舞台という虚構の中に。 本文へジャンプ
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〜考察中〜

ジンベ。
2003/6/22 (日) 13:30:00

先月(5月)、木曾福島までジンベとダンスのワークショップに行ってきました。
ず〜っと参加したいなぁ、と思い続けて早くも2年、ようやくの参加です。
札幌にいた頃は芝居三昧でジンベはちょっとないがしろ。
北見に来てからようやく時間ができるようになりました。
いや、時間のやりくりが以前よりうまくなった、ということかもしれません。
てなことで、参加してきました。
も〜、パワーもらいまくりってとこでした。
そのせいか、最近は時間を見つけては河川敷でジンベを叩いてます。
少しづつですが、ジンベと仲良くなれているようです。
ジンベとはなんだ?と問われて応えるすべはありませんが、
いや、いまは大好きなんだよね、理由はないけど、
と応えるのだろうと思います。
え、だから何を書きたいんだって?
さぁ。たまにはこのページも更新しないと・・・。

いわゆるフリーターと社会人。
2002/2/23 (木) 24:00:00 または24(金)00:00:00

今日、ニュースステーション、見ました。
いわゆる正職につかない「フリーター」の皆さんのこれまでとこれからを語っていました。
正職員として働いています、僕は。
これだけがOKとは思ってないんです。
羨ましい、そう思いつつ、
今がいいんだ、と思ってしまう僕もいました。
いま、僕自身は何がしたいのか。
楽しくて嬉しくて素敵な出来事は、いまの職場といまのAFTERが重なり合って生まれてるんです。
だからこそ、いまの環境を
否定できない。
抜け出せない。
そういうものかもしれません。
僕の友人たちにも「フリーター」的な生活を送っている人たちがいます。
生き生きとしている人ももちろんいるんです。
僕の職場の同僚にも生き生きとしている人がいるんです。
どっちがいいのかは、わからないけど、
たぶんそれぞれがそれぞれの環境の中で考えて感じて走って転んで立ちあがって泣いて笑って、
今があるんだと思うのです、思うのです。
頑張れということは僕があくまで「上」。
応援はするけど、支援はできないからこそ、
「どうぞご勝手に」と言いたい。
「で、いつ呑みにいく?」って問いかけたい。
明日の朝、同じように思うか否かは判らないけど、
いま、そう思うんです、思うんです。

芝居と緊張、その3(本番直前!)
2001/11/11 (日) 00:40:00 AM

明日は明日の風が吹く。
そうなんです、そうなんですよ。
1日、1日と風は変わるんです。
1秒ごとに、風は変わるんです。
明日も違う風が吹くんですよね。
僕の努力と希望とは違う風がね。
だから、舞台は侮れないのです。
だから、舞台は面白くて、怖い。
尾崎豊さんが、語っていました。
『僕が僕であるために』生きる。
辛さ悲しさ虚しさを知るために。
1日、1日と思いは変わるはず。
次の瞬間に変わるものなのです。
稽古でも、本番でも、日常でも。
舞台と言う虚構の中で、
僕はいろんな風に吹かれて、
変わりつづけたい。
そう思うのです。

芝居と緊張、その2(キャストとスタッフと)
2001/10/28 (日) 2:51:06 AM

僕の芝居生活を振りかえると、
いつのまにか役者、
なんとなく制作、
役立たずの照明、
騙されて舞台監督、
と、いろいろ経験してしまいました。
それぞれ、緊張の種類は違う、そう思います。
では、キャストとスタッフ、どっちが緊張するのか?
答えはありません。万人共通の答えは。
僕なりに言えること、それは舞台監督だった時の緊張が激しかったということ。
舞台監督のスタイルはいろいろあります。
他のスタイルはわかりませんが、森の会のスタイルは『いつも当たり前にそこにいる』。
僕はこれしか経験してません。
当日だけ、というのも大変だと思います。
でも、全部に関わる劇団内舞台監督も大変です、多分。
ちなみに僕自身は、とある芝居の舞台監督のときに痛みのせいか7キロ(63k⇒56k)痩せました・・・。
キャストもスタッフも苦労はあるはず。
どっちも大変なのです。
ただ言えることは、
キャストもスタッフも間違えちゃいけないってこと、なのです・・・。

芝居と緊張、その1(稽古と本番と)
2001/10/28 (日) 2:14:35 AM

稽古、進むにつれて緊張します。
本番直前、もっと緊張します。
本番、それまでの緊張とは違う状態にあるような気がします。
不思議だなぁ〜って、思います。
板にあがると、僕であって僕ではないけど僕である。
やっぱり、不思議です。
本番ではキャストとしての『役』に没頭するからかなぁって思うんです。
自分を通して自分ではない『役』の自分を演じる。もしくは、『役=自分』が板の上で生きて息してる。
自分ではない自分がいる・・・
そんなふうに感じるようになったのはいつだろうか、って考えてみました。
東京にいる頃、有楽町マリオン前で、まるで政治家のように道行く人たちに街頭でマイクを持ちました。
ステージ上で話をしました。数百人、ときには数千人の聴衆の前で。
そこには『自分≠自分』がいました。
もっと前、地域の子供会で数十人、時には数百人の前で話し、
レクゲームやレクダンスを一緒に楽しむ先頭に立ちました。
そこにも『自分≠自分』がいました。
過去を振り返って今にフィードバックすると、
『自分=自分』と『自分≠自分』は同時に存在してきた、そう思います。
そこには、衆人環視の高揚と緊張がありました。
芝居の本番は、常に衆人環視の中にあります。
そして脚本を芝居として生きて息してる『一瞬の普通』にしていくのです。
『自分≠自分=自分』・・・。
本番までの緊張は単なる衆人環視に対する緊張で、
本番の緊張は最後の『自分≠自分=自分』への葛藤なのかもしれない・・・
地球に住まう様々な生命の行く末・・・
2001/10/24 (水) 11:36:07 PM

世界のあちこちで多くの生命が息づいています。
人類は、そうした生命を時として絶滅に追いこんできました。
いま、テロという名の惨事が人類を恐怖に陥れています。
同じ人類同士が破壊しあい、
宗教の名のもとに破戒しあう。
お互いをヒトとみなさない世界が存在しているのです。
無宗教、もしくは自然神の多神教の日本人である自分自身は、
こうした破壊と恐怖と憎悪の連鎖を理解できないのです。
そういう僕たちの理解できない様を、
やはり違う宗教に生きる人たちは理解できないのかもしれません。
なにもかも互いの理解と合意で共生できるとは思いません。
でも、
その努力を怠ることは、
地球上に住まう生命の一員として放棄してはいけないのだと、
感じるのです。
ジンベって知ってる?
2001/10/6 (土) 6:37:31 AM

西アフリカの太鼓なんです。
TVのCMなどでも黒人男性が叩いているシーンがあったり、
札幌だとススキノで叩いている人がいたり、
アフリカの小物を置いているところにふと置いてあったり。
さて、なにものかというと、アフリカンダンスにかかせない「パーカッション」っていう表現がいいのかな。
木をくりぬいてヤギの皮を張ってあるので、そこを手で叩くんです。
これがね、基礎がちゃんとしてないとただ痛いだけ。
3つの音があって、たくさんの太鼓でのセッションはすごいんですよ〜
ぜひ、一度聞いてみてください。このHPでも今月中頃から紹介を始めます(ホントか?)
アフリカのリズムとサウンドをダンスとジンベで「踊る」。
つくづく感じたのは「僕は日本人なんだな〜」ってこと。
だって・・・アフリカのリズムが自分の中に、生活に、鼓動に、全くなかったんです。
新鮮だったり、違和感を覚えたり、ときには感動だったり。
ちょっとかじっただけで真似をするだけでは、なんだかもったいない気がしました。
だれか、一緒にアフリカ行かない?
もちろん旅費は・・・出して欲しいくらいお金が無い!(泣)
役者って・・・
2001/10/1(月) 11:08:39 PM

今、僕は『役者』やってます。
8月の札幌・教育文化会館での『ル・パルクU』では、ステキな猫に恋してる小説家希望の青年、幹事役のサラリーマン。11月の北見・芸術文化ホールでの『煙が目に染みる』では、野々村亮太23歳。僕の日常ではないCASTをいくつも経験させてもらっています。
経験がないってことは、実体験としての表現は無理なわけで、台本(脚本)と対峙して格闘して創り上げていく訳ですな。
友人の一人がとある役者の言葉を教えてくれました。
『役者の財産は想像力である』
こうなんだろうか、ああなんだろうか、どうなんだろうか、なんて思いながら想像に想像を重ねていく。
結構大変だけどこれがまた楽しかったりしている自分がいる。
『舞台でもいつもの田村だ』なんて言われたりすることもたびたびだけど、もしかして自分を通して想像したCASTを表現できてるからかなあ、なんて思ってみたりもしてる。ま、そんなにまだまだステキな役者ではないんだけどね。
大きな舞台で満場の聴衆に囲まれて、感動を表現できたらすごいなぁ、などと夢見ながら今日も役作りに励んでます。
そんな中でふと思うのは、日常で誰しも演じてる場面があるってことなんです。
恋人といるとき、職場でお客さんと接しているとき、買い物で値切るとき(?)。
仮面をかぶっている訳ではなくて、自分をコーディネイトしている瞬間。
これも、ある意味では『役者』なのかもしれないなぁ。
皆さんも、『役者』の瞬間って、ない?