増坊日記
一番最新の増坊日記
2003年07月10日
★★★★★★★★★【新参古本屋日記】――――1.★★★★★★★★
 
     ―――――《開店10日の経過報告》―――――

●7月1日に、まずは、メルマガ読者の友人・知人たちにサイトをネット
上に立ち上げたこと、URLを知らせて反応を待った。
 何人かからはその翌日の日中に早くも見た、ガンバレと言う、「反応」
がメールで届いていた。以後、ぼちぼち同様の反応は届くものの、当然、
というか当たり前なのか、本の注文は一冊もないし、「富士見堂」自体、
新規の原稿が入ったとか変化は何もない。個人的に「ますだあーと書店」
の方、目録を充実させるべくせっせと在庫を増やすためにたとえ数冊づつ
でも入力を毎日続けている。
 まあ、他の古本屋サイトとか、検索サイトなどに広く知らせていないか
ら一般のお客の目にふれてすぐさま注文が来ることなんて期待していなか
ったから失望はしないが、でもそろそろ何とかしないとなあってちょっと
焦ってきた。
 一番いけないのは在庫である本の数が圧倒的に少ないことだ。いや、本
自体は整理していない分も含め膨大にあることはある。ただ、それが目録
に、つまりネット上に載せることができないのだ。
 その理由は、先のメルマガに書いたが、もう一度説明すると、僕のホー
ムページ制作ソフトは、「ホームページニンジャ」に「ネットショップ」
がプラスされたもので、店に入ってもらえばお分かりの通り、購入する商
品を選んで「買い物カゴ」に入れる機能がついている。この機能は便利と
言えば大変便利なもので、いちいち注文フォームを客が書かなくても、本
のタイトルや金額の総計までカゴをクリックすることでできてしまい、店
にとってもいろいろテマが省ける。
 ところが商品を並べる枠、出力フォームって言うのだが、このカゴ機能
がついているのは選択がほとんどできない。画像枠があり、商品のタイト
ル枠があり、その商品説明枠がある。特に説明枠の幅も決まっているし、
このフォーム自体がかなり大きいので縮小しようとしてもできない。出来
合いのものだけあって便利だけれど融通はきかないのである。
 当初はそんなこともよく分からず、カゴ機能が付いているなら使わなきゃ
損だってそのままそのフォームに本を一冊一冊入力し始めた。でもやがて
気がついた。まず、このフォームだとスペースをとっても食うってこと。
そして解説枠がかなりあるから、ついつい空いてるのが気になっていらん
説明や感想などを書き込んでしまうこと。本に関する情報は多い方が当然
顧客にとっては良いことだろうが、一冊ずつ目を通して解説文を考えシコ
シコ枠を埋めていると、本の目録を入力しているんだか、書評を書いてい
るんだか自分でもよく分からなくなってくる。そんなでどんなに頑張って
やっても日に10冊程度しか処理できず、ああ失敗したなあ、オレはバカだ
と気づいた次第。どうりで他のネット古書店ではこんなカゴ付きフォーム
など使わず単に本のデータと値段、それに一言コメント程度に留めている
わけだ。
 それでも、「解説」を書く気になる、書きがいのある本ならまだいい。
僕も書くのは面倒でも嫌いじゃないから、楽しみでもある。頭を痛めてい
るのは、哲学とかニューアカディズムなど人文関係の「解説」だ。中身を
ざっと目を通した程度では全然わからない。帯の説明文をそのまま載せる
ってのも手だが、それだって何のことか、何を言っているのかわからない
ことが多々ある。仕方がないから目次とかを書き写して少しは内容が把握
できるようにしたりと模索の連続だ。
 そしてそれよりもっと困る本の一群がある。日本のいわゆる書き下ろし
ミステリーの単行本だ。帯にちょっとした粗筋や紹介文があればまだいい。
多くは、本年度○○大賞受賞作!とか、超大型新人登場、とか、「現実と
非現実が溶け合う新感覚ノベル!」などとだけ銘打たれていて、「解説」
しようのないものばかりだ。実際に一冊ずつ読了した上で、作業に入れば
一番イイのだが、そんな時間はないしもう焦りがきているわけで頭が痛い。
 だいいち、この手の本は、これだけのフォームに見合う内容が果たして
あるのだろうか。高村薫レベルの内容と分量がある本ならしっかり「解説」
のし甲斐があろう。でも日本のぽっと出の新人が書いたミステリーなど、
キヨスクで並んでいる「○○○○(日本の地名)殺人事件」などの“推理
小説”とどう違うのか。単行本の体裁は取っているものの、時間つぶしの
一回限りの読み捨て、と言ったら言い過ぎだろうか。そんな本のために広
いフォームを当てがうのは勿体ないと思う。だいたい「解説」のしようが
ない。ミステリなんだから内容説明はできないし…。いっそ、全部店頭の
均一棚に並べてしまおうかと考えている。ただなあ、1,5、600円はする
新品同様の程度も良い単行本がいきなり500円均一ってのはちょっと抵抗が
ある。せめて定価の半額、無理なら700円、いや600円の値をつけたい気が
する。それでも高すぎて売れないなら500円でも仕方ないが。値段の付け方
ひとつでもあれこれ悩んでしまう。これでは遅々として入力が進まないわ
けだ。まあ、当店の本は現在のところ、一切仕入れなどの元手はかかって
ないのだから、いくらで売ろうと損はしないはずなワケなのだが。
 ともかく、一般社会に向けて本格的開店を宣言して宣伝に打って出るま
で、店の本の数を一冊でも増やして店の質を上げなくてはならない。それ
にしてもいつになったらお客さんから注文が届くのだろうか。それは果た
していつの日か、本当にそんな日が来るのか、ここのところ始めて10日目
にして早くも弱気になってきた。が、当書店の大部分の本の元の持ち主で
僕にそれらを寄贈してくれた友人、Kちゃんから先日、開店祝いのメール
も届いて、彼に力強く励まされたので気を取り直したというのが現況とい
ったところであります。がんばらなくては。    【03年7月10日記す】
2003年07月13日
富士見堂商店という名前、思いつきからつけたようなものだが、このサイトの評価
自体よりも何故か富士見堂商店という架空の店の名前がなかなかイイというメー
ルがいくつか届きちょっとウレシイ。都心に住んでいるMさんという人からメールを
勝手に抜粋させてもらうと…。

<まず、「富士見堂 商店」という名前がいいですね。偶然ですが、息子が通って
<いる小学校が「富士見小学校」だし、学童保育は「富士見児童館」。飯田橋駅
<付近が「富士見 町」なので親しみやすい感じがします。

ありがとうございます。都内には結構、富士見と名のつく地名や学校、幼稚園など
たくさんあるのですね。昔住んでいた日暮里の方にも富士見がつく学校があったし。
ただ、もう都内からはよっぽど高層の建物からではないと富士山を見ることは不可
能でしょう。平地からビルの隙間を縫って見ることができるのは、日暮里の谷中銀
座を見下ろす高台からだけだと聞いているし。そこもマンションが建つとかでもう見
えなくなったかも。
 今私の住んでいる昭島市の家の二階からは幸い今でも天気のいい日に限って
だけど、富士山はまだ裸眼で見える。雨の日はともかく晴れていても春とか夏は
ダメで、秋から冬にかけて、それもカラッとした寒いぐらいの空気が澄んでいる日で
ないとくっきり見えない。
 一番最適なのは、正月の三が日。要するにクルマや工場の煙、スモッグなどが
出ない日はその3日間だけということだ。富士山を見るための条件は、まずは建物
に遮られていない場所が大事で、次に天候、それも晴れるだけでなく季節や条件
も関係する。よっぽど条件が良くないと都内、都下を問わず富士山はめったに見る
ことの出来ない山になってしまった。
 江戸時代の浮世絵を見ると、都心のあちこちから富士山が見えたことがよくわか
る。昔は高い建物もなかったし、それどころか東京は戦災にもあったし、富士山が
見えなくなったのは、ごく最近、高度成長のほんのここ2.30年の間の事だと思
う。
 見ることは難しくなっても富士の姿そのものは変わらない。当店も雄大な裾野を
広げどっしりと聳える富士の山のようにいつまでも変わらずランドマークになるよう
なサイトを目指したいと言うのは、誇大妄想だと笑われようか。
2003年07月17日
●富士見堂商店のサイトを、中途半端ながらもとりあえずネット上に立
ち上げた。その中でこの古本屋「ますだあーと書店」を開店して数日た
った頃、そのサイトを見た知人からメールが届いた。
 
「古本屋の日々の更新を楽しく拝見しています。
 で、気づいたのですが
 どこにも東京都公安委員会の「古物商許可」番号の記載がないよう
 です。
 完全オープンまでに記載、もしくは
 私の見落としで、どこかに記載されていたなら
 大きなおせっかいなんですが....」

 おせっかいどころか、よく隅々まで見てくれているなあ、と思った。
確かに、その許可番号が載っていない。そのわけは簡単で、実はまだ、
許可申請に行っていなかったからだ。ただ、その「許可」がないと、ネ
ットで古本屋をやってはいけない、ということではなく、単純に、仕入
れ、つまり古物の買い取りするのは法律にふれるからしてはダメってこ
とで、僕自身は、当分、仕入れをするつもりはなかったから、たまった
在庫がなくなってからでもいいや、と思っていたのだ。
 でも、先のような心配をしてくれる人もいるし、第一、商売をする際
の信用に関わることだと考え直し(ますだあーと書店は、基本的に客の
注文に対して、先に本を送って、客はそれから代金を支払うのだから、
詐欺的行為はしようがないんだが)、やはり何とか金を工面して許可証
をとらねばならないと思った。
 取り方はわかっている。北尾さんの本や、ネットで詳しく紹介されて
いたから、まずは、地元の警察署に行って申請用紙をもらってくること
からだ。
 で、昭島警察署に行った。受付の女の子、といってもバイトってこと
はないから婦警さんなんだろう、用件を言って、担当の課をおしえても
らった。3階の防犯課へ行く。ドアは開いていて中にいた中年の男に用
を言ったら、違うドアを指示され、その部屋で待っていてと言われた。
 スチールの机が置いてあり、パイプイスがひとつその前にある。奥は
ロッカーで遮られ人の気配はするが見えはしない。
 で、イスに座って待っていると、さっきの男とは違う初老の、ちょっ
とどことなくカニを思わせる小柄だががっしりとした眉毛の太い男が出
てきて用件を聞いた。
 伝えると、何か身分を示すものはあるかと聞く。一応クルマの免許証
を持ってきていた。こんな時のために免許は便利だ、取っておいて良か
ったと思った。カニ男はそれを受け取ると、手元の用紙に何かこちょこ
ちょと書きつけて、「それでは」と言って、見えないが足下の方から何
か四角い機械を取り出して机の上にどんと置いた。
 カバーが掛かっていたのでワープロか何かと思ったら、開けたらそれ
は、スキャナーの一種だった。家庭用のコピー機がある。ちょうどそん
な感じ。カニ男は蓋を取ってティッシュをポケットから取りだし、息を
吹きかけ、蓋を上げたスキャナーのガラス面を几帳面に拭った。そして
僕をその鋭い目で見据えてこう言った。
「ここの上に両手をついて下さいませんか」。
 言い方は柔らかく丁寧だったが、何だか断るとマズイような、有無を
言わせぬ迫力があった。
「何でこんなことをするのか、指紋を採るつもりか」と問いただそうと
すべきだったが、小心な僕は、「ここで事を荒立てるとマズイかも」と
警察署に入ったときから感じていた気後れした弱気にうち負かされ、素
直に従い、そのガラス面に手を乗せた。
 カニ男は、蓋を乗せ軽く押さえこちらからは見えないが、スイッチを
押した。閃光が隙間から漏れ、中を移動しているのがわかる。
「終わりました」とカニは言って、また几帳面にガラス面を拭いて、機
械を元に戻す作業を始めた。
 ふと、気がつくと男の右側、こちらからは向かって左側に、コーナー
の壁でよく見えなかったのだが、そこにも机があって若い女がノートパ
ソコンに向かっているらしい。緊張していたせいか、そこに女がいるこ
とにそれまで気が至らなかった。女の顔はコーナーの角に遮られてよく
見えないが、首の長い、どこかちょっと伊東美咲にちょっと似た感じの
美人だ。女は、そのパソコンをいじっていたが、少しするとカニ男に、
「主任、ちょっと」と声をかけた。カニ男は立ち上がり美咲の後ろに廻
り画面を覗いている。その時わかってきた。このパソコンとさっきのス
キャナーはつながっていて、早速僕の両手から取った情報がそこに表示
されているのだ。女はカチャカチャとキーボードを叩き、二人は何か小
声で話している。僕は待った。
 カニ主任はクリップのついたボードに画面を覗きこんでは何か書き込
んでいる。美咲は、主任に近寄られるのがイヤらしく、身を反対側に反
らせていた。そして…。
 席に戻ったカニ主任はボードに目を落としながら言った。
「マスダさんねえ、5年前の12月に酒に酔って終電がなくなり、立川か
ら歩いて帰る途中、自転車を盗んで調書取られているよね。それに大学
のときに器物損壊で町田署でお世話になってる…。中学のときにも暴力
事件で補導されたことがあるし…」
 僕は、うろたえた。どぎまぎした。
「えーと、そうですがそれが何か…」。歯の根が合わないってこんなだ。
 カニ主任はこちらを向いてこう言った。
「こりゃ、ちょっとダメだあ」と。その目には心なしか事態を面白がっ
ている色がある。
「だ、だめってどういうことですか」と僕。
「うーん、はっきり言うと、こういう前歴があると許可はおりないんだ
よね。ネットの世界では、ここのところ悪質な事件が多くて以前はオタ
ク程度でも簡単に取れたんだが、今はダメだなあ。せめて5年前の自転
車の件がなければ何とかなったかも知れないが…」
 頭がクラクラした。部屋がウルトラQのオープニングの画面のように
ぐるぐる回っている。いったい何が起きたのか。カニ男の声はまだ続い
ている。「それにきみの母親は○○党の活動家だっただろう。これもマ
ズイなあ…その上は君は本当は○○○何だろう?」ぐるぐる回る。
 カニ男も伊東美咲も部屋もすべてウルトラQだ。
「うわ―――――――――――――――――――――――っ」。

 そこで目が覚めた。変な夢を見た。今日は昭島警察へ行って古物売買
の許可申請しに行く日だった。それにしてもまだ胸がドキドキしている。
好印象を与えるために、風呂でも入ってヒゲを剃って行くか。 【続く】
2003年07月23日
 ヘンな夢を見て、寝覚めが悪いまま、ともかく最寄りの地元警察署に
出向いた。
 受付には、サラ金のCMに出てくるような女の子が実際にいてわざわ
ざ立ち上がって「いらっしゃいませ、どのようなご用件ですか」と聞か;
れた。用を告げるとその用件を簡単でいいですからと氏名住所なども記
す欄のある粗末な用紙に鉛筆で書き込むように言われ、そのとおりにし
たが、それで取り次いでくれるのかと思ったがそうではなく、3階の生
活安全課、防犯係へ行けと言う。釈然としないまま階段を上がった。
 防犯課のドアは開いていて声をかけた。夢で見たのと同じく中年の男
が出てきて、用件を言ったらイスをすすめられ用紙を出してきて一通り
説明をしてくれた。
 
 以下、古物営業許可申請に必要な書類をあげると。

1,住民票(本人のみ)
2,身分証明書(本籍地の市町村区役所発行、戸籍謄本ではなく身分証
  明書と記された書類)
3,登記されていないことの証明書
4,誓約書(本人が作成、書類は警察署にある)
5,過去5年間の経歴書(本人が作成、書類は警察署にある)

 そして、《各種届け出申請手数料》として新規申請の場合、19000
円であった。この額が高いか安いか判断は控えておく。
 もちろんこの他に二枚綴りの申請用紙があり、控えと提出用二枚づつ
くれて、控えに鉛筆で書き込む欄だけ印をつけてくれた。
 以上をまとめて手数料の金額を添えて提出すれば二週間ぐらいで交付
されると言う。1と2の書類は市役所ですぐ手にはいるが面倒なのは、
3の登記されていないことの証明書だ。そもそも「登記されていない」と
はいかなる意味なのかよくわからないまま、それに関した「申請要領」な
る紙を見ると、その交付申請には、千代田区九段の東京法務局、民事行政
部後見登録課へ行って500円分の登記印紙を貼付し提出するとある。
 むろん郵送でも手に入る。面倒なことだが、本人が直接行くのか゜てっ
とり早いと明日でも都心に出ようと思った。そしたら今週中に提出できるし。
 対応した中年男は、書類が揃ったら持ってきてもらうわけだが、私も
いない場合があるので、電話で確認してからの方がいい、と警察の内線番
号とNという彼の名を用紙の端に書いてくれた。以外にあっけなかった。
 
 翌日、市役所に行く。本当は、まず一番最初に九段の法務局へ行こうと
考えていたが、寝不足で寝坊して起きたの遅くてあきらめたのだ。
 市役所で発行する身分証明書なるものは、禁治産の宣告を受けていない、
後見の登記の通知を受けていない、破産宣告の通知を受けていない、など
と書いてあり、以上のとおり相違ないことを、市長の名で証明していた。
一枚200円で二種で計400円支払った。
 後は「登記されていないことの証明書」だけだ。
 
 さらに翌日、この日は金曜日だった。昼前から都心に出た。地下鉄で九段下
で降り、お堀沿いに少し歩いたら法務局の入っている合同庁舎にすぐ着いた。
 地味なネクタイの背広姿の役人?に混じって7階の法務局へエレベータ
を上がる。後見登録課はすぐわかった。銀行のようなカウンターがあり、
警察でくれた申請用紙に記入したものに横の臨時印紙売り場で印紙を買い
右上に貼って提出した。5分もかからず証明書は発行された。見ると、
「登記されていないことの証明書」と書いてあるただの一枚の紙。氏名が
僕が自筆で申請したものがそのまま転記されて載っていて、上記の者につ
いて、後見登記等ファイルに成年後見人、被保在人とする記録がないこと
を証明する―――東京法務局 登記官 とあった。よくわからないけれど
これも市役所の「身分証明書」のようなものだろう? つまり法的に何ら
かの理由で制約ある特殊な状態にないということが“証明”されたという
ことなんだろうが、こんなのわざわざ出向いて書類にしなくても警察が電
話で確認すれば済むことのように思えるが、お役所仕事とはこうしたもの
なんだろう。いろいろ納得できない、言いたいこともあるが、今はまだ受
け身の状態なので、卑屈にもあまり強気に出られないのである。
 で、他の書類も書くところに記入して全部まとめて翌日、土曜日早速、
警察署へ持っていった。そしたら……。あろうことか……。
2003年07月30日
そしてその翌日。この日は土曜日だったが、持っていく書類に記載漏
れないかもう一度目を通して朝一番で警察署に電話かけた。
 担当のNさんは、出ていて不在で、昼に戻るとのこと。でもこの日は、
午後からクルマで茨城県の友人のところに行く予定を立てていたので、
何としても今週中に申請だけ済ませてしまいたかった。で、書類はもう
揃っているので提出するだけだと言ったら、それなら持ってきてもかま
わないとの返事。そこで小雨の合間を縫って自転車で警察へと走った。
 土曜日のせいか、職員の数も少ない感じで、受付には、女の子ではな
く、私服のむくつけきオヤジが二人で座って、冗談を言い合って談笑し
ていた。
 早速、階段を上がり3階の防犯係へ。いつものようにドアが開いて
いて、声をかけたら奥からやや若めの男が出てきたので用を伝えた。
 そしたらば、「あー、許可申請ね、今日は土曜日だから、一階の窓口
の人が来てないから受け付けられないんだ」と言う。
 何でもお金を扱う窓口の人は、一般職だから土日は休みで来ていない。
だから平日でないと受け付けられないと言う。書類だけ預かってもいい
んだが、二度手間になるので来週またNのいる時でも来てくれと。
 どうして、そのことを言ってくれなかったんだ、と一階の窓口で未だ
軽口を言い合って騒いでいるオヤジを横目でにらんで帰った。この二人
のどちらかがきっとさっきの電話に出たのに違いないとふんだからだ。
 結局、その週は申請できないままに終わって、ちょうど海の日だかの
連休が入っていたので、翌週の月曜日、電話でNさんがいるのを確認し
てから書類と1万9千円、一応、印鑑やクルマの免許証なども持って万
全の体制でまた警察へ行った。もうかつて知っているという感じで、3
階へ階段を上る。声をかけたら、またはじめて見る顔の男が出て来て、
「おーいNちゃーん、お客さーん」と私の担当をチャン付けで呼んでく
れた。こういうところが警察を舞台にしたドラマや小説と同じで笑えた。
 この前、初めて来た時、説明をしてくれた窓口の机は、別な警官?が
書類を広げ書き込みして使っていたので、課内に招き入れられ、奥の、
三畳ほどの窓のない小部屋に通された。雑然としたテーブルとシートが
汚れたパイプ椅子が2,3あった。Nさんは腰掛けるように勧めて僕も
書類を出して渡した。Nさんは、受け取った書類にざっとどころか一瞥
程度に目を通しただけで(僕が書くのに頭を痛めた、過去5年間の経歴
書など目もくれなかった)、その書類を持って課内の自分の机に向かっ
た。そこでゆっくり目を通すのかと思って見てみると、そうでなく何や
ら書き物をしている。少しして、手帳サイズの小片を持ってきた。それ
は、3枚綴りの納入通知書と領収証書が一緒になったもので、これで1
階の会計窓口でお金を払ってきて、済んだらまたそれを持って上がって
来てくれとのこと。そこには、細かく欄ごとに、
○款― 使用料及手数料
○目― 警察手数料
○会計― 一般会計
○項― 手数料
○節― 古物営業許可
○金額― ¥19000
○納入者住所氏名― 私の氏名住所
 など項目がごちゃごちゃあって、Nさんはそれを書き込んでいたのだ。
終わりの方に上記金額を納付して下さい。とあって、本日の日付と発行
者として昭島警察署長 警視 △○田○△夫 (その印)
納付場所― 警視庁昭島警察署東京都金銭出納員
      上記の金額を領収しました
      領収日付印 の欄
                            とあった。
 言われるまま、また1階のその窓口で金額を支払い領収の判をポンポン
と押してもらいそれを持ってまた上へ。Nさんに渡したら一番下の一枚、
領収証書を渡してくれた。そして彼は、
 「で、これで受付ました。早ければ、二週間、遅くても40日以内にこち
らから連絡します。その時に印鑑を持ってきて下さい」。ほっとしている
とNさんは、「ただし、この誓約書の内容に関してこちらでちょっと調査
をさせてもらって、もし、問題がある場合は、許可が下りないこともある。
その場合、この金額はお返しできません」などと言うのだ。おいおい払っ
てからそれはないだろうって思ったが時すでに遅かった。心なしか、Nさ
んは、金を払ってから急に冷淡になったような感じがした。
 ともかく、その「こちらからの連絡」があるまで待つしかないワケだが、
終わり際に言われた、「ちょっとした調査」がまた頭の中で黒い暗雲の如
くもやもやわき上がってきた。あの日の悪夢がまた突然よみがえってきた。
果たして、無事に古物営業の許可は下りるのだろうか。苦心してかき集め
た1万9000円はドブに捨てるようなことにならなければよいのだが……。
不安で頭がいっぱいで、どうやって帰ってきたのか家までの記憶がなかっ
た。そして、Nさんからの電話をひたすら待つ日が続く…。           
2003年08月05日
 そして、数日が過ぎて、いいかげん申請したことを忘れかけた頃、夕方、外から
帰ってきて留守電を見たらメッセージが入っている。確認したら昭島警察防犯課
のNさんからで、「許可が降りましたのでお電話下さい」とだけ入っていた。早速、
その内線番号にかけて、明日午前、そちらに行くことを伝えた。ハンコだけ持って
いけばいいのだ。
 午前、パソコン入力を切りのいいところで切り上げ、自転車で警察署に。また3
階の防犯課の開け放したドアから課内に声をかけた。Nさんは、ちょっと席を外し
ていたらしく、一番最初、説明を受けた窓口で来るまで待った。右側に天井まで
届く引きだしがあって、よく見ると市内のパチンコ屋やゲームセンターの名が各ト
レイごとについていて、その店ごとの書類(何の?)を収めるようになっているらし
い。この前はドキドキして全然周囲を見る余裕がなかったんだと気がついた。
待つこと5分くらいして、Nさんが書類を持ってようやく出てきた。
 受領の書類に氏名と住所を書いて、ハンコを押してもらった「許可証」は実にあ
っけないものだった。大きさは、クルマの免許より一回り大きいくらい。昔の米穀
通帳よりは小さいと思う。紺のビニールクロスのその「証」は、そのクロスの表紙に
金で古物許可証と印刷してあり、上綴じで開くと、上のページには
第308860307137号 交付 平成15年7月31日 東京都公安委員会とあり赤字で
文字の上に乗るように公安委員会の四角い判が押してある(印刷だと思う)。
 そして下半分のページには、氏名または名称の欄に僕の名前。住所又は居所
の欄に、僕の住所。代表者の氏名と住所の欄は空欄。そして一番下の欄は、
行商とあって、する・しない、の「しない」に囲みがついていた。それをめくると次の
ページは移動事項と移動年月日、それに印の欄があって、空欄は11あるものの
当然何も記されていない。これですべてだった。許可証といっても自動車免許証
みたいに本人を証明する顔写真の欄があるわけでなし、何よりも驚いたのは、
すべて手書きだったこと。正直あまりうまくないペン字(Nさんが書いたのか?)で
番号から氏名、住所まで手書きで書いてあったのだ。実にあっけない。何か狐に
つままれた感じがした。これに一番近いのは、16ミリ映写機の講習を受けると貰え
る上映技師の資格カードだろう。こんなんで1万9千円かっていうのが正直な感想
だった。貰っちまったから書くけれど。
 そしてNさんは、「古物営業ガイドブック」なる、警視庁生活安全部生活安全総務
課が出している〜わかりやすい古物営業法〜という副題がついているパンフレッ
トと、「古物営業講習会テキスト」という古物営業に関するいろいろ詳しく法律や、
義務が記載されている冊子をくれた。さらに、古物商防犯協力会への入会のご
案内というチラシを示して、強制ではないが、と前置きし、古物商の9割は入って
いると言う組合のようなものなのだろう、入会を勧められ、昭島市の加入届け所
である質店の名と地図も渡された。でも当面今はそれどころではない。
 これですべてだった。申請の書類を提出してから9日目だった。いろいろ疑心暗
鬼というか、不安になったこと、杞憂に過ぎなかった。今の気持ちとしては、まあ、
これで名実共に、の名だけは、一応まがりなりにも古本屋となったわけだ。よく、
詩を書かない詩人とか、絵を描かない画家などという比喩というか、ロジックを目
にするが、一冊も古本を売らない、いや売れない古本屋ってのは俺だけだと思う。
 さて、これからどうするか。まあ、ともかくこの許可証が無事取れて良かった。い
ろいろ規則とかパンフを読むとうるさく書いてあり、3年間は帳簿をきちんとつけて
保存しなくてはならないとか、守るべきことがいっぱいだ。でもやっぱりウレシイ。
まだ買い取りどころか、膨大な在庫をコツコツ入力して一冊でも売ることが一番だ
から、この許可証が活躍することは当分あるまいが、それでもこれは一歩なんだ
と思う。なんでも、どんなことでもコツコツとやっていくことだ。焦らずあきらめず続
けていくことが大事なんだと自ら言い聞かせて、とりあえずこの顛末の報告を終わ
らすこととしよう。
2003年08月09日

★この場所は、茨城県笠間市の芸術の森の中のオブジェです。焼き物の町として知られる
笠間は、毎年春と秋の二回、陶芸の祭が開かれる。今年、2003年5月、陶芸家の友人を
訪ねて、この森へ来て、この「本」のオブジェを見つけて愛犬をセットしてパチリ。この他に
もいろいろな陶器をモチーフとしたアートが山の中にいっぱいでなかなか楽しめます。ぜひともお近くにお寄りの際は、足を運んでみては。笠間焼きの即売市「陶炎祭」は、5月の連休の頃です。そして11月の文化の日前後にも同様の催しがあるそうです。

↑これもアート。ちょっとキモい感じ…。↓これも。こんなデカイカメムシがいたら悪臭生物
化学兵器として、米軍に採用されるに違いない。★このオジサンはマスダではありません。
2003年08月10日
★富士見堂山岳会を創設しようと考えた。

 さてと…。この富士見堂のサイトがまがりなりにも世に立ち上がって
間もなく一月半となろうとしている。僕、マスダの担当の古本屋の方は、
牛の歩みの如くのペースで少しづつ本を増やし、画像も入れて多少の、
進展はあったと自分では思っている。まあ、正直、まだまだパッとしな
いし全然売れていないけれどね。
 一方、他の人の担当部分、これがなかなか更新がなく、いつまでも変
わり映えがしない。他人のことをとやかく言える身分じゃないが、これ
では、ダメ人間の総合サイトってのが、冗談でなく一目で如実に現れて
いるようでホント困ったことだと思っている。笑いごとじゃなくマジで。
 このまま、口上だけで原稿が入らず、更新されない人は、勝手ながら
管理者の責任においてそのコーナーを削除することも考えざるをえない。
 これからどうしようか…。台風一過の晴天の下、たまった洗濯物を洗
濯機でガラガラ回しながら、ふと考えた。「ああ、天気もいいし、パソコン
なんかに向かってシコシコ本の入力なんかしないで、どっか行きたいな
あ」。そして、突然、新しい企画っていうか、コーナーを思いついた。
その名は、『富士見堂山岳会』。
 以前もミニコミ紙上で友人達を募って『低山歩きの会』などグループ
で“軽登山”へ行く催しはよくやっていた。最後は、二人だけだったけど、
八ヶ岳の権現岳まで一泊山小屋に泊まって踏破した。その会は、自然
消滅というか、どんな理由でポシャったのか思い出せないが、中断し
そのミニコミも終わって、このところ久しく山へは行っていない。ヒマな
ネット古本屋の体調維持のためにも定期的運動は欠かせないはずだ。
 今回は、もっと緩やかに、会としてメンバーなども集めずに、ともかく
日時だけ前もって設定してメルマガなどでお知らせして行きたい人だけ
気軽に自由に行く。同行者がなければ僕一人で行こうと考えた。ただし、
コンセプトはひとつだけある。それは、富士山が見える山へ行くという
ことだ。
 聞くところによると、ホントかどうか確認したことはないが、日本一の
高峰、富士山は、北は、東北地方から南は遠く和歌山までその姿を望
むことができるのだと言う。ホンマかいなって気がするが、富士見堂と
名のっているからには、実際に富士山を見に行かなくてはならないはず
だ。そこで、毎月は難しいだろうが、最低でも、二月に一度は、この富士
見登山へ行ってデジカメでその姿をとらえてこのサイトでコーナーを
作って公開しようと考えたのだ。
 まずは、近場の笹子峠とか、中央道沿線の山から取りかかって、しだ
いに、遠くの山へ、ちょっと見るのが難しいんじゃないかって所まで行っ
てみるつもりだ。むろん、都内からビルの隙間を縫って見るとか、逆転
の発想もありとしよう。果たして和歌山まで行くことになるのか定かでは
ないが、とりあえず、これは一人でもできることだから、これもコツコツ
続けていきたい。むろん同行者大歓迎。ただ、季節はどうしても会の
性格上、秋から冬に限られるかもしれない。春や夏はよっぽど近くの
山へ行かないとダメだね。
 そして、今年はもう登山シーズンはもうすぐ終わりで不可能だけれど
実際にその御大である富士山に来年度こそは登ろうと思っている。かつ
て、もう10年近く前、一度だけ家族で登ったことがあったが、その時は、
へろへろで頂上へ辿りついたというだけで慌ただしく降りてしまいゆっ
くり山上を楽しめなかった。今度こそ、一人でも登って、山頂の神社で
一冊でも本が売れるよう古本屋の繁盛祈願でもしてこようと思っている。
 話は、ここで変わるが、世間はお盆休みである。僕には関係ないこと
だと思っていたが、埼玉県宮代町というところに住んでいる友人から彼
のお盆休みを利用して、本の引き取りの要請があり、この12、13と愛車
で伺うこととなった。古本屋となって初めての引き取り。買い取ることも
できるようになったのだけれど、現況では、仕入れはしたいが金はなし、
という状態なので、彼もそのヘンのことはわかってくれると思う。
そのうち儲けが出たらキャッシュバックということで、友情に甘えるしか
ない。トホホホ…。
 そんなで、この二日間は、富士見堂のサイトは夏休みとさせて頂きま
す。帰ってきたらまた、この欄かどこかでご報告します。みなさんも夏休み
楽しくのんびりお過ごし下さい。

2003年08月31日
★★★★★★★★★【新参古本屋日記】――――2.★★★★★★★★
 
 ●ますだあーと書店開店一ヶ月の現状報告など。
 
 リアリズムについて考えた。富士見堂商店のホームページが立ち上が
ってまもなく一ヶ月となる。マスダの個人的担当部分、「ますだあーと
書店」の本の注文は、一件もない。当然と言えば当然かもしれない。まだ、
検索サイトとか、同業者のリンクサイトにもきちんと載せていないし、
知人、関係者しか知らせていないからだ。でも、当然の現実をふまえた
上で、不思議な気もする。一ヶ月の間には、最低でも何冊か反応がある
だろうとタカをくくっていたからだ。自分は、いったいインターネット
とは、どういうものだと考えていたのかということでもある。
 サイトを立ち上げれば、簡単に世界中に向けて発信し、世界の見知ら
ぬ人が気軽に見てくれる――だから、もっともっとこのサイトを開設した
ことで反応というか反響、何か大きなことが新しく始まると思っていた。
でも現実には何も起きない。――メルマガ読者の人だって、サイトを
訪れてくれたかわからないし、いったい何人の人がどれだけ果たして
見てくれているのか、それはそこにあるというだけで、はなはだ心もと
ないかぎりだ。
 僕はバカだから、何となく、それこそ漠然とこうしたサイトをネット上に
立ち上げれば、仲間うちだけでなく見知らぬ人からもガンガン反応が
あるものと思っていた。でも現実は――古本屋の注文が来ないだけで
なく、ほとんどメールも来ないし何一つ新しいことは始まらなかった。
 で、考えた。これが現実で、そこにはその結果に至るワケがある、と。
例えば、あるサイトがそこにあって、そのことを知らされたとしても、
よっぽどアクセスしたい内容のものでなければ、覗いただけでふーんと
通り過ぎるだけだろう。まして古本だってあれだけの点数しかまだなけ
れば、人は金を払ってまで注文するという能動的行為に至らない。客観
として自分自身、他人の目で見てそう思う。ある個人(Kちゃん)が、読み
終えて不要になった本をネット上に並べてそれでメシが食えるほど世の
中は甘くないということだ。それが現実だ。
 僕の古本屋は正直に言っていろんな意味でボタンを掛け違えた――と
いう感も強く感じないではないが(カゴで注文を受ける形式にしたこと
――これは同じ商品を多数注文受ける場合に最適で、一点ものには向か
ない。さらにそのフォームが広いのでついつい“解説”の執筆に時間を
とられて全然点数の入力が捗らない。まあ、どんなことでも始めると、
いつの間にか当初の目的から違うことが目的にすり替わってしまう――
というのが、僕の場合のいつものパターンだが)、今さらフォームを
はじめ店のコンセプト――どういう本を専門に扱う本やなのか――品揃
えから根本的に見直すことは難しいと考えるし、継続の中で少しづつ、
軌道修正していくしかないんだと思う。
 ただ、個人的に何年もフリマに参加して得た経験則を言えば、商売は
たくさんの商品があって、たくさんの客がくれば単価は安くても必ずそこ
そこ(気がつけば予想以上に)売れるという法則が存在する。古本屋に
関しても、店が持っている本の質、量、価格という三大要素があって、
もちろん客が求めている、欲しいと感じる良書、珍しい本、人気の本が
その店にあること、そしてそれがバカ高くなく郵送料を含めても適正、
つまりお買い得であるということがまずある。でもそれよりも、量という
ものが重要だと最近僕は特に気がついた。たとえ世間的に価値がない
所謂クズ本でも一定の量がそろえばそこに何か意味が存在するのでは
ないか。これは、マルクスが言った、量から質への転化ではないのか。
 残念ながら今のところ、僕の店、古本屋にはその量も質もない。そして
世に声高に宣伝もしていないからまさしく知る人ぞ知る、で訪れる客も
いない。これでは注文があるはずない。今のままでは棚がスカスカだ。
まさしく看板に偽り有りという状態だ。だから8月いっぱいはもっともっと
ちまちま各コーナーごとに一定の量になるまで本を入力していって、
ある程度ネット古本屋の体を成すところまでもっていくことが最大の
課題だと考えた。世間に大々的に宣伝や告知するのは僕自身ある程度
満足、納得できる品揃えが充実してからでいいと考え直した。本の総数が
最低でも700冊〜1000冊になってこそ古本屋として最低限の条件を満た
したと言えるのではないか。
 普通常識的に考えると、こうしたサイトを立ち上げた場合、友人達から
ご祝儀で注文があるものだと思う。幸い今まで義理やご祝儀での注文も
一件もない。ありがたいことだ。私の友人達に感謝する。先に書いた
ように、僕自身が客観、リアリズムに立って今の目録リストを眺めた時、
やはり送料も含めてわざわざ注文しようと心を動かされる本はなかった。
それが現実――リアリズムということだ。友情ということでもある。
 今現在は古本屋の部分だけでなく、他の人のコーナーも空きばっかり
で物足りなく実に恥ずかしい次第だと思う。一日も早く、もっともっとうん
ざりするほど盛りだくさんな、そこに何か新しく楽しいオモシロイことが
あるような雰囲気を訪れた人が感じて何度も足を運ぶようなサイトに
しなくてはならない。先に3年は古本屋を続けるつもりだとこの欄にも
書いた。それは3年やってダメならやめるという意味ではなく、3年続
くものならばもっともっと長く続くはずという意味だ。石の上にも3年の
喩えで言ったまでだ。牛の歩みのように、そして牛のゆだれのように
ダラダラと少しづつでも続けていく。そして牛が汗を流すほど棟が一杯
になるほどの本がある店になるまでたとえ一冊の注文がなくてもこの
古本屋は続けます。そして富士見堂商店の方も。
 サイトは立ち上がったもののこの一ヶ月、何か期待していた分も含め
落ち込むというか精神的に少し鬱々としていました。僕はすぐにクヨクヨ
してしまうのです。でも今、一ヶ月目にして改めてもう一度、すべては今、
ここからなんだと思い直しました。
 最近、僕と同じようにネット書店が次々と増えたけれど、どこも本が
売れないと、そのサイト管理者が“日記”でこぼしているのを読みました。
しょせん今の世の中、人は本なんかほとんどの人は読まないのです。
サブカルや、トンデモ本、話題のベストセラーならともかく、しかも僕の
一番売りたい古くさい黒くなった小説や昔の物語はましてのことです。
 先日もフリマで本をちょっと並べて様子を見たのだけれど、つくづく思い
知らされました。マンガはともかく、売れたのは、山崎豊子の『大地の
子』オリジナル上中下の三分冊セットで500円だけでした。それも、初老
のマダムが「老眼でも読めるかしら…」と文字の大きさを確認してのご
購入です。目のいい若い人は、本を読まない。本を読みたい年寄りは、
老眼で細かい字の本は読みたくても読めなくなっている。これでは本が
売れるはずがない。僕自身、老眼が忍び寄って不安になってきている。
でも僕は本が好きだ。文学、物語、活字が好きだ。本が無くては一日も
生きていけない。それは僕だけの特殊な話だろうか。いや、広い世界に
はどこかにきっとやはり同じような人が必ずいるはずだと信じて、その
人がいつの日にか僕の古本屋の目録を見て注文してくれるに違いない
―――そう信じて焦らずあきらめず続けていくことにしよう。
                       【03年7月30日記】

2003年08月31日
●ますだあーと書店開店二ヶ月目の現状報告など。
 
 開店から2ヶ月がたった。母屋である富士見堂商店のサイトはともかく、
古本屋ますだあーと書店の方は相変わらずだ。一冊も本の注文がない。
 これを残念ながらと呼ぶべきか、情けない、恥ずかしいことに、と形容
すべきか迷うところだが、事実なので隠しても見栄を張ってもしょうがない。
 知人から予約のような形で“注文”もないことはないが、自分としては
このサイトを見た、見ず知らずの人がお客として買ってくれたのを初売り上
げの日、及びお客様第一号と考えているので。まあ、どちらにせよ、一冊も
一円も売れていないのに変わりはない。本当の店なら3ヶ月目でそろそろ
店じまいの準備に入る頃だろうが、ネット商店はその点、気軽なものである。
 まあ詩人でも画家にしろ役者にしろ、その本業でメシが食える人などほんの
一握りだというのが多くの“現実”だと考えた場合、1冊も本が売れなくて
古本屋を名乗ったって、職業詐称ではないだろうし、そのことでやましさは
ない。何しろ古書店業の許可だって都からきちんと受けているのだから。
 8月は、出かけることが多く、落ち着いて本の入力があまり進まなかったが、
秋になったら地道に冊数を増やして、コツコツこの商売を続けていけばいつか
そのうち気まぐれな人がふらっと店に入ってきて買ってくれることもあるだろう
と夢見つつ焦らずあきらめずやっていこうと今改めて思っている。何しろ店に
出せる本だって現在の目録の5倍以上は軽くあるのだから(それが売れるか
どうかはともかくも)。

 正直に言うと、以前も書いたことだが、多少の期待もしてなくはなかった
ので、失望というか、焦りも感じたこともあったけれど、今はまあ、こうした
ものだと考えてようやく泰然自若な気持ちでいられるようになった。
 そもそも現代において本は売れないものであり、その状況は昨今の「誰が
本を殺すのか」という出版不況に如実に現れているわけで、古本屋業界だけ
が免れるはずもなく、まして新刊書店に比べ客の選択肢が狭い分、よりワリの
悪い位置にあるのは間違いない。まあ、その分、工夫の余地もあり、店として
の個性やセンスが大きく左右されるわけでやりがいがなくはない。
 北尾堂さんやそのお知り合いの“有名”ネット古書店はどうだか知らないが
他の最近新規参入した店のサイトを覗いて、店主の日記とかコラムを読んで
みると、どこも本が売れていないぼやきが書き連ねてある。始めたはずなのに
中には一ヶ月以上も更新が止まったままの店もある。どこもほとんど客が来なく、
売れるとしたら、ネットオークションとか、EasySeekを通してのみといった
有様のようでお客がそのサイトを訪れてくれて肝心要の目録から本が売れる
ということはほとんどないらしい。
 まあ、だから仕方ない、これでいいのだと思ったらオシマイで何とか対策を考え
なければならない。それには何よりもこの書店、いや、この富士見堂のサイトに
訪問客がもっとアクセスしてもらうことだ。だがいくつかの問題がある。
 
何人かのメルマガ読者の方から、

 ★冨士見堂を検索サイト(google、yahooなど)で検索すると
  ジオシティ店の方はひっかかるのですが本店がひっかかりません。
  *
  検索サイトにかかる何かコツがあるのだと思いますが...
  けっこう色々なキーワードをかけて検索したのに
  まったくひっかからなかったので
  検索基準がどういうことになっているのか...■
                 
      ――――というような内容の問い合わせのメールを頂いた。

 実は、開店当初から上記の大手の検索サイトに申請登録はしたはずなのだ。
だが、何が原因か、未だいっこうに自ら検索しても富士見堂もますだあーとも
全然検索で出てこない。何年も前にサイトを立ち上げた人の話だと一週間か
そこらですぐ検索したら出てきたと言う人もいる反面、最近サイトを開設した
人によると、3ヶ月以上経って、すっかりあきらめ忘れた頃、ふと検索して
みたら出てきたと言う。一体どうなっているのかわからない。まあ、時間をみて
再度申請作業は随時続けていくこととして、まずできることは何だろう。
その答えは、上記のメールをくれた読者からの別な手紙にあった。その一部を
勝手ながら転載させてもらう。多大感謝!

 ★富士見堂は本屋ではなく増田さんやまわりのお友達の方々の
  いろいろな思いが集まっているサイトだと思います。

  本屋としてというよりはサイト全体で考えて
  関連のありそうな他のサイトを捜して「声」をかけてみるのはどう
  でしょうか?

  ネットの最大の魅力は「リンク」だと私は思っています。
  あるサイトを見てそこから繋がるリンクでまったく興味のない世界につながって
  それが意外に面白く、そこから更にリンクをたどったりしませんか?

  まず、富士見堂にリンクコーナーを作り、あとは執筆者の方々に
  関連リンクを訊ねてもらい「富士見堂」の紹介とリンクを承諾してもらう。
  大抵のサイトは無許可でリンク出来ると思いますが
  そこのサイトのBBSに一言声をかけてから相互リンクしてもらえば
  たとえばアボリジニに興味のある人が富士見堂にきて
  ついでに本屋も覗く..ということになっていくような気がします。

  本当に強いのは検索サイトより、いろいろな趣味の人たちの
  口コミによるリンクなのかもしれません。■

 ―――これを読んでまったくその通りだと痛感した。付け加えることは何もない。
自分でも意識してはいなかったが内心ほぼまったく同じ事を漠然と考えて
いたと思う。ただ、こうして文章としてまとめてくれて目からウロコがぽろりと
いう感じで、そうだ、ソウダと唸った。大手が提供する検索サイトに頼ること
なく、もっと自ら自分たちでできることがあった。まずはこうした地道な努力、
リンクという友達の輪を繋いでいけば、しだいに人から人、サイトからサイトへ
と富士見堂も知られていくだろうし、来てくれる人も増えてくる。古本屋の
商売はその先にあって、そうなればやがて「ますだあーと書店」でも本を
求めるお客さんが来るだろうし、すべてが動き出すのではないだろうか。
 このメールのおかげで希望の灯が見えてきた。今も心から感謝している。
今までいろんなメディアを利用してきたけれど、ネットというのは初心者で
実はまだよく分かっていなかった。その最大の利点はリンクという特性だった
のだ。これを活用しない手はない。
 
僕はバカで移り気でおまけに意気地なしなもんだから実はすぐ弱気になったり
困難やトラブルに遭うとオロオロ慌てふためいてパニックを起こす。そして
その後は鬱々とした状態が続くのだが、このサイトを開設して早くも二ヶ月、
いや、まだ二ヶ月なのに実はいつしかその鬱の域に入りかけていた。どうせ、
本は売れないし、お客は誰も来やしないと。でも今はまた、このサイトを
作ろうと考えた最初の時のように、希望と夢と気力がギンギン漲っている。
 どんなことでもそんなすぐに答えも結果も出てこない。好きで始めたことだ。
自分を信じて諦めずに続けていけば登山もそうだが、いつの日か目指していた
場所に辿りつけるはずだ。そう信じて、すぐに結果を求めず世間が見ればバカ
と思われようとも愚直に何事もコツコツ続けていくことをこの場で宣言しよう。

 また、状況は随時この場などでお知らせします。富士見堂商店リンク宣伝計画
(仮称)にご協力下さる方、サイトの管理者の方、ぜひご連絡お願いします。
           【03年8月末日記】

2003年09月03日
 9月に入った。8月の10日以来、きちんとした日記はつけていなかった。8月中に、目録掲載総数700冊超を目指して入力に専念しようとしていたのだが、何だかんだ出歩いてばかりて゜、落ち着いてパソコンに向かえずほとんど捗らなかった。日録などでも書いたけれど、本の一冊も売れない古本屋としては、その商売自体に関心が薄れて来てしまったのではないかと自問せざる得ない。いや、そんなことはない、と否定する自分もまたいるが、その商売よりも、サイト自体の充実度を引き上げることや、他の同好サイトとのリンクによって知名度を上げる計画、及び新コーナーの準備などに気が向いているのは事実だ。うーむいかんいかん、本業と呼べるのは、現在古本屋だけなのだから、たとえ細々とでも“商売”にしていかなくてはならない。相互リンクを申し入れした友人からは、「(ますだあーと書店は)ショップとは、在庫を見るだにあつかましい!」と辛口の評を賜ったので、そのお言葉に応えるためにも奮起して目録の質・量とも高めなくてはならないのだが…。
 先に、このページで仕入れに出かける予定があると書いた。帰ってきての報告をしなくてはならなかったな。どんな本を入手したのかということだ。埼玉県の友人のところからは、文学関係の雑本と端本のコミックス、それにH大学のサークル部室にあって処分されようとした時、彼が引き取って自宅に保管してきた左翼関係の雑誌、文献などもややあった。個人的にも関心があり、扱いたい筋ではあるけれど、どうにも売り方と値段つけに頭を痛めている。雑誌コーナーに並べていけばいいのだけれど、雑誌だけでもボー大にあるのでまずは大まかにでも何らかの区分、傾向で分類しなくてはならない。基本的に扱いたいのは、アイドル・エロ関連誌、革命・左翼関係誌、サブカル関連誌、芸術・文化誌といったものか。マンガ雑誌はまた別として。雑誌を扱うということは、単行本でしたような種別傾向ごとの各コーナーをもう一回作る事に他ならない。大変だが、本も好きだがそれ以上に雑誌マニアでもあるので、整理分類にかかって工夫して棚を作っていく作業に取りかかるとするか。
 それとはまったく別のルートで、これまた扱いに頭を悩ます筋の本をまとまって入手した。
 近代文学館が昭和51年頃、しきりに出していた明治・大正・昭和前期の日本文学の稀覯本の復刻シリーズだ。漱石から鴎外、田山花袋、紅葉、芥川、谷崎らといった大家の初版本をそっくりそのまま復刻したもの。値段はついていない(オリジナルの値はあるが)ので一体どれほどで、昭和51年当時販売されていたのかわからないし、、現在いくらで古書業界で流通しているのか調べないと店に出せない。ただ、紅葉の『金色夜叉』春陽堂版全5巻は、友人が同じものを持っていたので、徳島の古本屋で7000円で購入したそうであるから、他の相場もだいたい予想はできた。もし、全種一括で売るなら20万
以上の値を付けることもできると思うのだが…。取らぬ狸の皮算用をしても仕方ない。
その他、いかにも古本屋が扱いそうな古雑誌など本の方から転がり込んでくるのだが、
値段と扱いに頭を悩ますばかりで目録になかなか載せられない。クリスチャンならば、
神が私に与えた試練と考えるわけで、まあ、これも古本屋の試練のひとつだし、本の方から叱咤激励して、はやく目録に載せて売ってくれ、と言っているようで、ここはひとつ私の店を選んで来てくれた彼らに応えるためにも気合いを入れ直し、褌を引き締めて今月は入力作業に成果を上げられるよう本業の方に専念しよう。以下で画像を載せておく。


これは、ほんの一部。文学史に名を残す古書稀覯本の復刻本の新刊同様の状態という説明に頭が痛い困った本たち。どれも箱入り・美本。芥川、川端、佐藤春夫、武者小路、宮沢賢治、徳永直、藤村、林芙美子、鴎外ら。そして敬愛する徳田秋声「あらくれ」。
2003年09月07日
●カウンターのこと、おかんのこと、その他もろもろ考えたこと。

 富士見堂のトップページにカウンターをつけた。現在のところ、このサイトを訪問してくれた人は180人という数字が出ていた。9月1日に設置して、(本当は、8月29日の午前)この数、簡単に日割り計算すると、1日あたり、20人ぐらいしか来ていない。しかも、そのうち、
私が更新作業で、サーバーに転送して実際の画面の確認のために外から訪れても数は増えてしまうのだから、この何日か、一日あたり10回近くカチャカチャやってるのでそれも数のうちに含まれているわけで、そう考えるとほとんど誰も来ていない。まあ、サイトの内のコーナーを持っている人やメルマガ関係者は見ているだろうから、またそれも除くと、外部の人、偶然ふらっとこのサイトを覗いて見たという人は皆無と判断していいだろう。
 当たり前か。この数字では古本屋を開いていても本が売れるわけがないと今ようやく納得した。一応、このところ中小の検索サイトには、ようやく引っかかるようにはなったのだけれど、友人知人以外、世間にはまったく無名なままだから、そもそもこんなサイトがあることを誰も知らないわけでカウンターの数字はこんなペースなのである。
 困った、困ったとぼやいてもお客が来るわけでなく、まあ地道に相互リンクをはかったり口コミや人伝てで“宣伝”したり今できることをやってしのいでいくしかない。
 古本屋である私は、売り物である古本は、目録に掲載した分は段ボール箱に分野ごとに分けて手近なところに積み上げてある。本当は書架にきちんと整理分類して、古本屋然と並べて一目瞭然の状態にできれば一番いいのだが、現在、そんな場所もなく苦肉の策だ。
 先日のこと、玄関に本が一冊置いてあった。「将棋入門」とかそんな題の入門書。おかしいな、こんな本、あったかな、と思ったが、未整理の本などを箱詰め分類している時に漏れたのだろうと考え、200円の均一本コーナーに入れようと脇によけて置いた。そんで玄関先で本の仕分けとかやっていたら、おかんが側に来て、「その本、あたしが拾っておいたの。ここんとこ、あんた、ごそごそ本を集めているみたいだったから」などと言う。さらに「ところであんた、一冊でも本売れたんかね」と追い打ちの質問をしてきた。
 一瞬、返答に窮して、「ウルサイ!」とどなりつけたいところをぐっと堪えて、「そう簡単に結果が出るもんか。商売は商い、アキナイ。飽きないで続けることが大事なんだ」等とごまかしたものの、冷や汗ものだった。自分では、こうした状態に決して理解満足しているわけでなくても一応は納得はしている。焦ってはいないつもりだった。が、他人から、尋ねられたり、特に老親から心配されたりするのがツライ。本は、売れないまま在庫はどんどん膨れ上がり、このままだとどちらにせよ、早晩行き詰まるのは間違いないことだ。人前では平静を装い、強気でいても、内心では実は不眠症気味になるほど苦慮しているのである。
 家にいてもイライラ不愉快になることが多いので、ドライブがてら川崎市高津に住んでいる大学時代の親友の家に古本の引き取りに出かけた。以前から古本屋を始めるなら
処分する予定の本を譲ってくれると話はあったのだが、忙しい人なので伸び伸びとなっていたのだ。
 そこで結構いい本、アート関係の本、流行通信などの雑誌、コミックスなど種種雑多で
4箱供出してもらった。そしてテラスで奥さん手作りのおいしい食事でビールを飲んで(私はクルマなのでノンアルコール)、10年ぶりの久闊を叙した。その彼から励まされ、「そもそも古本屋のサイトがメインなのであって、そちらをもっと充実させなくてはならない。マスダはいつも気が多いから本業をそっちのけにしてすぐに他のコーナーや読み物に取りかかってしまうから」とまさに正鵠を得た苦言を頂き「毎日、サイトを覗いて気にしているんだからもっと目録をしっかり増やして古本屋をガンバレ!」と励まされ、その熱きエールに涙が出そうになった。
 その彼の友情に報いるためにももっともっとホント頑張らねばと思った。このところ、こうして友人からの提供本も増えてきたので、ようやく当初のKちゃんから送られてきた本中心のラインナップから脱却できそうな気がする。今回提供の本は近日アップして目録に載せる予定だが、参考のために彼の本棚の一部を無断ながら載せておく。もっと寄らないと書名など読めないだろうが、他人の書棚というのはいつもなかなか興味深い。


僕もこんな大きい本棚が欲しいなぁ。ちなみにこの人の仕事は商業デザイナーです。
2003年09月14日
●本が全然売れないこと、お客が来ないこと、そして新メルマガの発行に関して。

 9月も半ばとなる。ますだあーと書店と富士見堂のサイトが開設して二ヶ月半
となった。状況は依然変わらない。カウンターの数字は日々微妙に増えては
いるものの、ようやく300人になろうかという状況で、やはり一日当たり約20人、
このペースは変わらない。でもカウンターをつけてやっぱり良かった。“現実”が
はっきり見えてきたし、本がどうして全然売れないか、今まで品数、品揃えが何
よりも原因だと考えていたし、もちろんそれも大きな要因であることは未だ間違
いないが、最大の理由は、ともかくお客が来ないことだとわかってきたからだ。
 古本屋の場合、本好きな客が通りがかりでもふらっと訪れてまず店頭を、そして
次いで店内を覗いてもらわなければ、本は売れない。富士見堂にも少なからず
日々お客は来ている。でもそれは、古本屋の客でないかもしれない。店に入らず
他のコーナーだけ見て帰る人もいるだろうし、第一、お客という以前に顔見知り
の友人・知人である可能性が高い。一日20人という数字の中にはそうした数も
含まれ、店主が店先を出たり入ったりしたってカウントされてしまうのだから、
実際のお客など果たしているのだろうか。
 古本屋としてでなく、富士見堂全体の問題として、新規のお客がほとんど来ない
ということは大いに憂慮すべき問題である。
 そのため、他のサイトとの相互リンクによる宣伝計画なども企画し、少しづつで
はあるものの、成果は上がっていると信じるが、開店三ヶ月目に向けて、ホントに
本気で対策を練らなくてはならないと考えた。
 個人的にはあまり乗り気ではなかった、ネットオークションとかに出店、出品し
ますだあーと書店の名と当サイトを知らしめることも考えているし、他の志向が
近いサイトの掲示板に書き込んで“ご挨拶”などすることも方法のひとつだと思う。
ともかくできることは何でもしてみるつもりだ。マスダの生活がかかっているとか、
商売であること以前に、このままではせっかく苦労して始めた「富士見堂」が誰に
も知られぬままでは情けないではないか。広い世界にはきっとこのサイトを見て
「お気に入り」に入れて“常連”となってくれる人がいるはずだ。残念なことに未だ
その人達に当サイトは知られていない。
 面倒な気もしているが「掲示板」も検討している。そして同時進行として、来てく
れた初めてのお客を失望させないよう、古本屋は目録の充実を、他のコーナー
は、内容の、更新のアップをマスダ自ら範を示して担当者にも求めていきたい。
 そして、当サイトを補完・サポートするために、読者に向けてメルマガを新規に
また発行することとした。古書店としては新入荷本、オススメ本などのお知らせと
各コーナー担当者の近況や、先取り情報、そしていろいろ制約があってネット上
では書けないことなども含め、いろいろお得で役に立つ?情報を載せておよそ約
月に2回程度の間隔で申し込んでくれた読者に送信したい。
詳しくは「お客様へのお知らせ」の最後の方を読んで欲しい。
 このところ、こうした「お客が来ない悩み」をあちこちで書いている。だからといって
焦ってヤキが回ったと思ってほしくない。気分的には達観している。いいことも悪い
ことも積み重ねなのだから、日々コツコツ続けていくだけだとわかっている。だが、
ある程度自らこうして現況と問題点を「公開」して自分を追いつめ、叱咤鼓舞しない
と僕は基本が山本夏彦翁のいうところの「ダメの人」であるのだから、このままおそ
らくきっと対策を取らずダラダラになってしまうような気がする。それがコワイのだ。
 今年の夏、八月は冷たい冷夏でもうこのまま秋になってしまうのかと思っていた。
でも、9月に入って突然真夏のような暑さが続いてやや夏バテ、いや秋バテ気味だ。
世の中は先のこと、何が起こるかわからない。遅れて盛り返してきた“夏”にエール
を送り、負けずにやるべきことをひとつひとつこなしていこう。
2003年09月22日
●台風、雨漏り、そしていろいろ忙しかったこと。
 前回日記をつけてからいろいろなことがあった。『富士見堂』の同人である、
でんでん氏のバンド「マーブル・シープ」の高円寺でのライブに行ってバンドの
マスコットである着ぐるみのマービー君と一緒に40半ばのオッサンは踊りまく
って突発性難聴になってしまったこと、「ますだあーと」書店を始めるきっかけ
をもたらしてくれたKちゃんの自宅にお伺いをしてお叱言をたまわり、売れそ
うな本を多数頂いたこと、それにボロ自宅取り壊し&改築計画の一貫として
エアコンの室外機の移動や、薪ストーブを今秋購入設置する友人宅用にと、
我家から出る廃材をチェーンソーでぶった切り薪に束ねたこと、そして台風…
次いで雨漏り。
 築40年になろうとしている老朽化も窮まったマスダ家では、実は、現在改築
工事が進んでいる。といっても、トンカン実際の作業はまだで、壊す部分の解
体に着手している状況なのだ。今初めてこの話を知った人に簡単に説明する
と、マスダ家は、南北に長い敷地に建っていて、家の裏側、北側に物置がある
空きスペースがあった。今回の改築計画というのは、家全体を一括して壊して
新築するのではなく、その北側の場所にまず10坪程度の二階家を建てて、そ
こが完成したらば今度は前面の母屋の荷物をそちらに移動して母屋も壊して
新築し、先に建てた部分と連結するというテマのかかる二段階方式なのだ。
 何故こんなやり方を取らざるをえないかと言えば、我が家はともかくモノが
多く、特に古本屋を始めるほど本類がボー大にあるため、すっきりと全部処分
して、あるいはどこか他所に移動させてと全面的更地にしてから新築するいう
常識的建て方ができずいわば苦肉の策なのである。さらにスペースの関係で
物置だけでなく母屋の一部北側も壊さなくてはならない。それで今年に入って
から合間をみてヒマな友人などにも手伝ってもらい、まず第一次改築部分に
当たる部分を更地にすべく少しづつ解体作業をしているのだ。でも建築士にも
依頼したし、年内には本当にようやくの感があるが実際のトンカン工事が始ま
るのは間違いない。楽しみであると同時に、大工が来ての工事開始の前に予
定地の部分は完全に更地にしなくてはならないのでマスダは忙しいのである。
 雨漏りについてであった。私が今パソコンを置いてある部屋というのは、その
第一次工事にかかる部分にはない。その部分を見下ろす二階にある。だから
現在のところ移動の心配はないのだけれど、今一番の悩みがある。雨漏りだ。
ちょっとした小雨程度では漏らないのだけど、このところ突然起こる突発性豪雨
や、長時間に渡る長雨だとまず必ずポトポトと天井から滴り落ちてくる。怖いの
は、この部屋には、パソコンと入力する古本の山が置いてあることだ。商売道具
である古本が濡れたり、ましてパソコンにかかったら破滅的事態となる。だが、
幸い、その雨漏りのする箇所は一カ所でその位置も特定できているので、雨が
降り出すと、まず本などをどかしてビニールやボロ布を広げて風呂場から洗面器
を持ってきて中にボロを入れて落下予定の場所に置く。で、雨漏りの滴をその洗
面器に受ければいいのだ。でも非常に情けない。パソコンの隣で林立する本の
山の中、ポトっポトっと雨の滴の音がしているのは“月刊漫画ガロ”的とでも呼ぶ
べきか、21世紀の貧乏マンガの世界である。むろん、何の対策も取らなかった
ワケではない。何度も二階の屋根に上がり問題の箇所のトタン屋根を剥がして
調べてみた。そして一応の防水対策も施した。ところが、雨は直接そこから漏る
のではなく屋根の内部をどこからか伝い流れてくるらしく完全に解決しないのだ。
幸い、洗面器が溢れるほどの量が滴り落ちることはないので、根本解決はでき
なくてもこうした対象療法でその時々来たら凌いでいるのである。どうせ、この
部屋も早晩、裏の家が完成したら壊すからもういいのだという気持ちもある。
 でも雨が降り出すと憂鬱になる。本来雨は嫌いではないのだが…。まず、屋
根裏でポトッポトっと音がしだす。まだ直接滴りはしない。始まったなと思う。内
部のどこかに漏れて落ちて来た音だ。それが一定の量になると流れて私の部
屋の天井までやって来るのだ。天井が――もう壁紙が度重なる雨漏りでペロン
と剥がれているが――じっとりとまず黒ずんでくる。ああっ、来るなと思う。見る
見るうちにしだいにそのシミからポトリポトリと水滴が落ち始め、雨の強さに応じ
て一定のリズムで本格的に漏り出す。
 今回は台風なので覚悟して洗面器などでなくあらかじめ庭先に転がっていた
プラスチックの漬け物樽を洗って持ってきた。でもこれが何が入っていたのか、
異臭がして頭が痛くなりそう。ホルマリンっぽい臭いがする。雨が吹き込むの
で窓も開けられず後悔した。
 以前も書いたことだが、本の箱ももう部屋に入らず、軒下に積み重ねてある。
でも雨が降ると吹きかかるのでその度に慌ててクルマの荷台に取り込んでい
る。犬を乗せて散歩に行く時や、古本の引き取りの際は、また出して、こんな
ことの繰り返し。雨の度に出したり入れたりうんざりだ。高松とかカイロとか雨
の降らない乾燥地帯で古本屋をやるわけにもいかないので抜本的解決を図ら
ねば、これが年内の最大の課題である。台風は過ぎた。でもどんより曇って、
木枯らしのような冷たい北西の風が音を立てて吹いている。天井の雨の漏った
あとのシミを見上げ何とかしなければと思う。今年も残すところ三ヶ月だ。
2003年09月29日
●影のオーナーに会いに行った話――1.
 
 本が売れた夢を見た。いや、正しくは本を実際に売っている夢を見た。
それは、戦後の闇市のような風景の中で、――といっても今の人はピン
とこないだろうし、僕自身もその記憶がある世代ではなく、あくまでも
映画とか、当時の映像や文章の中で見たイメージからだが、アメ横で、
チョコレートを10枚ぐらい重ねて千円でたたき売っている店があるでしょう、
「えい、おまけにもう一枚つけちゃう、どうだっ!」って、そんな店で僕は
なぜか古本をバナナの卸売りよろしくたたき売っている。しかもキロ単位で。
 僕は銭湯の番台のようなちょっと高くなった台の上で、無造作にヒモ
でくくった文庫の束を下からこちらを仰ぎ見ている客に差し出し、こう
大声でどなっていた。「次は文庫の束、全部で5キロ、300円だ。15、
16冊は入っているよ、しかもこいつは、ジャック・フィニイ入りだ。えいっ
どうだ! 誰かいないか? 全部で300円だ。安いぞぅ。キロ60円だ」。
 こんな感じで四辺をヒモで括られた文庫や単行本の束を台の上に載せ、
通りすがりの客に向かって声を張り上げ、古本を売っているのだ。中に
は足を止めてこっちを見てニヤニヤする人や、お互いに顔を見合わせ、
何やらこそこそ囁いている人もいるが、肝心の「よしっ、買った!」と
いう声が届かない。こんな感じで、僕は次々と古本の束を並べていく。
「お次は海外文学、10冊5キロだ。キキメはポリス・ヴィアンだ。ボリス・
ヴィアンが入って500円でどうだっ! キロ100円、一冊50円だよ。安い
もんだ。俺なら迷わず買っちゃうよ。この貧乏人め!」などと毒づいても
客はみんなニコニコこちらを見ているばかりで本はいっこうに売れない。
これはどうしたことだ。そもそも本はこうしてキロ単位で売るものではない
だろう。ともかく何かおかしい。夢の中でも疑問がわいてきている。オレは
何をやってんだ? でも、高座の林家三平のように汗をかきながら顔を
上気させ尚も声を張り上げている。そしたらどこからか男の声がかかった。
「よしっ、それ買った!」。そこで目が覚めた。
 どうしてこんなヘンな夢を見たかはわかっている。先日、クルマで、
厚木のKちゃん宅へ喚ばれて行って、古本屋に関して厳しいお叱言とご
意見などを受けたまわったからだ。以来、どうやったら古本が売れるか
片時も頭をはなれず始終そのことを考えてばかりいるのでこんな夢を見
たわけなのだ。
 Kちゃんについて説明しなくてはならないだろう。彼は、映画やテレビ
の脚本家として知られる人で、冗談で、ますだあーと書店の“影のオー
ナー”などと書いたが、そもそも僕マスダが古本屋を始めるきっかけを
作ってくれた人だ。その経緯については、書店のページの中、「ますだ
あーと書店日録〜古本屋を始めるにあたって」で書いたから繰り返さな
いが、彼が仕事で読み終えた大量の本などをマスダ宅に寄贈してくれた
ことから当店は始まったのである。断っておくが金銭的援助などの関係
は一切ないし、彼自身が僕に命じたわけでもない。結果としてその古本
の処分方法としてマスダが自ら考え古本屋を始めたわけだ。ただ、意識
の中では、本を提供してくれた手前、彼には頭が上がらず、オーナーに
対する雇われ編集長や野球の監督ではないが、負い目ではないと思うが、
一方的なすまない気持ちがあるのは否めなかった。その彼からついに自
宅へ来いとメールでお呼びがかかったのだ。
 Kちゃんとは大学時代知り合った。当時関係していた、今では他人に
は公言するのもちょっと恥ずかしい「研究サークル」の彼は後輩だった。
だから歳も下の筈だが、僕は学生の頃から彼にはやっぱり頭が上がらな
かったことを思い出す。彼は、当時から8ミリでの自主製作映画のコンテ
ストで賞を獲ったり、お笑いの台本で大賞を得たりとその才覚で有名で、
僕たち先輩からも一目置かれていた存在だった。学年も歳もいくつか
違うから一緒になって遊んだという記憶はあまりない。ただ、印象として、
あの大学には珍しい“掃きだめに鶴”と呼ぶべきほど非常に才能のある
注目に値する才人だった。
 やがて風の便りに彼は、シナリオライターとしてデビューしたことを
聞き、――映画のテロップで彼の名を見て驚いたことがある――ひょん
な偶然から招かれた彼の結婚式では、出席者の半分以上がギョーカイ人
だったのでびっくりしたことを思い出す。テレビでよく見る顔、お笑い界
の人々から「先生、先生」と呼ばれていたKちゃん。そして女優出身だ
という美しい奥さんを紹介され「いいナー」とただただ羨ましかった。
奥さんは元3人組のアイドルグループにいた人だと最近知った。余談だ
けど、その時、余興のビンゴゲームだか何かの一等の賞品で、当時は
まだ出始めで高価だった携帯CDプレイヤーをマスダが獲得して、後から
彼は、「マスダさんみたいな怪しい人にやるのはもったいない」とさんざん
こぼしていたと人伝てに聞かされた。
 それはともかく、Kちゃんはその才能を開花させ順風満帆の人生を
(当人でないのでその内実はどうか知らないが)早くから歩み、キレイ
な奥さんと結婚し、今では二児の男子に恵まれ、厚木市郊外の父祖伝
来の地に総檜造りのゴウテイを建て、超売れっ子というほどではないが、
映画やテレビドラマの脚本でちゃんとメシを喰っているエライ人なので
ある。一方マスダはというと――大学卒業後もずっとダメなままで今に
至り、そんな彼とどうして接点があるのかが大いに謎だが、Kちゃんに
は、ヘンなもの、おかしなモノに興味を持ち、集めたりするという趣味が
昔からあり、以前にもどこから手に入れたのか、舟木一夫の写真集、
それもファンの人が自らステージを撮ってアルバムに貼ったものを送っ
て来たことがあったように、根本的にヘン好きな人だから、その一点だ
けでマスダに関心が今もあるのだろうと推測している。
 そんなわけで僕、マスダは彼に対してずっと昔から負い目というか、
絶対彼にはかなわない、足元にも及ばないという「認識」を持っていた。
その上、最近になってからも彼から届く古本を一冊一冊確認して、その
読書の質と量に感嘆した。マスダのことを読書人だと誉める人もいなく
もないが、彼には完全に負けたと思った。インテリと言うと怒られるかも
しれないが、まさしくインテリ、さもなくば「知識人」だと断言する。
古本屋を始めてますます彼には頭が上がらず、いつしか“影のオーナー”
に対して畏怖の念、臆する気持ちさえ抱くようになっていた。
 古本屋開始後、彼におそるおそる報告した当初は、頑張ってくれとい
う「お墨付き」のメールが届いて安心してホッとしたものだった。でも、
今のようなこんな状態では彼に対してすまないナ、せっかくの好意に報
いることが全然できていない、きっとオーナーは怒っているかもしれない
とずっとこのところ考えていた。連絡がないのも不安だったが、連絡が
あったら怖かった。どのようなご意見、お叱言があるだろうか。その彼
からメールが届いて、「お話ししたいことがあります。古本の引き取り
を兼ねて家に来て下さい」とついに“お呼び”があったのだ。
 どうしよう。前の晩は、ほとんど一睡もできなかった。いったい何を
言われるのだろうか。僕はこの、古本屋を始めたものの本が一冊も売れ
ない情けない状況をどう弁解すればいいのだろうか。 

★喫茶店でのKちゃん氏とマスダを奮起させるため彼からプレゼント本の一部。
2003年09月30日
影のオーナーに会いに行った話――2.

 そんなわけで、厚木市のKちゃんの自宅までクルマを走らせた。平日
を指定されたが、彼は居職なので別に土日休日でなくてもかまわないの
である。時間は午後1時頃。近所の目印になる消防署の前まで来たら
電話をすることになっている。
 マスダの住む昭島からだと、厚木まで行ったこともないのでまったく
時間が読めない。一応余裕をみて午前11時前には出発した。16号線を
使って地図でいうと下にまっすぐ降りていけば厚木に出るはずだ。ところ
が何を考えていたのか、家を出てからすぐ16号に入ればいいものを、ぼ
んやり考え事をしていて、甲州街道に出てしまい、立川で気がついて慌
てて多摩川を渡り北野街道からまた八王子に戻って、ようやく16号に入
れてそこからはスムーズだったが、結局そんなで最初にもたついていた
ので、約束の消防署についたのは1時を過ぎていた。でも仕方ない。僕
のようなダメ人間としては事故も起こさず初めての地にこの程度の遅れ
で来れたのだから上出来だと自ら納得させた。近くのコンビニから電話
をかけ、彼が迎えに来るのを待った。暑い日なので60円のアイスを買い
食べながら待つ。ちょうど食べ終えた時、道の向こうから彼は来た。
 助手席に彼を載せ、彼の家まで案内してもらう。稲刈りを間近に控え
た田圃の緑と黄色い稲穂が目に瑞々しい。自然がいっぱいの素晴らしい
環境だ。彼の家の玄関ドア脇には釣り竿と網が立てかけてあった。上の
小学生の息子と近くの相模川で釣りをするのがこのところの楽しみだと
のこと。いやはやまったくうらやましい。こうしてゴウテイに通され内部
をいちいち感嘆していると『建物探訪』の渡辺篤史みたいで話が進まない
ので省略して、居間での話に場を移す。
 奥さん手作りのマカロニグラタンと山盛り一杯のサラダとパンを出して
くれた。Kちゃんと一緒に食べた。お世辞でなくとってもおいしかった。
それほど空腹ではなかったがいくらでも食べられた。そして食べながら
彼の話は始まった。
「この古本屋のサイトなんだけれど…、こうして、書評のような目録が
載っているのは面白いと思う。でも、ひとつ聞きたいのは、マスダさん
は、この本屋を本気でやる気があるのかってこと。3ヶ月やって一冊も
売れないってことは今のままでは、おそらく3年やっても大して変わら
ないと思います。こうした書評を交えて本を紹介する商売っ気抜きの
読み物のサイト、“趣味”のサイトならそれでもかまわないでしょう。それ
とも本をもっとしっかり売ってちゃんと“商売”としてやっていく気なのか、
どっちです?」
 大学では先輩に当たる僕に対して彼の言葉はあくまで丁寧で柔らかい
が、その問いかけは鋭く的を得ていて返答に窮した。さらに彼は、
「古本屋のコーナーの最初に書いてある『古本屋を始めるにあたって』
のような“宣言”なんかしちゃってちょっとマズイんじゃないか」とまず
感じたと言う。「なぜならこの宣言は、商売にする気はないと初めから
言っているようなもので、もし、本当にこの通りだと思っているのなら、
売っている本の値段は高いと思うし、第一、本を流通させるために古本
屋を始めたのに実際のところ全然売れてないのではそもそも矛盾というか、
その目的になっていないではないか」と鋭く指摘してきた。思わず、
「うぐっ」と言葉がでなかった。そして彼は、しょげ返る僕を可哀想に
思ったのか「マスダさんの本屋なのだから好きなようにやればいいのだ
けど…」と前置きの上、彼の実家は商人の家系だと明かして、「どこも
本が売れていないのは事実だけれど、僕ならもっと売り方を工夫して商
売になるようにやる」とその方法、アイディアを次々と話してくれた。
 気がつくと奥さんと一緒にいた下の男の子、二人の姿がない。そうだ
プールに連れて行くとか言っていたのだ。Kちゃんは、では、「場所を
移して」とどこか喫茶店でも行くことを提案して、開店祝いに用意して
いたという古本が詰まった段ボール箱を5箱、その箱に入らない大きな
雑誌などのつまった手提げ袋を二つ出してきて二人でクルマまで運んで
積んで、また助手席に彼が乗って駅前の豪華な喫茶店へ案内してくれた。
 喫茶店でようやく二人共通の学生時代の友人たちの話題なども出たが、
それはここでは関係ない。古本屋に関してだけ彼が語った心に残っている
部分だけをランダムに並べる。
 「ますだあーと書店の本は、もしその本を探している人がいれば売れる
かもしれないけど、そうでない人にはまったく価値のない本が多い。だか
ら、一冊ずつ書名で検索システムに引っかかるようにする工夫を考えない
と、探している人に届かない」
 「マスダさんは、目録に載せた本の数が少ないから本が売れないと
思っているみたいだが、クズみたいな本をいくら揃えても本は動かない。
『将棋入門』みたいな本は絶対に売れないし、要は数ではなく、魅力的な
売れる本を頑張って入手することだ」
 「相互リンク計画とか考えて訪問者を増やそうと考えているようだが、
それがどれほど効果があるものだろうか。結局、本を読む人、まして郵送
賃を払ってまでして本を買う人は特殊な人なわけで、そういう人相手で
ないと本は売れない。いかにその人たちを探してつかむかだ」
 「自分の(店の)扱う専門以外の本は、取っておかないで捨てないまで
もどんどんブックオフとか持っていって処分すること。でないと溜まる一
方ですぐに身動きとれなくなる」etc.
 そして彼なら実際にこうやって本を売るというアイディアを次々開陳して
くれたのだが、その自由でユニークな、マスダでは逆立ちしたって思い
浮かばない独自の発想にただただ舌を巻き、目からウロコは数限りなく
落ちていったのだが、それは企業秘密なので公開するわけにはいかない。
でも彼から伝授された「売るための工夫」は大いに参考になり刺激となった。
 彼と会って良かった。、彼は、僕の友人達の多くとは異なる、自らにも
他者にも厳しいマジメな人で、僕の友人の多くが何よりも僕がそうである
ように、自分に甘く、他者にだらしないユルイ人が多い中、特異な個性で
あり、それが正直なところ、僕が彼を臆する一因ともなっていて、今回、
会って話すまでちょっと気が重かった理由でもあった。でも忌憚のない鋭
い意見の裏に見え隠れする彼の優しさ――僕(K)に気を使わず遠慮せず
自由にやって下さい――と言いつつも、マスダの窮状を見て感じなくても
いい“責任”を感じ、少しでも本が売れるよう熱い助言をしてくれたこと、
その彼の誠実な人柄が話していてひしひしと伝わってきた。彼の友情に
感謝しよう。直接会って話せて良かった。
 夕方になった。話は尽きないが、そろそろ辞去しようと考えていたら、
Kちゃんは、「どうせ一人もんなんですからまだいいでしょう。近くに
コインビーを置いてある店があるからそこへ行きましょう」と誘う。
「クルマだから」と断ろうとすると、「コインビーだから大丈夫」とその
店に連れて行かれた。一番大きなカップに並々と注がれたコインビーに
大学時代を思い出した。生協の階段に腰を下ろし、一緒に新宿へ向かう
ロマンスカーをぼんやり眺めたことがあった。確かあの頃、コインビー
の値段は、小さいカップ25円、大きいカップが700円だったと記憶する。
その時は僕がおごってやったのだ。あれから20数年。僕とKちゃんの立場
は大きく違ってしまったが、コインビーの味と友情は変わらない。いつも
厳しい表情でめったに笑わないKちゃんも気分が良くなったのか、さっき
から何度も「マスダさんね、僕やっぱり『将棋入門』は良くない、良くない
と思うんだ」とニコニコしながら同じことを繰り返している。コインビー
のおかげで時を越え二人の心が一つになったように思えた。
 今回は彼に奢ってもらった。僕もすっかり気分が良くなった。僕は彼の
期待に応えるためにも古本屋をもう一度しっかり頑張ろうと思った。売れ
なくても仕方ない、当たり前だと腰が引けていた僕を叱咤激励してくれた。
本に感謝する以前に彼の友情にまず感謝しなくてはならない。
 帰りの16号線、ハンドルを握りながら、どうしたら本をもっと少しでも
売るか、Kちゃんの助言を何度も思い返していた。そして『将棋入門』を
何としても売ってやろうと心に固く決心した。

★Kちゃんの仕事場風景↑ 壁の一面覆い尽くす本棚のほんの一部↓
2003年10月01日
●ますだあーと書店、開店3ヶ月目の報告――
                   クズ本・ダメ本の行く末について思うこと。

              
       
 ますだあーと書店と富士見堂がネット上に立ち上がって3ヶ月目に
なった。報告するのも気が重いが、現況と今の“気分”を書かないわけ
にはいかない。
 まったくの無名の、しかもパソコン初心者の素人が古本屋を始めて3か
月程度でメシが食えるはずはない。でもネット古書店先人たちの本や
話を読んで、何となく始めれば多少でも売れて、小遣い程度の金になる
のでは、と思っていた。まったく甘かった。大誤算だった。目録の本の
数が少なく売れ線の本がないのもいけないのだろうが、そもそも一体、
お客がどれほど来ているのか知りたくて8月の終わりにカウンターを
トップページに設けた。で、現在のところ、10月1日の時点で500人を越え
たところ。これが一般的な数字なのかわからないが、ただ、一日に換算
すると20人弱、この中には僕が新ページ更新の度に実際に表示される
画面を確認して訪れた回数も含まれているのだから、その分を除くと一日
10人前後。おそらくそれは、サイト関係者とか、友人知人たちがアクセスした
分だと思うし、そう考えるとこの数字はあまりに少ないのではないだろうか。
 最近になってようやく検索システムで多少はひっかかるようになって来たが
依然「富士見堂」と「ますだあーと書店」は、世に存在はしてはいるものの、
ネットの世界では無名のままなのだ。
 古本屋に関してだと、それでも3ヶ月たてば何冊かはお客から反応がある
だろうと漠然と気楽にタカをくくっていたが、結果としてこの三ヶ月で0冊。
友人間で何冊か引き合いはあったものの、一冊も売れていないから1円にも
なっていない(僕は友人相手に商売しようとは考えていない)。
 これまでの折々の報告では、自らを叱咤激励すると共に、対外的には内面
の不安や悩みはオクビに出さず、無理してでも“平静”を装って、まあ売れない
けど大丈夫、そのうち何とかなると威勢のいいことを書いてきたが、今回こそ
正直な今の気持ちを書こう。
 「増坊日記」にも書いたが、先日、マスダがこの古本屋を始めるきっかけを
作ってくれたKちゃんという“影のオーナー”に呼ばれて彼の自宅まで会いに
行った。そしてたくさん話をして大変刺激を受けた。いろいろ考えさせられた。
行って良かったと思っているが、ただその場で、彼から言われたこと、「読み
捨てられた本を流通させたいとか、大きな志を宣言したって結局、本は一冊も
売れていない=動いていないじゃないか」――こんなキツイ言い方ではないが
――という矛盾を突いた鋭い“指摘”がそれ以来頭の中から離れずに、さらに
それまで深く考えてこなかった疑問が次々と湧いてきて混乱してしまった。
 本気で商売する気があるのか? いや、商売は抜きで捨てられ処分されようと
している本を求める人に手渡したいだけなのか?、いや、そもそもそうした本は
売るにしろたとえタダにしろ動くのだろうか? だとしたらどういう手段がある
のか? いろいろ考えあぐねているうちにもう何がなんだかわからなくなって
心臓はドキドキ常に高まりドウキを打って、呼吸も苦しく、夜もよく眠れず
(いや、実は何もしたくなく早く寝てしまう)胃ももたれて何を食べても消化
せずシクシク痛んで、些細なことにイライラして家族に当たりちらしたりで
こりゃまた心療内科にかからなくてはと考えた。これからどうやっていいのか
答えが出ない、わからないという状態。古本屋をやめようとか、サイトそのもの
を閉じてしまおうとまで深く考えないが、これまでは、コツコツ続けていけば
そのうち何とかなる(ひょうたん島のドン・ガバチョのように)――やがては世に
知られ本も売れるようになると盲信して一応、これでいいのだ、と“納得”して
気楽に構えていたのだが、急にその自信が崩れて、このままではダメなままだ、
そろそろ何とかしないとと焦り始めた。ともかく客をまず増やさないと。
 全然関係のないレディースマンガ家のホームページに相互リンクを申し込んで
断られたり、ひたすら妄動を繰り広げ、ますます袋小路に入り込んで五里霧中から
さらには闇の中を手探りで徘徊するような出口の見えない精神状態が続いた。
 基本的悩みというのは、本が全然売れない→流通させられない→商売になら
ないのか→ならないのならしょうがない→ある程度のところで見切りをつけるか
→このサイトは書評とか古本に関する趣味のページと割り切って続けていくか
→そしてまた工場とかでアルバイトを探して「本業」をきちんとみつけるか→
その場合、たまった本、これからも増えるであろう古本をどう処分するか→
こんな古本屋でも10円、もしくはタダだと宣伝すれば本はさばけるのだろうか
→いや、そもそもたまった古本を流通させる案としてネット古本屋を考えたのは
間違いだったのか→それともマスダの手元に集まった本はどのような売り方
宣伝をしても“流通”することのないただの「紙ゴミ」なのか?
 いくら考え悩んでも答えはまだ出ない。
でもひとつだけ確かなことはまだ三ヶ月、たかが三ヶ月で結論を出し、見切りを
つけることは性急すぎるということだ。僕マスダの当初のもくろみ、発想は
はなはだ甘かったことは認めよう。世は不況のまっただ中、世間はそんな甘く
ない。拾ってきた本や、他人が読み捨て処分に困った本で商売になるはずが
なかった。Kちゃんの勧めるように、今あるクズ本は思い切って本当に処分し、
売れる本を揃えて本気で商売に真剣に取り組むべきか。
 商売のコツは、売り方だ、発想とセンスと工夫、そして努力だ、と彼は教えて
くれた。彼の言うことはすべて正しいと頭ではわかっている。でも心の部分、自分
の中ですっきりと割り切って“商売”に徹することには迷いが未だある。
 甘い夢物語だと笑われようとも、手元にあるクズ本、ダメな本たちをせめて
もう一度誰かの手に渡してページを繰ってもらえるようにしてやりたいと思う。
 商売なんかならなくたっていい。持ち出しにならなければタダだっていい。
ともかく今あるダメ本たちを一冊でも流通させたいと思う。この気持ちだけは
今もまったく変わらない。夢物語だろうか。
 古本屋を始めようと思った当初、ネットの世界ではあらゆる情報が飛び交い
網羅されているから一般的古本屋で扱わないクズ本、ダメ本でも必ずどこかで
求めている人がいてその人の手元に、あるいはその存在を知りふと読んでみたい
と思った人の所へ流通するに違いないと考えていた。それは幻想か。
 あらためて考えてみる。では、僕はそのための努力や工夫を十二分にしたのか?
精いっぱい力を尽くしたのか? 否、NO!だ。
 つげ義春のマンガの中で、拾った石で商売を始めようとした男に対しその妻が
「あなたはいつだって本気じゃなかったじゃないの!」と泣きながら抗議する場面
があった。いつだって夢のようなことばかり言って…と。
 僕にはこう言ってくれる妻はいないが、自ら問いただしたい。「オマエはいつ
だって本気じゃなかったじゃないか! と。
 3ヶ月たった。ここらでもう一度、本当にもう一度、初心に戻って本気になって
真剣に古本屋に取り組みたい。おかしな話だが、商売抜きで本を売りたいと思って
いる。そして本当の結論が出て、僕自身が夢から覚めるまで古本屋は何があっても
続けていく決意を今ここで改めて宣言しよう。夢からは覚めないが目は覚めた。
 今後のことは随時またご報告していく。期待はしなくていいし、励ましの言葉も
いらない。ただ刮目して時々でいいからサイトを覗いてもらいたい。
                               【03年10月1日記】
2003年10月12日
●ともかく生きているだけでいいのだ。

※動物を飼ったことのない人、動物が嫌いな人は読まないことをお奨めする。

 死んだ猫について書かせてください。
動物好きな人、犬猫を飼っている人、飼ったことのある人と、そうでない
人では、動物を飼うという「感覚」についてまったく違っている。僕は、好き
かどうかはともかく、常に動物は犬猫問わず何匹も物心ついた時から
傍らにいて、それは家族として父母がいるのと同じく当たり前の状態で、
いないという事態は考えられない、いや理解できないものなのだが、逆に
飼ったことのない人、動物嫌いの人にとって、動物が好きとか、家族同様、
いなかったら辛くてたまらないなどという心情は全然理解外のものだろう。
 
 よく、ホームページで、自分の飼っているペットを紹介しているサイトが
ある。レトリバー種とか、柴犬とか、あるいは愛猫とかの写真が紹介され、
いかにかわいいか綿々と綴ってある。特にそうした「専門」サイトでなくても、
オマケのように管理者の飼っている愛するペットのコーナーなどを設けて
写真を公開しているのもよくみかける。それは、それでかまわない。でも、
あまり面白いとは思わない。結局それは、同好の士にしか共有できない
ものだと思うし、突き詰めると我が子の成長アルバムをネット上で公開す
るような「親バカ」につながるのと同根のものだからだ。
 僕としては、個人的に犬猫はたくさん飼って家族同然に愛しているが、
わざわざそれをコーナーを作って紹介しようなどとは考えなかった。何故
ならば、先に述べたように、分かる人にしか分からず、分からない人には
まるで無関心、関係のない共有できないことだからだ。
 そもそもどんなものでもネットで公開することというのは、不特定多数に
向けて発信することなのだから、ある程度一般的な共有しやすいことや、
誰もが興味を持てるようなこと、そして特異なことでもそこに普遍というか、
広がりを得られること、またそのどれでもなくても、それを知ったことで
知識や驚きなど多少でも“勉強”になることであるべきだと僕は考えている。
「ペット自慢」はその範疇外のもので、だからそれだけは自分はすまいと
思っていた。むろん、同好の人の「趣味」のサークル的サイトとして存在
を否定するものではないと断っておく。
 だのに、今回一度だけだと約束した上で飼っていた猫について書く。

 その猫の名は、ミルミルといった。昨年の夏、我が家で産まれた。雑種の
オス猫でつい先日、10月7日の朝、家の前を走っているJR八高線の線路で
電車に轢かれて死んだ。
 我が家ではこのところ四代、猫の家系が続いていて、初代は、5,6年前、
目も開かないくらいで段ボール箱に入れられ家の近くの線路脇に捨てられて
いた4兄弟の一匹から始まった。全部は育たなかったものの、大人に育てた
中に雌がいて、うっかりしたら子供を産んでしまった。慌ててもらい手探しに
奔走し、貰われていった子もいたけれど、やはりまた雌が残って、それがまた
子を産み、それの繰り返しで四代目となった。何故避妊手術をしないのか?
僕もそう思うが、猫は父が管理者で、餌やりも含めて彼が担当責任者という
ことに我が家ではなっていた。本来、彼の歳ならば、「孫」という最適のアイテム
が与えられるはずなのだが、僕がこんな有様で独り者だから、いきおい彼の
愛情は一気に猫に向かい、まさしく猫かわいがりに「ワシの趣味は猫」と公言し
てはばからないほど猫マニアと歳と共になって、「かわいい猫ちゃん」は一度は
子供を産ませてやりたいと願い、避妊手術の勧めになかなか応じず、結果、
産ませてから避妊手術はさせるのだけれど、子猫のもらい手を苦労して探す
はめとなるのだが、最終的にまた雌猫が一匹残り、それがまた子を産むという
「悪循環」がこのところ毎年続いていたのだ。だから年々猫の数は増え続ける。
こんな事態は恥ずかしいから他人には言えない。父の猫に対する偏愛は老耄も
入って他者の介入をゆるさなかった。その最新の子猫たちがミルミルたち兄弟、
全部で4匹だった。
 母猫はハチといい、大柄なキジ猫だった。産まれた子は、母と同じキジ、
赤虎のキジ、そして何とも形容しようのない珍しい色の猫が二匹。その色は
ごく薄い茶色なんだと思うが、まるでヤクルト色とでも言うべき乳酸菌飲料の
色が一番近かった。それが二匹。で、名をミルミルとビックルとつけた。
動物の世界では普通は雄雌生まれる割合は半々で、今回も半分は雌だと覚悟
していたら不思議なことに今回はすべてオスで、ようやく「悪循環」もこれで打ち
止めになると僕と母は喜んだが、父は淋しそうであった。
 他の兄弟は、昨秋の市の催し物会場へ父が抱いて連れて行き貰われていった。
父の懇願で兄弟の中でも一番人懐っこい性格のミルミルを我が家に残すことに
なったのである。
 昔、村上春樹が書いていたことだが、猫には、当たりの猫とはずれの猫が
あり、それは飼ってみないとわからないと。その意味でいえば、ミルミルは
近年の我が家の猫の中では珍しく大当たりだった。ともかく、誰にでも知ら
ない人どころか犬でさえ、もの怖じせず慣れっこい。ミルミル、と名前を呼べ
ば、「ニャニャッ」と返事をして長い尻尾をピンと立てて駆け寄ってくる。
抱かれるのが大好きで寒くなった晩は自ら人の膝に飛び込んできた。
 それが当たり前だと言う人は、アタリ猫に巡り会っていたわけで、我が家
の猫は普通、呼んで来ないどころか、撫でられること、抱かれることすらいや
がるそっけない猫もいて、中には餌が欲しいときだけ帰ってくる外猫になって
しまった奴すらいるというダメ猫、愚猫が続いていたのだ。
 ミルミルは、人にスリスリして撫でてナデテとせがむ。撫でるとゴロゴロ
言って身をくねらせ大喜びでコーフンしたかと思うと、無視なんぞしていると
怒って甘咬みするので結局相手をする羽目となってしまう。父は従来の雌猫
たちを担当しているので、いきおい、ミルミルが甘える相手は僕となった。
 大島弓子先生が、現在角川書店発行の書評誌『本の旅人』で、身の回りの
エッセイマンガ『グーグーだって猫である』を長期連載している。その中に
井の頭公園でホームレスの男性から譲り受けた猫で、彼女の後を追って街を
一緒に散歩する猫について描いているが、ミルミルも人間が大好きだから
呼べば人の後をついてくるので同じように散歩もできたと思う。
 僕は本来、猫よりも犬の好きな“犬派”の人間であり、父のように猫に対し
て熱い思いはなかった。それでもいつしかミルミルは担当の猫のようになり、
彼が求めれば名を呼びかけて餌を与えた。他の猫より贅沢は言わず何でも
実によく食べた。ミルミルは大人になってもやせ形の猫でいくら食べても全然
太らなかった。そして彼の最大の特色は、実によく獲物をとったことだ。
 小は、5センチにも満たない野ネズミから大は彼の体の半分以上もある若い
オナガまで、この近隣の野生動物を数限りなく、ほぼ3日に一匹以上の割合で
捕らえて家にくわえてきた。最初は、この春先、線路の土手をチョロチョロして
いるトカゲ(カナヘビ)だった。次に、もっと動きの鈍いから捕まえやすいヤモリ、
そして家にいるのかネズミの子供。虫などは捕らずにもっぱら小動物から始まり、
やがてスズメなどの小鳥、そしてさらに大きい鳥へとハンターは日々腕を磨いた。
 トカゲやヤモリなど多い日は日に何匹もくわえてきた。小鳥やネズミは食べて
しまうが、トカゲたちはじゃらして遊ぶのが面白いらしく、すぐに殺さず転がしては
動かなくなるまでコロコロやっている。特にヤモリは益獣だし、動きが鈍くポケ
モンのキャラみたいで愛らしい奴だからやめさせようと試みたがムダだった。
残酷なことだし、食べるならともかく無闇な殺生はいかんと、まだ獲物が生きて
いるときは何度も取り上げて助けてやったが懲りずに何度でも繰り返す。
このままでは我が家の周りの生態系が変わってしまう危惧すら感じた。
 普通、オス猫は獲物を捕らないと聞く。我が家の猫の歴史でも捕るのは必ず
雌だった。ミルミルはやたら人に甘えてくることといい、物腰も何かくねくねと
メスっぽく、性同一障害かも、とよく冗談で言われていた。
 彼の捕った獲物の中で今でも不思議なのはモグラとコウモリだ。モグラを
まじまじと触って見た人はまずいないだろう。食卓のお膳の下にミルミルが
捕ってきたモグラが転がっていた。死んでいる。大きさは15センチ以上もあった
と思う。持つとずっしり重く身が詰まっていて、全身短い茶色の毛が生えている。
産まれたばかりの子犬に近い感触だが、もっと固い。泥の中にいるのに全然泥
はついてなく、洗ったようにきれいだった。顔はネズミのようだが目もなく耳もない。
そしてパワーシャベルのようなデカイ掻き出すための黄色い手。よくこんな重い
ものをくわえて家の中まで持ってきたと感心した。もう死んでいたのでまた線路の
土手に埋めた。
 コウモリは最初それがコウモリだとはわからなかった。ミルミルが立ち上がって
ジャンプして何かをくわえてはしばらく遊んで放す。するとその物体はフワフワと
空中に舞い上がって、上ったところをまたくわえる。蛾か何かだと思った。イヤだ
なーと。でも後で良く見たら、真っ黒で体は子ネズミほどのコウモリだった。夕暮
れ時、電柱の周りをハタハタと飛んでいるのは知っていたが初めて手に取りマジ
マジとよく見た。思っていたよりすごく小さい。5センチもないくらい。黒い毛の固
まりといっていい小さな体に薄い透けるような膜がついていてその先端にほ乳類
らしい小さな手があった。さすがにコウモリは食べないらしく二度捕まえてきたが、
そのままほったらかしにしてあった。それにしても不思議なのは、モグラといい、
コウモリといい、地中、空中に生きる動物をどうやって捕らえるのかということだ。
推測だが、モグラは、地中から顔を出したとき(何のために?)じっと待ちかまえ
ていてパッと飛びついて捕まえるのだろう。コウモリは聞いた話だと人家の戸袋
とかに巣があって、昼間はそこで逆さになって眠っていて、夕暮れになると起き出
してそこから飛び出すそうだから、屋根の上とかでその瞬間を待って飛びつくので
はないか。いずれにしてももうその謎は永遠に解けることはない。
 ミルミルはさんざん弱い小動物を捕まえてはじゃらして殺すという「悪事」をはた
らき、飼い主はこの夏の間中心を痛めたが、それが猫の本能だし、叱ったところ
でやめるわけでなし仕方なかったと思う。
 それはともかくこうして、ミルミルは僕の中でいつしか生活の一部となっていった。
 玄関で、床に座って友人と長電話をしていると決まってピンと長い尻尾を立てて
やってきては、スリスリと体をなすりつけ執拗に甘えてはゴロゴロ喉をうるさいほど
鳴らして、お腹を出して嬉しがって転がっていたのはつい一昨日の晩のことだ。
 10月7日、朝食後、父と二人で我が家の裏手で改築の下準備のため不要なもの、
処分するものの仕分け作業をやっていた。母がやってきて、近所の、やはり猫好き
な人が、お宅の前の線路でお宅の猫が死んでいると知らせに来てくれたと言う。
母と共に表へ回った。父はちょうど家の中に入っていてその話を聞いてなかった。
 我が家の前の道路を挟んで八高線が単線で通っている。線路は道路より少し低く
掘り下げられている。その線路の中に、白っぽい物体が倒れているのが見えた。
線路と道とを仕切る金のフェンスをよじ登って土手に降り、駆け寄った。
 それはミルミルだった。まさかと思った。信じられなかった。でも死後だいぶ
時間が立ったのか、血はもう乾いて体は完全に固くなっていた。体はどこも傷が
なかったが、頭を轢かれ顔は見分けがつかない。だが、ピンクの首輪にピンと
伸びた長い尻尾、それに独特な色は間違いなくミルミルだった。言葉もないと
いうより、喉の奥が締め付けられ息ができない。でもともかく、このままにして
おけない。哀しいという感情より先に、とにかくまず埋めなくてはと考えた。
 父には見せられない。この姿を見せたらショックで寝込んでしまうかもしれない。
母に言って、スコップを取ってこさせて、線路の土手の下の方に穴を掘り、ミルミル
を運んで穴に横たえて「ミルミル、ゴメンな…」と呟きながら土をかけ埋めた。
母は上からもっとしっかり踏みしめないと、と叫んでいたがどうしてもそれは
可哀想でできなかった。そのときは大して涙は出なかった。父にどう話すべきか、
そのことで頭がいっぱいだった。それが辛かった。知らせないと逆に心配して探し
回るだろうし、話すのが夜になればきっとショックで眠れなくなるだろう。いつどう
切り出すか。
 涙は見せられない。できるだけミルミルのことは考えないよう何喰わぬ顔で父と
作業を終え、昼になった。母と三人で近くのファミレスに昼メシを食いに行った。
めったに家族で外食など我が家はしないが、どこか場所を変えないと取り乱して
しまいそうだったからだ。何を食べたのか、どんな味だったのかよく思い出せない。
食後、「悪いニュースがある。気をしっかりもって聞いてくれ」と切り出したら
父はすぐにピンと来たらしく「猫か!」と叫び「どの猫だ?」と問いただした。
ミルミルだとおしえたらあーという声にならない深いため息のあとに「やっぱり
なあ、よく線路に入ってトカゲとか取っていたから、いつも心配していたんだ」
「特にお前になついていたからなあ」と父。父は泣かないが、状況を話しているうち
に僕は涙が出て止まらなくなった。周りに客もいるので、声を出して泣けない。
あまりに急で突然の死に対しミルミルが可哀想でたまらなかった。つくづく無常を
思った。どうしてよりによってミルミルが死ななくてはならないのだ。
 一番若く一番かわいくて僕に懐いて心の通った猫だったのに。父の話だとまだ
生まれてから一年と一月しか生きていなかったのだ。母も涙を堪えている。
 帰り道、家に帰った後も口々に、ミルミルはそれでもみんなに愛され、好きな
ことをさんざんしたのだから短かったけれど幸せだったろう。ヒモに繋いでおく
わけにもいかなかったし…と話して彼を偲んで語りあった。そして父はショックで
もう今日は何もしたくないと自分のベットへ。午後、母と作業の後かたづけをして
晩飯は残りもので済ませて早く寝ることにした。
 父が早くベットに行ってしまったので、代わって他の猫たちに餌をやらなくては
ならない。足元で猫がニャーニャー鳴いているので、猫缶を開けご飯とかきまぜて
いつものように無意識に「ミルミルー」と名を呼んだ。そのとたん、ああっミルミル
はもう死んでこの世にいないのだ!と気がついた。とたんに涙がどっとあふれた。
その晩ふとんの中で考えたことを記す。
 先のことはわからない。何が起こるか誰もわからない。ミルミルがそうだった
ようにあんなに元気でさんざん甘えていた若猫が一瞬にして冷たく固い骸となって
しまう。あの時、ミルミルを埋めるとき思ったのは、ここに彼の体はあるけれど、
そこにもう魂はなく、あるのは固く冷たい抜け殻だと。そしてミルミルだけでなく
老いた父も母もいつ死んでもおかしくない。自分自身だって事故や事件でいつ
突然死するかもしれない。ともかく生きているだけでいいのだ。どんなに辛くても
大変でも死んだらオシマイ。生きていればきっと良くなる。どんな可能性だって
ある。何でもできる。実はこれまで家族間でつまらぬことでいがみ合い喧嘩を繰り
返すことが多かった。でも今は、ともかく生きているだけでいいと思えてきた。
傷つけ合う関係でなく、人と人、親と子は今生きていることに感謝し思いやり助け
合わなくてはならない。どうせ終わりある短い人生だ。辛い苦しいと思い悩むより
誰もが楽しくおかしく生きられたら…。
 ミルミルの一生は短かったけれど精一杯好きなことをして何でもたくさん食べ、
きっと満足のいくものだったと思う。僕もミルミルのように生きている間は精いっ
ぱいがんばらなくてはならない。好きなことを一生懸命にやろう。これが死んだ
猫が教えてくれたことだ。
 10月も半ばに近づき夜はぐっと冷え込んできた。まだこたつは出していない。
こんな晩は寒いと自ら膝に乗っかってきたミルミルの感触が今もありありと思い
出される。でももう彼はこの世にいない。土手の下に僕が埋めた。彼の骸は今は
冷たい土の中だ。外は雨が降っている。枕木に残った彼の血を洗い流している。
彼が生きていた痕跡がこの世から消えていくようで、その雨が哀しい。
 もし魂があってあの世があるとするならばいつかまたきっともう一度彼に会える
と信じて、ともかく何があっても終わりの日がくるまで精一杯生きていこう。

2003年10月14日
●ダメ自慢

 世に名を成し、富を得た者が、自慢するのは当然のことだが、それと
まったくの逆方向の、失敗した者、貧乏人も極端にまでいくとまた自慢
の種になるようだ。
 たとえば、金がなく、何ヶ月もフロへ入っていないとか、すごいボロ
アパートの四畳半に20年以上住み続けているとか、一月を一万円だけで
生活したとか、その類のダメ自慢である。昔はこの手の話は、名を成し
た人が、後に振り返って、若い頃の苦労話として披露するというのが常
であったが、近年、テレビのバラエティ番組などで、そうした極貧生活が
縷々紹介されるようになったせいか、過去形で語られていた筈の話が
いつの間にか現在進行形、つまり今の今の話となった。それだけ、人は
臆面なくなったと言ってしまえばそれまでだが、それが時代ということ
なのだろう。本来、とても人に話せない恥ずかしい話が、自慢になる。
これは由々しき事態の筈なのだが…。
 さて、ネット古書店・ますだあーと書店の近況を報告しよう。開店して、
3ヶ月半となった現在、状況はまったく変化ない。1冊も本が売れない
まま時間だけが正確に経過していく。店主としてこれでいいとは思わな
いし、何の努力も工夫もしなかったわけではないはずだが、何故かはわ
からないが、本の注文は全然届かない。何かこのまま、永久に1冊も本
は売れないような気がしてきた。そしてふと、だとしたらそれはそれで
すごいことではないかと思えてきた。
 流行のダメ自慢に乗っかって、「一冊も本が売れない古本屋、注文が
一軒もないネット古書店」と人前で公言するのもカッコイイような気が
してきた。問題はその全然売れない状態がいつまで続くのかということだ。
無論、どこにも誰にも宣伝せず、一切何もしないでミミズのように石の
下でじっと隠れていれば、その“記録”は続くだろう。でもそれは当然
で、それでは自慢にならない。やはり、カッコ良くダメ自慢をするには、
うんと努力して、ガンガン宣伝はするは、本の数も増やしていい本を
たくさん揃えるとか、やるべきことを次々とやって、それでもなお売れ
ないという“実績”を作る必要がある。来てくれたお客が、目録を見て、
「こんなにいい本がたくさんあるのに、どうして一冊も売れないのだろ
う?」と首を傾げるような店にしなくてはならないのだ。
 世の中では、勝ち組、負け組という言葉が流行っている。人は皆、負け
組とならぬよう日々、勝ち組を目指して努力しているらしい。実にイヤな
言葉だ。だが、“ダメ自慢”は、そうした一方的、価値の絶対性に対して、
価値の相対性、いや時に逆進性的価値を発揮すると言ったら評価のし過ぎ
か。まあともかく言いたいことは、ダメにはダメの価値なり評価がある、
ということだ。もちろん理由もあることは忘れてはならないことだが。
 敬愛する故・青木雄二のように資本主義の欺瞞を暴き、徹底的に批判し、
否定しつつも、この資本主義の世の中で成功し、金持ちとなってベンツを
乗り回すという生き方もあるだろう。だが、僕はダメ人間を標榜し、実際、
ダメ人間を実践しているのだから、ダメでいいのだ。いや、ダメに甘んじる
わけではない。ダメでないよう精一杯頑張るつもりであるが、結果として
ダメであってもそれでいいのだ。と、最近ようやく思えてきた。
 だからいったいいつまでこの状態が続くのか、しだいに楽しみになって
きた。というのはウソで、ウソに決まっているだろうが!と叫んでも意味
なく、ともかく、それはそれで仕方ないことだし、自分は自分のペースで、
できることをやっていく。お客は客のペースやニーズや都合があって、その
二つがうまく合えば、ちょうど火星と月が接近した日のように、商売がそこ
から始まると割り切ってこれからも変わらず古本屋は続けていきます。
 というわけですのでこのサイトを訪れてくれた方は、ぜひとももくれぐれも
古本は一冊でも買わないで(ウソ)、僕マスダというダメ人間の後半生の
記録、ダメ古本屋奮闘記を現在進行形で、興味半分でかまいませんので
見続けてやってください。たまに訪れてくれるのでかまいません。お願いします。
何があっても古本屋は絶対にやめません。そして、どうして本が売れないか、
どうしたら本が売れるか、これからも考えに考えていろいろ手を変え、品を
替え生きている限りがんばります。これからもよろしくお願いします!
                          
2003年10月17日
●カウンタのこと、掲示板のこと、業務連絡的なこと。

 今から思うと、この半月から一月、自分は尋常ではなかつた。ホーム
ページが開設して三ヶ月が経過し、当初考えていたように、アクセス数も、
古本屋の方も全然期待通りにならないことを知り、とまどい、悩み、苛立ち
焦燥の日々を送っていたと気がつく。そうした平静でない心の状態は今は
去ったようで、現在の僕は、諦念というか、諦観というか、秋のカチンと
澄み切った空を見上げて、、来るべき冬を前に心静かに佇んでいる、そんな
どこかちょっと寂しさもあるようなしんと落ち着いた気持ちになっている。
 状況は少しも変わっていないが、もう焦るも何も思わなくなった。
 先日、友人からのメールで、僕が最近はアクセス数が全然伸びないこと
をこぼしたことに関し、「ますだあーと書店にアクセスする時は、トップ
ページから入らずに、直接、古本屋に入るようにしているので、他にも
そうしている人もいるだろうから気にすることはないよ」と指摘を受けた
こともある。まあ、そうした人たちもいるだろうし、それぞれ各コーナーだけ
訪れるお客もいるわけで、単純にトップのアクセス数を記にする必要は
ないわけだが、いずれにせよ、訪問客が極端に少ないサイトである、と
いう事実は厳然と変わっていない。
 そうした事態はさておき、今はまた前と同じく泰然とした気持ちに戻った
が、決してこのサイトに対して失望しイヤになったり、古本屋に見切りを
つけたというわけではない。気持ちは落ち着いているが、前とは断然違う。
かつては何の保証もないのにサイトをはじめれば何とかなるだろうと漠然と
気楽に構えていただけだったが、現在は、やる気マンマンとは言えないが、
こんな事態に何くそ負けるものか、ともかく少しづつでも自分のできることを
今はコツコツ続けていくことだ、結果も含めすべてのことはそれからだ、と
いう開き直った気持ちになっている。
 実は、僕は「富士見堂通信」という古本屋も含めて全コーナーの関係者、
読者のためのメルマガも出していて、だいたい月に二回の間隔で登録して
くれた読者、関係者の人たちに送信している。今月はワケあって、一回分
お休みとさせてもらったので、業務連絡的な事柄も含めて、今後の予定や
計画に関してこの場を借りて書くことにする。
 古本屋に関しては、日々少しづつだが、目録に本の数をアップさせている。
だが、例によって一冊づつ“解説”に時間がどうしてもかかるので爆発的な
スピードでというわけにはいかない。それよりも、今は新しく設ける棚用の
本の整理・分類をせっせとしている。本はたまらないと力にならないとは、
影のオーナーからのご忠告だが、まったくその通りだと思う。2,3冊では
まったくどうしようもない。
 新コーナーとしては、まず、雑誌の棚を設ける。本当は雑誌名ごとでまた
さらに細分して分類棚を設けられればいいのだけれど、まだ種類も冊数も
少ないので、とりあえずランダムに並べていくことにする。今整理しているのは、
スタジオ・ヴォイス、流行通信、アミューズ、花椿などだ。「花椿」など薄いものは
年度ごとで括ってセット売りとしたい。
 その他、展覧会の図版、目録などもある程度たまっているので、棚に並べ
そんな安い値はつけられるかわからないが、近日公開できると思う。S・ダリを
はじめ、象徴派などシュールリアリスト系が多い。それと、以前メルマガ読者
から要望があった「掲示板」をサイトに設けるか迷っているのでご意見を皆さん
からぜひとも仰ぎたい。
 友人、知人のサイトを見るとたいてい「掲示板」がある。なかなか活発に
管理者、運営者を交え訪問者とのやりとりが面白く読ませるところもあれば
ほとんど誰からも書き込みがなく、たまに常連客が来ては、管理人と愚にも
つかない友人間のウチワ話題で盛り上がり、個人メールの公開って観を呈し
ているところもある。「掲示板」があれば確かに便利だし、いろいろ活発な
自由な話題で盛り上がって面白そうだが、今の富士見堂のアクセス数で果た
してどうなんだろうか。楽しみに毎日お客を待っていても誰も来ずごく希に
特定の仲間内のメンツが書き込むだけなら無意味ではないか。どうなんだろう。
設けるとアクセス数が増えたり、サイトにとってイイ方向に流れができると
いうものでしょうか。「掲示板」を持っているサイトの方からぜひとも忌憚のない
ご意見を伺いたい。今のような日に10人程度しかアクセス数のない、客の来ない
サイトの場合、掲示板を設けても何日も何日も泣いた赤鬼のような気持ちで
書き込んでくれるお客を待ち続けなくてはならないのだとしたら「掲示板」など
を設けない方が気が楽だし、一時はカウンターすら気になって精神衛生上、
心身に良くないので取っ払うことも考えた自分としては、始終チェックして
管理するテマも含めて設けない方が負担にならないような気もするが…。
 メルマガを出していることをサイトでお知らせして募集をかけたけれども
例によって一件も読者の応募はない。本当にこの富士見堂は、そもそもネット
上に公開されているのか、その基本的設定すら時に疑ってしまうぐらいの微少
サイトとしては、一体誰が見てくれるのか、元より実は誰も見ていないのでは
ないかと思いつつも、今僕は、いつかは有名にさせて、お客も日に100人単位で
来てくれるような人気サイトになることを夢見て、地道に古本屋は古本屋として
できることを日々コツコツとやっていくだけだ。
 僕が売りたい本、面白いと考える本を揃えて、一冊でも多く目録に並べて
いく。そして地道に宣伝をしていく。ネットオークションとかに出店、出品なども
考えているが、もう少し品揃えが自分で満足できる量、質となるまで堪えて
魅力ある古本屋になるべく、その個性を確立するまで待つことも今は大事だ
と考えている。僕はノロマでグズで基本モードがダメの人だから、なかなか
スムーズにスマートに形にできないけれど、いつの日かはきっと、来てくれた
お客が面白いと思ってくれるかはともかくも「この店はこんな店なんだ。これが
店主の趣味なのか」と納得してもらえるような店にしてみせる。その自信は
今はまだないけれど、コツコツと続けて「形」にしていくつもりだ。だからもう
焦らない。  
 亀は甲羅に似せて穴を掘るとの喩えのごとく、自分にあったことしかできない。
高望みをしても無理が出るし、人は自分の性(生)を生きるだけだ。このところ
アクセス数が減ったことや、以前はメルマガを出す度にメールで感想などを寄せて
お便りをくれていた人たちからも全く連絡が途絶えてしまった。そのことで少し
気に病んでいた。たぶんきっと、他のコーナーはともかく、古本屋自体、ちっとも
大して代わり映えしないからあきれ果てて愛想が尽きたのでは、と考えもした。
でもそうだとしても仕方ない。これが僕のペースなのだから、期待されたとしても
一気にはできない。失望させすまなくも思うが呆れられても仕方ない。でもそうして
去っていった人でもたまにまた戻って来てくれた時、ちょっとびっくりするように、
雨だれ石を穿つようにゆっくりとだが、確実に古本屋の「形」を築いていくつもりだ。
 もう僕は、姿の見えないお客様や、メルマガの読者には何も期待しない。何も
望まない。何も思わない。ただ、僕自身――自分の中にいる一人の“客”のために、
そいつが満足するような古本屋にしていくことだけを一番考えている。《10月17日付》
2003年10月31日
●友がみなわれよりえらく見ゆる日よ―― 開店4ヶ月目を迎えて思う、
 とりとめのないこと。

 「友がみなわれよりえらく見ゆる日」とは、晩年の啄木の歌だが、昨夜
遅くテレビをつけたら、大学時代の友人H君が出ていて、それを見て、ふと
口からついて出て来た言葉だ。特殊メイクアーチストとして、ガメラなど
のSFX造形作家として“トップランナー”のH君とは一時期親しく交際して
いたことがある。もう、この日記であまり書くこともないので、今回は彼との
思い出などを書こうと思う。が、一応、「ますだあーと書店」及び「富士見堂
商店」のサイトが開設してちょうど4ヶ月目となるし、これまでも月の節目
ごとに状況報告などをしてきたので、簡単に今の状況、心境などだけは
記しておこう。誰も読まないとしても自分の記録としてもだ。
 状況は何の変化もない。トップページのカウンターアクセス数は、増える
どころか、低下している。気持ちとしてはもう苛立ち焦る気はなく、安穏、
諦観といったところで落ち着いていると先に書いた。サイト上では、この
ところ目立った変化はないのでもうマスダはやる気を失したと思われる人も
いるかもしれない。
 この一ヶ月、時間のあるときは倉庫で雑誌類とかを整理分類していた。
まだまだボーダイすぎて全量がつかめてこないが、少しは方向が見えてきた
ように思える。そして、改めて思ったのは、量はあっても高く売れるような
ものは少ないなあ、ということは、目録に並べてもなかなか売れないだろう
ということだった。一冊だとせいぜい100円から200円程度の値しかつけられ
ないマンガ雑誌など、一つづつカゴのあるフォームに載せていたら容量が
パンクしてしまう。だからもっとコンパクトで簡略化された、別の棚というか、
雑誌の種類ごとにコーナーを作ってそこにまとめて並べていかないと全体が
公開できない。
 先に目録に載せようと思った、友人から譲ってもらった、一部では高く取り
引きされている資生堂のPR誌「花椿」などは、80年代から90年代初頭の分量
は多いものの、ある号は重複していたりする反面、欠落も多く、年度ごとに
まとめてセット売りできるほど揃ってはいないことがわかった。今、自分が
持っていた分も探し出して揃え直しているところだ。マスダの個人蔵の70年代
〜80年代前半の少年少女マンガ雑誌なども量は多いが程度もあまり良くなく
号もそろっていないし、どう考えても値段は高くつけられない。
 マンガ雑誌などというものは、先日、神田でリサーチしてきた限りでは、
つげ義春などの“名作”が載っている頃の70年代のガロでさえ(マスダも持っ
ていたが)800円程度の値段で売られていたし、70年代前半の少年週刊誌(いわ
ゆる巻頭に特集読み物、グラフなどがついてるやつ)でようやく何とか1500円
ぐらいで売られている“安物”なのである。だからこうした“クズ”類は、カゴ付き
の欄などに一冊づつ載せないで、まとめて“倉庫”において興味のある人は
覗けるようにしようと考えた。そこで今、そうした倉庫での分類作業をヒマを
作ってはチマチマやっているというわけだ。意外に面倒で時間がかかることだ
が11月中には公開できると思う。
 状況は、そんなで、何度も書いてきたことだが、決してやる気をなくしたわけ
でも落ち込んでいるわけでもない。やる気マンマンではないものの蟹が自らの
甲羅に似せた穴を掘るごとく自分のできることを自分のペースでやっていこうと
考えている。ただ、本心を言えば、思っていた通りに物事が進まないこと、特に
本が全然動かないのがツライ。もう“商売”のことはとりあえず考えていない。
古本屋で金を得るとかは、結果であって自分にとって目的ではない。商売として
生活の糧とするよりも一番望むことは、友人から批判もされたが、あくまで開店
当初、「古本屋を始めるにあたって」に書いたように、縁あって手元に集まって
きた本や雑誌を流通させたいという“思い”がかなうことだけだ。夢物語なのかも
しれないが、やはりその原点だけは譲れない。だが、ツライのはそう言いつつも
全然本が売れない――いや、ともかく本の引き合いがないので理念を果たすことが
できないことだ。本は増える一方で全然流通しない。もっと値段を下げることも
検討しているが、限りなくタダに近づけたとしても結局、郵送料は客に払って
もらうことになるので果たして“タダ”でも動くのか疑問に思う。
 もっとこのサイトを世に知らしめる必要があると日々痛感する。そのために
いったいどうしたらいいのか。今はともかく、コツコツ在庫を入力して目録を
充実させ数少ない来てくれたお客が面白いと思ってくれてまた再度訪れてくれる
ような店とサイトにしていくことだけだ。
 自分が今できることをやっていくこと。もっともっと古本屋だけに専念したいの
だが、いろいろ個人的にやらねばならぬ雑事、つまり日々の生活が圧迫してきて
なかなか思うようにパソコンに向かう時間がとれないのが悩みの種だ。啄木の歌は、
こう結ばれている。

 友がみなわれよりえらく見ゆる日よ
 花を買い来て
 妻としたしむ

 啄木には妻も子もいたが、僕には妻子はなくても老いた両親と老いた犬猫など
家族がいて。炊事、洗濯など家の雑事と彼らの世話だけで一日があっという間に
過ぎて夜となってしまう。その上にボロ家の解体の期日が迫っていて、11月中に
改築する部分を更地にしなくてはならぬため、ヒマを作っては、バールとハンマー
でガンガン作業を進めなくてはならず疲れも溜まって目が回りそうだ。解体業者に
頼めばあっという間だろうが、自分でやれることに一円でも金を使いたくないし、
今は勤めに行かず時間はあるからと自ら公言した手前、責任もある。面倒なこと
ばかり山積みで、すべてにわたってなかなか思い通りにいかないが、やらなくては
ならないことをやっていくのが人生なのだし、少しでも出来ることからやっていくしか
ない。

 H君のことを書く前に紙面が尽きた。続きは明日書くことにしよう。



★マスダ家解体作業進行中。
2003年11月16日
●友がみなわれよりえらく見ゆる日よ――続き。
                 
 と、というわけで、続きは明日書こう、などと云いながらうっかりしていたら半月も
経ってしまった。その間、ますだあーと書店にとって画期的な出来事が起こって、
早くそのことを報告したいのだが、一応、日記なので時間の経過というものがある
ので、途中前後するわけにもいかず、まず“前回”からのことから書かなくてはなら
ないのだ。面倒だが。
 
 あまり深く考えずに、今や業界のトップランナーとしてテレビに取り上げられた、
大学時代の友人H君のことを書き始めたが、考えてみるとプライバシーの問題も
ある。勝手に彼の知らないところでことわりも無しに彼について書くのはいかがな
ものだろうか。でも、この場で約束もしたことだし、事後承諾となってしまうだろうが、
ともかく僕の記憶をたどって、“あの頃”について自分の備忘録としての意味もこめ
て簡単にまとめておく。
 
 それは今から20年以上も前のこと。僕たちがまだ子供の時間を共有していた時
代――自分で稼ぐお金の心配や、仕事での人間関係などに頭を悩ます必要のな
かった、大人社会の勝利と敗北の競争に臨む前――学生になりたての頃の話だ。
 僕は大学にきちんと行くようになる前、高校の後輩たちとミニコミを出したり、ちょ
っとガロ系漫画家の手伝いなどもしていたのだけれど、思い立って、一応大学に
入学できていたので、活動の場を、その大学、東京都と神奈川県の境にあるW
大学に移すことにした。
 そして、何をとち狂ったのか、今ではちょっと他人に公言できないある恥ずかしい
研究サークルにうっかり入ってしまった。H君とはそこの新入生歓迎コンパ、いわ
ゆる“新歓コンパ”で会った。僕が大学2年の春のことだ。
 怪獣マニアの美少年が今年入部した、とそのサークルの女史先輩方が騒いで
いたのは知っていたが、直接話したり詳しく知ったのはその時だったと思う。はに
かみながら話す白皙の美少年とは確かに彼のことで、慣れない酒を飲まされ結局
酔いつぶれてしまった彼を介抱することとなった。空き教室の机に寝かされ、意識
を失っても腹の上で両の手で、今で云うフィギュア、つまり怪獣の人形をしっかり
握りしめていたH君には、はなはだ感心した記憶がある。今日の彼にふさわしい
エピソードと言えるだろう。
 その彼は、やがてそのサークルから別の、サークル同士親交が深かった映画
研究会、略して映研へと所属を移し、映画の小道具など作ったりもして仲間の自
主制作映画に参加協力していたが、同時にメーキャップの学校に通うようになり、
やがて大学には顔を出さないようになった。彼がいつからどのようにして業界に
入り、プロとなったのか、記憶は定かでないし詳しくは知らない。ただ、彼とより親
しくなったのには、大学よりも彼が僕の家の近くに越して来たことが大きいはずだ。
 今はどうだか知らないが、僕の隣町・福生には、米軍用の住宅、通称、“ハウス”
がまだかなり点在していて、そのひとつを彼は映研の友人と一緒に借りて“工房”
兼住居としたのだ。僕の家から、歩いてだと一時間以上かかるが、自転車だと15
分〜20分ぐらいでそのハウスまで行けた。やがて近くのハウスに、さらに映研の
後輩もやはり仲間二人で住むようになり、今思うと彼らにとって実は迷惑だったは
ずだが、頻繁に足を運ぶこととなった。カレーやシチューを作ったり、基地のカーニ
バルやクリスマス、正月には大学の友人知人達がそのハウスに集い、今でもその
頃の楽しかった日々をふとしたきっかけでたまによく思い出すことがある。
 彼も当時はヒマだったのだろう。突然ぶらっと訪ねていってもいつも愛想良く応対
してくれ、映画のことや、その他たわいもないことで夜通し語り明かしたこともよく
あった。
 超有名漫画家の子息でビジュアリストがテレビ東京のバラエティ番組の中で流し
ていた8ミリ短編映画のためにH君はほとんど無償で徹夜して着ぐるみの「ゴジラ」
を作ったこともあった。その時の記念写真もあるが、ビジュアリストがひどく嫌がって
いたのでプライバシーの関係で世に公開することはできないのが残念だ。
 彼はそのハウスで、技能を高め、新技術を考案し(僕は行くたびにそのことに驚き、
感心した)当時はまだ日本映画界では少なかった、特殊メイクの第一人者として着々
と今日へのキャリアを築いて行ったのだ。
 H君がいつまで福生にいたのか思い出せないが、結局は同居していた学生が卒
業でそのハウスを出ることも一因だったはずだ。彼は、その後もその工房で、助手
だか見習いと共に福生にいたような気もするが、僕はもうほとんどその頃には行か
なくなってしまった。それは、彼の仕事が多忙になったことよりも、僕たちの学生時
代、子供の時間が終わりを告げたことが大きいと思う。その後彼は福生を去り、渋
谷に工房を移し、今はどこにいるのか、映研時代の友人達は知っているはずだが、
僕はもう10年以上会ったことも電話もない。彼の名はたまに行く映画館のスクリーン
で見るだけとなってしまった。
 でもこんなことを書くと彼は怒るかもしれない。彼はいつだって真剣だったし、いち
早く学生気分を抜けだし、プロとして、職人として、自分の好きなことを極めるべく夢
中でその頃の日々送っていただけで、遊んでいたことなどないと言うだろう。僕たち
は、いや、僕は彼の優しさと誠実さにあの頃はただ甘えてずっと寄りかかっていた
のだ。
 久しぶりに彼の姿をテレビで見る。素足に雪駄、黒ずくめのスタイル、あの頃の
ままだ。顔かたちもちっともあの頃と変わっていない。彼が登場したら男女の司会
者が顔を見合わせ「カッコいいですね〜」と言ったけれど、ホント彼はカッコ良かった。
テレビを見る前は僕自身が緊張していた。彼は変わっているだろうか。偉くなったし
なあ、という不安。でも、見ているうち、彼の姿を見て声を聞いているうちに、懐かし
いあの頃の頃が蘇って何とも言えず幸せな気分、安心というか、穏やかな気持ちに
なっていった。
 彼はあの頃とちっとも変わっていない。ずっとひとつのこと、自分の決めた好きな
道を地道に歩んできた。そして今やトップランナーとしてスタジオで脚光を浴びている。
 僕はこの歳月何をしていたのだろうか? 徒に無為に過ごしては来ていないはず
だが、いつまでも自分の道が決まらずあちこちウロウロ寄り道ばかりしていた。今、
ようやく少しだけれど、進むべき道がかすかに見え、遠くへ行ってしまった彼に追い
ついていけそうな気がしている。
 友がみなわれより偉く見ゆる日。いつの日にか今度H君と会う日が来た時、僕は
胸を張って彼に「今はネットで古本屋をやっているんだ」と言えるように、もっともっと
頑張らねば、とテレビを見ながらウンウンと拳を握りしめていた。

               
★福生のハウス前にて、左より三留まゆみ、一人おいてH君、『さくや』脚本家、俣北氏。
2003年11月17日
●今の人は、もはや本など読まないのだ――と考えたこと。

 先日の日曜日、市主催の産業祭の中でのフリマに出店し、衣類やスニーカーなどと
一緒に古本を並べた。売り上げは、そこそこどころか、僕にとっては予想外の額が
あったものの――それは、会場が屋内でかなりの人出があったことと運良く場所も
角で二方向に商品を並べられたから――、持っていった物の中で一番売れなかった
ものは、書籍類、漫画やビジネス書などの“本”だった。
 代々木などでのフリマと違い、市の主催だからバザーみたいなもので、ユニークな物、
価値のある高く値の付くものなど持っていっても買う人はいないし、基本的に日用品、
生活必需品しか、それもうんと安くしないと売れないのはわかっているから、本も自分
の店のクズ本の中でも目録に並べられないホントのクズ、つまり括って紙ゴミの日に
捨てようと思っていた本だけを持っていった。コンビニで並んでいる簡易製本の復刻
マンガとキヨスクでよく売られている日本の推理文庫、そしてサラリーマン、中小企業
向けのビジネス指南書、実用書だ。
 むろん、そんな本が高く売れるなんて思わないから、最初はそこそこの値をつけ、
最後は持って帰るくらいならタダ同然の値で処分しようと思っていた。その結果は――
完敗。そして考えた。今の人はもはや本など読みやしない。今の人は生きていくのに
本などもはや必要ではないのだ、と。
 フリマで本を並べたのは久しぶりのことだった。なぜなら代々木とかの会場だと、持っ
て行くのも重いし、持って行ったって、二束三文でしか売れないのはわかっていたから、
だったらもっと軽くて付加価値がついて高く売れるそこの客層にあったブランド品とかの
方がいい。今回は地元でクルマが使えて、出店料も安かったし、ともかくついでに並べ
てみて、本を捨てる=殺す前に、せめてもう一度出番を、最後に人の手に渡るチャンス
を作ってやろうと思ったからだ。
 他に持っていったのは、やはり他でのフリマで売れ残ったスニーカー類などの残り物。
たまって時間もたち、さらに薄汚くなってきたので思い切って一足100円にしたら、これ
は当然さばけた。衣類も交渉が面倒だから、最初から細かい値段をつけず、100円の
と他の均一価格とに分けて、色札をつけてわかりやすくした。それに古家からまた出て
きた、葬式、結婚式などのお返しや引き出物などの絶対に使わない食器などのセトモノ
類。捨てるつもりでみんなバカ安くたたき売った。
 そして古本類。ネット上で全然売れない古本屋の、さらに残ったクズ本だから人は買
うわけがないのは当然だって? そうではない。そもそも客は集まっても本のコーナー
は一瞥もしないのだ。あまりに反応がないものだから、最後はマンガでも文庫でも何で
も一冊10円にしまーす!と声を嗄らして行き交う客に声をかけた。でも全然一顧だに
しない。僕なら一冊10円と聴いたら絶対足を止めてともかくちょっと覗いてみるのに…。
ゴルフをしない人にクラブの宣伝をいくらしても全然反応がないだろう。釣りをしない人に
良い釣り竿の説明を言を尽くしてもムダなことだ。まったくそんな感じ。
 それでようやく気がついた。これではインターネットにしろ本など売れるはずがない。
今の人にはもはや本など必要ない、関係ないものだとようやく理解した。趣味のひとつ
だとするのならば、まだ釣りやゴルフの方が関心のある人は本より多いかもしれない。
 僕のように本や雑誌を含めて、活字がないと一日でも生きていけないような“もだえ
苦しむ活字中毒者”からはまったく理解できないことだが、いつのまにか、人は本など
読まなくても平気どころか当然な生き物になってしまっていたのだ。フリマをやって現実
に行き交う人々の反応を見て、そうか、そういうことだったのか! とようやく理解した。
 ネットで古本屋をやっていることは、広いネット世界で釣りをしているようなものだ。
いや、地引き網や投げ網を打っているというのに近いかもしれない。そこに果たして客、
つまり魚がいるのか全然見えやしないのだ。ともかく僕はこの何ヶ月かずっと網を打っ
て来た。まるっきり魚は入らない。その理由をいろいろ考えてきた。フリマをやって、現
実の人の反応を見てわかった。これじゃあ、いくら網を打っても魚がかかるはずがない。
そもそもその海に魚などいなかったのだ。
 その日は、残った本を箱に詰めながらそう考えた。結局、最後に、数冊買ってくれた
若い男に、袋を渡して入るだけ詰め放題で持っていってもらったのだけれど、それでも
かなり残ってしまった。その時はそう考えた。でも今はちょっと違う。僕が網を打っていた
ところには、魚がいなかったけれど、この広いネットという海のどこかにはきっと魚がいる
はずだと考え直した。というのは、どれだけのネット古書店が実際、古本だけで生活が
できているのか知らないが、ネットでの古本屋はたくさんあって、増える一方だと言うし、
この広い“海”にまったく魚が棲んでいないとは思えない。僕は素人で漁のやり方がへ
たくそだから全然魚が入らないのではないのか。きっと何かコツがあるはずだ。撒き餌
とか仕掛けに工夫があるのかもしれないし、じっと同じ場所にいるのではなくあちこち
他のポイントを覗いて研究してみなくては。
 先日偶然見たある風景が僕の心をとらえた。それは、地下鉄などの遺失物の引き取
り手がなかったガラクタ類を販売している“店”が駅の構内に出ていて、その中に古本
もあった。中年のサラリーマンが背をかがめ一心にその並んだ文庫本の背を見ていた。
そうした本などは、遺失物というより、読み捨てられたものが大半だから、まず掘り出し
ものなどあるはずがない。僕自身それがわかっているし、今回もちらっと見たけれど、
見る価値さえもないような本しかなく、しかも結構イイ値段がついていた。ところが、その
男、活字中毒者と見え、本に捕らえられその場を離れられないのだ。その熱心な本好
きの姿を見ているうちに、こんな人もまだいるのだ、ということは、この人がネット海に
棲んでいるかはわからないけれど、決して魚は死に絶えたわけではない、と意を強くし
直した。
 そして自分自身もそうであるのなら、あの日、産業祭に来た人たちは、違う海に生き
ていただけで、僕たちが棲む海には決して数多くはないだろうけれどやはり同じような
魚がきっと生きているはずだと確信することができた。
 ガリラヤの海辺で、網を打っていたペテロとアンドレの兄弟に、ナザレから来た男はこう
言った。『我に従ひきたれ、然らば汝らを人を漁る者となさん』と。僕にはまだその人は
現れないけれど、こうして漁を続けていけば、いつの日にかきっと、僕と同じような魚に
必ず出会えるはずだと信じている。
2003年11月19日
●ついにお客様から注文がありました!

 先日の日曜日のフリマで疲れてちょっと体調を崩して、翌日の月曜日午前に一回、メールの確認はしたものの、まるまる二日間、パソコンに向かわず、寝てばかりいて木曜日
の昼頃、出かける用事もある日だったので、間際にパソコンを起動させてメールを開けてみた。
 そしたらメールが21通も溜まっていて、自分としては新記録だと半ば呆れ、とりあえず
ざっと流してチェックしてみた。その多くは、いつものように「まぐまぐ」などやプロバイダ
からのお知らせや、商業メルマガだったけれど、その中に、Order Mail という件名で、
僕の使っているホームページ作成ソフト「ホームページ・ニンジャ」から送られてきたメー
ルが二通あった。
目を疑った。パソコンを起動させ、メールの件数を確認する時、その数が多ければ、いつ
も淡い期待をして、内容を確認するのが常だったが、今まで一通も注文はなく、その期待は常にしぼむのが毎回のことだった。でも、なぜかこの日は違った。21件という数字を
見た時からかすかに手がふるえ、何か予感がしていたと今では思える。その期待は常に
裏切られるのがいつものことで、注文など来ないのが半ば当然のことと思いこんでいた
から何日もメールを確認しないでも平気でいたのだ。この日まで。
 それは、静岡県からの主婦の方からと千葉県郡部の男性からだった。どちらも店頭の
一冊200円の均一本の注文で、ますだあーと書店のサイト画面のカゴを利用すると、「ニンジャ」のサービス・コムを通して、オーダー・メールとして知らせてくるのだ。全く知らない、
地方の人からの注文! 日時を見ると、月曜日の夜と火曜日の夕方に届いていた。しま
った!もっと早くメール確認して、返事をしなくてはならなかった。慌てて、「送信者に返信」機能で、相手に「返事遅れてすみません。その本、在庫あります」などと書いて送って、時間も迫っていたので家を飛び出した。出かけの電車の中で思い返した。先ほどの驚きは
喜びに代わり、こみ上げて来る笑みを抑えることができなかった。ついに注文が届いた!
 実は、このところさすがに、何としても年内にせめて一冊でもいいから売れないものか、
そしてそれをこの日記で発表できないものかと思い悩んでいた。検索サイトに上位で載る
ノウハウを説明した本とか立ち読みしたりどうしたものか対策に頭を痛めていた。その
矢先だった。まさかこんなに早く、いや全然早くはないんだけれど、本当に注文が届くとは
思ってもいなかった。あまりの窮状を見かねた友人の誰かが、地方の知人の名を使って
注文してくれたのでは? とさえ勘ぐったりもした。でもともかくウレシイ。たとえ200円の本
一冊でも天にも昇る気持ちだった。早速、この日会った友人に報告して共に祝杯を挙げた。そしてここからだ。今日が古本屋として本当の出発の日なのだとこぶしを握りしめた。
 その夜、家に帰って落ち着いて、そのお客様のメールをよく確認してみた。そしたらぞっ
とした。血の気が引いた。というのは、お客様の注文は、二人の方ではなく、実は三名で、
しかもあろうことか二番目の人と、三番目の人の注文の本が同じだったのだ。青くなった
というのは、その人達二人に受注の返事を出してしまったと思ったからだ。本は一冊しか
手元にないのに…。出かけに見たとき、同じ本だったのでまったく気がつかなかったのだ。
 でも冷静に考えたら、返事は一番目の方と二番目の方にしか出していない。そしてさら
によく調べたら、実はその返信メールも各お客様に届いていないことがわかった。「送信
者に返信」では、その返信のメールは、「ニンジャ」のサービス・コムに帰ってしまい、お客には届かなかったのだ。またまた青くなって再度彼らに、今度こそ返事が遅くなったことや不手際の「お詫び」のメールを直接当人たち全員に出した。そして、三番目のお客様には、すぐに「売り切れ表示」を出さなかったことを謝罪し、これに懲りずに何卒またお引き立てを、と嘆願のメールを言葉を選んで書いて送った。その人のメールは、水曜日の夕方届いていて、ちょうど一日遅れで買い逃したことになる。それにしても待ち望んだ注文がようやくあったと喜んだら、二番目と三番目のお客の注文が同じ本だとは、この商売の先行きの多難さを思い知らされた。ちなみにその本とは、宝島別冊の初期の頃の一冊で、ある宗教
団体についての特集だった。
 一番目と二番目のお客様へのメールには、ともかく返事が遅くなって申し訳ない、お詫びに今回は送料は当店が支払います、と注文をしてくれたことに感謝の気持ちもこめて特別サービスだと知らせた。その時はともかく嬉しかったのだ。
 翌日、均一本の箱の中から注文の本を探し出し、梱包した。慣れないものだから意外にテマ取り、宛先まで書き上げたら昼になってしまった。これはなかなか大変だぞ、と気がついた。そして近くの郵便局から冊子小包で送ったら、送料が各一冊290円。お客様がきちん
と代金を振り込んでくれたとしても90円の赤字。オレは一体何をやってるんだ ?と、ちょ
っとそのリアリズムにうーむと考えたが、ともかく今回は自分のミスだし、何よりも初めてのお客様たちなのだから、今後のことを考え“出血サービス”として、(これがホントの出血ですね)商売の今後のためと、ともかく本を望む相手に届けたくて古本屋を始めたのだと思
い直して郵便局を後にした。 
 そして、数日後、200円でも、たかが200円だからと心配していたお客様からの代金振り
込みの知らせも局から届いて、それ以降もぽつりぽつりと、それもすべてまだ均一本だけだけれども現在のところ5人の見ず知らずの方から注文が届いていることをお知らせしてこの稿を閉じることとしよう。
 年内に一冊でもと悲願を立てていたことを思えば夢のようだ。そして改めて記すが、ようやくここからが商売の実質的スタートなのだと深く認識してこれまで以上に一生懸命やっていこう。この「日記」をこれまで読んでくれて影ながら店主を応援してくれた皆さんに心より感謝いたします。これにて、とうとう「一冊も本が売れない古本屋」ではなくなりました。
2003年11月30日
●開店5か月目の今、思うこと。
 
 秋も深まり、もうすぐ本格的冬がやってくる。今年も残すところちょうど一ヶ月となった。
ご存知のように、この日記は表示の日付と実際に書いている日時とは一致しないことが
ままある。このコーナーに出ている日付とは、このホームページ作成ソフトに入力した日
であり、当然実際に書いていたのはその前だったり、起きた事態はさらに遡ることとなる。
 だが、今回はまさに今、11月末の日曜日の夜、直接パソコンに向かっている。今年を
振り返るにはまだ早いが、富士見堂のサイトを立ち上げ、ちょうど5ヶ月となった今、リア
ルタイムで今の気持ちを記しておこう。
 前回、ようやく書店の方の本が売れ始めたとお知らせした。今年のうちには何とか一冊
でも売れるようになりたい!と“悲願”を立ててからは意外にもすぐ注文が届き、しかも不
思議なことに注文は入り出すとばたばた日を空けず何人か続いて、いったい何がどうして
突然、急に売れ出したのか、それまでの4ヶ月間、まったくなかったのに…と首をひねる
嬉しい戸惑いの日々を送ることができた。
 でもこの一週間、またプッツリ注文は途絶え、あれは季節はずれのインディアンサマー
のようなものだったのか…、また冬の日々が来るのか、不安と期待の入り混じった気持ち
の今日この頃だ。まあ、あれっきりということはないだろうし、ともかくもこれで何人かのお
客様が来てくれて、何冊かは本が売れることが確認されたので、前までのような“存在理
由”に関する不安はもうなくなった。どこかで誰かがきっと見ていてくれている。偶然でも
お客はまた来てくれるだろうと少しは自信のようなものが湧いてきた。というのも、当店の
一番最初に本を購入してくれた方から、先日メールが届き、それには「メルマガ読者の
申し込み」と共に、その買ってもらった本についてこう記してあったからだ。本人にお断り
の上一部転載させてもらいます。

 ―――私が買った本「子供の絵をダメにしていませんか」は
 婦人生活社から出ていましたが、
 この会社倒産してしまったのです。
 古本で探そう!と検索したら
 マスダさんのお店がでてきました。
 ずっと前から気になっていた本でしたが、
 子育てで忙しく、なかなか探す暇もなくて・・・。
 やっと読むことができました。
 思っていた以上におもしろい本でした。
 子供との絵遊びが今までよりもっと楽しくなりそうです。

 僕はネットで古本屋を始めようと思った理由の一つに、縁あって手元に集まった本を
何としてももう一度流通させることができないものか、たとえ、それが世間一般では価値
のないクズ本だとしても、この広い世界にはきっとどこかでその本でも求めて探している
人がいるはずだ、という思いがありました。儲けなど二の次にです。そんなことを開店の
“口上”に書いてしまい、影のオーナーをはじめ、いろいろな批判を受けました。何よりも
辛く迷ったことは、そんな偉そうなことを言っても実際には一冊も本が売れないじゃないか
という自らへの問いでした。僕が考えたことは夢物語だったのか、間違っていたのかと
寝つかれぬ夜などさすがに悩みました。でも、このお便りを頂き、ああ、古本屋を始めて
良かった! 自分の考えていたことがたとえ一冊でも現実となって、本は求めていた人の
元へと旅だった。と恥ずかしくも少し涙が出てきました。何よりも嬉しかったのは記念に
すべき一番最初のお客さんからの“返事”だったからです。まるで「本」が代わりにお礼を
言っているように思えました。さらにこの人は、古本屋のみならず富士見堂の他の人の
コーナーについてもご感想を寄せられ、今までこうした複合型のサイト構成に関しても
これでいいのか、迷いというか不安もあったのだけれど、ようやく車輪の両輪のように
それぞれのコーナー自体が互いに機能し始めたような手応えを得ました。
 これをもって僕は正しかった、間違っていなかったなどと居直る気はないけれど、こうし
た出会いが一回でもあるのならきっとまた別の人にも別な本でお役に立てることもある
と思うし、この商売を続けていく理由と価値の裏付けができたようだ。単価が低いものだ
から、小遣いの足しにもならないようでも。
 だからもっと本の数を増やして、価格ももっと見直して一冊でも多く流通させられるよう
頑張らないといけないと自らを戒めた。でも、情けない話だがこのところ、特にこの秋に
なってからは目が回るほど忙しくて、質はともかく本の数は山ほどあり値段も郵送代を
自腹切らない程度にまで下げてもかまわない気になっているので早く目録に載せたいの
だが、その時間が全然とれなく、イライラしてきている。何でそんなに忙しくなっているの
か、というとひとつに僕の今住んでいるボロ家の改築工事のための解体作業があり、そ
れにプラスして齢16才になる老犬ブーさんがこの夏から危篤状態で吐いたり下したりで
ともかく世話がかかるのだ。そんなことを一々ここで説明してグチをこぼしても意味ない
ことだから言い訳にもならないが、ブーの方はともかく、家の方は、12月初旬には一応の
メドができるので、もう少しこのサイトも古本屋にも時間がかけることができると思う。
 ともかくどんなことでも続けていくことだ。結果や答えはすぐに出ないものだとこの5ヶ月
でよくわかった。どこかで誰かがきっと待っていてくれる、とは木枯らし紋次郎の唄の一節
だけれども今の僕はまさしくそうした「風の中で待っている」人に向けてこれからも発信し
続けていこうと改めて思っている。
2003年12月12日
●忙し日記(忙しがっているだけかもしれないが)
 
どれだけの人がこの「日記」を毎回読んでくれているのかわからないが
ともかく近況からまず記していこう。また間が空いてしまった。
このところめちゃくちゃに忙しくて全然、日記どころか本業である古本屋の
目録入力もできなくて、いやそれどころかパソコンに向かってもメールだけ
を確認するのが精一杯で満身創痍、疲労困憊で夜はバタンQで寝てしまう。
朝は朝から家の雑事や老犬の介護と老人の介助と世話に追われ一日があっと
いう間に過ぎてしまう。目が回るように忙しい。いや、それだけならこれまでも
そうだった。だのに何が原因でさらにそんな異常な多忙事態となったのか。
以前もお知らせしたが、僕が今住んでいるボロ家の解体工事を自ら手がけて
いてそのリミットが迫っていて、いやもう既に過ぎていて焦りながらこのところ
毎日晴れた日は朝早くから暗くなるまでガタガタガンガン解体作業に時間を
取られている次第なのだ。このことは古本屋とは関係のないことだ。要するに
更新が遅れている言い訳に過ぎない。でももう少し読んでほしい。
 しかしようやくその尻に火がついた困った事態も収拾に向かい何とか改築予
定部分の古家の解体も終わりに近づき現在、壁も屋根も瓦も取っ払い、柱だけ
がアテネの神殿遺跡のように残っている状況までとなった。あとは新築のため
基礎工事もお願いする大工さんに手伝ってもらって柱を取り壊し残土や不燃物
などは持って行ってもらうことになった。それでも遅れに遅れた。当初はこの
冬が来る前に、つまりコンクリートの基礎を打つのは寒くなって氷が張ると
マズイので、遅くともそれまでに自分たちで古家は解体して更地にすると約束
していたのにこんな年の暮れまでかかるとは。幸い今年は東京近郊は暖かい
ので幸い氷はまだ張っていないが果たして年内に工事開始となるのだろうか。
 壊すのは予想していたより簡単だった。大変なのは壊した後の残材の処理。
分別して材木はクギを全部抜いてチェーンソーで長さを揃えて切って束ねて
今秋、アメリカ製高級薪ストーブを設置した国分寺在住の友人の所へ持っていく。
それもテマのかかる作業だが、市のゴミ収集に出すと金がかかるので快く引き
取ってくれる友人がいたのはもっけの幸いだった。あとの金トタンや塩ビの波板
などはそれぞれ有料の分別ゴミ袋に入る大きさに切ってゴミ収集日に出す。
でも市では回収しないゴミも出る。モルタル壁などのコンクリの固まりやブロック
や瓦などだ。それらは結局捨てるに捨てられず敷地の隅にどんどん溜まって
いく。こうした分別処理作業と、恥ずかしい話だが、老人性何でも捨てるのは
モッタイナイいやいや病のためにそこにあったモノがなかなか処分できずそれ
もあって時間がかかったのだ。
 でもついに虚仮の一念、ようやくやっと最終局面となった。家の工事の方は
手を離れるので今さらだがこれから年末まで残すところ20日余りとなったが、
サイトの方の内容充実、古本屋は目録の更新入力に専念しよう。
 この忙しい日々の合間も実はポツンポツンとだが、本の注文はあった。主に
均一本のコーナーの本と、意外だったが展覧会の図録が二冊だが売れた。この
ところの一週間、店主自身が忙しくて全然自分のサイトすら見ないせいか、また
注文はパタッと来なくなって以前の状態に戻っている。やはり商売というものは、
店主の気力というか、やる気が大きく反映するものだとつくづく思った。
 本が少しづつだけれど売れ始めて気になることがいくつかある。均一本では
意外な本に注文があった。展覧会の図録の方は、貴重なものだし欲しい人には
あの値段でも売れると思っていたからそんなに驚かなかったが。それにしても
僕自身が一冊一冊目を通して詳しく“解説”を載せた本は何故一冊も売れない
んだろう。均一本なら引き合いがあるってことは値段が高すぎるのだろうか。
それとも誰もそんな解説や紹介は読まないのだろうか。いや、目を通したとして
も商売に結びつかないのか。だとしたらテマのかかることだし、もうそんな解説
などはやめにして一切画像も解説も削ってただ本のタイトルとデータだけ羅列
して値段も下げて全部500円前後でまとめてしまおうか。今、僕は迷っている。
試行錯誤といえばそれまでだか商売というのは実にわからないことばかりだ。
 そんなこんなでちょっと開店休業状態でしたがともかくまた店主は帰って来ま
した。何卒お引き立てお願いします。新企画も立てました。ではまたよろしく。

   
2003年12月21日
●ますだあーと書店新社屋建設第一期工事ついに着工す!

 積年の悲願であったマスダ家のボロ家の建て直し工事がついに、というかようやくと
いうか17日から始まりました。今、基礎の整地は終わり、一面にビニール敷いて鉄筋を
並べて組んで明日からコンクリートを流し、来週中に基礎だけは完成させ年内の作業
は終了となる予定です。棟上げは新年に入ってから。それにしてもここまで来るのが長
かった。実に長かった。マスダの老親が生きている間にとりかかれるのか不安にさえ
なったけれど本当に工事が始まりました。

 前回の日記で、片づけはだいたい終わって、あとは残してある柱を切るだけだと書いた。
火曜日に建築をお願いする大工にその最後の柱を切ってもらった。その柱は残してある
部分、つまり現在マスダ一家が住んでいる第二期工事予定の部分に繋がっているので、
それを切ってしまうのは不安だった。というのも家の支えにもなっているかもしれなくて
切ったらまさかいきなり家全体が倒れるなんてことはないだろうが、グラつくかもと怖れて
いたのだ。だから二階からできるだけ不要な本(商品でなくマスダの私物)とか重いもの
を下に下ろさないとと考えていたのにあまりの忙しさにそれもままならず、大工も来てしま
ったのでいきなり切ることが始まってしまった。でも案ずることはなかった。無事切り離しは
終了し、ついに着工部分は本当に何もなくなったのだ。ここまで来るのに計画を考えて
からゆうに10年は経っていると思う。
 昔、紙のミニコミを出していた頃から、その計画は折に触れ記事に書いた。タイトルは
『老人と中年で家を作る』だった。当初は本当にハンドメイドでプロの業者に依頼せずに
すべて設計から建築まで自分たちでやろうと考えていた。立てる部分は全部いっぺんで
はなく、半分づつ二度に分けてやる。まずは家の裏側、北西に面し、平屋と物置があった
部分から壊して更地にしてそこに二階家を建てる。それが第一期。完成したら手前の、
残した今住んでいる部分からそっちに移り、手前も壊して第二期工事にとりかかる。
一期と二期で立てた部分をつなげて完成、という予定だった。その方式は変わっていな
いんだけれども、築40年、一回も引っ越しをしなかったボロ家にはモッタイナイ病の重傷
患者となった老親と、やはりモノがなかなか捨てられない活字マニヤ、雑誌マニヤ、その
上レコードコレクターでもあるの息子(マスダ)がいて、壊す部分の場所にあったモノが
全然処分できなかったのだ。計画はあってもモノが片づかず話だけで時間ばかりが経ち
老人は瀕死の大病をし、中年の息子は冗談でなく本当の中年、初老といってもおかしく
ない歳になってしまった。それでもボロ家は雨漏りをはじめますますガタが来て、いつ
明日大地震が来てもおかしくないと騒ぐ昨今、このままでは家はもたない。もう限界だ、
と意を決して今年2003年に入ってから再度計画が家族会議で持ち上がり、結局、まず
近所に安いアパートを借りてそこに売り物になるような本類は運び壊す部分のスペース
を作ることから始まったのだ。そうそう、この計画が再度浮上したのはマスダが古本屋を
始めようと考えたことも大きかった。長い間溜め込んだ捨てる機会を逃したマンガ雑誌
などはネット古本屋で売ればかたづく、Kちゃんから送られた本だってそうだと。当初の
予想とはアテがまったく外れてしまったが、ともかく古本屋計画の一環としてボロ家改築
工事は一体となって進めることとなった。全然本は売れないからもうそのアパートも満杯
となってしまったが。
 というわけで片づけは始めたものの、それでも40年に渡ってたまりに溜まったものは
おいそれとなくならず、夏前から少しづつ部分部分壊し始めたものの、多くのモノは捨て
たはずなのになかなかモノはなくならず壊した部分から追い立てられるように移動して
ついに第二期工事の部分、今回壊さない部分になだれ込んでしまった。秋が来て冬と
なり、このところいよいよ待ったなしの状態となって、毎日ガタガタ箱に詰めたモノを動か
し移動させたりしていたらうっかりふらついて箱を抱えたまま壁に転んで左の肋骨を
骨折してしまう失態さえ起こす始末。コルセットを今も巻いているのだがまさに満身創痍
とはこのことだと嘆息した。でもついに、何もなくなってあとはプロの職人達に任すだけと
なったのだ。
 残っていたボロ家の柱を切った大工の棟梁は、突然、「よし明日は大安で縁起もいい。
明日から工事開始だ。まずは基礎をやる!」と宣言した。そして息つく暇もなく翌日から
朝8時前から職人ががやがや来てガンガン残っていたコンクリートや瓦を割る作業が
始まってしまったのだ。でも考えてみたら今年もあとわずか。悠長なことは言ってられな
かった。天気ももって順調にいけば当初の計画通り、氷が張るような本格的寒くなる前
に基礎だけは建てることはできる。まずはコンクリを流す基礎だけは年内に完成させる。
柱や屋根、瓦は寒くたって関係ない。今でも実感はないがこうして長年の悲願であった
我が家の新築工事がこうして始まったのだ。実に感慨深いものがある。
 今向かっているパソコンの前には窓がある。今までは身を乗り出すとそこから下の
我が家の瓦屋根が見えた。ところが今それはない。何もなくなってしまった。空間が
広がっているだけ。不安な感じも実際するけれど、それよりも「ない」ことが嬉しい。この
「無」にするまでが実に長く大変だった。これからはその「無」に家を建て「有」にしていく。
職人達が担当するのは柱を立て屋根をつけ外壁を張るだけ。内装とか天井、床張りは
僕たちがやる。大変だがやりがいがあるだろう。実に楽しみでもあり、不安でもある。
その経過は後日報告していこう。
       
       ●大工さんたちが残った柱を切り離す。
       
       ●何もなくなって後には土台の礎石の破片と薪ストーブ用に切った柱の山。
2004年01月01日
●皆様、あけましておめでとうございます。―――03年を振り返って。

 せわしい一年だった。毎年、クリスマスから年末までは、心静かにゆっくりと過ぐる年を
振り返り、来る年に思いをはせ、その支度をしながら一番大好きな季節を味わいたいと
いうのが、この十年来の悲願なのだが、日頃の怠けていたツケが一気に押しよせるのも
この時期で、年を追うごとにより忙しくなってきている。中でも今年は生涯記憶にある限り
最も忙しく目の回るような一年だった。
 その最大の理由は、今住んでいるボロ家の解体と新築工事が始まったからで、夏前から
壊す部分のガラクタや古雑誌などを少しづつ処分したり移動させ、秋口になって部分部分
老人と中年の親子、それに友人にも頼んで自分たちで解体を始めて、それが12月半ば迄
かかって、ようやく建築する部分が更地となり、後は実際の工事を担当する職人達が来て
一気に基礎からコンクリートの流し込み、土台の立ち上げまで10日足らずで終わらせて、
今は、一月末の棟上げまで小休止という状態となった。何度も書いたことだが、誇張でなく
十年来の計画がようやく実現へと向かった画期的な年だったわけで、今年の春4月には、
とりあえずだが、第一期建設部分は完成しその部分に住めるようになっている予定だ。
 そして、この「富士見堂」および「ますだあーと書店」のサイトも立ち上げたのもほぼ同時
進行だったから大変だった。どちらも長年の懸案だったから、この二つがまがりなりにも
具現化できたのだから、振り返って本当に良かったというのが正直な感慨だ。
 世界、そして日本は、自衛隊のイラク派兵決行へと、より混迷と破滅に向かって進んで
いるように僕には思えるが、少なくても個人的には、だから良い年だった言えよう。でも
大変なのはすべてこれからで、実際、家作りの方は緒についたところで、これから本格的
建築工事が始まり、大工は柱と屋根、それに外壁だけ担当して終了、ということで契約し
ているので、残りの床・天井・内装など細かい作業は全部自分たちでやらなくてならない。
それに外壁の漆喰風の塗りも自ら担当するのだった。作業は目白押しで、しかも僕の
九州に嫁いでいる妹の息子が専門学校に入るため上京し、我が家に同居する事となる
予定なので、この4月の完成、即入居という条件は延ばせない。
 富士見堂のサイトの方も、読み物のページとしてもっと充実したコンテンツを考えていた
のだがまだまだ中途半端で内容も少ないし、僕の書店の方も当初考えていた本の半分
も紹介、入力ができないままでいる。その点、悔いの残る部分も多いが、考えてみれば
まだ半年、立ち上げてからちょうど半年が経過したしただけなのだから、課題は数多く次
の年に残しつつも、まずは初年度としてはこれで良し、と納得させるしかないかもしれない。
事実、もう年内には注文などないだろうと、半ば“泣いた赤鬼”的に日々悲嘆にくれていた
頃を思い出すと何はともあれ古本屋も商売がスタートし、お客様も来てくれたわけだから
本当に良かった。これで満足してはいけないが多くを望んでも仕方ない。コツコツと無理は
しないが日々努力あるのみだ。
 毎年、このところ一年を振り返っていつも思うことだが、歳を取ったせいか、その年、
大したことは何もできなくても家族一同が欠けることなく無事に過ごせたという、ただそれ
だけで良しとしよう、何はともあれ有り難いと。03年も一匹若猫が事故死してしまったこと
以外は老いた両親、老犬、その他の犬、猫など一応大した病気もケガもせず無事に一年
やり過ごせた(個人的には、作業中よろめいて倒れて肋骨を折り、今もコルセットなしでは
痛むことがあるものの)。歳を取るとそれだけだっていつまで続くものではない。何もでき
なくたって何も起こらなくたって、それだけで有り難いのに、03年は、家の新築工事の土台
基礎まで進んだし、懸案のホームページも立ち上げ、僕はネット古本屋の店主となった。
この何年間の鬱々とした停滞ぶりを思うと目まぐるしいほど活発的だ。だからものすごく
多忙な一年だったけれど、本当に良い年だった。願わくば、04年はさらにもっと幅広く、
自分の世界をもっともっと拡げて次々と面白いことをこのサイトを舞台に発表していき
たいと考えている。富士見堂とますだあーと書店のサイトを始めて半年、何人かの顔は
知らないが新しい知り合いもできた。今年は次にどんな人と出会えるのか心から楽しみだ。
 そんなわけで今年、04年もがんばります。読者の皆さん、今年も何卒よろしく。
富士見堂商店とますだあーと書店、本年も心からのご支援をお願いします。 

        
        ★土台の立ち上がりにコンクリートを流して固めています。
2004年01月04日
●建物の基礎部分が完成しました。棟上げは今月下旬の予定です。

2004年01月14日

●昔はものを思わざりけり。

 正月も過ぎ、新しい年も気がつけば半月がたとうとしている。うっかりしているとこのまま
一月もあっという間に過ぎて、寒い寒いと言っているうちに春が来て、すぐに暑い夏が来て
また秋風が吹く季節になって冬となり一年は瞬く間に終わってしまう。
 年を取ると年々一年が短くなるというのは、誰もが口にしているから一般的な感覚なの
だろうが、ホント実際、このところの一年の経ち方といったら凄まじいスピードで、ぼんや
りしていると何も大したことは出来ないのに季節だけはあっという間に進んでしまい、追い
つくことすらできずに取り残され、やるべき課題だけが山積みとなって途方に暮れて毎年
末、後悔の念だけが残る。
 何度も何度も書いてきたが、このところ我が家の新築工事などもあって近年にない異常
状態が続いていて落ちついてパソコンに向かい、本の入力やこのサイトの更新などに専念
する時間が取れない。家の用事や雑事、老人達の世話と介護で一日があっという間に
過ぎようやくみんなを寝かしつけ、深夜12時頃からパソコンを起動させメールのチェックを
する。でも昼間作業した日など疲れている日はそれすらままならず夜はバタンキューと寝
てしまう。
 昨日もそうだった。メールの確認を怠っていたら久々の注文があって慌てて返信を送っ
た。ほとんど儲けの出ない200円均一本の注文だがうっかりお客様を失うところだった。
 それにしてもどうしてこんなに忙しいのだろう。猛烈サラリーマンのように昼も夜もバリ
バリ働いているわけでもなくほとんど毎日家にいるのに。仕事というのは、職場に行って
その仕事をし、金を得ることではなく、家にいても何かしらやるべき事、やらなくてはなら
ないことがあって、いわばそれは雑事としか呼べないのだけれど、他に中心となって責任
を負える人が我が家では僕だけなので、食事を考え、作り、食器を洗い、買い物、洗濯、
掃除なども僕が率先してやらないことには何も始まらないのだ。
 よく幼い子供を持った主婦か゜「自分の時間がない」とこぼすが全く同感だ。夫は家に
いないし何もしてくれず家事から育児、すべての負担は主婦の肩にかかってくる。ただ、
子供はやがて成長し、そのうち手を離れ自立していくのだから将来に救いはある。これ
が老人、つまり老親介護だと昨日より今日、そして明日とどんどん衰えよりダメになって
いくのだからどうしようもない。昔は彼らもきちんと自分のことは自分でできた。それが
老化と共にしだいにダメになり、体力は衰え頭は呆けてきてトンチンカン、物忘れも激しく
なり、世話が焼けるとは言ったものだ。そのくせ、欲とプライドだけは一人前なのだから
ホントにどうしようもない。怒りたくはないがつい怒鳴ったり些細なことで日々ケンカとなる。
人間だけでもうんざりなところに16歳になる老犬もこの夏から老化なのか病気なのか、
体調を崩し食べ物も食べては吐き、下したり、散歩もメマイがして途中で倒れたりしてと
ままならぬ状態となり、要介護の仲間入りしてしまった。今は一度に食べられないので
お粥状態にしたエサを朝昼晩と三回スプーンで食べさせ、よく歩けないので抱きかかえ
て散歩に行く。朝晩は家の中に入れてしかも炬燵で寝ているがうっかりするとお漏らしも
する。まあ、それでもこの家で生まれて家族の一員として永年暮らしてきた愛犬だから
老いぼれた姿が哀しいだけで辛いとは思わないが。それに人間と違って文句をくどくど
言わないのがせめてもの救いだ。
 ああ、それにしても自分のことだけに時間が使えたら! もっともっとこのサイトに時間
をかけて満足のいくものにしていきたい。古本屋も思いどおりの店にしてお客にもっと
来てもらいたい。今は時間が本当になくなった。昔は良かったな、好きなことに好きなだけ
時間をかけられた。お金はなかったけれど、時間だけは無尽蔵に、そんなことは実はない
のだけれど、あるように思えた。行こうと思えばすぐにどこへでも行けた。やりたいことは
何でもできた。そこに自由があった。いや自由とは自分自身だった。今は働いてないから
相変わらずお金もないけれど、時間もなくなってしまった。あるのは、しがらみのような
家族の絆、長男としての責任、その他捨てられない過去のガラクタ…、一生ついて回る
支払わないわけにいかない借金の山。
 でも、こんなことは実は当然予測できたことだった。来るべき未来が来たに過ぎない。
人はいつまでも自由――それも無責任な自由ではいられない。今の事態は当然の帰結
のようにも思える。この世のことはすべて因果があり結果とつながっている。人はいつか
は年貢を納めなくてはならない。僕はバカだったから、若いときはもっとバカだったから、
こうした未来に全然思い至らなかった。あのマイケル・Jのように金さえあれば永遠に少年
のまま自由を謳歌できると思ったかもしれないが、その彼だってもう年貢を納める時期が
来ている。愚痴を言っても過ぎた過去を懐かしく振り返ってもしょうがない。
 今、僕ができることは、僕自身のもだが、残り少ない時間を大切に有意義に、上手に
使って、少しでも“夢”や理想をカタチにしていくことだ。そう、もし自分に夢や希望と呼べる
ものがあるとしたら、それを実現させないで何のための人生だろうか。それが実現するか
どうかは問題ではない。そこにつながる道を一歩でも二歩でも毎日ゆっくりでも少しづつ
進んでいくことだ。昔の僕は自由で時間もたっぷりあった。ただ、その価値に気がつかず
毎日無為に安穏と生きてきていた。自分のことだけできたのに自分のことすらしなかった。
まさしく夏のキリギリス的日々。今は人のことに時間を取られ自分のことなどほとんどでき
なくなっているが、時間の大切さと何をすべきかははっきりわかっている。どんなことでも
何かを始めるのに遅すぎることはない。そう、すべてはここから、たった今からだ。グズで
のろまなダメの人間でもあきらめずに続けていけば夢はいつかかなう。そう信じて、その
道を歩くしかない。僕は売れない古本屋にはなったけれど、それだけではあまんじない。
売れるか売れないかではなく、もっと大事なことは自分が満足・納得できる店かどうかだ。
自分の理想や夢と繋がっていないのならたとえ売れに売れて大金持ちになったとしても
僕は満足はしないだろうし、きっとそんな店はやっていないだろう。
 古本屋だけではない。僕にはまだたくさん夢がある。理想がある。それを少しでもカタチ
にしていきたい。果たしてこのサイトはそれに繋がっているだろうか。 

   
★老犬ブーさん。昨年の秋。今ではさらに老化が進んでほとんど寝たきり状態に。
2004年02月01日
●お詫びと現況報告〜困った事態を乗り越えていかねば。

 新しい年、2004年も気がつけば一ヶ月が過ぎ2月に入ってしまった。
日記も含め「ますだあーと書店」の更新が遅れていて、来てくれたお客様には
本当に申し訳ない。開店休業と言っていい状態となってしまっている。
 というのは、この欄やメルマガでお伝えしたように、老朽化している我が家
の改築工事が本格的に始まっていて、全然パソコンに向かうことができない
のだ。
 日中は朝8時前から職人達が来てトンカントンカン大工仕事が始まり、だい
たい夕方6時過ぎまで彼らは帰らない。その間、このパソコンのある部屋の
目の前50センチのところを彼らがウロウロしているし、屋根の上もドカドカと
歩き回っている。うるさくて集中できないということもあるが、それより問題は
彼らが使う道具、コンプレッサーガンや電動ノコの関係で電圧が安定していなく、
灯りが始終チカチカ暗くなったり、ブレーカーが落ちそうな状態が続いている。
怖ろしくてパソコンを彼らの作業中に同時に使えないのだ。もし落ちたりして、
それまでのデータが消えたり最悪の場合本体がクラッシュしてしまうかもしれない。
 だったら夜になって彼らがいないときパソコンに向かえばよいのだけれど、
食事などの家事や介護を済ませ、世話の焼ける者たちを眠らせた頃になると
午前近くに時刻はいつしかなってしまう。風呂から上がりようやく自分の時間が
できてパソコン向かえるわけだけれど、もう眠くなってしまってメールをチェック
する気力すらないこともある。以前は体力もあったから、みんなが寝静まって
から一人明け方まで起きて集中して自分のことができた。今は歳も取って無理
がきかなくなっているのと、朝は6時起きしてやらなくてはならないことがあるので
夜はどうしても眠くなって徹夜はできないのだ。そんなこんなでヒジョーにキビシー
(てなもんや三度笠の財津一郎的に発してもらいたい)状態がこのところ続いて
いる。体力的にツライことよりも精神的にイライラ始終追われているような落ち
つかない気分
 まあこんなことは僕だけの特別な状態ではなく、多くの人が公的な仕事=生業と、
自らの仕事=趣味や生きがいなどのライフワークとの両立に四苦八苦している
わけなのだろうけれども。たいていの人は生活の糧を得るために自分のことを
犠牲にしている。時間があるように思える一般的な主婦だって家事や育児に
追われ自分の時間がないことを嘆いている。それでも生業で金が入ってくれば
たまに贅沢な買い物をしたり、旅行に行ったり発散もできようが、僕の場合、
抱えている家族の家事と介護という雑事に時間を奪われ、自分の生業、今は
まがりなりにも古本屋がそうなのだけれど、それに専念できないのがツライ。
おまけに今は家の工事という一大事も進行中だから家の内外もだが、頭の中も
足の踏み場のないパニック状態なのである。
 まあそれでも忙しい忙しいとこぼして忙しいから何もできない、遅れていると
いうのは言い訳にも愚痴にもならない。わかってきたことは、もうヒマな時や
楽になるときなど来ないということだ。年月と共にどんどん状況は悪化していく。
 家の工事の方は、大工の仕事は早ければ2月いっぱい、遅れても3月の上旬
には終わって日中も自分のペースで使える時間も戻るとは思うが、それを期待し
てそれまで待っていてはダメだ。ともかく日々、やらねばならぬ雑事の合間を
縫ってうまく時間を少しでも工面して自分の仕事をコツコツと地道に積み上げて
いくこと。それができなければ残りの人生、生涯何もできずに僕の人生は終わり
が来てしまう。もしまがりなりにも僕にも夢やビジョンというものがあるならば
それをカタチにできなければ生まれてきたカイがない。僕は自分でもダメ人間で
あることは自認しているが最もダメだと思うのは、意思の弱さや怠け心に負けて
自分を甘やかし、そうした夢を実現する作業を長い間怠ってきたことだ。
 “家作り”というのも夢の実現の一部だけれど、つい時間的、体力的に楽しよう
と本職の大工に頼んでしまった。確かにプロが何人もで毎日やっているから早く
日々あっという間に完成していくけれど、何か違和感がある。広い快適な家が
カタチになっていのは嬉しい。でもそのスピードに自分の夢が追いつかないような
気がしている。まあ内装・外装は僕たちが自らやるので、大工達がいなくなって
初めて、その残したうつわにどれだけ自分の思いを込められるかだと思うが。
 何をしなくても時間だけはあっという間にたってしまう。忙しく時間がないのは
いつだって変わらない。今月はその中でどれだけ自分のことができるか、夢が
カタチにできるか努力が試される月だ。公約はもうしない。不言実行でやっていく。
今月の終わりにもう一度訪れてもらいたい。
     
     
     
2004年02月05日
最新の状況です。



@左に見えるのが旧屋。現・マスダ宅。その裏にくっつけて新家屋を建てた。屋根張り。
A手前がマスダの部屋。廃屋同然。
B新家屋の内部です。安物だが木をふんだんに使った。
2004年02月19日
      
      
我が家の愛犬・かけがえのないパートナー。犬のブーさんは15歳を超え
現在必死の闘病中。マスダはその介護のため時間をとられこのサイトも
なかなか更新できなく皆さんにご迷惑をおかけしております。
2004年02月26日
●みんなありがたい、とつくづく思ったこと。

 2月ももう終わろうとしている。今月は結果として開店休業状態というべきか、
ほとんど何もできなかった。
 その理由の一つとして、この「日記」でも報告しているボロ家の新築工事中だ
ということがあるが、実はそれよりも時間を取られているのが瀕死の、というか
危篤状態に陥った我が家の老犬の介護だ。
 当サイトのメルマガ『富士見堂通信』で逐次報告しているので、その読者の方
たちはよくご存知だろうから繰り返さないが、15歳を越し、人間年齢80歳以上に
当たる愛犬ブーさんは昨年の秋頃からふらつき、目眩、そして突然吐いて呼吸が
困難となる発作を繰り返し、医者を何軒も廻ったが、根本原因はわからず、高齢
だからもういつ死んでもおかしくない、とどこでも宣告され、そして日ごとに症状は
悪化し今はものすごく痩せて衰弱してきた。
 今月に入ってからは、まだ本人は食欲はあるものの、発作が頻繁になり、その
最中にショック死するかもしれないので24時間体制で目が離せなくなった。だから
現在は夜も誰か人間が付き添って毎晩寝ている。うっかりしていると失禁や脱糞も
してしまうので気が休まる時がない。だからパソコンに向かうのもせいぜいメールを
チェックする程度となり、サイトの更新どころか本の入力もままならぬ事態だ。
 月に二回発行予定のメルマガだけは何とか出しているが、もうともかく犬のことと
家の工事のこととでへとへとで読者・関係者をはじめ当サイトへ来てくれたお客様
にも迷惑をかけっぱなしだ。どうしたものか。心苦しいかぎりだ。
 それでも今月はこのところ古本屋へのお客さんが相次いで、本も10冊以上売れた。
どうして突然に、と不思議な気がする。更新もそんなで怠っていたし、何しろすごく
忙しかったから古本の注文がないのがもっけの幸い、とまで知り合いには強がって
開き直っていたくらいだったのだから。
 売れているのは主に均一本だから、売り上げなどはたかが知れていて数百円の
利益のために倉庫の中へ入って箱を探し、箱から出したり梱包したりとテマの方が
高くつくほどの儲けだが、それでもホントにありがたい。
 というのは、ごちゃごちゃしたこのサイトを訪れ、しかもさらに一番奥のびっしりと
文字の詰まった均一本のコーナーの中までわざわざ覗いて選んでくれたからだ。
 まったく知らない、遠く離れた地方の人が僕の本屋のこんなところまできちんと
見てくれている! いったいどうして当店を知ったのか、詳しく聞いてみたいくらい。
すごく不思議な気がする。まさにインターネットの世界だから起きた出会いだろう。
 中にはわざわざ送った本が届いたこと、そして代金を振り込んだこと、さらに
「大変気に入りました。ありがとうございました」と感謝の言葉さえ付けたメールを
返してくれる人もいた。商売だから当然のことで感謝すべきは僕の方なのに!
 犬の介護で疲れ果て束の間の仮眠へと向かうとき、こうしたメールを思い起こし
どれほど励まされたことだろうか。この商売を始めて、実はまだ全然食えやしない
のだけれど、それでもつくづく本当にやって良かった、と思うのはこんなメールが
届いたときだ。好きで始めたことが他人にも喜んでもらえた。本ももう一度命を
吹き込まれどれだけ喜んだことだろう。
 どんなに今が大変で苦しくても必ずどこかで僕の店を、このサイトをいつも見て
くれている人がいる。それが支えになりました。本当にありがとうございます。
お客様という“神様”に感謝の言葉を捧げます。ありがたいです。有り難い。
 神様がいてくれるかぎりこれからもがんばって当サイトを続けていきます。
 ですからほんの少しづつでも更新して、一冊でも本を増やしもっともっと本を
売ってあげたいと改めて本に約束し誓いました。本当の春はすぐそこです。
2004年04月27日
●世界とツナガッテイルということ。

 この日記も二ヶ月以上あいだが空いてしまった。誰が読んでくれるのか。誰に向けて
書いているのか、自分でもわからないが、もし、読んでくれている人がいるとするのなら
心から申し訳なく思っている。

 日記だけではない。この古本屋のサイトのみならず、「富士見堂」全体が僕・マスダの
家庭の事情により滞ってしまっていた。そしてようやく、開店休業状態というか、ロング
バケーションもついに終わりのときが来て、ここでまた再開、僕の気持ちとしては、一
から出直し、心機一転の新たな気持ちでパソコンにまた向かい始めたところだ。

 何がどうしてこんなにブランクが起きたのか。簡単に言えば、「日記」でも何度か書いた
ことだが、我が家の新築工事で忙しかったということがひとつ。
 そしてそれと平行して、家族の一員として永年暮らしてきた老犬ブーの最後を看取る
ためその世話というか看病に追われていたということがある。
 この二つが同時進行していて、終わりの方は、過労と睡眠不足などから家族全員が
医者がよいをするほどの満身創痍・疲労困憊状態となっていたが、老犬の方は、3月
25日に死去、家の方は4月の半ばに一応の完成をみた。それからすぐサイトの更新
に取りかかれば良かったのだが、何か疲れがどっと出てしまい、そして犬の死の余韻
というか、死んでもうこの世にはいない、という“現実”をすぐに受け入れることが苦しく、
情けない話だが今流行の言葉でいえばPTSDっていうのか、不眠や胃痛などで体調
がすぐれず、元通りに立ち直るまでに時間がかかったのだ。

 その間、ほとんどサイトの更新は出来なかった。かろうじて隔週予定のメルマガを
希望してくれた読者の方々にずいぶん間隔をあけて配信したぐらいで、自分でも全く
サイトを訪れることもしなかった。当然、メールも一方的な広告メールしか来ないし、
古本の注文も一件もこない。友人からのメールさえも。
 不思議なもので、お客様というのは、こちらがやる気があるときは、本の新規入力を
怠っていても、注文が続いたりするのだが、今回のように管理者自らが自失の状態の
ときは、それがサイトに反映されるわけでもないと思うが、どうしてかわからないが全然
注文が届かない。まあ、僕自身が、古本?それどころではない、というほど毎日追い
つめられた気持ちでいたので、望んでいなかったと言える程だから当然かもしれない。
 でも、今改めて振り返ると、この数ヶ月、僕は世界とツナガッテいなかった。

 僕は元より社交的な人間ではなく、引きこもり、という言葉が世に出る前からそれを
実践していたかのようで、友人も少なく、世間という“社会”とは関わりがほとんどない。
 犬をつれて多摩川の土手や河原を歩くのは好きだが、街にでることもほとんどないし、
出たとしても一人で映画を観て買い物をして帰るぐらいだ。
 そんな僕がひょんなことからこうして数少ない友人・知人たちとサイトを立ち上げて、
古本屋!なども始めることになり世間=外の社会、つまり世界とツナガルことができた。
 いや、ツナガッテイルというのは、幻想かもしれない。本当は誰もこのサイトを訪れて
くれてないのかもしれないし、もし来てくれてもこんな「日記」まで目を通すことなどまず
ないことだろう。僕が勝手に“発信”しているだけなのかも。
 でもそれでもいい。この数ヶ月間、特に2月などは、一日も電車に乗ることすらない程
外の世界とはどこともツナガッテいなかった。そしてそれは実に苦しかった。本の注文
がないこともだが、誰も来てくれない。誰からも相手にされない。そしてその原因は僕、
僕自身が店を開けていないことが原因だとようやくわかった。サイト自体は誰でも見る
ことができても僕が心にシャッターを下ろしていたのだ。いや、実際、その頃は時間が
どうしても全然取れなかったのもまた事実なのだけれど。
 そして今、改めて気づいたことは、僕が“世界”とツナガッテイタのはこのサイトだけ
だということだ。だからたとえ、誰も来てくれなくてもいい。誰も読んでくれなくてもいい、
童話の、孤独な「泣いた赤鬼」だっていつもお茶とお菓子を用意して村人が来てくれる
のを待っていたではないか。
 僕が提供できるお茶とお菓子は、古本と面白い?読み物だけだ。それでも欠かさず
常に新たに用意して、ひやかしでかまわない、お客がふらっと訪れてくれることを待つ
ことにしよう。
 心機一転、もう一度一から出直す気持ちでこのサイトに取り組もう。大幅なリニュー
アルも考えています。僕のような人間でも出来ることが何かあるはずだ。そのことを
通じて世界と、そして読んでくれた貴方とツナガッテいきたいと心から願っています。

 
 
           
 ★故・ブーさんの墓の前で、子息のブラ坊君。
2004年05月08日
●心機一転在庫一掃値下げします〜ネット書店での古本の価格について考えた。

 3日に一度は新型車が出る、とは高度経済成長の頃、よく言われた冗談だが、今や
師匠・北尾堂のところにご報告に連絡してくるネット古書店の数は、冗談でなく3日に
一件の割合で増え続けている。老舗の店への自己申告でさえ、それほどのペース
なのだから、一体日本全国だけでもどれほどのインターネットの古本屋さんがいるの
だろうか。一日に一件どころか、一時間に一件の割合で増え続けているといってもあな
がち間違いではないような気がする。
 むろんそうした店のすべてが、店舗を持たない素人上がりの初心者ということはなく、
実際に店舗を構えていた店のオヤジさんが時勢に乗って、そろそろここらでネットで
売っていかないとマズイと考え参入することも多いだろう。僕の街の古くからある古本屋
もつい最近サイトを開設していて、あるとき捜し本をしていて、たどり着いたのがその店
で、びっくりしたことがあった。店舗の方ではそんなこと告知していなかったんだもの。
 だが割合からいうと、圧倒的に僕もそうだが、素人が、北尾さんの本など読んで、よし、
自分もこれならやれそうだ、と思って始める率が高いと思う。そうした雨後の筍のように
登場してくるサイトを覗いてみていろんなことを考える。まあ、店を始めるぐらいだから
当然品揃えも品数も凝って、感心し、羨ましく思い、次にどうやってそれらを揃えたの
か訝しくさえ思うサイトも多くある。中には、サブカル系や無頼・アウトロー系に凝って
それらを売り物にしているが、それほどレアなのはなく、店主の嗜好はわかるけれど
もう少し掘り下げないとちょっとなーとか、、自分の手持ちのだけで商売が成り立つ
と思うのはアマイ、などといっぱしのベテランのようなことを一人口にしていたりもする。
まあ、そう言う僕もアマイ考えで始めて今だって食えないままで後悔と反省の日々を
送っているのだけれども。
 でも、一時より最近参入される方は、腰がすわっているというか、初心者にしては
方向性がはっきり見定めていて、みんな僕なんかに比べ頭いいんだなあ、と関心する
ことが多い。それは、一言で言うと、どういう本を扱っていく店なのか、扱いたいのか
ということだ。そこがハッキリしていないとしまりのない底の浅い店となって、お客として
来た人も困る。何がその店の売りかってことだ。
 結局、個人がまずは手持ちの、今ある本を元手に始めるのだから、大手の古本屋
のように、広く深くも、広く浅くもできやしない。せいぜい狭く深い品揃えができれば良い
方で、まずは、狭くちょっと深いところから始めるしかない。でもそれさえもはっきりと
していない店が以前は多かった。本が増えたから始めました。買ってください―――
ああっ、これはオレのことだっ。これでは売れるはずがない。客だって来ない。漫然と
目録を流して見る人もいるだろうが、ネットの世界では探している本がまずあってその
ほしい本を安くみつけたいという人が多いのだ。そうしたニーズに対応しているだろうか。
 検索システムにひっかかるようにしておくことも大切だが、その前に店主の趣味が
はっきりしていて、それなりの知識もあり品数も揃っている店なら客は安心して訪れて
くれる。探していた本もすぐみつかるだろう。そこで買うか買わないかはまた別の話な
のだが。まずは一番大切なのは店の個性、何に強い店なのか、専門的に何を扱うか
ということだ。そして決めたらできるだけ深く掘り下げ商品も揃えなくてはならない。広い
世界、店主より客のほうがよっぽど何でも深く知っているのだから勉強も欠かせない。

 だが、それよりももっと大事なことがあった。僕はようやく最近気がついた。それは…
価格だ。いくらいい店で、品数もそろっていようが、他の店より高くては本は売れない。
実際の店舗の世界とネットでのバーチャルでの店との違いはここだ。現実の店では、
その店内にふらっと入ったら、僕などはせっかく来たついでに、と値段が手頃ならつい
衝動的に一、二冊買ってしまうことが多い。現実に手に取れ目の前にあるのだから
なおさらだ。まして店主のオヤジとつい話してしまったりした日には何も買わずにさよ
なら出来なくなる。でもネットの店では、ちょっと欲しい本があっても衝動的にまず買わ
ないだろう。煩雑な手続きもあるし、何よりもまず価格を他の店で当たってみるはずだ。
ここなんだよなあ。今は検索システムが進んでいるから、本の名前を入力するだけで
どこの店が一番安いか、たちどころにわかってしまう。ピンからキリまでまちまちだが、
その本のだいたいの相場が(価値ではない)が見えてくる。

 例えば、僕の店の本を例に取れば、旧チェコの作家、ミラン・クンデラの『存在の
耐えられない軽さ』があるのだけれど、これは中身もいい本で、程度もいい。帯もついて
定価は2200円もする。本当は最低でも定価の半額以上で売りたかった。でも今は
700円で売っている。もしかしたらもっと下げざるえない。というのもこの本に問題が
あるのではなく、他の店の価格を調べたらこうなってしまった。ためしに、Amazonの
ユーズド・ブックのところで本の題名を入れてサーチしてみる。すると下は430円から
650円まで何件でも出てくる。中には1500円〜最高は2400円の値をつけているとこも。
だが、430円!? 程度は《可》としか出てないし現物の画像もないのでどういう状態な
のかわからないものの、もしこの価格を知ってしまえば、必然的に少しでもこれに近い
値で買おうと考えるのが人情だろう。むろん、モノの価値は自分で決めるものだ。
自分の店なのだから、人が何と言おうと信念をもって、「この本はいい本だ。そんな
安くは売らん、高くても欲しい人はきっと買ってくれる。安くしたら価値のわからん者が
買ってしまう」という考え方もある。僕もちょっと前まではそんなふうに思っていた。
 でもこう本が売れないとやはり気がついた。この本がいい本だとしても未だ現行でも
手にはいるし、ネットの世界では何十冊も流通している。ということは、こちらの希望の
価格では絶対に売れない。うっかり相場を確かめないお客が発作的に買ってくれると
いう奇跡を信じて待ち続けるわけにはいかない。今ですら本は増殖の一途をたどり、
せっかく新築した家屋のスペースを日々浸蝕しているのだから。
 何度も繰り返し書いたことだが、僕はともかく本を流通させたかった。売りたかった。
ためて手元に置いておくことは本意ではない。だが、現実は…。ちっとも本は売れない
じゃないか。ようやくわかった。ネットの世界で商売をやっていく原則がみえてきた。
 基本は二つ。どこよりもうんと安いか、それとも他にないものか、だ。
どこにでもあるものはどこよりも安くしないと売れるわけがない。誰だって一円でも安く
買いたいのだから。そしてもう一つの売れるものは、他では売っていないものを売る、
ということだ。その場合、その情報が広く知られさえすれば値段が高くてもきっとそれは
売れるはずだ。それしかないんだし、広い世界にはいろんな嗜好の人がいるのだから。
 というわけで、5月から6月にかけて新規入力もびっしびしやっていくけれど、同時に
今ついている価格設定もすべて見直して、相場と照らし合わせ、たぶんほとんどの本が
大幅に安くなっていくことになるはずだ。もし、欲しい本があって、ますだあーと書店は
高いからなあ、と思っていた人、頻繁に覗いて見てください。あるいは、よく閉店間近い
スーパーの鮮魚売り場で、ペタペタ半額シールを貼っている店員に、「オジサン、この鯖
は安くなんないの?」と図々しくも尋ねるオバサンのように、直接マスダに交渉しても可
です。「うーん、最後だからよーし、負けちゃおう」って答えてしまう可能性が大です。
 今、最後と書きましたが、ますだあーと書店は続けていきます。ただ、もうすぐ開店から
一年、この辺で、今あるたまった在庫を一掃して、そろそろ本当に自分の本を、いや、
それは主に本ではなく雑誌とかなんですが、そっちの方を売りたいとも考えています。
 ともかく在庫を減らしたい。在庫一掃はオーパーでも、安くすればもう少しは売れて
本を流通させたいという願いがちょっとは叶うかも。それでもダメなときは…、またその
とき考えるさ。

     
  ¥700↓          ¥600         ¥300
2004年05月18日
●季節だけが確実に進んでいく。開設一周年を間近にして。

 風薫る五月も半ばを過ぎ、早くも梅雨の走りを思わせる曇りがちのじめじめした
すっきりとしない天気が続いている。昨年の後半から続いていた僕の家の一連の
ごたごた騒動は、この春ようやく一段落し、やっとこの4月頃からまた時間が自由に
とれるようになった。そして気がつけば、もう初夏の候となっている。早いものだ。
特にこの半年はあっという間だった。家の工事と老犬の介護に追われ息つくヒマも
なかった。その目の回るような日々、いったいいつ解放されるのかとかつての自由
懐かしく思い、毎日の現実をただ受け入れた。
 そして、懸案の問題事項は終了し、また以前のような時間を恣意的に使える
状態になったわけなのだけど、何だかんだ雑事で慌ただしく過ぎる毎日だ。
それでも古本屋と家のこと、そして今、もうひとつ自らの新しい課題となるような
ことを考えている。それについて近いうちにお知らせできるかもしれない。
 さて、先にお知らせしたように、間もなく当サイト開設一周年となるわけで、当然
僕の古本屋も開店一年目をむかえる。それを記念して在庫一掃、販売促進の
ために今月半ばから7月いっぱい、お客様謝恩特別セールを行うことにした。
当店の本はこの期間ほとんど値下げするし、いろいろお得なサービスも企画して
いる。まずその手始めとして店頭均一棚の在庫分は半額にすることにした。という
ことは200円の本は100円となるわけで、梱包や発送のテマを考えるとバカバカ
しいぐらいだが、ともかく本を流通させ、手持ちの在庫を軽減させるためには仕方
ない。それでも残った本はどうするか?
やがては一冊10円の棚もつくることになるかもしれない。結局それでも売れない
のは処分するしかないのかなあと思う。ネット古書店の場合、どんなに安くしても
お客様は送料代を支払うわけだから、一冊300円程度以下では買えない。ここが
売る方も買う方も大きなネックだ。かといって送料を店が負担していたら当店の本
などバカ安だから赤字赤字でやっていけない。店を閉めて本に埋もれてじっと引き
こもっているしかない。
どうしたらいいのだろう。何かアイディアはないものか。
 それはともかく、順次お得なサービスを発表していくので、ぜひともこまめに
トップページや日記などのぞいてほしい。また、メルマガで先行して読者にお知ら
せするので無料でいろいろ特典もあるのでぜひとも「富士見堂通信」を申し込んで
ほしい。
 明日はPベリーへ行く。カウンターを手伝うことになりそうだ。個人的に告白する
と僕は実はコーヒー派ではなく、紅茶党、しかももっといえば、ハーブ系なのだけ
れど、この世はしがらみ仕方ないのである。
             
2004年06月24日
●書き手よりも良き読み手を育てたいと思ったこと。

 本が売れない。一部のベストセラーを除いて新刊書が売れないのだから
古本もまた売れるはずがない。
 数年前、「誰が本を殺すのか」という問い掛けが出版人を中心に喧しかった。
それは、本が売れないそもそもの「犯人」捜しであった。結局「犯人」はみつから
ないまま、例によって関係者のより一層の努力で現状を打ち破る、とかそんな
感じで話題は曖昧なまま終結した。が、本が売れない状況は依然変わっていない。
いやまして文芸書などは、話題の芥川賞受賞の少女作家たちを除くと惨憺たる
ものらしい。
 その頃、夕刊紙で読んだことだが、ある評論家が本が売れなくなった原因に
ついてこんなことを書いていた。今の時代は、ネット上でのサイトや日記などで
読み手より書き手が増えて、みんな作家にばかりなりたがり、読み手、つまり
読者自体がいなくなった。それはあたかもカラオケで、誰もが他人の歌など
聴かずに自分が唄うことばかり考えてマイクを離さない状況と軌を一にすると。
 うまいことを言うと思った。確かにプロ・アマ問わず書く場所、そして発表の場は
今日いくらでもある。その最たるものはインターネットの世界で、読むことより
以前に書くこと、書き込むことが先行している。みんな自分を発信したいのだ。
それは悪いことではない。が、時間は限られている。昔の人々のように帰宅後
食事を摂ってからゆっくりと書斎で古今の書を開く暇などあろうはずがない。
昔は読者がいっぱいいた。いや、読み手と書き手は厳然と区別されていた。
むろん青年は作家を志た。しかし、その発表の場は限られ同人誌、自費出版で
さえ裕福な家庭の出以外にはとうていかなうものではなかった。今は違う。誰も
がネット上で気軽に自分の書いたモノを発表できる。便利な良い時代だが、
ネットの世界ではタダでも読むモノが溢れている。ゆえに金を出してまで本が
売れるはずもない。まして他人の書いたものを読む以前に自分が書きたいし
まず読んでもらいたいのだから。読者より書き手の多い時代なのである。

 ネット古書店の師匠である北尾トロさんのお誘いで、「電脳古本組」というMLに
参加を申し込んだ。そもそもMLというシステム自体が良く理解していなかったの
だが、私感だが、これは非公開の掲示板のようなもので、ネット古本屋として申し
込んで承認された者だけが、メールを通して会話できるものらしい。その各古本
屋が書いたメールが順次、申し込んだ者の元に配信される。その数がもの凄い。
一日に30通から50通届けられ、正直な話その量の多さに苦慮している。
むろん、古本屋同士の大変参考になるノウハウも開陳されそれは勉強になる
のだけれど、多くは知り合い同士の古本屋間のおしゃべりのようなもので、こう
した世界とはこれまで全く縁がなかったので戸惑いを覚えるばかりだ。そして
思ったことは、自分もだが、こんなにネットの世界だけでも古本屋がいて良いの
だろうかということだ。
 北尾さん周辺に集まった人たちだけでも早100軒は下らないかもしれない。
ML「電脳古本組」に参加した人たちでさえ50名に及ぼうとしているようだ。さっき
の書き手ばっかり増えて読み手がいないのでは、という疑念は、古本屋ばかり
増えてそもそも買い手、お客などはいないのではと思いにつながる。というのも
古本というのは、特殊な世界で、古本が好きな人、コレクターというのは、昂じて
自ら古本屋になってしまう確立がとても高いからだ。それでも昔は勇気がいった。
一世一代の決心で始めた。今はネットの世界でなら誰もが気軽に古本屋さん
ごっこを始められる。僕もそうしてこの店を始めた。間もなく開店一周年となるの
だけど、何度も書いてきたことだが、こんなに売れないとは当初思っていなかった。
それだけ商売下手で宣伝も含めて努力を怠ってきた報いでもあるのだけれども。
 それにしても古本が売れないのは、本来の買い手であるはずの者が自ら売り手
の側に転じてしまったこともあるのではないだろうか。狭いシェアで供給過多の
ようにも思える。
 ただ、古本及び古本屋というのは、非常に特殊な仲間内だけの閉ざされた世界
だから、もっともっとフツーの人々、本などに関心のなかった人々に目を向けさせ
なくては、この業界の明日はないことは間違いない。僕は書き手よりもまず良い
読み手でありたいと願う。そして、その本の面白さを一人でも多くの人に知って
もらいたいと考える。わかる人にはわかる、わからない人にはどれだけ説明して
もわからない。これがすべての基本だが、わかる人だけ相手にしていてはその
世界は先細りとなって行く末はお寒いかぎりだろう。もし、本当に本が、古本が
好きだとするのなら本を売る努力とは、まず本を知ってもらい、その本について
語ることであるに違いない。

★ここのところ人間関係で悩むことが多く、日記もろくに書けませんでした。でも、
もうすぐ、サイト開設一周年となりますし、この日記のページも溜まりに溜まって
重くなってしまったので、一回全部消すか整理して別のサイトに移行することと
しました。一応月迄まではこのままでほぼ日刊で書いていきます。7月以降は
この日記コーナーの存続も未定です。
            
           ★マスダ宅書斎。嘘です。小金井建物園、田園調布の家。
2004年06月26日
●間もなく開店一周年
 前回は、本が売れない一因として、読み手(買い手)より売り手、つまり客より店を
始める人が多いのではないか、と書いた。まあ、これはむろん屈託した冗談で、
たとえ、どんな状況であろうとも、売れている店はコンスタントに売れているだろうし、
売れない店にはそれなりのワケがある。まあ、“原因と結果の法則”で言うとそういう
ことだ。少なくても自分の店は売れていない。これは隠しても仕方ない事実なわけで
その原因も自分なりにはわかっているつもりだ。
 今、開店一周年を前にして、サイトでは、記念の特別フェアをやっている。均一本
などの棚を半額にして一冊100円からの割引セールの最中だ。ほかにも価格を下げ
お客さんが反応するのを待っていた。ところが、それをしてもほとんど本の注文は
ない。以前もクリスマス&お正月にかけて、歳末・年始特別フェアを催したがやはり
全然といっていいほど注文はなかった。結局、わかってきたことは、今の当店には
100円だとしても買う気を起こさせる本がないということと、店の存在そのものが依然
世にほとんど知られていないということだ。何故そう考えるかというと、フェアとは
まったく無関係に画集とかはたまに注文が入る。こちらが仕掛けたフェアにはまるで
無関係に。それであるとき、そうしたお客様におずおずと質問してみたところ、捜して
いた本を検索したら偶然ますだあーと書店にたどり着いて、そこで注文したというお
答えを得た。古本屋があったから中へ入ってみて買ってしまった、というお客とは逆
だったのだ。また、当店はリピーター率が悪い。何人かは二度三度と注文してくれる
お客様もいることはいるけれど、大方一度限りでそれっきりだ。これも、やはりその
一点だけ捜していたからだと、今考えれば理解できる。開店一周年を迎えて何とも
情けないことを書いているが、これが現実なので、さて、それではこれからどうする
かだ。
 確かに何一つ宣伝活動と呼べるような努力をしなかった。ヤフオクに出品し、名前
を売るとか、アマゾンや楽天だっていい。店とは別に棚を設けて本を並べれば売り
上げに貢献するかは別としてしだいに知名度は上がっていくだろう。ただ、僕、マス
ダの性質上、自らのサイトへの本の入力と更新だけでも手一杯でこの一年はとても
そこまで新しく拡げていく余裕がなかった。せいぜい同業者たちと連絡を取り、相互
リンクを張ってもらったぐらいで、ほとんど何の企業努力をしなかったのだから当然
の結果に恥じいることはないと思えるほどだ。昨年の6月末にこのサイトをネット上
にアップして、ずっと何ヶ月も一冊も注文がなく、ようやく秋も深まる11月の半ばに
なって初注文があり、それからぽつりぽつり。時に連日注文が続いたかと思うと
また、何週間も途絶えたりしてまったく先が読めやしない。せめて、毎月何万かは
固定した売り上げが安定できると生活の足しにもなるのだが、いやはやそんな日が
果たしていつの日か来るのだろうか。
 続けていく。続けていけばいつかはきっともっと顧客も増えて良くなっていく…
はず…と思い続けて、自らもそう信じ込ませて一年。ともかく、今はもっともっと本の
在庫を増やして、それをリーズナブルな価格で並べていく。本がないわけではない。
ほら吹きだと思われようが、もっといい本が当店には、今出ている在庫の10倍近く
倉庫にホコリを被っている。ただ、諸々の事情でなかなかサイト上に並べられない
のだ。いくら本の数を増やしてもお客が来てくれなければ売れるはずもない。それ
はわかっている。店の宣伝もやらなくてはならない。だが今はともかく気長にコツ
コツと目録の本の数を増やしてきちんと全容を管理、把握したいと強く思っている。
 先日、富士見堂同人の『サイケデリックロックの細道』の担当者古川でんでん氏と
彼の家で久々に飲んだ。そしてお互い、一年の経つのが早いことに溜息をついた。
その席で彼から出たことだが、こんなに時間の経つのが早いなら、何も一年間で、
これだけやろうとか、成果を出そうと考えずに、かつてのソ連のように、もつと長期
的な5ヶ年計画、3ヶ年計画で物事を進めるよう考えたらどうだろうと冗談がてらに
提案があった。僕はこれはいいと思った。確かに、人は一年単位でモノゴトを企画
し、答えや成果を出そうとする。今年こそは、と新年に誓う。僕もそうだった。でも
毎年年末には今年も大したことは何も出来ずに徒に時間だけが過ぎてしまったと
忸怩たる思いで自らを苛む。歳を取るごとに時間の立つのは光陰矢の如し、どころ
か、光速のスピードであっという間に過ぎてしまう。とても一年では準備すらままに
ならないほどだ。元よりグズでのろまな初老の男がやることだ。3年、いや5年計画
で何とか多少はカタチになり、諸々の仕掛けも効をなし、成果も上がるかもしれな
い。人生はもう残り少ないが、焦っても仕方ない。人は人、よその店はよその店、
長期的展望ですぐに答えの出ないことをやっていこうと今は思っている。
2004年06月28日
●売れる店 売れない店について酒屋を通して考えてみた。
 前回の続きとして、売れている店とダメな店の違いとはどこにあるのだろうか、
これを現実の店を通して考えてみた。
 僕の住む町にはいくつも個人経営の酒屋があるが、昨年近所に古くからあった
一軒が閉店した。今はそこは店舗として不動産屋の事務所となった。そして近所
にもう一軒酒屋があるが、そちらはつぶれずに益々売り上げを伸ばしている。
こっちをB、閉店した方をAと仮に名付け、その違いを比べてみると…。
 どちらも同じ規模の、僕が子供の頃からあった老舗の店だった。ただ、酒屋という
商売、薬屋もだが、かつてのように専門的に商品を扱っている特典は失せ、今日、
酒も薬もスーパーやどこでも安く手に入るようになってしまい、しかも大規模な
郊外型安売りチェーンなどの進出もあって経営は苦しいことは想像に難くない。
 Aの店は、そんな状況の中、10数年前、新築したのを機に、コンビニチェーンに
加盟し、酒類だけではなく、幅広く、ちょっとした生鮮食品、日用品、雑誌、文具
まで置くようになった。一方Bは、依然変わらず酒類中心に、多少の調味料類とか
乾きモノなどは扱ったが、新たに別棟を建て、そこにワインや高級日本酒などを
保存する低温貯蔵庫を導入するなど、酒屋としてのレベルを上げることに専念
した。以後10年が経過した。
A店は、昨年秋、長年の売り上げ不振が原因か、店をたたんで、倉庫で細々と
長年の顧客の注文に応じて宅配だけを続けることとし、実質的に閉店し、貸店舗
として収入を求めた。B店は堅調。久保田などのブランド日本酒の専門店として、
遠来の客も多く、地域の信頼を得、お中元やお歳暮シーズンは客足は途切れた
ことがないようだ。この二つの、ほぼ双子のような店の栄枯盛衰を見るとき、商売
のコツとは何か見えてくるような気がする。
 酒屋は何を売る店なのか。むろん多角的経営が効を奏す場合もあるだろう。
ただ、近くには大きなスーパーもあったし、コンビニも競合していて、本部に支払う
加盟料と深夜まで働く人件費だけでも大きな負担になっていたと聞いている。Aの
店へ入って感じたことは、いなかのコンビニのようだったということだ。一通りたい
ていは揃っているがどれも中途半端で客が求めている肝心のモノが置いてない。
酒類だってそうだった。当然店の中で酒類のスペースは限られてくるから一般的
な商品しか置いていない。だから、専門的な商品を探しに来る人には対応できず、
そんな人は、当然Bへ行くこととなる。
 Bは、酒屋として、より専門性を高めていく方向に向かった。話題の焼酎やワイン
を研究し、仕入れて試飲会なども開いて、一本づつコメントをつけた広告も新聞に
折り込んだ。ともかく品数を増やそうと全国の話題の酒を取り寄せ、酒飲みの好
奇心を巧みに刺激した。さらに、Bの店は、有名ブランドを扱ってはいたがデパート
などに比べると割安で決してべらぼうに高いということはなかった。
 売れる店と売れなかった店。成功した店と失敗した店。実際の店を見てもこの
二軒の店からは多くの教訓が得られる。売れる店の秘訣として挙げられることは…
@専門性を高めたということ。良い品をより多くそろえている。
A巧みな宣伝戦略。店のイメージアップ。
Bそしてリーズナブルな価格設定。
 これに対して、A店は、@はダメ。Aは、何一つしなかった。Bはスーパーの方が
A店で買うより安かった。むろん、B店の店の商品がスーパーより安かったという
わけではない。ただ、スーパーでは扱わない商品を多く揃えて妥当な価格だった
ということだ。成功する商売の基本とはこのことだと思う。これは、ごくごく当たり前
の、誰でも気がつくことだ。ところがそれがなかなかできない。インターネットでの
ビジネスだって結局は同じことだ。実は、このことは、やたらしつこく、宣伝メールを
送りつけてくる「20代で年収○○千万になった私が指南する成功法云々」だって
同じことを微に入り細に入り言葉を言い換えて繰り返しているに過ぎない。簡単な
ことだ。扱う専門を決めて良い本をたくさん揃える。そして効果的な宣伝、広告を
する。そして妥当な価格を設定する。わかっちゃいる。わかっちゃいるが、それが
そう簡単にはできないのが人間なのである。実際の店は毎日金が動く。それだけ
設備や仕入れ、広告においそれと金と時間をかけられないだろうし、ネットはまた
ネットで半素人が時間、経済的にこのビジネスに専念するのもまた種々それぞれ
個人的な事情があってなかなか難しいのである。
2004年06月30日
●本というものは自然現象なのだ。
 敬愛する内田百關謳カに言わせれば、金、特に借金は雨風と同じような自然現象
であり、畢竟一生ついてまわるものだとのことだったが、僕に言わせれば、本もまた
自然現象であり、好むと好まずに関わらず自然に集まり勝手に溜まって生涯逃れら
れないもののように思える。
 他のネット古書店は知らないが、僕は買い取りということを未だしたことがない。と
いうのは、まだまだサイト上に、つまり目録に載せられない在庫分が山積みとなって
おり、決して減ることはなく常に日々増え続けている。これは、需要と供給の関係で
言うならば、売れて減るよりも以前に本の入荷分の方が多いということだ。だから
前にもどこかで書いたことだが、ともかく本をどんな値段でもいいから売って減らして
すべてはそれからだという気でいる。その在庫の本が売れる価値があるかはまた
別の話だが、今ある本をまずともかくサイト上にできるだけ載せてからだと。
 その本はどこから来たのか、というと、元々自分の持っていた本などではなく、
人から処分に困って引き取りに来てほしいと言われ集まった分と、影のオーナーと
呼ぶべきそもそも古本屋を始めざるえないきっかけを作ってくれた友人からのもの、
さらに偶然、紙ゴミの日など通りかかって拾わざるをえなかったものなどだ。それと
別に本来自分がかつて読んだ本の山。正しいあり方からすれば、まずは、自分の
蔵書を元に古本屋を始めるべきだと思うが、ますだあーと書店はそんなワケなので
変則的な状態から始まった。そしてこれが一番問題なことなんだが、一年が経過し
た今でも本来自分が持っていた本類は大方サイト上に出せていないのである。
その上、ようやく昨年の秋口から注文が届き始めたとはいえ、目録に載せた本は
未だほとんど売れていないような状況だから、売れたとしても焼け石に水で、在庫
は日々増え続け、入力が全然追いつかない状態のまま気がついたら一年が経過
したというのが正直なところだ。そんな有様であるのに、先日もまた影のオーナー
に呼ばれて、お小言をもらうかと思って彼の家へ行ったらば、マンションを引き払い
このたび一戸建てに引っ越しをしたのだとのことで、不要になった本や雑誌類など
総計で30箱近く、軽のワゴンに積めるだけまたまた頂いた。本が増えるのは勿論
嬉しい、が、帰り道つくづく思ったのは、上記のことだった。こうして本は自然現象
として増え続けていく。これでは、もしかしたら永久に本は減らないかもしれないと。
 僕はケチで何でもモッタイナイ病で捨てられなく、自分の持っている本が溜まって
挙げ句に考えたのがネット古本屋だった。これならきっと本が売れて処分できると。
ところが、自分の本の入力までたどり着かぬうちに、本の山は増加の一途を辿り
大変なことになっている。大変であるが、実はそれほどまだ悩んではいない。逆に
これからのことを思うと頼もしくさえ思える。古い雑誌もずいぶん溜まった。映画の
パンフレットもかなりの量ある。それに自分の持っていた70年代からのマンガ雑誌
や青年誌、音楽雑誌もある。それらをリストに載せられれば少しは古本屋らしくは
見えると思う。それが果たしていくらで売れるか、売れないかもしれないが、今は
考えない。ともかく切り口はまだまだいくらでもある。カスをいくら揃えたってダメな
んだよ!って声も聞こえるが、それがカスかどうか、お客様の判断が決めてくれる
だろう。これらすべての入力作業はとても1年そこらでは終わらない。少しづつ棚
を増やしてコツコツ入力していくしかない。3年目ぐらいしたら多少は全貌が見えて
くるだろう。でもそんな悠長なことを言っていて大丈夫か。もたもたしていると本は
さらに溜まってしまう。どうしたらいい? まっ、そのときはそのときだ。自然現象な
のだから自然に任せれば何とかなる? 今日のオレは妙に脳天気だ。大丈夫か、
自分?! そんなこんなで古本屋が開店して最初の一年が終わったのである。
本の神様。本はこれからも引き受けますのでどうか読み手・買い手を私にお与え
下さい!入り口に比例して本の出口、流れを良くしてください。お願いします。
2004年07月28日
●情けなや、あまりの暑さに業務停止状態でした。
 
 夏が暑いのは当たり前だが、それにしても今年の夏ときたらどうかしている。
これまで物心ついてから40回以上も夏を体験してきたはずだけれど、こんな暑い
夏はなかった。東京では梅雨明けの報もないままに7月に入ってから連日30度を
軽く越す真夏日が続いていた。そのためこのところ全然パソコンに向かえなかった。
というのも―――。
 日記にも書いたことだが、当店、つまり僕の家は今春、築40年のボロ家の一部を
壊して新築の二階屋をボロ屋、つまり旧屋に並接して建てることができた。新築とは
いっても一階、二階とも別ドアのワンルームのようなもので、二階部分にはこの春、
九州から上京してきた甥っ子が住み、一階は現在古本屋の倉庫兼作業場のような
状態になっている。ではそこでこの日記を始めサイトの入力などパソコン作業をして
いるのかというと、実はそうではなく、ネット古本屋の拠点、つまり実際にパソコンが
置いてある部屋は、新築が建とうといぜん変わらず、ボロい旧屋の二階の薄いトタン屋根の熱がそのまま伝わってくる幅一間、長さ二軒半ほどのウナギの寝床の
ような本や雑誌が天井まで山積みとなった狭い一室だった。
 それでも大学の頃から慣れ親しんだ使い慣れた部屋で、窓は三方にあり、古いが
エアコンも取り付けてあった。そこの窓際の小さな机にディスクトップ型のパソコンを
去年の3月に導入し、7月からネット古本屋を始めたのだ。
 ところが、今春の新築工事で、旧屋にぎりぎりぴったりに新築を建てたものだから
北に向いていた窓は塞がれ、ついていたエアコンの室外機は取り外されクーラーは
使えなくなった。おまけに南東についていた残る二つの窓のうちひとつはその手前に
ギターやスピーカーなどガラクタが山積みになりそこまでたどり着けない有様。
そんな状況で今年の夏を迎えたのだ。クーラーも使えない。窓も一つしか開けられ
ない。しかもその窓は東向きで朝陽がよく差し込む。そして7月に入り突然の連日
真夏日。外気温が30度以上あるときは、その部屋は日中は9時頃から早くも35度
近くを温度計の棒は示している。太陽が真上に登ってくる午後になると室内は40度
間近となる。パンツ一枚のほとんど素っ裸でいても汗が噴き出して10分といられや
しない。だから何も作業はできやしない。そんなだから日中はあきらめて、夜遅く
とか明け方の涼しいときに限ってパソコンに向かっていた。といっても昼間の熱が
こもった部屋は夜になっても涼しくならずいつも30度以下には下がらなかった。
 パソコンはすぐ熱くなる機械のはずだし、暑さに弱いと聞く。果たしてこんな状態で
使っても大丈夫なのか、すごく不安だった。実はこのパソコン、買って三ヶ月足らず
で突然クラッシュしてハードディスクをまるまる取り替えてもらったことがある。いつ
また暑さで壊れるのでは、と不安に駆られながらメールだけを急いでチェックする
にとどめてなかなかサイトの更新や本の入力まで時間がとれなかった。雨とか降っ
て少しは涼しくなったら落ちついて取りかかろうと考えていたのだが、東京は連日
カンカン照りでまったく雨も降らない。そんなでパソコンにゆっくりと向き合えない
ままに時間が過ぎていった。このままだと秋になるまで何も作業は出来ないかも…。焦りと苛立ちが。風通しを良くすれば少しは気温が下がるかもと、室内のガラクタや
不要な本などを片づけて二方向の窓を開けた。が、全然焼け石に(まさしく!)水
だった。いや、水を撒けば少しは効果はあったかもしれないが、本やパソコンには
水は天敵なのである。仕方なく倉庫で未入力の在庫の仕分けや整理とかを汗まみ
れでしていた。だが、35度を超すと室内にいても暑さで頭がすぐに痛くなり気持ちが
悪くなってくる。その度にサウナよろしく水風呂に飛び込み首筋に水道の水をかけて冷やす。脱水症状にならないために麦茶を作ってガブガブ飲む。2L湧かせるヤカン
で毎日朝昼晩と三度も麦茶を作っている。そんなかつてない異常に暑い夏だった。
 7月20日。その日、東京では観測史上最高の温度を記録した。39.5度!
外に出ると日射しが違う。まさに熱で体が焼かれて焦げる感じがした。その夜、
室内はまだ35度近くあって全然下がらない。恐る恐るパソコンのスイッチを押した。パソコン自体は無事起動はした。だがメールを確認しようとしたところ、いつまでも
砂時計マークのままで、メールソフトが動かない。「プログラムが応答しません」との
表示が出たままだ。あかん!ダメだ。パソコンがいかれてしまったか! 焦った。
 幸い翌日早朝無事にアクセスはできた。でも覚悟を決めた。このまま秋口となる
まで業務停止のままではいられない。まだ7月なのだ。まだまだ暑さは続くはずだ。
実は旧屋の二階にはもうひとつエアコンがある部屋があった。ベッドがありそこで
僕は寝起きしている。そのクーラーはすごく古くて30年近く前につけたもので、ガー
ガーすごくうるさいのでもう何年もほとんど使っていなかった。でもこの暑さでは文句
は言えない。というわけで、そのエアコンのある部屋を片づけ机を置いてパソコンの
接続を一つ一つ外して移動させ、また繋ぎ直して、先日ようやく涼しい部屋で今また
サイトの更新が可能となった。その移動だけで実は何日もかかった。
 これで問題は解決したか。今もクーラーはガーガー音を立てて冷たい風を送って
くれている。おかげで温度計を気にしなくてもパソコンを使えるようになった。だが、
すごく古い機械なのでうるさいだけでなく、リモコンも自動温度調節機能もない。
エアコンの真下まで行って、スイッチを入れると冷えるのは有り難いが、そのまま
しだいにやがては寒いほど冷えてくる。今の機種なら自動的に温度設定を機械が
してくれるのだろうが、こいつはそれができない。一度オンにしたらひたすら同じだ。
いちいち切ったり入れたりが面倒なのでパソコン作業中は長袖に長ズボンという
冬支度の格好なのだ。そして作業を終え部屋の外へ出るときはまたパンツ一枚と
なる。ああ体がおかしくなるな。ネット古本屋とはこんな苦労があるとは思っても
いなかった。
 それはともかくそんなわけで長らく一切の更新がイカンながらも停止していました
が、ようやく猛暑対策は解決しましたので、これから精力的にこのサイトに取り組む
決意であります。心機一転初心に戻ってがんばります。ハッハッハックショーン!
2004年08月16日
●富士山に登ってきました。
 またこの日記の間が空いてしまった。古本屋も含めてこのサイトはあまりにごちゃ
ごちゃ容量も増えすぎて重くなってしまった。一度このアタリで全部消して残す価値
あるものだけ残してスッキリしようとここのところ考えているのだが、暑さと雑事に
追われてちっとも落ちついてパソコンに向かえない。困ったことだ。古本屋について
書くことは、メルマガ「富士見堂通信」の方で本音を書いているので、ここでは対外的無難なことしか書けない。商売はパッとしない。本は増え続けるばかり。人生は
混沌を深めいよいよ追いつめられてきた。季節は繰り返し、時間だけがアッと言う
間に過ぎていく。オレはホントにダメ人間か。一生こんな調子できちんとできない
のか。お気楽自由気ままに生きてきたツケがいよいよ回ってきた。
 蟻とキリギリスの童話では、おそらくキリギリスは冬が来てバッタリすぐに死んだ
のだと思う。でもオレは人間だからそう簡単にはなかなか死ねない。まあ、夏の
間中面白おかしく思い切り楽しんだならばキリギリスも死んで悔いは残らないだろう
が、オレはそんな楽しいこともまだやっていない。何をしても、いやしなくても苦い
思いと悔いばかりが残るばかりだ。
 というわけで、こんな人生ではイカンと思い、先日、8月3日、4日、日本一の山、
富士山に富士見堂主人は登ってきました。そして諸々の溜まりに溜まった雑念や
煩悩、怒りや哀しみを山頂で全部吐き出して六根清浄してきました!と言いたい、
言いたいのですが、汚れ多いオレはそんな一回の登山ではスッキリできるわけも
なく大変得難い体験はしたと思うものの、10日近くも足腰の痛みに苦しむばかりで
魂は少しでも浄化されたのか自分でもまだよくわからないのだ。
「登山記」はおいおい「富士見堂山岳会」のページで画像入りで後悔、いや、公開
しますのでお時間と富士山に関心のある方はもうちょっとしたら覗いて見て下さい。

    
    ★スバルライン途中から山頂を仰ぐ。
    
    ★感動的なご来光が見えました!
    
2004年09月07日
●Amazon に参入しました。
 
 久々の増坊日記である。ほぼ一ヶ月ぶりとなる。その間何をしていたのか。
何もせず、のんべんだらーりと暑さに参っていたわけではなく、ますだあーと
書店のサイトでは大した動きはないようでも、アマゾンのマーケットプレイスの
方へ当店の売れ残りを出品しけっこう大忙しでした。その辺の経緯は、月2の
間隔で出しているメルマガ「富士見堂通信」で逐一報告しているのでその読者
の方には今さらかとお思いだろうが、何の事やらこのサイトだけ訪れたは
????の事態のはずで、一応その辺の経緯をメルマガから採録という
形ですが、まずはお知らせします。

◆アマゾン参入の記――――――――――――――――――――◆

 最近ネットで商売がらみの件で知り合った、水戸在住の同業
青葉屋さんのお勧めで、先日ついにアマゾン参入を果たすこと
ができた。その顛末というか、報告をしたい。
 その前に、最近のますだあーと書店の動向についてふれて
おこう。
 前号でも書いたことだが、最近の僕は値段のつけ方に迷いが
出て、以前は、けっこう強気な価格をつけて、「良い本だから
きっと売れるはず」と開き直っていたのだけれど、師匠・北尾
堂の値付けなどを見ているうちに、売れないのは、やっぱり高
すぎるからかなぁと思いはじめ、最初から弱きというか、送料の
ことも加味して安めに傾き始めていた。そして、当店の棚に
うまく収まらないジャンルの本や、自分とは全然関係のない、
関心の持てない本は、均一棚に投げ込んでおいた。すると、他
の知り合いのネット古書店からは、「アレ安すぎます。もっと
しっかりきばって値をつけなはれ!」(誰?笑)とお叱りとご
注意を受け、こうした親切なご意見に、ますます自分の価格設
定に自信がゆらぎ、その上、前回書いたように『クレー射撃』
の本のように、売れるのは、その価値がわからず、バカ安で均一
棚に入れておいた本だけで、いっこうにそれ以外の、ジャンル
分けをし、きちんと“解説”も書いた本は売れず、自分でも
どうしたら良いのか五里霧中といっていい状態が続いていた。
確実なことは本は自然現象として増え続けて、早くもこの春に
新築した一階部分の半分を山積みとして占めてきている。どう
にかしてもう少し売れるように対策を考えなくてはならない。
そんなさなかのアマゾンへの参入のお誘いだったのだ。

 以前から人伝てに、アマゾンで本を買った、とかよく聞いて
いたが、僕自身利用したこともなく、そもそもどういうサイト
であるのか知らなかった。何しろ年寄りなのですべて世の流れ
には疎く後手後手と対応が遅れるのは最近いつものことだから。
今回ようやく利用というか、参加してみてその全貌が見えてきた。
要するに、楽天とか、ヤフーなどと同じく、本だけではなく雑多な
あらゆるモノを扱う巨大ショッピングモールだったのだ。
いろんな企業や個人が多様多彩なモノをジャンルごとに細かく
区分けされたコーナーの中で出品して売っていく。楽天にしろ、
アマゾンにしろ、その場を提供し、一定のマージンというか利
ざやを稼いで急成長してきたのだ。
 そこでは当然本も扱っている。面白いと思ったのは、新刊書
は、アマゾンという会社自身でも販売しているのだが、それと
競合して「この本を安く買う」との表示も出ていて、そこをクリック
すれば同じ本の中古が表示されるのだ。格安の本から順に、
値段と程度と状態についてのコメントなども見られる。出品して
いるのは、ブックオフとかのプロ大手古書店から、個人おのおの
まで実に多彩だ。表示されるのは、値段の安い順だから誰でも
いきなりでも一番安く価格を設定すれば真っ先に載せてもらえる。
 売り主や「店」への直接の連絡やリンクはさせてもらえなく、
あくまでもアマゾンが仲介しての取引だ。でも考えてみると、
そこで名を売れば、例えば僕の店ならば、ますだあーと書店と
検索して、直接訪れて来る人もいるだろうし、宣伝にもなる。
でもこれまでなかなか踏み込めなかったのは、参加の仕組みが
よくわからないまま、何か大変そうなのでは…と例によって、
腰が重く躊躇していたのだ。それにマージンが取られることも
聞いていたから、だったら店で直売の方が自分の性に合って
いると独立独歩の気概も少しはあった。でもこう追いつめられる
と背に腹は代えられない。そして何より青葉屋さんからの熱心な
お誘いもあった。アマゾンでならお宅の本も絶対売れる、と
囁かれてはどうして参入せずにいられましょうか。渡りに船とは
このこととついに参入したわけです。

 結論から言います。結果として…本は、売れました。思った
より早いペースで注文が入ってきました。本をアマゾンに出品
して翌日から日に一冊づつですが連日売れています。まあ、安
い本から動いているのでそれほど売り上げにはなりませんが、
実は大方、自サイトでは絶対に売れない処分に困っていたビジ
ネス書と長い間、均一棚で200円でも売れずくすぶっていた雑本
だから、喜びもひとしおです。やはり巨大大手の効果はスゴイと
思いました。弱小も弱小の個人サイトで細々と本を並べていても
訪れるのは、ごくたまに検索サイトで捜している本が当店に
あったという偶然からのお客様だけで、そういう人は、その本を
手に入れれば二度と来てはくれません。やはり寄らば大樹の
影とは言ったものです。今はつくづく参加して良かったと思って
います。水戸の方向へは足を向けて眠れません。まあ、今の所
一冊ずつで、しかも単価の安い古本ですから、爆発的に儲かる
とか成功するなんてことは絶対ありえない話ですが、こうして
コツコツとでも自店舗と平行してアマゾンなどで出品していけば
やがては多少は安定した売れ上げが確保出来るのでは、と今は
浮かれて夢想しております。バカですから。というわけで、
もう少しアマゾンの仕組みとか個別の本の話なども書きたいの
ですが、他の原稿とのかねあいもありあまり長くなるわけにも
いかないので、詳しくは次号、もう一度この件について書かせ
てもらいます。    
   ――――【富士見堂通信第19号/8月31日発行】より採録。

 というわけで、これからは、自店舗、つまりこのサイトでは、これまで通り
僕マスダが読んで面白い本、すなわちお勧めの売りたい本を中心にし、
それ以外の本とか、棚に並べようのない本、例えばビジネス書や実用書
などはアマゾンで格安で売り払う、という具合に完全に分けて2方向で
売っていくことにしました。正直なところ、ここ本店では長く店ざらしのクズ
のような本でもアマゾンだと意外な値で売れます。一時はそれが面白く
出品するのが楽しくてたまりませんでした。まず、本の名と著者、出版社
などを入力して検索します。自分では価値があり高く売れると思っていた
本が、他にも膨大な数出品されていて100円の値もつかないことが判明した
り、逆にこんな本が、とバカにしつつ検索したらば、リストに名はあるものの、
在庫切れで出品と同時に売れたこともあります。すっかりそれにはまって一時
次々と夢中になって検索し、出品を重ねていました。しょせん、自分の店では
文学書など売りたくてもまず絶対売れません。ですからどこかで儲けないと…
と、何か江戸の仇を長崎で打つって感じになって、カーっと熱くなっていたのだ
けれど、先日ふと、これはギャンブルのようなものだな、とようやく気がつき
今は冷めました。バカですからようやくです。そして…
 もう一度初心に戻っていろんなことをひとつひとつきちんとしていきたいと
いうのが今の偽わざる心境です。多くを望まず、少しでも確実に、丁寧に。
もっと信頼を得ていきたいと心から思っています。本を通して他人のために
少しでもお役に立ちたいと正直願っています。
 僕の家には狭い庭だが、ケヤキの木が何本かあり、台風の強風を受けて
激しく翻弄される木々の枝や葉の音がまるで海の波の音のように聞こえる。
9月初秋の嵐の夜にそんなことを考えました。 
2004年09月28日
●江戸の仇を長崎で討ったのは、いいけれど…

 気がついたら9月ももう終わる頃。メルマガでは、こまめに僕の近況を伝えて
いるので、そっちの読者はマスダは今どうしているのか、ご存知のはずだが、
このサイトだけ、たまに訪れて覗いてくれる人は、ますだあーと書店はついに
開店休業となってしまったのかと思うかもしれない。いやー、忙しいんです。毎日
メールのチェックと本の発送などに追われて、落ちついてこのホームページを更新
したりする時間がなかなか取れないんです。
 前回、といってもずいぶん時間がたってしまったが、書いたことで重複してしまう
けれども、8月の下旬からAmazonのマーケットプレイスに本の出品をはじめ、以後
ほぼ連日、そっちから本の注文が届いて、その応対に追われているという状況な
のだ。と言っても、一日最高でも4冊、普通は1、2冊程度で、アマゾンから手数料や
成約料なるものも徴収されてしまうので、儲けと言ったって微々たるもので、とても
古本屋でメシが食えるなんてことはこれから先もあるとは思えないが、いずれにせよ
在庫が売れて減っていくのは嬉しく快感なので、本店であるこのサイトはそっちのけ
で、すっかりアマゾンに懸かりっきりという由々しき事態に陥ってしまっているわけ
なのだ。
 今まで僕の店は本当に売れなかった。たまに注文があっても大概一冊200円や
500円の均一本の雑本で、きちんと整理して説明を書いた本などまず売れない。
そして買い取りもセドリもしないのに不思議なことに在庫ばかりは着実に溜まって
古本屋として機能不全というか、腎不全というか、ともかく人間で言えば、慢性便秘
か、尿毒症かという瀕死の状態であった。で、この夏富士山へ登って六根清浄を
唱え、ご来光に祈願してから友人のお誘いを受けてのアマゾン参入。
 寄らば大樹の陰とは言ったもので、今まで均一棚にも出せないような処分に困っ
ていたちょっと古いビジネス本、実用書などを中心ににマーケットプレイスに出品
し始めたら、自分でも意外なことにそんな本でも連日注文メールが届きはじめ、本
が売れていくその快感が忘れられず、アマゾンの方がこのサイトより面白くなって
しまったというのが正直なところだ。
 当然売れれば出品数は減っていくので補充しなくてはならない。たまに一冊も注
文がない日があると不安にもなる。しだいにどんな本ならアマゾンで売れるかわか
ってきて、これまでセドリなどしたことのなかった僕がアマゾンに出品するために
大手新古書店回りをする有様。在庫を減らすためにアマゾンに参入したのに本末
転倒である。大バカである。
 アマゾンで本が売れ始めた当初、江戸の仇を長崎で討つって感じだなあ、と思い、
実際、店ざらしになっていた、アーチェリーの教習本や、ペンション経営の本など
強気な価格で出して売れたから、もう十分元を取ったというか、仕返し(誰に?)は
したはずなのに、ついつい売れていく快感から逃れられず、まあこれは一種の
ギャンブルのようなもので、マジメで小心な人こそ、一回当ててそのうま味を味わう
とはまってしまい、しまいに身上潰すように、もういい加減こっちはやめて、本店に
専念しようと思いつつも、感度の鈍い古女房より新鮮な反応のある愛人との浮気
がやめられないどこかの課長さんのような状態で、やめたくても足が洗えない、
シャブ中のような状況が続いている。江戸の仇を討ち果たしたのだから、すぐに
長崎から江戸へ帰ればよいのに、ついつい殺しの味が忘れられず、今では夜な
夜な辻斬りをやって長崎を離れられない、そんな後ろめたい思い。ああ、僕は
どうしてしまったんだろう。新規入力や更新を怠っているから、当然本店の方は
閑古鳥が鳴いているし、本店では売れない、売りたくない不要本の処分場として
始めたことが今や本店そっちのけでメインの時間を奪いつつある。
 朝起きるとメールをともかくチェックする。日に何度もチェックする習慣がついた。
それは、アマゾンから、出品した本が売れたメールが届いたらすぐさま発送にとり
かからないとならないからだ。一応、2日以内ということになっているが、新参者で
もあるし、できるだけ迅速・丁寧に送らなくてはならない。それはお客様からの出品
者への“評価”がつくからで、毎日気が気でない。そして、注文を確認すると、まず
発送予定日などを相手に知らせるメールを送る。それから注文のあった本を探し
梱包に取りかかるのだが、1ページ1ぺージ開いて書き込みとか線引きがないか
確認する。これがかなりのプレッシャー。ドキドキする。むろん、出品時にパラパラ
めくって調べたはずだけれど、万が一状態が違っていると大きく“評価”に影響す
るので慎重に点検する。自店舗での販売なら、商品先送りで当店は販売している
から、状態がサイトでの説明と違っていた場合など、その旨説明して請求金額を
納得してもらえるよう割り引いたりもできた。ところが、何しろ代金はお客様が前
払いで先にアマゾンに支払ってあるのでカタログで説明したのと状態が違っていた
場合大いに面倒な事態になるのである。むろん全額返金もできるが、手続きが面
倒でできればやりたくないし、そうしたミスは評価に大きく影響するのである。
 本に問題がなければ、クリーナーで丁寧に本のカバーなどをティシュで拭いて
OPPピュアパックなる透明ポリ袋に入れテープできっちりとめる。さらに、その本
をエアーパッキンとか何とか言う、いわゆるプチプチでしっかり包む。一方、アマゾン
から届いたメールには、購入者の氏名・住所などの「発送ラベル」と購入者に本と
一緒に送る、取引内容などを記した「納品書」も入っているので、プリントして、切り
分け、納品書は本と一緒に封筒に入れ、発送ラベルを封筒の表に貼り、裏には
当店の住所を書き入れてようやく完成。慎重に丁寧にやる作業だし未だ慣れない
せいか先日、4冊いっぺんに注文が届いたときは朝から初めて全部梱包終えたら
昼過ぎとなっていた。その他、出品してあるカタログのページを定期的に覗いて
他の出品者の価格などをチェックして下げたり、ときに上げたりとともかく何だか
かんだか時間が取られるのだ。アマゾンの下請けとなって働かされているのでは、
と疑念がたまにわく。まあ、ともかく本が売れていくことはいいことだし、売れれば
小金でも金が入るわけで、さらに長い目でみれば、ますだあーと書店の知名度
アップにも繋がるはずだから、良いことだと無理にも納得させて割り切っている。
ただ、日々囚われている感じはいっこうになくならず未だこの日常に慣れない。
この自サイトとアマゾンとの二分化、完全にそれぞれ独立させ、売りたい本を本店
で、本店では売れない、売りたくない、いわば売っぱらいたい本をアマゾンで、と
決めて始めたことのはずなのに、結局売れる方にばっかし時間と熱意を奪われ、
売れない方は疎外され、ますます売れなくなっていく、という“資本主義”の現実が
僕という一個人の中でもせめぎ合っていて、かつてマルクスを学んだ者として複雑
な思いでいる。江戸の“仇”は実は僕自身の中にいたのかと気がついた話だ。
2004年10月30日
★パソコンの容量がいっぱいになってしまい、この富士見堂商店及び
ネット古書店のサイト作成ソフトの立ち上げと入力にものすごく時間が
かかるようになってしまい、「更新」するのが一苦労となってしまいました。
このところファイルを整理して古い情報を消したりサイトの整理をして
何とか軽くしようと試みているのですが、アマゾンでの商売の方に時間を
取られたりで、肝心の本家本元「本店」の方が疎かになって全くもって
情けない事態であります。一応、日記と言うことで、入力した日付が、
日記の日時となってしまいますが、個人的にこの秋から書きためて、
このページにアップできなかった「日記」を順次公開していきます。一応
どれも古本屋としての「生活と意見」のようなものです。直接このページに
打ち込むと時間がかかるので、「メモ帳」に入れておいたものを貼り付け
というカタチで。

●町の本屋が消えていく…
 
 新聞などによると、廃業していく本屋の数は年間で約一千店にも
及ぶという。この夏、僕の住む隣町の駅近くにあった本屋もお盆休みを
前にとうとう閉店してしまった。
 街の本屋、いわゆる間口二間から三軒程度で、家族経営で本と文具
なども扱っていた本屋がこの数年、僕の周りでは次々と消えていっている。
 その隣町の本屋の名はS文堂といい、聞くところによると、戦後、昭和
23年からずっとその地で本屋を続けていた。閉店を前に在庫の文具とか
すべて半額でたたき売っていたので、ペン類等を買いながら、店のオヤジ
さんやオバさんと話をしてみた。70代とおぼしき店主のオジサン曰く、
「ともかくもう疲れちゃったの! 年中店は開けられないから旅行も
行けないし、ずっとこの春までどうするか迷ったんだけどねぇ」。
オバサンも「ホントに残念で、お客さんからも惜しまれてんですけどねぇ…」
と申し訳なさそうにこぼす。
 彼らは多くは語らなかったが、要するに高齢化による、店を続ける
体力、気力の衰えと、はっきり口にはしないが売り上げ不振の影響も
大きく関係しているに違いないと思った。
 僕の住む昭島には、駅前から続く中通りにやはり似たような文具と本、
雑誌を扱うA書房が子供の頃からあったが、10年ぐらい前、一人で
店を切り盛りしていた店主が身体を壊したと閉店してしまい、残るは、
駅前のターミナルに面してS書店という間口の狭い主にタバコを売る
のがメインのような店があったけど、一年ぐらい前にいつの間にか消え
てなくなり、気がついたら携帯ショップになってしまって、いわゆる、昔
がらの町の本屋さんはなくなってしまっていた。そして隣町でもまた先の
店が消えてしまい、子供のころから行きつけの本屋さんはこれで完全に
姿を消したことになる。むろん、昭島では少し駅から離れたところに、
大きな駐車場を持つ、準郊外型チェーン店のひとつができてやはり10年
程になるし、一昨年近所にTSUTAYAができて、二階建てのその店の一階
では、セルビデオやDVDなどと共に本類も扱っているから、実質的には
本屋の数は減ったわけではないし、扱っている雑誌や、本やコミックの
数自体はかえって増えたと思う。また、ヨーカ堂系の巨大スーパーも
次々と新装開店し、そこの中には、大手書店チェーン店がどこも入って
いるので、本をとりまく環境は決して悪化もしていない。要するに、先に
挙げたような小規模の本屋、それも駐車場を持たない、昔ながらの
個人商店が潰れ、それが年間一千店、代わって大手の、資本力のある
書店チェーンが新たに進出しているという図式が見えてくるということだ。
 話題作はコーナーに並べられるし、そもそも品数が増えるのならば
本にとって歓迎すべきことのように思える。だが、僕は古い人間だから
手放しでは喜べない。先に挙げた隣町の本屋には、その店の顔があった。
オヤジさんやオバサン、その娘?ら、長いつきあいだから自然に顔見知り
となり、簡単な挨拶なども交わし、本や雑誌について会話があった。
最後はどうだったか知らないが、こうした町の本屋は、本や雑誌の配達
さえもしていた。定期購読者には連絡の電話も入れていた。お客と店は、
本を通して繋がっていた。今、大手の本屋へ行くが、例えばTSUTAYA
などの場合、一体誰が店長なのかわからないし、顔を覚えた頃には、すぐ
また別な店長に代わってしまい馴染みの店員ができやしない。本のことを
尋ねても多くはバイトの女の子で、話題作ならばともかくも、本についての
基礎知識が全く持っていない素人ばかりで話にならない。レジでバーコー
ドで値段を読みとり本を包むだけ。まるでコンビニで買うのと同じ感覚だ。
 僕自身は、決して店主と口をきいたり挨拶をするのは好きな方ではない。
かえって今のようなコンビニ式対応の方が気が楽だと思うタイプの人間だ。
だけれども、餅は餅屋という諺があるように、本屋には本屋の専門的な
知識が必要ではないのだろうか。少なくても昔の、町の本屋さんにはそれ
があったと思う。魚屋が、売って並べている魚の調理法を客に尋ねられたら
答えられる。八百屋だって、野菜の食べ方を聞かれたら答えるはずだ。
だとしたら、それなりの専門的知識を持つ、店の顔となる経験ある店員が
いる、それが正しい本屋のあり方だと思う。お客が本について相談したい
ならば、きちんと応対ができ、答えられる本屋。町の本屋は、少なくても
長年の経験と知識においてそうした本のプロだった。本についてお客の
相談に乗ることができた。そんな店が次々となくなっていく。これは時代の
流れだろうか。仕方のないことなのか。
 考えてみると、隣町の本屋の場合、バブルのはじける前?に、店を改築、
それまでの古い店舗住宅から、マンション形式の二階から上は賃貸住宅
へと本屋以外でも収入を得るように対策を打っていた。本と同時に扱って
いた画材ではない“文具”さえも昨今の100円ショップですべてまかなえる類
ばかりだった。その上に本が売れない出版不況。そして駐車場付きの巨大
大手チェーン書店の参入と、つまるところ、個人として本屋を続けていく
理由、つまり続けても儲けよりももはや労ばかり、という現状に、オヤジの
言う「もう、疲れちゃったの!」という廃業の理由があるのだと推察する。
少なくてもマンション経営で、本屋は閉じても当面の収入はあるだろうし、
本屋の後の空き店舗にやがて別な店、例えば流行の携帯ショップなどが
入れば、本屋をやっていたより儲かるかもしれない。場所も駅前に近い
わけだし…。
 それにしても昔から親しんできた町の本屋がこうしてまた一つ消えてなく
なるのは実に残念でならないとは、個人的な感慨だろうか。魚屋がそうで
あるように、こうした町の本屋は本についてのオーソリティーであった。
僕はふとしたことから今、ネット上で、店舗を持たない古本屋をやっている
わけだが、こんなネット古本屋も本屋の端くれであるなら、やはり、本に
関する専門的知識を持つ専門家でありたいと考える。今はまだ、単なる読
書人の末端、というよりなれの果て、ただの本好き、活字好きでしかないの
が実際だけれども、やがては少なくてもお客から本について聞かれたり、
相談される本当のプロになりたいとマジメに思っている。
世の中はすべてが簡単お手軽、便利のコンビニ化へと向かっている。素人
でもマニュアルさえ学べばそつなく一通り何でもすぐにこなせる時代だ。
そんな風潮に対して、専門的であることは、逆にカッコワルイかもしれない。
流行らないかも。でも町の本屋さんがそうしてきたように、ネット古書店の
オヤジとして、プロとして本の専門家でありたいと心から願う。まあ、そのた
めには何よりも本を一冊でも数多く読んで勉強することから始めるしかない
わけなのだけれども。それが何だかんだ毎日忙しくて古本屋になったからと
いって日がな一日、ゆっくりと古本のページをめくるというわけにはいかない
のはいったい何故なのだろうか。
2004年10月31日
●ゆるい店ときちんとした店〜セドリをしながら古本屋巡りをして
考えたこと。

 先日、といってもまだ暑い夏の終わりの頃だったが、この春偶然
知り合い友人となり親しくおつき合いさせて頂いている、近くの沿
線在住の書肆Nさんと連れだって中央線沿線、八王子近辺の古本屋
巡りをしてきた。そのとき考えたことなどをちょっと記しておく。
 古本屋業界の言葉で「セドリ」という言葉があるのは、ご存知で
あろうか。漢字で書くと背取り、とでも表記するのか。元々は、古本
屋店頭の棚に放出してある均一本の中から、その売値以上の価値
があると思える本を選び抜いて買い、他の店に転売して利ざやを稼
ぐ人やその行為を指していたらしい。古本屋と言えども、すべての
本に通じているわけではないから、時々うっかり知らないままに、
本当は価値のあるお宝本をうっかり安く処分棚に放出してしまう事
がある。また、価値があるとわかっていても、自分の店では売れず、
邪魔になったので出す場合もある。セドリとはそうした本を目が利
く人が選び抜くことだ。昔はそれだけでメシを食っていた人もいた
とモノの本には書いてあったが、過去の話ではなく、実はこのセドリ、
現在でもしっかり残っているのだ。特にネット古書店の世界では
大変重要な仕入れの手段なのである。
 杉並北尾堂やうさぎ書房さんたちが先鞭をつけ、今日ではちょっと
したブームになった観のあるインターネット古書店であるが、当初、
商売を始める人は、まず手持ちの自分の蔵書を売ることから始める。
最初は誰もがそこからだが、もし売れ始めていくと当然在庫商品は
なくなっていく。そこでどうするか。古物商の資格を取った人なら
自サイト上で「買い取りいたします」と呼びかけ(資格無しにこれ
をするとお縄になります)、応答のあったお客の所に出向くか、本類
を送ってもらいそれを買い上げて商品として補充する、というのが
一つ。または、本当の古本屋として業者組合に加盟して市に参加し、
仕入れてくるという「本式」もあるものの、加盟料などが非常に高い
ので素人上がりはまずはできない。だとすると、後は先に書いた
「セドリ」ということになる。幸い今日では、ブック・オフなどの
新大型古書店チェーンが各地あちこちにあるから、そこの100円均一
棚をこまめに回れば、当面仕入れには事欠かないで済むという訳だ。
実際、アマゾンのマーケットプレイスで古本を出品している個人の
多くはこうした大型新刊中心古書店からのセドリだと思って間違い
ない。僕をアマゾンに誘ってくれた恩人から教わったMLでは、こう
したセドリで儲けている人たちの自慢話や情報の場というのもあって
「5冊仕入れたけれど、一冊ですぐに元が取れた」とか「在庫ばかり
が増えて赤字だァー」などと各自それぞれの書き込みが垣間見られ
て甚だ興味深かった。
 僕個人は実はセドリというのは、これまでほとんどしたことはな
かった。古本屋では本は良く買うが、それは自分がまず読むためで
あり、転売目的で買ったことはなかった。それに何よりも在庫は今
もってまだまだボーダイにあって、他人から送りつけられた分だっ
て全然片づかず、自分の蔵書を売るところまですら行っていないと
いう、つまり告白するとほとんど売れていない店なのだったから。
おまけに尻が重く、もっともっと古本や古本屋について勉強しなく
てはならないのに、出不精で引きこもりがちだった。そんな僕を
友人となった同業のNさんは近隣のよしみもあり、「実際に古書店
探索に行ってみましょうよ」と誘い出してくれて、ようやく初めて
八王子界隈の古本屋へ案内してもらったというわけなのだ。
 西八王子から歩いて、まずは昔昭島駅前の店にいたが、そこはパ
ートのおばさんに任せて自分はもっといなかで広い店を開いたS文
庫へと初めて行ってみた。その店の店主と久闊を叙した後はNさん
に連れられるまま、八王子の繁華街にある何店か回り、最後は日野
駅で降り、本格的カレーを食べて帰路についた。この間4,5店実
際の店舗を持つ古本屋を巡ってみて思ったことだが、店それぞれに
個性があると感心した。最初に行った以前から知り合いの店などは、
表の均一棚は、すべて3冊200円で、昭島の店より圧倒的に質も量も
あって、ついついコーフンしてしまい、自分用に完全に黒っぽい明治
や大正の戯作本などから自サイトの専門棚用、ひいてはアマゾン用
にと、ついつい20冊近く買ってしまい重くて移動が大変だった。
 八王子駅前では貸本などの絶版マンガが充実している店、100円
均一本を表に乱雑に箱に入れて投げ出している店など比べて見た。
マンガ充実店の方は、ウナギの寝床のような狭い店の入り口の脇、
真ん中の高い席に店番が、あたかも銭湯の番台の如く座り目を光ら
せている。すべての本はポリエチレン袋で梱包され、どんな本でも
それなりの価格がきちんとついている。これはきちんとした店だと
思った。品揃えもいい。でも何か息苦しい。
一方、表に乱雑に本を投げ出ている方は、最初はそれが均一本だと
よくわからないぐらいテキトーで、思わず値段を確かめてしまった
ほどだ。そして最後に案内された店などは、表に本が平台にぐしゃ
ぐしゃに無造作に並べられ、さらに拡げられない余った分は平積み
に屋根の庇まで横に重ねられている、というもの凄い、まるで我が家
の倉庫そのままの無造作なスゴイ店だった。平積みの本は一冊でも
抜くと上から全部崩れてくるだろうから、触ることすらできない。
平台の本も値段もついていないから、買うのはすごく不安だった。
でも戦中生活の心得を説いた本があったので、それともう一冊、手
に取ってギシギシと滑りの悪い戸を開け、中に入り、オヤジに、
「この本…」とおずおず差し出したら、店主は書名も確かめずに即、
「はい200円」と言われ、拍子抜けした。よくわからないが、その店
では値段はオヤジのその日の気分によるらしい。
 まあ、こうしていくつものの実際の古本屋を回って、大いに刺激を
受け勉強になり考えた結論は、最後の店は極端だが、やっぱり古
本屋はユルイ方が個人的には好きだということだ。僕自身がまず
ユルイ人間だということもあるが、きちんと在庫管理され、店主の目
が隅々まで行き届いている店よりも、おもちゃ箱をぶちまけたような
何がどこに隠れているかはっきりわからない方がオモシロイからに
他ならない。僕のネット古書店も実際の店舗はないけれども、もっと
もっとごちゃごちゃした盛りだくさんの、しかもお買い得でかつ面白い
店にしていこうと、帰り道改めて思い直した。
 Nさんのところはきちんとした、センスの良い隅々まで彼の目が
行き届いたきちんとしたサイトだが、僕にはそれを憧れてもできる
はずがない。蟹は自分の殻に合わせて穴を掘るのなら、できない
ことを目指すよりも個性にあったできることをカタチにしていった方
がいい。まっともかく、大いに勉強になった。
 僕は店の売り上げ以外はともかく、ネット古書店界では親切な友
人と何人も出会うことができて本当に運が良かったとつくづく思って
いる。そういう意味でもこの商売を始めて良かったなと、運命の?
神様に感謝したしだいだ。
2004年11月17日
★メルマガにも書いたことだが、アマゾンに参入して、そちらの方では
コンスタントにほぼ一日に一冊は確実に本が売れるようになった。少しは
儲かって来た、が、まあ小遣い程度の収入が毎月入るようになったという
ことだ。一応ご報告しておきます。読者の皆様のおかげでもあります。いや、
本当は僕をアマゾンに誘って頂いた水戸の青葉屋さんのおかげなのだ。
 先日、その3回目の売上金の振り込みがあり、わずか3ヵ月弱で、これまで
1年間この富士見堂〜ますだあーと書店のサイトで売った分の全売り上げ
を超えてしまった。ウレシイことか、はたまたいかにこの自サイトに客が来ず
売り上げが少ないか嘆くべきか。そこで考えようによっては、こんなしょぼい
サイトは閉じて、アマゾン一本に専念したらば、もしかしたらもっと喰えるよう
になるのではないか、と“欲望”があたまをもたげてくる。資本の論理では
それが正しい。不採算部所は切り捨てていくべきだ。企業ならば。
そんな悪魔?天使?の囁きにときに頷きそうになることもあるけれど、以下の
拙文は先にメルマガに書いたものの採録だが、現在の自分の決意表明の
ようなものと思ってほしい。

●自分は本が売れればいいのか、自分のしたいことは
本を売ることなのか、と自問する毎日

 何を今さら世迷い言を、と思われるだろうが、ことところずっと
考え、自問していることがある。僕は、本を売りたいのだろうか?
 アマゾンに参入して以来、本はコンスタントに売れていくことは、
これまで何度か書いてきた。それは、当然いいことだろうし、
嬉しいはずだが、反面、アマゾンと反比例して富士見堂内の本店
側の方は、バッタリ売り上げが落ち込み、これまでにも増して
閑古鳥が鳴くありさまだ。これはいったいどうしたことだろうか。
アマゾンに気を取られ本店の方が疎かになっているモードがサイ
トに漂ってそれがお客に伝わり売れないのだろうか。本入力以外
の日記など読み物の更新が滞っていることが売り上げに関係して
いるとは思えないが、何か本末転倒のような気がしてきた。
 アマゾンに出品するようになって一ヶ月半になろうとしているが、
1日に一冊換算の割合で、約50冊、本が売れてみて、わかった
ことは、アマゾンという巨大市場では、訪れる客もボーダイだから、
たいていの本は、安ければ、安くすれば右から左にあっと
言う間に売れていくということだった。当初はそれがわからず、
売れることに一喜一憂し、コーフンし、面白くなってすっかりは
まってしまった。
 だが、そちらにうつつを抜かしている間に、本業というか、自
店舗――ホームページの本店の方は大変なことになっていたとい
うわけだ。そして今、(アマゾンで)売れるのが当たり前だとわかった
今、あえて自問しているのが、本は売れればいいのか、自分は、
そもそも本を売りたいのかということだった。

 アマゾンで売るようになってアマゾンの批判ではないが、常々
不思議というか、疑問に感じていることがある。どんな本でも、
たとえば、小説本などを例に取ると、オリジナルである単行本よ
りも、必ず、新刊・近刊の復刻版の文庫や新書版の方が高く取引
されていることだ。これだけはわからない。僕はかつてレコード
コレクターであり、現在もまだ多くのレコードを捨てられずに所
蔵しているが、レコードの場合、一番価値があり、高く取り引き
されるのは、オリジナルの盤(とジャケット)のものであり、ビ
ートルズを例にあげれば、何度も復刻され、国内も含め海外盤等
も無数にある中で、一番価値のあるのは、イギリスのアップル・
レーベルのものであることは自明のことだろう(CDはどうだか
知らない)。本でも僕はそうだと思っていた。
 ところがここアマゾンではそうではない。いくら由緒ある黒っぽく
なったオリジナルの単行本より、手垢の付いていない、できるだけ
新品同様のピカピカの再刊、復刊の文庫の方が高く売れていく。
そう、アマゾンの市場を動かし決定づけているファクターは、
2つしかない。
1.商品が新しく、いかにキレイな状態か。
2.いかに安いか。 である。
 この他に、同じものが出品されていれば、大きく重い版の本よりも、
薄くて軽い版の方が重宝されるという、前回書いたように出品者側
の“送料のウマミ”といものも関係してくる。まあ、“軽・薄・短・小”は
時代の流れであり必然なのだけれども。
 値段はわかる。誰だって一円でも安く本を買いたい。だがどうして
価値あるオリジナルの古い版より、再発の近刊の方が高く流通する
のか。ずっと首をひねっていた。まさか、アマゾン側が操作して
いるはずはないのに。そしてようやくわかった。これは、そのまま
「ブック・オフ」、「ブックセンターいとう」などの本の評価、値付け
そのものだったのだ。
 マーケットプレイスでよく目にする、大口出品者たちの多くを見れば、
みな聞いたことのある大手の巨大新古書店チェーンの支店や、
高原書店などのビッグネームばかりだ。それ以外の個人とおぼしき
出店者を見ても、中には「せどりちゃん」などと堂々と名乗り、
「大手のブック○○から仕入れてきた本を格安で提供しています」
などと臆面もなく公言している人もいるくらいだから、本の値段は、
本の年代や由来、書誌学的な価値で決めるのではなく、状態及び、
いかに新しいかと、市場流通の絶対数だけで一律決めてしまうという
大手新古書店の基準がそのままアマゾンでも流入、通用していた
のである。まあ、それを是認、支持するお客様がいるからこの基準
は成り立っているわけなのだけれど。
 元より僕はこの価値基準は納得できないでいる。安いモノが売れる
というのはわかる。だが、古本の値段はそもそも安すぎると思う。
これは儲けたいから言うのではなく、良い本、価値ある本のオリジ
ナル版であるのに、アマゾンでは、古いからか信じられないほど安い
値がついてしまう。いや、それで売れるのならいいが、小説の類は、
古ければ古いほどまして売れないようだ。僕も売れたのは、当代の
人気作家のちょっと前の、現在あまり流通していない話題作だけだ。
 以前古本屋のMLリストの配信を受けていたとき、アマゾンに参入
するか、ということがひとしきり話題となっていて、中に、「2日以内に
商品の発送をアマゾンから急かされたりするのがイヤだ。もっと
ゆっくり売りたい」と言う店主がいて、その時はピンと来なかったが、
今はその気持ちが実によくわかる。僕自身もっとゆっくり、丁寧に
本を売りたいと思い直し始めていたところ、先日、師匠である、
ネット古書店界のパイオニア・北尾さんのメルマガで、彼の店、西荻
北尾堂が、開店5周年を迎えたことを知った。
 そのメルマガに書いてあったことだが、ざっと見積もっての話と
してだが、彼は5年間で、約1万5千冊の本を売ってきたと言う。
1年3千冊である。1日に換算すると1日当たり約8冊売る割合だ。
これには考えさせられた。情けない話だが、僕は最高でも1日5冊
までしか発送したことがない。それも1日だけ。むろん彼はこのネット
古書店だけで生活しているわけではなく、本業はライターで、自ら
本も出版しているし、他にも手広く精力的に活動している。あくまで
副業でこの数字。もし、プロとして本当にネット古書店で生活していく
としたら、いったい日に何冊売れば良いのだろうか。それこそ一日中
パソコンに向かって日に何十冊も発注、発送をしなくてはならない
だろう。右から左にベルトコンベアーの流れ作業のように
本を動かしていく。そこには、その本を読むことも、お客様との対話も
まずないだろう。僕はそうやって、本をたくさん売りたいのだろうか?
 このところずっと自問しているのはその点だ。むろん本は売りたい。
売って儲けて生活の足しにしたい。でもそれだけでいいのだろうか。
僕が売りたいのは、本そのものではなく、本を通した“何か”では
ないのか。
 今読んでいる本に、明治の小説家であり、新聞出版人でもあった
ジャーナリスト黒岩“涙香”周六の評伝小説がある――『まむしの
周六 萬朝報物語 三好徹著 中央公論社』。
 今日、ゴシップ誌などの、スキャンダラスを扱う新聞など英語で
言うところのイエロージャーナリズムのことを日本では“赤新聞”
と呼ぶが、その語源となったのが、黒岩涙香が興した新聞、『萬朝
報』であり、後世に“赤新聞”と揶揄されるような政治家や官財の
有名人のスキャンダル中心の記事を多く載せた悪評だけが伝わって
いるが、一時は、内村鑑三、幸徳秋水、堺利彦など当時の進歩的知
識人、社会主義者など多くを記者や論説者に抱えた反政府、反権力
の極めてリベラルな新聞であった。黒岩は自らの新聞で、新聞人の
あり方として「義」と「利」を並べてこう説いている――同書抜粋。

 ―――新聞紙も一つの営業なれば収支の相償うを期せんには、
多少人心に投じ風潮に応ずる手段あること、まことにやむを得ずと
云うべし。吾人は新聞紙に対して一切「利」を念頭に置くなかれとは
云わず、又一切読者に「媚る」なかれとは云わず、ただ「利」を計り、
読者に媚る間においても、その本来の性質が「義」に在ることを忘るる
なかれと謂うなり。射利一方なる商人の開業に非ずして志士仁人の
業なるを記憶せよと謂うなり。《略》新聞紙は正しく辞を修め道を明かに
するの事たり、当世を救うの志なくして何ぞよくその業に副うことを得
んや。

 いささか難しいが、要訳すると、新聞社でさえも営業第一で読者に
迎合することもやむを得ない、が、本来、新聞とは商人がやっている
のではなく社会変革を目指す志と責任がなくてはならない。普通の商
売とはそもそも違うものなのだから、と涙香は言う。
 だが、周知の如く萬朝報は、日露開戦を前に高まる開戦の世論の中、
発行部数の低下を招いた非戦論を張る内村鑑三、幸徳秋水らを切る
ことで、世論に迎合し始めしだいにその「志」を失って精彩を欠いた、
ただの保守的な、政府支持の翼賛新聞へと転落していく。今回の趣旨
と離れるのでこれ以上この本と黒岩涙香にふれないが、僕が言いたい
のは、彼の言葉どおり、新聞に「義」があるのなら、本にもまた「義」
が在り、それを扱う本屋にも「義」がなくてはならないのではないかと
いうことだ。ずいぶん偉そうなことを言っている。自分でもそう思う。
でも本が売れさえすればいい、数を売ることが第一ではないような
気がする。いや、ともかくもまずは本を売っていくことが大事だ。
が、コンビニや蔦屋内で売っているのではない、街の本屋に本来の
本屋としての使命があるのならば、ネット古書店と言えども同じような
責任があるのではないだろうか。他の人はどうか知らない。古本屋に
「義」などないと考えビジネスのひとつに過ぎないという人も多いと思う。
それはそれでかまわない。偉そうなことを言う前に、まずはともかく
本を売っていくこと。それはわかっている。本を売ることはもちろん
大事だが、それ以前に、いや平行して、本について語ること、
書くことに重点をおきたい。価値ある良い本をもっと紹介したい。その
ためにはもっともっと知識を増やすこと。本をたくさん読んで勉強
しなくてはならないが。
 自分でも迷い、混乱していると思う。それにつけてもアマゾンの基準
に見るように、今の時代は、新しいもの、きれいなもの=若いものに
価値をおく文化だが、それに歯止めをかけようなとど偉そうなことは
思わないが、あくまでもその風潮に便乗し、従うのではなく、僕の
好きな古いもの、時間を経て老いたものを大切にして価値を見出せる
ようにせめて微力でも世の流れに抗っていきたいと考えている。
 アマゾンではこれからも処分したい本を中心に売っていくだろう。
でも僕としてはそれより本店で、アマゾンのシステムに楽して頼らず、
本当に売りたい本を並べ、たとえほとんど売れなくても顔の見える古
本屋のオヤジとして、たまに来てくれる客を大切に、本について講釈を
垂れながらほそぼそと店を続けていくべきではないのか、それもいい
かもしれないとふとそんな考えもしてきている。ともかく本当に売りたい
良い本を自分のサイトで丁寧に時間をかけて売っていきたいと心底願う
今日この頃なのだ。                            ■
2005年01月25日
●開店3年目を迎えて 〜これまでとこれから
近況とご報告、そしてしばらくの間コンテンツ一部移転のため
作業中更新停止のお詫びなど、もろもろの連絡事項です。

                  富士見堂商店 管理人
                  ますだあーと書店 店主・マスダ昭哲

 当サイトにお越し下さった読者の皆様。2005年、明けましておめでとう
ございます。この「日記」も含め、長らく更新を怠って申し訳ありません
でした。ご心配、ご迷惑をおかけしたことをまずこの場でお詫びをいたし
ます。当サイトは、2003年の6月、ネット上にアップし開店、本年で一応
3年目の年を迎えることとなりました。まがりなりにもともかくも続いて
きたわけで、ひとえに、読者の皆様、関係者の方々のお力添え、励ましが
あっての現在であります。これまで本当にありがとうございました。
 このところ、この日記を始め、当サイトは更新が滞っておりました。まず
その経緯についてお詫びとご説明をいたします。

 私、マスダが月2回の間隔で発行している『富士見堂通信』というメール
マガジンがあります。このホームページの関係者及び読者の方々とますだ
あーと書店の顧客で、定期拝読の申し込みをされた方々に無料で配信して
いるのですが、そちらの方はほぼ定期的に発行しているので、知人及び
関係者の方々は当サイトの諸事情とマスダの近況などはご承知であると
勝手に思いこんでいたのです。が、先日同業のネット古書店主から、メール
を頂き、「秋口から更新されず音沙汰ないので、マスダはきっとプーケット島
でもふらっと遊びに行ってそのまま大津波に流されてしまったのでは…と
心配していた」とお叱りを受けました。その人にも確かメルマガを送信して
いたはずですが、それで当方の「事情」は伝わっていたと思うのは身勝手な
独りよがりの甘えた発想であって、やはりサイトまずありき、と、折々定期的
にきちんと更新すべきであったと気づかされました。ほとんどカウンターの
数字が増えない弱小サイト内の誰が読んでくれているのか皆目わからない
「日記」だとしてもです。

 さて、近況というか、これまでの経緯を簡単にお知らせいたします。一部
既に書いたことや、メルマガ読者の方々には重複した内容ですがご勘弁下さい。
 私マスダの手がけているネット古書店ますだあーと書店は、昨年、2004年
の8月より巨大通信販売市場、Amazon.co.jpのAmazonマーケットプレイスに
古本の出品を始め、それまでの細々とこの富士見堂内で“営業”していた分と
は比較にならない販売がありました。富士見堂内の店が「本店」だとすれば
アマゾンでの「支店」は、本店が開店以来コツコツと売り上げた金額をわずか
一月ちょっとで凌駕するほどでした。といっても貧乏人生が長かったマスダが
突然金持ちになったと思わないでください。売れたといっても本は単価が安く
しかも各一冊しかなく、平均すれば5,600円の本が一日に1冊〜2冊売れると
いう程度の売り上げです。Amazonから手数料等の名目でマージンも引かれる
ので、まあ小遣いにやや困らない程度の「定収」が毎月懐に入るようになった
ということでしかありません。それでも貧乏人にとっては大いなる変化であります。
この市場に誘ってくれた水戸在住の同業の知人には生涯恩義を感じていくこと
でしょう。
 アマゾン市場に出品している本は主に本店では扱えないビジネス書や経済書、
育児書、参考書などの実用書です。本店の方はあくまでも自分の売りたい趣味
にかなう、小説やエッセイ、美術書などですので、完全に分けて始めました。
本当に売りたい本と、処分に困るような、売り飛ばしたい本との違いです。
ところが、その売り飛ばしたい本がアマゾンでは面白いように売れていきます。
株投資の指南本など、自分では全く興味がないし、以前は店に入ってもゴミと
して処分していましたが、まず必ず新しいものなら高値でも売れます。そんなで
いつしか、本来自店では売れない、売りたくない本を処分の名目で参入した
はずのマーケットプレイスでの商売が、しだいに本気に、商売の柱となって
しまい、時間と意識がそっちに常時囚われるようになってしまいました。
 一方、肝心の本店の方は、というと、当たり前のことなのか、マスダがアマ
ゾンに熱中すればするほど、顧客の注文は反比例的に減り続け、11月などは、
ついに一冊の注文もこないというぐらい閑古鳥が泣き叫ぶ有様で、さすがの
お気楽者も事態の深刻さに気がつき、いくら本が売れたとしてもこれは本末転
倒ではないのか、と考え始めました。自分はこんな金儲けの本や、サラリーマン
向け出世ノウハウ本などを売るためにネット古書店を始めたはずではなかった、
自分が考える良い本を、その本を求めている方に手渡したくて始めたはずなの
に…。アマゾンではこれまで170人以上のお客にほぼ同数の本を売りましたが、
彼らに発送に際し、ますだあーと書店本店のURLを知らせても本店には絶対
に返ってくることはありません。基本的にお求めの本一冊限りのおつき合いで
終わってしまい、どのような方がどんな理由でその本を買ったのか皆目見当が
つきません。本店では売りたい本は全然売れず、アマゾンでは売りたくない本
でも次々と売れていく…。ジレンマですが、やはり本が売れれば金が入る…
そんなわけで本店には後ろめたい思いで、このままで良いのか、何とかしなく
ては、と悩みながらも昨年末まで時間は慌ただしく過ぎていきました。その間、
マーケットプレイスでは、発送の際、Aの本をBの客に、Bの本をAの客宛に
誤送するという“初歩的ミス”を起こしてお客様からクレームがついてその収拾
に頭を痛めたり、その他、顔の見えないお客相手に大小様々なトラブルもあっ
たりで、本の注文は嬉しくても客商売というのはこんなに大変なことなのかと
ようやく深く真剣に認識した次第でした。以上は私の「商売」に関する話ですが、
次に富士見堂商店とますだあーと書店のあるこのホームページについての
トラブルの状況を説明します。
 このサイトは、私マスダが立ち上げ、古くからの友人達に参加というか、寄稿
を呼びかけ始まりました。その根底にはかつて紙のミニコミを長年出していたと
いう経緯がありました。そのミニコミが終了し、新たにネット上に展開したのが
『富士見堂商店』という総合サイトで、私の古本屋もカタチの上ではその商店の
中に入っていることになります。ただ、土台となるパソコンは私のソーテック製
のウインドウズXPが積まれたやつで、市販のホームページ作成ソフトを用いて
そのパソコンで各自から届いた原稿や画像などを配置し私が全てのページを
作成しアップさせているわけです。私は元より、パソコンに関してこれまで全然
経験が無く、このHP作成ソフトがなければ自分だけでは何一つサイトなど立ち
上げることすらできるはずもありませんでした。そしてサイトの容量などについ
ても全く無知でした。私がその変化というか、異常に気がついたのは、昨年の
秋口のことです。富士登山の写真などのページを作り、登山記をアップさせよう
としたときに、そのページ作成にひどく時間がかかり、所謂「重くなった」ことが
わかりました。そしてそれ以降、書店での新着本を増量したり、他の担当者の
コーナーを新たに入力したりするとその都度、文字の変換をはじめ、ソフト自体
の立ち上げ、バックアップにものすごく時間がかかるようになってしまい、しだい
に気軽に更新したりアップさせることが気が重いというか、面倒にもなってしま
いました。年月と共にこの富士見堂のサイトの容量が増えすぎてパソコンの容
量一杯になっているのでは…という不安はこのところずっとありました。要は
過去のファイルとか不要になった分はどんどん消去して軽くしていくしかないの
では、と考えてはいたのですが、アマゾン市場の方も忙しくなかなか腰を据え
その作業に取りかかれず、メルマガ紙上ではその由を何度も書いてはこぼし
つつも実際は抜本的対策を取ることがなかなかできず、結局富士見堂商店の
各ページ、特にますだあーと書店のページは更新が滞るままに置かれてしまい
ました。これでは来てくれたお客も失望するだけで、当然売り上げはさらに低下
するのも当然だと今にして気がつきます。。そして、ついに先日。サイト内に
『阿波徳島発県伝』というコーナーがあり、久方ぶりに新たな原稿が年末に届き、
新しいページを増やして更新をはかろうと試みて作業を始めたところ、途中で
HP作成ソフトが完全に停止し、青くなってその販売会社に電話して相談したと
ころ、そのときはスイッチを切る強制終了でパソコン自体は元に戻ったものの、
結局メモリ不足から、今のままではもう容量が限界でこれ以上ページを増やす
とやはり同じくフリーズすると「宣告」を受けてしまいました。パソコン音痴の私
でも薄々と予感はし怖れていたことがついに現実となったわけです。
 パソコン自体の容量はまだ十分あるのですが、要は実際の作業に用いる
メモリが私のパソコンは256MBしかなく、これだけの全体ページがあると重くて
もはや限界に来ているらしいのです。メモリが増やせればいいのですが、どちら
にせよ、まずの解決策としては、今あるコンテンツを減らすか、別サーバに移行
させて、全量を軽くするかしかありません。実際にこれまで、こうした事態は
十分予測していたので、メルマガ紙上では、例えば、古本屋以外の読み物の
各ページは別のパソコンから別サーバでアップさせて、単にそこにリンクで繋
げれば良い等と再三書いてきました。が、尻に火がつくまで、なかなか抜本的
対策を始めないという私の性格的怠慢から、“すぐそこにあった危機”に対して
何ら実際の行動に向かいませんでした。でももはやこの現実を前にして、うだ
うだ困った困ったと言っても解決しません。今のままではこのサイトは一切新た
な更新もできず、古い情報だけで止まったまま“剥製”となってしまい、いよいよ
もって誰も訪れる人がなくなってしまいます。ですから全力をあげて私マスダは
この問題を解決し、新たに、気軽に更新や出入りでき、活気溢れるサイトに
変身脱皮できるよう、全力で立ち向かうことをこの場でお約束します。その期限
ですが、今月中はとても無理ですが、2月いっぱいか、どんなに遅くとも今春、
春の到来を前に新たな元気な良いご報告ができたらと願っています。そんな
わけで、しばらくの間、当サイトは一部移転、改変のために作業に入ります。
その中でも多少の更新、例えば古本の新規入力など可能であれば図りますが、
このような事態ですので何卒ご理解をお願をいいたします。
 ともかくこのままでは、本の入力すらもはやできません。家の倉庫には、まだ
まだボーダイな数の本が、良い本もクズ本も含めて眠っています。売れる売れ
ないはさておいて、もっともっとそれらの本をサイトに載せてコメントをつけ紹介
したいと強く願っています。本だけではなくこの『富士見堂』というホームページ
を通してまだまだやりたいこと、発表したいこと、書きたいことが山ほどあります。
そのためにも気軽に更新でき容量に制限なく自由に加減できなくてはなりません。
 状況などはトップページなどで動きがあり次第ご連絡いたします。お待たせ、
ご迷惑を当分の間おかけしますが、もうしばらくお待ち下さい。春はもうすぐです。
この厳しい季節を越えればきっと楽しく愉快な日々が訪れるはずと信じて頑張り
ます。幾山川越え去り行かば…という気持ちでおります。皆様お元気でぜひまた、
当サイトでお会いできる日を願ってとりあえずペンを置きます。

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