■不自然さを梃子にして

穂村 当時の感覚を思い出すと、自分が書きたいことって、恋愛についてとか、ごく普通ですね。けれどもジャンルとしては八〇年代の学生が見つけて、これをやろうと思うものとして短歌は圧倒的に不自然だったということが一つあった。さらにもう一つ、その短歌という場所で口語を使うということも不自然なことだったという二重の不自然さがあって、それがおもしろかったというのかな。女の子とデートしたとか、そういうことを書くのに、なぜ、その二重の不自然さが必要だったのかちょっとわからないんですが、でも、そういう部分があった。
だから、自分は最初から口語で書き始めたけれど、その口語というのは短歌という不自然な場所のために選び直した口語だったということがいまになってみれば言えると思います。

荻原 こうして聞くと重なってくるところがわかるのですが、短歌が不自然だというのはわれわれよりずっと上の世代の人も同じだろうし、ぼくも書いていて同じだったんです。少なめに歴史をさかのぼってみても、塚本邦雄、岡井隆の「定型意識」から後は同じだよ。だから、五年長く書いていようが十年書いていようが、その不自然な感覚はやはり変わらないんじゃないですか。不自然さを梃子にしているというか抵抗体にしているというか、そういう部分があるわけでしょう。それで短歌を五年なり書いていて、表現を何らかのかたちでさらに自分によく合うものに変えていくステップアップのために、もう一度わざわざ不自然な口語文体を選んでいったというところがある。

穂村 ぼくも作り出したと同時くらいに、塚本さんなどを読み始めたけれど、すごくおもしろかったですね。あとから塚本さんの作品が当時、難解だと言われたことを聞いて不思議に思いましたが、ぼくには非常にわかりやすかった。そのわかる感じって、塚本さんはすごく不自然な感じで歌を構築しているということが自分のなかに入ってきた。塚本さんには歴史的な、それだけの内在する必然性とかモチーフがあって、従来の短歌的な韻律を拒絶したとか、そういうことはあとから学ぶわけだけれど、その時点ではそんなことは何も知らなくて、ものすごく徹底して不自然なことをやっている人がいるなと。

荻原 この「不自然」というのを丁寧に考えてみましょうか。たとえば定型とかルールとか伝統とか、書く側からすると枷として働くものがあるから反作用で自在に書けるというところがあるじゃないですか。不自由さが自由を保証するみたいな。だけど、読んでみて不自然な感じが伝わったというのはどういうことですか。枠の中で伸び伸びしていたとか、そんな感じですか。

穂村 昔「かばん」という雑誌にゲストとして原稿を頼まれたことがあって、いまはそこに所属しているんですが、それは自己紹介文と写真と歌が八首くらいの構成なんです。それを見ると、ほとんど同じような語彙と同じようなレトリックを自己紹介文のなかでも歌のなかでも使っている。でも、いま読むとその自己紹介文、ひどいんです(笑)。歌と同じように意気込んで同じように書いているんだけれど、自分のもっていることばみたいなものが、仮に心というものがあるとすると、心とことばの連動みたいなものが、自己紹介文のほうはまったくバラバラなんです。いろいろなレトリックを使って自分をよく見せようとしているんだけれど、それが全然うまく行ってない。
実際の「書く」ということでいうと、自己紹介文のスペースは自由だから好きに書いていいわけです。でも、好きに書いていいものは書けなくて、定型という枷をはめられたもののほうがむしろ結果的には、そのなかで自分というものが自由になっているんです。非常にみじめな自意識過剰な自分と自由な自分というものが対比するようにそこにあったというか。だから、その不自然さはある意味で自分を自由にしてくれたんじゃないかって思うんだけれど。

荻原 ぼくにもよく似た経験があります。いま穂村さんが言ったことは、やはり定型という枷が梃子になっていくような感じかな。定型が自分を生かすようなリアリティを生んだということですね。それと同じように口語も定型と同じ感覚の不自然さ、枷的役割を果たしたという自覚があるんですか。さっき「二重の不自然さ」と言っていたけれど。

穂村 日常語で会話をして口語でしゃべっているものを短歌のなかにそのまま自然には持ち込めないぞという感じがあった。
ただ、不自然でいいなら文語でいいんじゃないかという話になるから、それは単にぼくが文語を知らなかったし素質もなかったということなんじゃないかと思っていて、だから、口語と文語を対立的にとらえる、とくに雑誌の特集ってよくそういうふうになるんだけれど、自分が実感する線引きはそこではなくて、もう一度、定型のなかに自分のことばをいわば不自然に自覚的に持ち込む意識の有無だというふうにぼくは思った。
だから、それは自分がたまたま短歌のために選び直した口語であるように、文語でも、紀野恵さん、水原紫苑さんとか、そういう人の文語は決して自然な文語じゃないということです。それが自分の場合、たまたま口語だったと思う。

荻原 現代人の一人の実感としてあるのは、定型詩には、慣れることのできない過剰な制約があるということです。「何か」を書こうとするかぎり、つねにぶつかる制約です。不思議だったのは、五七調、七五調、四拍子が日本語の生理であるといった発想、日本人の血が短歌を書かせるという考え方です。学術的な意義は理解しているつもりだけど、短歌を書くというのは熱湯につかるような感じ、という思いがずっとあって小野十三郎が「奴隷の韻律」で批判した短歌的抒情というものが歌人のまわりに空気のように流れてくるというのが、個人のレベルでは実感できない。ぼくは「日本人」じゃないのかと思ったりしました(笑)。
短歌の内外に韻律をぬるま湯のように言う人がいっぱいいて、主張するところはわかるんですけど、ぼくにとって定型はやはり熱湯です。好き勝手には書けない。不自然なんです。ぼくみたいにかなりむちゃな実験作を書くときでも、定型意識なしには絶対できません。熱湯や枷をぬけてゆくことが梃子となってこそニューウェーブなどの試行も成立するのだと思っています。だから、慣れることのできないものとして短歌があり、さらにその異物のように口語があるのが、苦しくってかつおもしろいという感じでした。

穂村 そういう特殊な場所に持ち込むために自分で選んだことばはある程度はじめから書けるんじゃないかと思うのですが。一般的に短歌というものにトレーニングが必要だという感覚をあまり実感できなかったし、選び直したことばっていうのは、文語の場合でも紀野さんとか水原さんはうまいと一般的に言われているのですが、そのうまさは自然に経験などを積んで身につけたうまさではなくて、でも、生まれつきのうまさでもない。それは定型というもののなかに自分だけのことばを持ち込もうとする、ある不自然なことをやろうとしたときに集まってきたことばだから使いこなせるという感じがする。
だから、日常でぼくたちが口語でしゃべっていて訓練されているから、文語よりも自然に口語は使えるというのは錯覚だと思う。つまり紀野さんや水原さんがふだんああいうことばでしゃべっているわけじゃないんだけれど、あれは個体の<わがまま>な必然性に導かれて集まってきたことばだから、作品世界の構築に対して時間がかからないんじゃないかな。

荻原 ちょっと整理すると、紀野恵さん、水原紫苑さんたちが文語を、それもかなり伝統的な雰囲気の文語を生かして作品を書いています。一方で、たとえば俵万智さん、穂村さん、加藤治郎さんは、会話的、口語的なことばを生かして書いていますが、どちらもそれぞれ自分に自然に備わっていたものじゃなくて、短歌を書くにあたって、穂村さんのことばで言うと、「選び直した」口語だったり「選び直した」文語だったりしているわけですか。そしてそれが作品として使えるというのはやはり定型だからということなんですね。

穂村 そう思います。

荻原 「定型だから書ける」という部分がある。これはあまり指摘されたことがないと思うんですが、『サラダ記念日』や穂村さんの『シンジケート』といった歌集が出たときに、従来の価値観が正反対にシフトしたとか多様化したとか、そういう発想でばかり読まれましたね。実際になぜその作品がおもしろかったか、あるいはよかったかというと、ぼくの考えでは、いまの話で出ていた定型という感覚が生かされていたからだと思うんです。
価値観の変化はあったけれど、定型意識という面では、現在の目から見ると前衛短歌のころからの流れのなかになったと感じられます。この価値観の変化と定型意識というものがきれいに分割できるものかどうかわからないところもあるのですが、自分たちのなかにはかなりはっきりあったものが、一九九〇年代に口語のスタイルで出てきた人たちのなかに、あまり強く感じられないという部分があるんです。
前衛短歌の時代と『サラダ記念日』の時代では、価値観みたいなものはいろいろな変化があったと思うんですが、定型の感覚は根本的なところでは変化した感じがしなかった、あるいは揺らいだ感じがしなかったんです。それがいまちょっと違う状況になっているんじゃないかということを九〇年代の口語文体の歌人の実状として感じている部分があるのです。九〇年代に出たといっても必ずしも年齢的に下の歌人とは限らないんですが、はっきり兆候が出たのが九〇年代という感じがします。

穂村 さっきから話に出ていた「口語で短歌を書くということが不自然である」という感覚が希薄化したというところがすごくあると思います。そうすると、そこで用いられる口語はさっきいったように短歌のために自分が選び直した口語じゃなくなる。日常のこのレベルでしゃべっている口語を定型という枠のなかにスッと移行できるという感じ、誰かがそう思うというのではなくていつの間にか世界の空気がそうなったという感じがする。

荻原 われわれが口語や記号を使って作品を書いていたとき、「君たちは五七五七七、三十一音であるという以外に何も規範なく書いているでしょう」ということをよく小池光さんたちから指摘されていたんですが、とても反論しづらかった記憶があります。従来の価値観を削ぎ落としたところにも単なるフォルムではない定型意識があるということを感覚的にしか掴みようがなかったんです。むしろ九〇年代にはっきり空気がかわって自分たちの位置が見えやすくなりました。

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