絵を描くこと」と「物を描くこと」の混同にあると思います。
ということで、子供のころから空間を意識した絵を描くのは得意でした。でも、普通の子供が好きなマンガには、ぜんぜん興味をもてませんでした。というより、マンガを描いたり読んだりして楽しむには能力的に問題があったようです。マンガを楽しむようになったのは、体が大きくなってからでした。何でも描くようになったのは、イラストレーターになってからですが、絵を仕事にしたいという思いは、小学校2年生のころからです。父親の画集をのぞいているうちにルオーという画家を知りました。何度も何度も描きなおし どこまでも深い空間に立ち向かっていく描き方が、すごく気に入りました。そういった前向きな描き方を知ったことが、今、私にとっての一番の励ましだったかもしれません。
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