1997年2月1日から翌98年1月31日まで(一部地域によっては放映時期が異なるためこの限りではありません)放映されたTVアニメである。1990年放映が始まった『勇者エクスカイザー』から続く、所謂「勇者」シリーズの第8作にして、最後の作品となった。
1995年から放映された『新世紀エヴァンゲリオン』は社会現象化するほどのヒット作となった。畳み掛けるようなカット割をはじめとした小気味良い演出の数々は後のアニメのみならず、ハリウッド映画にさえも多大な影響を及ぼした。しかし、一方で作品自体は進行するにつれ閉塞の度合いを高め、TV最終回は主人公シンジ少年の自己言及に終始する形で、唐突に幕を下ろした。散りばめれた謎に対する、明快な回答を期待した多くの人々に肩透かしを食わせたこの結末には賛否両論が喧々諤々たる議論を展開し、製作者に対する人格攻撃にまで発展したが、紆余曲折を経て「別バージョン」の最終回を劇場版として発表することで一応の収束を見た。この作品がアニメ史における重要な結節点となったことは万人が認めるところであろうが、同時に作品中でシンジ少年が繰り返した自己言及は、具体的には実写映像の挿入という形で、アニメという表現手法自体を解体していくかのようにも思えた。あたかも少年たちに「なぜひとをころしてはいけないの?」と尋ねられた大人が立ちすくんでしまうかのように、「エヴァ」という作品を前にしたとき、多くのアニメファンが立ちすくんでしまった感は、今現在に至ってもぬぐえていない。それは「エヴァ」以降、アニメ製作に携わっていかなくてはならない人々にとっても同様であったろう。「エヴァ」によるアニメという表現手法への自己言及に対する解答。「エヴァ」以降のアニメにはそれが求められていたのである。
その代表的な解答の一つが『機動戦艦ナデシコ』であった。徹底したナンセンスとセルフパロディ(作品内で別のアニメ作品が登場し、しかもそれが物語の重要な要素になっていったり、舞台となる戦艦内で同人誌即売会が行われたり・・・)によって緊張していたアニメ界に、いい意味での脱力と刺激をもたらした。
そしてもう一つの解答こそが『勇者王ガオガイガー』であった。擬音が連続する昔ながらのオープニングテーマに代表されるそのスタンスは「エヴァ」の自己言及に対する真向正面からの、真摯な解答として我々の目の前に現れたのである。それは単なる古典復興主義ではなく、飛び交う科学用語や定期メンテナンスが必要なヒーロー、徐々に改良されていく主役マシンといった一定のリアルを盛り込んだ上で、遊び心も交えながら「ロボットアニメとはこういうものだ」という製作者たちの確固たる気概と明快な解答が描かれていた。同時にロボットアニメの大原則とも言える「破壊」に対置する形で描かれる「浄解」という名の「癒し」は、後にブームともなっていく「癒し」への社会の需要を敏感に先取りしていたのである。視聴率面では低迷を余儀なくされ、「勇者」シリーズ最後の作品との表明を覆すには至らなかったが、比較的高年齢の視聴者(所謂「おおきなおともだち」)からの評価は高く、模型雑誌では数多くの立体化がなされ『月刊ホビージャパン』誌上では1998年4月号から同10月号まで模型製作と連動した外伝小説『獅子の女王』が連載された。またプレイステーションからはミニゲーム満載のアドベンチャーゲーム『勇者王ガオガイガーBLOCKADED
NUMBERS』が発売されたが、その中で描かれた第14.5話「海のヴァルナー」、第43.2話「金の牙、銀の爪」は外伝として公式に作品の時系列に加えられている。放映終了後もビデオやDVDといったメディアの存在によって新規ファンを数多く獲得していった(リアルタイムにおける視聴率が正当な作品評価に必ずしもつながらないという「ヤマト」「ガンダム」以来の問題が再現されたとも言える)。その結果、2000年には作品の正統な続編としてOVA『勇者王ガオガイガーFINAL』第1巻が製作され、2003年の第8巻までが発売された。こうして一端は終息を迎えた「ガオガイガー」ではあるが、放映当時よりあがっていた「劇場版」を望む声はいまだ根強く、またTVシリーズ、OVAシリーズを通しての総監督である米たにヨシトモ氏の作品である『ベターマン』(1999年)や『BRIGADOON
まりんとメラン』(2000年)とは「同一の世界での出来事」として公式に設定されている。
『勇者王ガオガイガー』という作品は終了したが、今後我々の声に応じた続編の製作の可能性も皆無ではないし、「ガオガイガー」が残した息吹は現在勢いを取り戻しつつあるロボットアニメの随所に見て取れることが出来る。例えば、ミュージシャンのプロモーションの場と化しつつあったアニメのオープニングテーマを、「オープニングテーマは作品を語るもの」という明確な主張のもとに「取り戻した」功績は大きい。熱血歌唱グループであるところのJAM
Projectは「ガオガイガー」の存在なくしてはありえなかったであろう。また正統なるロボットアニメを継承した「ガオガイガー」がいなければ『ゲッターロボ』『マジンガー』シリーズのOVA化などもまた、ありえない事だったに違いない。
ガオガイガーの息吹。それは「エヴァ」以降朽ちかけていたアニメ界に今一度の生命を吹き込み、後に続いていくロボットアニメたちの偉大なる先駆者となった。その意味で、『勇者王ガオガイガー』という作品は、確かに「成功」していたのである。