■口語文体の問題に対する意識の変化

穂村 前衛の時代に「私性」の問題がクローズアップされたことがあった。本当はお兄さんがいないのにお兄さんのことを書くとか、本当は自分は男なのに女のように書くとか、それがいいのか悪いのか、倫理的なもの、そして表現としての可能性みたいなものを問われて、定型のなかの問題として、前衛のなかでも大きな問題としてクローズアップされていたんだけれど、もちろんその後の歌人たちの試行によっていろいろな可能性を試されて、その問題が肯定的にクリアーされたという面もあるんだけれど、それと同時に、ぼくもそうだけど、ある年代以降の人にとってはそういう問題ははじめから自分のなかになかった。つまり前衛の時代の空気とぼくが歌を始めたときの空気は明らかに違っていた。
そうするとぼくにとっては、女の子が「ぼく」だったり「私」だったり、そういう歌が交互に並んでいたって何とも思わない。そして、いまはたぶんみんなそうだと思う。でもそれは、虚構の私とか、そういう問題を定型の内部で表現としてクリアーしただけじゃなくて、自然に時代の変化みたいなものがその問題じたいを無化してしまったというところがあると思うんです。
それとよく似たことが口語の問題にも言えるのではないか。たとえば口語で歌を書くときに明らかに弱点と思えるポイントがいくつか考えられます。作者を問わず、当時、口語で書こうとしていた人は同じように感じていたと思うのです。具体的に言うと、一つは結句の問題。最後のところ、文語で「けり・たり・かな」とか、詠嘆の入った終わり方をするのに比べて、「何とかです、何とかする、食べる、眠る」とかで終わると、日記を読んでるんじゃないぞという感じになって、定型的な韻律のカタルシスがないということはすごく大きかった。だから、口語の歌集を読めば間違いなく体言止めが多い。体言止めは比較的その問題をごまかしてくれるから。あと、命令形をよく使ったり、「何々しながら」「何々まで」とか、そういうかたちでそこを何とかしようという意識があった。
それから、大きな問題としては、口語の場合、動詞の連体形と終止形が同じ形をしていることがあって、そうすると最後にそれがくればいいんだけれど、二句目、三句目で「何とかする○○」とモノが下に来たとき、それはモノを修飾していることばなのか、それともそこでいったん切れているのかを区別できない。だから口語の作者はそこで、本当はやりたくないんだけどしようがなくて一字あけをしたり、そういう処理のしかたをしていた。
あと、もっと細かい、ある意味では大きいところとしては、みんながそうだったかどうかはわからないけど、口語は精密な描写に対して弱いということが経験的にある程度言えると思うんです。
これはぼく個人が下手だということはもちろんあるけれど、たとえばこんなフレーズを自然に書いてしまうんです。「ふゆの夜のプールの底に降るプラタナス」。ぼくはそれで書けたと思って歌を提出する。でも、もっと年配の、これは岡井隆さんが言っていたけど、「穂村君、これじゃ木がプールの底にどさどさ落ちているみたいだよ」って(笑)。でもぼくは言われてもあまりそうは思わなくて、冬に「降るプラタナス」といったら、あの葉っぱに決まってると思ってしまうんだ。でも、そうじゃないことばの練り上げ方をしてきた人からすれば、それはもうダメなんです。許容範囲外の表現です。たしかにそう言われてみたとき、それでも葉っぱだと主張はできない。
もう一つ例をあげると、最近の歌ですが「はだかで石鹸剥いている夜」という表現をしたのです。正確には剥くのは石鹸ではなくて石鹸の包み紙です。それは一般的には「石鹸剥く」でわかると思うんだけれど、でも、厳密なことを言えばたしかに「石鹸を剥く」と言ったら、あの石鹸を剥いている変な人になっちゃう(苦笑)。もちろん、それは個人の技術の問題でもあるだろうけど、口語はそのへんの詰めがどうしても甘くなりがちだということはたしかにあったと思うんです。
そういうことをぼくだけじゃなくてみんなも感じていたと思うし、実際に加藤治郎さんは結句の問題を書いていたと思う。でも、それらの問題が、さっきの前衛短歌の「私」の問題のように、あまり意識されなくなっちゃった。べつにいま全然、表現のなかでクリアーされてなくていまだにその弱点は残っているんだけれど、少なくともぼくよりも若くて口語で書いているような人に、結句が「何とかする」という終わり方はどうも歌として締まらないんじゃないかと言っても、彼らはそう思わない。
そう思わないものは思えと言われても思えないわけで、つまり女の子が「ぼく」と書いても全然おかしくないとぼくが思うのを、おかしいでしょうと言われても全然おかしくないとしか言いようがないから、それはまさに世界の空気がシフトしてしまったというところがある。
単に使っていることばの面からいうと、ぼくたちも口語を使っていたし、いまも彼らが口語で書いているという面からはべつに何ら変化はないように見えるけれども、体感としてはそこにシフトがあると思うんです。

荻原 いま口語文体への具体的な指摘が出ましたが、一つ一つたどって考えてみます。結句が「なり・けり」などの文語的詠嘆ではないとき、たとえば「です、何々する、である」というのが非常に単調になりやすいというのは、八〇年代の口語の問題だけじゃなくて、明治の青山霞村の段階でもすでにあったと思います。塚本邦雄さんがモダニズムの口語作品を批判するときにも、結句が非常に単調になりやすいと盛んに言っていました。
塚本邦雄さんの作品に口語文脈が特に多いわけじゃないですが、さっき穂村さんが言ったのと同じで、非常に体言止めが多かったり、命令しているんじゃない命令形がある。もしかすると、命令形にみえているだけで変則的な已然形止めかもしれないですけど。塚本邦雄さんは、<ラガーらのそのかち歌のみじかけれ・横山白虹>など、俳句のなかで切れ字で切るのではなく已然形、命令形での切り方があるところからずいぶん文体を摂取している部分があると思うのです。これは口語だけの例ではありませんが、先人の試行とよく似た位置で、われわれもまた悩んでいるんですね。
それから、口語で書くと連体形と終止形が同じ形になるもの、これはやっかいな文体を生み出しますね。ぼくは一字あけは絶対せずに対応するようにしています。自由律や口語俳句でも同じ問題があります。たとえば尾崎放哉に<蛇が殺されている炎天をまたいで通る>という作品がありますが、この<殺されている>の部分に見られる感覚などはよく参考にしています。
細かい話になりましたが、こうした文体の細部を論じる話が浮上しないと、間断的な歴史しかもたない口語文体というのはたちどころに限界をむかえてしまうのではないでしょうか。
描写に弱いということで出てきた「プールの底に降るプラタナス」「石鹸剥いている夜」に関しては、口語の問題なのかどうかわからないですね。写実的文体と非写実的文体の差ということかな。眼前に写真のように風景を立ち上がらせることを意図しているか、それとも概念的になってもいいから、状況や行動の内容を伝えようとしているか、ということでしょう。たしかに、口語の文体で書くと、リアルな写実に関してはゆるむところがあると思うけど。

穂村 問題は「石鹸を剥く」と書いて、(それが別の読まれ方をするということを)自分自身で気づいてないところなんですよ。

荻原 個人の感覚によるところも大きいんじゃない。コンテクストにもよるけど「石鹸を剥く」は、石鹸の包み紙を解く、と読める。これが「餅を剥く」だったら「餅の皮を剥く」という言葉に連想がはしって、餅のパッケージを解くことにはならないと思うけど。いまだれも「餅の皮を剥く」なんて言ってもピンと来ないから、そういう言語感覚の変遷も影響してるんじゃないかな。

穂村 そうかもしれない。たとえばポップスの歌詞の場合には実際にうたうとかメロディとか、あるいは歌詞の一番があって二番があって三番があるとか、その全体で描写を支えているんだけれど、短歌では定型はあるけれどメロディがあるわけじゃないから、定型の側が別の支え方をもっと要求しているのかもしれない。しかし、自分が経験的にこれでいいんだという感覚をもっていて、そうしてるつもりでも、完全には意識を定型用にシフトしきれないまま書いているのかもしれない。

荻原 いまの音楽の話だと、歌詞というものは単にそれだけじゃなくて、メロディとの相互作用があって、アートとして機能しているということだよね。短歌の場合も定型感覚と口語がマッチングすれば機能できるんじゃないの。定型感覚が失われているということですか。

穂村 たぶんそうだと思います。たとえばぼくがその二首を歌集に入れるときに直すかというと、おそらく直さないと思う。直せないということもあるんだけれど(笑)。でも、言われるまでそういう読まれ方があるということを自分が意識しなかったということがショックだった。

荻原 だけど、「プールの底に降るプラタナス」とあって、その署名に岡井隆とあったら、絶対に葉っぱのことだと思うんじゃないかな。むろん岡井さんはこうは書かないと思うけど、そこの署名に穂村弘とあるから、木がどさどさ落ちてきているように見えたり、石鹸の皮を剥いているように見えたりするのでは。穂村さんのエキセントリックな印象が影響してると思う(笑)。

穂村 でも、あのときの岡井さんの口調はかなりセオリーを語る口調だったね、「こんな書き方はありえませんよ、ニッコリ」みたいな感じ(笑)。

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